セイゴオちゃんねる

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2009年3月25日

News 手塚治虫アカデミー2009「永遠の火の鳥」に出演

 4月25日(土)14:00~16:30、江戸東京博物館で開催される手塚治虫生誕80周年記念「手塚治虫アカデミー2009」のパネルディスカッションにセイゴオが出演します。テーマは「永遠の火の鳥」、ナビゲーターはの手塚眞氏。パネリストはセイゴオのほか、漫画家の岡野玲子氏、小説家の夢枕獏氏、そしてマンガ・コラムニストの夏目房之介氏。

 セイゴオは、ちょうど5年前の2004年4月23日の千夜千冊第971夜で手塚治虫「火の鳥(全13巻)」を書いている。

    手塚のマンガ文法は、手塚治虫という文体となり、手塚治虫という映像になり、
   手塚治虫という物語に昇華していった。その集大成が『火の鳥』である。ぼくは
   『火の鳥』をつぶさに読んで、そのどこにもまったく瑕瑾を見いだせなかったと
   いっていい。
    おおげさにいうのなら、1コマも無駄なコマがなく、1コマも余計な展開がな
   く、1コマもコマ・サイズをまちがえたり、1コマとて、その絵の人物と背景の
   比重を狂わせてはいなかった。これは「ヘタウマ」時代で勝手な“お文化”を享
   楽した連中からすれば、とんでもなく律義で、きっと破綻や負傷のなさすぎる軍
   事的隊列に見えただろうことは、予想するに難くない。
    (途中省略)
    『火の鳥』がもつ完璧に近い物語性も絵画性も芸術性も、それは『火の鳥』の
   構想と想定自身が手塚治虫をシャーマン的に媒介して『火の鳥』そのものを生み
   出していくのであって、そこに手塚治虫の恣意的なるものは介入できないように
   なっているということなのだ。すなわちそのくらいまで、手塚治虫は物語そのも
   のにも、映像そのものにも、またマンガの途上で次々に出てくるすべてのキャラ
   クターとも同化できるほどに、エディティング・マシナリーになっていたという
   ことなのである。

 ちなみに手塚治虫アカデミーは、上記イベントのほかに、4月18日開催の「日本アニメの未来」と「アートへの道」があります。また、同会場では「手塚治虫展-未来へのメッセージ」も開催され、期間は4月18日(土)から6月21日(日)です。「鉄腕アトム」「ブラック・ジャック」「火の鳥」の3作品をちゅうしんにした直筆原稿も展示予定とのこと。

■手塚治虫アカデミー
ナビゲーター:手塚眞 司会:渡邊 あゆみ

1)日本アニメの未来/アニメ文化はどこへ行くのか。
  開催日:2009年4月18日(土)13:00~15:30
  パネリスト:杉井ギサブロー、竹内宏彰、ゆうきまさみ、片山雅博

2)アートへの道/手塚マンガから始まったマンガ・アート論。
  開催日:2009年4月18日(土)16:30~19:00
  パネリスト:リリー・フランキー、日比野克彦、長谷川祐子、岩井俊雄

3)永遠の火の鳥/『火の鳥』を現代カルチャーの先端から読み解く。
  開催日:2009年4月25日(土)14:00~16:30
  パネリスト:岡野玲子、夢枕獏、夏目房之介、松岡正剛

【参加方法】
  往復はがきか参加申込フォームからのご応募となります。 
  各回定員:400名 ※応募多数の場合、抽選となります。

<往復はがき>
  往復はがきに下記必要事項を記入していただき、
  返信用はがきにご自身の住所、お名前をご記入のうえご応募ください。

  (1)参加希望プログラム(1枚のはがきにつき1プログラム)
  (2)参加希望人数(2名まで)
  (3)代表者名(ふりがな)
  (4)住所
  (5)電話番号

【申込・問合先】
  〒151-0066 東京都渋谷区西原2-3-3
  株式会社アタマトテ・インターナショナル 「手塚治虫アカデミー」係

【締め切り】
  3月31日(火)

