セイゴオちゃんねる

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2010年4月20日

News 平城遷都1300年記念経済フォーラム申込受付開始

5月13日(木)13:30より、大手町・日経ホールで「平城遷都1300年記念経済フォーラム」が開催されます(奈良県・日本経済新聞社共催)。本フォーラムは2009年度に東京丸の内・奈良市内で開催された「日本と東アジアの未来を考える」シリーズの第3回目。松岡正剛が構成、モデレーターをつとめます。

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平城遷都1300年記念経済フォーラム
2010年からの転換と展望―日本と東アジアの未来を考える

<日時>  2010年5月13日(木)13:30~17:00(開場13:00)
<会場>  日経ホール(東京・大手町)

<出演者>
榊原英資氏(青山学院大学教授)
原丈人氏(デフタ パートナーズグループ会長)
上垣外憲一氏(大手前大学総合文化学部教授)
新浪剛史氏(株式会社ローソン代表取締役社長CEO)

モデレーター:松岡正剛(編集工学研究所所長)

<入場料金>  入場無料(事前申し込み制) 定員550名

<主催>  奈良県・日本経済新聞社
<後援>  (社)平城遷都1300年記念事業協会


お申込み方法はこちら↓

■参加お申し込み方法

ハガキ、FAX、インターネットのいずれかの方法で、事前にお申し込みください。
折り返し受講票をお送りします。応募者多数の場合は抽選のうえ、受講券をお送りします。

◇ハガキまたはFAXでのお申し込み
郵便番号、住所、氏名、企業・団体名、部署・役職、電話番号、E-mailを明記のうえ、
下記宛にお送りください。

 ハガキ 〒540-8588 大阪市中央区大手前1-1-1 
 日本経済新聞社大阪本社クロスメディア大阪営業局H係

 FAX 06-6941-8232

◇インターネットでのお申し込み
 下記のホームページから、必要事項を入力のうえお申し込みください。
  http://www.nikkei.co.jp/adnet

*お申し込みいただいた個人情報については、受講券送付など本シンポジウムの
実施目的にのみ利用いたします。

◇申込締め切り 2010年4月28日(水) 

■お問い合わせ 
受付時間 10:00~17:00 土・日・祝を除く

*受講、お申し込み方法などに関するお問い合わせ
 日本経済新聞社 クロスメディア大阪営業局
 TEL:06-6946-4229

*内容に関するお問い合わせ
「平城遷都1300年記念経済フォーラム」事務局
 〒107-0052 東京都港区赤坂7-6-64 編集工学研究所内
 TEL:03-3568-2100


■会場への行き方:日経ホール(東京・大手町)

〒100-8066 東京都千代田区大手町1-3-7 日経ビル3階
千代田線[大手町駅]中央改札より徒歩4分
丸ノ内線[大手町駅]鎌倉箸方面改札より徒歩5分
半蔵門線[大手町駅]大手町方面改札より徒歩5分
東西線[竹橋駅]大手門口改札より徒歩3分
三田線[大手町駅]大手町方面改札より徒歩6分
【地下鉄大手町駅下車C2b出口直結】

投稿者 staff : 01:28

2010年4月19日

Publishing 『白川静読本』の巻頭対談に登場

 白川静さんの生誕100年を記念して刊行された『白川静読本』(平凡社)の巻頭で、五木寛之さんとセイゴオが「呪能と歌の心-白川静」をテーマに特別対談。ほかに、浅葉克己さん、荒俣宏さん、杉浦康平さんら、白川漢字学に通じる47名の作家や学者やアーティストのみなさんが、それぞれエッセイを寄せています。

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 また3月14日・21日付「産経新聞」の文化欄でも「白川静と出遊」をテーマに特集記事が掲載され、ここでもセイゴオは長女の史さん、門下生とともにインタビューを受け、 「遊という文字こそは白川さんの送った日々、人生全体を象徴している」と語っています。

 

