セイゴオちゃんねる

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2006年7月29日

Key Word 七夕のためにはいかに契りおきけむ

 千夜千冊第1000夜が7月7日に当ったのは、半ば偶然のようなものだった。体調を見計らいながらの“バースコントロール”の結果がそうなったまでのこと、七夕で千夜を締めくくるというドラマチックな演出を狙ったわけではなかった。が、第1000夜が『良寛』になったことには、人知れぬ七夕の符牒があった。7月7日が『良寛』をセイゴオ千夜の必然にしたのである。

今夜は「千夜千冊」を書きはじめての、4度目の七夕にあたっている。その7月7日にちょうど千冊になるのも何かの不可思議で、ぼくとしてはこういう「めぐりあわせ」は尊びたい。  そして、やや意外なことかもしれないが、良寛には七夕の歌が少なくなかったのである。18首にのぼる。その大半が棚機津女(たなばたつめ)の期待と悄然を詠んでいた。たとえば、次のような3首である。

        天の川 やすのわたりは近けれど
        逢ふよしはなし秋にしあらねば
   
        久方の天の川原の たなばたも
        年に一度は逢ふてふものを

        人の世はうしと思へど 七夕のためには
        いかに契りおきけむ             
   
        (「千夜千冊」第1000夜『良寛全集』)


 良寛の創作長歌『月の兎』を、ちぎり絵のように全編に散らして貼り込んでいった手法は、ただ1回限りの、『良寛』のためだけの手法だった。本文はしんしんと『外は良寛』執筆のエピソードとともに、漢詩、消息、和歌などをほんのわずかずつ引用しながら、しだいに良寛の無常観を降り積もらせていく。同時に兎の物語が少しずつ明かされていく。そして良寛末期の歌「うらをみせおもてをみせて 散るもみじ」と、良寛を看取りながらその歌を書きとめた貞心尼に触れたとたんに、物語のほうは突然に兎が火の中に飛び込む劇的なシーンを迎えるのである。千夜の行間の末尾からびょうびょうと良寛の寂寥が吹きすさぶのだ。
 そのあとに、上記の七夕の歌の下りが続いていく。ここに選ばれた三句は、とうてい千夜と七夕のめぐりあわせを寿ぐために引用されたものではないことがわかる。

淡雪と七夕のあいだに、この千冊目は良寛となっていった。ぼくにはこれが、盂蘭盆会の灯火が点じられたようにも見える。(「千夜千冊」第1000夜『良寛全集』)

 この良寛に点じられた灯火は、まるでセイゴオの七夕の契りのように、翌年の7月7日には北原白秋に、さらにその翌年、つまり今年の7月7日には石川啄木に灯された。

 第1048夜『北原白秋』では、少年セイゴオが胸かきむしられた童謡『里ごころ』『雨』にはじまり、集中豪雨のように白秋の雨の詩歌を降らせている。ただし白秋の雨は、内にも外にも降り積もる良寛の雪とは違って、時折降ってはセイゴオの不意をつくものらしい。
 白秋とは同じ1月25日生まれ、かつ同じ早稲田大学出身という “運命的な”符牒がありながら、また、「青いとんぼをきりきりと夏の雪駄で踏みつぶす」ような哀傷感覚に触知的な共感を抱きながら、青年期に10年ほどまったく白秋を読まなかった時期があると明かしている。そんなセイゴオに再び白秋の断固たるフラジリティを蘇らせたのが、やっぱり「雨」だった。美空ひばりの歌う『城ヶ崎の雨』だった。それをきっかけに、セイゴオは初めて白秋が短歌の名人でもあったことを知ったという。

ぼくをふたたび白秋に向かわせるきっかけになったのは、「秋思五章」(『桐の花』)に歌われた“絲”の音である。きりきり、きりり、こんな音がする短歌だ。

        清元の新しき撥(ばち)君が撥
            あまりに冴えて痛き夜は来ぬ
        手の指のそろへてつよくそりかへす
            薄らあかりのもののつれづれ
        微かにも光る蟲あり三味線の
            弾きすてられしこまのほとりに
        円喬のするりと羽織すべらせる
            かろき手つきにこほろぎの鳴く
        太棹のびんと鳴りたる手元より
            よるのかなしみや眼をあけにけむ
        常磐津の連弾(つれびき)の撥いちやうに
            白く光りて夜のふけにけり

        (「千夜千冊」第1048夜『北原白秋集』)

 ここでは、青いとんぼを踏み潰す「きりきり」音に共通する擦過傷感覚ばかりを、三絃の糸の音鳴りに合わせて選び抜いている。常磐津や清元が白秋とセイゴオをつないでいる。これは、すでに2月7日の「Key Word(セイゴオ・オントロジー)」にも書いたように、セイゴオがこよなく愛する風趣のオブジェ感覚にも通じるものなのだ。

