セイゴオちゃんねる

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2010年11月18日

News 平城遷都1300年記念グランドフォーラム【NARASIA2010】

平城遷都1300年記念グランドフォーラム【NARASIA2010】
2010年は奈良で締めくくり!

12月18日(土)~19日(日)の2日間、平城遷都1300年記念祭を集大成する、グランドフォーラム【NARASIA2010】が、奈良県文化会館で開催されます。松岡正剛企画構成、編集工学研究所制作。

奈良とアジアをつなぐ「知」と「遊」と「祝」の格別なトークセッションとパフォーマンスが展開します。あわせて、東アジアの未来を拓くヴィジョンを示す「平城京レポート」を採択し、発表します。2010年の締めくくりは、NARASIAの風に吹かれたい!


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*入場無料。人気プログラムのため、お早めにお申し込みください。申込締切間近です。
*詳細・申込方法はコチラ↓


□ 開催概要

日 時:
 1日目2010年12月18日(土)13:30~17:30(13:00受付開始)
 2日目2010年12月19日(日)13:00~17:00(12:30受付開始)
場 所:
 奈良県文化会館国際ホール(奈良市登大路町6-2)
主 催:
 日本と東アジアの未来を考える委員会・奈良県


【プログラム】

■1日目/2010年12月18日(土)13:30~17:30 (開場 13:00)

<都>プロローグ
     荒井正吾 オープニングスピーチ
<風>テーマトーク
     いとうせいこう+松岡正剛 トーク
     川勝平太 スピーチ
<文>NARASIAロード
     日本と東アジアの未来を考える委員会委員
     チェーンディスカッション 
<海>NARASIAインタースコア
     現代アジアンアート上映
<身>NARASIAクロスロード
     金子飛鳥+おおたか静流+井上鑑によるミュージックセッション
<間>NARASIAコラボレーション 
     安田登+中村明一+土取利行+おおたか静流による
     能と音と声を交えたパフォーマンスセッション
<楽>ファイナルトーク
     いとうせいこう+松岡正剛
     出演アーティストのコラボレーション

■2日目/2010年12月19日(日)13:00~17:00 (開場 12:30)

<時>イントロダクション
     荒井正吾+松岡正剛 オープニングトーク
     川勝平太+王敏+籔内佐斗司とのチェーントーク
<衣>NARASIAステージ
     ワダエミ+松岡正剛 トーク
<交>NARASIAアジアンコード
     井上鑑+金子飛鳥+中村明一によるミュージックセッション
<光>NARASIAジョイントセッション
     土取利行+金梅子 
     韓国舞踏家と日本のパーカッショニストによるパフォーマンスセッション
<臨>平城京レポート発表
     平城京レポート発表のセレモニー
     奈良密教青年会による声明
<遊>フィナーレ
     松岡正剛+川勝平太 ファイナルトーク
     まつぼっくり少年少女合唱団による合唱
     出演アーティストのコラボレーション
  ※都合により、プログラムを一部変更することがあります。


□ 申し込み方法

 ・参加費は無料です。先着順で受付いたします。
 ・参加には事前申し込みが必要です。WEB・ファックス・メール・官製はがきにより申し込みいた
  だけます。一件の申し込みにつき3名まで申し込みいただけます。
 ・参加いただける方には12月10日(金)までに参加票を送付いたします。参加の可否は参加票
  の送付をもって代えさせていただきます。

  <記載事項>
   1)郵便番号・住所
   2)氏名
   3)電話番号・ファックス番号
   4)参加希望日(18日・19日の両日又はいずれか1日)
   5)複数申し込みされる際は、その方の1)~4)

  <申し込み宛先>

  WEB:https://www3.convention.co.jp/narasia/registration.php

  メール:narasia@convention.co.jp
  ファックス:06-6221-5939
  官製ハガキ:〒541-0042
          大阪市中央区今橋4-4-7京阪神不動産淀屋橋ビル2階
          平城遷都1300年記念グランドフォーラム開催事務局宛

※個人情報の取り扱いについて
  提供いただいた個人情報は、参加票の送付及び業務委託先において適切な業務運営を目的に共同利用することがございます。


  問い合わせ先
  平城遷都1300年記念グランドフォーラム開催事務局
  Tel 06-6208-0165(平日10時~18時)

投稿者 staff : 02:28

2010年11月 9日

Report 連塾ブックパーティスパイラル「本の風」速報

 11月6日(土)、南青山スパイラルで「連塾ブックパーティスパイラル 本の風」が開催されました。
 「連塾」は2003年のスタート以来8年目・第4期目を迎えましたが、「本」をテーマに展開する新シリーズの第1回目とあって、プログラムも趣向も、演出もこれまでから一新され、さらにバージョンアップされました。セイゴオがモデレートする約6時間のトークセッション「本談」(ほんだん)をスパイラルホールで、出演者が選りすぐったおススメ本の展示や松丸本舗の出張販売を行う「本市」(ほんいち)と出演者と参加者が交流する「本宴」(ほんえん)をスパイラルガーデンで展開。本と人が集い交わり「知」が騒ぐ、3つのブックパーティがスパイラルの全面協力によって実現しました。
 以下はその端的レポートです。

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青山通りにはためくスパイラル正面の連塾バナー

破格なブックナビ「連々三冊」と、危ないセイゴオ新著

 「連塾ブックパーティ」に先立って、セイゴオから11人の出演者に依頼されたのが、3冊セットでそれぞれのおススメ本をあげてもらう「連々三册」。名うての本好きたちとあって、テーマ設定も選本も意外性に満ちてしかも極めつけ。各者各様の三册にセイゴオは唸りっぱなし、驚きっぱなしだったようだ。その一覧が連塾当日、特製パンフレット仕立ててで配布されるとともに、スパイラルガーデンの「本市」会場にずらりと展示された。

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スパイラルガーデン「本市」会場の「連々三册」の展示


 「本市」会場のもうひとつの目玉が、松丸本舗の出張販売。連塾前夜に丸の内から運ばれた特製のブックシェルフ(橋本棚)に出演者たちの著書が揃えられ、松丸エプロンをつけたブックショップエディターも勢揃い。スパイラルカフェやショップを訪れる一般客も含め、約600人もの来場者が、南青山に突如出現した濃密な書棚に見入っていた。
 ちなみに「本市」いちばんの売上は、この日に合わせて先行販売された求龍堂のセイゴオの新著だった。挑発的なショッキングピンクの『危ない言葉』とレモンイエローの『切ない言葉』、2冊をセット買いしてから「本談」会場に入っていく人々も多数見受けられた。

