セイゴオちゃんねる

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2007年10月27日

Diary 小布施訪問9時間連続和英打合の記

 24日午後1時44分ごろ、長野県御代田町付近の長野新幹線(軽井沢―佐久平間)で停電があり、送電がストップ。近くで東京発長野行きあさま523号が止まった。JR東日本が調べたところ、25000ボルトの高圧電流が流れている送電架線にヘビが絡まり、地上とショートした状態になっていた。約1時間で停電は復旧した。(朝日新聞10月25日朝刊)

 不幸にもこの「あさま523号」にセイゴオが乗り合わせていた。しかも止まったのはトンネルのなか。この日セイゴオは数年ぶりに小布施を訪問し、翻訳家のハート・ララビーさんと会って、とある「日本のためのマザープログラム」の英訳について打ち合わせをすることにしていた。
 トンネルの中のため携帯電話は使えず、停電のため照明は消え空調も止まった車内は、復旧の見込みも不明なまましだいに緊迫ムードに。ところがセイゴオはいっこうに焦るようすもなく、わずかな電灯を頼りに持ってきた資料の読み込みにひたすら集中。ようやく「ヘビ」が原因だったというアナウンスとともに「あさま523号」は動き出し、セイゴオも無事に長野にたどり着いた。

 長野電鉄に乗り換え、予定時間から1時間30分ほど遅れて小布施に到着すると、市村次夫さんが改札口でお出迎え。新幹線ストップのニュースを聞いて心配してくれていたようだ。
 市村さんは枡一酒造十七代目当主で小布施堂主人、独自の町づくりで全国的に知られるようになった小布施の名プロデューサーでもある。20年ほど前、市村さんが片腕の市村良三さん(現町長)、セーラ・マリ・カミングスさんとともにセイゴオ主催の企業塾に参加したことをきっかけに、セイゴオもしばしば小布施を訪ねてきた。高橋睦郎さんをゲストに未詳倶楽部を開催したこともある。

 小布施堂で新栗のお菓子をいただいて一服したセイゴオ、すぐに今年7月に市村さんがオープンさせたばかりの「枡一客殿」に案内してもらった。数年前にその構想を聞いてからセイゴオも完成を楽しみにしていたゲストハウスである。
 長野の老舗砂糖問屋から移築した土蔵を用いた純和風の外観でありながら、客室内は間取りも設備も超モダン。わずか11部屋という小規模ながら、設計者のジョン・モーフォード氏のこだわりが調度や意匠の細部にまで込められているという。が、客殿に掛ける市村さんのこだわりもまた尋常ではないものらしい。

 今回のララビーさんとの打ち合わせのために市村さんが提供してくれたスイートルームには、7~8人でゆったりと使えるリビングがあり、そこには日本文化に関する本が並ぶアーチ状の本棚が設えられ、また巨大な酒樽がディスプレイされていた。「松岡さんのような方にこそ使ってほしいと思ってつくった部屋ですからね」と、市村さんもおおいに満足気だ。

 ほどなくして二人が団らん中のスイートルームにハート・ララビーさんが合流し、いよいよセイゴオの構想する「日本のためのマザープログラム」の英訳打ち合わせに入った。
 ララビーさんとは、セイゴオが市村さんの主催するイベント「小布施ッション」で講演をしたときに知り合った。日本人女性と結婚して小布施に住み、翻訳を仕事とするララビーさんは、「小布施ッション」の講演録の英訳を担当していた。以来、セイゴオの使う日本語のニュアンスやその背景にある思想を理解してくれる翻訳者として、ララビーさんはセイゴオにとってなくてはならない人になった。

