セイゴオちゃんねる

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2006年10月31日

News 筑紫哲也ニュース23「金曜深夜便」に出演

◆番組名:筑紫哲也ニュース23「金曜深夜便」
◆放送日時:11月3日(金)24:22~24:32
◆放送エリア:全国(ただし大阪MBSエリアは除く)

 『松岡正剛千夜千冊』全集の刊行からほぼ一ヶ月がたち、「新文化」「日本経済新聞」「新聞之新聞」「朝日新聞」「週刊読書人」などでもとりあげられ、注目度がますます高まっています。
 そんな中、11月3日(金)「文化の日」、セイゴオが筑紫哲也ニュース23「金曜深夜便」に出演します。『松岡正剛千夜千冊』が生み出された書斎や、セイゴオの原点となる京都の思い出の場所で本との出会いについて語ります。千夜千冊と同時に進行してきたプロジェクト「図書街構想」の一端も紹介。

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TBSディレクター古賀淳也氏のインタビューをうけるセイゴオ                                       (撮影場所:ギャラリー「册」)

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2006年10月27日

Publishing 神無月セイゴオ・アラカルト

◆新雑誌『リクウ』創刊号に特別寄稿

10月31日(火)に中央公論新社から刊行される新雑誌『リクウ』に、セイゴオが特別寄稿。『リクウ』は「陸・空・海」を表し、エコライフと和=日本の2大テーマを、高感度な読者に向けて展開していく。創刊号でも第一特集として「森」を、第二特集として「和をひもとく」を取り上げ、それぞれ多彩な顔ぶれが登場し筆を競っている。
セイゴオのエッセイタイトルは「遷移と極相のあいだ」。東西の森林的思考の系譜とともに、森を舞台にした物語や戯曲、森林学や林業学、さらに森を出入りする多神多仏まで、あらゆる切り口から生きる「森」の自然学と文化史を縦横無尽に綴った読みごたえのある一篇となっている。

URL;http://cm.chuko.co.jp/~ckoron/ri-ku-u/

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発行日:2006年10月31日(火)
発 行:中央公論新書
価 格:780円

◆「週刊読書人」がセイゴオ講演「六年千冊七巻仕立」を詳細レポート

「週刊読書人」が、9月30日(土)に紀伊國屋ホールで開催された『松岡正剛千夜千冊』刊行記念特別講演「六年千冊七巻仕立」を詳細に紹介(11月3日号)。タイトルは「21世紀の日本人へ知の贈り物~書物によって“世界”を描く」。「千夜千冊」に精魂を尽くしたセイゴオの編集哲学を下敷きに、各巻の鍵となる本を紹介しながら、当日の超高速セイゴオ語りの興奮をあますことなく伝える必読記事。

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発行日:毎週金曜日(11月3日号)
発 行:株式会社読書人発行
価 格:260円

◆月刊『ランティエ』12月号 連載「ニッポンの忘れもの」第10回

「当世はやりものしらべ」としてセイゴオが連載中の「ニッポンの忘れもの」。スポーツから政治、天皇家まで多種多様なテーマをあつかう。第10回は「情報デブ問題」。当世のインターネット・ケータイ日本人の情報カロリーのとり過ぎに警告をうながし、解決に必要となる編集能力やこれから日本が歩むべき道を示唆。

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発行日:2006年12月1日(毎月1回) ※10月25日発売
発 行:角川春樹事務所
価 格:680円

◆『ユリイカ』9月臨時創刊号「稲垣足穂」特集で特別インタビュー

セイゴオの編集屋人生に大きな影響をあたえた稲垣足穂について、ひさびさに語ったロングインタビュー。セイゴオにしか語れない数々のエピソードを通して、足穂の思想や好みやダンディズムが、その立ち居振る舞いや語り口とともに彷彿と蘇る。

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発行日:2006年9月25日
発 行:青土社
価 格:2200円

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2006年10月23日

Report 七石舞台「かがみ」御披露目

音と言葉の共演が、石と鏡を結び寿いだ

 10月14日(土)、那須のリゾートホテル二期倶楽部で七石舞台「かがみ」の御披露目公演が開催された。七石舞台は、二期倶楽部敷地内を流れる清流「二會川」を見下ろす小高い丘陵に設置された、野外劇場である。四国の庵治から運ばれた巨大な7つの石と、それらをつなぐ鏡面ステンレスによってつくられた、前代未聞の文化装置である。

 石は、建築家の内藤廣さんとともにセイゴオが石彫家の和泉正敏さんを訪ね、その膨大な石のコレクションの中から選び抜いた。重さ30トンを超える巨石を分割しそれを鏡面スチールでつなぐアイデアは内藤さんから出されたもの。石という普遍的な時間の重さから、舞台空間を解き放つために考え抜いたと内藤さんは語っている。

 年間を通じて雨が多く、また冬は雪に閉ざされてしまう那須高原のきびしい環境のなかで、七石舞台の工事は難を極めた。ようやく七石舞台が完成したのが今年3月のこと、以降も「行道」(花道)や周辺設備の工事が休む間もなく続けられた。また照明家の藤本晴美さんと音響の金森祥之さんが加わり、あらゆるパフォーマンスを可能にするための最新装置が設置された。

 いよいよ10月13日、セイゴオはこけら落のパフォーマンスを演じるアーチストたちとともに、二期倶楽部に入った。七石舞台エリアを囲いこむ二重幔幕の取り付けが内藤事務所を中心に急ピッチで行われ、万が一の雨天対応用のテントや雨用具の準備までが進められるなか、初めて七石舞台を目の当たりにして興奮するアーチストたちとともに、セイゴオは宵闇とともにつのってくる寒さに耐えながら熱心にリハーサルを続けた。

 じつはこのときセイゴオは大きな問題をひとつ抱えていた。出演者の能楽師の安田登さんが師匠の舞台の代役をつとめなければならなくなり、第1部冒頭に予定している石開きのための謡曲次第が演じられなくなったのである。セイゴオは安田さんとも相談のうえ、急遽二期倶楽部のクラブハウスを借りて、安田さんに謡を録音してもらうことにした。その作業は深夜まで続いた。

 14日当日はあいにく曇天で明けたが、午前中からセイゴオと全出演者および照明の藤本さん、舞台監督をつとめる飯島高尚さんらが舞台に集い、入念な打ち合せとリハーサルを行った。二期倶楽部側でも、総支配人の中野さんの指揮のもと、来場者を迎えもてなすための室礼が着々と準備された。

 午後2時、石舞台の100席の観客席のキャパシティをはるかに超える170人もの来場者が詰めかけ、固唾を呑んで開演を待ち続ける。折りしも雲の隙間から青空が広がりはじめた。その青い空と木立の鮮やかな緑を映しこんで、七石舞台「かがみ」はますますその耀きを増していた。第1部オープニングパフォーマンス「挿頭」(かざし)が、いよいよ開演する――。

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左:リハーサル中の安田登さん
中:近藤等則さんとも入念な打ち合せ
右:前代未聞の七石舞台を前に、期待を募らせる観客

*写真はすべて戸澤裕司氏撮影(以下同)

七石舞台【かがみ】御披露目
第1部オープニングセレモニー「挿頭」(かざし)