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「本市」のセイゴオ著書コーナーでは、
『危ない言葉』『切ない言葉』の初売り。

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文庫本仕立ての連塾ブックパーティ特製パンフレット。


「本は絶対になくならない」-本談開演

 これまで「日本という方法」をテーマにしてきた連塾が、「ブックパーティ」へと転換を遂げるためには、どうしても新しいイベントスタイルを創出する必要がある。連塾草創期から照明と演出を担ってきた藤本晴美さんとセイゴオは準備段階から議論を重ね、前日のリハーサルでも映像や進行にさかんに変更をかけ、ディテールを詰めていた。
 とくに新規軸となったのが真保毅さんによるステージデザインだ。枯山水のように階段状に組み合わされた高さの違うステージに、11人の出演者をどのように迎えるか。セイゴオはリハーサル中、何度も自分の足でステージを踏んで、進行の段取りとともに環境に影響を受けやすい言語感覚の調整をはかった。
 そうしていよいよ迎えた「本談」オープニングシーン。前シリーズが赤と黒を基調にデザインされてきたこととはうってかわって、ホールがブルーのグラデーションで染めあげられ、その透明な空間にくっきりと白い文字が浮かび上がった。カフカ、ボルヘス、オルハン・パムク、多田富雄、ジョルジュ・ペレック…。先人たちによる本をめぐる言葉が静かに投影され、それを読みあげるセイゴオの声が響く。

 「断言してもいいんですけど、本は絶対になくならない―井上ひさし」。

 2年前の連塾にゲスト出演した亡き井上さんの言葉を受けて、セイゴオがゆっくりと枯山水ステージに登壇した。

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バナー、画面デザインは美柑和俊さん。


本談(1) ホスト:福原義春 ゲスト:鴻巣友季子+津田大介

 本談は、セイゴオが全体をナビゲーションしながら、各パートごとにホスト役を置き、さらに二人のゲストを招きいれるというニュースタイルで展開した。
 最初のホスト福原義春さんの選んだ「連々三册」は、内田百間『百鬼園随筆』、『寺田寅彦随筆集』、リチャード・ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん』。「読書というものは明日のためにはならないが、1年後になって効いてくるもの」と語る福原さんに、セイゴオが福原さんの読書はおもしろいジャンルのいちばん生き生きしたところに届いていると賛辞を贈った。

 翻訳家・書評家として知られる鴻巣友季子さんは本をポストイットで埋め尽くす独自の読書術を披露。「高貼り・中貼り・低貼り・横貼り」の使い分けによって、一冊の本を多重多層に読みこなすプロの技に、本をいっさい汚さずに読むという福原さんも「こういう古本ならそのままほしくなるね」。その鴻巣さんの「連々三册」は、「読む」ことの逸脱と停滞がいとおしくなる宮沢章夫『時間のかかる読書』ほか、マングェル『図書館 愛書家の楽園』、岡真理『アラブ、祈りとしての文学』。

 『コンテンツ・フューチャー』のインタビュー以来セイゴオが注目している津田大介さんは、ステージ上でツイッターの実技を披露しながら、ツイッターによって著者と読者の共鳴関係がライブ感をもって可視化されるようになったと話す。「連々三册」でも、ソーシャルメディア戦略時代の到来を告げる『「オバマ」のつくり方』(ラハフ・ハーフーシュ)、『ツイッターノミクス』(タラ・ハント)のほかに、『ツイッター部長のおそれいりこだし』(末広栄二)を取り上げ、日本語ならではの電子時代の可能性がすでに現象として生まれつつあると指摘した。

 鴻巣さんは、もともと著者も読者もテクノロジーの進化によって変化してきたと語る。「ジョイスの『ユリシーズ』はトラム(路面電車)時代の、エリオットの『荒地』は電話時代ならではの小説だった」。それを受けて、「デジタル難民」を自称する福原さんが「本はまさにブックウェアである。時代の入れ物である」と締めくくった。
 異能の本の達人たちによって、悲観論や楽観論を超えたデジタル時代の書籍の役割が示唆された。

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上:福原義春さん
中:津田大介さん
下:ポストイット読書術を披露する鴻巣友季子さん


本談(2) 清水真理+今野裕一

 なぜ松丸本舗に危うげな球体関節人形が展示されているのか。「その謎を本邦初公開します」とセイゴオが招いたのが、作者の清水真理さんと、松丸での展示をプロデュースした今野裕一さん。スパイラルホールのホワイエにも、『日々の泡』『刺青』など文学をモチーフにつくられた清水さんの人形たちが展示された。
 清水さんは、かつて人形作家は男性中心だったが、球体関節人形の作家は女性が多いと語る。「男性の思い通りになる女性像ではなく、女性が自分の内面や妄想やエロスを表現する手段として、関節が自由に動かせる人形に向かっている」。そのような動向を取り上げるために『夜想』を復刊させたという今野さんは、「人形をつくることによって、人形を迎える(買う)ことによって救われている女性たち、母娘たち、家族たちがいる」と言う。欧米とはちがい幼女をいたぶるアニメや映像に寛容な日本の男性社会に対して、あえて傷ついた人形をつくる日本の女性たちの感覚のなかに、ドストエフスキーによる幼児虐待の告発とはちがう何かがあると、セイゴオも答える。

 そんな男性と女性と人形たちとのあやうい関係をめぐりながら紹介された「連々三册」は、今野さんがリラダン『未来のイブ』、『ホフマン短編集』、ベルメール『イマージュの解剖学』。清水さんが澁澤龍彦『少女コレクション序説』、センダック『かいじゅうたちのいるところ』、『夜想 シュヴァンクマイエル』。

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上:人形をたずさえて登場した今野裕一さん
中:ホワイエに展示された清水さんの球体関節人形
下:楽屋で語らう清水真理さんと中谷巌さん


