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「副詞・複合語、敬語と丁寧語が多い日本では、西洋人のように身振り手振りの必要がなくなっている」。16・17世紀、ザビエルを嚆矢に渡来した宣教師たちの一人ロドリゲスは、日本語の語法についてこんな驚くべき分析を行った。中世から近代の日本を旅先とした異人たちは、辞書や紀行、絵などさまざまな表現を使って"驚嘆の国"を本にした。
1811年(文化8)、函館にとらえられたロシア船長ゴロウニンの手記は、鎖国下の日本を克明に描いてヨーロッパ各地でベストセラーになる。ペリーは日本に向かう前に、この『日本幽囚記』やシーボルトの『日本』など40冊もの日本に関する書籍を読んで、交渉を準備した。
のちに三井コンツェルンを世界最大の財閥にした“三井物産の大番頭”益田鈍翁が、わずか13歳で通訳を務めたのが初の駐日アメリカ公使、タウンゼント・ハリス。その滞在記は岩波文庫で上巻だけで500ページを超える。強硬な姿勢を保ったイギリス初の公使オールコックは、わずか3年の滞在期間をこれも3巻の長大な滞在記に綴った。のちに闇雲なほど急激に西洋化を果たす日本だが、まず最初は"日本風"が本のかたちで西洋世界に出ていったのだ。
昭和初期に日本に亡命し、その後中国で抗日運動をささえた詩人で革命家の郭沫若のみずみずしい自伝、まったく同じ時期、高崎の6畳と4畳半だけの洗心亭で暮らし、日本建築の自然との調和とその文化を初めて世界に送り出したドイツ人建築家ブルーノ・タウト。海を越えて来た人が、かかわりの中で多様な日本を本でつくりあげる。そして本は伝える内容だけではなく、本を通した人の名前も記憶にとどまっていくのだ。絵画、音楽のように人に近くて、しかもアートとしてではなくても歴史の中を生き続けるメディアを、私たちはほかにいくつ持っているだろうか。(N)
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