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左:安田登さんの声だけによる開口次第が始まり、羽織りをかざしてセイゴオが登場
中:栗林祐輔さんの能管の調べが冴える
右:安田さんの不在を詫びつつ、石と鏡の舞台開きを告げる

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左:晴れやかな表情の北山ひとみさん、内藤廣さん、和泉正敏さんがご挨拶
中:木漏れ日のなかで、近藤等則さんの複雑妙技の電気トランペットが響きわたる
右:客席から登場した土取利行さんが、観客に二つずつ石を手渡していく

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左:観客もいっしょに石を打ち鳴らして、近藤さんのトランペットとセッション
中:南インドの古典楽器ガタムを軽快に打つ土取さん
右:第1部を終えてほっと一息、観客に手を振るセイゴオ

七石舞台【かがみ】御披露目
第2部オープニングパフォーマンス「際立」(きわだち)

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左:夕闇が迫るなか石舞台は藤本さんの照明によって昼間とは違う表情を見せる
中:鈴を鳴らし「梁塵秘抄」を歌いながら桃山晴衣さんが行道を進む
右:七石舞台にちなみ7つの三味線音楽を弾き分けて、宮薗節で締めくくる

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左:寒気を震わせて、土取利行さんのグラスサウンドの神妙な音が響く
中:シャーマニックなヴォイスパフォーマンスを繰り出す土取さん
右:近藤等則さんがコズミックサウンドを高らかに吹き鳴らす

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左:音と声と響きの共演を受けて、セイゴオがこのあと続く「夢十夜」について語る
中:音取を演奏しながら、客席うしろから登場する能管の栗林さん
右:安田登さんが揚幕から登場、道行の謡を謡いながら次第に物語に入っていく

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左:盲目の我が子を背負って闇を進む―石舞台が夏目漱石「夢十夜」の世界に転じる
中:100年前の人殺しの記憶が蘇るクライマックス
      「背中の子が急に石地蔵のように重くなった」
右:渾身のパフォーマンスを終えて汗びっしょりの安田さんを称えるセイゴオ

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左:安田さんが石舞台の四方を謡い清め、近藤さんと土取さんが即興で加わり大団円
中:すべての演目を終え、感慨を込めて一日を締めくくるセイゴオ
右:七石舞台の周囲には無数の青竹の松明が焚かれ、観客を見送った

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2006年10月19日

News 講演 「イサムの和・ノグチの洋」

高松市美術館「イサム・ノグチ展」―世界とつながる彫刻

 高松市美術館で開催中(9月29日~11月12日)の「イサム・ノグチ展」を記念して、セイゴオが記念講演に招かれた。イサム・ノグチ(1904-1988)は、世界的に有名な彫刻家。日本人の父と米国人の母のあいだにうまれ、つねに国籍や民族のちがいを越えて人間の精神の根源にある共通分母を探しながら多くの作品をのこした。石や金属といった彫刻をはじめ、舞台美術、家具・照明のデザイン、さらには庭や公園などの環境設計まで、あらゆる領域に活動範囲を広げ、独自の彫刻観を確立。多彩な活動で知られるイサム・ノグチの代表作約70点を展示とともに、セイゴオの「イサム・ノグチ」語りをお楽しみください。

■記念講演会「イサムの和・ノグチの洋」
 日時:10月29日(日)午後2時~
 講師:松岡正剛
 会場:高松市美術館1階講堂
 定員:200名
 参加費:無料(申し込み不要/先着順)

 高松市美術館
 〒760-0027 香川県高松市紺屋町10-4 
 TEL: 087-823-1711

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2006年10月18日

News  講演「ゼネティックコンピュータと電子図書街」

奈良県立図書情報館・開館1周年記念トークセッション

 21世紀の新しい知的交流の場を目指してつくられた「奈良県立図書情報館」。開館1周年を記念してセイゴオと土佐尚子さんが招かれ、2時間のトークセッションを繰り広げる。2人が長年研究してきた「ゼネティック・コンピュータ(禅コンピュータ)」と、現在取り組んでいる「電子図書街」プロジェクトについて、そのコンセプトや情報文化の発信について、縦横に語るスペシャルイベント。申し込み受付中。

■「ゼネティックコンピュータと電子図書街」
日時:平成18年11月4日(土)14:00~16:00 (開場13:00)
   セッション1 ゼネティック・コンピュータ デモンストレーション
   セッション2 ゼネティック・コンピュータと図書街を語る 
会場:奈良県立図書情報館 1階交流ホール
講師:松岡正剛、土佐尚子(メディアアーティスト・京都大学特任教授)
締切:10月31日(当日消印有効)
定員:300名
参加費:無料

申込:先着順
   「1周年記念トークセッション申し込み」と明記して
   往復ハガキ、FAX、メールでお申し込みください。

   〒630-8135 奈良市大安寺西1丁目1000番地 
   奈良県立図書情報館「1周年記念トークセッション担当」
   TEL: 0742-34-2111
   FAX: 0742-34-2777
   E-mail: koen@library.pref.nara.jp

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◆コンピュータによる山水禅

 これまでほとんどコンピューティングの対象となってこなかった東洋思想のイメージ、仏教的なイメージ、日本の伝統文化的なイメージ、これからを呼び起こす山水画のイメージや俳諧・着物がもたらすイメージなどを取り入れ、そこに禅林文化が時をかけて工夫しつづけてきたコミュニケーションの方法を投影させ、ユーザーが入っていく世界をふだんは体験しにくい東洋的な山水世界にしました。そのことによって日常意識からの飛躍を可能にします。
 そこには、自己意識が問われるような物語が待っています。しかし、その物語の構造はあきらかにされず、つねに断片的な物語の場面が提供されます。ユーザーは禅問答や俳句などとの出会いによってつねに唐突に自己意識の所在を確認させられます。しかし、どこにも“正解”はありません。ユーザーにはあいまいな因果関係に対する疑問がのこされます。(松岡正剛)

◆電子図書街

 有史以来コンテンツを表現し続けてきた「書物」をあらゆる情報の単位として捉え、電子化された図書を分類、格納する様々なテーマ別の「本棚」を「道」「界隈」「広場」などの中に配置してバーチャルな“街”を構成するというものです。図書館の分類とは異なり、図書同士、本棚同士が横のつながりを持ち、文脈をもった本棚を形成します。(松岡正剛)

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2006年10月13日

Report 『松岡正剛千夜千冊』完成記念講演

「六年千冊七巻仕立」-めくるめくブックコスモスの秘密を語る- 

 「千夜千冊全集」刊行を間近に控えた9月30日、新宿・紀伊国屋ホールで、セイゴオの特別講演会が開催された。ロビーには完成した赤いカバーの七巻仕立+特別巻が、予約特典のセイゴオ直筆サインとともにディスプレイされ、ひときわ来場者の注目を集めていた。  

 講演会に先立ち、求龍堂の全集担当編集者・鎌田恵理子さんがステージに立ち、七巻の部立に仕立てあげた2年間の、セイゴオと編集者の苦闘を振り返った。6年前に「一著者一冊の本」を唯一のルールにウェブで始まった「千夜千冊」。書籍化にあたり新たに144冊が書き加えられ、組は横組からタテ組へ変更。全ページに徹底的な推敲と加筆修正がおこなわれた。