本談(3) ホスト:五木寛之 ゲスト:安彦良和+前田日明

 ホストに五木寛之さん、ゲストに前田日明さんと安彦良和さんを迎えた3つめの本談は、セイゴオによると「アウトサイダー」感覚あふれる組み合わせにしたかったとか。
 皇道哲学を奉じる父と大正ロマンが好きな母の影響を受けながら、外地である平壌で敗戦を迎えたという五木さんは、子どものころからの乱読・雑読派。「むしろ雑であること、ボーダレスであることをアイデンティティにしてきた」。「20~21世紀は難民の時代である。一定の祖国をもたないことをもっと積極的な価値にできないか」と名口調で話した。「連々三册」は、内村剛介『著作集』、中沢厚『つぶて』、ラックス&クーディー『アウシュヴィッツの音楽隊』。

 その五木さんに呼応するように、漫画家の安彦さんも北海道のオホーツク海近くの辺境に生まれた自分の境遇をせつせつと語った。「なぜガンダムを大ヒットさせながら、アニメの世界から去って、日本神話や『虹色のトロツキー』のような日本の裂け目を扱うような作品を描くようになったのか」というセイゴオの問いに対して、「70年代のアニメは、映画が撮れない映画作家や連載がもてない漫画家など、コンプレックスを抱いた人々の雑念が満ちていた。ガンダムをきっかけにアニメ好きがアニメをつくる時代に変わった。自分が長居する場所ではないと感じた」。「連々三册」は、陸奥宗光『蹇蹇録』、宮崎滔天『三十三年の夢』、巌本善治・勝部真長『海舟座談』。いずれも『王道の狗』を描くときに参考にしたものだと言う。
 
 ここで、ブルーが基調となっていた照明が一転、燃えるような赤に切り替わり、前田日明さんの手がける格闘技「アウトサイダー」の映像が流れ、熱気をまとった前田さんの巨躯が枯山水ステージに登場。兼ねてから前田さんが無類の読書好きであることを知っていたセイゴオは、その「連々三册」にとりわけ舌を巻いたと言う。「平等という卑しい者達が抱く幻影は、実際は高貴な者の間にしか存在しない」というバルベー・ドールヴィーの言葉を引きながら並べられた林房雄・三島由紀夫『対話・日本人論』、三浦実・貝原浩『吉田松陰』、生田耕作『ダンディズム』もさることながら、「新しい世界観の提示」というテーマによって選ばれたリサ・ランドール『ワープする宇宙』、中村元『龍樹』、小菅正三『次元と認識』にはさすがのセイゴオも悶絶しそうになったらしい。
 ステージ上でも前田さんは、サンフランシスコ条約の原文に当たって日本の「独立」のあいまいさを提起し、特別会計予算をいじるパフォーマンスを繰り返す政治家とその背後にあるアメリカの力を告発するなど、憂国の危機感を爆発させた。

 これに対して、五木さんは定家の『明月記』の「紅旗征戎わがことにあらず」を引用しつつ、日本で公称3万人と言われる自殺者たちを新たな「戦死者」と呼び、「日本は見えない戦争のまっただなかにある。命のデフレが進んでいる」と指摘。安彦さんも、かつての「有事」の重さに向き合った日本人たちの経験を受けとめるべきと語り、アウトサイダーならではの憂国の志を静かに示した。

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上:五木寛之さん
下:安彦良和さん・前田日明さん

本談(4) ホスト:佐藤優 ゲスト:中谷巌+長谷川眞理子

 佐藤優さんは獄中で書きつづったノート「自由筆記」や当時の資料などを大量に抱えて登壇、「自由筆記」はその後も続けているが、500日間獄中で書いたときのほうが「仕事がはかどった」と笑う。
 「連々三册」では、日本を内側・外側から考察する3冊を比較検討するというコンセプトで、北畠親房『神皇正統記』、ルース・ベネディクト『菊と刀』、大城立裕『小説 琉球処分』を取り上げたが、なかでもセイゴオが瞠目したのは黒田寛一『実践と場所』が挙げられていたことだ。
 佐藤さんは「黒田寛一は一時期、その思想のために死んでもいいと思われた人。人を殺す思想がいちばん強い。松岡正剛もそういう人ではないかと思っている」と眼光を炯炯とさせ、さらに早口で「浅田彰の『逃走と力』以降、日本の知識人が差異の議論に熱中しているあいだに、知的洗練度の低い思想が広まってしまった。かつて隠れて読まれていたようなものが今は大手を振っている。もう一度黒田寛一からやりなおすべきだ」とまくしたてた。

 佐藤さんの『獄中記』に衝撃を受けすぐに会いに行ったという中谷さんは開口一番、「経済学の本なんて読まないほうがいい」と切り捨てる。合理的な個人というものを前提に欲望を正当化する近代経済学の世界に身を置いてきた中谷さんは、佐藤さんやセイゴオの著作に触れたことがきっかけで転身をはかったのだと語る。「人間の問題は、経済学では解明できない。人間とは何かという根源的な議論をしなければ解き得ない」。「連々三册」では西洋的普遍主義を問いなおすという意味を込めて、ウォーラーステイン『ヨーロッパ的普遍主義』、サイード『オリエンタリズム』、長谷川三千子『民主主義とは何なのか』が選ばれた。
 生物学者の長谷川眞理子さんもまた、人類学が過去しか扱わないことに長らく不満だったと話す。「連々三册」は、ダーウィン『ビーグル号航海記』、ロレンス『知恵の七柱』、ピーター・フレミング『News from Tartary』。いずれも人類学者として異文化体験を重ねてきた長谷川さんに影響を与えた本だという。

 最強の論者たちを迎えたセイゴオは、人類はなぜ神をつくり、マネーをつくったのか。神やマネーのつくり方はうまくいっていたのか、今後これに代わるものがつくられる可能性があるのかという「難問」を三人にぶつけた。神の問題については、キリスト教信者である佐藤さんは「その質問は理解できない。神が人間をつくったのである」と笑いを誘いながら、ポルトマンの神学を引いて、神が縮退した隙間に人間社会が生まれたという説を披露。中谷さんは、人間の歴史はすべて破壊の歴史だったと振り返り、神や自然や共同体の呪縛を解き放った結果、その正当化が緻密に組み立てられていったと「世界システム」の原罪を指摘した。長谷川さんは、「生物としての人間の特殊性は、巨大な脳がつくり出したものを脳が理解し作り変えるという入れ子構造をもったこと」と語り、合理的な思考は脳のなかの一部にすぎず、認識できることだけで世界が動いていると考えるのはまちがいである、経済学もまちがいであると明解に語った。