 「今回のは難しい仕事ですね。でもやりがいがある」とララビーさんが言うと、セイゴオも「ぼく自身、これを日本語で説明することさえ難しいと思っているんだよ。だからハートとゆっくり話し合いながら進めたかったんだ」。
 その仕事とは、セイゴオが数年かけて作り上げた「次第段取一切」というたった1枚だが、全部で100ほどの単語が格別の順番で並んでいるだけのペーパーの翻訳である。が、その意味と順番を理解するには、能・歌舞伎から俳句・和歌まで、あらゆる日本の芸文知識を総動員する必要がある上に、東西の神話や物語の構造も熟知していなければならない。つまり、数百冊分の情報がたった1枚のペーパーに集約されてしまったような、とんでもないものなのである。
 しかもセイゴオは、元の日本語のもつ含みやニュアンスとそれらの順番から読み解ける文脈のおもしろさを、英語的にもおもしろく感じるようにしたいという。

 ひとつひとつの言葉についてセイゴオがさまざまな例示を駆使して説明すると、ララビーさんもパソコンに入っている類語辞書を次々開いて、セイゴオに鋭い質問を投げかけていく。
 「ここは日本語の造語的な感覚を生かした英訳のほうがいいですか。」
 「ここは物理的なニュアンスですか、それとも心理的なニュアンスのほうがいいですか。」
 「この場合、場面はポジティブに向かっているんですか。ネガティブなんですか。」

 ララビーさんは、留学中に四国八十八カ所を廻り、来日してからは京都にも住み、能の世界にも入ったことのある日本人以上の日本通だ。長男長女が生まれたときには、納得いくまで雛人形と五月人形を探し回ったというほど日本文化に対する思い入れもある。
 文脈によって裏腹の意味にさえ転じてしまう日本語のなかでも、とりわけ曖昧度の高い言葉ばかり、しかもそれを英語でどのように表現しうるかという究極の難題に取り組むためにも、ララビーさんの深い日本理解が欠かせない。「ハートはまるで日本人だねえ。いや、ぼくの知ってる日本人たちより速いし、深い」と、セイゴオもすっかり感心していた。

 その日は食事をはさんで夜中すぎまで6時間、翌日も10時から3時間打ち合わせを続け、とうとう「次第段取一切」のほとんどの言葉について和語と英語のすり合わせがなされた。結局、客殿に籠りきりの小布施滞在となってしまったが、セイゴオは大満足したようだ。
 客殿の主人・市村さんも「おかげさまで打ち合わせがはかどった」とのセイゴオの言葉に満面の笑みを浮かべ、「今度はぜひ数日滞在するつもりでおいでください」。ちなみに市村さんは、幕末維新の時代に小布施にいながら日本の変革を構想し、最晩年の北斎のパトロネージュをしたことでも知られる豪商・高井鴻山の末裔である。

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小布施の名プロデューサー市村次夫さん
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和英語の微妙なニュアンスを交わしあう
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2007年10月20日

Diary 伊賀上野赤目四十八滝探訪記

『ときの探訪』11年目の研修合宿

 毎週木曜日、CBCテレビ(中部日本放送)で放映中の「ときの探訪」は、セイゴオが監修をつとめるミニ番組(JR東海提供)。2分半という短さですが、東海道沿線の伝統工芸、祭り、建築、庭園、名所名物などを取り上げ続け、なんと今年で11年目。平均視聴率10%以上という根強い人気のヒミツは、2ヶ月に一度赤坂でおこなわれる企画会議。CBC、JR東海エージェンシー、番組制作を担当するエクスプレス、番組企画を担当する松岡事務所・編集工学研究所スタッフが勢ぞろいして、セイゴオのアドバイスを受けながら企画を練ります。

 10月5日~6日には、これも番組開始以来恒例となっている年に一度の研修合宿が行われ、芭蕉と忍者のふるさと、三重県の伊賀上野をめぐりました。以下、セイゴオと、通称「ときたん組」の道中記を写真でご紹介。