 鎌田さんの紹介で、セイゴオがステージに登場すると満員の会場から暖かい拍手が寄せられた。「一夜に一冊を取りあげていくことが自分自身に新たにこんなにも何かをもたらしてくれるとは思わなかった」。
 毎晩書物と向かいあい、見出しをつけていく作業は何ごととも比べがたいと語るセイゴオ。書物からは著者の真摯な思いが浮かびあがってくる。それはおろそかにできないことで、セイゴオにとっても身の引き締まる思いであったと言う。
 「全集を七巻仕立てにするということは求龍堂の決定ではあったのだが、そのための作業は想像を絶する楽しみであり、苦闘の日々でもあった。今日はどうしてこの七巻の部立になったのかを話したい」。

■七巻部立(ぶだて)の全容

 第一巻『遠くから届く声』は少年少女を追った巻。どんな大人も少年性・少女性を抱えている。この巻にはマーク・トウェイン『ハックルベリイ・フィンの冒険』のような少年の負のヒーローへのあこがれや、樋口一葉『たけくらべ』などに綴られた少女の一途さ、ノスタルジアの町に住む詩人や歌人、作家の幻想的な世界がつまっている。

 第二巻『猫と量子が見ている』は自然・科学・宇宙・数学・物理の巻。科学は見ている目によって大きくも小さくもなり、そこに自分というものが組み込まれる。マイケル・ファラデー『ロウソクの科学』のような黒板に描かれた科学から、ロジェ・カイヨワ『斜線』のようなオブリック(ななめ)な複雑系まで、古今東西森羅万象の数式からミームの謎までを網羅した。

 第三巻『脳と心の編集学校』は方法と編集の巻。ここでは方法=メソッドと編集=エディティングとそれにかかわった人や本や技術を紹介。M・マクルーハン『グーテンベルグの銀河系』からジョゼフ・キャンベル『千の顔をもつ英雄』まで、編集技法の醍醐味や物語構造の秘密を集約している。

 第四巻『神の戦争・仏法の鬼』は古代から現代までの思想・文学・哲学をひもといた、千夜千冊全集の柱ともいえる巻。旧約聖書『ヨブ記』からモーセに潜む西洋の宗教や神話の母系から父系への入れ替わりと、立川武蔵『空の思想史』から空海を含む東洋の空と無の思想を並べ、ダンテ、ドストエフスキー、実存主義、ポストモダンとつづく。近代国家の矛盾とともに、想像力の未来と存在を問う視点が浮上した巻になっている。

 第五巻『日本イデオロギーの森』は「日本」をとりあげた巻。一途で多様な国である日本。その日本がアジアの中からどのように出てきたのか。古代大和朝廷の成り立ちから紀貫之『土佐日記』の日本語革命、小林秀雄『本居宣長』や山本健吉『いのちとかたち』の「やまとごころ」、そして島崎藤村『夜明け前』が焙り出した明治日本の問題、さらに現代日本の「アンビヴァレント・モダーンズ」たちまでをパッサージュしている。

 第六巻『茶碗とピアノと山水屏風』はアートの巻。古代中国からはじまって、日本・東洋・西洋のアートのながれを読み解く。芸術と趣向と芸能の動向、道具とアートの関係を追ってみた。世阿弥『風姿花伝』からフランク・ロイド・ライト『自伝』まで、古今東西のアーティストが登場する巻である。

 第七巻『男と女の資本主義』は現代の男と女、資本主義とエロスとメディア社会の巻。この3つの領域を、フローベール『ボヴァリー夫人』からカール・ポランニー『経済の分明史』まで、縦横無尽にまたぎながら意識の変遷とその奥にある「聖と俗」を一挙に並べている。そして最後に柳田國男『海上の道』で日本の行方を問うている。

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■最初は福原義春さんの声がかり

 後半は「千夜千冊全集」のアートディレクションの福原義春さんと、千夜短歌を詠んだ小池純代さんがステージに登場した。

 スクリーンには一巻ずつ微妙に色調のちがう赤が使われた「千夜千冊全集」一揃いが映された。「なぜ赤なのか」というセイゴオの問いに福原さんは、「オールドローズ」や「岱赭」といった赤が好きなのでと答え、七色は日本に古代からある赤から選りすぐったと語る。
 自身も大変な読書家である福原さんは、「本を読んでそのことを表現するのは大変。それを何年間も続けるなんて超人的な仕事ですね」。それを受けてセイゴオは、「そのときのコンディションやどこで読んだか、手に何を持っていたかということによっても読書は変わる。読書には多くの可能性がある」と答える。二人の読書家は、2回3回と再読することにより、本は変わるとうなずきあう。

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■千歌伴走の小池純代さん・「本の貌」の十文字美信さん

 次にスクリーンに映しだされたのは、縦書き多行形式でレイアウトされた千夜短歌。小池さんが一句ずつを読み上げ、解説を加えていく。小池さんは、短歌の三十一文字のバランスを考えながらも千夜千冊の多種多様な世界を詠むために、物理用語を用いたりルビに技巧を凝らしたと語った。

 ここでセイゴオはもう1人のコラボレーター、写真家の十文字美信さんを紹介。「千夜千冊全集」の巻頭写真「本貌(ほんのかお)」やセイゴオのポートレートを撮影した十文字さんは、「本というものは、中身の大小や美しさが大切。写真にするときには自分のイメージが先行する。選んだ本に最初に対面したときのイメージと、松岡さんの気配を撮りたかった」と述べた。

■もっと読書にインタラクションする

 「千夜千冊」は多くの人々の協力を得て「千夜千冊全集」になった。だが終わることはなく語らなければいけないことが増えていると、セイゴオは言う。
 「読書や書物は三千年以上の歴史をもつのに、アートにもイベントにも音楽にもなっていない。心理や精神分析の対象にもなっていない。脳の中でおこっていることと、書物がもっているインタラクション(相互作用)についてもまったく取りだされていない。もっといろいろな分野の人々が読書というものにおもしろくかかわるべき」。
 約1時間半、超高速で一巻から七巻までの部立を駆け抜けたセイゴオと、格別のコラボレーターたちに満場の拍手が贈られた。

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 講演が終わるとロビーの「千夜千冊全集」予約受付に観客が殺到し、また「遊」やセイゴオの著書を並べた特設コーナーもおおにぎわいとなった。ちなみにこの日の売り上げは、紀伊国屋書店の過去の講演会での販売記録をはるかに超えてしまったらしい。

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2006年10月11日

Report 100回更新記念・セイゴオ内々インタビュー(2/2)

Report 100回更新記念・セイゴオ内々インタビュー(2/2)

 セイゴオちゃんねる100回更新特別企画「セイゴオ内々インタビュー」の後半部分をお届けします。

セイゴオ内々インタビュー
その2 セイゴオの好みに触れる

聞き手:太田香保・和泉佳奈子


◆知を出し入れしつづける

和:相手のいいところを即座に見つけるのは松岡さんの得意で特異なところですが、「千夜千冊」でもつねに新しい関係を発見して著者や著作をアプリーシエイト(賞賛)されてきましたね。全集刊行のために取り組んだ7巻の部立(ぶだて)づくりではどんな新しい発見がありましたか。

