セイゴオちゃんねる

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2007年3月30日

News 特別講演「情報文化とメディア」  申込受付中

 4月11日(水)第6回フィードビジネス・サミットでセイゴオが特別講演を行う。演題は「情報文化とメディア」。ますます加速するWebの進化と、激変するネットビジネスの流れのなかで、あらためて「メディアとは何か」を問います。
 サミットの全体テーマは「CGM時代のネットマーケティング」。当日はセイゴオの特別講演のほか、情報業界のトップを走る方々の基調講演やパネルディスカッションもあります。

詳しくはこちらをご覧下さい。
http://direct.ips.co.jp/book/internet/seminar070411/

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2007年3月27日

Publishing 起業の極意-工作舎からイシス編集学校まで-

 企業家の独立を応援する雑誌・月刊『アントレ』巻頭にセイゴオ登場。「不足や余分なものから大きなチャンスが生まれる」と、これからのビジネスにますます必要とされる、異質なものや多様なものを組み合わせと連想でつなげていく日本的メソッドを紹介しています。

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書 名:アントレ 5月号
発行所:リクルート
発売日:2007年3月27日
価 格:500円(税込)

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2007年3月26日

Report 「21世紀のISIS~想像力と映像」押井守氏と対談

「21世紀のISIS~想像力と映像」をめぐって押井守氏と対談

 3月10日(土)、岐阜県の未来会館で、第一回織部賞受賞者の押井守さんと織部賞選考委員を担うセイゴオが対談。これは「織部賞が生んだ“縁”と“演”~水木しげる・押井守~展」の特別企画として開催されたもので、朝から行列ができるほどの盛況でした。うち8割がすでに押井さんの監督作品『イノセンス』(2004年)を見ているという熱心なファンたち。そのファンの気持ちを代表するように、押井作品を貫く思想やアニメーションの可能性など食い入るようにセイゴオが問いかけました。

■物語の外部を描く

押井:アニメーションには2つあって、ひとつは僕みたいに物語とは関係なく「アート」に徹するものと、もうひとつは「物語」でひっぱっていくもの。

松岡:見る人はそこに物語があると思いがちだから、アートに徹すると分かりにくいと言われる。

押井:ぼくは、表現それ自体をつかって物語の「外部」(外の世界)を描くことにしか興味がない。最初にそのことを意識してつくったのが『天使のたまご』(1986制作)。

松岡:あれはまさに「観念」の映画。観念の具体化だね。情緒がまったくない。

押井:ぼくは、タルコフスキーのようなことをアニメーションでやりたい。ガラスの瓶にただただ水がたまっていく様子を描き続けるとか。実写だと「外部」は「外部」にならざるをえない。アニメーションだと「外部」に気付かれなで「気配」を表現することができる。

松岡:今日のテーマでもある「イシス」は、まさに神であり観念であり外部。これは『イノセンス』のテーマにもなっているのでは。

押井:『イノセンス』は『天使のたまご』以来、20年ぶりにとことん「外部」にこだわった。リラダンとダンテの世界を非常に意識した。

松岡:「世界定め」が並々ならない計算で仕上がっていた。ぼくは千夜千冊のリラダン『未来のイヴ』で『イノセンス』のことを書いた。場面を徹底して構造化して、細部にいたるまでトポグラフィックに仕立てている。

押井:ぼくは、限定した世界をピカピカにしたい。ピース(部分)一つ一つを磨きたい。
部分に「魂」が宿って、はじめて全体ができる。ディテールと全体は等価だと思っている。