■伊賀焼談義に花が咲く

 まず訪れたのは「伊賀焼伝統産業館」。「伊賀焼きといえば、やっぱり破れ袋だね」。番組スタート時からチーフプランナーを勤める高橋秀元とセイゴオの伊賀焼き談義に耳を傾けながら、館内で上映中の映像資料をくまなくチェックする一行。ちなみに館内の売店で、高橋秀元は茶陶を、セイゴオは目玉焼き器を購入。

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作品をみながら「筒井伊賀」から「藤堂伊賀」まで伊賀焼の歴史を解説するセイゴオ
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伝統工芸士の伊賀焼ふくろうを手に、ハイ、チーズ


■組紐の妙技を堪能

 続いては伊賀組紐の老舗「廣澤徳三郎工房」を訪ね、三代目の技を見学。鮮やかな手付きで帯締めを組んでいく廣澤さんに、太田香保・田中晶子・和泉佳奈子・栃尾瞳ら女性スタッフたちが興味津々で質問の集中砲火。とりわけ染織を習っていたという太田は、組機一式をどこで買えるかということまで熱心に聞き込んでいました。

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無数の糸を自在にあやつる廣澤さんの手さばきに興味津々
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連子格子のお店のまえで「ときたん組」の記念撮影


■赤目四十八滝でオオサンショウウオに会う

 赤目四十八滝入り口の温泉旅館・対泉閣に泊まった一行、翌朝さっそく四十八滝ハイキングへ。柱状節理の断崖に挟まれた渓谷と次々にあらわれる滝の景観に、セイゴオもしきりに感嘆の声。ところがなんと和泉佳奈子が滝つぼ近くでオオサンショウウオを発見、一行は大騒ぎとなり、予定時間のほとんどを天然記念物観察に費やしてしまいました。

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赤目の牛に乗った不動明王にちなんだ“不動滝”の滝つぼにいたオオサンショウウオ
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次なる滝に向かう足を止めてオオサンショウウオの一挙手一投足に注目する一行

■芭蕉翁忍者説に納得してしまう

 再び上野市に戻って、芭蕉翁記念館と芭蕉生家をじっくり見学し、さらには伊賀流忍者屋敷へ。忍者好きのエクスプレスの深津美雄さん、子どもたちに混じって忍者ショーを堪能したようす。編集工学研究所の若手・石黒壮明と興梠証も、忍者グッズの展示に見入っていました。「この町では芭蕉忍者説もまんざらじゃないという気がしてきちゃうね」とセイゴオは始終にこにこ。

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伊賀上野を散策し芭蕉の生家でおもいをはせるセイゴオ
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上野公園にある江戸時代から伝わる忍者屋敷


■腹もヒモもよじれる組紐体験

 最後は組紐センターで、全員そろって組紐制作体験。丸台をつかって色とりどりの糸を6本、左右の手で交差させながら、紐を作ります。あっという間にマスターしていく一行のなかで、なぜか高橋秀元だけが大混乱、あまりの不器用さに先生も腹をよじらせ笑うばかり。それでも無事にキーホルダーを完成させることができました。

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正絹と金糸を組み上げていくセイゴオと石黒壮明
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高橋秀元のあやうい手付きに、全員がかりの特別指導

テレビ局:CBC(中部日本放送)
時  間:毎週木曜日 19:54~19:57
放映地域:東海三県(愛知・岐阜・三重)
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「ときの探訪」番組HPもご覧下さい

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2007年10月17日

News KCI連続オープンセミナー「粋と奢り」申込開始

 京都服飾文化研究財団(KCI)連続オープンセミナー「ラグジュアリーの本質」(全4回)の第1回講演会で、セイゴオが「粋と奢り」をテーマにソロ講演。「粋」「通」「はり」「勇み」「奢り」「侘び」「綺麗さび」などの日本独自の感覚を読み解きます。
 なお、今年4月に同財団の研究誌「ドレスタディ」にセイゴオは「いきと通の道楽哲学」を寄稿、次のように書いています。
 