松:部立の構成は1ページから通して読んだときのおもしろさはもちろん、各巻の厚みに差がでないようなシナリオづくりに徹したんだね。もちろん新たな関係の発見もあったけど、なによりも並べ替えた書名を通して見てみると、ある領域とある領域のキワが欠けているのが見えてきた。「やっぱりここにニーチェをいれなきゃ」とか、「三島由紀夫が欠けている」とか。
 そうやって欠けているものを足していくと、新たに300冊ちかく書く必要があった。でもそんな時間はないからそのうちの半分くらいだけ追加して、あとは一夜一夜にかなりの手を加えて前後のつながりをつけていった。そうして文章を削ったり増やしたりしていたらゲラが真っ赤になっちゃった(笑)。トイレに行くときも東京駅に向かうタクシーのなかでも朝方自宅に戻るときも、いつもゲラと一緒だった。精興社でもこんなゲラは見たことがないって興奮していたようだね(笑)。

香:並べ替えの作業で「千夜千冊」のリンクを新たに張りなおしたように、松岡さんは普段も人や本や出来事に出会うと、自分の知のデータベースを引っ張り出して新しいリンクをそのつど付け直していますよね。

松:そうだね。ぼくはつねに「知」を出し入れするよね。貯めるのが嫌いなんだね。

香:最近とくに力をいれている分野はどこですか。

松:すぐに思いつくものでも3つくらいあるかな。まず1つ目は、日本の儒学と国学のあたり。朱舜水や本居宣長や吉田松陰がどんな重なりや交わりや狭間のなかで「日本の本来」を見ようとしたのかをもっと徹底して知りたい。明王朝を追われながらも日本に望みをかけて明の再興を図った朱舜水、「いにしへごころ(古意)」に迫るために「からごころ(漢意)」と向き合った本居宣長、そして開国と討幕の時代のなかで「諫死思想」をめぐって大和魂を問うた吉田松陰。この3人に、キリスト教徒でありながら断固たる日本人であろうとした内村鑑三の「二つのJ」(JesusとJapan)にあたるものを見つけたい。きっとそれぞれの立場で苦悩し追い詰められながら「日本の本来」を求めたに違いないからね。
 2つ目は、脳と脳の外部装置の関係、その間を埋めているネットワークとアフォーダンスの関係かな。ぼくは、ノーム(nome)とニーム(neme)の関係で脳が動くと思っているんだよね。ノームとニームについてはミンスキー(千夜千冊第452夜『心の社会』)が巧みに説明している。ノームというのはその情報を出力したときに一定のエージェントに決められた反応をおこせるようになっている情報デバイスのこと。これに対してニームは、その情報の出力によって心の中の状態がばらばらではあるけど、断片的に表現できるような情報デバイスのこと。でもそこにオートポイエーシスな自律性がかかわっているはずなんです。そこを見極めたい。
 3つ目は言語の発生についてもっと知りたいと思っている。若いときからずっと興味があるテーマなんだけど、きっかけは従兄弟の真知子ちゃんが記憶喪失になったときに、おばさんに頼まれて彼女の記憶回復の過程にかかわったこと。彼女を昔の小学校に連れて行ったりして、どうやったら言葉を発するようになるのかということに真剣に取り組んだ。これからは、このあたりのことももっと深めていきたいと思っている。
 ただし言語学者や脳科学者は自分の体験をあまり重視しない。ぼくは小さな頃からいろいろ体験が多かったので、そこを生かしたいんですね。

和:少年時代に松岡さんは仕立屋の失聴のおばさんとか、全盲のおじさんからも大きな影響を受けたんでしたね。

松:そうそう。ぼくに言語の表現力を教えてくれた中学の国語の藤原猛先生も難聴者だった。


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◆科学を再編集したい

香:松岡さんは、時間がとれたら「科学の本」をゆっくり書きたいとおっしゃっていますが、とくにどのあたりに注目しているのですか。

松:たくさんあるけれど最も関心があるのは、物質世界で一番小さな素粒子とかクォークとかスーパーストリングスレベルのものが宇宙の最初の数秒間に誕生したということですね。つまり一番小さなものが一番古いものであるという関係について、ぼくはずっと関心をもっているということです。
 ところが、現在のどんな「万物理論」もそこをうまく説明できていない。まだどうも納得できない。これは理科の根本的なところに踏み込むことになるし、「ア・プリオリ」(先験性)とは何かということの結着も必要だね。時間の幅や時間の進み方についてもいろいろな仮説を考え直さなくちゃいけない。
 ぼくたちの社会はたいていのことは近似値ですませられるようになっているんだね。たとえば、コンパスで描く円はまるいとか、時速100キロの車が目の前を通りすぎたとか。でも、コンパスの円は紙の上でデコデコしているし、車のスピードは微妙にゆれている。どんな現象もそれをどのように感知するかというときに、いろいろなフィルターがかかっているわけだよね。では、そのフィルターは自然に属しているのか、観測方法に属しているのか、それとも知覚に属しているのか。そこが大事なところなんです。
 ぼくはそこには「鍵」と「鍵穴」の関係がつきまとわっていると思っている。その「鍵と鍵穴の関係」を司っているハイパーフィルターのようなものもあると思っている。そうすると、物質や時間の究極の姿も、いま想定しているものとはちょっと変わってくるんではないか。ひょっとしたら、いまは“ずれ”とか“ゆがみ”にすぎないものも、新たな“実体”かもしれないというふうになってくる可能性もある。ぼくは、その“ずれ”や“ゆがみ”を含めて語れる一つの「科学」を描いてみたい。

和:理科系を文化系と分断しないで語ってきた松岡さんにこそ、ぜひ書いていただきたい分野ですね。

松:そうだね。千夜千冊全集第二巻「猫と量子が見ている」の第四章「光と量子の物理学」と第五章「時空をつくる紐」のメタ話をいつか書いてみたいね。
 ここ数年はスーパーストリングとM理論(「千夜千冊」第1001夜『エレガントな宇宙』で紹介)がでてきたことで量子力学の原理で語られてきた宇宙の世界が11次元で再定式化されようとしているでしょう。もしかしたら、すべての自然法則を包み込む統一理論がうまれるかもしれないといわれている。そのあたりの追究は科学者たちにまかせるとして、ぼくは、バークリー、ケプラー、コペルニクス、クザーヌス、さらにはダンテのほうへと降りていく流れで科学を語りたいね。もうひとつは東洋的な科学観ですね。たとえば古代インドのヴァイシェーシカやニヤーヤの自然学や論理学を探りたい。

香:「千夜千冊」第377夜のケプラー『宇宙の神秘』には、松岡さんを20代後半に科学の世界へ駆り立てたのは、科学には「正論から逸脱へ」という道があるのではなく、むしろ「逸脱から正論へ」という道こそが中央にあることに気がついたからだったと書いていましたね。

松:実は、ケプラーだけではなく、けっこう多くの天才的科学者が最初に「逸脱」することによって、かえって新たな構想に達しているんだね。ラマルク、ヘッケル、ウェゲナー、ド・ブロイ、ディラック、ゲーデル、ウィナー、ニコラ・ステラ、湯川秀樹、南部陽一郎・・・。みんなそうだね。去年、ノーベル物理学賞をとったデビッド・ポリツァーなんかも、まずクォーク理論を逸脱することから始めていた。


