セイゴオちゃんねる

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2008年12月27日

Report 連塾JAPAN DEEP2 師走日本の浄土と羅刹

セイゴオが切り結んだ3人のサムライたち

 12月20日、満艦飾のクリスマスイルミネーションが喧しい原宿表参道のクエストホールで、「連塾JAPAN DEEP2」が開催された。 「浄土に焦がれて、羅刹に遊ぶ。」「斬ります、日本。」というコピーとともに、川崎和男・いとうせいこう・藤原新也という稀有な顔合わせが実現するとあって、前評判も上々。「連塾」としては過去最高の300人の塾衆が参加した。
 
 オープニングは、日野皓正のトランペットをBGMに、今年出版された約300冊の本の表紙が次々と連打される3分間の高速映像。そこへセイゴオが登壇し、行き過ぎた資本主義から金融恐慌へと、日本が巻き込まれながらころがり落ちてきた1年間を振り返る。「けれどもそんなことは、ずっと起こってきた」と切り返したところで、一人目のゲスト・いとうせいこうさんが、まず映像で登場。1993年に二人が「物語とマルチメディア」をテーマに対談をしたテレビ番組である。このときセイゴオは若きせいこうさんの思考と解釈の編集スピードに舌を巻き、以降何度も互いの番組やイベントに招きあっては「セイゴオ・せいこうコンビ」を組み対話を重ねてきた。
 今回の連塾のための事前打ち合わせでは、せいこうさんは「後半は誰もついてこれない話を松岡さんとぶっちぎりでやりたい」と話していたというが、トップスピードで応酬する15年前の映像に刺激されたのか、登壇するやいなや「すべての意識は事後認識ではないか」という最近の思索テーマをセイゴオに投げかけ、たちまち二人のあいだで、意識と言葉、意味とメディアをめぐる掛け合いが加速していった。
 さらに、せいこうさんによるミャンマーの軍事政権に抗議するポエトリーリーディングの映像を挿入しながら、話題は「表現と形式」「鍵と鍵穴」という、セイゴオの編集工学的世界観にとっても重要なテーマにさしかかる。小説、ラップなどさまざまな表現手法を手掛けてきたせいこうさんは、つねに新しい形式をつくることをめざしてきたという。セイゴオはそんな精神のパフォーマンスに深く共感を示し「鍵と鍵穴は一挙につくるべきだよね」と語る。「ぼくたちは、ゲームをしながらゲームをつくるのが好きなんだね」。
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 2人目のゲスト・川崎和男さんは、傾斜のなだらかな長い長い特別製の「花道」を、車椅子に乗って登場。まず、デザインスタジオのスタッフとともにこの日のために用意した50分間のマルチ画面の活動紹介映像とともに、軽妙な語り口によるソロトークを披露。ただしその内容は、世界を相手に「右翼日本人」を豪語して一歩も引かない喧嘩師・川崎さんの舌鋒の鋭さが発揮されていくというもの。
 みずからの交通事故をきっかけに車椅子のデザインを、さらに心臓病をきっかけに医学博士号を取得し人工心臓のデザインを手掛けてきた川崎さんは、アメリカ大統領選で話題となったペイリン氏のメガネで一躍「時の人」となった。これをチャンスに国連に働きかけ、現在は「PKD(Peace-Keeping Design)プロジェクト」を推進している。その奥には、いつも郷土福井の先人・白川静や橋本左内や梅田雲浜、そして緒方洪庵の精神を継承したいという思いがあったという。
 セイゴオはそんな川崎さんの「おいたち」について、またアートとしてではなく「生老病死」に向き合うためのデザインをめざした経緯について、さらに聞き出していく。「デザインには存在学が必要だ」と考えるセイゴオは、川崎さんはデザインをナラティビティに置き換えることができる日本では稀有なデザイナーなのだと言う。そこには「言語道断」という方法があるのだと語る川崎さんもまた、かつて「遊」を愛読しいまなおセイゴオの深い理解者であろうとする敬慕の念を隠さない。
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 3人目となった藤原新也さんとの100分間は、それまでの二人との加速感とはまったく違う「いろりばた」のような間合いで展開した。二人の出会いは二十数年前、写真雑誌の対談がきっかけで、以降、家を訪ね合うほど親交を結んできたが、公開の場で対話をするのはこれが初めてである。いつもの二人の気遣いのないぶっきらぼうな会話を時折ステージ上で垣間見せながら、少しずつセイゴオは藤原さんの写真と文章の秘密に迫っていく。
 セイゴオによると「紀行独白体」ともいうべき独自の文章を写真に重ねた藤原さんのスタイルは、『印度放浪』以来、どんな文章家も写真家も持ち得なかった「書物としての力」を時代に刻印してきた。それは、最新作『日本浄土』でもセイゴオを震撼とさせ、それが今回の「JAPAN DEEP」の起興(ききょう)になっていたとすら語る。その『日本浄土』から藤原さんが新たに選び、新たに言葉を加えた写真がスクリーンに映し出される。
 藤原さんは、「いつも写真と言葉から逃れたい」と考え、「フォトジェニックを壊したい」と考えてきたという。今は「自分すらそこにいない」写真へと到達し、春に四国八十八ヵ所を撮影して回ったときには、文章未然の単語ばかりが浮かんだのだという。「もしそんな単語だけ並べた写真集をつくったら、はたして成立するだろうか? どう思う?」。やにわに問いかける藤原さんに、セイゴオは「うーむ」と唸って、「言語は生まれるものだけど、消えるべきものでもあるね」と答える。 
 最近、日本を歩くのは苦行になっている。日本の風景は壊れている。整って壊れている。写真のセオリーは、見ようとすれば逃げるということ。向こうから「見られた」ときが撮りどきなんだけど、日本でそういう機会に出会うことは少ない。まるで大海で針を拾うようだ。言葉少なくも、研ぎ澄ました一語一語を紡ぎ出す藤原さんの横で、セイゴオは深くうなずいてみせた。
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 約6時間にわたって3人のサムライたちと集中した連談を終えたセイゴオは、さすがに疲労困憊していたようだが、会場に満ちる高揚感に支えられるように、ラストトークのためにステージに立ち、「千夜千冊」の『冬の紳士』(大佛次郎)の一節を朗読。
 「この小説は[冬の紳士]と呼ばれている尾形祐司が主人公になっている。この紳士は大佛が紙背に置いていった燠火(おきび)なのである」。そして、 『冬の紳士』は「気の毒なほどのダンディズムの断片だけで書かれた小説」であり、こんなふうに燠火を置く「炭男」にずっと憧れていたのだと語る。
 最後に、「4人の炭男たちをもう一度ご覧いただきたい」と、スクリーンにいとうせいこう・川崎和男・藤原新也、そしてセイゴオの4人のモノクロームの肖像写真が映し出された。前日のリハーサルからこの日の開演前までに、中道淳さんによって撮影されたものである。
 この炭男たちの写真こそが、セイゴオにとって、「JAPAN DEEP」な一日を刻印する「燠火」となったようだ。

