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2007年11月20日

Report 第6回織部賞その2 記念トーク編

 11月4日に岐阜県多治見市のセラミックパークMINOで行われた第6回織部賞授賞式。メインイベントである正賞・副賞授与式のあとは、5人の受賞者と選考委員・特別ゲストによるトークやパフォーマンスが、国際会議場と展示ホールの2カ所で次々と繰り広げられた。来場者は、受賞者の作品展示や過去の授賞式の映像を楽しみつつそれぞれのトーク会場に足を運び、たった1日だけの、しかも1日では体験しきれないほど盛りだくさんなプログラムを、思い思いに楽しんでいた。


■「ぼくの朗読会」―高橋睦郎

 「女神よ、私は、女たちの優しさを、名もない死者たちを、そして虫たちや草たちを詠い、称えようと思います」。

 もともとホメロスの時代には叙事詩を読む前に必ず女神に祈りを捧げていたという。その古代の詩人たちにならい、女神に呼びかけながら、高橋睦郎さんのソロプログラム「ぼくの朗読会」が始まった。

 はじめは、織部賞受賞を記念してつくったという未発表の詩 「天上の木-古田織部を祀る」 。朗々とした声が会場に響き渡る。

 葉は喩えようなく香ばしく香る
 地に生えるが、天に属するからだ
 人はこれを噛み 煮て汁を嗜む
 石臼に挽き 粉にして糊で固める
 固めて餅のかたちにしたものは
 海を渡って 東の果ての島にも伝えられた
 これを砕き湯を濯いで飲むのに満足せず
 種子を招来して 懇ろに播き懇ろに育てた
 その香り高い緑の粉を迎えるのに
 特別の壷 特別の碗をもってした
 壷や碗は貴ばれ しばしば一国に価した

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 続いては今秋急逝された二人の“女神”、美術研究家の若桑みどりさんに捧げる「階段をのぼって若桑みどりに」と、山口小夜子さんに捧げる「小夜曲 サヨコのために」を立て続けに朗読し、さらに、あの世の人がたくさん住んでいるという高橋さんの自宅に捧げる「この家は」を披露。それぞれの詩にまつわるエピソードを織り交ぜた語りも味わい深く、観客とともに受賞者たちも聞き入っていた。

 最後は、現代の日本に向けてのラディカルなメッセージ「地獄はどこにあるか」。

 生きている人間のためだけの民主主義は不完全だとおもっている。
 含死者、含未来人、含生物、含無生物のための民主主義じゃなければいけない。
 体裁のいいものだけではなく残酷さもみつめたものでなければいけない。


■「メディアとアート」―岩井俊雄

 岩井俊雄さんはスクリーンに写真や映像を映しながら、アーティスト活動の原点である子供時代の思い出から話を始めた。

 小学校1年生の誕生日に両親からもらった図鑑、放課後に読みふけっていた物理化学のマンガ、ある日突然「もう玩具は買いません」と宣言した母親、海へ山へと遊びにでかけ手作りの遊び道具をつくってくれた父親。そして少年時代の発明ノート「工作ブック」。各ページにアイディアの見取り図や仕組みを書くだけではなく、目次やレイアウトにこだわっていたという岩井さん。また余白を見つけてはパラパラマンガを書いていた。大学時代になると、工作への興味にグラフィック技術が融合し、それが「時間層Ⅱ」をはじめとするアート作品になった。

 一方で、岩井さんはオルゴールと出会い、五線譜ではない音楽のあり方を発見。音楽はメロディーだけではなく、音と音のバランスや関係性が大切であることに気がついた。以降、音と光、映像と音を結びつける研究に拍車がかかった。それが最新作の新楽器「TENORI-ON」(ヤマハと共同開発)に通じたという。

 ここで会場が暗転し、岩井さんが両手で「TENORI-ON」を巧みに操作しながら、音やリズムを次々に打ち込んでたちまち音楽を作りあげていくパフォーマンスを披露。わずか30センチ四方の板状の楽器が音に合わせて発光しながら、次第に重層的な音色を響かせていくクールでファンタジックなライブに、会場に詰めかけた岩井ファンの若者から年配の観客までが魅了されていた。


■「数寄の文化」―林屋晴三×鯉江良二

 授賞式前日、織部賞記念茶会でも腕を振るった林屋晴三さんは、第3回織部賞受賞者で陶芸家の鯉江良二さんを相手に、ちょっと辛口の“林屋節”を利かせた焼き物談義。当代きっての目利きと現代を代表する作り手が、核心をつきながらも笑いのあるやりとりで観客をおおいに沸かせた。

林屋:日本の茶碗の歴史は桃山時代から始まるけれど、もともと鯉江さんが共感を得た焼きものは何?
鯉江:高麗の手乗り茶碗だね。一瞬にして心を奪われた。なんともいえない軟らかさがあって、茶碗が生きているように見えた。あの“はんなり”した感じは手作りでなくちゃできませんね。
林屋:でも、ぼくが触った鯉江さんの茶碗のなかで“はんなり”したものってあったかな(笑)。
鯉江:これはまいった(笑)。ぼくも林屋さんくらいの年齢になったらきっと力具合のちょうどいいものがつくれるようになるかな。はははっ。