 最後にセイゴオから投げかけられた「読書の未来」については、佐藤さんは「記録のためではない、記憶のためのメディアとして紙の書籍は今後もなくならない」、中谷さんは「合理的判断を超えた思考は書物からしか得られない」、長谷川さんは「今後の世代がもし本を捨てたら、人類の知力がだめになる」。書物派らしい心強い意見が、6時間に及んだブックパーティ「本談」のラストを締めくくった。

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上:獄中で書いたノートを紹介する佐藤優さん
下:長谷川眞理子さん

本宴―本好きによる本好きのための宴

 「本宴」は、スパイラルガーデンに場所を移して、金子郁容さんと小城武彦さん(丸善・編集工学研究所社長)の進行、岩波書店社長の山口昭男さんの乾杯の挨拶で開演した。
 330人を超える参加者がカフェスペースとともに本市会場を埋め尽くし、出演者を囲んで「本談」の感想を交わしあう風景は圧巻。ドリンク片手に「連々三册」展示に見入ったり、ブックショップエディターに案内されて出演者たちの著書を購入する人々の姿も、ブックパーティならではの光景だった。

 「本宴」中は、来場者のなかから鈴木寛さん(文科省副大臣)、呉善花さん(拓殖大学教授)、森野鉄治さん(大日本印刷常務取締役)、野間省伸さん(講談社副社長)が壇上でスピーチ、電子書籍時代を迎えつつある日本の読書の未来について、思い思いのメッセージを語った。先ごろ「週刊新潮」で松丸本舗への熱中ぶりをエッセイに書いたばかりの荻野目慶子さん(女優)も「本談」の興奮冷めやらぬ口吻で「本の色、かたち、たたずまいのすべてが好き。これからも本を通して、生きて変化しつづける人間の実体と向き合い続けたい」と語り、おおいに会場を沸かせた。

 本宴の最後はセイゴオのスピーチが締めた。「もともと本は一人で読むものではないと考えている。まず本の向こう側に著者がいる。編集者もいる。版元もいる。デザイナーもいる。1冊の本との出会いが何十人もの人々との出会いにつながっている。本は世界劇場でもある。残念ながらその本の世界が退嬰しつつある。電子時代は印刷、すなわちプリンティングキャピタリズムを変化させる。マネーも変化する。書籍も変化せざるをえない。グローバリゼーションのなかで、もういちど本の付加価値を見直し共有する仕組みを考えていきたい」。
 このセイゴオの語る「本の付加価値を見直し共有する仕組み」は、おそらく5月末予定の次回の連塾ブックパーティのころには、新著のなかで多少、明らかにされるはずである。

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「本市」で談笑する前田さん・鴻巣さん・安彦さん

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金子郁容さんと小城武彦さんの進行で本宴が進む

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「連々三册」展示をバックにスピーチするセイゴオ

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松丸本舗の魅力を語る荻野目慶子さん

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本宴を盛り上げたドラッグクイーンのヴィヴィアン佐藤さんと


レポート:太田香保
写真:赤羽卓美

投稿者 staff : 16:24

2010年11月 5日

Publishing セイゴオ語録『危ない言葉』『切ない言葉』同時刊行

 セイゴオが約45年にわたる編集屋人生のなかで綴ってきた膨大な著述やエッセイや日記のなかから、「危ない言葉」と「切ない言葉」を選りすぐって構成した「セイゴオ語録」が、2冊同時発売になります。11月6日(土)の「連塾ブックパーティ スパイラル巻1 本の風」で先行販売も決定!


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松岡正剛『危ない言葉』『切ない言葉』
求龍堂 2010年11月19日発行
各1500円+税

装幀/晴山季和
ポートレート撮影/中道淳

本書の編集構成は、『松岡正剛 千夜千冊』(全7巻)を担当した求龍堂の鎌田恵理子さん。セイゴオが20代に編集した『遊』をはじめ、その後に出版されたすべての編著作本、「千夜千冊」、さらにはプライベートメディア『一到半巡通信』に綴ったエッセイや、イシス編集学校で配信された「校長室方庵」、松丸本舗の棚の落書きまで、膨大なセイゴオ語録のなかから選りすぐりの「危ない言葉」「切ない言葉」がそれぞれ約200本収められた異色の本です。今後もテーマを変えてシリーズ刊行される予定。

ちなみに、収録されたもっとも若いセイゴオ語録は、9歳のときにつくった俳句、もっとも最近のものは今年7月に刊行された『松岡正剛の書棚』から。

セイゴオ語録1 『危ない言葉』

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目次

I 世間を迎え撃つ
II 自分なんてどうでもいい
III 混乱しなさい
IV 本は武器である
VI 好きだ

セイゴオ語録2 『切ない言葉』

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目次

I 絶対少年
II 宇宙の散歩
III 泣き虫Mの生涯
IV 遊びをせんとや生まれけん
V かけがえのない残余
VI 淋しがり屋

投稿者 staff : 00:41

2010年11月 4日

Publishing 「本の力、読書の力」(セイゴオメディア情報10/20~10/27)

 雑誌『男の隠れ家』(2010年12月号)の特集「本のある空間、本とある時間。」にセイゴオが登場。松丸本舗を舞台に本の力と読書の力を語っています。

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一冊の出会いを次の本に繋げていく。本を孤立させない。これがとても大切です(セイゴオ)。

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 「本とは何か?」。本は3000年もの歴史をもつ永遠のフォーマットをもったメディアであり、今日ではハードカバーから電子書籍まで多彩な様相をみせている。
 「読書は本との旅でもある」。本に潜むものは意味だけではない。表紙・カバー・文字組み・フォント・手触り・重さ…。本にはいくつもの方法や可能性が潜んでいる。
 「本ともっと遊びたい」。自分の仕事も本というレンズを通して眺めてみたいと笑うセイゴオ。もっと自由な形で本に出入りしてみたい。その試みの一つとして、11月6日(土)、南青山のスパイラルで開催される「連塾ブックパーティ スパイラル 巻1 本の風」への意気込みと愉悦を語っています。

