セイゴオちゃんねる

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2008年2月29日

News NICT主催「図書街シンポジウム2008」

 3月10日(月)14:00~17:30、神田の学士会館でNICT主催の「図書街シンポジウム2008」が行われます。セイゴオは2005年のプロジェクト発足以来、基本構想のコンセプターとして活動の中心に立ち、慶応大学教授・金子郁容さん、北海道大学教授・田中譲さん、そして京都大学教授・土佐尚子さんとともに着々と図書街の実現化ををすすめてきました。

 このシンポジウムでは、600万冊の収蔵を目指す「図書街」の基本コンセプトやシステム開発の成果、そして応用技術の事例などを説明しプロジェクトの全体像を詳細に紹介します。また、慶応義塾塾長の安西祐一郎さん、江戸文化研究家の法政大学教授の田中優子さん、建築家の内藤廣さんらゲストスピーカーをまねいて「図書街」が実現する知のプラットホームの本来と将来について、文化、芸術、学術、産業のあらゆる面から論じます。総合司会は金子郁容さん。セイゴオはリレートークをモデレートします。

詳細はこちら http://es.isis.ne.jp/NICT/sympo2008/


NICT主催「図書街シンポジウム2008

■日時
2008年3月10日(月)14:00ー17:30(開場 13:30)

■場所
学士会館/本館/202講堂
東京都千代田区神田錦町3-28

■出演者
金子郁容(慶應義塾大学/政策・メディア研究科委員長・教授)
松岡正剛(編集工学研究所所長)  
高野明彦(国立情報学研究所/連想情報学研究開発センター長・教授)
田中優子(法政大学/社会学部教授)
内藤廣(建築家)
猪子寿之(チームラボ(株)/代表取締役社長)
堀主知ロバート((株)サイバードホールディングス代表取締役社長
            兼 グループCEO)
尾原和啓((株)リクルート/インターネットマーケティング局
       プロジェクト推進Gジェネラルマネージャー)
田中譲(北海道大学/知識メディアラボラトリー長・教授)
土佐尚子(京都大学/学術情報メディアセンター・特別教育研究教授)
倉林修一(慶應義塾大学/政策・メディア研究科助教)
安西祐一郎(慶應義塾塾長)
松島裕一(NICT理事)
井澤一朗(NICT執行役)
松山隆司(NICT知識創成コミュニケーション研究センター長)
木俵豊(NICT知識創成コミュニケーション研究センター
     知識処理グループリーダー)

■参加費
無料

■申込方法
事前のお申込みが必要です。参加ご希望の方は、下記のURLにアクセスのうえ、お申込み受付フォームよりお申込みください。なお、定員を超えた場合には参加をお断りする場合がございますことをご了承ください。
http://es.isis.ne.jp/NICT/sympo2008/
 
■お問合せ
NICT図書街シンポジウム事務局(編集工学研究所内)

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主催:独立行政法人情報通信研究機構
協賛:北海道大学知識メディアラボラトリー(VBL)
    慶應義塾大学SFC研究所
    京都大学学術情報メディアセンター

投稿者 staff : 17:33

2008年2月25日

News 平城遷都1300年記念フォーラム

 3月8日、奈良市で開催される「平城遷都1300年記念フォーラム」に、セイゴオが出演。「古代と未来をつなぐ都市文化」をテーマに講演後、奈良県知事・荒井正吾氏、奈良市長・藤原昭氏とともにパネルディスカッションにも出演。

 シンポジウムの詳細と申込方法は下記の通り。
 
■平城遷都1300年記念フォーラム

□日時:3月8日(土) 13:30開演(13:00開場)

□会場:奈良県新公会堂・能楽ホール(奈良市春日野町)

□内容:

  講演「古代と未来をつなぐ都市文化」(60分)
     松岡正剛

  パネルディスカッション「天平の夢、未来へ」(90分)
     松岡正剛
     小滝ちひろ氏(朝日新聞社編集委員=コーディネーター)
     荒井正吾氏(奈良県知事・平城遷都1300年記念事業協会副会長)
     藤原昭氏(奈良市長・平城遷都1300年記念事業協会副会長)

□申し込み方法(申し込みは2月29日締切・必着)

ハガキ、FAX、またはEメールに住所・氏名・年齢・電話番号・参加人数を明記し、下記までお申し込みください。希望者多数の場合は、抽選の上、聴講券を送付します。

     平城遷都1300年記念事業協会 シンポジウム係
      〒630-8113 奈良市法蓮町757奈良県法蓮庁舎4F
      FAX:0742-27-5805 Eメール:sympo@1300.jp

