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2008年01月14日
Report セイゴオ回郷―京都篇(番外)
セイゴオちゃんねる更新200回記念特別企画
セイゴオ回郷―京都篇(番外)
■編集後記−風の又三郎の帰京を追って
最後に、本編で紹介しきれなかった取材中の写真をまとめて紹介するとともに、企画・取材・インタビューに携わったスタッフの感想も記しておきたい。
セイゴオ回郷に合流してくれた、小学校時代の同級生・中村晋造さんと、
中学校時代の同級生・茶木哲夫さん
今回の企画のために、セイゴオには二日間かけて思い出のトポスを訪ねながら京都時代を振り返ってもらった。出生の地―横田病院も、修徳小学校も初音中学校も、綾小路の住まいも高倉の家もなくなってはいたけれど、いまもセイゴオが住んでいた当時の、半世紀も前の佇まいや面影を残している路地や界隈や老舗などをめぐることができたのは、やはり京都ならではのことだったろう。
セイゴオが京都に在住したのは実質的には8歳から15歳までの、わずか7年間足らずのことだった。ただしそれは、セイゴオの生い立ちのなかでももっともかけがえのない7年間だった。もちろん、誰にとっても多感な少年期の思い出は香ばしくかけがえのないものだろう。けれどもセイゴオは、その香ばしさを誰もおよびもつかないほど高純度に結晶化し、たんなる少年期や京都に対するノスタルジーではない思索や思想をそこから紡ぎ出してきたのである。
インタビューのなかでは、幼少期に「母の不在」への強烈な寂漠を抱えていたという話があかされた。セイゴオ少年の痛々しいほどの感受性が推し量られるエピソードである。そのままでは「生きていけない」ほどに鋭い感知力だったというべきかもしれない。セイゴオのお母さんが見抜いていたのもきっとそのことだったのだろう。
そんなセイゴオの感受性や感知力を好奇心に変え、外部世界へと向かわせ導いてくれたのが、母のあふれる想像力であり父の際立った判断力だったようだ。そしてその外部世界とは、変化に富んだ京都の自然であり、奥行の深い京都の歴史文化だったにちがいない。おそらく、この父・母、そして京都なくしては、セイゴオは松岡正剛たりえなかったことだろう。
思い出の場所を訪ね歩くセイゴオは、楽しげだけど沈着だった。インタビュー中も、失われた風景への望憶や、残されたものへの懐古をうかつに口にすることはなかった。望憶も懐古もそれ自体、松岡正剛にとっては、父・母、そして京都から授かった「思想の方法」として表現されるべきものなのだ。本企画を「望郷」ではなく「懐郷」でもなく、あえて「回郷」と名付けたのは、そんなセイゴオの姿勢を汲んでのことである。
さて、本編にも紹介したように、セイゴオは初音中学校を卒業後、朱雀高校に進学したが、ここで父の大胆な決断によって一家は横浜元町に転居、セイゴオも東京九段高校に転校させられてしまう。しばらくのあいだ京都への思慕を募らせ、一人で京都に帰ることがしばしばあったという。そんなとき、帰京しても帰る家のないセイゴオを迎えてくれたのは、京都弁の幼馴染たちだったらしい。
今回の取材中、修徳小学校跡地を訪ねた足で突然立ち寄った呉服店の中村晋造さんもその一人だ。中村さんの店ではこの日、お得意さんのために展示会を開催中だったのだが、以降の回郷探訪に同行し、半日以上つきあってくれた。出生地である横田病院探しにも、いっしょに奔走してくれた。また初音中学時代の友人の茶木哲夫さんも会いに駆けつけ、室町で昼食をふるまってくれた。
ただしその後は、茶木さんに請われて、着物姿の中村さんを伴ったまま下鴨の茶木さんの骨董店を訪問するという予定外の展開になり、ようやく店を辞したあとは、セイゴオと中村さんが茶店でくつろいでしまい、その茶店に追い掛けるようにしてまた茶木さんが現れるというように、日暮れ前に取材を敢行したいスタッフ泣かせの、珍道中さながらのできごとが次々と起こってしまった。案の定、取材時間がずれこんで、めざす老舗が閉店してしまったり、夜間撮影で記録写真が真っ暗になるという不運に見舞われてしまった。
それでも、茶木さんの店で、セイゴオの手元から失われていた中学校の卒業アルバムを見せてもらえたことは幸いだった。そのアルバムに、1994年にセイゴオが手掛けた「平安建都1200年記念フォーラム」のチラシが大事にはさまれていたことも、そのチラシを見た中村さんが「わしも行ってたんやで」とすかさず口をはさんでいたのも、ほほえましかった。
きっと中村さんにとっても茶木さんにとっても、セイゴオは、たんなる幼馴染以上の存在、非日常性を連れてくる不思議なマレビト、風の又三郎みたいなものなのだろう。
「セイゴオちゃんねる」では今後も、セイゴオの生い立ちに沿ってゆかりの地を訪ねる特別取材企画を続ける予定である。次回は更新250回達成ごろに、日本橋人形町・芳町あたりの回郷篇を、ついでは横浜篇をお届けしたい。乞うご期待。
河原町の六曜社珈琲店は、セイゴオが帰京したときに、
幼馴染たちと集った喫茶店。
松原通りの家並みを眺めながら、
修徳小学校の級友たちの面影をたどる。
昔と変わらない大喜書店を見つけておおはしゃぎ。
中村晋造さんの店で、先祖代々の肖像画を拝見。
「ぼくの家にも確かこういうものがあった」。
高倉の家があった場所は、もとは足利尊氏の邸宅および菩提寺(等持寺)だった。
碑文をしげしげと眺めるセイゴオ。
寺町を散策中。
すっかり少年の顔に戻っている。
高倉時代にしょっちゅう訪れた若林書店。
母のお使いでよく来ていた一保堂。
番茶「青柳」が指定銘柄だったらしい。
寺町の「げてもの屋」はお気に入りの店だった。
今も古道具が店の内外にあふれている。
イノダコーヒーで好物のフレンチトーストを食べる。
ほかに、ゆずシャーベットもよく食べたという。
二日間の回郷を終えて、祇園で一服。
投稿者 staff : 2008年01月14日 14:30