松岡:押井さんの作品は、つねに部分と全体が相依相存するように作られていて、どんな場面にも空気の密度がある。

押井:作品は、テーマである「魂」が宿るべき器。どれだけ精緻に作りこむかが勝負。

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■人間とロボット

松岡:『イノセンス』には、人間の肉体を持った人がほとんど登場しない。ほとんどが機械。表情を殺した人間人形を動画にするのはきわめて困難でしょう。

押井:ぼくは、人間をパーツとして認識している。ロボットを人間に近づけるのは無意味だと思う。人間がロボット化することのほうがより人間的。

松岡:18世紀にフランスの哲学者ラメトリーが発表した「人間機械論」を思わせる。足は歩く筋肉であり、脳髄は考える筋肉であるという話。

押井:日本人は、昔からリアルな身体よりも、むしろ幽霊とか妖怪とかロボット的なものを重視しているのではないか。

松岡:確かに、十二単衣も鎧も文楽もロボット的。人間というものは、仮面を付け替えるように多様な個性を持ち、入れ替え可能とみるほうがいい。

押井:コンピュータは人にかなわないと言われているけど、ぼくは人間の脳をコンピュータ化したほうがいいと思っている。

松岡:手塚治虫から押井守まで、漫画家やアニメーターたちは、「外部」を入れて人間人形を表現してきた。もともと人間の細胞自体がミトコンドリアという外部を含んで成立している。

押井:まさにそのミトコンドリアが大事。ぼくは意識された世界に興味が無い。「無意識」を相手にしたい。とくにアニメーションは「無意識」そのものだと思っている。

松岡:活版印刷が発達して社会が音読世界から黙読世界に移り変わったことで「無意識」が誕生したと言われている。以降、「無意識」を刺激してきたのは蓄音機や映像、現代では無意識に対するアニメーションの影響力も大きい。ところが、アニメーターがこれを意識していない。

押井:書きたいキャラクターを描く探求心は旺盛だが、その奥に潜む無意識の存在に疑問をもたないアニメーターが多い。

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■すべてアニメーション

押井:ぼくは、アニメーションを「動く絵」だと定義している。動きがなければアニメーションじゃないというのは違うと思う。

松岡:縄文土器もクルクルまわせばアニメーションになる。着物もアニメーションに近い。

押井:実写映画もコマ撮りまでさかのぼって、フレーム単位の写真の連続と考えれば、アニメーションになる。人間には、昔から自分が記憶したものを対象化したいという欲求と、動く絵が見たいという欲求がある。

松岡:あまりにも精巧にできたCGは、人の想像力をかきたてなくなるのはどうしてか。

押井:フレーム数が増えれば増えるほど、ものすごく生々しくなって、人は見るに耐えられなくなるからでしょう。画面の情報量はスカスカなくらいが調度いい。

松岡:あえて人の認識がついていけるように、ノイズをいれる必要もある。

押井:「イノセンス」では、人間の情報吸収レベルにあわせるため、仕上がった映像に特殊加工をしてあえて劣化させた。映像のリズムやテンポをCGの世界に支配されてしまわないように。アニメーションの本質は「感覚の再現」です。リアルである必要はない。絵は記号であればいい。

松岡:漫画とアニメーションの違いはどう思う。

押井:アニメーションはフレームの大きさが決まっている。いまテレビに慣れすぎて、漫画が読めない子供がでてきている。番号をふらないと漫画を読む順番が分からない。

松岡:確実に、漫画の認識レベルが落ちている。一方で、アニメーションは世界で評価されている。漫画もふくめ何か独自なものが日本にあるのだろうか。

押井:日本人の美意識でしょう。正確だとかリアルだとかを問う前に、気持ちのいいことが重要という見方をもっている。それから、日本人は輪郭を大事にする。

松岡:歌舞伎の見得や、それを絵にした浮世絵がまさにそう。片仮名や平仮名も漢字の輪郭を生かしてつくられた。どちらも漢文を筆写するうちに略字化・省略化して自立したもの。たとえば「安」から「あ」へ、「牟」から「ム」へ。

押井:日本の文字には古代の言葉のイメージがちゃんと残っている。

松岡:ところで、押井さんは、どうしてそんなに犬が好きなのですか。

押井:「犬」は、ぼくの人生にとって最初に感じだ「外部」で、ぼくの生涯で一番の「外部」なんです。

松岡:アリスター・ハーディの『神の生物学』に「人間が神を想定するようになったのは、犬が人間を神のようにみなしているのに近い現象だ」と書いてある。

押井:基本的に人間にとっての「外部」は、動物であることが多いと思います。

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2007年3月22日

Publishing 月刊『ランティエ』5月号の表紙モデルに

 セイゴオが月刊『ランティエ』5月号の表紙に登場。撮影場所は、日本橋の中央区立常盤小学校。創設明治6年、昭和の初めに建てかえられ関東大震も東京空襲もくぐりぬけた校舎です。
 また、15回目をむかえる連載「ニッポンの忘れもの」は「いじめと脇役」をテーマに展開。さらに、今回からセイゴオがテーマに則してしたためた書画を掲載。筆と墨をつかって胸中の史観を紙に滲ませます。

