セイゴオちゃんねる

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2008年5月25日

News ル・ベインデザイン塾 「茶の湯の今日~道具をめぐってⅢ」

 8月から11月にかけてギャラリー・ルベインで開催される、第4期ル・ベインデザイン塾-水と文化のシリーズ「茶の湯の今日~道具をめぐってⅢ」の第3回目にセイゴオが講師として登壇します。
 唐物数寄から始まり和物数寄や「好み」の発生、名物の誕生へと発展していった茶道具は、現代の固定的な物思観とは違い、「とりあわせ」によって一期一会の茶の湯に毎回違った価値を演出してきました。昨年末の連塾・絆走祭「浮世の赤坂草紙」で、立礼卓「雨にむかいて月を恋ひ」と道具組を披露してくださったインテリアデザイナーの内田繁さんのお招きで、21世紀“方法の時代”の「茶道具」をめぐりセイゴオが語ります。

第4期 ル・ベイン デザイン塾
 -水と文化のシリーズ「茶の湯の今日~道具をめぐってⅢ」

日時:2008年8月30日~11月8日
土曜日 全5回 18:30~20:30
募集定員:60名(先着順受付)
受講料:¥25,000(税込、全5回通しチケットのみ)

第1回 2008年8月30日(土)
講師:竹内 順一 永青文庫館長
第2回 2008年9月20日(土)
講師:矢部 良明 人間国宝美術館館長
第3回 2008年10月4日(土)
講師:松岡正剛 編集工学研究所所長/イシス編集学校校長
第4回 2008年10月18日(土)
講師:内田 繁 インテリアデザイナー/桑沢デザイン研究所所長
第5回 2008年11月8日(土)
講師:倉斗 宗覚 裏千家今日庵業躰

【主催】 ル・ベイン [㈱リラインス ]
【場所】 ギャラリー ル・ベイン 東京都港区西麻布3-16-28
【お申込み・お問合せ】 内田デザイン研究所
106-0031 東京都港区西麻布3-16-28 3A Tel 03-3479-6568 Fax 03-3479-5036

 詳しくはこちら→
   http://www.le-bain.com/gallery/lebain/school.html

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投稿者 staff : 20:50

2008年5月 9日

Publishing 音楽も密教も伝統芸能も「編集力」に注目

■音楽業界紙『あんさんぶる』5月号・巻頭インタビュー

 大手楽器メーカー・カワイが発行する『あんさんぶる』の巻頭インタビューにセイゴオが登場。読者層の大半はピアノをはじめとする音楽教師です。多くの先生が何のために教えているのか、足場をどこにおいたらいいのかわからずに漠然とした不安をかかえているという切実な現状に対して、セイゴオは新しい視点で「音楽」に向き合うための編集的アプローチを示唆しています。さらに、グローバル資本主義の蔓延が音楽にもたらした影響や、平等主義を掲げた均一な学校教育の弊害などを深彫り。そのほか、ちょっとほろ苦い幼少時代のピアノ体験から、小室等さんや加藤和彦さんと自由に作詞作曲をしていた青年時代の思い出も散りばめられています。

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『あんさんぶる』5月号(第490号)
発 行 カワイ音楽教育研究会本部
価 格 525円(税込)
購入は下記のサイトから
http://www.kawai.co.jp/onken/paper/ensemble/magazine
/backnumber.asp


■『東京文花座』3周年記念特別号・巻頭対談

 歌舞伎、狂言、能、落語など伝統芸能をテーマにしたフリーペーパー「東京文花座」。創刊3周年の特別企画として、セイゴオと編集長の浅井一芳氏が「文花座」の将来について語り合いました。
 テーマは、かつての旦那衆やパトロンのような数寄者ネットワークを現代にどのように根付かせ、「数寄」というものの文化性と経済文化力をどう復活・再生させていけばいいのか。セイゴオは、室町時代に誕生した目利き集団「同朋衆」や、江戸時代に盛んに活躍した「旦那衆」、そして明治時代の財界人、三井の益田鈍翁や電力王と呼ばれる松永耳庵などちを取り上げ、数寄者本来のあり方を例示とともに解説。さらに、これからの東京文花座の活動へむけて根底となるコンセプトから具体的なヒントまで、いくつかの方向性を指し示しました。