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(モノクロ写真撮影:中道淳/カラー写真撮影:川本聖哉)

投稿者 staff : 16:28

2008年12月26日

Publishing 『連塾―方法日本』第1巻刊行

 平凡社新書『白川静―漢字の世界観』が発売後約1ヵ月で5万部を突破するなど大好評のなか、早くもセイゴオの新刊が出ました。今度の本は、2003年~2005年に全8講開催された「連塾・第一祭」のすべてを再現した全3巻のシリーズ本。まずは第1講から第3講までを収録した第1巻目『神仏たちの秘密―日本の面影の源流を解く』が、本日26日より書店に並び始めています。

 「連塾・第一祭」は、セイゴオが「日本という方法」について語り尽くした全40時間の超絶ソロ講義。しかも能楽堂や密教寺院など毎回会場としつらいをガラリと変え、さまざまな映像資料や音楽を駆使したライブ感あふれる独自のスタイルで行われました。
 そのめくるめく濃密な時空間を書籍のなかに再現するために、本書には多彩なビジュアル資料や記録写真、さらにはセイゴオの手書きレジュメや塾衆たちのコメントも収録。もちろん、ラディカルでスピーディでアクロバティックな「語り」を「読みもの」に再編集するにあたって、セイゴオの緻密な職人技が全ページに込められています。


『連塾―方法日本』(全三巻)

■第一巻 「神仏たちの秘密―日本の面影の源流を解く」 

春秋社 12月20日発行 1800円(税別)
内容:
 第一講 日本という方法―笑ってもっとベイビー・無邪気にオン・マイ・マインド
 第二講 神話の結び目―日本にひそむ物語OSと東アジア世界との関係
 第三講 仏教にひそむ謎―仏教の世界観がもたらした「迅速な無常」