【会場】
  江戸東京博物館 1階ホール
  東京都墨田区横綱1-4-1 電話03-3626-9974

【料金】
  入場無料

【主催】
  東京都 財団法人東京都歴史文化財団
  江戸東京博物館 読売新聞

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投稿者 staff : 20:53

2009年3月24日

Diary 『白川静』新書大賞5位入賞

 販売部数10万部を突破した『白川静』(平凡社)が、このたび中央公論主催の「新書大賞2009」で5位にランクイン。審査員は“新書のプロ”約60名、新書担当のベテラン編集者と新書に造詣のふかい目利き書店員です。審査対象は2008年刊行の1500点にのぼる新書のすべて。

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 『白川静』の評価ポイントは「編集者松岡正剛ならではの視点から知の巨人の仕事の見取り図をえがいたすばらしい入門書」でした。詳細は3月10日発行の『新書大賞2009』(中央公論編集部)に掲載されています。ちなみに新書大賞2009の大賞は『ルポ貧国大国アメリカ』、2位が3冊同票で『強欲資本主義ウォール街の自爆』と『できそこないの男たち』と『電車の運転』、そして5位が『白川静』。

 ちなみに、1月29日発行『日刊現代』の五木寛之氏のコラム「流されゆく日々」でも「この新書はすごい!」と大絶賛。また3月21日放送のNHKBS週刊ブックレビューでは、作家の清水義範さんが「おすすめの3冊」のなかで『白川静』を紹介。まだまだ勢いのとまらない『白川静』は、3月末から帯を変えた5刷が書店に並びます。

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投稿者 staff : 03:10

2009年3月23日

News 樋口雅山房書展・オープニングトークに登場

 3月23日(月)5時から、樋口雅山房 書展「一休禅師・狂雲集をかく」のオープニングパーティで、セイゴオが30分ほどゲストトークをします。 個展は3月23日(月)~28日(土)の一週間、場所はgalley art point。(詳細は下記)

 この展覧会は「早く昭和の一休になってくださいよ」という、30年前のセイゴオの一言がきっかけだったとのこと。セイゴオにとっても雅山房さんにとっても23日は待ちに待った日となります。

【樋口雅山房書展「一休禅師 狂雲集をかく」パンフレット掲載
 松岡正剛「これは今日の日本を問う書の出現である」より引用】

 一見して、引き抜いてきた文言がすばらしい。一休の思想骸骨をみ
ごとに抜群しているだけでなく、今日の「日本」を正面から問うている。
それはまず一字書の乱世の「乱」と一跳直入の「直」に顕れ、四字書
の「風狂狂客」「赤肉白骨」に現れている。書というもの、こうでなくて
はいけない。日本の言語道断を背負うべきなのである。一方、「山林
富貴五山衰」「混沌末分暗昏々」「大風洪水万民憂」の書がそうなの
だが、一休にも今日の日本人にも、国土山河の背景の脆弱をともに
抱えるという心配覚悟がいる。本展にこの両方が案配されていること、
大いに共感した。

樋口雅山房 書展「一休禅師・狂雲集をかく」
■日 時 2009年3月23日(月)~28日(土)
■時 間 午前11:30~午後7:30(最終日は5:00まで)
■場 所 galley art point
東京都中央区銀座8-11-13エリザベスビル 地下1階
       電話 03-5537-3690

オープニングパーティ 
■日 時 2009年3月23日(月)
■時 間 午後5:00~
■場 所 同上
■ゲスト 松岡正剛 (トーク約30分)

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投稿者 staff : 22:14 | コメント (0)

2009年3月13日

Diary 相国寺「世界と日本の見方」全3回講演-その1

 3月10日、京都・相国寺で、セイゴオによる3回連続講演の第1回、「世界と日本の見方-グローバリズムと日本」が開催された。この企画は仏教関係者向けに相国寺が約10年つづけている研修会という位置づけで、満員の会場の約半数は剃髪のお坊さん。