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『東京文花座』4・5月号 Vol.18
発 行 株式会社ジェニスキル
価 格 無料
問合せ 108-0072 東京都港区白金1-25-24-602
Tel:03-3444-5117  Fax:03-3444-5104


■『密教メッセージ』特別講演録を掲載

 2月7日に高野山真言宗東日本地区教師研修会で行った2時間のソロ講演「弘法大師と二十一世紀」が、フルテキストで『密教メッセージ』に掲載されています。

「弘法大師と21世紀」
○空海密教との出会い
○弘法大師入定1150年に何があったか
○高野山開創1200年記念(2016年)までの8年間で何ができるか
○弘法大師の決断に学ぶ
○空海密教の5つのポイント
○空海を再発見した先達たち
○IT時代に必要な空海密教の方法論
○父なる大師・母なる空海

※簡単な講演概要は「セイゴオちゃんねる―Report 21世紀の空海密教を語る」(2月21日掲載)でも紹介しています。

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『密教メッセージ』第13号
発 行 密教21フォーラム事務局

投稿者 staff : 12:55

2008年5月 6日

Publishing 皐月セイゴオ・アラカルト

◆『ランティエ』・男と女の資本主義5「デュアル・スタンダード」

大好評の月刊『ランティエ』連載、今回の書き下ろし遊書は「國」。国構えの右側で振るわれた「戈」は血を滴らせながら国都を守っている。さて今の日本はどうか――。失われた日々だけを惜しみ、憲法九条も親米も反米も根本に立ち入った議論にならない日本人…。現代日本の問題点を4冊の本でめぐりながら、新たなデュアル・スタンダード文化の必要性を示唆しています。

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書 名:『ランティエ』2008年6月号
発 行:株式会社角川春樹事務所
発売日:2008年4月24日
価 格:880円(税込)

◆『墨』・「新様と筆様が拓いた中世表現力」

隔月刊『墨』の「日本の書文化」が再開しました(99年5月から2005年5月まで連載)。如拙『瓢鮎図』と雪舟『四季山水図』を取り上げ、中世日本の禅林文化における山水画と書の様式の確立に迫ります。

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書 名:『墨』2008年6月号
発 行:芸術新聞社
発売日:2008年5月1日
価 格:2,350円(税込)

◆『武道』・「苗代をつくる」

月刊『武道』の隔月リレーエッセイにセイゴオが寄稿。『世界と日本のまちがい』以来の重要なキーワード「苗代」を、グローバリズム過剰に警戒心を持ち始めた人たちに「日本という方法」として文化に持ち出すことを提案しています。

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書 名:『武道』2008年5月号
発 行:ベースボール・マガジン社
発売日:2008年4月28日
価 格:530円(税込)

投稿者 staff : 01:21

2008年5月 2日

Report 日韓文化の渦と潮

日韓女性親善協会総会で講演

 4月22日、日韓女性親善協会総会で、セイゴオが「日韓文化の渦と潮」と題して特別講演。
 この協会は、日韓両国の友好を深める目的で、相馬雪香さんを会長として1978年に設立され、さまざまな交流・交換事業を展開してきた。この日は協会理事や会員による年次総会が行われ、続く講演会には200人近い一般聴衆が参加。約100分の高速なセイゴオ・トークに熱心に聞き入っていた。

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■「怨」の国・「恨」の国

 折しも李明博(イ・ミョンパク)大統領が来日し、日韓のシャトル外交がスタートした。日韓関係の展望を「嵐にも揺るがない地中に深くしっかり根差した木」にしたいと語る李大統領は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)・小泉時代に疎遠だった日韓関係を、今後は成熟したパートナーシップに格上げするという明確な意思を表明した。

 日本では韓流ブーム・ハングルブームが続いているが、両国の関係はさまざまに難しい問題を抱えてきた。また日韓は歴史的に見てさまざまな相似性がある一方で、決定的な違いもあり、文化から見ても比較することが難しい。が、これからは日本が日本のことを知るためにも、韓国との相違点を知ることは大変重要になるだろう。

