セイゴオちゃんねる

« 2008年8月 | メイン | 2008年10月 »

2008年9月30日

News 「共存在の深化―出会いから共創へ」参加者募集中

 10月18日(土)14:00~17:00、「場の研究所」主催の「場のアーツコミュニケーション2008」にセイゴオが出演、理事長の清水博さんと約3時間におよぶ対談を行います。会場は早稲田大学国際会議場3階。

 清水さんは、30年前セイゴオに大衝撃をあたえた『生命を捉えなおす』(千夜千冊1060夜)の著者。昨年12月には連塾「浮世の赤坂草紙」に出演し、“誘導合致”や“懸待一如”などの話で、生命科学と日本文化を重ねた濃密なトークを繰り広げました。

 今回のテーマは、「共存在の深化-出会いから共創へ」。グローバル化された資本主義経済に組み込まれた現代人はいかにして、強者と弱者の対立を超えて「共存在の文化」を創ることができるのか。科学、哲学、文化からアートまで、あらゆる角度から2人の対話が展開します。

■会 場:早稲田大学国際会議場3階
■日 時:10月18日(土)14時-19時   (受け付け開始:午後1時)
      :10月19日(日)10時-17時30分
■参加費:一般7000円、学生2000円
    (当日参加 一般8000円、学生2000円)
■主 催:場の研究所

■スケジュール
10月18日(土)
 ◎14時~17時 出会いト-ク
  清水博・松岡正剛
 ◎18時~19時 パフォーマンス「場を表現する-出会いとしての時の生成」
  真行寺君枝・大口弦人(書:小宮求茜、振付:日原永美子)
10月19日(日)
 ◎10時30分~
 ワークショップ[Ⅰ] 場のアーツ表現
 第1会場:「共創、それは自己表現の即興劇」
  清水義晴・清水隆太郎
 第2会場:「映像、それは場における出会い」
  十文字美信
 第3会場:「つながり・それは共存在の場づくり」
  三輪敬之・西洋子
 ◎12時30分~
  場のアーツ展示・デモ
 ◎15時~
  ワークショップ[Ⅱ]  「出会いから新しい共創のドラマへ」
 ◎17時~17時30分
  最終総括

■お問合せ
  場のアーツコミュニケーション事務局(三輪研究室)
    電話 03-3200-2809
■お申込み
 【WEB申込の場合】
    http://www.banokenkyujo.org/index.htm をご参照ください。
 【E-mail申込の場合】
    arts2008@list.waseda宛てに下記の内容を記載のうえ送信ください。
    ※すべての項目にお答えください。
     ○氏名 ○ふりがな ○性別 ○所属(会社・団体名・役職)
     ○連絡先(住所、電話、ファックス、E-mail)
    ※各項目につき一つづつ選択してください。     
     ○参加種別  1.一般 2.会員 3.学生
     ○参加予定日 1.18日のみ 2.19日のみ 3.両日 
     ○19日のワークショップ
       1.共創、それは自己表現の即興劇
       2.映像、それは場における出会い
       3.つながり、それは共存在の場づくり

2008093001.jpg

投稿者 staff : 16:49

2008年9月25日

Report 遊書擬画展記念トーク

ダブルページに託したもの

 9月23日、遊書擬画展【ダブルページ】を開催中のギャラリー册で、セイゴオの記念トークが行われました。今回発表した作品にちなんで、白川静さんの漢字論と蘇東坡に焦点を当てた珍しいテーマ展開となりました。以下、その内容をダイジェストでお届けします。

◆世界を開くダブルページ

 私は書物というものにとりわけ格別な思いをもってきました。IT時代、ウェブ時代になっても、書物の形態やフォーマットは永遠に残るものだと思っています。
 書物の形態というのは、表紙や背表紙があること、タイトルがあり目次があることなど、いろいろありますが、一番すばらしいことは、「頁」が綴じられていて、見開き、すなわちダブルページの単位になっていることです。このダブルページに、どんなものでも入れることができる。政治も歴史も、野球もラーメンも、ダンテもシェイクスピアも入れることができる。そして、「背」のところですべての世界が綴じられ、小口のほうではそれが世界にむかって開かれている。そのため書物は一冊ずつが孤立しているのではなく、永遠につながっていくことができるのです。