以下、『白川静読本』の五木寛之さんとセイゴオとの対談の一部をご紹介します。


松岡:言葉は口(サイ)の中に収められていてすぐに出ないようになっている。もし言葉を安易に使ったらあなたは殺害されるかもしれない、壊れるかもしれませんというふうに考えるのが白川説なんです。

五木:漢字というもの、字というものが、ものすごく特権的な、そういう核兵器のような大きな力を持ったものであって、できるだけ権力側ではそれを民衆に使わせることはしないで、大事な時に役立てると。ある意味では人間を支配する上で強力な武器でもあったと思うのです。


松岡:陽明学では「事上錬磨」といいますが、事の上で詩を作るというか、現場で生まれたイメージが一番すごいということです。白川さんの言葉でいうと「興」ですね。この「興」によって詩を書く精神に対する共感は白川さんの中でずっと、一回もぶれないものであったように思います。

五木:漢詩の一番の醍醐味というのは、たとえば、「妻は病床に臥し、児は飢えに泣く」、それでも倒幕のためには出ていかなきゃいけないみたいな悲壮美にありますね。それが、福井の風土と共通しているのかもしれません。

五木:白川さんと内藤湖南らの東洋学の関係を考えたり、松岡さんの話を聞いているうちにぼんやりとしていたものが少しずつ浮かび上がってきたんですけど、僕は今まで定住民と流浪民というように二分して考えていました。そこへ白川さんが入ると、ここに「定住流民」というまったく新しい観念が出てくるんです。

松岡 :それこそ私たちが忘れてきたもので、僕もナム・ジュン・パイクから教わったんです。国家とか資本主義というのは定住から発達したから遊牧の記憶がない。そこでナム・ジュン・パイクは、「遊牧的記憶こそが定住化した」というようなアートを作りたい、それが白川静にあるといったわけです。

投稿者 staff : 19:51

2010年4月15日

Publishing 男の隠れ家

雑誌『男の隠れ家』(2010年5月号)の特集「大人の学校」で、セイゴオが「多読術」をテーマに誌上授業。

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読書は人との交際です。

 そう語るセイゴオは、本のアトサキや本との距離感、メインに読むものサブに流すものなど、いろんな本との「交際」をしておくことがなにより肝要と説きます。読書スランプに陥ったときのために、すばやく読める定番本を用意しておくこともお薦めとか。
 多読によって日ごろからエクササイズやストレッチを心がけ、一冊の本を読み終わったらその体験を次の読解力につなげていくこと、そのためにも「目次読書法」や「マーキング読書法」などの技法も身につけること、独自のノートをつくることなども提唱。
 セイゴオ多読術とは、空振り三振を恐れずに、アスリートのように本を読みつづける、身体的で実践的、タフでセンシティブな編集読書そのものなのです。 

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■『男の隠れ家』 5月号
発売 2010年3月27日
発行 グローバルプラネット
定価 680円(税込)
* 松岡正剛「特集 大人の学校 誌上授業-多読術」収録

投稿者 staff : 01:45

2010年4月14日

Diary セイゴオがモデルに-「YOUJI YAMAMOTO THE MEN」

 2010年4月1日、セイゴオがヨウジヤマモトのメンズコレクション「YOHJI YAMAMOTO THE MEN 4.1 2010 TOKYO」にモデルとして出演しました。会場は3000人を収容する国立代々木競技場第二体育館。しばらくパリを発表の場としてきた山本耀司さんにとって、東京でショーを開催するのは約20年ぶり。デザインの価値をあらためてこの国に提示したいという強い理念のもと、かかげられたテーマは「日本」でした。

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 今回のショーでランウェイを歩く顔ぶれは、プロのモデルたちではなく、耀司さんが「日本」を想うときに頭に浮かべる“男のなかの男”たち。セイゴオのほか、石橋蓮司、ムッシュかまやつ、椎名誠、宇野亜喜良、あがた森魚、トルシエ、加藤雅也、SABU、近藤良平とコンドルズら約40人が集結しました。古くから耀司さんと親交が深い方々が顔を連ねるなか、初めて挨拶を交わしてから5日足らずというセイゴオが出演するのは少々“変りダネ”でしたが、セイゴオのモデル出演は耀司さんのたっての依頼だったのです。