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書 名:『月刊ランティエ』2007年5月号
発行所:株式会社角川春樹事務所
発売日:2007年3月23日
価 格:880円

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2007年3月20日

News 東京アートフェア「ダイアローグinアート」で平川典俊氏と対談

 4月10日(火)に「東京アートフェア」企画のトーク・シリーズ「ダイアローグinアート」にセイゴオが出演。アーティストの平川典俊さんと対談します。平川さんは、インスタレーション、映像、演劇、パフォーマンスやサウンドなど、さまざまなメディアを複合して社会のシステムや制度と個人との新しい関係やあり方を提案しているアーティスト。今回のテーマは「覚道(かくどう)への道」。

 「東京アートフェア」の開催期間は、4月10日(火)から12日(木)まで。2005年8月の第一回目に続き、今回が二回目。古美術・工芸から日本画そして近代洋画や先鋭的な現代アートまでジャンルを越えて、世界中から約100の選りすぐりの画廊がトップクラスのアートを展示販売する日本最大の見本市です。
 

主 催: アートフェア東京実行委員会
会 場: 東京国際フォーラム地下2F「アートフェア東京」会場向かいセミナールーム
参加費: 無料(アートフェア東京のチケットでご参加いただけます。)
定 員: 70名 (先着順)
対 象: 一般来場者
http://www.artfairtokyo.com/2007/index.html

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Diary ハイパーコーポレートユニバーシティー第六講

 3月3日、ハイパーコーポレート・ユニバーシティ「AIDA」の最終回・第6講が六本木の国際文化会館で開催された。
 昨年11月末から約4ヶ月間、これからの日本を担う企業のミドルリーダーにむけて、毎回場所と次第としつらいを変え、日本の方法と世界の見方を伝授するセイゴオのソロ講義と、平尾誠二さんから安田登さんまでのハイパーなげストを迎えてきた。最終講はいよいよセイゴオが5時間のソロ講義で総まとめ。

■セイゴオ講義-明治に学ぶ東と西・内と外のAIDA
 現代の日本社会や企業を考えるには、近代国家の原点である明治に戻ってみるとよい。日本を一つの国として捉え始めたのも、その中の多様性をコントロールし始めたのも明治からである。ただしそこから現代までの百年を一瞬にして見る訓練をする必要がある。
 明治における日本の近代化には、多くの外からのアドバイザーがかかわっていた。その中の一人が建築家のジョサイア・コンドル。コンドルは西洋建築の技術を日本にもたらし、日本人初の建築家である辰野金吾や片山東熊を育てた。その一方で自分でも生け花をたしなみ、河鍋暁斎に弟子入りして日本画を描き、花柳流を舞った。
 同じ頃、九州熊本から宮崎滔天が立ち上がる。滔天は日本を変えるためにアジアを動かすことを決意し、失敗の連続を繰り返しながらも、孫文や黄興を助け、ついに中国革命を成功に導く。その滔天の自伝『三十三年の夢』は中国で日本人初のベストセラーになり、今なお中国人に大きな影響をあたえているが、このことは日本でほとんど知られていない。