江戸の道楽贅沢の数々を見ていると、すぐに気がつくことがある。ひとつはそこには必ず面影が追慕されているということだ。これは茶碗や浮世絵や友禅や扇絵を見ればすぐわかるだろう。もうひとつは、荒事と和事のどちらにも、「おごり」と「わび」のどちらにも転べる楽しみをしていたということだ。過剰にも控えめにもなった。足し算にも引き算にもなった。

日 時 2007年11月10日(土)午後2時~4時
場 所 京都国立近代美術館1階 講堂
     
     住所:京都市左京区岡崎円勝寺町
主 催 京都国立近代美術館&京都服飾文化研究財団(KCI)
定 員 100名
入場料 無料
申 込 11月2日までにお電話で京都服飾文化研究財団(KCI)事務局へ
     お申し込みください。先着順。定員になり次第締切り。
     電話 075-321-9221(平日午前10時~午後5時)
問合せ 京都服飾文化研究財団(KCI)
     〒600-8864 京都市下京区七条御所ノ内南町103
     電話 075-321-9221 ファックス 075-321-9219

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2007年10月10日

NEWS 第6回織部賞授賞式の申込スタート

 11月4日(日)、第6回織部賞授賞式が岐阜県多治見市にあるセラミックパークMINOで開催されます。織部賞グランプリのワダエミさん(衣装デザイナー)、織部賞の岩井俊雄さん(メディアアーティスト)、高橋睦郎さん(詩人)、林屋晴三さん(東京国立博物館名誉館員・菊池寛実智美術館館長)、山田脩二さん(淡路瓦師でカメラマン)が一堂に集います。

 当日は「授与式」はもちろんのこと、受賞者がトークやパフォーマンスを繰り広げる「記念イベント」、大ホールで開催する「織部賞記念展示」も必見。記念イベントで、岩井俊雄さんによる電子楽器“TENORI-ON”の演奏、高橋睦郎さんによる自作の詩の朗読など。また記念展示では、ワダエミさんデザインの映画「利休」の衣装や、山田脩二さん制作の淡路瓦数百枚でつくったオブジェを特別展示。あわせて過去5回の授賞式のダイジェストビデオや、これまでの受賞者の最新作の作品映像も常時上映。さらに、磯崎新選考委員長が設計した茶室では林屋晴三さんが見立てた「オリベ茶会」の道具の取り合わせを見ることができます。めくるめくプログラムとこの日かぎりの極上のしつらいを担うのは、空間デザインの内田繁さん、照明・演出の藤本晴美さん、そして総合プロデューサーのセイゴオです。

 第6回織部賞授賞式では「授与式」のみ申込みが必要です。参加希望の方はコチラに必要事項をご記入のうえお申し込みください。「記念イベント」や「展示ホール」は申込不要です。また織部賞の最新情報は「WEB ORIBE」をご覧下さい。

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 【第6回織部賞授賞式】

■日時 11月4日(日)

■会場 セラミックパークMINO

■次第
13:30 授与式  ※開場12:30
15:10 記念イベント                
   ◎トーク&パフォーマンス
   15:10~15:30 高橋睦郎 朗読会(展示ホール)  
   15:40~16:00 岩井俊雄 プレゼンテーション(国際会議場) 
   16:10~16:30 林屋晴三 座談会(展示ホール)
   16:10~17:00 「EMI WADA WORKS」上映(国際会議場)
   16:40~17:00 山田脩二 座談会(展示ホール)
   17:10~17:30 ワダエミ 対談(国際会議場)
17:30 交流会(ホワイエ)

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織部賞記念展示  10:00~18:00

◎展示1 展示ホール
 第6回受賞者の作品展示・上映
 第1回~第5回織部賞 受賞者紹介映像
 第1回~第5回織部賞授賞式 ダイジェスト映像
 第1回~第6回織部賞 各回のトロフィー