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■『男の隠れ家』 12月号
発売 2010年10月27日発売
出版 朝日新聞出版
定価 680円(税込)

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 10月20日の新聞広告の日にちなんで、セイゴオが新聞広告とのかかわりを語り下ろしました。

 僕は高校、大学と学生新聞を編集し、新聞記者になりたかったのですが、最初の就職先は広告代理店でした。広告の仕事を通じて企業や製品は常に“新しい関係でなにかとつながりたがっている”ことを経験的にわかっていくようになりました。  しかし、今の新聞広告には元気もドキドキするものも心に残るものもなく、「新しいつながり」を見出せずにいるように感じます。そこを突破する鍵は“遊び”だと思います。たとえば、松丸本舗では“本はもっと遊びたがっている”をコンセプトに、従来の書店ではありえないこころみを自由にやっている。  新聞広告にもこれまでの常識にとらわれないで、もっと遊んでほしい。信頼性が高く、取材能力があり、すばらしい情報編集システムである新聞だからこそ、その遊びや冒険で多くの人をもっとドキドキ、ワクワクさせるべきではないでしょうか。

■「朝日新聞」 
発行 2010年10月20日
*松岡正剛「私と新聞広告」


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 「読売新聞」の「HONライン倶楽部」のレオ・レオニ生誕100年記念特集で、セイゴオが思い出を綴ったエッセイを寄稿しています。

 セイゴオとレオ・レオニさんとの親交は『平行植物』の翻訳刊行から始まりました。それがきっかけで対談集『間の本』が生まれたこと、果たせなかった合作絵本の構想、イタリア大使館でタモリとお祝いした抱腹絶倒のレオニ誕生パーティまで、たくさんの思い出とともにレオニさんの作品の根底にある「接近するヒューモア」の魅力を綴っています。

■「読売新聞 HONライン倶楽部」 2010年10月24日
  「レオ=レオニの巻」 松岡正剛「創作の根にヒューモア」収録


*千夜千冊179夜 レオ・レオニ『スイミー』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0179.html

*松丸本舗の本殿にもレオ・レオニさんの本が多数あります。

投稿者 staff : 22:53

2010年11月 1日

Report アカデミーヒルズ「言語のイノベーション」講演

 9月30日(木)、六本木のアカデミーヒルズで毎月開催しているリレーセミナー「VISIONARY INSTITUTE(ヴィジョナリーインスティテュート)第6回」にセイゴオが出演、「言語のイノベーション―未来が出現する編集技法」と題して講演を行いました。
 セイゴオは、このテーマについて語るにあたって、「千夜千冊」から数十冊分を選び出し、それをもとに独自のシナリオを組み立てました。会場ではそのWEB画面をスクリーンに出しながら、言語の発生や文字の発生、東西の言語のイノベーション、その奥にある生命と意識の問題まで、90分をハイスピードで語り通しました。

 聴衆は学生からビジネスマン、経営者まで約200人。熱心にノートやPCに書き込む姿が多く見受けられました。

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松岡正剛講演「言語のイノベーション 未来が出現する編集技法」(抄録)

 雨の中よくお越しいただきました。今日は、私が10年前からネット上で本を紹介している「千夜千冊」で取り上げた30冊から40冊のWEBサイトの画面をお見せしながら、言葉がどのようにイノベーション、チェンジしていったのかを話します。

■身体・言葉・文字

 言葉は自然界や身体、あるいはマイクロフォンのようなツールと無縁ではありません。言語は特別に訓練しなくても思ったことをしゃべれるだろうと思いがちですが、歴史的にはさまざまな制約、アフォーダンスを受けています。
 たとえば、今ここにあるコップと私の身体は別ものですが、いつまでもそうではない。コップを手にしようとした瞬間に、私の手はコップの形になり、“コップ手”というものになる。言語もこれと同じように、何かをきっかけにして赤ちゃんの中に入ってくる。やがてそれが文脈となって、未知のものと既知のものに分かれ、組み立てられていきます。

【千夜千冊第381夜 アンドレ・ルロワ・グーラン『身ぶりと言語』】 
 この本に書かれていることは、「身ぶり」と「言葉」は、互いに互いを抜きあっている“抜き型”であるということです。手招きひとつとっても、同じしぐさが、日本では「いらっしゃい」の意味になり、英語圏では「ゲッタウェイ」「向こうへいきなさい」になる。このように、自分と言葉はつねに抜き型になっている。編集工学的にいうと「鍵と鍵穴」です。赤ちゃんは、お母さんの声と自分の動作を抜き型にして、だんだん言葉を覚えていくわけです。

【千夜千冊第381夜 ヨン=ロアル・ビョルクヴォル『内なるミューズ』】
 かつてすべての社会は母なる系列によって家族が形成されていく母系社会でした。西洋では女神ディアーナ(アルテミス、ダイアナ)がもっとも古層にある神であり、神々の最初も女神だった。そこに男性原理の父系性が登場し、母なる社会を換骨奪胎してしまった。それでも父なる社会の中に、懐かしさや優しさといった母的ものが残響しているわけです。すべての男はお母さんから生まれてくるわけですからね。それがこの本の語る「ミューズ=知の女神」です。言語のことを本気で考えるならば、「内なるミューズ」にまで遡らなければダメだということです。

【千夜千冊第391夜 宮城谷昌光『沈黙の王』】
 つづいて言語イノベーションとして何が起こったかというと、父系社会が言葉を再生するために文字をつくります。この本は中国の文字の発生を描いています。
 20世紀半ば、聖王の時代の殷墟が発掘されて甲骨文字が発見されるまで、長らく「殷王朝」は伝説ではないかと思われていました。中国は3000年にわたって、伝説の殷・周という国家を追憶して、社会や文化をつくりあげてきた。では実際には殷の時代にいったい何がおこっていたのか? 
 『沈黙の王』は文字をつくった王の物語です。武丁は言葉がうまくしゃべれなかった。それを父王が嘆き悲しみ、旅に出す。様々な場所でいろんな人の声を聞いていくうちに、武丁の中に言葉が映像として残り始める。旅先で会ったシャーマンが「君の頭のなかに映像のようなものが見えるが、それは何か」と図を描いてみせた。それが最初の文字となり、やがて武丁は甲骨文字をつくらせたという話です。