 映像を使いながら、コンドルと滔天の二人をクローズアップし、東と西・内と外のAIDAをつないだ明治の精神を語るセイゴオ。

■課題講評-「わび・さび」と「数寄」のAIDA
 次に、塾生が「わび・さび」をテーマに撮影した写真を一枚ずつスクリーンに映し、その意図を発表。それぞれに対し、「わび・さび」の捉えかたをセイゴオが講評した。
 「日本には“負の方法”“引き算”という方法がある。これを表現するには、自分の気持ちと対象物を共鳴させることが大切」。
 また、黒板に日本神話の構造を図解しながら、「ワビ・サビ」の奥にある「スサビ」を解説。
 「和魂を象徴するアマテラスに対し、荒魂を象徴するスサノオ。このスサノオが“スサビ”のルーツである。スサビは“荒び”であり、“遊び”でもある。日本の遊芸すなわち芸能は、“荒び”と“遊び”を絶妙なバランスで取り入れた。さらにここから“数寄”すなわち“好みの文化”が生まれた」。
 ここで、近代日本を代表する数寄者であり企業人でもある、益田鈍翁を映像を使って紹介。
 「三井物産の大番頭・鈍翁のもとに集まった明治・大正の企業人たちは、経済界で活躍するとともに、欧化主義によって日本が放出しつつあった美術品に新たな価値を発見し、物心両面から日本の美を支えようとした。“国宝”の[三十六歌仙絵巻]に包丁を入れ断簡にして共有したように、文化を財力で引き取り、それを持ち合うことで数寄の精神を発揮した。今日言われる企業文化というものは、果たしてそのような精神を継承しているだろうか。あるいは発信させたのだろうか」。

■ラストメッセージ-AIDAに鮮明になること
 フェノロサ・滔天・鈍翁のような日本を動かす大きなシナリオもあるが、一方で一枚の写真のようなわずかなことでも、そこに本気で何かをこめれば劇的なことが起こることもある。つねにAIDAから外と内、東と西を考えてほしい。塾生諸君にはAIDAに鮮明な人であってほしい。

 根岸の西蔵院から鎌倉の鶴岡八幡宮まで、多様な場所でAIDAを体感してきたハイパーコーポレート・ユニバーシティー第2期。ゲストやセイゴオからの熱意あふれるメッセージが、塾生ひとりひとりの方法的将来に結実することを期待したい。

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荒びと遊びの「AIDA」から日本が浮かびあがる

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2007年3月15日

Diary 「千夜千冊全集」祝重版!

関係者せいぞろいして乾杯感激

 刊行からわずか4ヶ月で初版1000部完売、すでに重版もできあがり、日本の出版界に僥倖をもたらす快挙とまで話題になっている「松岡正剛千夜千冊」。3月吉日、セイゴオ、装幀の福原義春さん、中山禮吉さん、口絵写真撮影の十文字美信さん、千夜短歌の小池純代さんをはじめ、求龍堂、精興社、松岡事務所の面々が勢ぞろいして、祝賀会が開催されました。

 福原さんの乾杯の掛け声ではじまって、順番に繰り出されるメッセージや挨拶では、制作途中の各担当や部門の苦労話が次々明かされ、セイゴオも興味深深。総ページ数1万、総重量13kgの、しかも内容も印刷も製本も完成度の高い大全集が、わずか1年の編集制作期間で生み出された背景には、必死決死の編集者根性と職人魂と営業熱意の結集があったことに、おおいに感じ入ったようでした。

 この日はじめてセイゴオと顔を合わせた精興社の営業副部長・小山さんも感慨しきり(小山さんは2006年6月26日の当サイトDiaryでも紹介)。セイゴオのすさまじい校正赤入れへの対応、福原さんの指定した赤のグラデーションや十文字さんの口絵写真の色出しなどの苦労に加え、超厚口の製本や、発送のための梱包箱の手配まで、すべてが前代未聞だったと振り返っていました。

 全国書店をまわり続けている求龍堂の営業の皆さんからは、「千夜千冊全集」が各地の書店員の販売意欲を活気づけている、松岡正剛フェアの開催もどんどん増えているといった報告とともに、改めて重版完売の決意表明も。

 「千夜千冊全集」の話題や波及がまだまだこれから拡張していくことを確信しながら、締めは一同そろっての記念撮影。

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2007年3月14日

Diary 調度と遊ぶ日本

■椿座第4講、目白の和敬塾で開催

 2月27日、連志連衆會主催の「椿座」第4講が、目白の和敬塾本館で開催された。
 和敬塾本館は細川家16代の細川護立によって昭和11年に建てられた邸宅。英国チューダー様式を基本にしながらも、唐様・和様からサラセン風のデザインまで、さまざまなスタイルが建築・室内装飾に取り入れられている。
 この日本を代表する華族邸宅の客間の一室で、「日本の調度」をテーマにセイゴオが3時間にわたり講義を行った。

