セイゴオちゃんねる

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2006年9月 1日

Key Word 砂漠王とオートバイ

 サン=テグジュペリを載せたまま失踪したP38ライトニングがマルセイユ沖で発見されたというニュースにそわそわと胸騒ぎを起こしたセイゴオが、もうひとつ、なんとしてでも見たがっていた「事故機」があった。アラビアのロレンスことT・E・ロレンスが事故死したときに乗っていたオートバイ「1932年型SS100(ジョージ7号)」である。

 ロレンスは砂漠でのミッションを終えイギリスに戻ってからオートバイにぞっこん入れ込んで、もっぱらブラフシューペリア社のマシンばかり7台を乗り換え愛好した。マシンには創業者ジョージ・ブラフにちなんだ「ジョージ」というニックネームを付けていた。
 1953年、7代目のマシンとなる「ジョージ7号」を駆って郵便局へ行く途中、少年の乗る自転車に接触し転倒、頭部を強打して、6日後に昏睡状態のまま死亡した。あまりにもあっけない死に方だったが、これが映画「アラビアのロレンス」の冒頭にも描かれた歴史的“交通事故”なのである。

 1989年5月、池袋西武美術館で「アラビアのロレンス展」が開催されたとき、ロレンスが所有していたジョージ5号が展示された。残念ながら「事故車」ではなかったのだが、もちろんセイゴオは会場に駆けつけている。この展覧会は1988年12月からロンドンのナショナル・ポートレイト・ギャラリーで開催されたものの巡回展で、そのカタログの日本語版に、セイゴオは『オクスフォードの砂漠王』というエッセイも寄稿している。

 コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』にも取り上げられているように、アラブの反乱に一身を投じたT・E・ロレンスは、どこか根クラのヒーローだった。女性と一度も交わらなかったとも、マゾヒストだったとも言われる。セイゴオのエッセイは、展覧会場で販売される日本語版カタログに寄せられたものとあって、「アラビアのロレンス」の歴史背景の解説を充実させたものになっているが、そのラストで独自にロレンスの「内なる反乱」について触れている。

『知恵の七柱』が端々にあかすように、あるいは知己友人への数々の手紙があかしているように、いつだってロレンスは極端な自己否定にこそ極端な自己高揚があることを盲信していた。肉体と精神をひたすらへとへとにすることが、ロレンスの唯一の原理であったのだ。  ロレンスは「自己の内乱状態」というものを自身の最大のデノミネーターとしていたということである。ロレンスが、つねに自己を歴史の中にゆらぎつづける一個のモレキュラー(分子)として位置づけられたということは、逆にロレンスに、いつだって大いなるデノミネーター(分母)に対する永劫回帰の準備があったということなのである。それを私は、多少は自分の気持ちをこめて「デノミネーター・コンプレックス」とよぶことにしているのである。(『オクスフォードの砂漠王』)

 いったいセイゴオがいつからなぜロレンスに関心を持つようになったのか。その“男ごころ”についてはこのエッセイにはまったく触れられていなのだが、『遊学』のロレンス論はその“男ごころ”が遠慮も会釈もなく狼藉をはたらいているようなものになっている。なんといってもタイトルが「オートバイの繊維学」なのである。その繊維学はしかも、ロレンスにではなく、ひたすらにピーター・オトゥールに向けられているのである。

それがピーター・オトゥールでなかったら、これほどロレンスに傾倒しなかった。次に、それがオートバイで死ななかったら『知恵の七柱』を読んでみる気にはならなかった。それほどにデヴィッド・リーンの映画『アラビアのロレンス』が私にもたらした感興は深かった。(『遊学』)

 実際のT・E・ロレンスは背が低くて短足だったらしいが、セイゴオにとってのロレンスは、砂漠の民の真っ白な“花嫁衣裳”に身を包んだ長身痩躯のピーター・オトゥールその人の姿として焼きついてしまったらしい。

ピーター・オトゥールの“繊維学的演技”のなんと感動的であったことか。私は新聞広告や看板にみる『アラビアのロレンス』のプロフィールから、たんに勇猛果敢、非常冷徹のがっしりした体躯と鋭い眼光の男を想像していたのであるが、これはすっかりうらぎられた。神経質な動作とめったに外には見せない決意の凝縮、つねに不可視の恐怖に脅えているような手と、思考のよどみを象徴するかのような青灰色の眼。ピーター・オトゥールはロレンスの心理の外観というものをのべるためのあらゆる技法を揃えている軟体機械(ソフト・マシーン)であるかのようだった。(『遊学』)

 「ジョージ5号」を見るために西武美術館に駆けつけたセイゴオは、きっとそこにまたがるロレンスの面影を、そっくりピーター・オトゥールの面影として感じ、堪能したのだろう。そして、たった一人分の加速機械であるオートバイで散っていったロレンス=オトゥールを思うとき、やはり一人分の機械に乗って事故死したサン=テグジュペリのことも思わずにいられなかったはずである。

日本の武石浩波、フランスのサン=テグジュペリ、イギリスのロレンスに代表される呆気ない死に方は、消失としての死の源流である。そこには生理学と哲学との癒着による人生観がもののみごとに払拭されている。一人はカナキン張りの飛行機で、一人は郵便配達便で、一人は昆虫のようなオートバイで、ただただ死ぬべくして死んだ。むろんかれらが事故死をしたから美化されるわけではない。生きながらえていても事情は同じだ。かれらの死線はいつだって自身の生態圏を離れた「横超の境界線」にある。あとは一束の宇宙線がその死線を震わせるかどうか、それだけで生死はどちらにもころんだのである。(『遊学』)

 このように、『遊学』のロレンス論は、アラブの反乱にもイギリスの二枚舌外交にもロレンスの苦痛にも触れることなく、ただただオトゥールへの賛美と、機械と運命をともにした男たちへのオマージュだけが綴られた異色の一篇となっている。だからこそ、ここにはセイゴオの“男ごころ”の真相が疼いている。そのように考えてみたくなる。
 どうやらそれは国家や革命やナショナリズムや、あるいは「覚悟の死」や武士道や騎士道といった言葉ではないもので綴られるべきものらしい。機械や昆虫や鉱物やオブジェを偏愛し一心同体になってしまう少年を手がかりにしか掴み得ない、はかない熱情のようなものらしい。
 そしてきっとまだ見ぬサン=テグジュペリとロレンスの「事故機」こそ、絶対少年セイゴオにとってこの世でもっとも極上の恋情オブジェであり、数寄の加速装置なのだろう。

男の倫理をナショナリティの血潮と同種にしてしまうことに反対したい。もっと唐突に男性の倫理というものはやってくるものなのである。そう、オートバイの繊維に疾駆して――(『遊学』)
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写真:『アラビアのロレンス』 ジェレミー・ウィルソン著  1989年新書館
巻頭に松岡のエッセイ「オクスフォードの砂漠王」。

投稿者 staff : 2006年9月 1日 00:49

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