セイゴオちゃんねる

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2007年09月22日

Key Word 天衣の面影―さよなら小夜子

 9月19日、午後5時。いまにも泣き出しそうな曇り空の下、セイゴオ、築地本願寺に到着。黒いジャケットの内ポケットに、念入りにスタッフがアイロン掛けをした白いハンカチを忍ばせて。「今日ばかりは友人代表の務めがうまく果たせる自信がないよ。ぐじゃぐじゃになってしまうだろうから」。

 本堂へあがる石段の左右にアーチストのJUNEさんがディスプレイした300本もの大小のローソクがすでに点火されている。階段上の二本の柱には、セイゴオによる書が二枚、「さよなら小夜子」をリフレインしている。5日前の真夜中に、呻吟して書き上げたものだ。

 本堂内では小夜子さんを失った心傷を抱えたまま、休むことなく眠ることなく奔走し続けてきた藤本晴美さんが、照明・音響・映像・進行チームのリハーサル中。セイゴオも一人一人のスタッフに仕上がり具合を聞き、ねぎらいの声をかける。

 5時30分、セイゴオは再び本堂外の階段下で、友人代表の三宅一生、福原義春さんたちと300のローソクの火に魅入られたように佇んでいる。次々と訪れる来場者たちがそのまわりを囲み、その輪がだんだん大きくなっていく。

 5時45分、開場。来場者が入り口で赤いカーネーションを一本ずつ受け取り、本堂の中へ導かれる。4本の大柱に掲げられたモノクロの小夜子さんが迎える。切れ長の眼。黒髪。キュッと口角のあがった唇。壮麗な金色の祭壇からもモノクロの小夜子さんが見つめ返している。

 6時。太食調の雅楽とともに、本願寺のご輪番と僧侶が入堂。仏説阿弥陀経が唱えられる。3ヶ月前の6月16日、「連塾絆走祭」をこの本堂で開催したときには、客席のなかに小夜子さんの姿があった。そのとき小夜子さんが「ここの庭で踊ってみたい」とセイゴオに告げた。

 …池中蓮華大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙香潔舍利弗極樂國土成就如是功徳莊嚴……祭壇の左右で、天井から吊るされたスクリーンに、小夜子さんのシルエットが舞う。天衣をまとい、あやつりながら、読経の声に合わせて細い指から華を散らすように舞う。

 友人代表が祭壇前に誘導され、一列に並んでカーネーションを供える。セイゴオも体を引きずるようにして祭壇前に立ち、手を合わせる。つづいて来場者による献花。あらゆる年齢、あらゆる職業、あらゆる髪型の男女たち、少年少女たち、ハイパージェンダーたちが、赤い花を添えていく。その真ん中には、セルジュ・ルタンスから送られた真紅のバラが五輪、宝石のように黒い箱に飾られている。

 献花の列が延々と続く。再び雅楽の調べにのって僧侶たちが退堂し、パイプオルガンの演奏が始まる。小夜子さんのシルエットが、たちまちセザール・フランクの霊妙な曲想と同調していく。

 セイゴオは最前列の席で、小夜子さんの面影をじっと追っている。時折献花を終えた来場者と無言の挨拶をかわしては、眼鏡をはずしてハンカチで眼を覆う。「お葬式とは違うからね。小夜子さんらしく小夜子さんを送る夜にしたいからね」と言っていたはずなのに、今夜はもう、泣き虫を隠す気もないらしい。

 会場には必要最低限のアナウンスが流れるだけで、司会もいなければ挨拶もスピーチもない。献花を終えて静かに本堂を去る人。そのまま客席に戻り、虚ろになっている人。数人で集まって、何事かをうなづきあっている人。
 「それぞれが心穏やかに、微笑みながら、私たちが大好きだったおとめ座の小夜子さんを、秋のお月様に送りましょう」。藤本晴美さんが関係者に宛ててメッセージをしたように。ただし微笑んでいるのは写真の小夜子さんだけだ。

 7時45分。スクリーンの映像がカラーに切り替わり、小夜子さんのささやくような声が流れ始める。「水はただ流れているだけで真実に流れることはない。私たちは水として流れ水として如来しているものである…」。山尾三省の詩。