 日本の調度に関する専門的研究はきわめて少なく、ましてや編集文化として日本の方法を捉えるセイゴオが満足できるような資料もほとんどない。そこでこの日のためにスタッフたちが1週間ほどかけて建築意匠や美術工芸品、さらには絵巻から浮世絵まで500枚近いビジュアル資料を収集し、それをもとにセイゴオが独自に「調度史」を語るためのシナリオを組みたてるという大掛かりな準備が行われた。
 
 講義は厳選された150枚のビジュアル資料をプロジェクターで映しながら、加速した。古代、中国の影響で王朝人が採用した寝台と椅子、その後寝殿造とともに発達していった櫃や棚や箱などの調度、また寝所を意味する「床」(とこ)からフロアーを意味する「床」(ゆか)への変化や、襖や建具の変遷、さらに書院造と床の間が登場し、会所飾りの趣向が競われ、好みの文化から茶室が生まれていくまでの調度史の流れが一望された。
 圧巻は江戸時代に大名の子女の嫁入り道具として作られた雛道具。幅わずか10センチの厨子に精巧な蒔絵が施され、王朝絵巻さながらの香道具や化粧道具までがすべてミニチュアで揃えられたものだ。会場からも思わずほうっとため息が聞かれた。

 セイゴオは、「調度」は音楽の「調べ」とも連動し、ハーモニーを重視するものと位置づけた。「室礼(しつらい)」「持成(もてなし)」「振舞(ふるまい)」の3つのコンセプトによって日本は間の文化やコミュニケーション文化を育んだが、その基準を律していたものが「調度」だったのだ。

 椿座の会員は連志連衆會の呼びかけに応じて、「日本という方法」のためのプロジェクトに参画する意思をもった人々である。一方、セイゴオはそのプロジェクトのスタートにあたって、匠たちと手を携えて新様式でかつセイゴオ好みのモノづくりを準備しつつある。
 和敬塾で語られ紹介された日本の調度感覚は、セイゴオに期待を寄せる会員たちの胸をいっそうかきたてたことだろう。

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2007年3月13日

Publishing「日経EW」で新連載開始、「エコノミスト」で著者インタビュー

 働く女性を対象にした新雑誌「日経EW」の創刊号から連載「松岡正剛の日本を動かした女たち」(3ページ)がはじまりました。歴史上の人物から現代人まで、かっこいい女性の生き様を数冊の関係図書とともに幅広く紹介。第一回目は川上貞奴。

 また「週刊エコノミスト」の「書評」コーナーでは『17歳のための世界と日本の見方』の著者インタビューを掲載。関係の時代、編集という視点、世界と日本を見るキーワードについて質問をうけています。


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書 名:日経EW [イー・ダブリュ] 第1号
発行所:日経ホーム出版社
発売日:2007年3月12日
価 格:780円(税込)

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書 名:週刊エコノミスト 2007年3月20日号
発行所:毎日新聞社
発売日:2007年3月12日
価 格:550円(税込)

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2007年3月12日

Report 神々の国「宮崎」を訪ねる

 シスコシステムズ主催「第3回エグゼクティブ・フォーラム」が陽春の宮崎で開催されました。シスコシステムズユーザー企業数十社のリーダーたちが集う半年に一度の「和座」(WAZA)という催しで、連塾の発起人でもある黒澤保樹社長が司会進行役をつとめ、セイゴオと呉善花氏が毎回ゲスト講師として招かれています。今回の呉善花氏のテーマは「日本人のアイデンティティ」、セイゴオのテーマは「日本の情報文化とその技」。

 日本に根付く「調和」の意識を体系化することに世界の未来があるという善花氏の講演をうけて、セイゴオは、懐石料理に見る器の組み合わせ、茶会における道具の取り合わせなど、日本の調和に異種配合という特殊性があることを示し、次のように話を展開しました。

