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2007年3月 1日

Diary ハイパーコーポレートユニバーシティー第五講

■日本の舞いでAIDAを体感

 2月17日~18日、ハイパーコーポレート・ユニバーシティ「AIDA」第5講が、鎌倉の鶴岡八幡宮で開催されました。ゲストは能楽師の安田登さんと女優の水野ゆふさん。自分の心と体の“あいだ”に、言葉と型で入っていきました。
  
 当日、鶴岡八幡宮に集まったセイゴオと塾生たちは、まず全員で本殿へ向かい正式参拝。その後、直会殿で、セイゴオが「日本の宮司でもっとも大胆な人」と賛する吉田宮司から、八幡信仰が九州宇佐からはじまり源頼朝によって鎌倉の地に八幡宮が建てられたこと、そして今日、子供たちと『古事記』を朗読していることなど鶴岡八幡宮の歴史と現在を話していただきました。
 それを受けてセイゴオからは、八幡は神仏習合のイコンであり、東大寺という天平時代の政治の中心に神託という形で影響を与えた存在であり、宇佐・石清水・鎌倉と東進し、武家と溶け込んで日本中に広まったことなどのレクチャーがあり、そもそも日本の神は多神であるが多神教ではなく、神道は感覚的なものであり、プロセス的なものだと解説しました。
 ここでゲストの安田登さんが登場。二人で能の間拍子や稽古について話します。安田さんが「江戸時代の武士の共通語は能の謡でした。例えば扇という言葉の奥には“逢う”や“飽きる”が入っています」というと、セイゴオも「能ほどハイパーリンクなものはない」と答えます。

 「能を通して日本人の身体と心の奥にあるものを感じてほしい」と語る安田さんは、能とロルフィング(筋膜に働きかける身体技法)をあわせた独自のボディーワークによって、たちまちそのメソッドを塾生に伝授。全員で「敦盛」の一節をマスターし、その後は闇と行灯でしつらえた斎館の和室に場所を移して、安田さんと水野さんと能管の栗林祐輔さんによる、能と演劇と朗読をあわせたパフォーマンスを鑑賞。三島由紀夫『招魂儀』『憂国』、夏目漱石『夢十夜』を間近で体感し、臨場感あふれる三人のコラボレーションに全員が魅了されました。
 そして深夜には鶴岡八幡宮の格別のはからいで、本殿において巫女による御神楽「宮人舞」を拝観。その厳かで清浄な雰囲気にセイゴオも塾生も感服していました。

 二日目は斎館で再び吉田宮司がご挨拶。吉田宮司は明治大正昭和をへて、今の日本は「武」の心を失くしてしまい、それによって耐え忍んだり我慢したりする「心」も失くしてしまったと示唆してくれました。
 ラストのセッションでは安田さんがワキ方から見た能の世界観について、セイゴオとトーク。ワキとは、この世とあの世のあいだにいる存在であり、どちらにもいけない気持ちをもって落ちぶれた人です。しかし、だからこそワキは「あわいの空間」をさまよいながら、この世のものではない存在(シテ)に出会うことができる。そして能というものはそのワキなくしては成立しない世界をこそ表現しているのではないか。
また安田さんは世阿弥の「初心を忘るべからず」という言葉を引いて、これは新しい布にハサミを入れるように、いくつになっても自分にハサミを入れることを意味していると語ります。「それでも残るものが、日本人の心の奥にある“思ひ”であり“み(実)”ではないか」。

 昨年末から2週間に一度という過激な日程で展開してきたハイパーコーポレートユニバーシティーは、鎌倉八幡宮での2日間にわたる合宿で、ついに存在論の奥義にまで達したようです。

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扇を使って日本のAIDAを論じるセイゴオと安田さん

投稿者 staff : 2007年3月 1日 23:38

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