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 じつはセイゴオと耀司さんのあいだにはいろいろなセレンディピティが重なっていました。テーマが「日本」であることにちなんで、照明・演出の藤本晴美さんが耀司さんに『日本流』を贈ってくださったこと。それ以来、耀司さんはセイゴオに「淫読しています」と語るほど『日本流』に心酔しておられてきたこと。一方セイゴオも、もともと耀司さんに関心をもっていたことに加え(けっこう着ています)、藤本さんから格別なショーのプランを聞かされてきたこと。これらすべてが4月1日にセイゴオを舞台へいざなったのです。

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 ショーの当日。楽屋で出番を待つセイゴオは、ミリタリー・ルックのシルクのスーツと襟元にアクセントがある白いワイシャツに身を包んでいました。三宅洋平さん率いるALBATRUSによる「赤とんぼ」「しゃぼん玉」などの童謡の生演奏がゆったりと流れる中、いよいよ開演です(『日本流』の童謡の話しにヒントを得た選曲だとか)。緊張顔の友人モデルたちの着こなしに細かく手を入れていく耀司さんの姿を見つめながらも、ランウェイのようすが見られないセイゴオはちょっぴり手持ち無沙汰な様子。

 セイゴオはゲストのなかでもトリを飾る大役。ようやく出番が来ると、すばやく襟元を手直しする耀司さんに見送られ、ランウェイに踏み出しました。40メートルにおよぶ透明な一本道を、一歩一歩ゆっくり踏みしめながら、緊張したようすもなく、にこやかに客席を見回していました。モデルたちに任されている最後の決めのポーズでは、ランウェイの両側の客席に向かって、深々としたお辞儀。
 のちほど、客席側で一部始終を見ていたスタッフから、「他の皆さんはすごく緊張していたのに松岡さんだけ完全にリラックスしてましたね」と言われ、「うん、だってマイクもないし、話をする必要もないし、ライトで客席も見えなかったし」と答えていました。

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 ラストには、満場の拍手のなか耀司さんが登場。「最後にもう一度ランウェイに呼びますので、ぜったい出て来てくださいね」と耀司さんから耳打ちされていたセイゴオは、他の友人モデルの皆さんを先導するように再びランウェイへ。両手を広げて待っている耀司さんに、両手を大きく広げて抱擁で応えていました。きっとこの瞬間、二人のあいだに「日本流」が流れていたことでしょう。

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レポート:和泉佳奈子
写真提供:藤本晴美・中道淳・櫛田理・和泉佳奈子

投稿者 staff : 12:45

2010年4月11日

Publishing 毎日新聞「人生は夕方から楽しくなる」

3月27日(土)、毎日新聞・土曜夕刊の連載記事「人生は夕方から楽しくなる」にセイゴオが登場しました。京都の呉服屋に生まれた幼少期の話から千夜千冊や松丸本舗のような活動まで、セイゴオがパッサージュしてきた本の想い出とともに紹介されています。


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◎人と本との出合いは思いがけないことだろうと思うんです。それが喜びであり、偶然との出合いが、その人の必然を生んでいく。そのためには、図書分類のように並べるのではなく、一種の物語にもとづいた並べ方をしようと。しかも、簡単にはわからないようにしたかった。芝居や映画を見ていて先の展開が分からなくてドキドキするような、本棚もそんな感覚で見られたらいい。

◎千夜千冊をはじめたきっかけは、読書という行為がすごく分かりにくいと実感したからです。何をどういうふうに読めばいいか分からない。本の感想を言うことにためらいがある。だから、気が向いたときに読書をするのではなく、毎日毎夜の本との出合いを感想録にしたかった。