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◆アルセーヌ・ルパンになりたかった

和:このへんで、ちょっと松岡さんご自身のことに迫ってみたいんですが、松岡さんは自分の肉体や性格について、どういうところがチャーミングだと思っていますか(笑)。

松:えっ、そうきたか。そんなこと意識したことないよ(笑)。とくに外見に関しては、自宅に大きな鏡があるけどほとんど見てないね。

和:へぇ~っ。反対にコンプレックスをもっているところはありますか。

松:それも意識したことないよ。それより、質問のつくりがよくないな(笑)。ぼくは、ひとつのことをスタティックにとらえるということをしないんだよ。つねに手続きとか関係の中でものを見る。これはこういうものだと決めてかかると思考が止まるでしょう。よく、声がいいとか手の動きがいいとか言ってくれる人がいるけど、それはどういう状況で聞いた声なのか、何を触っているときの手つきなのかという関係性においてのものだから、単独の魅力ということではないだろうし、そういうことには関心がないんだよ。

和:書斎にだれかの絵を置いたりとか、ある音楽を流し続けたりしていないのも、そういうところからきているんですか。

松:そうだね。いつも微妙なところに感覚を置いて、関わるものによって多様にものごとを掴むようにしているから“好き”と“嫌い”が大きく振れたりしない。コンプレックスも定常的になんか、ない。だって、一冊の本を読んでいたって、コンプレックスは微妙に出入りするからね。これについては第756夜の『ゲシュタルトクライシス』をぜひ読みこんでほしい。あそこに家で飼っていた犬と猫がいかにぼくの認識にとって重要なフィルターになっているかということを書いておいた。そして「からみあい」とか「回転扉」が大事だと書いた。回転扉というのは、向こうから来るものとこちらから出るものが、くるりと入れ替わるでしょう。あれが、ぼくです。ようするにヨーロッパの哲学のような「二項対立」を前提にした二分法ではくて、清沢満之がいう「二項同体」的な見方をしているんだね。つまり二つの極を消してどんな軸にも属さない。
 で、この見方をぼくは「日本という方法」にもあてはめているんだね。そのことを清沢満之は「消極主義」とか「ミニマル・ポシブル」と言っていたけど、内村鑑三の「ボーダーランド・ステイト」やさっき話した「二つのJ」にも重なる部分があるよね。もともと日本には対立や矛盾をあえてつなげあう方法があったからね。

和:9月30日に刊行されたNHKブックスの『日本という方法』にも「てりむくり」がとりあげられてましたね。

松:「てりむくり」は「照り」と「起くり」をつなぎあわせた日本独自の曲線だね。こういう方法が近くにあるのに、いつまでも情報を単に並べているようじゃまだまだだよ。“突起”とか“繋がり”を見なくちゃ。それが編集工学の基本です。

香:最近は「生涯一編集者」という松岡さんのモットーは、この世にたった一人ぼっちになっても編集者でありつづけるというほど、松岡さんの激烈な表明だと思うようになっています。でももし松岡さんが「編集」という職業につかなかったら何になっていたでしょうね。「編集」を知る前はどんな職業にあこがれてました?

松:中学のころは哲学者になりたかった。あとエジソンみたいな発明家。それから「お侍さん」になりたかった(笑)。宮本武蔵は好きじゃないけど、鞍馬天狗とか千葉周作に憧れてたね。飛行機乗りにもなりたかった。これは中学校のときに数学の赤井先生が話してくれた坂井三郎(「千夜千冊」第568夜『大空のサムライ』)の話の影響が大きいかな。足穂さんを知り始めたのも飛行機の話からだったからね。

和:松岡さんはスポーツ少年だったんですよね。スポーツ選手にあこがれたりはしませんでしたか?

松:野球選手は好きだったけれど、なりたいとは思ってなかったなぁ。そうそう、探偵と泥棒にもなりたかった(笑)。ホームズとかルパンの世界ね。あの計画性とかっこよさはたまらなくいいね。しかも、ルパンはつまらないものは盗らないもんね。

和:なんとなく松岡さんにアルセーヌ・ルパンに近いものを感じますけど(笑)。

松:はははっ。そうかもね。一度盗んでもピンと感じるものがなければ返しちゃうとかね。

香:松岡さんのダンディズムの起源はルパンだった!

松:ぼく自身というよりは、ぼくは誰かにダンディズムを感じて評価するようにしている。ダンディだなとおもう人が多かった。
杉浦さんも足穂さん泯さんもダンディだよね。そのうち自然に自分にも多少はダンディズムを取り込めるようになったんだろうね。


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◆オトナになったセイゴオ少年の秘密

和:松岡さんが関係の中でしかものを見ていないということを承知のうえで、あえてお聞きします。好みの俳優をぜひ教えてください。

松:懲りない質問するね(笑)。たくさんいすぎてねぇ。まず、ピーター・オトゥール、テレンス・スタンプは格別だね。10年くらい前からはジョニー・デップ。あと、なんといっても高倉健。それから山崎努、成田三樹夫、原田芳雄、松田優作とかも好きだよ。そうそう学生のころは森繁久弥が大好きだった。女優では、ジャンヌ・モロー、八千草薫、森山加代子、斎藤チヤ子、あと緑魔子かな。

和:もっと最近の人はいないんですか?

松:あっ、古かった? だって学生時代までの好みだもんね。そうだねぇ。オダギリジョーとヒロシ、それとオセロの中島知子とかモダンチョキチョキズの濱田マリとか。

和:えっ、チョー意外ですね。

香:女優の好みは、どうやら猫好きなことと関係がありそうですね。

松:それはどうかな。たしかに猫は飼い続けているけど。あの勝手な動きや邪険なところ、それとしなやかな体にひそむ気品には惹かれます。

香:男優の好みは、一貫して「危い」タイプ。ちょっとニヒルな好みですね。

松:黒澤明の「七人の侍」の中でも一番好きだったのが宮口精二だったからね。

香:子供の頃からませてたんですね(笑)。

松:ませているというのか、キツイ憧憬というのか。父は一流のものを見せてくれたし、母は美しいものを教えてくれたけど、この好みに関してはきっとぼく自身の好みだね。だって花は松葉ボタンだからね。

香:『千夜千冊全集』の特別巻用に松岡さんの年表をつくっていたときにも感じましたけど、中学生のころに読書量が急激に増えて一気に大人びたような印象を受けたのですが、何かそういうニヒルなものに惹かれていった原因があったんですか。

松:中学生のころに猩紅熱(しょうこうねつ)になって隔離病棟に入ったでしょう。あれは法定伝染病だったので学校中に消毒がまかれた。ぼくのせいで家族も学校も大騒動に巻き込まれたような感じがした。そのあとも腎臓の病気になって一年ほど無塩醤油の料理ばかり食べさせられた。そういう病気体験が自分に大きな影響を与えたんだとおもう。「人は突如として一人にさせられる」という体験ですね。それがニヒルの起源かな。

香:病気で寝ていたときはどんな本を読んでいましたか?