*第二巻 『侘び・数寄・余白―アートにひそむ負の想像力』、第三巻『フラジャイルな闘い―二十世紀を突き抜けた者たち』は2009年春~夏に刊行予定。

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連塾・第一祭のライブ感を伝えるカラーページ

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講義で使われた映像資料を随所で再現

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セイゴオ手書きの講義レジュメの一部を収録

ブックデザイン:美柑和俊

投稿者 staff : 17:03

2008年12月10日

News 「連塾 JAPAN DEEP 2」 申込受付中

浄土に焦がれて、羅刹に遊ぶ

 2008年12月20日(土)、原宿クエストホールで松岡正剛「連塾JAPAN DEEP2」が行われます。ゲストは、セイゴオの年来の親友たち、川崎和男さん(デザインディレクター)、いとうせいこうさん(作家・クリエイター)、そして藤原新也さん(写真家・作家)。つねに新しい視点とユニークな方法と深みのある洞察で社会に杭をうってきたゲストたちとともに、セイゴオが繰りひろげる三段斬りに乞うご期待。


「うしろの正面は何?」

                     
 連塾「ジャパン・ディープ」の第2弾です。まったく新しいメソッドで日本の先陣を疾駆してきた名うての三人、「寄らば斬るぞ」のサムライ三人を招きました。ぼくの年来の親友たちです。でも、顔を合わせるのは初めてです。
 どんな話と趣向をお見せするかは、当日までヒミツですが、金融恐慌の到来なんぞに怖じけづいている二〇〇八年年末のぐちゃぐちゃした空気を引き裂くには、サイコーの顔触れです。
 それにしてもいまや、何がおかしいのか、どこが変なのか、誰が生意気なのか、どこを考えるべきなのか、どうも「うしろの正面」をみんなが言えなくなっているようです。だから浄土も見えないし、羅刹もいなくなっている。これでは、いけません。
 だからここは一番、必殺・活殺・密殺の三段斬りをお見せする必要があるのです。話の領域領分はダイタンに跨ぎます。お誘い合わせのうえ、浄土と羅刹の切り結びを覗きに来てください。
              
                 
連塾塾長・松岡正剛

                    
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日 時:2008年12月20日(土)12時受付開始
     午後1時から午後8時まで
場 所:原宿クエストホール
     東京都渋谷区神宮前1-13-14
申 込:どなたでもご参加いただけますが、必ず事前申込みが必要です。
     お申し込みはこちらまで
参加費:連塾・・・3万円(連志連衆會・会員 1万円)
      二次会・・・6千円
請求書をお送りします。到着後一週間以内にお振込ください。ご入金後の返金は出来ませんので予めご了承ください。
主 催:有限責任中間法人連志連衆會
協 賛:三菱商事株式会社
 株式会社福光屋

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有限責任中間法人連志連衆會 事務局 渡辺
〒107-0052 東京都港区赤坂7-6-64
電話 03-3587-9201/FAX 03-3568-2201
E-mail renrenkai@eel.co.jp
http://www.renrenkai.jp/


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投稿者 staff : 02:58

2008年12月 8日

Report 本を書くこと・本を読むこと

 11月15日、神田の東京堂本店で真行寺君枝さんとセイゴオが「本を書くこと」と「本を読むこと」をテーマに、それぞれソロ講演。このイベントは真行寺さんの初著書『めざめ』(春秋社)の刊行記念に行われたもので、セイゴオがアドバイザーとしてかかわっていたこと、また折しも『白川静-漢字の世界観』(平凡社)の発売日が重なったことにより、セイゴオが友情出演するとともに、新著のサイン会も行うことになりました。
 真行寺さんは、自分の中に潜む言葉や文字に真正面から取り組み1冊の本を書き上げたことが、知性と理性の「めざめ」につながった心境などを切々と語りました。
 真行寺さんの語りを受けたセイゴオは、白川漢字学を取り入れながら、1冊の本が生み出されるためには「場」が必要であるという、日頃あまり公開したことのない編集思想のごく一部を明かしました(下記はセイゴオの講演の一部)。