◎欧米にはブッククラブという本を媒介とした地域コミュニティーがある。互いに本を贈りあったり、感想を言い合ったりすることが、生活文化の重要な要素になっている。ぼくは日本にブッククラブをつくりたい。

投稿者 staff : 10:44

2010年4月 9日

News 福井県・白川静生誕100年記念フォーラム

 4月24日(土)、福井県生活学習館で開催される「白川静博士生誕100年記念フォーラム」で、セイゴオが基調講演をおこないます。テーマは「東洋と西洋のあいだ-白川静的想像力-」、講演時間は75分。

 「白川さんは故郷である福井を出てから何十年にもわたって帰ってこなかった。いったん大志をいだいたのなら、おろそかに故郷に戻るまいと決めていたのかもしれませんが、そこには万感迫るものがあったと思います。というのも、さまざまな随筆や発言から察するに、白川さんは福井のことをいっときも忘れていないのです。それどころか福井県出身の二人の先人の跡を継ごうとしているようなところがあった。その二人とは、一人は橋本佐内、一人は橘曙覧」。  (松岡正剛『白川静』より)

 のべ3時間におよぶフォーラムは、セイゴオのほか長女の津崎史さんら白川さんゆかりの方々も登場します。

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白川静博士生誕100年記念フォーラム

◎日時:2010年4月24日(土)
      開会13時(開場12時15分) 閉会16時

◎会場:福井県生活学習館(ユー・アイふくい)多目的ホール
      福井市六条町14-1

◎問い合わせ:福井県教育庁生涯学習課
          電話 0776-20-0559
          FAX 0776-20-0668


○内容
 <式典・講演会>  多目的ホール   開場12:15

1.古代文字書道パフォーマンス   13:00~13:30(30分)
  古代漢字女流書家 : 安東 麟 氏
  嶺北養護学校高等部 : 鰐渕 貴広 氏

2.県からの挨拶            13:40~13:45(5分)
  知事

3.父の思い出を語る         13:50~14:00(10分)
  白川静博士御長女 : 津崎史 氏


4.福井県の白川文字学の取り組み   14:05~14:35(30分)
  鯖江市江中学校教頭 : 三津谷雅美 氏
福井県教育庁義務教育課指導主事: 福本ゆうみ 氏

  (休憩)

5.講演会              14:45~16:00(75分) 
  「東洋と西洋のあいだ」-白川静的想像力- 
   松岡 正剛 氏


投稿者 staff : 12:45

2010年4月 1日

Report 明大国際日本学部「劇薬」ソロトーク

 3月30日(火)、明治大学国際日本学部主催による、セイゴオの特別講演会「世界と日本の見方―神と仏と鬼と夢」が開催されました。

 講演に先立ち、まず仕掛け人でありセイゴオの旧くからの友人でもある高山宏さんが冒頭の開演挨拶で、「学部ができて2年目の総括として、松岡さんから“国際日本”の捉え方を聞きたかった」と、独得の高山節によってセイゴオを紹介しました。
 70年代に「遊」をがぶ呑みするほど読んだという高山さんは、「当時、学際を取り払う技術はみんな松岡正剛をモデルにした」と語り、バブルが崩壊した90年代以降のセイゴオの一連の「日本語り」は、「学際から国際へという季節の変わり目に、次の季節を提示する」試みだったことを示唆しました。
 「際(キワ)から際(キワ)へと向かう松岡正剛こそキワモノである。今日の講演会はひとつの事件である。そういう認識で聴いてもらいたい」と、学部生をアジテーションして締めくくった高山さんの紹介を受けて、セイゴオは日本の「キワ」にまつわる話からゆっくりと語り始めました。

 この日のために用意した歴史ビデオ(セイゴオが監修した「XYZ日本史」「新代表的日本人」)を上映しながら、大航海時代の日本のキワを入り口に、いったん古代グローバリズムのなかの日本のキワを見つめ、そこから一挙に明治維新というキワに迫るという、高山さん好みなアクロバティックなトークが展開していきました。

