セイゴオちゃんねる

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2011年11月22日

Snap 歌人・岡野弘彦さんと打合せ

 銀座某ホテルで、歌人・岡野弘彦さんとセイゴオが来年1月28日開催のNARASIA2011「うた・こころ・ものがたり」(奈良県主催)の打合せ。岡野さんは、松岡が尊敬する折口信夫の愛弟子で、長らく天皇家に歌を教えられていた方。1月28日のイベントでは、万葉集や古事記の魅力から3.11以降につくられた鎮魂の歌まで、あらゆる角度から「歌の力」を伝えていただくことになりそうです。

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 最近、岡野さんは密教に関心を持ち、セイゴオの『空海の夢』を読んだそう。「松岡さんのあの初版のあとがきは、折口信夫が小栗判官論を書いたときにとった方法と同じですね」と岡野さんが指摘すると、セイゴオは「わぁあ、うれし~い」と言いながら、少年のように両手をあげてガッツポーズ。『空海の夢』初版刊行は1984年のこと。以来、セイゴオの仕掛けに気付いた人は岡野さん以外、誰ひとりとしていなかったらしい。

スナップ:和泉佳奈子

投稿者 staff : 00:07

2011年11月19日

Snap 井上鑑さんのライブを堪能

11月18日(金)、セイゴオはスタッフ数名と一緒に「井上鑑 僕の音2011 秋の庭」(銀座ヤマハホール)に駆けつけました。前半はグランド・ピアノの響きを中心に井上さんが愛奏する曲を立て続けに披露、後半はバンドネオンによる軽快なパーティ・チューンにはじまり、言葉と音楽の絶妙なアレンジまで目くるめくシーンが展開。セイゴオは、本ライブのコンセプト・デザインで協力(演出・照明は藤本晴美さん)。とくに自著『フラジャイル』とも共鳴する組曲「fragile」のときは、身を乗り出して聞き入っていました。

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開演前、青澤隆明さん筆のプログラムを熟読。ちなみに黒いキャップはここ最近のお気に入りアイテム


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身を乗り出して「fragile」に聞き入る。

スナップ:和泉佳奈子

投稿者 staff : 01:18

2011年11月17日

Publishing 『NHK「爆問学問」世界が大きく開ける言葉』刊行

2008年にセイゴオの出演した「爆笑問題のニッポンの教養」が文庫になりました。
セイゴオ×爆笑問題の対談、「プラスやマイナス、“一対”のものを受け入れるとらえ方が必要だ」が収録されています。
 *2008年4月1日に放送された番組の概要はこちら↓
 http://www.eel.co.jp/seigowchannel/archives/2008/03/news_38.html 

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■『NHK「爆問学問」世界が大きく開ける言葉』
発売 2011年11月10日
発行 三笠書房
定価 580円(税込)

「インプットしたときのいろいろな情報やできごとは、それを語ったり再生したりするときに多かれ少なかれ変わりますよね。それが編集だと僕は思っていましてね」
「おそらく、人間の脳とか、その能力っていうのは中途半端で、頭に入ったこちゃできごとを再生するときにどうしても同じようにならいようになっていると思う。要するに、インとアウトが違う。そのズレが重要です。編集工学はそこに関心があるんです」
「何でもシングルメッセージにするのはあんまりいいことではなく、“こういうふうに思えることは、こういうふうにも思える”と両極の見方をしたい」
セイゴオ×爆笑問題「プラスやマイナス、“一対”のものを受け入れるとらえ方が必要だ」より・セイゴオ語録

投稿者 staff : 23:15

2011年11月15日

Report 連塾ブックパーティ 巻3 速報

 11月12日(土)、南青山スパイラルホールで、「連塾ブックパーティ」巻3が開催されました。総勢9人もの出演者が入れ替わり立ち代わりステージに登場し、セイゴオとの対談とともに、「本を聴きたい」というテーマに合わせて、それぞれが選んだとっておきの本や自作の和歌や詩を朗読。午後1時から8時までの長丁場ながら、280人もの塾衆が詰めかけ、ホワイエの「本市」、二次会の「本宴」ともに、大盛況でした。

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連塾会場となったスパイラルホールエントランス。
松丸本舗に寝転んで選本中のセイゴオの特大写真がお出迎え

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オープニングでは「本を聴きたい」というテーマに込めた思いを語る。
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セイゴオとゲストの著書が並ぶホワイエの「本市」もおおにぎわい。


以下、当日の記録写真とともにミニレポートをお届けします。

 連塾では初めてのジーンズで登場したセイゴオ。10月に亡くなったスティーブ・ジョブズに敬意を表したかったとコメントし、巻3の狙いを語ります。「喪失がないと面影がうかばない。日本はそんな宿命を持っている。今日のテーマは『本を聴く』。もともと読書は音読から始まった。本の歴史の背景に、たくさんのラプソディアンたちの歴史があった。長らく無文字社会だった日本では、言霊がそのまま“事”になる文化があった」。

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アンデルセン、サイード、美智子皇后、ボブ・ディラン、グレン・グールド、寺山修司などなど、本の記憶にまつわる古今東西のフレーズたちを朗読する。 