 ここ「ギャラリー册」は、書物のもっている永遠の姿とアートや工芸とを結びつけたギャラリーです。オーナーの北山ひとみさんから頼まれて、そのコンセプトづくりに私も多少かかわりました。そのため、年に一度展覧会もやってほしいと言われてきたのですが、この「册」でやるなら、やはり本とアートを重ねたことをやりたいと考えました。

 そもそもアートというものは文字や空間と一体のものでした。それがいつしか離れ離れになってしまった。ビザンチンの壁画やギリシャ・ローマのトルソもそういうものでした。必ずある空間のある場所に置くように作られ、神話や物語を伝えていた。あるいはヨーロッパの教会建築がそうであるように、建物全体が解読可能な装飾空間になっていた。日本でも屏風や掛軸はまさに空間をつくるものであり、江戸時代の浮世絵や読本も、文字とアートが混然一体となったものでした。いつからか、アートはタブロー主義となりフレームに閉じ込められてしまったんですね。壁面に飾ってタイトルをプレートで示すというだけのものになってしまった。

◆本をアートにしてみたい

 私はアーティストでも画家でもなく、一介の編集屋です。また自分のやることを「編集芸術」などと呼ぶ気もありません。けれども、自分が何かをやるなら、文字とアートと空間を一体で考えるようなことをしてみたいと思いました。
 その上で、今回は、本のなかにアートを入れるということをいろいろ試みました。すでに世の中で画集や写真集がたくさん出版されていますが、本そのものがオリジナルのアートになるようなものにしてみたかった。

 たとえば、ここにある「天地玄黄図」は、エジプトのヒエログリフを描いた作品です。素材は桐板ですが、それをキャンパスに見立てました。画面に枠をつけたのは、書物の「版面」を意識したからです。そうして見開きに二つのイコンを配置したのですが、エジプトのイコンはほとんどが左向きで右向きのものが少ないんですね。それを探し出すのに1週間もかかったりしました。さらに日本的な波もあしらってみましたが、これも日本の波文様をいろいろ探索しながら、右向きの波と左向きの波のどちらが多いのかというようなことを意識することになりました。
 これを「本」にするために、表紙を付けてタイトルも描きました。「天地玄黄」というのは、「千字文」の冒頭の言葉です。

 もうひとつの「宇宙洪荒図」は、中国のイコンを用いたので右開きにしました。この牛と馬が斑(まだら)になっているのは、杉浦康平さんによるアジアの霊獣の解読にもとづいてのことです。しかし牛と馬の両方を斑に描いている例がなかなか見つからず、困っていたときに、たまたま中国製のプラスチック製の馬と牛のおもちゃを見かけて、それをもとに古代の斑牛、斑馬を想像して描きました。

 このように、何かの着想をダブルページにしようとしたとたんに、グーグル検索では到底できないような世界探索をすることになるわけです。二つのものをここに合わせるために、それくらい時間を費やす必要がありました。ふだんのぼくはそれを文章でやっているのですが、絵にするためにはイメージを瞬間的に留める必要があります。そこにもっとも苦労しました。

2008092501.jpg
「天地玄黄図」を見せながら語る


◆宇宙洪荒の白川漢字学

 今年10月に、平凡社から白川静について書いた本を出します。ちょうど今回の作品を制作中に、その本の仕上げをしていたこともあって、今回は白川漢字学の世界もいくつか取り入れてみました。そこにある作品「甲骨書立」がそれです。この不思議な形の板は、杉の埋もれ木をスライスして蝶つがいでつないだものです。ここに描いたのは、甲骨文字の「言」と「告」です。

