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2008年04月02日
Diary 安藤忠雄さん・茂木健一郎さんと都市の未来を語る
3月14日、皇居前の和田倉噴水公園内のレストランに、安藤忠雄さん・茂木健一郎さん・セイゴオが顔を揃えて、約1時間にわたり「都市の未来」をめぐって鼎談をしました。これは、ディベロッパーのアーバン・コーポレーションが新創刊した雑誌「カイラス」のプレス発表会のために行われたもの。じつは、もともと雑誌創刊を祝して記念スピーチを行うことになっていた安藤さんのたっての希望で、急遽茂木さんとセイゴオが“友情出演”をすることになったという、異例の鼎談でした。安藤さんは昨年末に刊行された『脳と日本人』(茂木さんとセイゴオの対談本)を読んでおおいに触発され、今回の鼎談を希望されたのだとか。
アーバンコーポレーション代表の房園社長、「カイラス」編集長の小西克博氏の挨拶に続き、まず安藤さんが自作品を映像で見せながらの20分の基調講演、「建築物が社会に何を残せるか」という問題意識に立って、30年以上にわたって取り組んできた、エコ・コンシャスなプロジェクトの数々を紹介しました。そこにセイゴオと茂木さんが加わり、環境と都市について、意識と風土について、日本人の方法と自然科学の接点について、縦横に話題を広げていきました。
松岡:ロラン・バルトは東京の中心がヴォイド(空)であることに注目した。マッカーサーも皇居周辺の景観こそ東京でいちばん美しいと言った。今の東京は、あいかわらず中心は空いているが、ますます過密都市になっている。これからはむしろ、ヴォイドな空間をもっと増やしていくべきではないか。
茂木:自然には驚くべき回復力がある。隙間さえつくってやれば、自然は自分で回復していく。人間も同じである。子供を育てる環境をつくるには、空間の隙間、時間の隙間を空けていくことだ。

安藤:韓国では川の上に造られた高速道路を8年かけて撤去し、完全に川を再生した。川を再生したことで、人間の歩ける街になった。いま日本橋でも同じような計画が持ちあがっているが、日本ではおそらく100年ほどかかってしまうのではないか。東京ではあいかわらず経済のための町づくりが進んでいる。
松岡:都市には暗闇も必要だ。人間には「惧れ」が必要だ。世界中の聖なる空間は、天を覆ってその下に陰影をつくるという共通構造がある。各民族が風土にあわせて造ったものが、結果的に人工の森や木陰のような、癒しと惧れのための構造をもっている。

松岡:かつて日本の村には、「入会地」というものがあった。誰の所有地でもなく、何のために使うのかという目的もない場所が、村民の活動の多様な可能性を担保していた。現代は、「目的のない場所」というものが残れない時代。
茂木:何もない、ということは「無」ではない。じつは脳の中の無意識もそういうもの。むしろ雑音が入り混じっているような状態が無意識である。そういう脳の状態と自然のあり方は似ている。
安藤:何もない壁や隙間に、花を活けたり掛け軸を飾るのが日本人の暮らしである。本来の日本の暮らしとは、自分がかかわることによって、ゼロから空間をつくっていくことだった。都市づくりでもそのような考え方が必要になっている。

松岡:日本はグローバリズムをいったん止めるべきだ。そのためには、「苗代」というものを考えなおすとよい。日本人は、幼弱な稲苗を育てるために、大陸にはなかった「苗代」という工夫を生み出したのだ。いまの日本では方法としての「苗代」が忘れられている。
茂木:日本的方法と生命の科学哲学は非常に合致する。生命科学は世界のフロントランナーだが、日本の方法にはそれに匹敵する普遍性と可能性がある。
安藤:私は、お二人の『脳と日本人』を読んで、たいへん触発された。いろんなイマジネーションがかきたてられた。ところが、学生たちにその話をしても、本を読ませても、どうしてもそのことが伝わらない。知識の総量ばかりを競う教育のために、自分で感じ、自分で考える力を失っている。これがグローバリズムの結果なのだ。
松岡:安藤さんの建築にひそむ「日本」を、日本人が取り出せなくなっていることと共通する問題だ。

投稿者 staff : 2008年04月02日 02:13