 チームラボの工藤岳さんが登壇し、オープニング映像の仕組みを種明かし。「雨」「花」「虹」など、画面にランダムに降ってくる24の漢字に触れると、それぞれの文字のヴィジュアルイメージが、3Dやにじみのアルゴリズムによって、予想外の動きを見せながら展開します。「連塾ブックパーティ」では毎回、チームラボが文字や本をテーマに、オープニング映像を披露してくれます。

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工藤さんはセイゴオが注目する34歳の世界放浪者にして世界編集者。アジアを放浪しスェーデンで猪子寿之氏と出会い、書籍と電子の未来に関心をもちチームラボに参画。

 紫のぼかしの着物もあでやかな歌人の水原紫苑さん。1970年の三島由紀夫の死が、少女時代から憧れる歌右衛門と、和歌の師の春日井建とをつなぐきっかけになったと語ります。朗読は、水原さんが「世界を包含する大きさをもった女性であり、恋する身体そのものが形而上学だったひと」と敬愛する和泉式部の『帥宮(そちのみや)挽歌』。そして、その魂を継承するかのような水原さんの挽歌『武悪のひとへ』。
和泉式部「はかなしとまさしく見つる夢の世をおどろかで寝る我は人かは」。
水原紫苑「<助けて>ときみ言ひましきありありて助けえざりしわれは人かは」。

 最後に、水原さんがもっとも好きな作家という夏目漱石の『それから』の一節が朗読されました。「耳で聞いていると、漱石の文章がこれほど繊細な“間”をもっていることに改めて驚いた」とセイゴオが語ると、水原さんは「ここは主人公の代助と三千代の魂が結ばれるところ。漱石は謡曲もやっていた。間もリズムもわかっていた」と答えます。

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日本の伝統芸能にも詳しい水原さんは、ご自身で能もされます。梅若六郎の会で、新作能『ジゼル』の脚本も担当。

 町田宗鳳さんは縹色の作務衣に輪袈裟を付けて登場。14歳で家出し大徳寺で20年にわたった修行の後、鈴木大拙に憧れアメリカで比較宗教を修め、プリンストン大学で教鞭をとったという町田さんは、日本仏教こそ世界遺産であると語ります。「世界でも日本でも仏教者といえばダライ・ラマが人気だが、真にすばらしいのは聖徳太子以来の日本の仏教者たちの思想や芸術性。文明史の大きな流れとして日本仏教をとらえ直すべき」。
 また、「お経は体験によって培われた智慧が集大成されたものだが、いまの日本人は漢訳そのままを耳で聞いても意味がわからない。もっと自分たちの言霊ののる言葉をみつけるべき」と語り、町田さんが考案した「ありがとう」の五文字四音の念仏とともに、「四句誓願」を朗々たる声で読経しました。続いて、さきごろ出版された自著『ニッポンの底力』の前書きを朗読し、3月11日を折り返し地点として祖型とともに日本が蘇ることを信じたいという力強いメッセージで締めくくりました。

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町田さんの法然論にはセイゴオも大きな影響を受けました。新著『法然の編集力』にも町田さんとの対談が収録されています。

 この日、連塾会場であるスパイラルホール入口に、『松岡正剛の書棚』(2010年刊行)のために取り下ろされた松丸本舗の書棚の写真が展示されました。そのカメラマン薈田純一さんが登場し、迷路のような松丸の空間のなかで書棚との距離を厳密に測量しつづけたという松丸撮影時の苦労などを語りました。薈田さんのその本棚写真の展覧会に出かけたのがちょうど今年の3月11日、会場を出た直後に街なかで地震にあったと、セイゴオも意外なエピソードを明かします。

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松丸本舗と出会ってから、書棚撮影をしつづけていると語る薈田さん。「背表紙を声に出して読める本屋があってもいい」と語り、セイゴオを大きく頷かせました。写真(下)はエントランスに飾られた松丸の写真。

 「連塾」史上最年少の出演者となった華恵さんは、小脇に赤いおもちゃのピアノを抱えて登壇。セイゴオのインタビューにこたえて、英語で暮らしていたニューヨークでの幼少期と、日本に来た6歳からの、言葉と読書の体験のちがいを語ります。小学生のときに書いた作文が本になるなど、早くから文才を発揮した華恵さんは、高校時代に自分の生まれたニューオリンズの歴史を学び、音楽研究の道を志したと言います。とりわけ、世界の民族の歴史とともにある「殯」(もがり=葬送)の音楽に関心をもち、自分でも新たにつくってみたいという華恵さんの早熟な感性に、セイゴオはおおいに感心したようす。
 朗読は幼いころから大好きだったという、長谷川集平作の絵本『はせがわくんきらいや』。ステージ中央に座り、おもちゃのピアノで伴奏しながら、何をやっても下手でかっこわるい「はせがわくん」をいじめてしまいながらも気にしている少年の言葉を、せつせつと読みました。その背景に森永ヒ素ミルク事件がある有名な絵本ですが、華恵さんは、歳を重ねるほどにこの本の内容が重くなっていくと語りました。