◎展示2 茶室
 林屋晴三氏の見立てによる茶席を公開


※岐阜県では織部賞の事前イベントとして県内の各施設で事前イベントを開催中。詳しくはコチラ
※セイゴオちゃんねる2007年09月13日「News 第6回織部賞受賞者決定」もご覧下さい


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2007年10月 4日

Report 本に溺れて浮いてみる

読書革命のための読書術

 9月14日、新宿紀伊国屋ホールで『千夜千冊 虎の巻』刊行記念講演会「本に溺れて浮いてみる」が開催されました。ロビーには『虎の巻』『千夜千冊全集』とともに、『虎の巻』から生まれた「セントラ屋」「千冊座」などのセイゴオの版画9枚が飾られ、訪れたファンをお出迎え。
 「セイゴオ流読書術」について講演する機会が増えているセイゴオ、この日はちょっと意外な、読書の妄想という話題を挿入しながら、次のように話を進めました。

■確立されていない読書術

 最近、読書術を話したり書いたりする機会が増えています。読書は誰もがしているのに、定評のある「術」も「方法」も代表的なモデルもなく、読者と本のあいだでは何がおこっているのか、読んだ本は読者の中でどうなっているのかよくわかっていません。本来読書は自由に楽しむものです。が、自由に楽しむためには、読書にはたくさんのモデルがあることを知ったほうがいい。そうしないと、本にひそんでいる知へのアプローチがわからなくなり、自分を見失う危険性すらある。微力ながらもそういった読書の方法を伝えなければというミッションを最近は強く感じるようになっています。
 今回の講演タイトル「本に溺れて浮いてみる」は少し変わっていますが、これこそ私の実感なんです。読書は溺れたままではだめで浮かなくてはいけません。今日はいくつかの本やモデルを使いながら「溺読・浮読」(できどく・ふどく)を案内したいと思います。

■不足を補う読書と妄想を呼ぶ読書

 最初に取り上げる本は、ドイツの作家ヴィルヘルム・イェンゼンの『グラディーヴァ』です。イェンゼンというのはだいたいカフカと同時代の作家です。物語は、主人公の考古学者が「歩く女」が刻まれた石膏のレリーフを手に入れたことから始まります。彼女のことが気になりやがて夢にまでみるようになった学者は、その女性の由来をいろいろ調べて、ポンペイの女神だったことを知り、彼の地を訪れる。そこでまさにレリーフから抜け出たような女性に出会い、「これは夢かまぼろしか」と思いながら、逢瀬を重ねていく。ちょっと不思議な物語ですが、ここには私が伝えたい「読書」というもののイメージが見事に現されているんですね。
 日本にもこれと似た小説があります。川端康成の短編『弓浦市』です。ある日、川端自身がモデルと思われる作家の家に妙齢の女性が突然尋ねてきて、弓浦市での二人の思い出を話しますが、作家にはまったく覚えがない。最後に「あの時結婚したいとおっしゃったわね」と言われて怖くなり、女性が帰ったあと地図を調べてみたところ、日本中のどこにも「弓浦市」という名の場所は存在しなかったという話です。

 この2つの物語は、私たちはアタマのなかで、つねにあるできごとの不足を補っているということを前提にしています。私たちは、瞬間瞬間に情報を処理し、つねに何かを補いながら、バラバラのできごとに文脈をつけながら生きている。実は読書中も脳の中でこれと同じことがおこなわれています。しかも、読書は一瞬で終わりません。何かを思い出したり暗示を受けたり葛藤を覚えたりするといったことが、1冊の本と向きあっている間に連続的に凝縮して起こっていく。考古学者がレリーフの女神と現実の女性をあいまいに重ねてしまったようなことや、作家を訪ねてきた女性が自分で物語をつくってしまっていたようなことが、読書中には頻繁に起こっているんです。このとき、無自覚に本に溺れてしまうと、「補い」を自分でおこなっているのか著者が語っているのかわからなる。そうなると妄想と現実の区別がつかなくなってしまいます。

