セイゴオちゃんねる

« News 「ときの探訪」スペシャル番組にセイゴオ出演 | メイン | News セイゴオメディア情報(1月1日~3月1日) »

2010年3月 4日

Report エバレット&セイゴオ『日本力』トーク

今年1月に出版された『日本力』が好評の、エバレット・ブラウンさんとセイゴオの出版記念トークとサイン会が、丸善丸の内本店内の日経セミナールームで開催されました。書籍購入者先着100人に配布を予定していた入場券があっというまになくなり、当日は150人を超える入場者が詰めかけ大盛況となりました。

エバレットさんとセイゴオの出会いは1994年の「ゑびす曼荼羅シンポジウム」にさかのぼります。日本の神話や物語に描かれた数々の「欠けた英雄」たちをテーマに、花田春兆氏をはじめとするハンディキャッパーが次々と登壇し、点字や手話を駆使して論議をするという催しで、唯一“健常者”ながら出演依頼を受けたセイゴオも、おおいに感銘を受けたと語り草になっているものです(この日、会場にその仕掛け人の坂部明浩さんもお見えになってました)。

エバレットさんはこのシンポジウムで撮影をされていたのですが、セイゴオは撮影中のエバレットさんの「間合い」に感じ入るところがあり、以来、たびたび会ってはさまざまなことを話しこんできたと言います。

二人のトークは、そんな出会いのエピソードから始まり、会場のステージ横に展示されたエバレットさんの3枚の写真をめぐりつつ、『日本力』に込めたメッセージを来場者に刻印するように展開しました。

2020030401.jpg

セイゴオ:今日、用意してくださったエバレットさんの写真はいずれも『日本力』に使ったものですね。真ん中に、手のアップの写真がある。意味深いですね。

エバレット:これは人間国宝の紙漉きの岩野市兵衛さんの手です。手は『日本力』のひとつのテーマでしたね。いまの日本をよくするには、ひとりひとりが自分の掌にある力で日本をつくるしかないのではないか。いまの政治家では無理なんではないか(笑)。

セイゴオ:政治家は選挙のときの白手袋をはずさないといけない(笑)。日本語には手にまつわる言葉がいっぱいある。手本、手引き、手加減、手当…。いずれもとてもいい言葉です。もともと日本人は、舞踊や能を見るとわかるように、ふだんはそれほど手を出さない。隠しているものです。もし手が出たときは、それが扇にも刀にも、鍬にもクワにもなる。芸能はそういうことを重視している。でも、エバレットがそういうことに気がついたことにこそ、びっくりさせられます。
 右側の写真は、女形(おやま)ですね。

エバレット:日本唯一の女形芸者の栄太朗さんです。彼が化粧しているところを何度も撮りましたが、化粧しているうちに性格がかわるんです。23歳の青年から「女狐」になる。何かがのり移っていくように感じました。

セイゴオ:日本の昔話には、そんなふうにして狐にトランスする人の話がたくさん出てきます。かつてお祭りなどでも、そういうことがしょっちゅうあった。でも、いまではトランスすることが「精神病」扱いされてしまう。男たちが祭りに行くときに懐にヤッパを忍ばせたりしたのも、喧嘩をするためばかりではなく、自分を緊張させてトランスするためでもあった。それもいまだと「銃刀法違反」になってしまう。

エバレット:みんなそういうものを潜在的にもっているのだと思います。でもそれを表現する場がなくなっている。三河地方の手筒花火職人の話を聞きましたが、みんな困っていました。ひとつ事故がおこると祭りができなくなる。『日本力』のなかでもコンプライアンスの問題を取り上げましたが、そういうものが祭りの世界にまで及んでいるんです。

セイゴオ:エバレットさんは、日本がだめになったのは、太陽暦やメートル法といった欧米のレギュレーションを受け入れすぎたからだという話をされてましたね。

エバレット:太陽・太陰暦の併用は、これからのぼくのテーマのひとつです。「日本人フェロモン」を養うためには、自然のリズムにもとづいた太陰暦を取り入れるしかないんじゃないか。たとえば、種蒔きをするのは満月のときがいいのか、新月のときがいいのかといったことを昔の人はわかっていた。ケガをしたときは、満月のあとなら治りやすいといったことをみんな知っていた。だから手術するなら満月のあとがいいんです(笑)。