 私自身、これまでに『知の編集工学』や『情報の歴史を読む』など4冊の本が韓国で翻訳されている。また今は仁川大学から韓国における地方文化のアーカイブ化について相談も受けている。そういうこともあって日韓の祭りの相違について研究をしはじめた。

 よく韓国は「恨」(ハン)の国、日本は「怨」(エン)の国という言い方がある。「恨」とは歴史的現在に立った今の感情であるが、「怨」は時間的推移を経た感情である。そのことは、韓国のシャーマニック型の巫祭と、日本の御霊会との違いなどに顕著に表れている。

 また韓国および朝鮮半島の文化は、英語では「渦」(ボルテックス)とメタファーされてきた。これに対し、宮本常一や柳田国男は、日本文化は「潮」であるという。今日の講演タイトルを「日韓文化の渦と潮」としたのにはそんな背景がある。


■渦と潮の一衣帯水・同床異夢

 日韓文化の「渦」と「潮」を比較するにあたり、「一衣帯水」と「同床異夢」の二つの側面から見ておきたい。つまり日韓を一つのものとして見る見方と、日韓は違うという見方である。

 「一衣帯水」のほうは、対馬と釜山がわずか50キロメートルの距離であることに象徴されている。国土の7~8割が山地であること、住居が瓦・土壁・木造であること、そして顔もよく似ている。同じ仏教圏儒教圏の国であること。そして重要なこととして、古代の建国神話が似ているということがあげられる。

 このように共通する風土や文化を持ちながらも、日韓には「同床異夢」がある。韓国の家では門がシンボルとされるが、日本では玄関が“顔”となる。マダン(内庭)を重視しオンドル(床暖房)を使う韓国に対し、日本は奥座敷を重視し炬燵を使う。ちなみに住居でオンドルを使う韓国では生け花が発展しなかった。
 日本にとってわかりにくいのは韓国が今も重視する「族譜」(チョクボ・家系の記録)である。また韓国朝鮮では、姓の数がわずかに250しかなく、中でも金、李、朴、崔、鄭の五大姓が圧倒的に多い。これに比べ日本の性は10万とも言われるほど多様である。現在も新しい姓が生み出されている。

 これほど近接した二国でありながら言語体系も大きく違う。日本語には母音は5つしかないが、韓国語には母音が7つ、複合母音が11もある。聞いていて、ああコリアンだなと感じるのはこのせいだ。また同じ漢字文化圏であるが、平仮名・片仮名を併用する日本と、近年はもっぱらハングルを用いる韓国との違いは大きい。
 言語と文字の違いはオラリティー文化とリテラシー文化に根本的な違いをもたらす。たとえば日本には「先生に叱られた」とか「女房に逃げられた」といった受け身の語法があるが、韓国は「先生が叱った」「女房が逃げた」という表現が普通で、こういったことを受け身で表現することがない。ということは、日韓では議論の仕方も大きく違うのである。

 そのほか野菜をまぜるキムチと野菜を混ぜないお新香の違い。伎楽面のように頭からすっぽりかぶるマスク(面)の違いと、能面のように顔に小さめにつけるマスク(面)の違いなどもある。
 韓国ではキリスト教徒が1000万人もいるということも日本との精神文化の違いを象徴的に示しているようである。

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■日韓の歴史の見方

 ここからいったん歴史を古代まで遡って、韓半島と日本列島の交流と変遷を見ておく。

 古代の日韓関係は中国との関係を抜きにしては語れない。高句麗(コグリョ)・百済(パクチュ)・新羅(シルラ)が台頭したいわゆる古朝鮮(コチョンソン)と倭国・日本との関係は、中国の漢王朝が力を失い、三国時代という不安定な時代に移ったところからスタートを切った。おそらく初期の古朝鮮と倭国はまさに一衣帯水の関係にあり、まじりあっていたと見た方がよい。実際に日本には多くの韓半島からの渡来人がきて、秦氏や蘇我氏のように日本の古代文化を担った人々もいた。

