セイゴオちゃんねる

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2010年9月29日

News パンクな3人組が新しい陶芸作品を制作中

 サッカー元日本代表の中田英寿さんがプロデュースする「REVALUE NIPPON」プロジェクトの全容が、「25ans」(ヴァンサンカン)誌で紹介されました。このプロジェクトは、中田さんが声をかけたボードメンバーたちが、それぞれコラボレーター1人と陶芸家1人を選び、3人一組となって、新しい陶芸作品をつくり発表していこうというもので、ボードメンバーの一人であるセイゴオも、ユニークなチームを組んで作品制作に当たっています。

 セイゴオがチームメンバーに選んだのは、陶芸制作のコラボレーターとしては異色の作家の町田康さん。そして、町田・セイゴオのパンクコンビの精神を焼き物にする陶芸家として、セイゴオが選りに選って起用したのが、織部焼の故郷である美濃の久尻に工房を構える林恭助さん。この夏、3人は東京で1回、林さんの工房で3回と、頻繁に顔を合わせては、打合せとともに実制作に取り組んできました。

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 「REVALUE NIPPON」プロジェクトでは他に、中田さん+奈良美智さん+植葉香澄さん、金子賢治さん+佐藤卓さん+和田的さん、藤原ヒロシさん+宮島達男さん+新里明士さん、秋元雄史さん+佐藤オオキさん+見付正康さんの4組が、それぞれ独自の新作品を制作中。
 10月30日、京都ハイアット・リージェンシーホテルで完成作品披露のガラ・パーティと、オークションがおこなわれる予定です。

以下、美濃久尻の林恭助さんの工房で、作品制作と「箱書」の作業を進めるセイゴオ・チームのようすを少しだけご紹介。


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林さんが考案したある独自の技法に従って、黒織部のための「絵付け」をする町田さん。
陶芸は初体験とのことだが、大胆なモチーフを次々生み出す手際にセイゴオもびっくり。


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真のオリベ精神を理解する林さんは、二人が何をしてもニコニコ見守っている。
10月末の作品発表会では林さんの本領発揮の曜変天目茶碗も出品予定。


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見事に焼き上がった共作黒織部を並べて、「銘」を思案中。
「どんなにおもしろくしてもいいんだよ」とセイゴオにアドバイスを受け、考え込む町田さん。


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嬉々として即興パフォーマンスのように箱書に熱中するパンクな二人。
セイゴオ黒織部には町田さんが、町田黒織部にはセイゴオが言葉を寄せる。


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林さんによる造形と微妙な線刻を生かしながら、ローマ字を配置したダイナミックなセイゴオ黒織部。
これは出品用ではなく、イシス編集学校のためにつくったものだとか。

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この箱書が添えられた町田黒織部はいかなるものか?


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「せっかくだから僕たちのチーム名も作ろうよ」とセイゴオが提案し、
「くじり三指組」と決定。3人の血判ならぬ「陶判」は林さん特製のもの。

投稿者 staff : 19:12

2010年9月28日

Report 世界宗教者平和会議で「まほろば」を説く

 9月26日(日)、奈良県新公会堂・能楽ホールで開催された「世界宗教者平和会議」で、セイゴオが「まほろばの心と宗教者の貢献」をテーマに、基調講演を行いました。

 世界宗教者平和会議(WCRP)は1970年にスタートし、人権・環境・難民・紛争など世界が抱える問題の解決・協力のために、諸宗教の代表が一堂に会して対話を重ねてきた歴史ある国際会議です。40周年となる本大会では、平城遷都1300年を迎えた奈良で開催されることにちなんで、日本の調和の精神を象徴する「まほろば」をキーワードに、これからの宗教者の役割や連携のあり方がさまざまに議論されました。

 セイゴオは平城遷都1300年記念事業の柱である「日本と東アジアの未来を考える委員会」幹事長、および「弥勒プロジェクト」総合ディレクターの立場もふまえつつ、基調講演では「まほろば」を過去・現在・未来をつなぐ場として捉えなおす新しい切り口を提示し、本大会で採択される宣言文の内容にも大きな指針を与えました。