 漢字学の世界では、漢字の解読は後漢時代に書かれた『説文解字』に従うということが長いあいだ常識になっていました。白川さんはその文字解釈に対抗し、独自の解読を試みたんですが、その白川さんがいちばん重視したのが「サイ」でした。
 「サイ」とは、「言」という字の「口」や、ごんべんの「口」の部分に使われているもので、長いあいだこれは唇や歯のある「口」だと思われてきた。ところが白川さんは、これは言霊や呪文をいれておく器であるということを発見したんですね。「言」という字は、それまでは、口の上にいろんなものを並べて放つというふうに解釈されてきたのですが、白川さんは、「言」の上の部分は、入れ墨をするための鋭い針を刺しているのだとした。つまり「言」という文字は、神に誓って言う神聖な言葉を意味していて、もし言葉を偽ったときには入れ墨の刑を受けなければならない。それほどに重要なことを「言う」という意味だと白川さんは解読しました。
 「告」は、「サイ」の上に神にささげる木の枝を突き刺した形です。そのようにして神のお告げを聞こうとしている字です。

 このように、文字というのはたった一つの単位なのに大きな世界をもっています。日本が漢字を使いはじめてからも1500年近くたっていますが、それほど長い歴史をもっている漢字の本来の意味が、20世紀になるまで解読できていなかったんです。もしもアートというものが何かの世界を表象したいのならば、文字のもっている世界観のようなものを、もう一度取り込んでいく必要があるのではないか。ぼくはそのように思います。

 ちなみに、「文字」をあらわす「文」という字は、もともとは「×」(バツ)でした。「×」は一種のまじないの印で、これを顔や胸などにつけると聖痕、スティグマを意味しました。ユダヤ・キリスト教はこれをもとに十字架をつくり、東洋ではこれを「卍」(まんじ)にした。この「×」を守るための屋根をつけたものが「文」という字です。
 
 このような文字世界をたった一人で解読し続けた白川さんは、じつは60歳にして初めて著書を発表しています。岩波新書の『漢字』という本です。それまで白川さんの研究はまったくアカデミズムから認められていなかったんです。それどころか、『漢字』が出てからも、当時の漢字学会の研究者が「無名の者になぜこんな本を書かせたのだ」と岩波にクレームをつけたりしていました。
 しかし岩波もなかなかの出版社です。白川さんに反論の機会を与えて雑誌に載せたんですが、この白川さんの文章がすごいものだった。学問は本来孤立するものである、宇宙洪荒の瞬間にしか物事は伝わらないのである、しかしもしそのことが伝わらないのであれば、われわれは永遠に文字というものを失ってしまうであろう。そのような気概を込めた堂々たるものでした。
 白川さんは80歳もすぎてから、ようやく念願の辞書をつくりました。それが『字統』『字訓』『字通』の三部作です。

2008092502.jpg
セイゴオが説明に使った「白川静漢字暦」(平凡社)より、
「サイ」(中央)。

2008092503.jpg
埋もれ木に刻んだ「甲骨書立―言告」


◆字を識るは憂患の始め 

 白川さんは晩年、まだぼくに余命があればぜひ書きたいものがあるとおっしゃっていました。それは蘇東坡についての本でした。蘇東坡というのは宋代の詩人・蘇軾のことです。蘇東坡は「東の丘」を意味する号です。私も白川さんの影響で最近とても関心をもっています。
 そこで、今回の展覧会のために、蘇東坡の詩を彫ったものを二つつくってみました。なぜ文字彫にしたかというと、もともと中国では書は石に彫ることを最高のものとしていたからです。中国の書には、刀意と筆意の二つがあるんですね。

 ひとつは「石蒼舒酔墨堂」(せきそうじょのすいぼくどう)という詩です。蘇東坡は四川省の峨眉山のあたりに生まれた文人官僚でした。政治的な抗争に巻き込まれて、二度も流罪に会い、最後は海南島に流されてしまった。そのような波乱の生涯を送った人物ですが、その詩も書も、一貫して突き抜けたところがあった。中国の文人たちのなかでも、蘇東坡ほど人生の栄達と悲嘆を体験しつくした人はいないと思います。この「石蒼舒酔墨堂」という詩にはそんな境涯がよくあらわれていると思います。「石蒼舒」というのは、蘇東坡の友人の名前で、古い筆跡の収集家でした。その友人を訪ねたときの詩です。ざっと読んでみます。

