|
|
 |
 |
 |
 |
 |
| 【解説】gnosisはギリシャ語で「覚知、叡智」の意味。3世紀前後に地中海世界全体と中東全域に影響が及んだ宗教運動のこと。人間と宇宙はそれぞれ物質的、肉体的な実体と神的で超越的な本質に分けられ、人間には、自覚されていないものの宇宙を超越した「原人」の神的な本質が断片として残っており、啓示によりその存在を知ることが救済につながるとした。初期ユダヤ教が起源と考えられており、キリスト教の発生と時期を同じくして広まった。
|
|
|
 |
| |
 |
| |
グノーシス宇宙のシンボル:
世界の構造を神の見えざる手が支える |
|
|
 |
| |
 |
| |
|
|
 |
|
イラスト:佐藤三奈子 |
|
 |
| |
 |
蛇はイブを騙したのか
【鈴木】グノーシス。うーん、これよく知らないんですよ。
【高橋】そう、ちょっと難しいかもしれないね。この絵がグノーシスの象徴で、神の手に握られた杖に2匹のヘビが巻き付いているんだ。
【鈴木】ヘビかあ、なんかいろいろと秘めていそうですねえ。
【高橋】ヘビは人間より先に大地に住んでいたんだよね。日本でのヘビの化身は、ヤマタノオロチがそうだし、インドでは大地と闇の始源のヴリトラ、ギリシアではエギドナ、中国では伏羲と女 がいて、いずれも大地に関係しているんだ。
【鈴木】グノーシスは大地と関係があるんですか。
【高橋】いやいや、話はこれからで、農耕をしようとする人間は大地の主であるヘビに無事に住まわせて下さいと願ったんだ。つまり、ヘビはもっとも古い神の一つだったんだね。ところが、それは人間を守り、秩序立てる方向へ動く知恵と豊饒を司るものと、洪水や暴風をもたらして元の原初の混沌に戻そうとする破壊と無秩序のものとに分かれていった。
【鈴木】ふーん、神が2つに分かれるんですか。ここまでの話だと良い神と悪い神、って感じですかね。
【高橋】そうだね。インドのヴリトラは混沌をもたらす恐るべき悪蛇で、伏羲と女 は破壊された大地を計測具をもって修復し、秩序を取り戻した蛇神とされている。しかし、元は1つのイメージから生まれたというところが大事だね。そういった観念の分岐が一番ドラスチックに現れたのが、紀元2世紀頃にオリエント世界に波及したグノーシス教だった。当時拡大しつつあったキリスト教に対置する哲学・思想大系になったわけだね。そのシンボルとなったヘビはキリスト教とは逆の解釈になるんだ。
【鈴木】えーと、つまりイブをそそのかして禁断の実を食べさせたただの悪いヤツではない、と。
【高橋】グノーシスの宇宙論とも関係しているんだけど、超宇宙的な智を目覚めさせたグノーシス(叡智)をアダムとイブに与えたということになるね。
【鈴木】なんか結構異端っぽいんだ。そうそうAMORE MIOっていう香水があるんですが、これビンが林檎の形をしてて、キャップにはヘビが絡み付いているんです。これもある種アイコンですね。そのビンの由来としてイブの話を延々聞かされたことがある(笑)。
不完全から始まる宇宙
【高橋】もちろんグノーシスは正統キリスト教から異端とされているんだ。たとえばグノーシスではキリストについても、復活したことから尾をくわえた円環のヘビ「ウロボロス」をその象徴としている。ヘビを悪であると解釈したキリスト教からみると、その一事をもっても大変な異端だね。ただし、ぼくらのようにアジアの果てからヨーロッパ文明をみる場合には、正統に属するさまざまなキリスト教の宗派の動向を相補するものとして、グノーシス的な動きを見なくてはいけない。逆の観念体系というのは相補系だからね。
【鈴木】カタキ同士だからこそお互いに意識している、みたいな。
【高橋】正統キリスト教の流れがあって、しかしその背後で、グノーシス的動きが駆動し、揺らぎを与えてきたからこそ発展できたのがヨーロッパ文明なんだ。それとさっき言った宇宙論だけど、それは「流出」に特色がある。「初めに言葉ありき」でも、「神は7日で宇宙を創りたもうた」でもなく、宇宙の始源に「汎種子」(パンスペルマ)があり、そこから光が誕生して、本来は完全な宇宙になるはずだったというんだ。