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松岡正剛基調講演「まほろばの心と宗教者の貢献」要旨

◎WCRP40周年に寄せて 

 世界宗教者平和会議40周年の場にお招きいただきありがとうございます。いま、皆さまのご挨拶や報告をうかがいながら、このようなことがすでに40年にわたり行われてきたことに身の引き締まる思いがしました。またこのような活動が今後も50年、60年と続いていくであろうことをひしひしと確信しています。
 40周年大会がこの奈良の都で行われることも、たいへん象徴的だと思います。1300年前、日本の都がこの地の平城京につくられました。倭国と呼ばれながらもいくつかのクニに分かれていた日本列島が、初めて「日本」という国を意識したのは天武天皇のころです。平城京はまさに日本が国家というものをめざしてつくった初めての本格的な首都でした。当時の東アジアのグローバルスタンダードである中国の制度を採り入れながらも、そこに独自のフィルターをかけることによって日本のアイデンティティを確立させたのです。

 私はいま、平城遷都1300年を記念する事業でさまざまな活動をしています。そのなかに荒井知事の提唱によって始まった「弥勒プロジェクト」があります。東アジアの方々との交流を進めて「知のネットワーク」を形成しようというものです。なぜこのようなプロジェクトが「弥勒」と名付けられたのか、「弥勒」とはいったい何なのか、そのことについてまず一言話しておきたい。


◎ユーラシアをまたいだ弥勒信仰

 弥勒菩薩は56億7千万年後に地上に降りてくると言われている未来仏です。地球の寿命よりもはるかに遠い未来ですので、残念ながらWCRPもそこまでは続かないでしょう(笑)。でもこれはインドの須弥山の単位などから計算された時間軸で、おそらく千年先、二千年先といった意味だと思います。
 いったい弥勒菩薩がそれまでのあいだどこでどうしているのかというと、兜率天(とそつてん)という天界の一隅にあって、あらゆる苦難・矛盾・葛藤に対して、必要な言葉や計画を練っているのです。そして未来のあるときにこの世に降りてくる。これを「弥勒下生(みろくげしょう)」と言います。これはアジアにおける一種のメシア思想なんですね。けれどもヨーロッパ宗教におけるメシア思想とは少し違います。
 最近の研究で興味深いことがわかってきました。それは「弥勒下生」のことは4~5世紀に中国で漢訳された『弥勒下生経』に書かれているんですが、どうもこれが偽経らしい。つまりインドのスートラには弥勒の原型である「マイトレーヤ」は出てきても、「弥勒下生」のことは書かれていない。にもかかわらず当時の中国、韓半島、そしてその後の日本で「弥勒下生」を願う信仰が大流行しました。
 当時の中国は六朝時代でたいへんな混乱期にありました。どうもそのなかで救世主を願う信仰が広まったのではないか。それが新羅に入って貴族の若いリーダーである花郎たちの弥勒信仰を呼び、さらに日本に届いて奈良の中宮寺や京都太秦のあの有名な弥勒菩薩像となっていった。それらは半跏思惟、すなわち考えている仏さまという姿で表されています。この世の混乱をどうやって治めるのか、56億7千万年にわたって集中して考えている姿です。おそらくは、「いま私たちの世界は混乱しています。まだ準備ができていません。弥勒様、どうかもう少しお待ちください」という気持ちが、兜率天で思索しながら待機する未来仏としての弥勒という姿を生み出したのではないかと思います。

 弥勒の原型である「マイトレーヤ」がインドで生まれたものなのかどうかははっきりしていませんが、西方の「ミトラ神」と関連があったと言われています。ミトラ信仰は古代ローマにも入り、原始キリスト教が古代ローマ社会に定着するなかで、このミトラ神の信仰、すなわち救世主信仰を取り入れていったのではないかとも考えられています。だとすると、ミトラとマイトレーヤと弥勒は同じような起源をもって、ユーラシアをまたいで、現生のなかで未来の安寧を願う気持ちが生み出したイコンであると言えるでしょう。
 そのような「弥勒」の名を戴いた弥勒プロジェクトは大変重要な役割を担うことになります。それが今日、「WCRPまほろば大会」とも結びついたことは、おそらく1300年前からの因縁と必然性をもっていたのだろうと思います。