 人生識字憂患始  人生 字を識るは 憂患の始め
 姓名粗記可以休  姓名 粗ぼ記すれば 以て休む可し
 何用草書誇神速  何ぞ用いん 草書の神速を誇るを
 開巻惝怳令人愁  巻を開けば惝怳として人をして愁えしむ
 我嘗好之毎自笑  我 嘗て之を好み 毎に自ら笑う
 君有此病何年瘳  君 此の病有り 何れの年にか瘳えん
 自言其中有至楽  自ら言う 其の中に至楽有りて
 適意無異逍遥遊  意に適うこと 逍遥遊に異なる無しと
 近者作堂名酔墨  近ごろ 堂を作りて 酔墨と名付く
 如飲美酒銷百憂  美酒を飲んで百憂を銷するが如しと
 乃知柳子語不妄  乃ち知る 柳子が語の妄ならざるを
 病嗜土炭如珍羞  病んで土炭を嗜み 珍羞が如しとす
 (以下略)

 人生において文字を知ることは憂いの始まりである。姓名がほぼ書ければ、もうそれでいいではないか。神技のように草書を書けたからといって、何を誇ることができよう。書物を開けても、びびってしまうばかり。とはいえ、私はかつてこれを好み、すっかりその病気になってしまった。君も同じ病いだ。いったいいつになれば治るのだろう。ここにこそ無上の楽しみがある、自在に文字や言葉を楽しむ理想郷であるというのが口癖。
 理想の書斎をつくり、酔墨堂と名付け、美酒を飲んで愁いを忘れる。なるほど柳宗元の言ったことは嘘ではなかった。この病気にとりつかれると、炭が山海の珍味のようにうまい。君が筆をふるえば、あっというまに百枚の紙も尽きる。まるで駿馬がたちまちにして、世界を渡っていくかのようだ。改めておもえば、私の書などただ勝手に書いているだけで、一点一画をあれこれ判読してもらってわずらわしい思いさえさせている。でも、そういうわからないようなものを、切れっぱしの紙まで大事に保存してくれるとは。書家の張芝は池の水が黒くなるほど苦学したというが、そんなことはもうしなくてよいのだ。また張芝は絹布を洗って白くしてまた書くという苦学をしたというが、そんなことももうしなくていい。白絹は取っておいて、布団にして寝てください。

 文字を知ることは憂いを知ることである。けれどもそこにこそ至楽がある。文字を書くときも、本を読むときも、そういう気持ちが欠かせないのではないか。そんな思いをこめて、選んだ詩です。
 
 もうひとつの詩は、「午窓座睡」(午窓に座睡す)です。昼下がりの窓に竹几を置いて、うつらうつらしているという詩です。

 蒲圑盤両膝  蒲団 両膝を盤し
 竹几閣雙肘  竹几 双肘をおく
 此間道路熟  此の間 道路 熟すれば
 径到無何有  ただちに無何有に到る
 身心両不見  身心 両つながら見えず
 息息安且久  息息 安らかに且つ久し
 睡蛇本亦無  睡蛇 本 亦た無し
 何用鉤與手  何ぞ 鉤と手とを用いん
 (以下略)

 蒲団(座禅につかう座布団)に両膝をおき、竹几に両肘を置き、うつらうつらしていると、すぐに通いなれた無為の仙境に入る。そこは全世界の道(タオ)がつながる無何有、すなわちユートピアである。身心は別々のものではなくつながっている。吐く息も吸う息もつながってきた。そこには眠りにひそむ煩悩の蛇などはいない。眠りを覚まそうとして手をつついたりする必要もない。酒も必要ない。人生には定められた持ち分がある。それもそろそろ尽き果てようとしている。でも枯れた柳、散りそうな花であっても、そこから蘇ってくるものもあるだろう。われわれはずっと半睡半生の夢うつつの状態にいるのだ。そういう詩です。

