セイゴオちゃんねる

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2012年8月31日

News 9月3日、東浩紀さんの「ニュースの深層」に出演

 9月3日(月)20:00~21:00、東浩紀さんがキャスターをつとめるテレビ朝日CS放送番組「ニュースの深層」に、セイゴオが出演する。テーマは「伝説の編集者に聞く”出版社を作るということ”」。出版社ゲンロンを立ち上げた東さんと、工作舎をたちあげたセイゴオという切り口で始まったものの、数分後には、9月30日をもって閉店する「松丸本舗」の話題にうつった。松丸本舗の狙いと手ごたえから、本を読むことの意味、そして出版産業の未来を語る。

放送:テレビ朝日CS

時間:初回: 9月3日(月)20:00
    再放送:9月3日(月)23:00、9月4日(火)13:00

※9月4日(火)13:00の回については、
 高校野球中継が急きょ入ったとのことで、
 『ニュースの深層』の放送が休止になりました。

投稿者 staff : 14:57

2012年8月30日

Report 『3・11を読む』を語る

 8月7日(火)、東京堂書店で『3・11を読む』の出版記念トークが開催されました。『3・11を読む』は、東日本大震災後、セイゴオが「千夜千冊」で地震や津波や原発や東北地誌にまつわる本を取り上げた「番外録」を収録したもの。母国日本の行方について沈思し続けたセイゴオの日々の赤裸々な記録ともなっています。
 トークでは、震災前まで1年以上にわたって「千夜千冊―連環篇」に綴っていた、世界の諸問題の「見方」も織り込みながら、日本の本来と将来を考えるヒントを高速連打。その内容を要約版で以下にお届けします。

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■「3.11を読むこと」と「本を読むこと」

 わたしは、3月11日の東日本大震災直後、自分の内側にいったい何が起こっているのか、まったくコトバにできなかった。言い換えれば、「3・11」をどう読むべきかしばらく呻吟せざるをえなかった。
 「3・11を読む」ことは、すなわち「本を読む」ことでもあります。そもそも「読書」をするあいだに自分のアタマに何が起こっているのか、そのことすら非常に再生しがたい。それでもこの「二重の困難」を同時に体験しなければいけないんじゃないかと思ったことが『3・11を読む』のもとにあたる千夜千冊「番外録」を始めたきっかけです。

■グローバリズム患国ニッポン

◇3つの超難題―①キズ②情報感染③大惨事の予兆
 さて、日本や世界の本来と将来にとって、3・11をどのように受けとめればいいのか。ここには、3つの問題が潜んでいます。
 第一に、われわれ誰しもが抱えている「キズ」や「危険」とは、いったい何かということ。第二に、3・11のような大きな損傷を負ったとき「情報感染」が起こるということ。第三に、3・11以前にこの「大惨事の予兆」なる何かが提示されていたのではないかということです。
 ひとつひとつが超難題ですが、これら3つを同時に考え、さらに新たな問いを組み立てる必要があります。そのためには、おそらくいまある語彙では足りない。
 たとえば「うれえる」は「患える」とも「憂える」とも書ける。しかし「憂国」という熟語はあっても、「患国」はない。「患」という漢字は、白川静説では、「心」臓を「串」で刺すように「患える」ことを意味しています。それなら心臓を串刺しにされたビョーキの「患国」があってもいい。これからはこのような新しい熟語や形容詞の造語がたくさん必要になるだろうと思います。

◇ 日本の「ヤバさ」と「間違い」―フラット化・監視カメラ・賞味期限
 第三の「大惨事の予兆」について詳しく取り上げます。
 わたしは、だいたい四半世紀前あたりから、なんとなく日本の「ヤバさ」を実感し始めた。たいして大事ではないことが網の目のように組み合わさり、本来大事なことが次々と消されていくという異常事態です。
 一方で日本の「間違い」にも気づき始めた。これも大きくは3点あります。一つ目は、「マクドナルド化」や「液状化」とも呼ばれている「フラット化」。二つ目は、どんな出来事も必ず「責任」を明確にしようとする「監視カメラ」。そして三つ目が、「賞味期限」。すべての物事に「監視」と「責任」のラベルが貼られていった。
 『3.11を読む』は、3つの「間違い」と四半世紀前に感じた「ヤバさ」がどのようにつながっているのか思索したプロセスでもあるんです。

◇サイズ・リスク・レギュレーション 
 日本の「間違い」を一言で指摘すると、やはり「グローバリズム」にあると思います。自分の「サイズ」よりも遥かに大きいにも関わらず、グローバルなものに提供されたすべての便利を買っていく。たとえば、コンビニやFacebookやユニクロです。この「自分サイズ」と「グローバルサイズ」を一緒くたに使用するという大問題こそがさきほどの「ヤバさ」の正体にもなっている。
 その根本にあるものは「リスク」です。私たちのなかに「リスク」や「危険」や「損傷」があるのは当然のことです。しかし、いつの間にか「リスク」を回避する思想が社会に蔓延し始めた。企業が大きな損失を負わないために「リスクヘッジ」していったことが、次第に身の回りの小さな「リスクヘッジ」にもつながっていった。かつては一人一人が「キズ」や「痛み」を負いながら覚えていった「リスク」がすべて提示されるようになり、さらには「レギュレーション」や「制度」が次々と登場し、「賞味期限」→「監視」→「液状化社会」の順番で責任が問われるようになっていった。
 さらにここに「想定」と「想定外」という境界が現れてくる。すべてが「想定」されたもののなかで開始され、いまや企業も行政も社会全体が「想定外」の責任回避を工作する日々にどんどん追い込まれている。
 ちなみに「レギュレーション」や「リスクヘッジ」の基準には、確率・統計の歴史が隠れています。「統計」は、ナポレオン時代につくられたものです。そこで「健康」と「病気」が分けられ、兵隊になるにふさわしい体格が決められた。それが「国民」というものになり、これをイギリスも日本も真似をした。したがって「ナポレオン帝国」と「国民国家」と「統計国家」は同じことなんです。


