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2007年3月26日

Report 「21世紀のISIS~想像力と映像」押井守氏と対談

「21世紀のISIS~想像力と映像」をめぐって押井守氏と対談

 3月10日(土)、岐阜県の未来会館で、第一回織部賞受賞者の押井守さんと織部賞選考委員を担うセイゴオが対談。これは「織部賞が生んだ“縁”と“演”~水木しげる・押井守~展」の特別企画として開催されたもので、朝から行列ができるほどの盛況でした。うち8割がすでに押井さんの監督作品『イノセンス』(2004年)を見ているという熱心なファンたち。そのファンの気持ちを代表するように、押井作品を貫く思想やアニメーションの可能性など食い入るようにセイゴオが問いかけました。

■物語の外部を描く

押井:アニメーションには2つあって、ひとつは僕みたいに物語とは関係なく「アート」に徹するものと、もうひとつは「物語」でひっぱっていくもの。

松岡:見る人はそこに物語があると思いがちだから、アートに徹すると分かりにくいと言われる。

押井:ぼくは、表現それ自体をつかって物語の「外部」(外の世界)を描くことにしか興味がない。最初にそのことを意識してつくったのが『天使のたまご』(1986制作)。

松岡:あれはまさに「観念」の映画。観念の具体化だね。情緒がまったくない。

押井:ぼくは、タルコフスキーのようなことをアニメーションでやりたい。ガラスの瓶にただただ水がたまっていく様子を描き続けるとか。実写だと「外部」は「外部」にならざるをえない。アニメーションだと「外部」に気付かれなで「気配」を表現することができる。

松岡:今日のテーマでもある「イシス」は、まさに神であり観念であり外部。これは『イノセンス』のテーマにもなっているのでは。

押井:『イノセンス』は『天使のたまご』以来、20年ぶりにとことん「外部」にこだわった。リラダンとダンテの世界を非常に意識した。

松岡:「世界定め」が並々ならない計算で仕上がっていた。ぼくは千夜千冊のリラダン『未来のイヴ』で『イノセンス』のことを書いた。場面を徹底して構造化して、細部にいたるまでトポグラフィックに仕立てている。

押井:ぼくは、限定した世界をピカピカにしたい。ピース(部分)一つ一つを磨きたい。
部分に「魂」が宿って、はじめて全体ができる。ディテールと全体は等価だと思っている。

松岡:押井さんの作品は、つねに部分と全体が相依相存するように作られていて、どんな場面にも空気の密度がある。

押井:作品は、テーマである「魂」が宿るべき器。どれだけ精緻に作りこむかが勝負。

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■人間とロボット

松岡:『イノセンス』には、人間の肉体を持った人がほとんど登場しない。ほとんどが機械。表情を殺した人間人形を動画にするのはきわめて困難でしょう。

押井:ぼくは、人間をパーツとして認識している。ロボットを人間に近づけるのは無意味だと思う。人間がロボット化することのほうがより人間的。

松岡:18世紀にフランスの哲学者ラメトリーが発表した「人間機械論」を思わせる。足は歩く筋肉であり、脳髄は考える筋肉であるという話。

押井:日本人は、昔からリアルな身体よりも、むしろ幽霊とか妖怪とかロボット的なものを重視しているのではないか。

松岡:確かに、十二単衣も鎧も文楽もロボット的。人間というものは、仮面を付け替えるように多様な個性を持ち、入れ替え可能とみるほうがいい。

押井:コンピュータは人にかなわないと言われているけど、ぼくは人間の脳をコンピュータ化したほうがいいと思っている。

松岡:手塚治虫から押井守まで、漫画家やアニメーターたちは、「外部」を入れて人間人形を表現してきた。もともと人間の細胞自体がミトコンドリアという外部を含んで成立している。

押井:まさにそのミトコンドリアが大事。ぼくは意識された世界に興味が無い。「無意識」を相手にしたい。とくにアニメーションは「無意識」そのものだと思っている。

松岡:活版印刷が発達して社会が音読世界から黙読世界に移り変わったことで「無意識」が誕生したと言われている。以降、「無意識」を刺激してきたのは蓄音機や映像、現代では無意識に対するアニメーションの影響力も大きい。ところが、アニメーターがこれを意識していない。

押井:書きたいキャラクターを描く探求心は旺盛だが、その奥に潜む無意識の存在に疑問をもたないアニメーターが多い。

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■すべてアニメーション

押井:ぼくは、アニメーションを「動く絵」だと定義している。動きがなければアニメーションじゃないというのは違うと思う。

松岡:縄文土器もクルクルまわせばアニメーションになる。着物もアニメーションに近い。

押井:実写映画もコマ撮りまでさかのぼって、フレーム単位の写真の連続と考えれば、アニメーションになる。人間には、昔から自分が記憶したものを対象化したいという欲求と、動く絵が見たいという欲求がある。

松岡:あまりにも精巧にできたCGは、人の想像力をかきたてなくなるのはどうしてか。

押井:フレーム数が増えれば増えるほど、ものすごく生々しくなって、人は見るに耐えられなくなるからでしょう。画面の情報量はスカスカなくらいが調度いい。

松岡:あえて人の認識がついていけるように、ノイズをいれる必要もある。

押井:「イノセンス」では、人間の情報吸収レベルにあわせるため、仕上がった映像に特殊加工をしてあえて劣化させた。映像のリズムやテンポをCGの世界に支配されてしまわないように。アニメーションの本質は「感覚の再現」です。リアルである必要はない。絵は記号であればいい。

松岡:漫画とアニメーションの違いはどう思う。

押井:アニメーションはフレームの大きさが決まっている。いまテレビに慣れすぎて、漫画が読めない子供がでてきている。番号をふらないと漫画を読む順番が分からない。

松岡:確実に、漫画の認識レベルが落ちている。一方で、アニメーションは世界で評価されている。漫画もふくめ何か独自なものが日本にあるのだろうか。

押井:日本人の美意識でしょう。正確だとかリアルだとかを問う前に、気持ちのいいことが重要という見方をもっている。それから、日本人は輪郭を大事にする。

松岡:歌舞伎の見得や、それを絵にした浮世絵がまさにそう。片仮名や平仮名も漢字の輪郭を生かしてつくられた。どちらも漢文を筆写するうちに略字化・省略化して自立したもの。たとえば「安」から「あ」へ、「牟」から「ム」へ。

押井:日本の文字には古代の言葉のイメージがちゃんと残っている。

松岡:ところで、押井さんは、どうしてそんなに犬が好きなのですか。

押井:「犬」は、ぼくの人生にとって最初に感じだ「外部」で、ぼくの生涯で一番の「外部」なんです。

松岡:アリスター・ハーディの『神の生物学』に「人間が神を想定するようになったのは、犬が人間を神のようにみなしているのに近い現象だ」と書いてある。

押井:基本的に人間にとっての「外部」は、動物であることが多いと思います。

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投稿者 staff : 2007年3月26日 16:16

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