◎「まほろば」のモデルとしての能舞台

 さて、今日の本題に入ります。この大会では「まほろば」という日本語が共通テーマになっているということですが、「まほろば」という言葉は言語学的には難しい語源をもっています。『万葉集』には「まほろば」という言葉はなく、「まほら」という言葉がたった3首の歌のなかで使われているだけです。「まほろば」を有名にしたのは、日本が初めて編んだ正史である『古事記』のなかに出てくるヤマトタケルの歌ですね。
 「大和は 国のまほろば たたなづく青垣 山籠もれる 大和し うるはし」。
 この大和の土地はすばらしい、美しい、永遠なる土地である。このような場所こそ私の国にふさわしい。そういう歌ですね。
 「まほら」あるいは「まほろば」の「ま」は、完全なるものや真実であることを意味します。「ほ」は何かの先端やそこに栄えるものという意味です。「まほ」とは、何かの姿や様子が完璧に整って美しい状態になっていることをあらわしています。たとえば、稲のなかに一番勢いを持って育った稲穂があればそれが「まほ」です。そのような「まほ」がたくさんあるところを、「まほら」「まほろば」と呼んだのです。

 ここで通訳の方には申し訳ないですが、予定していた原稿にはなかった話をしばらくします(笑)。私が立っているここは、能舞台です。私は、能舞台こそは、今日に伝わる私たちの「まほろば」のモデルのひとつではないかと考えています。
 能の主人公たち、すなわちシテは、ほとんどが亡霊かまたは神仏です。死んでもなお何かを超えていかなければならない宿命を負った者たちです。そのシテたちとこの舞台で遭遇するワキは、現世に生きる者であり、たいていは旅の僧です。
 僧が諸国を巡って旅をしながらある場所を訪れると、そこに荒れた寺がある。じつはそこはかつて栄えた都や貴族の由来をもった場所であり、その由来にかかわる人物が仮の姿で登場してくる。そこから、100年、あるいは500年を超えたドラマが展開していく。これが有名な「複式夢幻能」というものです。
 シテは向こうにある鏡の間から、ゆっくりと橋掛を通って舞台に出てきます。一歩を千年の思いで摺り足しながら登場します。そうしてこの世の者ではないものたちが過去から現在にワープしてくる。そうしてワキの前でかつての栄華を現出させる「移り舞い」を見せ、最後にはふたたび橋掛の向こうに帰っていきます。そのときには、シテは過去に帰るのではなく、未来に向かって帰っていくのです。

 能は音楽劇です。舞台にはシテやワキのほかに地謡がいますがこれはコロス(コーラス)です。また能管・小鼓・大鼓だけですがオーケストラもいます。ところが、ヨーロッパとは違って、能のオーケストラはとても不思議な構成になっています。能管・小鼓・大鼓はわざとチューニングができないようにつくられているのです。笛はわざと毎回ちがう音が出るようにつくられている。小鼓はつねに湿らさないといい音が出ない。大鼓は逆に乾かさないといい音が出ない。いったいどうしてこういうことで演奏ができるのか。それは心を合わせるからです。音を超えて心で合わせることを重視しているのです。その日最初に鳴る笛の「音取り」をもとに、その日の舞台の音を合わせていくのです。
 
 能のシナリオの大半は、仏教・儒教・神道・民間信仰・道教を組み合わせてつくられています。能はたいへん宗教的な芸能なのです。そしてそれ以上に、「まほろば」という言葉の奥に本来あるはずの、勇気や闘いや変化、チェンジを思い出させてくれます。こういうことは、『古事記』のヤマトタケルの一節を語るだけではどうしても伝わりません。
 今日、私は、このWCRPがさまざまな活動を通して変化をダイナミックに起こそうとしていることを知り、能舞台の上で「ARMS DOWN(軍縮)」のための活動報告が行われるのを聞きながら、これこそが新しい「まほろば」のモデルになるはずだと思ったわけです。