 実は私もそうしたあやしい“読者の物語”に巻き込まれたことがあります。ある日突然、ミュージシャンの大槻ケンヂから電話がかかってきて「松岡さんは岩井寛さんの『森田療法』の序文にボクのことを書いてますよね」と言われました(笑)。大槻君は当時あることを悩んでいたらしい。その後、誤解は解けて彼とは親しくなりましたが、大槻君も『ボクはこんなことを考えている』という著書で、突然訪ねてきたファンのおばさんに「今、日本には陰謀が渦巻いている。これを救えるのは大槻さんと天地茂だけだ」と言われたことを告白しています(笑)。
 本来読者にとって著者は遠い存在なのですが、読書に溺れてしまうとその距離感がわからなくなってしまうんですね。またおもしろい本ほど読者をそこまでもひきつけてしまう。しかし、本を読むたびに著者との接点を感じすぎたり、現実と妄想の区別がつかなくなるようでは困ります。

 では読者はいったいどこに入っていけばよいのか。私のおすすめは、読書と著者のあいだに入ってみることです。読書中におこる勝手な「補い」を現実にそのまま持っていけば妄想になりますが、“別の場所”にもっていけばいくらでも安心して溺れることができるんです。私はこの“別の場所”を「読書空間」と呼んでいます。「読書空間」を上手に使うことができれば、本に浮くこともできるようになります。

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■本棚を読書空間にする

 私が読書空間や本のための場所を強く意識するようになったのは「岡倉天心」「南方熊楠」「折口信夫」「三枝博音」の全集を無理して買った30歳の頃でした。それらの全集の堂々たる存在感は圧倒的でしたが、その頃住んでいた安アパートにはどうしても間尺が合わなかった。そこで安い板を買ってきてそれぞれの全集のサイズに合わせた専用の本棚を自分で作り、何度もその組み替えを試みました。そうしてみると、私のアパートの本棚は、私の頭の中が外在化されたもの、つまり知が図形配置されたものになり、それによって書物の中に意識が出入りしやすくなったんですね。さらには、全集はなにも一揃いずつ固めて並べなくてはならないものではなく、バラバラにして入れ子にしてもいいし、また全集の中にほかの単行本を挿しこんでおいてもいいということに気がついた。

 そもそも本というものには、タイトル、目次、背表紙、見返しといった構造があり、一冊ごとが知のパッケージとして、フォーマットとして完成されたものです。どんなにパソコンやモバイルが発達しても、本のもつフォーマットの普遍性には到達できないことでしょう。さらに、それらを組み込み合わせて配置することによって、一冊一冊が「知のインデックス」になり、本棚全体が意味や文脈や構造をもった読書空間になるわけです。1冊の本の構造と本棚の構造が相似律のように関係性をもつ。こういう本棚を意識してつくれるようになると、書店や図書館で本を目にした瞬間、手にした瞬間から、自分の本棚と照応させながら知の図形配置を意識して読書に入っていくことができるようになるんです。

 また本棚というのは新たな1冊の本と出会うたびに組み替えや置き換えをしていくといいんですね。私は今も本棚の組み替えをしょっちゅうやっています。工作舎時代は年に2回スタッフ総出ですべての本を並び替えてましたし、今赤坂にある編集工学研究所の5万冊の本もことあるごとに組み替えています。自分や仕事場の本棚ばかりではなく、最近は本棚のある空間をプロデュースしてほしいと頼まれることも増えています。千鳥ヶ淵の「ギャラリー册」というところでは、文庫本を並べるための空間「糸宿房」(ししゅくぼう)を作りました。ここでは壁面すべてが天井まで文庫本のための本棚で構成されていて、その本棚は縦横のモジュールごとに交換できるようになっています(「ギャラリー册」を映像で紹介)。