これはシュルレアリスムのオブジェ感覚なんかではない。おお、ほろろん白秋、ほろろんの白秋オブジェのぢぇぢぇ、なのだ。たとえては、「一匙(ひとさじ)のココアのにほひなつかしく訪(おとな)ふ身とは知らしたまはじ」という、そのココアと一瞬だけ交わった眼の言葉、タッチの渋みなのである。(「千夜千冊」第1048夜『北原白秋集』)

 こうして第1048夜『白秋』は、一匙のココアの風味を余韻に、良寛の寂寥を髣髴とさせるような次のような寂びた詩を引用して終わる。

        二人デ居タレド マダ淋シ。
        一人ニナツタラナホ淋シ。
        シンジツ二人ハ 遣瀬ナシ。
        シンジツ一人ハ 堪ヘガタシ。

 そして、今年7月7日、第1148夜の啄木である。『一握の砂・悲しき玩具』である。驚いたことにセイゴオは、白秋のラストの「一匙のココア」を、啄木の「ココアのひと匙」に逢着させて、ひそかな七夕の契りを結んでいたのである。

        はてしなき議論の後の
        冷めたるココアのひと匙を啜りて、
        その薄苦き舌触りに、
        われは知る、テロリストの
        かなしき、かなしき心を。

 啄木のココアには、白秋のココアの香ばしさや渋みがない。冷めたココアの哀しい甘苦さがあるばかり。昭和の時代まで生きて詩魂をまっとうした白秋に比べて、肺結核のために26歳で死んでいった啄木はあまりに悲痛だった。その悲痛をかなぐり捨てるようにもがき、さらに窮地へと追い込まれていく啄木の短い生涯を、セイゴオは詩歌を引用しながら物語っていく。そして国家と社会に対する「灰色の精神のテロリスト」「ココア色の魂のアナキスト」の逆上と喀血を描ききる。
 この啄木の心情を激震のように伝える3句を、セイゴオは選び抜いている。第1148夜は前置きも前触れもなく、冒頭でこの3句から啄木の痛哭と義憤を打ち付けているのだ。

       どんよりと
       くもれる空を見てゐしに
       人を殺したくなりにけるかな

       やや遠き ものに思ひしテロリストの
       悲しき心も
       近づく日のあり

       誰そ我に
       ピストルにても撃てよかし
       伊藤のごとく死にて見せなむ

 ところで、10月刊行の求龍堂版「千夜千冊全集」では、良寛は第1巻『遠くからとどく声』の第十一章「方舟みちあふち」に、白秋は第8章「歌が降ります」に配されたが、啄木はどこにも入らない。それはセイゴオの意図したことではなく、10月刊行を厳守するために入稿が打ち切られてしまっただけのことだった。
 けれども、7月7日の連環記は、良寛から白秋、啄木へと、切なくも周到に、誰に告げることもなく書き継がれてきた。セイゴオがこっそり契りおく盂蘭盆会の灯火は、来年はどの星座の当りに灯されるのだろうか。

       己が名をほのかに呼びて
       涙せし
       十四の春にかへる術(すべ)なし

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歴史ビデオ「新代表的日本人(第2巻)」でも啄木の「誰そ我に・・・」を紹介

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Diary 遠方より友来る

 千鳥が淵「册」の千夜千冊展の最終日、セイゴオの幼ななじみの中村晋造さんが京都から駆けつけ、赤坂ZEREを訪問。中村さんは呉服店「中村商店」のご主人で、着物姿でローリング・ストーンズ公演にもマドンナ公演にも出かける旦那衆。セイゴオが唯一、京都弁で“おしゃべり”できる親友でもあります。

 「最近はどうでっか」「まあまあでんな」とお定まりの会話を少々かわしたあとは、修徳小学校4年から3年間をともに過ごした「ろ組」の旧友たちの話題でいつまでも盛り上がります。この同窓仲間の紐帯は驚くべきもので、今も食事や旅行にしばしば集っているそうです。セイゴオが京都で講演するときなどは、声をかけあって駆けつけてくれるのです。

 なんといっても担任の吉見昭一先生の存在が大きかったのです。吉見先生の『虫をたおすキノコ』を取り上げた千夜千冊第464夜に、その破天荒な教えが詳しく綴られています。2歳から2年生までを日本橋の東華小学校で過ごしたセイゴオは「転校生」として修徳小学校に入ったのですが、京都に生まれながら東京弁になっていたセイゴオ少年をすっかり京都っ子に染め上げたのは、吉見先生と中村さんや溝川陽子さん、杉山依子さんたち「ろ組」の面々だったようです。