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◎生命の歴史と宗教の歴史をつなぐ

 私は情報編集を仕事としています。なかでも歴史情報を大事にしています。生命の歴史と宗教の歴史をとくに重視しています。そして、生命と宗教の歴史はつながらなければならないと確信しています。
 生命は、地球がまだドロドロのスープ状だったころに誕生しました。海浜部の粘土質のところに、おそらくは宇宙のどこからかやってきたメタプログラムがプリントされたことから生命がスタートを切ったというふうに考えられています。その後、長い時間をかけて生物進化があり、やがて神経系が発達し脳がつくられ哺乳類が生まれ、ついにヒトザルからヒトになるときに直立二足歩行が始まり、脳が爆発的に大きくなった。それによって言語が生まれた。これらはすべて情報のダイナミックな歴史であるというふうに私は見ています。
 人類は言語をもった直後に、早くも神や死者の世界を感じるようになりました。それが宗教の起源になった。地球上のさまざまな民族がそれぞれ自分たちの言葉をもち、その言語の違いにもとづきながら違った宗教を発達させた。おそらく、全生命の歴史のなかに、人類が神を想定せざるをえない大きな情報の流れが続いてきたのだろうと思います。生命そのものが、原始的な生物から爬虫類や魚や鳥や多様な動物へと分化しながら、環境変化のなかで生き抜いてきた。そのような生命の歴史と、人間が古代からたくさんの神仏を生み出し多様な信仰活動をしてきた歴史を、つないで考えるべきではないか。
 生命の歴史と宗教の歴史をつなげることによって、人類が地球に誕生した当初から、宗教が生み出された当初から、すでに世界は多様性のなかにあったのだということを、今日的にもう一度捉え直していくべきではないか。私はこれからもそのようなことを編集工学のテーマとして取り組んでいきたいと考えています。


◎日本の「引き算の美」をとりもどす

 「弥勒プロジェクト」として奈良がやろうとしていること、WCRPが世界の言語多様性・生物多様性・宗教多様性を大事にしつつ、それを超えてつながろうとしていること、そして能舞台のこのわずかな大きさの空間で日々演じられていることが重なり、この「まほろば大会」となったことは、今後長きにわたって語りついでいくべきことだと思います。
 そして「まほろば」というものを21世紀的に考えるためには、日本がこれまで歩んできたさまざまな歴史や苦難の道と、世界がへてきた宗教の多様な道をともにはらんでいくべきだと思います。

 かつて日本にはマイナスを恐れない、「負の美意識」「引き算の美学」というものがありました。その代表的なものは枯山水です。枯山水とは、山河の清い音を聞きたい、それを心で感じたいから、水を抜いてしまった、そういう庭園様式です。能もそうです。この能舞台には空っぽといっていいほどに何もありません。シテの演技にも、テル、クモル、シオル、キルというたった4つの所作しかありません。それだけであらゆる感情を表現します。これも引き算の美です。
 ワビ・サビもまたそうです。「ワビ」というのは「詫び」がもとになっています。「持ち合わせがなくてごめんなさい、こんなものしかありません」というのが侘び茶の精神です。そこには、何もないところに新しいおもしろさを発見しようとする美意識が含まれているんですね。「サビ」は「寂び」が本来の意味です。つまり、さびしいところから何か新しいことをスタートさせたいという美意識です。
 残念ながら、いま日本は物質的な過剰のなかで、「負の美意識」「引き算の美学」を忘れつつあります。多くの機能をもった便利な機械に囲まれて、マイナスすることを忘れています。けれども、これから私たちが再発見すべき「まほろば」のなかでは、多様性ということを大事にしながらも、たくさんのモノや力ではなく、引き算によって調和をめざしていきたい。そういう精神を大事にしたい。そのように思います。

 これからも皆さんのダイナミックな活動を期待しています。私のつたない話はどうぞさておいて(笑)、ぜひこの能舞台と「まほろば」とWCRPが特別な縁によって出会ったということだけは、今後も折々思い出してください。


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【追記―宣言文を討議する全体会議でのセイゴオのコメントより】

 セイゴオの基調講演後、本大会の宣言文などをめぐって討議する2つの分科会が開かれ、最後にその成果を統合する「全体会議」が行われました。再びセイゴオが登壇し、次のようなコメントをしました。