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セイゴオの講演要旨はこちら。

セイゴオの講演(抄録)

■「あいだ」と「内」と「外」

 世界も社会も人間も精神も身体もすべて、インターフェースというものがないと、「内」と「外」はできません。内側も外側もなければ、日本もアメリカも太平洋もない。日本のキワを考えるまえに、「途中にあるもの」を重視してほしい。ただし、何が「内」で何が「外」か、そこを見きわめることがたいへん難しい。われわれの皮膚は「内」か「外」かといえば、両方を占めているものです。フランスの哲学者のアンジューが「皮膚自我」とも言ってますが、皮膚にも自己がある。
 ヨーロッパでは境い目のことを「リメス」と呼びます。「リメス」がないと、「内」と「外」が生まれない。ただし、「内」と「外」が最初からあるというふうに考えたのが、ギリシア、ローマ、ラテン哲学でした。日本や東洋は、つねにその「あいだ」にあるものから入っていきます。最初は空間を測る単位だった「間」(ま)という言葉を、やがて空間そのものとして捉える言葉になったように、マージナルにできたものを中央にもってくることが、とりわけ日本には多い。

 今日の日のために、「神と仏と鬼と夢」という書を用意しました。いずれも日本の“あいだ”に出入りしたものです。それは見えるものもあれば見えないものもあり、夢うつつにやってくるものです。そのような日本が、世界や海外というものを、どのように日本に出入りさせてきたのか。今日はそこをごくわかりやすく、かつて私が小中学生むけにつくったビデオを折々見ていただきながら話します。

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■法華衆とキリシタン―近世日本できびすを接した国際性

 (「XYZ日本史」を見せながら)日本はたとえば、カスティリア王国をカステラにする、というように、むちゃくちゃなこともしています。それはいったい輸入なのか翻訳なのか交流なのか。そのすべてであるともいえる。ぼくは小さいころラムネが大好きでしたが、あるときロシア人から「ラムネはレモネードがもとになっている」と聞いてびっくりしました。そういうことがつねに日本におこってきました。いま日本人ははたして英語を学ぶだけでいいのか。未知なカスティリア王国の面影を感じながら、カステラまで飛んでいく日本のほうがおもしろいとぼくは思います。

 室町中期ごろ、京都に、町衆という新しい文化の担い手が登場しました。いまも京都でおこなわれる祇園会は、もとは御霊会(ごりょうえ)という行事でしたが、牛頭天王(ごずてんのう)という、おそらくスサノオを源流とする不思議なイコンによって祭を変え、さらに町衆のシンボルとして、海外の文物を山車に飾り立てました。このように、場や担い手が変わるとき、日本はたいへん思い切ったことをするのです。
 町衆は、法華経をかかげてある種のチビ宗教革命さえおこしました。日蓮の解釈にもとづいて国家安寧を論ずる法華経は当時の天下人に脅威を与えましたが、職能でつながりながらコモンズをつくるための宗教として、日蓮法華は町衆を惹きつけていきました。そのなかから本阿弥家という刀の目利き一族も狩野派の一族も登場しました。
 じつは、信長が殺された本能寺も、法華21カ寺のひとつで要塞とも呼べるような武力をもっていました。力をもちすぎた法華衆は、「天文法華の乱」によって弾圧され、いったん堺に逃げおちます。そこで今度は納屋衆という自治組織が生まれ、土佐経由で東南アジアに貿易ネットワークを広げていきます。その堺から千利休が生まれ、茶の湯を携えてもういちど京都に戻ってくる。
 このように、キワを知ったものが、キワのほうから洛中にふたたび戻ってくる。日本の歴史を見ているとこのような動きが繰り返されています。空海もまさにそうでした。空海はたった2年で唐留学を切り上げ、すぐには京都に入らずにまず博多にとどまります。このとき十三尊曼荼羅のようなエチュードを試み、京都に入ったときもまず郊外の神護寺へ行き、その後ようやく洛中の東寺に入った。このようにしてキワをもちこんでつくられた場所が、日本の場合ではもっとも国際化するのです。