【千夜千冊第987夜 白川静『漢字の世界』】
 漢字の謎を解いてみせたのが、白川静さんの『漢字の世界』です。私も『白川静』(平凡社新書)という本で解説しましたが、白川さんは「語」や「話」の「口」は、言霊を入れて蓋をしておく容器(サイ)をあらわしていることをつきとめました。まさに言霊そのものが漢字の形になっているんですね。
 私はかつて『遊』という雑誌をつくりましたが(「遊」を白板に書きながら)、「遊」という字は羊や子供などの犠牲の首と旗を掲げて、未知な土地に出遊していくという形から造られています。驚くべきことに、漢字にはこのように凄惨な犠牲をともなう信仰や儀式が込められている。本来の漢字は「負」をともなう危険でリスキーなものだということです。楔型文字やヒエログリフの成立とは違う、東洋的な独特のものと言えるかもしれません。


■東西の言語編集技法

【千夜千冊第425夜 大室幹雄『正名と狂言』】
 東洋の言語には、言葉を正しくする、言葉を狂わせるという二つの方法が生まれます。孔子の「正名」と荘子の「狂言」です。「正名」は「名」に「実」が合うように正しくすること、今でいうとコンプライアンスです。それに対して、人間や言葉はそういうものではない、もっと自由に言葉を使いなさいというのが「狂言」。東洋はその後も正名と狂言を二つもちながらいったんですが、西洋は、「狂言」は異端・邪教であるとして、ユダヤ的・キリスト教的な社会が確立していきました。

【千夜千冊第846夜 立川武蔵『空の思想史』】
 東洋では言葉を「空」じるという珍しい思想も生まれます。ヨーロッパでは「空」といえば「無=ナッシング」になってしまいますが、中国や日本、韓国では、「空」は“ある”ことをいったん“なし”にできるという思想です。ここから言語の歴史は、東洋的なもの、西洋的なものの二つがイノベーティブな意味においても違いをはっきりと持ち始めます。

【千夜千冊第487夜 『ヨブ記』】
 では、「空」のような思想をもたなかったヨーロッパはどうしたか。『旧約聖書』の中のヨブは絶対なる神が何を言っても従うという男です。責められ、縛られ、食物を与えられなかったりしますが、決して屈しない。唯一絶対なる神の言語は、私たち下僕にはわからなくてかまわない。それが神からのメッセージであるということを受け止めればいいのだという思想です。東洋は空じることができるから、「いやいや、あれはなかったことに」なんてよくいいますが(笑)、契約を重んずる西洋では絶対に許されませんね。絶対神の名において、「狂言」は認められないわけです。

【千夜千冊第487夜 ルネ・ジラール『世の初めから隠されていること』】
 しかしヨーロッパも実は怪しいことはやっているわけです。「世の初めから隠されていること」がある。何をヨーロッパははじめに隠したのか? 何を黙っていたのか。犠牲になった者の名、暴力を受けた者の名を隠したわけです。

【千夜千冊第265夜 デュ・モーリア『レベッカ』】
 旧約聖書に「レベッカ」という話があります。デュ・モーリアが小説にし、ヒッチコックが映画にした、いまのモダンホラーの原型ともいえる話です。主人公のレベッカは一回も出てきません。レベッカが死んだ後、後妻になった女性が見えないレベッカを感じ、恐怖におののいていく。レベッカとはリリカのこと、ユダヤのアブラハムの次男イサクの奥さんです。ユダヤの民は父系社会で長子相続なのですが、レベッカは兄のエサウを排して弟のヤコブを相続者とするために画策します。「レベッカ」という名前には、そのような悪の根源が伏せられています。原初のおぞましい出来事が言葉に隠されているわけです。
 私は言葉というものをそこから引きずり出しなおさないと、21世紀の言語のイノベーションなんてできっこないと思っています。

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■言葉の乗り物の誕生

【千夜千冊第704夜 ジョセフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』】
 物語は、言語の重要な情報保存様式です。物語の構造を見事にといてみせたのが神話学者のジョセフ・キャンベルで、ジョージ・ルーカスの先生です。世界中の神話も昔話も、英雄の物語はほぼ、旅立ち=セパレート、艱難辛苦=イニシエーション、帰還=リターンというシナリオになっていることを解き明かしました。
 歴史的にみると、ヨーロッパでも日本でもだいたい10世紀ごろに、物語の型に応じて民族言語が形成されるということが起こります。フランスにシャンソン・ド・ロランが、イギリスにアーサー王伝説やロビンフッドの物語が、日本に『源氏物語』や『伊勢物語』が成立した時代です。身体との抜き型になって発生した言語は、物語という別の構造を持ち始めるわけです。

【千夜千冊第1018夜 リュシアン・フェーヴル&アンリ=ジャン・マルタン『書物の出現』】
 物語を形にしようとしたものが「書物」です。書物というものがどうしてできたのか、書店や版元はもっと考えないといけません。なぜタイトルがあり、見返しがあり、見出しがあって、こういうかたちになったのか。書物の秘密で私が特筆したいのが、ダブルページ、見開きフォーマットの発見です。めくると次に何かある。伏せたものが開けられていく。書物は人間が何かを理解するための、抜群の乗り物、ビークルになったわけです。

【千夜千冊第762夜 フレーゼ・パスカル『パンセ』】
 もうひとつ、物語以外に重要になったのがエッセイです。エッセイとは、「試行、吟味、試験、経験、実験」といった意味で、自分自身が何者であるかを知ろうとする思索から始まっています。