 これだけの多様な宗教が「コレクトからコネクトへ」という共通した思いを持ちながら、まだまだ障碍を抱えているのだということを痛感した。宗教と平和がラディカルな話題にならざるをえないのは、資本主義があまりにも巨大になりすぎていることが関係している。かつても世界は大恐慌などの危機を体験してきた。いまはその大恐慌を避けるかのように世界のシステムが協調しあいながらも、過剰な資本主義を驀進させつづけている。
 またこの資本主義に、いまは電子ネットワークがぴったりとくっついている。インターネットを通じて、どんな信仰や信念よりも速く、大量の同じメッセージを世界中にばらまくことができる。そこにマネーがつながっている。いま宗教は過去の全歴史と比較しても、未曾有の体験をしているのだと思うべきだ。
 この時代、「悪」の問題や葛藤の問題を排除したのでは、宗教は力を失っていくと思う。
 「まほろば」のようなよき場所、ヒューマンサイズの最適な場とネットワークが、まずはっきりと宗教のなかから芽生える必要がある。しかし、それらの小さなものが出会う場のあいだから、おそらく大きな「悪」の問題も浸み出してくるはずである。そういうことまでを最初から前提としなければ、21世紀の宗教者の行動はつくれない。
 もちろん、まなざしや手の暖かさはいつの時代も大事である。しかし、それを世界に広げようとするときに、本大会で皆さんが検討していることは、すでに資本主義が行ってきたこととほとんど変わらない。個々の自由の獲得が全体の調和を生み出すといったことは、アダム・スミス以来言われてきたことである。もし個の自由と全体の調和を、資本主義的ではない方法で宗教が説くのならば、もっと新しいシナリオをつくる必要がある。
 そのためには、「まほろば」のなかに、矛盾や葛藤や悪、弱さや少数性、ロジックの不整合、アマルティア・センのいうような「非合理性」、非論理性、もっといえば「複雑なもの」を取りこんでいく必要がある。「まほろば」はやわらかく美しいものだが、いまやそういうものすら、複雑性を取りこんでいかなければならない時代である。
 大変なことだと思うが、宗教者の皆さんは全歴史を検討しなおし、全経済史と対決していくことも必要だ。利子とはなんなのか、蓄積とは何なのか、人のこころがそれによってどう満たされるのか。マネーによって奪われた本来の「富」というものをどう取り戻せるのか。制度改革こそが格差解消になるのだという資本主義者のやり方に対して、宗教的な幸福をどう持ち出していけるのか。ぜひそういうことにも取り組んでいってほしい。

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レポート・撮影:太田香保

投稿者 staff : 15:39

2010年9月14日

News アカデミーヒルズ六本木スクール講演

 9月30日(木)、六本木のアカデミーヒルズで毎月開催しているリレーセミナー「VISIONARY INSTITUTE(ヴィジョナリーインスティテュート)第6回」にセイゴオが出演します。これまで出演された野中郁次郎さん(一橋大学 名誉教授)、グエナエル・ニコラさん(デザイナー)、伊藤俊治さん(東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授)、福原義春さん(株式会社資生堂 名誉会長) 、山本哲士さん(東京藝術大学客員教授)のバトンをうけて、セイゴオは「言語のイノベーション 未来が出現する編集技法」をテーマに話します。なお、本セミナーで各界の知識人をコーディネイトするのは、編集学校師範でもあるMCプランニングの薄羽美江さんです。

VISIONARY INSTITUTE - 2010 Seminar
『今、私達が学んでおかなくてはならないこと―確かな未来創造へのマイルストーン』
第6回 「言語のイノベーション 未来が出現する編集技法」
講師 松岡正剛

<日時>2010年09月30日 (木) 19:00~20:30
<会場>アカデミーヒルズ(六本木ヒルズ森タワー40階もしくは49階)
<受講料>5,000円(1講座につき)
詳細・お申込みはこちら→ http://www.academyhills.com/school/detail/visionary100930.html

投稿者 staff : 00:34

2010年9月 9日

News 松屋銀座「銀座目利き百貨街」に出店

 建築家、デザイナー、写真家、職人、骨董店店主、茶道家、プロデューサーなど、様々なジャンルの49名の〝目利き″が思い思いのお店を展開する「銀座目利き百貨街」に、セイゴオも店主の一人として参加しています。店名は「見開屋(みひらきや)」、自作の〝見開き“の作品を販売。場所は、松屋銀座8階の大催事場。期間は9月9日(木)~9月14日(火)の一週間。

銀座目利き百貨街 -2010年度 日本デザインコミッティー企画展-
【期間】2010年9月9日(木)~9月14日(火)
【場所】松屋銀座8階大催場
【開催時間】午前10時~午後8時、9日は午後7時閉場、最終日5時閉場(入場は閉場の30分前まで)
【入場料】一般800円・高大生600円(中学生以下無料)