 *下記の申込フォーマットもご利用いただけます。

   http://www.nara-download.jp/form.php?crGr5HQu

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投稿者 staff : 14:00

2008年2月23日

Report 隈研吾さんとめぐる東京建築バスツアー

■ハイパーコーポレート・ユニバーシティー第5講

 2月9日、ハイパーコーポレート・ユニバーシティー第3期の5講が建築家の隈研吾さんを迎えて開講された。隈さんの建築をめぐりながら、日本の戦後建築史を駆け抜け、現代建築が抱える“グローバリズム”と“ゲニウス・ロキ”のAIDAを考えた。

 集合場所は等々力渓谷近くの村井正誠美術館。館内には日本のモダニズム絵画のパイオニアである村井正誠画伯のアトリエがそのまま入れ子式にとりこまれている。また生前の愛用品や愛車も展示保存され、外壁や塀には旧宅の廃材も利用されている。昭和初期から創作し続けた村井氏のおもかげをそのまま包み込んだ、真っ白な吹き抜けの展示室で、「隈さんがこの場所をスタートに選んだ意味を考えてほしい」とセイゴオが塾生に問いかけた後、いよいよ隈さんの建築をめぐるバスツアーへ出発。道中セイゴオと隈さんが日本現代建築史談義をおこなった。

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松岡:隈さんは坂茂や竹山聖などとともに、戦後日本建築界で第4世代とよばれている。丹下健三、磯崎新、安藤忠雄を経たこの世代は、最初から矛盾を引き受けざるをえなかった。
隈:木や紙や土などやさしい素材を使った日本の建築は、世界に誇れるものだった。しかし第二次大戦ですべてを壊され、アメリカをモデルとした強い都市だけが理想となった。建築は時代の影響を強く受けることを避けられないが、第4世代の社会背景が自分にとってはよかったと思っている。
松岡:戦後の混乱から今日に至るまで、グローバリズムの競争にかまけて「日本という方法」を省みなかった結果が建築のあり方にまで及んでいる。吉田茂から田中角栄のあいだに、建築史もさまざまな矛盾を抱えることになった。これは企業の問題にも通じている。分母(土地・歴史)を問いながらフィギュア(建築物)を見直す必要がある。

隈:「ONE表参道」ではやわらかい都市を復活させたいと考え、ルーバーを木で覆い内部はガラスクロスで半透明の壁・天井・家具を作り、受付は壁を照明にした。すでに山も森もなく、“土地の霊”を感じられなくなった東京で建築物をつくるのは本当に大変。しかしそういう意味ではやりがいも大きい。
松岡:隈さんの建築は、素材の力やゲニウスロキ(土地の力)がこめられている。
隈:梅窓院はアプローチを竹林にみたてた。そこを通ることによってお寺にむかう心身の準備をおこなう。お寺は地域の文化施設でもあり、梅窓院は青山の文化的中心だった。この「本来」を取り戻したいという施主の希望を受け、ホールを祭礼だけでなくイベントやコンサートにも使えるようにした。
松岡:アプローチは東京のホールでもきわめてユニークだ。連塾にも使わせてもらい、そのときは長谷川等伯の「松林図」を壁面いっぱいに投射した。
隈:ミッドタウン全体の建築はアメリカの大手不動産が引き受け、日本をテーマにしている。個別には「21_21」を安藤さんが、「サントリー美術館」を僕が設計した。収蔵品の陶器や磁器のイメージからセラミックパネルを使い、フラジャイルな建築を目指した。
松岡:和紙から透けるおぼろな灯りや、空間を自由に動かせる格子の間仕切りが心地よい。日本人はひとつの敷居や一枚の暖簾を使い、関係性に合わせて自由に仕切りを“創発”してきた。場所の大小にかかわらず大いに遊んでほしい。