【鈴木】はずだった、ですか。
【高橋】そう。完全なものではなく、不完全な宇宙を派生してしまったんだね。そこがグノーシスの魅惑的なところで、それはわれわれの宇宙をつくった光に、わずかな瑕(きず)があったからだというんだ。瑕があるんだよ。いいよねえ、これ。
その瑕のある不均一な光は「思考の母」と「深淵の父」が合一した場所に光輝から闇に向かって垂直的世界を流出したという。この光はプネウマと呼ばれていて、鳩で象徴されているね。その過程にヌース(理性)とアレーティア(真理)が作用して、言葉や生命が生まれる。その2つの原理が2匹のヘビなんだ。
【鈴木】プネウマっていうの、聞いたことがある。ギリシア哲学の中では宇宙を形成するという要素の一つで、他には土、水、空気、火があって最後にプネウマ。このプネウマってたしか「息」の意味かなんかだった。でもここでは光なんですね。
【高橋】プネウマを話すとまた長いのでやめとこう。このプネウマを頭に抱く一本の棒が世界の階梯を示しているのはこれでわかったかな。こうして鳩のとまる杖に2匹のヘビが絡まるイコンが誕生したんだ。現代にもグノーシスを実践しているはフリーメイソンなんだけど、そのシンボルにもなっている。
ゲーテの言葉が示すもの
【鈴木】実は僕、子供の頃はギリシア神話を毎晩聞かされて育ったんですけどね、アポロンの子、アスクレピオスが持っている杖にもヘビが絡まってるんですよね! あと、これは医療の世界でシンボルにされてることが多いとかって聞いたことがある。
【高橋】ヘビはすでに古代ギリシャにおいても「知恵」の象徴とされていたんだ。またその姿形から固定的で完全でないものの象徴でもあるんだよ。そこから不完全な体としての病とそれへの知識に象徴的に結びついている。
実は経済、商業の世界でも同様にシンボライズされている場合もあるけれど、それは不完全で流動的という側面から来ているんだね。グノーシスはそういうものを取り入れたんだ。
【鈴木】なんか不思議だなあ。最初に不完全がありき、なんですねえ。
【高橋】不完全な宇宙には不完全な神が誕生するんだ。それがデミウルゴスで、自ら創造主と気取っている。それをキリスト教やユダヤ教は唯一神として誤解しているというんだね。それでも、その構成要素の光は始源の性質を備えているために、ある叡智を与えられると覚醒するというわけだ。それを与えるものがデミウルゴスの子オグドアスで、またの名をアブラクサスという。頭は鶏、胴は人間、足はヘビの姿をしているんだ。その使者がナハシュ(ヘビ)というわけだね。
【鈴木】アブラクサスって悪魔の一人ですよね。アブラカタブラ…っていう呪文の語源になったっていう。1年365日のそれぞれの日を担当する365人の神々がいて、アブラクサスはそれらをまとめる神だった。でもなんで彼がまとめる役になったかっていうと単に「アブラクサス」をギリシャ語で数字に置き換えて足し算すると365になるから、らしいんですよ(笑)。
【高橋】変なことはよく知っているなあ。あれ、映画の『エクソシスト』で首がぐるっと回るだろ。ナハシュっていうのはそのバックにいるヤツだよ。それがグノーシスでは数秘術を基本とする叡智を与える役割なんだね。ヨーロッパ中世の職人たちの間ではひそかに信仰されていたんだ。そのほかに、文学でも、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』は、デミウルゴスをテーマにしているし、さっき言ったようにヨーロッパにはグノーシスの影響力はものすごくある。近代科学の黎明期となった流動の研究や光学の研究もグノーシス的な世界の見方から生まれてきたに違いないんだ。
【鈴木】光学ですか、「もっと光を!」っていうのもありましたね。
【高橋】そうそう。ゲーテのその最後の言葉もまた、グノーシス的なんだね。
|
|
|
|
|
|