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出演者が三冊ずつの本を選ぶ「連塾」恒例の「連々三冊」では、華恵さんは長谷川集平とともに、樋口一葉の『たけくらべ』をあげました。「美登利」に会ってみたいそう。

 若いころから死にまつわる詩や和歌を詠んできたという高橋睦郎さんは、九州生まれというおいたちが関係していると語ります。近所には死者たちを降ろす「拝みやさん」がいて、その口を通じて、死者たちが生きているものたちに介入してくるという幼少時の体験談を、ときに物まねを交えて絶妙な間合いで語る高橋さんの名調子に、セイゴオも会場も抱腹絶倒。
 朗読は、今まで詩集に拾わなかったものだけを編んで今年10月に上梓されたばかりの詩集『何処へ』から。リンゼイ・ケンプに贈る「襲来」、三島由紀夫の死の直後につくられた「肉体という都市」、高橋さんに大きな影響を与えた母にまつわる一瞬の思い出をとどめた「泳ぐ母」などなど。そして圧巻は、レヴィ=ストロースに捧げたという「市場からの報告」。「市場の諸霊よ、守り賜え」をリフレインしながら、澄明な言葉で「市場」の人間性と非人間性をあぶりだしていく長編です。最後に高橋さんは、「ぼくの日常は、地獄を探すこと。それがぼくの詩」と語りおさめました。

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高橋さんは、「連々三冊」では「女うたの力」として、華恵さんと同じく一葉と、与謝野晶子と杉田久女を取り上げました。現存の女流歌人でもっとも尊敬するのは石牟礼道子さんとのこと。


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ホワイエの「本市」会場では、出演者の著書とともに、セイゴオの最新著書『連塾・方法日本 フラジャイルな闘い』が、一般書店よりも2週間ほど早い先行初売り。
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 休憩明けは、ステージもホールも真っ赤に染めあげられたシーンからスタート。演出・照明の藤本晴美さんが、何十もの機材を持ち込んで唐十郎さんのためにつくりあげた「小屋」の演出です。スクリーンには唐さんが、団員の唐組の皆さんと赤テントを立ち上げるようすをドキュメントした「情熱大陸」の映像。続いて拍手喝采でステージに迎えられた唐さん、自分の演劇にとって「小屋」はすなわち容器であり仮面のようなもの、ただの文学的記憶に終わらせたくなかったと、テント劇誕生の秘密を語ります。
 セイゴオも見に行ったという七〇年代の不忍池の『二都物語』から、つい先日三鷹で上演された『西陽荘』まで、記憶と物語がないまぜになっていく独特の唐さんの語りと、絶妙なツッコミを入れるセイゴオとの掛け合いを、塾衆はもちろんのこと会場に駆け付けた唐組の皆さんもおおいに楽しんだようでした。
 唐さんの作劇は「声」に引っ張られていると言います。「唐組の芝居は怒鳴りあいだという人もいるけど、ぼくはささやきあいだと思っている」。「ト書きになくても、耳の奥で聞こえるような微弱な音を表現したい」。そして、先ごろ横浜のリサイタルで披露したという、節付きの中原中也の「サーカス」、続いて自作の『星海・河童』の朗読を熱演し、大喝采を受けました。

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台本の草稿用に「ジャポニカ学習帳」を愛用しているという唐さん。草稿なのに一文字の書き直しもないと驚くセイゴオに、「分裂症だから早く書かないと逃げちゃうんだね」。

 いよいよ最後のゲスト、観世銕之丞さんは、ショパン生誕200年を記念した新作能「調律師」の映像から。中将の面をつけた「ショパンの霊」が、ピアノ曲と囃子にのって舞う摩訶不思議な幽玄世界です。作者は能の造詣の深いポーランド駐日大使のロドビッチ氏。ただし能に仕上げるためには場面もセリフも削りに削っていく必要があったと、銕之丞さんは語ります。イエーツの『鷹の井戸』以来、外国人のつくった能は数あるが、違和感はないかと問うセイゴオに、「能は、舞台と観客とのあいだで成立するもの。役者のからだに面影が入りこむことができれば、違和感は気にならなくなるのではないか」と答えます。
 そんな能役者としての心身を会得するまでは、銕之丞さんにとって舞台は試練の場でした。「自由を奪われ、人目にさらされ、苦痛ばかりだった」。経験を積んで、役者仲間や囃子方の「間」や「呼吸」がわかるようになるにつれ、「自分が自分以上の者になれる。そんなあり方の自由がわかるようになった」。
 
 銕之丞さんの実演は、平家物語にちなんだ世阿弥の『頼政』の謡い。後シテの頼政の亡霊が源平の合戦や自害の場面を語るクライマックスシーンを、シテも地謡も一人で演じるという連塾特別版です。さらに、謡のような節付けによる、高村光太郎『智恵子抄』の朗読。九十九里の浜に座って一人で遊ぶ「狂った智恵子」の姿が、銕之丞さんの声によって能の修羅者のように迫ってくる熱演です。