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隈:今回僕のいろいろな建築を見てもらい、皆さんには課題として自分の家を撮影しプレゼンしてもらったが、空間や建築を見せるというのは自分を見せることと同じだ。何を選び何を説明するかが自分の能力、センス、さらには思想や経済力まで語ることになる。もっとそういう目で空間や建築を見てほしい。
松岡:普段から仕事場や住居にも関係ごとナラティビティや企画性をもちこみ、語れることを増やすとよい。隈さんはそれをおこなっている。
隈:今日のプログラムを村井美術館から始めた理由は、あの美術館が高度成長期では建てられることのない枯れた時代の建築であり、それこそが僕の時代の建築だからだった。
松岡:建築には素材、予算、人、環境、技術、そのすべてが入ってくる。それらを精緻し、さらにモノには還元できない思想を加えて仕上げる。断絶された現代において、人やモノとの関係性を増やし、境界をまたぐ力を身につけたい人は、もっと建築家と出会うべきだ。

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投稿者 staff : 00:05

2008年2月21日

Report 21世紀の空海密教を語る

 2月7日(木)、セイゴオは群馬県伊香保温泉で行われた高野山真言宗東日本地区教師研修会に呼ばれ「弘法大師と21世紀」というテーマで2時間のソロ講演を行いました。聴衆は約130名の高野山派の僧侶たち。2日がかりで準備した15枚のレジュメを手にステージにあがり、中央に掲げられた弘法大師の大きな肖像に手をあわせてから話し始めました。

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■高野山開創1200年に向けて

 今日は快晴に恵まれ榛名山もきれいですね。身が引きまるような風に伊香保の奥行きを感じながらここまでやってきました。ただ一つだけ残念だったのは、群馬のタクシーも禁煙になってしまったこと。ヘビースモーカーの私としては、せめて榛名山のふもとを通るときくらい気持ちよくタバコを吸わせてほしい(笑)。 
 近ごろの日本は本当に最悪です。偽装や企業合同が相次ぎ、続々とグローバル・ルールに準じてグローバル戦争に突入しています。このままでは日本はきっとダメになってしまいますよ。

 このような時代のなかで、7年後の2015年(平成27年)に高野山は開創1200年を迎えます。おめでたい年ですね。みなさん、そのころの日本を予想できますか。7年間というのは、ちょうど安政の大獄から明治維新まで、日中戦争の盧溝橋事件から原爆まで、まして真珠湾攻撃から敗戦まではたったの4年です。あまり時間はありません。いったい仏教や密教はどのような立場で1200年を迎えるべきなのでしょうか。

 ぼくが密教に出会ったのはちょうど日本の言葉に関心をもった18歳くらいのころでした。現代の感覚では読めない古代語や経典に強くひかれ、次第に“禅”と“浄土”と“密教”にふれ空海の言語哲学にどんどん傾倒していきました。その後、雑誌「遊」をつくるにあたって世界中の70歳以上の知識人に会いに行こうと決心し、密教研究者である那須政隆(なすせいりゅう)さんと出会いました。以降45年、自分なりにお大師像を模索しながら『空海の夢』(1984年)を書き、ビデオ「蘇える空海」をつくりました。
 こういったかたちで空海を見つめてきた私が、つねづね思っていることは、密教こそターニングポイントを迎えた時代や社会に対してかなり親和性が高いということです。

■21世紀に有効な密教の五柱

 高野山開創1200年をむかえるにあたって必要なものはソフトです。箱物でもイベントでもありません。しかも、そのソフトは密教の中に既にある。ただそれを21世紀という時代向けに読み替えることが必要です。今日は、総合性、象徴性、行動性、多元性、官能性の5つの側面から21世紀の密教について話します。ちなみに、この5つがバランスよく傷つかずに継承されていることは密教が誇るべき底力です。

1)総合性
 密教は、自己と他者を分離しないという総合的な視野をもっています。すなわち真言宗のなかでもっとも大切な言葉「而二不二」ですね。善と悪、理屈と情念、知恵と慈悲などを対立するものではなく、切っても切れない一対の関係と捉える。これこそグローバリズムの根底に流れる二分法を越えた思想です。これからの時代は、ピラミッド的なヒエラルキーやたった一つの答えを求めないやり方が必要です。

2)象徴性
 密教には、イメージでコミュニケーションする方法があります。とくに空海はイメージをマネージすることを発見した超本人です。たとえばムドラーや羯磨曼荼羅や尊像などはイメージだけでつくられたコミュニケーションツールです。これらをインターネットのアイコン時代に使わなかったらもったいないと思います。さらには新しい梵字をつくり、シンボルやマークにすべきです。あるいはまた、カードの認証がこれだけ必要な現代ですから、横文字を真似せずに花押のようなものも復活してみたらどうか。