■講演要旨
 
 グローバリズムは、ある普遍知というものを設定して、世界に広く価値の基準値をゆきわたらせることに成功した。しかし、本来、価値の基準というものは世界知と共同知と個別知のそれぞれがもっていた。たとえば、仏教の「縁起」といったコンセプトは、キリスト教の「三位一体」や「隣人愛」に匹敵する、東洋型の普遍知だった。ところがいまの世界は、金融主義とグローバル・キャピタリズムという、欧米型のグローバリズムにすっかり覆われつつある。どうも民主主義と自由主義と資本主義が重なり合う社会のなかにグローバルな価値を持ち出しすぎたのではないか。

 もともと、「世界」というものは、「秩序」と「無秩序」から成り立っている。たとえば、光と闇、小さいエントロピーと大きいエントロピー、あるいは名指せるものと名指せぬものによって成り立っている。古代ギリシャでは、それを「コスモス」と「カオス」と呼び、東洋では「正名」と「狂言」という対比をした。正名は「名を正しくする」ということで、すなわち言葉や概念を律していくという孔子の思想からきている。狂言は「言を狂わせる」ということで、世界を不安定なものと見る荘子の考え方からきている。
 では、長らく「漢風」と「和風」というデュアル・スタンダードを成立させてきた日本はどうだったのか。ここで、鎖国的自立とグローバル交易の両立を図った徳川幕府に注目してみたい。1600年以降、世界最初のグローバルな株式会社である東インド会社がアジアに進出しつつあった。中国では漢民族の明王朝が異民族の清王朝に交代するという激動を迎えつつあった。そのような情勢のなか、江戸幕府は日本の国の、あるいは将軍家の正統性(レジティマシー)とは何かということを考えていた。そして、藤原惺窩や林羅山らを擁して儒教儒学を政治思想に採り入れていく。このとき、日本のなかで「3つのモデル」が検討された。その一つは、日本の歴史や特色に関係なく、ある国にモデルを求めてそれに近づくことを方針とする「他国母型モデル」。二つめは日本の水土(風土)には儒教儒学は適用しにくいのではないかという熊沢蕃山の水土論に基づいた「日本自立モデル」。そして三つめは、もはや中国に求めるべきモデルがないのなら、日本自身をモデルにすればよいという「日本中華モデル」。結論からいうと、江戸幕府はこの3つ目のモデルを採用したのである。そして鎖国政策によって国を閉じ、内政の充実をめざすことになった。

 このモデルは250年にわたって有効だったかのように見えたが、幕末になると黒船が到来し、日本は列強の勢いにおされるまま開国してしまう。それからは、次々に海外の基準を取り入れ、将来的な方針の建て直しをはかる間もなく、殖産興業・有司専制・神仏分離・立憲君主制というふうに、近代化をどんどん進めていった。このとき、日本人は、それまで日本が持ってきたはずの特有の普遍知や価値をまったく見失ってしまったのではないか。
 結局、明治以降、何一つ軌道修正できないまま戦争をし、負けて、戦後の民主主義時代に突入し、さらに変動相場制による資本自由化を受入れ、新自由主義政策をいやおうなく投入され、いまやグローバル・キャピタリズムと金融危機に完全に支配されるにいたった。

 そもそも、生活や社会にはリスクがつきものである。そのリスクを市場で売買したり、徹底監視するような経済や社会を受け入れては絶対いけない。人間にとって最大のリスクは病気や事故や死である。あるいは、淋しさや嗚咽や失恋や失敗や倒産や解雇やスランプもリスクである。残念ながらそういったリスクを完全に排除することは不可能である。しかし、それらを直視することこそが重要なのである。宗教や哲学や芸術は、そのようなリスクに立ち向かう精神から生まれてきたものだ。
 ところが、現代社会はあらゆるリスクに価格を付け、証券取引化して売買するという方法によって、本来人間が抱えるべきリスクの意味を隠してしまった。これは大きな間違いなのではないか。人間にとってのあらゆるリスクをあらためて考え直すことから、世界知と共同知と個別知の関係を組立なおす必要があるのではないか。

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投稿者 staff : 01:38