 ここで少し父の話をしたいと思います。父は、私が大学4年の春、あと1ヶ月で卒業という3月に癌で亡くなりました。最期の3週間くらい前から、父はどんどん年齢退行を起こし、3日前には五歳児の言葉使いになっていた。私はそのことを疑問に思い、いろいろ尋ねて回り、ついに生物学者で医者のルイス・トマスに会いにアメリカに行きました。『メッセージはバッハ』というすばらしいエッセイを読んで、この人なら父の死の謎に答えてくれるのではないかと考えた。
 ルイス・トマスは、「いまからお父さんの謎を自分なりに仮説してみますが、その前に松岡さんに聞きたいことがある。あなたは一人の生命ですか? 」と問いかけてきた。茫然としましたが、これが答えだなと思いました。つまり私は一人の生命じゃない。体の中にたくさんの細胞が生きていて、生き死にを繰り返している。たくさんの言語生命も体の中にある。父も一つの生命ではなかったということです。おそらく高熱か何かがきっかけで、抑えられていたものが染み出してきた。それが年齢退行の秘密だったんですね。
 身体の奥にある言語的なものが、官能とともに、シャーマニックなものとともに、アニミスティックなものとともに、オブジェクトとともに、月とともに、音楽とともに、全部出てくる。私たちはふだんはそれを日常生活の中でぐっと封印して、父なる社会をつくっている。それは犯罪とみなされたり病気とみなされたりして、刑務所や病院などの制度の中に入れられてしまう。
 このように、世のはじめから隠そうと思っていたものがはみ出してきたときに、完璧に管理するのが今日の社会です。それでも、私の父が年齢退行を起こしたように、ときどきほころびや裂け目が生まれることがあるわけです。

【千夜千冊第966夜 ステファン・マラルメ『骰子一擲』】
 19世紀末の詩人のステファン・マラルメが「誰もがサイコロの一振りによって書物を書くべきである」と言いました。ノヴァーリスの「人は一生に一度は聖書を書くために生まれてきている」という言葉に匹敵するぐらい素晴らしい言葉ですね。たくさんの生命がゆらゆら動いていて、パッと振られたサイコロのように、多面体の中の一面が書物になっていくということです。


■日本語のイノベーション

【千夜千冊第571夜 斎部広成『古語拾遺』】
 ここで考えなければならないことは、言葉は全部生きているとは限らないということです。私の父のように個体の身体のなかに封印されるだけではなく、社会的に言語が封印され喪失される場合がある。いまでも年間3つから7つの言語が地球上からなくなっています。そのようなことが歴史の中でもたびたびありました。たとえば、物部一族の言葉や陰陽師の言葉づかいは今ではどういうものだったかわからない。結縄文字はいまや縄の結び目にしか見えない。ほかにもルーン文字など、歴史の中で消えてった文字がいくつもあります。
 それに気がついた人たちがいた。その一人が斎部広成です。古語(フルコト)がなくなって他の言葉に変わってしまったら、「コト」がなくなる。出来事もなくなるし言葉もなくなってしまうということを、告発しました。

【千夜千冊第966夜 平田澄子・新川雅明『小倉百人一首』】
 フォルクローレも歴史とともにだんだんわからなくなってきています。ときどきこれらを再編集しないと、永久に喪失してしまう。このように失われゆく物語や歌を収集してアルバムにしておこうということを、フランスではラ・ロシュフーコーが、ドイツではグリムが試みました。日本の『百人一首』もそのようにして生まれたものです。
 『百人一首』を編集した藤原定家に、有名な一首があります。「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」。荒涼とした何もない光景を、花や紅葉を「空」じることによってとどめている歌です。定家が残そうとしたのはこういった言語技術です。
 私はいまは、イシス編集学校を通して、ヨーロッパ的なメソッドがもっていないもの、「日本という方法」のなかに潜んでいたものを、伝えようとしています。

【千夜千冊第1089夜 心敬『ささめごと・ひとりごと』】
 心敬は、想像力が加わらないかぎり生まれない実在性というものを考えました。そして日本人が気づいていなかった「冬の美」を発見し、「冷え寂び」と呼びました。何もないものに究極の美を見出す新しいコンセプトをつくったわけです。この「寂び」の感覚が継承され、のちに小堀遠州が「綺麗寂び」を、金森宗和が「姫寂び」を生んでいきます。
 残念ながら日本人の言語の力はかなり落ちていますね。「カワイイ」とか「クールジャパン」程度のものしかつくれなくなっている。 

【千夜千冊第1008夜 吉川幸次郎『仁斎・徂徠・宣長』】
 社会では、外国語と母国語が交流せざるを得なくなります。かつて日本語の中に一番入ってきたのは中国語、漢語でした。けれども、漢語で考えていると頭の中が漢文的な思考に入ってしまう。日本の感覚を発揮しようとするとき、漢文的な発想は役にたたない。そのようなことに江戸時代の人々が気づきはじめ、漢意(からごころ)に対して古意(いにしえごころ)というものがあるのだということを考えます。
 漢意を徹底的にやったのが、徳川の朱子学です。やがて庶民にいたるまでが儒学を学び、子どもたちが寺子屋で『大学』を読むようになりました。そこへ宝暦天明の頃に新しい文化が生まれ、これを漢語ではなく日本語で言わなければならないと考えた人々が古意への転換を図っていきます。伊藤仁斎、荻生徂徠、契沖、賀茂真淵、宣長といった系譜が、いよいよ言語のイノベーションに出てくる。この本は、漢意にはまった日本人が、日本の古代のフルコトにどう向かっていったのかを見事に解いた本です。

【千夜千冊第447夜 上田秋成『雨月物語』】
 グローバルスタンダードを受け入れるときには、言語だけではなく物語の構造そのものも変換しなければならない。それをやったのが上田秋成です。中国の白話小説という物語のフォーマットを使い、完全に日本の物語に転換しました。日本人は『水滸伝』『三国志』なども徹底的に日本的に読みなおしました。それをさらに進めたのが滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』です。

【千夜千冊第499夜 正岡子規『墨汁一滴』】
 近代になると、日本にもいよいよ鹿鳴館、ダンスホール、背広、ロジックといった西洋文化が入ってきます。正岡子規は、日本のもっとも古典的な「型」で一番シンプルなもの、そこにすべての西洋の情報が入っても大丈夫なものを確立しようして、五七五七七という「型」に注目しました。和歌を「短歌」と呼び変え、新しいフォーマットをつくったわけです。