■日本の本来と将来のために

①思想篇
◇方法・A 「一切皆苦」と「無常観」
 これからの時代に向けて、グローバル社会の現状を受けとめつつ、二つの方法を提案したいと思います。
 まず一つ目の「方法・A」は、私たちは大昔からそもそも「リスク」や「キズ」の問題を抱えていたのだから、それに対峙できる哲学や思想や感情を改めて養わなければならないということです。
 そこで着目したいのが「仏教」です。仏教の出発は、ブッダの「一切皆苦」、人生も社会もすべて皆苦しいという発想です。これが涅槃寂静に向かっていく。
 仏教的思想は、賞味期限を一個一個つけるのではなく、「苦」を中心に全体の価値観が始動するスタートラインを思い切ってひく。これが日本では「無常観」として広まった。すべては有為転々であるという思想です。
 仏教的無常観に基づいて「故国」、あるいは「母国」や「祖国」をおもう思想もある。「山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく」。三陸のように山の麓に海が眠っている。そこにひっそりとあるかなしき春の国を旅している。若山牧水の詩です。まさに3・11後の境涯のようです。牧水は、「国」の字がつく詩をそれこそ300首ほども遺しています。

◇方法・B 矛盾を恐れない価値観
—「二項同体」・「バッシング・セオリー」・「ダブル・コンティンジェンシー」
 次に二つ目の「方法・B」。これは二分法に対する挑戦です。つまり二つの矛盾を抱えても恐れない価値観をもつことです。
 世の中はシステム化され、それがネットワークでつながっているために、私たちはつねに二分的なことを強制されています。たとえばスマホやPCなどデジタル機器を使うとき、必ず「YES」か「NO」を選ばされている。これはまったく編集的ではない。
 これに対して、二つのものが別々にきたときにふたつ一緒に考える方法があります。たとえば、清沢満之の「二項同体」やドナルド・デイヴィッドソンの「パッシング・セオリー」、それからリチャード・ローティの「ダブル・コンティンジェンシー」の思想です。
 「二項同体」とは、たとえば「猫とネズミがどのように増えるか」という曲線グラフがあるとします。そのとき「ネコ」と「ネズミ」を別々にしないで「ネコ・ネズミ」という状態としてみる。文字通り「二項」を「同体」と捉える編集的な発想法です。
 「パッシング・セオリー」の「パッシング」は、「受けとめていくこと」。欧米の一神教的なロジックが「ジャッジ」や「ディシジョン」を重視するのに対して、「パッシング・セオリー」は、ずっと受けて受けて、限界まですべて材料を出し切ってから結論をだす。「そこに差し掛からないと正体が見えない価値観」とよばれています。
 「コンティンジェンシー」とは、「あるものに当初から含まれている偶有性」です。たとえば原発が危険であるとか安全であるとは言わず、すべてが多様な偶有性のなかにあることを認めていく。連続的に「ダブル・コンティンジェント」に思考し、技術もそれに対応させていく。

②歴史篇
◇リスボン大地震という事件
 最後に、『3.11を読む』のなかでとくにピックアップしたいことをお話します。
 ひとつは、1755年11月1日のリスボン大地震のことです。このリスボン大地震を境にヨーロッパは大きく変わった。わかりやすくいえば、大地震以前にはライプニッツやスピノザなど世界を理想的に考える思想があちこちで噴出していた。ところが大震災以降は、ヴォルテールやルソーやモンテスキューといった啓蒙家たちが登場し、アメリカ独立とフランス革命が起こる。一言でいえば、「契約」をした限りにおいて責任が問われるという思想がでてきた。ここに今日お話したことの背景となる世界思想の大分裂があるんです。

◇ヒロシマとフクシマの「キズ」
 それからもうひとつ、ジャン・ピエール・デュピュイとポール・ヴィリリオという人を紹介したい。デュピュイは、『ツナミの小形而上学』という本を書いています。これはヒロシマとフクシマを重ねた時間的空間的線上の前後で哲学を変える必要がある、と宣言した非常に衝撃的な一冊です。ヴィリリオには、『アクシデント』という本がある。ヴィリリオもデュピュイも「事故」や「損傷」のなかにしか新しい哲学は生まれないと喝破した。
 『3.11を読む』のまえがきに創造の「創」という字は「キズ」であると書きました。「絆創膏」の「創」です。コンテンツを蓄積する「倉」と「立刀」でつくられている。白川静的にいえば、「刀」をもってコンテンツや知恵や知識を傷つけて組み替えていくことが「創造」です。
 3・11の日本を考えるには、「キズ」をもったクリエイティビティや創造力こそを持つべきです。

サイン会.JPG
講演終了後はサイン会が行われました


レポート:金宗代
写真:和泉佳奈子


投稿者 staff : 11:35