松:句集をたくさん読んでた。そのとき山口誓子とか川端芽舎が好きになった。もともとは小学校四年生のときに『京鹿子』という俳誌の最年少同人になったのがきっかけで俳句をつくっていたんだけど、だんだん理屈っぽいものしかつくれなくなったから、そのかわりに俳句をたくさん見るようになった。それから萩原朔太郎とか中原中也とかの詩。これじゃ、そのまま暗い青年になってもおかしくないよね(笑)。
 でもそうはならなかった。たしかに思想的にはニヒリズムとか孤立に魅かれてきたけど、ぼくは友達が一人でも十人でも関係なく楽しめる性格なんだ。それに、ときどきしか会わない人でも、逆に深く関わるようになった人でも同じような関係を保つから、人間関係で暗くなったり考えこんだりすることは一度もなかった。この前「セイゴオちゃんねる」に登場した修徳小学校の友人の中村晋造なんか、今はめったに会えないけど、会えば当時のようなやりとりで話せるんだよね。


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◆夜にひそむ不思議な力

和:松岡事務所にきてから最初に驚いたのは、松岡さんがほとんど1年365日、昼夜逆転した日々を送っていることでした。松岡さんの夜型生活はいつごろから始まったんですか。

松:小さいころ、親に「早く寝なさい」って言われなかった? おとなしく部屋に入ると隣の部屋から食器ががちゃがちゃする音とか楽しそうな笑い声とかがして、幼な心にものすごい妄想がふくらんで、大人たちは自分が知らない夜の世界をもっていると信じ込んでいた。高校生になって自分も受験勉強や読書とかで自然に夜型になったけど、子供のころ期待してたほどいいことはなかった(笑)。
 ただ、そのころから寝る前に日記をつけるようになった。「誘眠幻覚」といってだんだん眠くなって意識が朦朧としてくる状態が好きで、それを感じるために眠くなってから日記を書いた。眠くて眼くて仕方ないという状態でも力を出せるように訓練したんだね。そういう状態になると普通では考えられないことができちゃう。

和:松岡さんが締切りに関係なく自分に鞭打つように徹夜をされるのはどうしてかなと思っていましたが、臨界値を超えてからじゃないと出てこないそういう力があったんですね。

松:むかし杉浦さんに「歳をとったらいくらでも寝られるんだから、若いときはなるべく覚醒していたほうがいいよ」と言われたことも、まるで神のお告げのように確信しつづけている(笑)。40代半ばまでは電車の中で寝たことは一度もなかった。おかげで、きっと経験がある人も多いだろうけど、まもなく目的地に着くというときに一気に読書が進んだり、プランがまとまったりするんだよね。だから昼夜逆転というより、ずっと夜にいたい、ルナティックでいたいということだろうね。

和:はぁ、なるほど。そのルナティックななかで、思考が加速する状態をつくって、時間をかけすぎずに執筆や仕事を進める方法はぜひ伝授してほしいです。

松:そうだねぇ。まず第1に、自分の思考や表現が加速する状態をよく知ること。野球でいえば、いいバッティングをしたときのピーク・エクスペリエンスをちゃんと自分で自覚することです。第2に、そのピークにどのように向かえばいいかどうかを訓練する。野球でいえば何度も素振りをしたり、バッティング練習をする。イチローや松井がバッターボックスでいつも微妙な調整で構えているのと同じだ。ここまでは、わかりやすいよね。で、第3に、編集はいつもピッチャーとはかぎらないから、相手(つまり仕事や職能のこと)をすばやく観察して、その特色をつかみ、その特色に応じて自分の能力が出やすくなる方法を身につけていくことだね。
  この第3段階のためには、また3つの秘密がある。①好奇心を旺盛にする。②よく調べる。③必ず目的に辿り着くと思う。これだね。ぼくの場合は、この③のところをちょっと変えて、「必ず目的より少し先まで行く」というふうにしてますね。つまり、必ずオーバーランすること。これがけっこう大事なんですね。これでいい?

和:はい、よく分かりました。さいごの「オーバーランの話」はとくに心に刻んでおきます。たしかに松岡さんのゴールは一通過点と変わらないことが多いです。『良寛』(「千夜千冊」第1000夜)を書き上げたときも、『海上の道』(「千夜千冊」第1144夜)を書き終わったときも、喜ぶというよりは手続きがいつもよりも慎重なくらいでした。何をするにも手を抜かずに準備をしてフルバージョンで相手を観る訓練にはげみます。それを考えると、今日は何度も出来の悪い質問をしてしまいすみませんでした(笑)。

香:近ごろ「セイゴオちゃんねる」をいつも楽しみに読んでくださる人も増えているようです。今回の「内々インタビュー」はきっとそんな皆さんにもサプライズになったことでしょう。
 これからも松岡さんが書かないような松岡正剛論やセイゴオ・レポートを載せていきますので、どうぞ松岡さんも楽しみにしてください。

松:うん。


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投稿者 staff : 11:41 | コメント (0)

2006年10月 6日

News 日経新聞読書欄のインタビュー

ウェブ「千夜千冊」から全集「千夜千冊」へ

 9月30日をもって予約特価期間が終わったものの、その後ますます予約数が伸び続けている全7巻の「千夜千冊全集」。10月8日には日経新聞朝刊の読書欄にセイゴオへのインタビューをもとにした記事が掲載される。

 なぜインターネットで本の紹介を毎日し続けることになったのか、知の千日回峰を続けながらセイゴオが得たものは何だったのか、それをまた書籍に再構成するにあたり、どのような方針やこだわりがあったのかといった内容に加え、「本」や「読書」についてのこれからのセイゴオの構想や展望までが紹介される予定。

投稿者 staff : 15:22 | コメント (0)

2006年10月 2日

Report 100回更新記念・セイゴオ内々インタビュー(1/2)

 2006年1月27日にオープンした当サイト「セイゴオちゃんねる」が、このたび100回目の更新を迎えました。そこで、「セイゴオちゃんねる」ならではの記念企画として、日ごろセイゴオと活動をともにしている松岡事務所の太田香保と和泉佳奈子による、セイゴオ内々インタビューを、全2回に分けてお届けいたします。

セイゴオ内々インタビュー 
その1 セイゴオの身体感覚に触る

聞き手:太田香保・和泉佳奈子


◆身体感覚を共有させる

和:松岡さんの活動に欠かせないものといえばタバコとお茶。松岡事務所では新人が来ると真っ先に教えることが「この二つを欠かすな」ということなんですが、そのほかにも、書斎の机にはキンカンとサロンパスも必ず常備している。こういった身体に摂取するものについて松岡さんがもっている感覚や好みを改めて聞いてみたいんです。

松:ひとことで「身体」といってもいろいろあると思うよ。歩く感覚とか、手を動かす感覚とか、人に見られる感覚とかも「身体」でしょう。とりわけぼくは知的な感覚と身体の感覚を分断しないというということを大事にしていた。そのために、仕事の仕方についても空間のあり方についても組織感覚についても、あるいは映画や音楽を楽しむときも、なるべく個人化しないようにしてきた。