 6世紀になると中国に隋、続いて唐という巨大帝国が登場。唐・新羅が手を結んで高句麗・百済を圧迫しはじめると、百済が当時友好関係にあった斉明天皇時代の日本に応援を求めてきた。斉明天皇は大和政権の拡張や辺境経営に関心の高い女帝だった。外交センスもあったようで、すでに百済にもいくつかの拠点を持っていたが、百済が敗れたことをきっかけに、韓半島への出兵を決断する。これが有名な「白村江の戦い」である。
 斉明女帝はみずから北九州に赴いて指揮を取ろうとするが筑紫で突然亡くなり、その意を汲んで中大兄皇子が白村江に水軍を出兵させるが、唐・新羅連合軍に敗退してしまう。

 この「白村江の戦い」は日本の歴史上重要な戦争だった。これに敗戦したことによって、日本は「日本」の自覚を高め、国内政治を充実させていくことになった。
 一方、新羅もまたその後唐の圧力を押しのけて、初めて半島統一を成し遂げ、やがて「高麗」(コリョ)を建国する。

 ここで、日本と高麗とは大きな政治的選択の違いを見せている。高麗は戦乱を好まない国だったため、中国に服従を誓い冊封国となった。そして中国の制度を取り入れ、以降400年にわたり「両班」(ヤンパン)による文民政治を続けた。これに対して日本は、同じく中国の律令制度を取り入れながらも、冊封国にはならなかったのである。
 日本は鎌倉時代以降、武家政権となり、明治にいたるまでそれが続いたが、韓国では近世にいたるまで、武官が政権を握ったのはわずかに40年間ほどしかない。

 朝鮮半島においては、武家政権の力が一度も大きくならなかったということは、日韓の歴史のなかで特筆すべき大きな違いであろう。


■李氏朝鮮と秀吉の半島遠征

 古代の高麗を古層として、14世紀末に李氏朝鮮がつくられる。いわゆる「李朝」である。朱子学を取り入れ、自分たちの国を「東華」とか「小華」(小さい中国)と呼ぶ事大主義の国、中国王朝に正面から向き合う国だった。

 この李朝時代につくられた家具や民画や陶磁器が、のちに柳宗悦によって再発見され、日本で民芸運動の潮流が沸き起こっていった。柳は李朝の工芸に「無相の美」を発見したのである。ただしそれは日本人の無常観に根ざした解釈だった。そのためこの柳の見方について日韓のあいだで論争が起こってしまう。
 李朝に注目したのは近代以降の日本人だけではない。桃山時代の茶人や職人たちは、李朝の青磁や白磁に強いあこがれをもっていた。しかしその頃はまだ日本に磁器の技術がなかった。そのため陶器の技術で青磁・白磁を真似ようとして、なんと黄瀬戸と志野を生み出すことになった。いずれも日本を代表する国焼となったものである。

 その後、半島から多くの技術者が日本に渡来し、ようやく日本でも北九州を中心に磁器生産が始まった。そのきっかけが、じつは秀吉による半島遠征だった。
 秀吉の行為は明らかに侵略だった。しかも秀吉は中国侵出までをめざしていた。中国皇帝と天皇を婚姻関係で結ぶというとんでもないプランももっていた。ちなみに日本ではこれを「文禄・慶長の役」というが、朝鮮では「壬申丁酉(イムジン・ウェラン)の倭乱」と呼ぶ。今でも秀吉は韓国人に嫌われている。
 結局、秀吉軍は李舜臣(イ・スンシン)の水軍に大敗し、間もなく秀吉も亡くなって、この戦乱の“戦後処理”をするところから、日本の徳川時代が始まるのである。
 
 家康がとった政策は一言でいえば内政充実型だった。幕藩体制を敷いて鎖国を行った。ただし、朱子学を取入れ李氏朝鮮の「東華」思想と同じようなイデオロギーを、中国に朝貢することなく、独自に確立していく。また朝鮮通信使を招き、大陸や半島の情報を取り入れた。この徳川の儒学型イデオロギーへの反動として、のちに独自の国学が生まれることにもなっていった。
 ちなみに、韓半島では「国学」は生まれず、また仏教文化も次第に途絶えていった。このあたりから日韓の同床異夢が大きく隔たりを見せていくのである。