セイゴオ:そうだったのか(笑)。

2020030402.jpg

セイゴオ:もう1枚のモノクロの写真は、湿板写真ですね。あえて写真の黎明期の上野彦馬や下岡蓮杖の技法を使って撮ったものですが、こうやって撮ると、現代の日本の風景が明治の風景になるとエバレットさんは言ってましたね。なぜこういうことがおこるんだろう。

エバレット:ひとつには、場所をこだわって選びました。伝統を守っている祭りを選んだ。露光時間が長いから、シャッターチャンスは1回しかない。一期一会という感じがするんです。
 『日本力』の表紙の松岡さんも同じ方法で撮りました。この松岡さんはすごいです(笑)。

セイゴオ:ぼくは、表紙の写真は絶対栄太朗クンの女形がいいと言ったんだけど、編集者とエバレットがどうしてもこれにしたいと言ったんだよね(笑)。

エバレット:20秒間じっとしてもらって撮るから、その人のようすがすべてカメラのなかに吸い込まれてくるんです。こういうふうに撮られる人はなかなかいませんよ。こんなふうに、まわりがぼやけて、まん中あたりにピントが合うというのは、じつはぼくたちが肉眼で見ている世界そのものではないかと思うんです。

セイゴオ:ぼくは30代~40代のころ、原稿を書きながら、言語のスピードをめぐってそういうエクササイズをしょっちゅうやっていた。いろいろな言葉が浮かんできても、それをすぐに書こうとしないで、浮かんだ言葉のなかにゆっくり入ってみる、ということをやっていた。何かを指差すときも、うんとゆっくりやってみる(眼の前のコップをゆっくり指し示す)。そうすると、自分が向かっているものが、コップなんだか言葉なんだかわからなくなっていく。

エバレット:自分に合うスピードがあるんでしょうね。朝と夜とでも、スピードのギアチェンジを意識するべきなんでしょう。ぼくは、どうも日本の知のフェロモンは脳下垂体のなかにあるんじゃないかと思う。太陽光や月の光を見ると、脳下垂体が元気になるんです。先月の満月の夜、3時間ほど月を眺めてたんですが、ずっと見ていると月がモノクロの写真になったりポジとネガが入れ替わったりする感じがして、いろんな像が見えてきました。脳のうしろのほうが刺激を受ける感じがした。

セイゴオ:自分の身体や感覚の変容がわかると、それを言葉や発想にもつないでいくことができるんです。いまの時代は、言葉がみんなツイッター化して、からだが入る余地がない。だから肯定か否定かといったレギュレーションに侵されていくんでしょうね。

2020030403.jpg

セイゴオ:エバレットさんはずっと明治に注目して、明治の文献も読んでいますね。そこからどんなものが見えてきてますか。

エバレット:明治から150年たっていますが、日本の長い歴史のなかでは、たいした長さではないでしょう。きっと明治的な、あるいは江戸的な感覚は戦後までは日本に残っていたのではないでしょうか。それを失ってしまったのはほんの最近の50~60年のことです。だから少しさぐってみれば十分に手が届くと。明治以前の生活の知恵を取り戻せば、日本人の感性がよみがえってくると思います。
 たとえば、発酵・醸造の文化。昔の日本人はいい酵素や微生物を食べていました。そうすることによって、おなかのなかに自然の環境をもっていた。

セイゴオ:ぼくの見立てでは、残念ながら、明治以降そのように日本を発見してきた人々の大半は“外国人”だった。ハーン、フェノロサ、ウェストン、タウト、コンドル・・・。

エバレット:それがマレビトの役割でしょう(笑)。

セイゴオ:最近ぼくは日本人でありながらそのマレビトにならざるをえないという気がしているんです。トランスしたおかしな人と思われることを承知で、マレビトとしてふるまわなければ、日本のことを語れないんです。現実の代入であふれてしまう前に、自分のほうで異質なXやYをつくらないかぎり、セレンディピックなものを入れられなくなる。
 どうもこの点は、“ガイジン”さんのほうが有利なのかな(笑)。

2020030404.jpg
来場者との対話を楽しみながらのサイン会。
丸善が閉店してからも延々と続きました。

*レポート:太田香保
*写真:櫛田理

投稿者 staff : 2010年3月 4日 14:55