 白川さんがこのような蘇東坡を最後に書きたかったということは、いまの二編の詩を読むだけでも何かを感じていただけるでしょう。文字は人を苦しめる。ついつい失言もしてしまう。誤解も生まれる。つまらないことも綴ってしまう。しかし先人たちが残した詩や書や絵は、コレクターたちによって残されてきた。もう一度そういうものを、全世界の引っかき傷のようなものとして、見つめ直す必要があるのではないか。
 白川さんが見つめた甲骨文字や金文文字は、まさにそういった引っかき傷だったんですね。漢字や象形文字ばかりではありません。英語だって、たとえば「rival」という綴りには「river」という綴りが含まれていて、川の両岸にいる者という意味を含んでいる。スペルのなかにそういう引っかき傷が残っているわけです。

 私もこれから、もう少しそのような引っかき傷を残していきたい。それが完成品には至らないものであっても、そこに至る途中というものがあるということも、ぜひやってみたいと思います。

2008092504.jpg
文字彫による「蘇東坡1・石蒼舒酔墨堂」

2008092505.jpg
セイゴオの漢詩朗読に耳澄ます来場者


投稿者 staff : 23:04

2008年9月 6日

Report 速報:「遊書擬画展-【ダブルページ】」オープン

9月6日(土)、セイゴオの「遊書擬画展-【ダブルページ】」がオープンしました。会場のギャラリー册(千鳥ヶ淵)にはレセプションパーティ開演前から、多くの来場者が詰めかけ、セイゴオの新作の書やドローイングに熱心に見入っていました。

今回のテーマ「ダブルページ」は、書物の「見開き」という様式を意味しています。和紙、木板、銅板、タイルなどさまざまな素材に、墨書やペン画、淡彩、文字彫と多種多様な技法を駆使して表現した遊書や擬画の、すべてが見開きの本に見立てて仕立てられています。どの作品も購入可能で、しかもこの世にたった一冊のセイゴオお手製の「本」とあって、初日から売れ行きも好調でした。

9月28日(土)までの会期中、12日(金)、15日(月・祝)、18日(木)の夕刻以降はセイゴオが必ず必ず会場にいますので、当サイトをご覧いただいている皆様も、ぜひお誘い合わせのうえ、ご来場ください。


遊書擬画展【ダブルページ】
会期:2008年9月6日(土)~9月28日(日)
   *休廊日は、8日(月)、16日(火)、22日(月)です。
会場:ギャラリー册
    千代田区九段南2-1-17 パークマンション千鳥ヶ淵1F
    九段下駅2番出口徒歩10分
    TEL:03-3221-4220 FAX:03-3221-4230
    地図→http://www.satsu.jp/kudan/satsu.html#kudan


2008090601.jpg
「両頁主義」を高らかに宣言する会場バナー。
左は二曲仕立の「十二神将像・その1」。

2008090602.jpg
不思議な味わいの杉の古木に文字彫を施した、
「甲骨書立・東西」(右)と「甲骨書立・言告」(左)。

2008090603.jpg
漆黒のクロスで特別製本した「蘇東坡」。
木板に漢詩「午窓坐睡」を文字彫してある。

2008090604.jpg
星座のようなセイゴオ図解「世界バッグ」。
アルミのミニアタッシュケース入り。

2008090605.jpg
全28ページに円相を現した「円状本」。
まさにこの世にたった一冊の本。

2008090606.jpg
桐の板目を生かした精妙なドローイング「天地玄黄図」。

2008090607.jpg
「ほんの手遊びばかりを展示しています」と言いつつ、
仕上げの1ヶ月間の集中ぶりが、セイゴオの表情にありありと。

2008090608.jpg
ミュージシャンのPANTAさんと「BOKUDEN」編集長の早川義輝さん

2008090609.jpg
今年3月にNHKでロング対談した談志師匠とは、
話しても話しても話題が尽きない。

2008090610.jpg
しりあがり寿さんとNHK出版鵜飼泰宏さんが
「十二神将像」の前で記念撮影。

2008090611.jpg
松本清朝記念館の藤井康栄館長と、懐かしい思い出話など。

2008090615.jpg
浅葉克己さんは、セイゴオ図解「縁際バッグ」がいたくお気に入り。

投稿者 staff : 22:47