香:体験や感覚や好みを一人占めしない、ということですか。

松:そう。ぼくのもっている編集力からすれば、組織的にはぼくがみんなの先頭に立って君臨したほうが物事がスムーズに進むはずなんだ。それにぼくは、企画や構想を立てることだけじゃなくて手足を動かす作業も嫌いじゃないからね。「遊」の創刊号のダミーを手作りしたときは杉浦康平さんも驚いていた。こんなにダミーを作りこむ編集者なんて初めてだと言っていた。
 でも、ぼくの場合は一緒に仕事をする相手にかなり幅がある。トップクリエイターやアーティストから政治家や企業家まで、もちろんプロの編集者から編集工学研究所の若手スタッフたちもいる。かなり多種多様だよね。だから相手のレベルに関わらずそれぞれが持てる力を存分に発揮できるようにすることをいつも考えている。それには、ぼくが君臨しないというルールを決めておく必要があった。その上で身体感覚も共有できるようにしていくわけだね。

香:そのことは「遊」を見るとものすごく感じます。「遊」ではもちろん松岡さんが核になっているんだけど、工作舎のスタッフの皆さんの存在感がキラキラとして見える。

松:工作舎には最初、誰もプロがいなかった。いわば素人集団からスタートを切ったようなものでね。たまたまぼくが、よいものと悪いものを見分ける眼をもっていて、感覚的にも知的にも突出して先頭切ることができたから、「遊」もできたし多くの本を出版することもできた。でもぼくにとってはそれだけじゃ不満で、みんながあるレベルに達するような共通のメソッドをつくろうということはずっと考えていたし、実践していた。
身体感覚というのも、それと同じだね。知的にぼくができることをみんなが身体でも感じられるように、あえて誰かにコピーをしてもらったりトリミングをしてもらったりして、現場を共有していくことが必要だった。ぼくのほうも、そうやって他者といつでも連動できるような身体感覚を持とうとしてきたしね。

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◆揮発性の哲学

和:松岡事務所や編集工学研究所でも松岡さんが身体感覚を共有できる空間や空気をつくっているということは、すごく実感できます。でも、あんなにサロンパスやキンカンをつけまくるのはちょっと共有できない(笑)。あれはどういう感覚ですか。

松:あはは。どうしてもサロンパスが気になるか。あえてぼく個人の身体感覚に絞って言うと、たぶんその6~7割は皮膚感覚だろうと思うね。しかもその皮膚感覚のうちの3~4割が揮発感覚。小さいときからセメダインとかサロメチールとかサロンパスなんかが大好きだった。メンソレータムもね。耳元やおでこにサロメチールを塗って、風を切って走りまわってスースー感を味わったりしてた。

香:何か少年時代に特別な体験があったんですか。

松:きっとあったんだろうね。基本的に昔からメンソールが好き。でもミント入りのアイスとかミントティーが好きなわけじゃない。あくまで皮膚に触れるスースー感がいい。もしかしたらぼくの体に毛がないことに関係があるかもしれないな。

和:「毛」がない?

松:ほら、ぼくって体毛が薄いでしょう。腋毛もほとんどないし(笑)、胸毛もない。髭も伸びにくい。

和:そういえば腕や足もすべすべですね。だから人一倍、皮膚が敏感なんですか。

松:そのせいだかどうだか、フラジャイルなものが微妙に皮膚を刺激しているというのが好きなんだね。いま思い出したけど、母親が鼻のあたまをぼくの鼻にくっつけてクチュクチュしてくれるのが好きだった。ニコニコしながらスキンシップしてくれる母親だった。あとね、父親がしょっちゅうぼくの頬のあたりを舐めるんだけど、それはちょっとイヤだった(笑)。

香:松岡さんがスキンシップ好きというのは、ようく知ってます(笑)。編集学校校長がハグハグ大好きというのは、いまや師範・師範代たちのジョーシキです。

和:でもその話ではサロンパスのような刺激物を、背中に15枚も20枚も貼ったりする理由がわかりません。

松:ちょっとだけ理屈をいうと「撥無」という禅の言葉があって、ハイデガーも西田幾多郎もつかっている言葉なんだけど、ぼくの揮発の哲学はその「撥無」とも関係がある。でももちろんあまりに肩が凝るから、というのが一番の理由だよ。工作舎のころからずっとスタッフに肩を揉んでもらってたしね。結局ぼくは、人から関わられることが大好きなんだね。触ってほしいんだね。ぼくの身体感覚の一番の特徴はそれかもね(笑)

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◆越境感覚をあえて接種する

香:「千夜千冊」を読んでいるとよく思うんですが、松岡さんはたくさんの人に出会っていろんな影響を受けながら知を広げている部分と、あえて自分に「これは取り入れなくちゃ」と思って課しながら知を深めている部分がありますね。「千夜千冊」第1070夜『闇の奥』の冒頭にもコンラッドやフォースター、アラビアのロレンス、フォークナー、ヘミングウェイなどは、免疫注射のようにあえて身体に接種してきたと書かれていました。この「あえて接種する」ということにも、何か皮膚感覚をともなっているんですか。

松:ともなっているだろうね。一番ふつうに言えば、学習意欲が旺盛なんだと思う。どんなこともあんまり差別しないでおもしろがる。好奇心がとんでもなく強い。たとえば鉱物とか流星に関心を持つとする。最初は好奇心で入るし、もちろん学習もするんだけど、ちょっとそこにさしかかると、普通の知識っていうのは簡単に到達できちゃうわけだ。今でいえばウィキペディアのレベルには誰でもあっというまに到達できてしまう。でもそこで終わりにしてしまうと、一日二日とたつうちにウィキペディア程度の世界よりも自分の得たものがどんどん小さくなってしまう。これじゃつまらないよね。
 ぼくの場合は、ひととおり普通の知識に到達したらそのまま一気に連関とかリンクとかの世界に入っていく。それがタンポポのことでも、ビートルズのことでも、どこかの町のことでもね。すると、ある好奇心ではじまった知識の領域がどんどん拡張されて、新しい関係性の中に情報を置くことができるようになる。 
 もうひとつは、最近に入れた感覚や知を忘れないようにもしたい。そのため注射の針が最初にチュッと刺さったときを忘れないようにしている。「千夜千冊」でもその最初の接種感をよく書きました。
というわけで、こうしたことが織り交ざって、コンラッドやロレンスのようにぼくがたまたま行ったことがないアフリカや砂漠のような地に行った人々の体験や思索を刷り込むことによって、さらにはそれをヘミングウェイを読むときに重ねていくというメソッドにもなっているんだね。

香:「千夜千冊」には、そういう壮大な方法のリンクも編みこまれているんですね。

松:だから与謝野晶子を初めて読むとしても、鴎外や漱石や子規といった周辺の人々がすでにマッピングされているなかで晶子を見ることができる。それが繰り返されるから、だんだんとすごいハイパーリンクになる。そのうちに一回一回刷りこまなくてもすむから、スピードもあがるし、一目でつかむ情報も多くなるし、知の塊もいろいろな形状になる。レイヤーをつけたり、奥座敷があったり、襖をあけると初めて見えてくるみたいな手続も必要なかたちになって生まれてくる。

香:自分の体験ではない他人の体験を取りこむことで、身体感覚をともないながら知的に越境していく方法というのは、松岡さんにおいてのゲイ感覚とかジェンダーについても成立しているように見えます。