 そこにいよいよ国際的な先兵もやってきます。キリシタンです。法華衆とキリシタンこそは世界史においてもいちばん遠いもの同士です。だからこそ信長は彼らに宗教論争をさせようとした。キリシタンと法華がわずか十数年のあいだで堺のなかできびすを接していたのです。たいへんきわどい国際性ともいえるでしょう。

 いま日本はモデルがつくれなくなっています。グローバリズムをなんでもすべて受け入れてしまう。私はこれまで「苗代」をつくりなおすべきだということを書いてきました。アジアの天水農業が入ってきても、日本では台風や気候のせいでイネが自生できない。そこで苗代をつくり田植えをする独得の稲作農業をつくりました。このように、グローバルを受け入れるだけではなく、それをいったん苗代にする。日本はわずか数十年でそういったことをやってのけることがあったのです。戦国時代も幕末もそうでした。
 技術革新も独得でした。鉄砲が伝来すると、刀鍛冶がみんな鉄砲鍛冶になり、いったんは鉄砲を発達させますが、江戸時代になると鉄砲を禁止してしまう。これは世界史的にも軍縮の先例としてめずらしいことです。どこまでもイノベーションを進めて国際競争に入っていこうとするいまのやり方とはちがいます。でも日本には、技術を取り入れてから、いったんあるものにして、それをやめてさらにべつなものにしていく、組立てなおすという方法があったのです。そうしてコシヒカリのようなおいしいお米を生み出す。鉄砲もそういうものでした。鉄砲を捨てた鍛冶職人たちは、なんと花火職人に転じていくのです。

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■稲と漢字の編集術

 このような日本の方法、アジア的な国際性について、少し歴史をさかのぼって見てみたい。「稲・鉄・漢字」という古代グローバル社会の文物のすべてを独自に日本化した秘密はどこにあったのか。

 (映像「XYZ日本史」を見せながら)日本人は世界にさきがけて縄文土器を生みましたが、そこへイネが入り弥生土器に切り替わりました。それは選択だったのか、侵略だったのか、あるいはオプションなのか。いま日本が見えなくなっているのはそこですね。仏像も最初は蕃神と呼びました。こう名付けた瞬間に、日本と国際のあいだのインターフェースがたちあがる。そこにはつねにズレがある。それを自覚しながら、日本は独自な文化にしていくのです。稲作技術が入ると苗代にし、日本の精霊=魂を稲荷(イナリ)のようなものにする。
 富山にはアエノコトというぼくの大好きな祭りがあります。収穫後の田んぼから見えないカミを迎えて、家のなかでもてなすパントマイムのような祭りです。でもこういう伝統行事をやる家も、70年代には数百軒に減り、90年代は数十軒になり、いまは数軒しか残っていません。
 もともと日本のカミもホトケも、大陸や韓半島からきたものが多く、日本はそのかたちを変容して信仰してきました。祇園祭の牛頭天皇もいまだによくわからないカミです。牛の頭だからたぶんインド的な神が元になっているのでしょうが、でもそういうものをすべて説明しないで、あるものにして祀っておく。これは説明にかわるメソッドです。いまは説明責任ばかりが問われる時代ですが、見えないものを見えないままにしておきながら、それをどうやってもてなすか、そこにすべての選択や工夫をこらしていく。そういう方法をあえて日本は残してきたはずです。

 ぼくの仕事も、学問でもビジネスでもないものです。ディレクションとも呼べるし、執筆もします。一貫して考えてきたことは、ある意味はある「かたち」をともなうべきであるということです。思想や主義を考えるのもだいじですが、それは必ず動いていくものです。生命の動的秩序によって生まれてきた私たちにとって、どんな情報も意味も「かたち」をともなっていくということを大事にしたい。あるものがあるところへさしかかると意味変容をおこす、そこを考えていきたい。
 いまの時代は、「バベルの塔」が崩壊していったん分かれたそれぞれの意味というものを、わざわざつぶして再統合化しているようなものです。たったひとつの言葉をグローバルにしようとしている時代です。でもそんなやり方でいいとは思えない。