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「自分はガタイが大きいので神様や化物は得意ですが、人間をやるにはダイエットしなければ」と笑う銕之丞さんに、セイゴオは「もっと鬼になってください」。

 8人のゲストを迎え、送り、七時間にわたった連塾ブックパーティ巻3も大団円。最後にセイゴオが、漢詩を二編、取り上げました。
 ひとつは中唐の夭折の詩人・李賀の「天夢」。黒板にその白文を綴りながら、月に昇って「一泓の海水を杯中にそそぐ」夢をみるという広大な世界観を身ぶり手ぶりで語りました。
 もうひとつは屈原の「山鬼」。『詩経』と並んで中国最古といわれる『楚辞』の成り立ちとともに、詩人・屈原の望億の境涯を込めながら、スクリーンに映した読み下し文を一気に解説しました。時間切れのために超高速の漢詩語りとなりましたが、山の精霊である女性の言葉に託して、蕭蕭たる地上の終末を描く屈原のハイパーロジックと瞬時に切り結ぶ、セイゴオの新たな境地が垣間見えたラストシーンとなりました。

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李賀は「千夜千冊」(第1178夜)でも取り上げている、セイゴオの大好きな詩人。「その詩は幻奇奔放であって、無政府きわまる想像力を謳歌した」(千夜千冊より)。


 濃密・長尺な「本談」のあとは、スパイラルビル地下1Fのレストラン「CAY」に移動し、塾衆と出演者が自由に交流する「本宴」。小城武彦さんと金子郁容さんの司会で、観世銕之丞さんの高らかな乾杯の音頭につづき、女優の真行寺君枝さん、装幀史研究家の臼田捷治さん、テレビマンユニオンの阿部修英さん、陶芸塾を主宰する大出真里子さん、国立能楽堂の猪俣宏治さんたちがセイゴオや出演者を激励するメッセージを次々に送りました。
 最後はセイゴオの挨拶とともに、唐十郎さんが「連塾、万歳」を叫んで、会場を沸かせました。

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「本宴」司会の金子郁容さんと小城武彦さん
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女優として、「本を聴く」という本日の趣向に並々ならぬ関心を寄せる真行寺君枝さん
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出演者もくつろぐひととき(水原さんと銕之丞さん)
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左はヴィヴィアン佐藤さん、中央は高見重光さん
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凝り性同士、すっかり意気投合したチームラボの工藤さんと薈田さん
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無頼派を愛せずにいられないセイゴオ、唐さんの肩を抱く


*写真:川本聖哉
*レポート:太田香保

投稿者 staff : 11:56

2011年11月14日

Diary セイゴオ揮毫「大毘盧遮那殿」の落慶法要

 11月3日、栃木市の満福寺で開創750年を祝う法要とともに、新本堂「大毘盧遮那殿」落慶法要などが営まれました。満福寺住職の長澤弘隆さんは、真言密教僧のネットワーク組織である「密教21フォーラム」創設時から事務局長を務め、これまでセイゴオ監修の数々のイベントやビデオ『蘇える空海』をプロデュースしてきた方。
 長澤さんからのたっての依頼でセイゴオが揮毫した「大毘盧遮那殿」の扁額も、この日お披露目されました。完全に古建築の技術でつくられた本堂と、まばゆいばかりの密教荘厳の空間に映えて、セイゴオの筆勢を見事に再現した金色の文字たちが輝いていました。

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落慶法要を迎えた新本堂「大毘盧遮那殿」。
ご本尊と本堂前に建てられた角塔婆が、五色の結縁の紐で結ばれている。

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金彩が施されたセイゴオの書による扁額。畳一枚分もの大きさがある。

 

 長澤さんからセイゴオに新本堂の扁額の揮毫の依頼があったのは2年前のこと。これまでも何度か看板や特別な催しのために揮毫を頼まれてきたセイゴオも、歴史のある寺院の、それも新本堂のための書を引き受けるには、相当の覚悟が必要だったようです。

 昨年7月には、はるばる栃木に出かけ、上棟式を終えたばかりの本堂の工事現場を見学。このとき、向かい側に立つお堂の扁額が、セイゴオの敬愛する中村不折の手によるものであることを知り、さらに覚悟をしなおしました。「とてもとても、ぼくでは役者不足ですよ。本当にいいんですか」と、長澤さんに念押しをする場面も。

 セイゴオの悩みは、ほかにもありました。畳一畳ぶんもの扁額の大きさもさることながら、「大毘盧遮那殿」という六文字の結構に、実際に筆を手に取る前から困難を感じていたようです。「字画が多いからですか」と聞くスタッフに、「それもあるけど、『大』の字に苦労しそうなんだよ」。

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建築中の本堂内部を長澤さんに案内していただく(2010年7月)。