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■読書体験がつながる街

 読書空間を持つこと、自分でそれを組み立てることは「溺読・浮読」に欠かせませんが、それでもなお本と本のあいだには隙間があきます。ではその隙間をどうやって埋めるのか。
 私がそのために試みたことの一つが「千夜千冊」です。1日1冊、千日かけて、私が経てきた「読書の記憶」を綴ってインターネット上に発表していきました。2000年2月に中谷宇吉郎の『雪』から始めて、2004年7月の『良寛全集』で千冊を達成したんですが、「やめるのは惜しい」といろんな人から言われ、その後もずっと続いています(9月14日現在1199冊となっている)。また、去年はそのうちの1444冊を組み替えて全7巻の『千夜千冊全集』にして、さらにはその全集の構成をガイドする『虎の巻』も出版されました。全集をつくるときに発起人になっていただいた山口昌男さんや岩波書店の山口昭男社長からは、「千夜千冊を読むことによって、松岡さんの読書体験を通して全人類の読書空間と行き来できるようになった」といわれました。これはうれしい言葉でした。

 私は読書というものは「アルス・コンビナトリア」(結合術)であるべきだと思っています。個人にとっての「読書の記憶」が、構造をもって組み立てされることによって「類」の読書になる。読書というのはただ個人が没頭する行為なのではなく、個人と歴史、個人と類の記憶がつながりながら、知の時空間を共有していくものです。
 そのように自由にだれもが出入りできる共有読書空間を、実際につくってみたい思ってスタートしたのが「図書街」という構想です。「千夜千冊」を毎日書き続ける一方で、ひそかに自分でその設計図も書き始めました。そうしたらなんと東京ドーム4杯分の広大なものになってしまったので、「図書館」ではなく「図書街」と呼ぶことになった(笑)。また現実につくるには膨大な予算がかかるので、インターネット上の仮想空間としてつくっていくことになりました。
 この「図書街」にはたくさんの街区や路地があって、詳細な知のマッピングをエリアごと、本棚ごとに組み立てました。またすべての本棚はそこに置く本のイメージや時代背景にふさわしいデザインを施したいと考えています。今はこの構想に関心をもってくれた国の機関(NICT)と北大・京大・慶応大との共同プロジェクトとして、私の描いた設計図をもとに「図書街」がつくられつつあります(映像で「図書街」を紹介)。

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■ブッククラブから革命を

 私がこんなふうに「本」というものに溺れ、また本と本をつないでいきたいと思うようになったきっかけは、小学生の頃に吃音だったことが関係しているようです。アタマの吹き出しの中には言いたいことがたくさん湧いているのに、いざ言葉にしようとするとうまくしゃべれない。非常に歯がゆい思いをしました。ところが、いざ吃音を克服してみると、あいかわらず思っていることのすべては表現できないことを実感し、さらにショックを受けたんですね。言葉や話し方をいくらスキルアップしても埋められないものがあることを思い知った。
 そんな体験から、私はもともと自分のアタマの中にある空間のようなものを、言語のような限られたツールだけではなく、もっといろんなツールによって外在化したいと思うようになりました。そして“あいだ”をまたぐことや“あいだ”を動く思考の動きに興味をもつようになり、やがて編集工学を志すようになった。
 最初に言いましたが、現在も読書の基本的な方法や術が確立されていないのは、本の中身や本のコンテンツの研究ばかりが重視され、その奥に動いているものが取り出されていないからなんですね。これからはもっと読書のミームやプロセスに向かうべきです。そのこと自体を解き明かし、空間として共有すべきです。これは大学で細分化された学問を学ぶことよりもうんと重要です。「読書空間」というものは、誰もが体験可能であり、活きた知として取り入れやすいはずなんです。