3)行動性
 密教は、動きのなかで物事を認識することを重視します。つまり三密喩伽行のことですが、英語で言えばインモーションです。空海はこの能力に長けていました。私の専門の編集工学で言えば「情報を多様に言い換えて動かしていく」ということです。たとえば、ここにコップがありますが、これを30回言い換えてみます。みなさん、どうですか。言い換えられますか。容器、製品、商品、ペン立て、金魚鉢、虫篭、水差し・・・。このように動的にコップ見ることで様々な見方が生まれますね。これはまた言い換えている自分と言い換えられている他者を分けずに見たままの状態を関係性ごと認識するという密教の方法にもつながります。部分的な要素だけに目が行きがちな現代に杭を打てると思います。

4)多元性
 密教は、もともと多元的な「デュアル・スタンダード」という価値観をもっています。弘法大師が高野山を開創するときに狩場明神と丹生都比売の二人の神々を祀ったことにも通じます。これから密教を波及していくためには、密教が異質を排除せず異教の神々を包摂しているということをもっと全面にアピールしていくべきでしょう。密教が神仏の両方を大切にしていることを堂々と示すべきです。日本の神祇と仏教はもっと手をたずさえるべきです。これは密教以外のほかの宗派ではなかなかできません。ぜひリードしていって下さい。

5)官能性
 密教はまた、「大欲清浄」という価値観で煩悩を押しつぶさずに社会にうまく持ち出す方法に長けています。これからも人の欲望を wants や needs に読み替えて、理趣経を上手に語っていく必要があります。「愛適」にひっかかったり拘わったりしていては、今の時代に取り残されますよ(笑)。私は密教がここを伏せてしまったからオウム真理教が生まれたのではないかとさえ思っています。
 けれども、今、実力も人気もある作家たち、たとえば江国香織や川上弘美を見ても、愛を語るのにセックスを必要としていないのです。こういう態度や立場はどこか理趣教っぽいと思います。21世紀の密教にとって人間の欲望とどう対面するかは大きな問題です。


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■空海密教を再発見した先人たち

 高野山開創1200年を目前に、以上の5つの核を社会に打ち出していくときに、ぜひともやっていただきたいことがあります。それは、明治以降、弘法大師を復活させた先人たちに光をあてて、その方法を継承してほしいということです。これからの密教をどうしたいかということを考えるには、空海とともに立ち上がった人々におおいに学ぶべきです。

 御存じのように、明治初頭、空海や空海密教はひどい扱いを受けました。当時の代表的知識人である福澤諭吉や中江兆民は密教を淫祠邪教と断じ、空海の評価もかなり低いものになっていました。
 けれども、そういった偏見には屈せず、弘法大師に注目した先駆者たちもいたのです。今日はその中から8人の人物を取り上げてみます。

 まず1人目は幸田露伴です。露伴は近代日本で一番最初に空海に注目した。2人目は内藤湖南です。湖南は空海の書に着目しました。
 そして3人目は南方熊楠です。この熊楠と空海はぜったいに切り離さないでください。熊楠は密教界を代表する土岐法竜と800通もの文通を交わして独特の密教観とも言える「ミナカタマンダラ」を構想し、萃点(すいてん)を発見しました。
 4人目は岡倉天心です。天心を語らないでどうして密教を語れますか。天心は『東洋の思想』で密教に触れています。いまこそ「Asia is one」というのであれば天心とともに空海にふれるべきです。ちなみに『茶の本』の内容の半分は道教で、半分は『秘蔵宝鑰』です。
 5人目は新渡戸稲造。『武士道』をみればわかると思いますが、かなり空海の影響をうけています。6人目は大村西崖。西崖は密教美術史全5巻をつくったことで知られていますが、じつは東京美術学校の教師であり天心の弟子なのです。
 7人目は菊池寛です。弘法大師入定1100年を記念して『十住心論』を書いたことで有名ですね。そして8人目は岡本かの子です。『秘蔵宝鑰』と『即身成仏義』を大絶賛しています。きっと岡本太郎の作品もかの子の影響が大きかったことでしょう。

 いわゆる仏教や密教を研究するのはもちろん大事ですが、近代日本の知をつくった人々が空海にこれだけ傾倒していたということに、もっと注目するべきです。

■父なる大師、母なる空海

 ところで、現代の日本はグーグル検索社会です。キーワードを打ち込めばピンポイントで検索され、情報がランキングされてでてきます。私はこの検索社会には問題があると見ています。情報が単なるランキングにしかなっていない。なんとかしてこの状況を変えなくてはいけません。私は、密教的な世界観にその可能性を見出しています。密教の得意手をつかえば、ゆらぎながら幅広く対象物に向うことができます。すなわちソフトアイとハードアイの併用です。

