セイゴオちゃんねる

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2007年12月12日

Report 「森の奥なる柔らかきもの」

南方熊楠のネンキン問題と賞味期限問題

 12月8日、セイゴオが「森の奥なる柔らかきもの」と題して南方熊楠(1867~1941)について2時間のソロトーク(会場は南青山の梅窓院)。ワタリウム美術館で会期中の「クマグスの森」展の特別企画である。セイゴオは2005年にもワタリウムの依頼で熊楠について講演をしており、そのときは、柳田国男や折口信夫との民俗学の「方法」の違いによって熊楠の独自性をクローズアップした。
 今回は、「クマグスの森」展で展示中の膨大なスケッチなどを紹介しつつ、とくに粘菌の研究に没頭した熊楠の視点をセイゴオ流に読み解いた。

 冒頭、「今日の話はネンキン問題です」と観客を笑わせたセイゴオ、続いて熊楠は少年のころから「モーラの神」と出会っていたのではないかと聞きなれない言葉を語り始めた。「モーラ」とは「網羅」のことで、セイゴオの編集工学の奥にある、“夢中な網羅精神”をさす。じつはセイゴオの網羅精神は、小学校時代の恩師・吉見昭一先生からの影響だった。吉見先生は、日本を代表するキノコ学者であり、南方熊楠の孫弟子だった。セイゴオ少年の「モーラの神」は、熊楠少年の「モーラの神」と遠縁だったのである。

 熊楠のきのこ、粘菌を含む菌類図譜は約10000余点に及ぶ。そのうち約3000点は彩色がほどこされ、単なるスケッチではなく美しい絵として完結している。また、襞一枚一枚、胞子一つ一つまでを精緻に描き、余白を埋め尽くすように小さな文字で視覚、味覚、触感などを書き連ねている。
 そこには「今日の科学は因果は分かるが縁がわからない」と言った熊楠の科学に対する姿勢が滲み出ている。すべてを網羅し、すべてを筆写する。それによって観察している世界の分岐や結節を自分で体験していく。熊楠はつねに自分の関わりごと対象を把握して、周りとの関係性ごと理解していたと語るセイゴオ。

 では、なぜ熊楠は、とりわけ粘菌に夢中になったのか。粘菌は、いまも動物か植物かをめぐって議論のある謎の生命体である。その“生活”を観察すると、驚くべき変性のドラマを展開する。おそらく熊楠は粘菌を網羅することで、変遷し循環しつづける「森」そのものと向き合っていたのだろう。
 それはまた、海外留学で培ったグローバルな知識を携えて、ローカルな熊野の森に分け入った熊楠の姿とも重なる。熊楠にとって「世界」は「熊野」と相似であり、「熊野」は「粘菌」と相似だった。
 熊楠は、ドクター・ユニバーサルと呼ばれたライプニッツの言葉「一切知」を掲げ、森羅万象を関係づける「南方マンダラ」を構想した。その複雑によじれ重なりある世界線の真ん中には、「生命」と「物質」をつなぐものとして「萃点」が書き込まれている。熊楠の世界は、萃点に向かってすべてが集中し、萃点からすべてが発生する。
 まさにそれは、熊野の森の粘菌である。
 こうしてセイゴオは、さまざまな映像資料も使いながら、熊楠が凝視した「ネンキン問題」を提示して、講演を締めくくった。

 それから6日後の13日夜、今度はNHK教育テレビ「視点・論点」に出演、再び「クマグスの森」について語った。故郷の田辺に暮らし熊野の森に入って、グローバリズムを体現した熊楠、粘菌を追究することで生命宇宙の循環を見つめ南方マンダラに行きついた熊楠。番組の最後にセイゴオは、人為的な賞味期限ばかりを問題にする日本は、このおおいなる循環を忘れているのではないか、と指摘した。

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投稿者 staff : 2007年12月12日 11:48