 そのためにも、私は、今の日本には「ブッククラブ」が必要だと思っています。たとえば、私たちが本を入手するときには、書店で新品を買うか、古書店で古本を買うしかありません。しかも再販制度によって書店では一律の値段でしか本を売ることができず、また古書店では汚れた本や書き込みのある本は価値が下がることがほとんどです。でも、もっと自由におもしろく本を入手したり交換したりできる仕組みがあってもいいのではないか。一冊の本がいろんな人の手をまたいだヒストリーが、裏書として残されていってもいいと思います。井上ひさしさんが読んだ本とか、司馬遼太郎さんが読んだ本を、そのプロセスごと受け取れるとか、有志を募って特別な本を仕立てて付加価値をつけクラブ財として共有してもいい。ワインのように読書のソムリエがいてもいい。
 こういった新しい本とのかかわり方を提案するブッククラブがあれば、おそらく書店や出版市場に変化を起こすことでしょう。実際に欧米ではブッククラブが出版社の戦略を左右する大きな力をもっています。“セイゴオ流読書術”だけでなく、みんなが読書体験を持ち出し合って交換してもいい。誰もがストーカーにも被害者にもならずに(笑)、読書に溺れながら浮かび合って互いに交わし合える場が必要なんです。

 最初に話したように、もともと読書というものはゆがんでいます。読者の勝手な「補い」に満ち満ちています。しかしそういった「補い」を妄想に持ち込まず、あえて自分の中にゆがんだまま残して、組み直して置き直してほしいと思うんですね。私はそこから新たな物語の出現が起こる可能性があると考えています。そして自分の中にひそむ“あやしさ”や“ゆがみ”を言葉ではなく、手のストロークによって補うことを試み始めています。この夏、「ギャラリー册」で李白、ゴーゴリ、ドストエフスキー、マラルメ、コクトーなどの物語と出会った体験を絵にし、それを「ハイパープリント」という高度な電子技術によって版画にしてみました。今日ロビーに飾ってある“擬画”もその一例です。「千夜千冊全集」の各巻を線やかたちによって補ってみたものです。

 書物の世界、読書の世界は一番古い歴史をもちながらいまだ革命がおきていません。だからこそこれから誰もがその革命に参加できる可能性を持っています。ここに集まった皆さんでぜひ読書革命を起こしましょう(拍手)。

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2007年10月 1日

News 南方熊楠を語る「森の奥なる柔らかきもの」申込開始

 12月7日、ワタリウム美術館主催「熊楠の森を知る Part2」シリーズ講演会第7回(最終回)にセイゴオが出演。昨年4月におこなわれた「熊楠の森を知る Part1」に引き続き、2度目の熊楠語りとなります。
 前回のテーマは「民俗という想像力」。柳田国男、折口信夫、そして熊楠をとりあげて民俗学の夜明けを中心に日本の将来を語りました。(セイゴオちゃんねる2006年04月05日Report「南方熊楠の面影を語る」参照) 今回は「森の奥なる柔らかきもの」と題して、クマグスの森に分け入ります。

  「森の奥なる柔らかきもの」

  熊楠の思索と研究を「森」とみなし、その森の一隅から
  発するミナカタマンダラの条光に、今日の我々が見失った
  「方法の夢」を見いだしたい。(松岡正剛)

 また、ワタリウム美術館では同時に「クマグスの森 ~南方熊楠の見た夢~」展を実施。期間は2007年10月7日~2008年2月3日。

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「熊楠の森を知るPart2」講演会 第7回
日時:12月7日(金)午後7時~9時
演題:森の奥なる柔らかきもの
場所:ワタリウム美術館
参加費:単回参加費 2800円
     :年間参加費(要会員申込) 9000円 講演会7回+プレ講演1回
申 込 :参加希望の方は、名前、住所、電話、ファックス、職業、
支払い予定日を書いて、ワタリウム美術館に郵送または
ファックスでお申し込みください。
振 込 :申込と同時に会費をお振込みください。
      振込先:三井住友銀行 青山支店
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