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セイゴオが感激しつつ緊張した、中村不折の扁額。

 8月に入り、長澤さんから届いた清書用の和紙のほかに、自前で何十枚もの和紙を用意し、いよいよその困難に挑戦しましたが、なかなか思うような「大」の字が書けないようでした。赤坂ゼアビルの大広間に反故の山を作りながら、大小の筆を取り換え持ち替え、心待ちにしている長澤さんからの催促に励まされる日々。
 そうして、彼岸の入りの直前に、やっと2枚の清書が完成しました。「玄月 松岡正剛」と、雅号と名前を記し、3種類の落款を散らした、いずれもセイゴオらしい味の書です。さっそく「どちらでも、お好みのほうをお使いください」とのセイゴオのメッセージとともに、長澤さんのもとに届けられました。

 年明け早々、本堂完成の知らせとともに、無事に正面に掛けられた扁額の写真が長澤さんから届きました。ついで、落慶法要が6月に決定しましたが、そこへあの、3月11日の東日本大震災。幸い新本堂にも扁額にも被害はなかったものの、屋根瓦や灯篭や墓石の落下・倒壊があったとのこと。そして諸事情を鑑みて、長澤さんはやむなく落慶法要を延期されたのでした。

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完成した扁額が新本堂正面に取り付けられた(写真は長澤さん提供)

 長澤さんがまとめられた資料によると、満福寺開創は鎌倉時代にさかのぼり、江戸時代には幕府の庇護を受けて、大門とともに御成門を備えた大伽藍を形成するにいたったそうです。ところが幕末の大火によって諸堂ことごとく灰燼に、さらには廃仏毀釈の時代をへて、一時は無住寺となるまでに衰退。そこへ、伽藍復興を志して、富山から晋住してきたのが長澤さんの曽祖父でした。以来、先々代、先代と、復興の悲願を継承し、若くして住職となった長澤さんが境内整備を精力的に進め、ついに開創750年の記念の年に、堂々たる新本堂の落慶を迎えるにいたったとのことです。

 震災のために約半年遅れとなったものの、11月3日の文化の日、セイゴオ揮毫の真新しい扁額を掲げた新本堂で、代々先師先徳報恩回向の法要、檀信徒先祖代々総回向の法要とともに、開創750年慶祝と新本堂落慶の法要が厳かに営まれました。東京から駆けつけたセイゴオも、来賓席でその一部始終を見守り、続いて行われた記念式典では、代々住職の悲願を実現した長澤さんの意志と行動力を称える祝辞を述べました。

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ご本尊の大日如来と大壇。清浄な光に包まれた密教荘厳空間。

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法要前に談笑する長澤さんとセイゴオ。

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回向文を読み上げる長澤さん。空海の時代の正装に近い法衣とのこと。

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長澤さんの偉業を称える祝辞を述べるセイゴオ。

 ところで、この日セイゴオが初めて知ったことですが、じつは長澤さんにお届けした2枚の清書のうち、扁額につかわれた1枚は、新本堂内のちょうど扁額の裏側に、きれいに額装して飾られていました。さらにはもう1枚のほうも額装して、客殿に飾られていたのです。「ええっ、こんなに出すんですか」と真顔で恐縮するセイゴオに、長澤さんは満願を遂げたかのようなやわらかい笑顔で「寺宝ですから」と答えていらっしゃいました。

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本堂内に掲げられているセイゴオ直筆の書。

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客殿に飾られている、もう一枚の書。


レポート&撮影:太田香保

投稿者 staff : 17:00

2011年11月 7日

Publishing 『連塾-方法日本』完結! 第3巻まもなく発売

11月12日、「連塾ブックパーティ」で先行販売も

セイゴオの熱血講義を再現した好評のシリーズ『連塾-方法日本』第3巻『フラジャイルな闘い』が、いよいよ出版されます。

このシリーズは、2003年から2005年まで開催された「連塾 第1期」のセイゴオのソロトーク全8講を、完全採録するものです。すでに第1巻『神仏たちの秘密』が2008年末に、第2巻『侘び・数寄・余白』が2009年末に刊行されています。第3巻『フラジャイルな闘い』は当初2010年末刊行を予定しながら諸事情により大幅に出版時期をずらしての刊行となりましたが、「連塾本」全3巻を締めくくるとともに、3・11後の母国日本への思いを新たに込めた、セイゴオ渾身の1冊となりました。

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『連塾 方法日本3 フラジャイルな闘い―日本の行方』
春秋社 11月20日刊行
1800円(税別)

*『連塾―方法日本』完結記念として、春秋社から豪華オリジナルBOX入りの3巻セットも近日中に発売されます(追ってご案内します)。

『連塾 方法日本3 フラジャイルな闘い―日本の行方』には、2005年に開催された次の二つの講義を収録。

●第7講 面影と喪失 「誰そ我にピストルにても撃てよかし伊藤のごとく死にてみせなむ」
●第8講 編集的日本像 「雪が舞う鳥が舞うひとつはぐれて夢が舞う︵または一宿一飯の義理︶」

第7講は、塾衆として参加した谷村新司さんがラジオ番組で興奮気味にその一部始終を語り、また会場の学士会館講堂に異世界の人々が詰めかけていたという噂が飛び交った、まさに伝説の講義。胃がん手術後、激ヤセしたセイゴオが、鬼神のような迫力で近現代の日本が抱えた「負」を、満州や2・26や東京裁判の資料映像を駆使して高速で語り続けた7時間の全貌が、本書に再現されています。