 私は、21世紀にもっとも重要となるキーワードは「mother」だと思います。motherとは「母」という意味もありますが、母国語(mother-tongue)や母国(mother-land)という言葉が象徴するように、「母なる国家」としての「母」の意味を強く感じてほしい。そしてまた弘法大師がおこなったこともまさに「マザープログラム」の構築です。
 2年間の中国滞在を経て、東寺をつくり、伏見稲荷のような他者を巻き込み、利他と自利を交換し、熊野とも関係を深め、高野山で天神地祇を招き、狩場明神や丹生都比売を祀り、『十住心論』で認識と意識の根本的なプログラムをつくって、それを『秘蔵宝鑰』でダイジェストし、また言語哲学としての『声字実相義』を書き、辞書をつくり、綜芸種智院を無料で開放しました。このすべては空海による母国日本のためのマザープログラムだったと考えたいのです。だからこそ「父なる大師」でもあるけれども「母なる空海」と言いたい。

 昨年末に、私は『世界と日本のまちがい』という本を出版し、いろいろな問題を再認識しました。そのうえでやはり密教に託したいこと、密教を志す軍団に立ち上がってほしいという想いが募っています。これから7年後の高野山開創1200年にむけて、声を大にして空海を立ち上がらせて下さい。冒頭にものべましたが、7年という歳月は短いようでかなりのことができます。なんといっても空海が中国に滞在したのはたったの2年でした。その4年後には嵯峨天皇に日本のマザープログラムを提出し、それが定着するまでもきっと8年くらいだったことでしょう。


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投稿者 staff : 17:59

2008年2月13日

Publishing 『世界と日本のまちがい』 インタビュー&書評

 大好評の『世界と日本のまちがい』が、ビジネス誌『プレジデント』のコラム「本の時間」にとりあげられました。著者インタビューを受けたセイゴオは、歴史をタテ・ヨコ・ナナメで斬ることで新しい側面が立ち上がってくること、分断された歴史をおおもとに立ち返ってつなぎなおすことで「まちがい」が見えてくること、そして本書でもっとも強調した「資本主義への疑い」について語っています。

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『プレジデント』2008.3.3号
発行 2008年2月9日
出版 プレジデント社
定価 650円(税込)

 また、日経ビジネスオンライン「超ビジネス書レビュー」でも『世界と日本のまちがい』が取り上げられました。こちらで全文が読めます

投稿者 staff : 22:04

2008年2月 5日

Diary こんな日本人・あの日本人

椿座で、福原義春さんとお座敷談義

 1月末日、連志連衆會・椿座の第3講が、深沢・梅寿庵で開催されました。梅寿庵は二期倶楽部の北山ひとみマダムのプライベートサロンで、都内では珍しい藁葺の純日本風家屋。折しも節分の季とあって、玄関には大ぶりの梅とともに小分けした豆がしつらえられ、都内はもとより新潟や京都や岡山からも駆けつける会員のみなさんを迎えました。

 座元・福原義春さんが聞き役となり、セイゴオが歴史軸に沿って自在に「こんな日本人・あの日本人」を取り上げる。昨年10月の第2講から始まったこの椿座ならではの対談企画は、会員はもちろん、福原さんもセイゴオも「おおいに楽しんだ」と大好評。この日も、芸能と遊芸の様式をつくった観阿弥・世阿弥や珠光・紹鴎・利休、近世日本のリーダーシップを競った信長・秀吉・家康、独創的な編集感覚を発揮した芭蕉・蕪村・一茶などを、対比的・対照的に連ねていく当意即妙のやりとりが、小気味よくはずんでいました。

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福原:世阿弥は足利時代の宮廷文化の素養をすべて身につけた人物だった。このような芸能人は、今日的にはどのようにとらえることができるだろう。

松岡:古今東西の芸能者のなかで5本の指に入ると思う。あらゆる古典をマスターしていたこと、神話構造をもった新しい舞台と複式夢幻能というドラマツルギーをつくったこと、徹底した引き算によるその完成度の高さ。「時分の花」や「離見の見」などのすばらしいコンセプトを連打したこともすごい。