 日本は、八百万の神々といわれるように、多神の国であり、しかもそれらは客神です。フォーラム開催地である宮崎は、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が“天孫降臨”をした地として知られますが、この神話は日本の国づくりの始源に外来神、すなわち外来の一族が深く関わったことをあらわしています。
 日本各地でおこなわれている多彩な祭りは、この客なる神を迎えてもてなすことで、神話の描く日本の始源をもどいています。とくに宮崎には古くから受け継がれてきた貴重な祭礼行事が多く、その代表が神を迎え送るまでの一切の段取りを素晴らしい舞いで表現する「高千穂神楽」。
 高千穂神楽にはまた和事(わごと)と荒事(あらごと)、和魂(にぎたま)と荒魂(あらたま)という日本のコンセプトモデルがひそんでいます。

 このモデルをつかった芸能が「能」。何もない空間である能舞台、そこに橋掛かりを超えてやってくるシテ。能はまさにワキの存在する現実世界に、神としてのシテを呼び招きます。そして世阿弥の夢幻能は、移り舞いによって目には見えないはずの神や魂の“面影”(おもかげ)とその“うつろい”を出現させる仕組みを大成しました。この目に見えない“面影”がうつろうことで日本がかたちづくられてきたのです。

 セイゴオは、今こそ“日本の面影”の歴史を感じて欲しいと願いをこめて講演をしめくくりました。

 講演終了後、参加者との交流を楽しんだ翌日、セイゴオはイザナギノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)を祀る江田神社、楠の大木にかこまれた神武天皇ゆかりの宮崎神宮、そして神武東征ゆかりの美々津の海と立磐神社をめぐったのち、25年ぶりに天孫降臨神話がのこる“高千穂”を訪れました。宮崎市内から車でひた走ること約3時間。

 最初に向かった先は、アマテラスオオミカミ(天照大神)を祀る天岩戸神社。社殿は厳かな雰囲気を漂わせる素朴な造り。社殿裏の谷をはさんだ対岸にはアマテラスが身を隠したと伝わる洞窟「天岩戸」。つきっきりで案内してくれる神主がまるで祝詞のような口調で語る天岩戸伝説に、セイゴオはじっと耳を傾けていました。

 つづいて、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)を訪ねて槵觸(くしふる)神社へ、さらにニニギノミコトを道案内したサルタヒコ(猿田彦)とウズメノミコト(鈿女命)を祀る荒立神社へ。そしていよいよ高千穂88社の総社でもある高千穂神社へ。樹齢800年の秩父杉に迎えられ、重厚な佇まいの本殿に拝礼し、山里にある境内をしばらく逍遥。

 神社めぐりのあとは、ニニギノミコトが天から降り立ったと伝わる古えの二上山(ふたがみやま)を探すため、国見ヶ岡へ向かいました。高天原(たかまがはら)に降り立った神々がここから各地を眺めたことに由来する丘で、高千穂随一の眺望。大きな地図をひろげ四方八方を見渡し、方角、標高、山肌、山容から二つの峰がそびえ立つ特に秀麗な山を発見し、あの山だろうと推測。折りしも、夕日が高千穂の風景を染めはじめ、神話の里がしだいに夕闇に沈んでいく様子をセイゴオは無言で見つめていました。

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夢幻能と現在能の間をうつろう面影の話
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イザナギノミコトが禊ぎをした御池ちかくにある江田神社
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神武東征で海上安全の祈願をした立磐神社の御神木
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荒立神社の神楽殿で面を拝借し舞を舞うセイゴオ
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社殿背後にある天岩戸に向かって深々と拝礼
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国見が丘から高千穂の集落を一望

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2007年3月 9日

Publishing『日本数寄』、文庫になって再登場

 2000年6月に春秋社から出版された『日本数寄』が、「ちくま学芸文庫」になりました。『フラジャイル』に次いで2冊目です。解説は芳賀徹さん、装幀は羽良多平吉さん。単行本に掲載されている図版もすべて収録。

書 名:日本数寄
発行所:筑摩書房
発行日:2007年3月10日
価 格:1400円+税

目次
Ⅰ 日本の意匠
桜と時代、花鳥の使いほか
Ⅱ 神仏のいる場所
   中心の移動、説明の庭ほか
Ⅲ 数寄と作分
   主客の遊び、茶数寄茶振舞ほか
Ⅳ 江戸の人口知能
   和算と条理学、江戸の人工知能ほか