第8講では、「連塾」総括編として、ジャズミュージシャンの秋吉敏子から大友克洋の『AKIRA』まで、川喜多半泥子からグレン・グールドまで、多様なアーティストの闘いを紹介するとともに、セイゴオの編集屋一代記を織り交ぜつつ、これからの日本のための指針となるコンセプトと方法を大量に連打。200人近く集った塾衆が終了後も席を立てなくなったほどの圧倒的な情報量と高密度の内容を、本書のためにさらにセイゴオが加筆しています。

前2巻同様、新たに本書のために編集した資料画像とともに、「連塾」記録写真や塾衆のメッセージなどもふんだんに収録しています。


*松岡正剛のあとがきより

 原稿が遅れた理由はやはり3・11にありました(略)。本書は二〇〇五年二月一二日と六月一一日の記録をもとに再現再構成された一冊なのですが、これを二〇一一年の三月一一日を体験したうえで刊行することに、さすがに躊躇があったからです。しかし、自分の講演録にそぼそぼと目を通しているうち、私はこれは現在の日本にとっても今後の日本にとってもそれなりメッセージになっていると熱く感じられるようになったのです。津波と原発の波濤をくぐっていることを確信したのです。

投稿者 staff : 17:25

2011年11月 4日

Report 法然と親鸞 講演会レポート

 10月28日(金)、特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展を記念して、東京国立博物館・平成館大講堂で、セイゴオの記念講演会が開催されました。浄土宗宗祖の法然と真宗宗祖の親鸞の二人を取り上げる展覧会は史上初とあって、講演会も応募多数のために1週間以上前に申込み受付が終了、当日も開場前から多数の聴衆が列をなすなど、人気の高さをうかがわせました。
 また、この日は講演会場で、セイゴオの新著『法然の編集力』(NHK出版)も初売りされ、好評でした。

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 特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展 記念講演会(抄録)は下記をご覧ください。

特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展 記念講演会(抄録)


■法然と親鸞の時代

 法然と親鸞をどう語るかということは、日本の宗教だけでなく日本人の大きなテーマでした。登場したのが源平争乱のさなか、時代が大きく変化したときであり、二人とも法難を受けています。日本の歴史のなかで時代が激変したというときは、壬申の乱から太平洋戦争にいたるまで何度もありますが、二人の生きた時代は社会構造が根本から変わりつつありました。そのことをまず3つの視点で説明しておきます。

 一つ目は貴族社会のなかに武家が登場し、「武者(むさ)の世」になりつつあったことです。当時、慈円が『愚管抄』にそのことを驚きをもって書いています。特別展でもご覧になったと思いますが、「法然上人絵伝」のなかに、鎧を着て弓矢を持った武者たちの襲撃によって、美作(岡山県)稲岡荘の役人だった法然のお父さんが殺されるという場面がありました。まだ幼い法然が、襖の陰から敵を弓矢で射とうとしていましたね。ちょうど法然が亡くなり親鸞が活躍する頃に鎌倉幕府が生まれ、そのまま幕府体制が徳川慶喜までつづくわけです。すでに法然の幼少期から、武者の登場によって、地方統治の仕組みも大きく変わりつつあったんですね。
 二つ目は、「末法の世」の到来です。「末法」というのは、ひとことでいえば終末論、ハルマゲドンみたいなものです。これは、ブッダの教えが力を発揮する「正法」の世から、しだいに悟りが得にくくなっていく「像法」の世をへて、ついには仏教の心が乱される「末法」の世がくるという、「三時説」に則ったものでした。日本では1052年に末法の世が始まったと噂されるようになります。しかも5年10年ではなく、100年1000年と末法が続くのですから、貴族も庶民も大きな不安を抱え、極楽往生を願う信仰が大流行します。藤原頼道が宇治の平等院に壮麗な阿弥陀堂(鳳凰堂)をつくり、各地に常行三昧堂や観音堂が生まれてきます。

 三つ目には、中国の仏教が日本化したということです。
 日本には、欽明天皇のころに仏像と経典がやってきましたが、当時の日本はまだ文字がない国でした。そこで仏教とともに中国のフォントである漢字を取り入れました。このとき、漢字は輸入しながらも中国語は入れず、万葉仮名という独自の漢字使いを始めるとともに、中国から入った漢訳仏典を読むためのプロをつくります。僧たちが戒壇院で修行をして、経典の読み方・教え方・伝え方を学ぶ。しかしこれはとても難しかった。もともと中国には呉音、漢音、唐音というようにいくつか読み方があり、それらが日本にちょっとずつ遅れながらいっしょくたに入ってきてしまった。たとえば「白衣」と書いて、漢音では「はくい」、呉音では「白衣観音」のように「びゃくえ」と読むといった違いが出てくるわけです。
 そこで、最澄らが入唐留学し、本格的な教学に取り組み、そのセンターとして比叡山延暦寺がつくられます。さらには、比叡山を核として、国の王法と仏法を対応させていくことになった。しかし、仏法というのは中国的なものです。武者の世、末法の世が訪れると、このまま中国的な仏教でやっていけるかが不安になった。いまTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が賛成と反対に分かれていますが、同じように中国仏教が日本の国情に合うかということが問題になった。グローバルスタンダードに対して日本はどうするかということが、法然や親鸞の時代に問われ始めていたんですね。