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■読書でおこす「興」と「蕾」
 真行寺さん、『めざめ』の刊行おめでとう。偶然にも今日は私の新著『白川静-漢字の世界観』の発売日ともなりました。そこで、白川静さんにちなんで、二つの漢字で真行寺さんをお祝いしたいと思います。
 一つ目の漢字は「興」(きょう)です。「思いを興す」という意味で、独自の漢字学を打ち立てた白川さんが一番重要視した漢字です。白川漢字学をごくごく簡潔にまとめると「文字は世界を憶えている」ということ。世界が文字をつくったのではなく、文字が世界をつくったということです。
 福井の貧しい家に生まれた白川さんは、丁稚奉公をしながら、一生涯本を読むために中学校の先生を目指しました。やがて中国最古の詩集『詩経』と日本最古の歌集『万葉集』を同時に読むことを自分のライフワークと定め、96歳まで実行しました。白川さんにとって『詩経』と『万葉集』が「興」だったわけです。
 真行寺さんに贈る二つ目の漢字は「蕾」(らい)です。「つぼみ」のことですが、サンスクリット語ではスポータと言う。この言葉は、実はスポーツの語源でもあります。
 種に籠もった「蕾」の力は、双葉をめばえさせ、茎を育て、つぼみをつくり、やがて大きな花を咲かせる。真行寺さんが本を書くこと読むことによって「めざめ」にいたったように、書物の奥にも言葉の奥にも「蕾」があるのです。
 書物の中で「興」を興しながら「蕾」にむかった白川さんや真行寺さん。その渾身の取り組みから、私たちも読書や執筆への覚悟と方法を学ぶことができると思います。

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■書くことの闘い-文脈自由と文脈依存のあいだ
 「興」を定めて「蕾」にむかう覚悟を決めた文章家や読書家を待ち受けているのは、「文脈依存(コンテキスト・ディマインド)」と「文脈自由(コンテキスト・フリー)」という二種類の悪魔です。文脈依存と文脈自由は、文字や言葉が世界を憶えているために起こります。
 どういうことかというと、言葉も文字も一度それを持ってしまうと、それ以外の言葉や文字が持てないようにできているのです。たとえば「ここは神田です」と言うと、「ここ」を「神田」という言葉が占有してしまう。「東京です」と言えば「東京」が押し寄せてくる。こうして言葉や文字を使えば使うほど、私たちは文脈依存していかざるを得なくなる。
 さらに、文章を書くことには読むこと以上の困難があります。ドイツロマン派の詩人ノヴァーリスは「人は一生に一度聖書を書くチャンスがある」と言っています。けれども「一生に一度の聖書」を書きたいのであれば、占有してしまった言葉や文字がすでに織りなしている世界や、言葉と文字に潜む既成の「知」と闘って、自分なりの文脈を作っていかなければなりません。
 それがあまりに大変なので、たいていの人はつい文脈自由の日記やブログに向かい、勝手なことをただ書き綴ってしまう。しかし文脈自由な世界であっても、やはり言葉と文字を使うことになる。そして、言葉も文字も本来は世界を憶えているため、どんなに自由にやっているつもりでも、結局、どこかで文脈依存に戻らざるを得なくなる。
 このようにして、多くの文章家が文脈依存と文脈自由のあいだで、振り子のように惑っているのです。

■書物のための「場」の創造
 文脈依存と文脈自由という悪魔に捕らえられないためには、その両方を含んだ読書や執筆のための「場」というものを自分の中で想定し、そこに読み深めたい本や書き表したいことを落としこんで、自分なりの文脈を作っていく必要があります。
 冒頭で話したように、白川さんは『詩経』と『万葉集』がもつ世界を「場」と想定することによって、白川さん独自の文脈を作っていかれたのでしょう。
 私もこれまで40年以上にわたって、さまざまな編集エクササイズを試みながら、文脈を作るということをやり続けてきました。その一つが「千夜千冊」になり、あるいは編集学校となりました。
 読むことも書くこともあくまで自己体験の世界です。しかし自己を離れて客観に立ちながら、「場」に引き寄せていく、「場」に投企していく。そうして自分なりの文脈を興してみる。最初は小さな「場」でもいいのです。ぜひそこから書くこと、読むことを始めてほしいと思います。

■書物と現代資本主義を編集する
 いま、書物を取り巻く環境は世界中できわめて厳しい状況に追いやられています。フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、資本主義の未来は書物とともにある、これ以上出版文化を看過すれば資本主義は書物とともに解体するであろう、と言っています。
 すでに資本主義の問題点が露わとなっている現在、本を書くこと読むことを根本的に問う時期に差しかかっていると言えるでしょう。そのためには出版社や書店の努力も必要ですが、現状の出版文化は価格という単一法則のみに縛られています。
 元来書物はいきいきした「興」と「蕾」を持って作られたはずです。たった1冊の本が、その周辺の30冊を変えてしまうこともある。あるいは組み合わせによって、時代すら変える可能性を持っているのです。
 1冊の本が孤立することなく、「場」によって豊かな書物世界をあらわす。著者が文字や言葉と闘いながら生み出してきた文脈ごと立ち上がらせる。そんな書店や社会を、愛書家の皆さんとともに作っていきたいと思います。


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投稿者 staff : 22:43