【千夜千冊第1048夜 『北原白秋集』】
 北原白秋は、ありとあらゆるものをフュージョンしました。ギヤマン、ビードロといった外来の言葉と、桐の下駄や赤い鼻緒といった日本の言葉を組み合わせて、幼なごころと南蛮とヨーロッパの美意識をすべて組み立てていきます。

【千夜千冊第627夜 上田三四二『短歌一生』】
 果たして日本語のイノベーションはできたのか。現代短歌の達人である上田三四二さんが、言葉は「バラスト」であるということを言っています。「バラスト」というのは、船が沈まないために、船底にいれておく重石のことです。ふだん使わない言葉をもっと持って、自分の思考の船底に置いておく。それが表現力を強く開かせ、新しいものにしてくれるということです。言葉の職人じゃないとなかなか言えない言葉ですね。

■未来が出現する編集技法とは

【千夜千冊第634夜 ブルトン『ナジャ』】
 一方、ヨーロッパでは、シュールレアリスム、ダダのように、言葉を完全にちぎってカットアップし、自由自在に使うというすごい遊びを考えだしました。

【千夜千冊第110夜 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』】
 次に、すべての物語の中に新しくカットアップされた言葉をどんどん入れていきます。こうして生まれたのがSFです。『華氏451度』は、かつての焚書坑儒のように書物が排除されている未来社会の物語です。書物を愛する人々が、たとえばプラトン、たとえばアインシュタイン、たとえばゲーテというふうに、一人一人が一冊の本になることで書物を継承していくという話が展開します。

【千夜千冊第923夜 イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』】
 今日の短い時間に私が話したようなことを、再編集して物語にするといった方法もでてきます。イタロ・カルヴィーノはまさにそういう人です。自分の中のひとつのことが動くことは、全世界が「冬の夜の旅人」として動くことである。いま携帯やiPhoneをもっていても便利なだけでしょう。そこで世界が動いているとは誰も思えない。それではだめです。

【千夜千冊第627夜 フリードリヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』】
 言語の問題を考えるには、もう一度、写真・タイプライター・ピアノ、あるいは墨や筆といったメディアツールが何だったのかを考えてみる必要がある。ボードレールはそれらをどうしたのか。ヘンリー・ミラーはどうか。アナイス・ニンは? こういうことがブログ社会にまでつながっていくわけです。

【千夜千冊第1257夜 テオドール・アドルノ『ミニマ・モラリア』】
 「ミニマ・モラリア」、一番小さなモラルは、道具と自分の関係の中で生まれています。これはビックモラル、モラルハザードとか言われているものの逆です。ちょっとした手元や足元や目先や人とのすれ違いでおこる倫理感覚。こういうものを実はメディアツールがもっていたはずです。もしいまのiPadなどのツールから小さなおもしろさが生まれないとすると、もう一度タイプライターとかグラムフォンに戻って、このミニマ・モラリアを見つめるべきではないでしょうか。そのときこそ、本当の「コモンズ」や「ブログ」が立ち上がってくるのではないか。

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■言語のイノベーションの奥へ

【千夜千冊第368夜 ピーター・W・アトキンス『エントロピーと秩序』】
 私たちは結局、でたらめさ加減、エントロピーというものと秩序というものの戦いのなかにいるんですね。カオスが加担するとエントロピーが増大する。これにつねに秩序が対抗している。しかし、荘子の「狂言」やダダ、シュールレアリスムのように、わざとエントロピーを増大させることもできる。言語のイノベーションでは、エントロピーと秩序は入れ替わり立ち代り発現してきました。

【千夜千冊第200夜 クリスチャン・ド・デューブ『生命の塵』】
 もともと私たちはすべて「生命の塵」です。クリスチャン・ド・デューブというノーベル賞の生物学者は、私たちがいかに偶然から生まれたか、ということを言っています。情報高分子を包む生体膜によって一個の生命が形成されている。けれどもその外側と内側とは、つねにイオンが濃度移動している。自己と非自己のあいだは、その濃度の違いによってしか捉えられません。それが生命の姿です。ルイス・トマスが松岡正剛は一個の生命ではないといっているように、「生命の塵」である私たちはたくさんの情報からなっているということです。

【千夜千冊第1257夜 スーザン・ブラックモア『ミーム・マシーンとしての私』上・下】  それは、いわば「ミーム・マシーンとしての私」たちであるとも言えます。私たちの体を占めているのは遺伝子=ジーンですが、言語や意味を運ぶ文化遺伝子というものもあるでしょう。リチャード・ドーキンスはそれをミームと呼び、私はそれを意伝子と訳しています。ミーム・マシーンが、私たちの身体を意味と言語のイノベーティブボディ、あるいはイノベーティブシステムにしているということです。

【千夜千冊第833夜 ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』】
 言葉や表現を考えるには、「カタルトシメス」をもたないとだめなのではないか。人は語りえぬものを示したり、示しえぬものを語ったりするけども、本来そこを分けない「カタルとシメス」(語ると示す)というものがあってもいいのではないか。このヴィトゲンシュタインが残した考え方もとても重要です。

【千夜千冊第123夜 メルロ・ポンティ『知覚の現象学』】
 メルロ・ポンティは、すべては間身体性にある、「間」にあると言いました。私はインターテクスチャリティ、間文脈性というものも一緒にあったほうがいいと思います。身体というのは文脈と同じことですからね。

【千夜千冊第969夜 ダニエル・デネット『解明される意識』】
 認知科学者のデネットは、こう仮説しています。「我々の意識はいつもドラフト(草稿)の束を編集しつつある最中にある。ひょっとしたら夢というのは、編集未然の束が勝手に動き出しているものではないか。我々は勝手に動き出したドラフトの束をもっと見つめないとだめなのではないか」。私はこの説に賛成です。

【千夜千冊第33夜 ルドルフ・シュタイナー『遺された黒板絵』】
 最後に取り上げるのはこの本です。君たちの前でどんなに伝えたいことを話しても、それはたちまち消えていく。そして黒板絵だけが光って残っていく。ご覧になると、なんともいえない気持ちになる本です。これからの時代、遺された黒板絵のように世の中がコミュニケートされていかないとダメだろうと思います。

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採録・構成:吉村堅樹
撮影:和泉佳奈子
編集:太田香保

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