林屋:鯉江さんは水気のある軟らかい土を使うけど、これはほかの陶芸家にはあまり見られないやり方です。土が軟らかいままロクロをまわして、すぐに箆(へら)を使って形にしちゃう。あのスピードはすごい。500個も1000個もあっという間でしょ。
鯉江:昔は1個のお猪口を15秒で仕上げてた。茶碗は“赤ちゃん”のようなものなんだね。落としても割れない感じがする軟らかい茶碗に魅力を感じる。

林屋:「土」と「塗」と「焼」で重視するものは?
鯉江:やっぱり「土」だね。土の魅力は陶芸家にとってたまらないものですよ。一筋縄では扱えないだけに挑戦心が掻き立てられる。自分の足で取ってきた土は、特に格別だね。
林屋:ふん、ふん、なるほど。加藤唐九郎さんなんか、いい土を探すのに、土を食べていたらしいね。でも、ぼくはね、焼きものの個性は「焼」で決まると思う。
鯉江:ありゃ、意見が食い違った(笑)。そりゃ「焼」のほうがおもしろいですよ。おもしろすぎて、ついはまっちゃいますけどね。


■「日本の発見」―山田脩二×磯崎新

 山田脩二さんのお相手は、1960年代からのつきあいという選考委員長の磯崎新さん。山田さん相手に酒なしではしゃべれないという磯崎さんたっての希望で、急遽、地元多治見の「千古乃岩」の酒がステージに差し入れされた。

磯崎:山田脩二の写真は、一見するとシロウト写真なんだけど、写しているものが実に不思議で魅了されてしまうんだよね。普通は、写真は芸術になるかならないかという際(キワ)が勝負だけど、脩ちゃんが撮るとふっと力が抜けて、日本にこんなものがあったのかということに気付かされる。
山田:普通は、カメラマンになるためには、カメラの撮影技術とか焼き方とかを学習をするんだろうけど、ぼくの場合は日本中を巡り歩いて「押す」と「呑む」をひたすら繰り返した。一回シャッターを押しては、二回グビグビッと呑む(笑)。このやり方で山田脩二の日本発見を永遠と続けてきた。

磯崎:正統と前衛の葛藤を越えて新しいことに挑む人に織部賞を贈っているんだけど、じつは脩ちゃんだけはどうもそこに入らない(笑)。度を過ぎた通俗でありながら、しかもキッチュに見えない妙な感覚をもっている。群集を撮った写真を見るとよく分かる。
山田:ぼくは「うつろい」を写しているんだと思う。引いて撮るか、寄って撮るかの感覚が普通の人とちょっと違うんでしょうね。
磯崎:確かにそう。普通は「対象物に近寄れ」というけれど、修ちゃんは引いて撮る。この引き方が絶妙で実におもしろい。

山田:瓦屋になって25年、日本で粘土を一番多く焼いた人間だと自負しています。磯崎さんは別府にあるビーコンプラザの屋根にぼくの瓦を大量につかってくれました。7500㎡分なので東大寺クラスの枚数ですよね。
磯崎:そうそう。ただし、高いところにあるからこの瓦はぜんぜん見えない(笑)。瓦のあとに炭焼きも始めたでしょう。そのことにもぼくは関心ある。
山田:日本全国の隅(スミ)から墨(スミ)まで炭(スミ)焼きを見て回りましたよ。だから、ぼくの人生は、光を紙に焼いて、土を焼いて瓦にして、木を焼いて炭をつくって、それが灰(ハイ)になって、それではみなさま、ハイ、サヨナラっていうことですね(笑)。その日のためにも、いい酒をたくさん呑まなくてはいけない。
磯崎:ぼくは山田脩二の焼いた炭でいつか茶会をしてみたい。


■「コスチューム革命」―ワダエミ×松岡正剛

 織部賞記念トークの締めくくりは、グランプリのワダエミさん。松岡正剛が聞き手となって、衣装に関心をもった経緯、アカデミー賞最優秀衣装デザイン賞に輝いた黒澤明監督映画『乱』の裏話、そして今の日本へのメッセージなど、貴重な話の数々を引き出した。