 縄文の火炎土器はわずか数十年しか続かなかったけれども、永遠のものを生み出しました。このような動的な意味の単位をつくるべきです。そのようにしか露出できないものがあるのです。辻が花はわずか18年で消えた。尾形光琳だって100年後の抱一の時代まで忘れられていた。物質や意味や生命には、もともと持って生まれた「時計」があります。そこにトポスがありトポロジーがある。
 ぼくは日本敗戦のときに生まれ、復興日本で育ち、70年代に仲間たちとともに「遊」をつくりました。たった1号の「遊」でしかやらないことを、そのときにやりきることにしました。これが、日本がいちばんおもしろいものを生み出すときの方法です。

 何かが伝播するときの土地ごとの抵抗感が残っていると文化というものはおもしろくなります。これがインターネットや飛行機のようなものだと、文化を組み立てる見方がむずかしくなる。私はインターネットにもあえて壁をつくるべきだとおもう。中国のようなカベじゃなく、アルゴリズムのなかにもつべきだと思います。
 たとえば、出雲神話にひそむタタラの一族や、火とオロチの物語は、稲の伝説とはちがう系譜の物語です。けれどもそれがある単位、速度で進むうちに、アーキテクチャーが似たような物語同士のなかで、アーティキュレーション(分節)や単位が共有されるようになる。牛頭天王の奥にも、あらぶるスサノオ、あるいはカグツチ=火の神という見立ての文節性がある。ソフトとしてはまったくちがうものなのに、奥のアーキテクチャーは共有している。日本はここがおもしろいところです。国際性に出会うたび、担い手がかわり、法華衆と納屋衆が似ていくように遠隔作用をおこしていく。インターネットにもそれが必要だと思います。

 いよいよ日本に漢字が入ってきたときには、すべての可能性がはかられました。文字は採り入れるが中国語はつかわない。読経では漢文を直接読むが、漢音、呉音の二つの選択肢のうち、呉の面影を残す呉音を選んだ。さらにやまと言葉を重ねて表意文字である漢字を表音文字として用い、万葉仮名という新しいコードを生み出します。
 文字というものには世界観がある。漢字というものをそこから読み解いたのが白川静さんでした。20世紀、中国の殷墟から甲骨文字が発見されたとき、中国は唯物論社会でした。漢時代の『説文解字』の漢字解釈では足りないことは中国もわかっていたが、甲骨文字を解釈するときに唯物論的解釈をしてしまったのです。それを日本のアカデミー、東大・京大の漢字学者たちはそのまま受け入れていきました。けれども白川さんはただひとり、日本的な方法で漢字を独自に解釈した。
 学問というものも、往々にしてフランスの構造人類学でもアナール派でも、そのまま受け入れるということをしがちです。でもそれが日本的発想と合わないことがある。オプションは並列させたほうがいいのです。かつて日本が、ワカタケルをオオハツセとも呼び、中国的観念にもとづき「雄略」という諡号を与え、そのうえ中国からも倭王「武」と名付けられたように、王の名前さえいくつも組み合わせて並列させていたように、です。