福原:義満が世阿弥のような身分の低い芸能者のパトロンになったこともおもしろい。宮廷文化と庶民の文化が直接的に結びついていた。そんななかで一休文化圏というのはどんな位置づけだったのか。

松岡:一休は女色も男色も恐れない破格な僧侶だった。それまでは修行者のためのものだった禅を、茶や能や花などの遊芸のコンセプトに適用した。今日「日本文化」と呼ばれているもののルーツは、ほとんど一休文化圏にあったともいえる。

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松岡:日本人は信長・秀吉・家康を比較するのが好きだが、なぜか家康は人気がない。不思議だ。

福原:信長の書いた書状は1000通ほどしか残っていないが、秀吉の書いた書状は1万通ほど残っている。秀吉はしぶといような努力の人だった。家康はその秀吉の努力に加えて、秀でた計画性があったのではないか。

松岡:ぼくは最近家康にいちばん関心がある。戦国時代のいわば戦後処理を徹底した、日本には珍しい改革派だったとみている。信長や秀吉は大陸進出をもくろんだが、家康は国際情勢を読み切ってアジアを捨てた。天皇家と並立する「神君」となって、思想的にも体制的にも内需型の改革を成功させた。

福原:信長や秀吉は宣教師たちを通して未知なる世界や新知識への魅力を覚えたが、家康は宣教師の向こうに大国の侵略意図を読み取ったのだろう。鎖国をしても出島は開けておくような、情報管理能力があった。

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福原:芭蕉や蕪村や一茶のような、寂びた感覚の俳人たちが、江戸の爛熟期に登場したのは。

松岡:江戸時代の社会は一言でいえば「分」を重視する社会。そこから、身分や分限に応じた文化を楽しむ工夫が生まれた。そのことが文化のスタイルにも転化され、重厚だった邦楽が短くなり、振袖が小袖になり、連句が俳句となるといった、ショートカット感覚が進んだ。俳句は連句の発句だけを取り出したものである。

福原:芭蕉が五・七・五のたった17文字で文学革命を起こしたといわれるのはなぜか。また蕪村や一茶との違いは。

松岡:芭蕉の奥には老荘思想がある。「百代の過客」という言葉に象徴されるように、無常の一瞬を見抜いて切り取る力があった。それを徹底した推敲を繰り返すことで、17文字に結晶化した。蕪村はその芭蕉にあこがれた。「いかのぼりきのふの空のありどころ」のような、絵画的で、時間の流れをまたぐような独自の句境をひらいた。一茶については、そのしたたかさが案外知られていないようだ。「雀の子」や「やせがえる」みたいな句ばかりではなく、じつは「大日本」や「日本」を詠んだ句がたいへん多い。

福原:日本人は良寛についても誤解が多い。良寛の書は確かにすばらしい。誰もが臨模したがるが、誰も良寛を越えられないという。

松岡:ぼくも一般的に語られる良寛像があまりにつまらなくて、自分で『外は、良寛。』を書いたようなもの。晩年の小林秀雄や漱石が良寛の書に狂ったのはなぜか。人をそこまでの思いにさせる良寛という人物を解いてみたかった。しかしそのためには、自分でも良寛の書を臨模してみるしかなかった。

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福原:本居宣長の革命性こそ、いまの日本人がいちばん忘れていることではないか。

松岡:宣長がいなければ、「古事記」も「万葉集」も日本人は読むことができなかった。江戸時代までは、日本人は誰も万葉仮名を解読できなかった。宣長は漢字を漢音で読むことによって、そこに中国的解釈が混じってしまうことに気がついた。それを「からごころ」と呼び、これを排することによって、上代の大和言葉のすだく世界観までを蘇らせた。この方法がすさまじかった。吉川幸次郎は「宣長の方法を失うことは、日本の魂を失うことだ」と言った。ぼくの立場もこれと同じだ。思想が失われることは大したことではない。方法が失われることこそ大問題だ。

福原:宣長の方法の継承者はいるのか。

松岡:宣長を慕う弟子が日本中に1000人もいたというが、研究活動そのものはソロだった。平田篤胤も弟子の一人だが、平田国学は別物とも言ってよいもので、これが明治の「国体」や国家神道に結びついていった。国学がきわめてナショナリスティックな学問だという誤解もそういうところに起因している。最近は、むしろ日本のナショナリズムそのものを解こうという研究者たちのあいだに、荻生徂徠や伊藤仁斎などとともに宣長に注目する動きがある。

投稿者 staff : 18:33