■法然と親鸞の出会いと法難

 法然は父の死後、遺言によって仏門に預けられました。そして13歳のときに比叡山に移り、天台仏教を学びます。ところが30年後に山を降りてしまいます。天台の教えだけでは何かが足りないと考えたんですね。親鸞も9歳のときに比叡山に入って得度を受け、その後20年に渡って修行を積みましたが、いまひとつ満足することができずに山を降りてしまいます。そして、吉水というところで法然に出会い、弟子になりました。このとき親鸞29歳、法然は40歳ほど年上でした。
 親鸞が法然上人のもとで兄弟子たちとディスカッションをしているときに、「私は法然さまと同じ信心をもっている」と親鸞が言ったという有名な話があります。兄弟子たちは「それは大それたことだ」と親鸞をなじりましたが、親鸞は譲らない。諍論を聞いた法然は、「いや親鸞のいうとおりである。なんら変わることはない」といったという話です。浄土真宗ではこれを「信心一異の諍論」と言ってたいへん重視しています。

 そのころすでに法然は、関白・九条兼実の帰依を受けて、その要請により『選択本願念仏集』を撰述したりしていました。すでに多くの弟子も持っていました。けれども、弟子が増えてくると、いろいろな振る舞いの個性が出てきます。やがてその振る舞いが社会のなかで目立ち始める。また、女人往生を説いた法然たちの教えは風紀紊乱であるという非難も起こります。
 当時は寺といえば延暦寺と興福寺、近江の園城寺(三井寺)を指し、仏法のすべてのレギュレーションを握っていました。彼らは、法然の教団は異端であるとみなしたんですね。なぜ口称念仏や阿弥陀一仏だけを重視するのかと問いただした。法然は論争的な人ではありませんでしたから、「七箇条制誡」といって七か条にわたって、こういうことを改めますということを書きました。親鸞も署名をしています。熊谷直実の署名も入っていました。
 ところがその後、何人かの弟子が、後鳥羽上皇の留守中に女官たちを連れ出して出家させてしまうという“事件”が起こります。これがきっかけで朝廷の怒りをかい、念仏停止(ちょうじ)の院宣が下され、ついに法然は土佐に、親鸞は越後に流罪になります。老いて70歳を超えていた法然にとっては大変きついものだったはずです。しかも二人は強制的に還俗させられ、法然には「藤井元彦」という名前が、親鸞には「藤井善信」という名前が付けられてしまう。
 親鸞は4年後に流罪放免になりますが、京都には戻らず、関東に下向して稲田庄で力を蓄えて、約20年後についに京都に戻ります。法然は放免後、吉水に戻りますが、1年後に病気で亡くなってしまいます。

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■念仏という方法と弥陀の本願

 いったいなぜ「念仏」は、禁止されたのでしょうか。ここがわからないと法然と親鸞はわかりません。もともと「念仏」とは仏を念ずるということです。正確にいうと「観想の念仏」と言って、ヴィジョンとして仏を感じることが重視されていました。中国の仏教も日本の仏教も「観仏主義」に徹していたわけです。ところが法然は、ヴィジョンとして仏を観想できなくても、口で称えさえすれば往生できるという教えを説いたんですね。
 法然が登場する前に重要な人物がでてきています。恵心僧都源信という人です。『往生要集』を書いて、「観仏」の方法を10通りに分けて説明しています(十門)。まことにすばらしい往生マニュアルです。さらに、慶滋保胤とともに横川(よかわ)で念仏結社・二十五三昧会を結成しました。二十五人で集まって念仏を唱え、往生マニュアルの徹底的な共有をしました。このように、法然以前に源信が口称念仏を実践していたわけです。
 「観想念仏」は難行です。それができない人々のために、「易行」すなわち易しいメソッドによる「口称念仏」を提供したいというのが法然の考えでした。ただし、法然はそのことを「選択」(せんじゃく)したのであって、たくさんの経典を否定したわけではありませんでした。
 『選択本願念仏集』を読みますと、たくさんの経典のことを書きながら、それがどんどん編集され、最後の六字名号にいきつくところで、一と多が結びつくようになっています。他のものを排除して「南無阿弥陀仏」を選んだのではないということがよくわかります。しかし、当時はなかなかそのようには受け取られなかった。のちの明恵なども、法然を徹底的に批判しています。