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2007年3月 7日

News日経夕刊文化面-「余分」切捨ては失敗 

  3月7日(火)の日本経済新聞夕刊文化面にセイゴオのインタビューが掲載された。余分と思われる手間やたたずまいなどを、ノイズだ、冗長だと切っているから日本的な文化の編集ができなくなっていると指摘するセイゴオ。異文化をうまく取り込む日本独自の編集能力の復活の必要性について多様な例示をおりまぜながら紹介してある。

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日本経済新聞夕刊文化面

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2007年3月 1日

Diary ハイパーコーポレートユニバーシティー第五講

■日本の舞いでAIDAを体感

 2月17日~18日、ハイパーコーポレート・ユニバーシティ「AIDA」第5講が、鎌倉の鶴岡八幡宮で開催されました。ゲストは能楽師の安田登さんと女優の水野ゆふさん。自分の心と体の“あいだ”に、言葉と型で入っていきました。
  
 当日、鶴岡八幡宮に集まったセイゴオと塾生たちは、まず全員で本殿へ向かい正式参拝。その後、直会殿で、セイゴオが「日本の宮司でもっとも大胆な人」と賛する吉田宮司から、八幡信仰が九州宇佐からはじまり源頼朝によって鎌倉の地に八幡宮が建てられたこと、そして今日、子供たちと『古事記』を朗読していることなど鶴岡八幡宮の歴史と現在を話していただきました。
 それを受けてセイゴオからは、八幡は神仏習合のイコンであり、東大寺という天平時代の政治の中心に神託という形で影響を与えた存在であり、宇佐・石清水・鎌倉と東進し、武家と溶け込んで日本中に広まったことなどのレクチャーがあり、そもそも日本の神は多神であるが多神教ではなく、神道は感覚的なものであり、プロセス的なものだと解説しました。
 ここでゲストの安田登さんが登場。二人で能の間拍子や稽古について話します。安田さんが「江戸時代の武士の共通語は能の謡でした。例えば扇という言葉の奥には“逢う”や“飽きる”が入っています」というと、セイゴオも「能ほどハイパーリンクなものはない」と答えます。

 「能を通して日本人の身体と心の奥にあるものを感じてほしい」と語る安田さんは、能とロルフィング(筋膜に働きかける身体技法)をあわせた独自のボディーワークによって、たちまちそのメソッドを塾生に伝授。全員で「敦盛」の一節をマスターし、その後は闇と行灯でしつらえた斎館の和室に場所を移して、安田さんと水野さんと能管の栗林祐輔さんによる、能と演劇と朗読をあわせたパフォーマンスを鑑賞。三島由紀夫『招魂儀』『憂国』、夏目漱石『夢十夜』を間近で体感し、臨場感あふれる三人のコラボレーションに全員が魅了されました。
 そして深夜には鶴岡八幡宮の格別のはからいで、本殿において巫女による御神楽「宮人舞」を拝観。その厳かで清浄な雰囲気にセイゴオも塾生も感服していました。

 二日目は斎館で再び吉田宮司がご挨拶。吉田宮司は明治大正昭和をへて、今の日本は「武」の心を失くしてしまい、それによって耐え忍んだり我慢したりする「心」も失くしてしまったと示唆してくれました。
 ラストのセッションでは安田さんがワキ方から見た能の世界観について、セイゴオとトーク。ワキとは、この世とあの世のあいだにいる存在であり、どちらにもいけない気持ちをもって落ちぶれた人です。しかし、だからこそワキは「あわいの空間」をさまよいながら、この世のものではない存在(シテ)に出会うことができる。そして能というものはそのワキなくしては成立しない世界をこそ表現しているのではないか。
また安田さんは世阿弥の「初心を忘るべからず」という言葉を引いて、これは新しい布にハサミを入れるように、いくつになっても自分にハサミを入れることを意味していると語ります。「それでも残るものが、日本人の心の奥にある“思ひ”であり“み(実)”ではないか」。

 昨年末から2週間に一度という過激な日程で展開してきたハイパーコーポレートユニバーシティーは、鎌倉八幡宮での2日間にわたる合宿で、ついに存在論の奥義にまで達したようです。

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扇を使って日本のAIDAを論じるセイゴオと安田さん

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