 心を空にして、心のままに生きよ。水のように。水のように。水のように……。

 再びパイプオルガンが響き、バースデイソングを奏ではじめる。この日は、小夜子さんの誕生日。何度も何度もバースデイを寿ぎながら、オルガンの音が次第に高まり、極まっていく。一瞬の静寂。突然スクリーンに無数の鳥が襲来して、けたたましくさえぎながら小夜子さんを覆い尽くしていく。小夜子さんとコラボレーションをしつづけてきた映像作家の生西康典さんの驚くべき仕掛け。白描画の世界が一転して叭々鳥図となり、最後にそのなかの一羽が大きく羽を広げたところで、映像が止まり、音響が止まり、すべてが終わった。

 予想外のエンディングに射抜かれたように、来場者が無言で席を立ち本堂を出ると、あの300本のロウソクが配置を変えて、階段下に集まって炎を揺らしている。つい引き止められて、炎のまわりに立ちつくす人々。その手には、出口でひとりひとりに渡された白い封筒。セイゴオが小夜子さんの残したたくさんの言葉のなかから選び出し編み直したメッセージカード。

 うん、今夜逢えて嬉しかった。じゃ、またね。

 小夜子さんを送り、小夜子さんに送られた、不思議な一夜が閉じるとともに、耐えかねたようにはらはらと雨が降り出した。


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「山口小夜子さんを送る会」メッセージカード
松岡正剛・編

すべてにおいて「着る」ことが私の原点になっています。

山の上の、目の前にお墓がある家に住んでいたから、
小さい頃はよくそこで遊んでいました。

小学生なのにマニキュアを塗っていったりしてたの。
だから、「手をつながなーい」とか言われたこともあるの。

とても服に興味を抱いている子でした。
独創的であることが、小さいながらに私の基準だったのね。

高校を卒業後、洋服をデザインする仕事につきたくて杉野ドレスメーカー女学院に
入学したんです。学校内で先輩のモデルを頼まれているうちに、
プロにならないかというお話をいただいた。

渋谷の西武デパートに、「カプセル」という若いデザイナーを紹介するスペースがあったの。
そこで、まだ20代のケンゾーさんやイッセイさんの実験的な作品を見たときは、
頭を殴られるような衝撃でした。

初めて海外でショーの舞台にたったとき、
「どこの国の人ですか?」ってよく聞かれたんです。

当時、パリのモデルたちが急に髪を黒く染めて、
「小夜子どうしたら切れ長な目になるの?」って聞かれることにびっくりしました。

私たち日本人がコンプレックスに思っていることが、
西洋人にとっては憧れだったりするんです。

着るという仕事をしてきて、ふと思うことがあってね。
それは、からだ自体も着ているんだなという感覚、心がからだを着ているっていう感じ。
だからこそ、いたわりたいし、大切にしたいと強く思うようになってきています。

空き缶は捨てるものという固定観念を取り払えば、いろいろな形が見えてきます。
空き缶もタワシも着ることができる。地下鉄だって、家だって着られる。
なんだって着ることができるんです。

歩くことを変化させていくと動きになり、そこに手の動きをつけると別な表現が生まれ、
さらに言葉が加わると、新たな世界が生まれるの。それがいま、試みている
身体と音楽と映像と言葉によるパフォーマンスにつながってきたの。

私たちは、生まれたときから洋と和が混在している文化の中で生活していますが、
細胞のなかには必ず「日本的なもの」が存在しているとおもうんです。
いま、新しく「蒙古斑革命」というプロジェクトを始めているんです。

生きていると、自分が濁ってきてしまう時もあるでしょ? 
そう思ったら、街に出て他の人の創った作品を見るの。

自分のからだと心の関係、死とか生とか、そういう精神とからだの関わりを
探っているというか、見つけようとしている旅なのかなと思うんです。

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投稿者 staff : 2007年09月22日 15:00

コメント

初めてあこがれて、今日に至るまで、そしてこれからもあこがれ続ける女性です。
十代の頃から何度も何度も読み返した「小夜子の魅力学」は、今でも大切な宝物です。
献花の順番を待ちながら、スクリーンに映る小夜子さんを何度も見上げ、「私、ずっとあこがれていたんですよ」と何度も何度も話しかけていました。
カーネーションを手に、小夜子さんに小さくお別れを告げ、もう一度、、「私、ずっとあこがれていたんですよ」とつぶやきました。
本堂を後にする際、いただいたメッセージカードの「うん、今夜逢えて嬉しかった。じゃ、またね。」という言葉。そう、私、うれしかった、お目にかかれて、本当にうれしかった。また、いつか、どこかでお目にかかれる日がありますね・・・。
いままでありがとうございました。そして、これからもありがとうございます。いってらっしゃいませ、小夜子さん。

投稿者 yoko : 2007年09月25日 05:30