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■近代日本のまちがい

 近代になると、日本も韓半島も、しだいに封建社会の行き詰まりが目立ち始め、機を同じくして世直しを叫ぶムーブメントが起こっていく。
 その一方、列強のパワーポリティクスが東アジアにどんどん迫ってきた。ロシアが不凍港を求めてどんどん南下し、アヘン戦争に勝利し清王朝を抑えたイギリスをはじめ、強大な軍事力をもつアメリカやフランスが、ロシアに対抗しながら日韓の開国を迫った。
 
 先に開国をしぶしぶ決断したのは日本だった。もちろん列強の軍艦は韓半島にも迫っていたのだが、朝鮮は徹底した抵抗力を見せなかなか開国しなかった。朝鮮というのは戦乱を好まない国でありながら攻められると強いのである。
 しかし列強がめざすところはあくまでアジアの全土、大陸である。その窓口として韓半島を開かせることが絶必となっていた。そこで列強側は、開国後急進的に列強の仲間入りをしたがっていた日本にその役割を果たさせようとした。

 こうして、明治日本は李朝に軍艦を差し向け開国を迫っていく。まさにペリーの黒船とそっくり同じ砲艦外交である。そしてついに朝鮮半島は日本によって開国させられていく。
 
 今も日韓のあいだで議論することが困難な「征韓論」は、このような列強の思惑や、またそれに従った日本の半島経営の野心から起こっていった。またここから日清・日露戦争への道も開かれてしまった。
 日清戦争は日本と清との戦争だが、そこには、清朝のなかで起こりつつあった「文明開化運動」(洋務運動)、李氏朝鮮のなかでの覇権争い、そこに端を発して日本が朝鮮の騒乱を収拾するために朝鮮半島に軍隊を派遣したことなど、中・韓・日のそれぞれの事情や要因がいろいろにからんでいた。

 詳細は省くが、こうして日清が朝鮮半島を舞台に戦争し、その結果日本が勝利した。下関条約によって、多額の賠償金を清からせしめ、また朝鮮国の独立を清国に承認させると同時に、遼東半島や台湾などを日本に割譲させた。日本は列強によるアジア近代化の片棒を担ぐことで、国民国家を成立させたのである。
 しかし、そこにロシア・フランス・ドイツから三国干渉が起こったことから、日本は次の日露戦争への道をひた走っていく。いよいよ朝鮮半島を舞台にロシアとの戦争に挑み、運よく勝利を収めた日本は、韓半島を保護する名目で、伊藤博文のシナリオによって、ついに日韓併合をしていくのである。

 この、開国後の日本が欧米の植民地主義さながらに韓半島に侵出していった経緯や歴史を、今の日本は何も説明することができなくなっている。


■21世紀の日韓文化の結び目

 以上、ざっと古代から近代までの日韓の歴史を大急ぎで振り返ってみたが、最後に、これから21世紀の日韓文化をつなぐための視点をいくつか提案しておきたい。

 ひとつは、日本も韓国も、かつての新羅という古層を共同で研究すべきではないか。たとえば、花郎(ファラン)という弥勒信仰の青年結社の動向や、「契」という共同単位、また「郷歌」(ヒュンガ)と呼ばれる詩歌のスタイルは、その後の日本の仏教の需要や共同体の作り方、あるいは『万葉集』の成立に影響をもたらしたのではないかと思われる。
 残念ながら今は韓国もそういった新羅の文化を忘れているのではないか。

 それから、柳宗悦が再発見しながらうまく重なることができなかった李朝の美意識についても、たとえば日本の無常観とパンソリの慟哭との関係も含め、もう一度重ねて見つめなおしてみるとよいと思う。

 また、日韓が共同で建国神話を研究すべきである。加羅(伽耶)の金首露王神話と天孫降臨神話の類似性や、朱蒙(ジュモン)の高句麗伝説と神武東征神話の類似性などを両国が協力して解き明かすことで、二国の「同床異夢」の奥にひそむ、「一衣帯水」の日韓の関係が見えてくるはずである。

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投稿者 staff : 23:54