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【出展者】
◎イッポン、イッポン、ニッポン堂 浅葉克己
◎二代目蘆原屋 芦原太郎
◎深澤時計店 深澤直人
◎本家 原やんけ堂 原 研哉
◎恩古堂 北川原温
◎クマヤ 隈 研吾
◎見開屋 松岡正剛
◎傘燦々 中條正義
◎杉本昭和堂 杉本博司
◎佐藤くたくた堂 佐藤 卓
                        ほか延べ49店

詳しくはこちら→ http://www.matsuya.com/ginza/topics/100901e_mekiki/index.html

■追加情報:9月9日オープニングパーティ関係

 9月9日夕刻、出店者および関係者が一堂に集まってオープニングパーティが開催されました。企画のコミッショナーである原研哉さんが「キラキラした綺麗なものではなくて、味のあるもの、パーソナルなもの、泥くさいもの、ほっとさせるものなど、私たちの生活に密着したものを集めてお見せしたかった」と話したあと、各店舗の屋号のデザインを担当した佐藤卓さん、会場構成を担った小泉誠さんのメッセージがつづき、ここで出店者を代表してセイゴオがごあいさつ。「銀座目利き百貨街。〝銀座″と〝目利き″と〝百貨店″という3つの重要なキーワードが面白く立ち上がった仕上がりだと思います。これからは、本筋・王道だけではなくて、よそ見やわき見をしながら、少々ずれたり変わったりすることが大切な時代になるかもしれません」。

その後、49店を巡りながら普段では見られない逸品、稀少品、珍品の数々に感心しつつ、杉本博司さん、佐藤卓さん、深澤直人さん、小泉誠さん、ナガオカケンメイさん、そして原研哉さんらと談笑していました。

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投稿者 staff : 18:10

2010年9月 6日

News セイゴオ出演『シリーズ世界遺産 一万年の叙事詩』

9月7日(火)から衛星ハイビジョンで放送される「シリーズ世界遺産 一万年の叙事詩(全9回)」に、セイゴオがコメンテーターとして出演します。編集工学研究所の書棚空間を番組のキーステーションに見立てて、実際に世界遺産を訪ねた「旅人」(レポーター)の報告をうけながら、それぞれの世界遺産の時代背景や、また同時代的な関係性について独自の視点からの話題を展開していきます。

9月は第1回から第3回までの“古代篇”の放送を予定。さらに12月以降は、〝中世篇″と〝近代篇”が続きます。

放送第1回目は、『文字なき世界の文明』。無文字時代に人類が残した痕跡の意味をさぐり、定住生活が生み出す「ここ」と「むこう」の観念の発生とともに、「むこう」からやってくる希少性がもたらした新しい価値をめぐる交易や産業化の歴史を振り返ります。第2回は四大文明を取り上げながらグローバリゼーションを概観する『知は連鎖する』。第3回は東の秦・漢と西のローマを対比させながら帝国の広がりと各地域におこる葛藤に焦点をあてる『中華VSローマ』(予定)。

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第一集 先史時代―-――文字なき世界の文明(BC8000年~3000年)
  本放送 BShi(衛星ハイビジョン) 2010年9月 7日(火)20:00~21:29
  再放送 BShi(衛星ハイビジョン) 2010年9月11日(土)13:30~14:59
  再放送 BShi(衛星ハイビジョン) 2010年9月14日(火)12:30~13:59
   *旅人 華恵さん
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第二集 四大文明―-――知は連鎖する(BC3000年~BC1000年)(仮)
  本放送 BShi(衛星ハイビジョン) 2010年9月14日(火)20:00~21:29
  再放送 BShi(衛星ハイビジョン) 2010年9月18日(土)13:00~14:29
  再放送 BShi(衛星ハイビジョン) 2010年9月21日(火)12:30~13:59
*旅人 石川直樹さん、 華恵さん
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第三集 帝国誕生―-――中華VSローマ(BC1000年~AD700年)(仮)
  本放送 BShi(衛星ハイビジョン) 2010年9月21日(火)20:00~21:29
  再放送 BShi(衛星ハイビジョン) 2010年9月25日(土)13:00~14:29
   再放送 BShi(衛星ハイビジョン) 2010年9月28日(火)12:30~13:59
    *旅人 刈谷俊介さん、華恵さん
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詳しい内容はこちら
http://www.tvu-seisaku.com/program/isan.html

投稿者 staff : 20:13