 「南無」というのは発願するという意味で、「阿弥陀仏」はそれを行う主体です。つまり「南無阿弥陀仏」だけでひとつのロジックになっている。それにしてもなぜ阿弥陀仏だけを称えるのか。確かに大胆ですよね。密教の曼荼羅などは数千ものイコンが描いていますし、どんな経典にも阿弥陀さんが一番だなんてことはどこにも書いていません。なぜ法然は「南無阿弥陀仏」に集約するような編集をしたのか。
 浄土三部経のひとつである「無量寿経」に、法蔵という人の話が出てきます。法蔵は、ブッダに出会い出家し、一切の生きとし生けるものを仏にしたいという48の誓願を立てます。その願いを実現し、法蔵は阿弥陀仏になるわけです。じつは法然は、その「四十八願」のなかの第18願というものに着目したんですね。それは「私の名前を唱える者たちは浄土に導かれるだろう」というものでした。心を込めて阿弥陀の名前を唱えれば往生できるという約束を果たすことを、阿弥陀仏は本願として持っている。だからこの阿弥陀仏の本願を受け入れさえすれば誰もが浄土に行くことができる、ということに、法然は気が付いたんです。

 法然はさらに、中国の善導が著した『観無量寿経』の注釈書『観経疏』にも注目しました。そのなかに「定善義」と「散善義」ということが書かれていた。集中して善を積むことが「定善」で、乱れた心のまま善を積むことが「散善」です。法然はこの「散善」に着目したんですね。武者の世、末法の世のなかで、われわれの心はなかなか定まらない。現在でいえば、東北の人を助けたいけれども、どうしたらいいかわからない。津波は去っても、胸の津波はいつまでもやまない。そのように気が散ってなかなか思うようなことができないでいる人のためにこそ、「散善」という方法があるのだということを発見するわけです。
こうして法然は、阿弥陀の本願を受け入れ、「南無阿弥陀仏」の六字名号を専修するだけで往生できるというハイパーロジックを組み立てました。この教えに人々も心を動かされました。しかしこんな易行が広まってはまずいということで、念仏停止されたしまったというわけです。


■法然・親鸞に学ぶこと

 法然の亡くなった後も、弟子たちは少数派として批判され、追い込まれていきました。けれどもその教えは次第に波及して、今日、浄土宗、浄土真宗は日本一の裾野を持つにいたったわけです。経典のわずかな部分のなかから、広く人々を救う教えを編集しなおした法然・親鸞は、みごとに仏教の日本化を果たしたといっていいでしょう。
 法然や親鸞の阿弥陀一仏を称える教えは、一神教的ではないかという考えもあります。でも私はまったくそう思いません。法然も親鸞も、決して一仏信仰ではありません。一において多であり、多において一であるということを教えているはずなんです。

 いま日本は濁世(じょくせ)になってきています。末法とはいえないかもしれませんが、なかなかうまくいっていません。また現代では政教分離が徹底されているために、社会の混乱に対してなかなか宗教が立ち上がりにくくなっています。
 でも、このような時代だからこそ、信仰とともに法然や親鸞が培った方法が何であったのかということを学んでいただければいいのではないかと思います。それを、地域や企業や家庭や仲間たちに共有できるような方法に生かしていくことを、最後にお勧めしておきたい。法然や親鸞の編集が、浄土というバーチャルランドのアクチュアリティを、現実社会に引き戻したということに、今一度注目してほしいと思います。

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*レポート&編集:吉村堅樹+太田香保
*写真:小森康仁

投稿者 staff : 18:38

2011年11月 1日

Publishing 『週刊ポスト』「百辞百物百景-コンセプト・ジャパン100」 013~017

『週刊ポスト』のカラーグラビアで好評連載中「百辞百物百景-コンセプト・ジャパン」は10月で5カ月目をむかえました。現在発売中の最新号では「017吹寄」が掲載されています。

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(写真:太田真三)

 風が吹き寄せ、紅葉の葉っぱや落ち葉が吹き寄せる。いろいろなものがどこかから風に吹かれて集まってくること、その様子、その風情、それが吹ふき寄よせである。(中略)ただし条件がある。目にも綾なものでなければならない。吹寄は原則が「秋」のアッサンブラージュなのだ。
 そもそも「まぜこぜ」とは「交ぜ混ぜ」である。いろいろなものを交差させ、混淆し、組み合わせる。そうすると別な価値観がそこにあらわれてくる。そこに新しさが見えてくる。
 実は「吹く」という言葉にも「見えないものが内側から感じられてくる」という意味があった。芽吹く、吹き出し、吹き上げるとは、そういう吹くものの力を予感している言葉だったのだ。
【10月31日発売「週刊ポスト」11月11日号 「百辞百物百景-コンセプト・ジャパン100 ―017吹寄」より】

10月に掲載された013~017の「ジャパン・コンセプト」と中見だしは以下のとおり。

013 無盡(むじん)
    ―講という互恵感覚

014 借景(しゃっけい)
    ―いけどりピクチャーの妙
 
015 時分(じぶん)
    ―時を告げる庭鳥
 
016 袴(はかま)
    ―ラッパーにも勧めたい日本人の礼装
 
017 吹寄(ふきよせ)
    ―まぜこぜアッサンブラージュ


■『週刊ポスト』
■発売日  毎週月曜日発売  ※週により変更する場合もあります
■定 価  380円(税込)  ※特大号などにより変更する場合もあります

投稿者 staff : 14:39