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■明治日本の夜明けとグローバリゼーション

 最後に近代日本のキワも見ておきたい。日本は欧米をまね富国強兵に突き進みましたが、天皇という独自なものも残しました。この明治という時代をいまもう一度とらえなおすべきです。なかでも1900年=明治33年に注目してほしい。
 (「新代表的日本人」を見せながら)1900年にパリ万博があり、その前後に多くの日本人がヨーロッパに出ていきました。その一方、新渡戸稲造が英文で著した『武士道』が世界的なベストセラーになります。新渡戸は、日本固有の花として武士道を捉え、そこにキリスト教と一致するモラル、倫理のあったことを発見しました。ただしキリスト教にあって武士道にないものがあった。それが「愛」であるとも書いています。
 日本が大きく変貌しつつありました。1893年に露伴が『五重塔』を書き、1905年に漱石が『倫敦塔』を書いた、そのあいだに日清日露がありました。この二つの「塔」のあいだで、個人として国を背負って海外に行った日本人たちもいましたが、漱石のように失望した人もいました。
 国際性と日本のはざまにあった明治という時代を語るには、大帝・明治天皇を見つめるべきです。ぼくの友人でもあるアーティストの森村泰昌は、明治天皇が女として育てられたことに注目しています。その明治大帝がもっていた大きな矛盾、デュアリティ、重層性が、明治の終焉とともに崩れていきました。このとき、日本は何かに気づくべきだった。
 その何かに気付いた人々もいました。森鴎外は『ヰタ・セクスアリス』で文学界の寵児となっていましたが、明治天皇が死に、乃木希典が殉死したという知らせを聞いて、「簡浄」を見直し、殉死をテーマに『阿部一族』を著し、その後も歴史小説しか書かなくなった。鴎外を変えた出来事でした。同じことを漱石も感じた。漱石は、『こころ』のなかで、「明治の精神が天皇にはじまって天皇におわった」と記しています。

 明治という時代は、立身・立国・立志のように「立つ」がコンセプトでした。福沢諭吉も西郷も竜馬も大久保利通も伊藤博文も、みんなそのことを考えた。しかし明治は、島崎藤村が父の姿を青山半蔵に託して書いたように、「夜明け」ではなかった。竜馬は暗殺され、西郷はかつての友人に攻められて死に、大久保も紀尾井坂で殺され、博文はハルピンで安重根に撃たれて死んだ。もし明治が「夜明け」だったのなら、そこで何かがおこっていれば、こんなに死ななかったはずです。
 やはり明治という時代は、グローバルスタンダードを編集しきれなかった。それを時代閉塞の病気だと見抜いた青年がいました。石川啄木です。
 啄木はこんな歌を詠んでいます。

 「誰そ我にピストルにても撃てよかし伊藤のごとく死にてみせなむ」。

 いまの日本を、この啄木の歌が越えている。「国際日本学部」の皆さんも、ぜひこのように、日本の面影をとどめて歌を詠んでください。あとのことは高山先生に預けます(拍手)。

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高山宏:今日の松岡さんの話は、まさに至芸でした。世の中には、イネをやる人、鉄をやる人、漱石をやる人、武道の専門家もいる。けれども、今日の話のようなこの並べ方は誰もできない。最後に啄木の歌を詠んで泣いて見せる。これがすごい(笑)。
 いま、ひとりの個人のなかでも、社会でも、「つなぐ」ことがないがしろにされている。ぼくから見て本当に学際に徹した人なんていない。そしていまはまさに「国際」の時代である。キワがわかっていない人ほど「学際」とか「国際」というふうにキワを言いたがる。
 松岡さんはつねに在野に身を置いて、アマチュアの「アマ党」として「つなぐ」仕事に徹してきた。でも「つなぐ」ということは学問の根本のはずだ。大学でそういうことをやる人がいない。松岡さんに近い、同じことをやっている人は、最近みんな私塾をひらいている。鎌田東二も中沢新一もみんなそうしている。みんな松岡さんをモデルにしている。
 今日みなさんは、ふつうのひとが聞くことができない、松岡さんの私塾である「連塾」の講義をごく縮刷されたものを聞くことができたわけです。ショックを受けたことでしょう。高山としても感激しています。
 ぜひ松岡さんの本をこの機会に読んでほしい。キワにいる人間がなにをきわめているのかを感じてほしい。また再びこの会場に松岡さんがきてくれる日を楽しみにしましょう。

*レポート:太田香保
*写真:小森康仁

投稿者 staff : 16:45