松:おそらく関係あるだろうね。知的であるのと同時に、フィジカルつまり身体的な刷りこみもできるのはなぜかということでしょう。それは漫画とか映画とかを見るときや、美空ひばりや椎名林檎が歌っているとき、フィル・コリンズが歌っているのを見るときに、やっぱり何かを入力しているんだと思う。
 たとえば『南方録』とか熊倉功夫さんの本を読むときは、誰かがお茶を飲んだり立てたりしているときの手つきというものが体の感覚として刷りこまれる。高名な写真家のSさんに千宗室さんの写真を撮ってもらったことがあるんだけど、できあがった写真を見てみるとまったく撮れていなかった。Sさんが高速でシャッターを切って撮り続けていたものよりも、ぼくがその場で気付くことのほうがはるかに多かったわけだ。

和:どういうことに心がければ、そういうものの見方ができるようになりますか。ぜひ知りたい。

松:まずは相手の気配やアフォーダンスの半径の内側に入ろうとしなくちゃだめだね。目の動きから話し方、足の組み方、手の動き、あらゆる面をするどくチェックして、その場にひそんでいる情報を立ち上がらせる。とくに写真はものすごく集中してないと撮れないんだよ。「千夜千冊全集」の8巻に載せる写真を撮るために十文字さんがぼくを撮影に来たでしょ。あのときも一瞬にして松岡という人物像をとらえてグッとぼくの半径を写真にしてくれたよね。ぼくはめったにカメラを持ったりしないけれど、ふだんもそれくらいの集中力で人を見ているんだよ。

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◆触りあう以上の関係とは

和:松岡さんて「私生活」とか「プライベート」をほとんど持っていないですよね。いまも活動のほとんどをスタッフと共有している。それで疲れることはありませんか。

松:それが、ないんだよね(笑)。赤坂に来る以前はスタッフと一緒に暮らしていたし、そもそもプライベートというものがない。とくに隠すところもない。でもオープンな人というわけではないよ。必要以上に抑圧するのが嫌いなだけ。さっきも言ったように自己と他者の境界を感じたくない人間だから、壁やガードをつくるようなものは基本的に好きじゃない。

和:長いあいだ松岡さんの周りにいるスタッフにも、そういう考え方について何か共通するものがあるんでしょうか。

松:それは君の諸先輩に聞いたほうがいい質問だけど、あえて言えば、彼らのなかに共通点があるのではなくて、彼らの個性のままにぼくがおもしろいものを見つけて、それを認めているから長いあいだ続いているんだとおもう。高橋君とは35年、木村さんとは30年、澁谷さんとも25年以上だからね。共通点を見いだすというより、異なったものがリンクしあうということが大事なんです。クローンのようなものが増えるというあり方にはぼくは関心がないし、そんなのは大嫌いだね。

香:松岡さんは私たちにとっては、父であり、母であり、先生であり、兄貴のようなものでもあるんですが、誰かにとっては父で、誰かにとっては兄貴というんじゃなくて、誰にとってもそれくらいのいろんな在り様を感じさせるんでしょうね。

松:ときにはみんなの子供になったり、不思議な叔父さんになったりね(笑)。それはスタッフだけじゃなくて、ぼくがいっしょに仕事をしてきた人たち、たとえば杉浦康平さんや藤本晴美さん、天児牛大さんや小堀宗実さんや田中泯さんも、西松布咏さんもワダエミさんも石岡瑛子さんも山口小夜子さんも、みんなそう感じているんだろうね。
 でもぼく自身は多様な役割を演じ分けているわけではない。相手のいいところをいち早く見つけて、そういうところと向き合おうとするから、どんどん多様になっていくだけです。ぼくがその「いいところ」に向けていく要望に対して、皆さんもどんどん受けてやってみせてくれる。そうなるととても快い関係性が成り立つ。一人一人はまったく別々の考え方や領域や表現性を持っているんだけど、“よさ”という点でぼくとつながるし、ぼくがそれをつないであげられる。しかもぼくは、本人が気づいてない“よさ”を見出すことができるのかもしれない。阿木耀子さんや村上陽一郎さんからそういうことを言われたことがあるけれど、これはぼくが一番自慢できる才能だと思う。

和:だから松岡さんにインタビュアーをしてほしいという依頼が多いんですね。

松:「千夜千冊」第776夜で『天才セッター中田久美の頭脳』を取り上げたんだけど、じつはあの本のインタビューには不満がある。セッターはいつも右手を後ろにして合図を出しているわけだけど、なぜ右手なのかといったことまでは聞いていない。ぼくが中田さんにインタビューするならそういうことを聞くね。みんな自分の頭の中のことでしか聞いてないんだよ。ぼくは自分の知らない体験を持っている人や、自分で刷り込みたいと思っている人に対しては、格別の尊敬があって、だからこそ徹底して相手のほうへ入っていく。それはお互いに触りあう以上の快感があるんだよ。

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◆松岡正剛をどう触るか

香:松岡さんが快感を覚えるほどツボに触ってくれるようなインタビュアーとか取材ってなかなかなさそうですね。

松:そうなんだよ。残念なことだけど、みんなレッテル型にしかぼくを見ない。ぼくのなかの共鳴感覚を誰かのほうから揺すぶられるということは少ないんだなあ。これはぼくの宿命かもしれない。
 でもまったくいないわけではないよ。たとえば北大の津田一郎さん。科学については、かなりぼくの知をフル動員させるような思考と言語をいつも投げかけてくれる。岩井寛さんもそういう人だった。精神医学の立場からえぐるようにしてぼくを刺激してくれた。もちろん杉浦さんもそうです。杉浦さんは早くにぼくのそういう能力に気付いてくれた人だね。
 自己と他者を超えたいと思ってインタービーイングしようとしている姿勢は、必ずある表現力にともなって出てくるものなんだよね。だからある程度、言語とか文章とかヴィジュアリティとかを、それなりにやり続けてきた人でないとなかなかそこまではいかないと思う。たとえば、「松岡さんの本棚ってすごいですね」という人は多いけれど、そこに踏み込んでぼくが驚くような質問をするとか、感応して絵を書いてくれるような人は皆無だよ。

和:反省します(笑)。どうすればそんなふうになれますか。

松:そういう質問をしているうちは、まだまだなんだなあ(笑)。あのね、まず憧れの対象を偶像化したら責任をとること。偶像の奥にあるものに自分から接していかなくちゃいけない。そのためには自分であれこれ調べたりして持ち出せるものをふやすのは当然のことだね。松岡正剛というのは、ほかの偶像よりも多様だし複雑だから大変だろうとは思うけどね(笑)。だからいったんはぐっと絞ったところから松岡に入って、そこからとことん奥まで行くべきだろうね。ダンスと物理学とはまったく違っているわけだけど、奥の奥は繋がっているというところを発見できるところまでやらないと、なかなか松岡正剛には触れられないと思うよ。ところで、本気でぼくに触る気があるのかな。

和:サロンパスを貼るだけじゃなくて、もっとその内側に触りたいと思ってますよ。

松:うん、ぼくももっと触ってほしいね。

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(「セイゴオ内々インタビュー」その2に続きます)

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