松岡:エミさんの衣装プランはどうやって生まれていくんですか。
ワダ:シナリオを読んだときにほとんどの衣装イメージができあがります。あとはそのイメージが成立するかどうかの検証をする。日本一の知識人である松岡さんには何回も夜中に長電話しましたね(笑)。
松岡:エミさんの質問はいつも鋭い。あの場面にでてくる人物の持ち物がズタ袋でいいのか、もしズタ袋であればいったいどれくらいの網目にしようかということまで考え抜いてから電話をしてくる。答えるほうもたじたじです(笑)。
ワダ:とくに資料がないときの衣装づくりは悪戦苦闘します。映画『HERO』では、監督のチャン・イーモウが「歴史は戦に勝ったほうの資料は残るけど、負けたほうの資料は残らない。その無いほうのイメージをぜひ手がけてほしい」とリクエストされました。
松岡:資料が無いものを生み出すときはどうするのですか。
ワダ:まずは同時代の既存の資料に片っ端から目を通します。中国の秦の時代はもちろんのこと、日本の古代、韓国の古代、中国のほかの時代まで。それらをミックスしてイメージをつくるんです。
松岡:今では、あの衣装イメージを中国側もいろんな映画で盛んに利用してますね。
ワダ:それから、エンターテイメントなアクションが多い『HERO』では、衣装のイメージをより際立たせるために、動きをとことん研究してシーンごとに袖の長さを変えました。同じ衣装を12着つくった。一着について12メートルの布が必要だったので、結局500メートル分、同じ生地が必要になりました。

松岡:エミさんが衣装に関心をもったのはどうしてですか。
ワダ:私の家は京都の呉服屋でしたが、着物だけではなく洋服もつくっていました。その影響を受けて、着るものは作るものという意識は子供のころから身体にしみこんでいました。
松岡:影響を受けた人物はいますか。
ワダ:中学生のときの絵の家庭教師ですね。ただし、影響を受けたのは絵ではなくて、絵を教えるという名目のもとで先生が連れて行ってくれたコクトーの映画やサルトルの芝居でした。
松岡:かなりアバンギャルドな世界に触れていたんですね。
ワダ:京都生まれなのに洋風な家にいたし、歌謡曲は全くダメで、クラシックが好きな子供でした。そのころの感覚は今も役に立っています。それから京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)のときに演出家の和田勉さんと結婚し、次第に彼の仕事を手伝うようになったのが舞台衣装や舞台セットをてがけるきっかけでした。

松岡:黒澤明監督の『乱』の話を聞かせてください。どういうところから衣装作りが始まりましたか。
ワダ:まずは私がデザインした衣装を創ってくれる職人さんを探すところからスタートしました。技術的な問題はもちろんですが、もともと型がある能衣装とかだと「この衣装は型破りだから創れません」と端から断られたこともありました。けっきょく当時で一着250万かかった。
松岡:とくにこだわったのはどういうところですか。
ワダ:糸の選定にこだわりましたね。もう少し太い糸で、しかも練ってくださいとお願いしたりしました。『乱』はフランス人のプロデューサーでコストにうるさいシステムだったから、糸1メートルいくらかといった予算見積りも自分で作った。すると足軽の衣装が一着75000円かかるんです。この価格では高すぎるということになって、風呂場で自分で染めることにしました。これなら一着9000円の見積もり(笑)。
松岡:足軽っていわばエキストラですよね。その衣装をすべてエミさんが手染めしたんですか。
ワダ:1000着、すべて自分でね。Sサイズ、Mサイズ、Lサイズの3サイズ用意して。染め上がると近所のコインランドリーにある10台全てをつかって乾燥。しかも使い込んだ色に見せるために二ヵ月半天日干し。
松岡:そういうフィニッシュに対する確信はすごい。
ワダ:黒澤さんの映画にかぎらず、カメラチェックをすると見えちゃだめなところを写されることがあるから、本当は1000人のエキストラに1200着の衣装をつくるのが理想なんです。200着の余分があればどこを写してもカメラに耐えられる。じつは「乱」では、ワンカットだけ、見えてはいけない直垂が映っているんです。私が現場でにいれば、絶対にそういうところは映させなかったのにと今でも後悔しています(笑)。
松岡:エミさん以外の誰も気づいてないと思いますけど、すさまじいエピソードですね。
ワダ:『乱』で初めて手がけたことの一つに衣装のエイジングがあります。登場人物がだんだん歳をとっていくので、同じ衣装でも最低4着は準備しました。ただ、こういうこだわりや衣装への関わり方はたくさんあるけど、映画は最終的には監督のものだと思っているので、やるべきところはやったという達成感だけが頼りですね。終わったらすべてを忘れてしまう。

松岡:最後にひとつだけ。今の日本の体たらくについて、ぜひ痛烈なメッセージを。
ワダ:いい観客もいい作り手もいるんだけど、いいプロデューサーがいない。一回当たるといつも同じ戦略になってしまう。同じことの繰り返しはダメです。見たいと思っている観客に対してちゃんとしたコミュニケートしなければいけない。かつての日本映画が世界に影響を与えたようなレベルに今の現状が及んでいないということが本当に残念です。
松岡:まさに衣装で世界をつくっているワダエミさんでした。来年の6月にはCFで現代版『七人の侍』の衣装をてがけ、またピーター・グリーナウェイとはいよいよ『雨月物語』を手がけるそうです。期待しています。

(撮影:川本 聖哉)

投稿者 staff : 2007年11月20日 16:41