セイゴオ:「わしが転校生やったから珍しかったんやろ」
中村:「まあ、そうや。キミんとこのお父さんも変わった人やったなあ。いっしょにわしらとキャッチボールして遊んでくれたやろ。うちの父親なんか、子供と遊んでくれたりしたことなかったで」
セイゴオ:「(父は)遊び人やったから」
中村:「なんか文化人みたいな人やったなあ」

 セイゴオは、東京の九段高校・早稲田大学に進んでからも、しばしば一人で京都に帰郷していたようですが、そんなときはいつも中村さんに御厄介になっていたようです。中村さんは、その頃のセイゴオが足にペディキュアを塗っていたことを今でも鮮明に覚えているそうです。

 赤坂ZEREから近くの中華料理店に場所を移し、懐かしい話、旧友たちの消息などなど話はつきません。最後に「手術してタバコやめたて聞いてたのに、あいかわらず吸ってんのやな。やめな、あかんで」とセイゴオに念を押して、なんともしゃれた白い羅の帯の“貝の口”をきりっと背中に、この粋(すい)なセイゴオの親友は軽々と赤坂三分坂を降りていきました。
 

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2006年7月27日

Publishing 文月セイゴオ・アラカルト

◆2006年7月7日刊行『一字一会』

 「いま、何かひとつだけ、字を書くとしたら?」。『週刊金曜日』で2004年1月から2005年12月までつづいた連載「一字一会」をまとめた本が出た。藤原新也氏、森村泰昌氏、荒木経惟氏ほか総勢100人が登場する。それぞれが直筆で書いた一文字には、その字に対する思い入れやエピソードも添えられている。
 セイゴオが選んだ文字は「遊」。「なにか船にのった旅人をおもわせるでしょ」というセイゴオの筆運びをご覧ください。

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発行日:2006年7月7日
発 行:株式会社 金曜日
価 格:2400円+税


◆月刊『ランティエ』連載「ニッポンの忘れもの」

 第7回は「DJとサッカー」がテーマ。忙しい時間を縫ってワールドカップを決勝戦までTV観戦し続けたセイゴオが考えていたのは「寸前尺魔」のことだった。一瞬のミスで破綻が起こっていくサッカーと今日の情報社会はどこか似ていると言う。いっぽうでクラブDJこそ、セイゴオの考える編集的相場を体現しているらしい。くわしくは本誌で。

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発売日:2006年7月25日(毎月1回)
発 行:角川春樹事務所
価 格:680円


◆2006年7月号 『INAX REPORT No.167』

 『INAX REPORT』(INAX発行)は、建築をトータルにかんがえる季刊雑誌。
 時代的影響力をもった書籍を紹介する新連載「著書の解題」の第一回目に磯崎新氏『空間へ』(初版1971年発行)がとりあげられ、「対談篇」を内藤廣氏が、「書評篇」をセイゴオが担当した.。「書く建築の可能性」と題して、1960年~70年の激動の時代に、伝統に逃げず、モダンに走らず、自らの構えを変えながらつねに正面から向き合ってきた磯崎氏が、挫折と混迷を隠さずに赤裸々に告白した一冊であると紹介している。

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発行日:2006年7月20日
発 行:株式会社INAX
※全国官公庁、設計事務所、大学などに無料配布。


 

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2006年7月25日

Report 「連塾」第2期「絆走祭」スタート

空前絶後の第一祭「数寄になった人」

 7月22日(土)、銀座の時事通信ホールで、「連塾」第2期「絆走祭」が開演。第一祭のテーマは「数寄になった人」。文字どおり、日本の数寄文化をめぐるセイゴオのソロ講義と、セイゴオの大好きな人々が次々と繰り出すトークやパフォーマンスとによって、全8時間におよぶ濃密苛烈な祭となった。照明・演出は第1講に引き続き、藤本晴美さん。

 今回の連塾は、「千夜千冊全集」出版記念という位置付けもあり、この日に合わせて特別につくられた全集の本文入り見本全7巻と特別巻がホワイエにディスプレイされ、約180人の来場者を迎えた。

 ホールでは、高さ6メートルの天井にセイゴオの「絆走」「数寄」の二本の書が立ち上るように吊るされ、その書に寄せながら、近江の左義長祭や下関の先帝祭など日本各地の祭の映像からソロ講義が始まった。「祭」と「数寄」はアソシエーションの文化であり「編集文化」であると語りながら、遠州流の茶数寄と、歌舞伎衣裳と忌野清志郎の風流(ふりゅう)感覚を映像で見せる絶妙な展開に、金子郁容さんが加わり、柳家花緑さんが登場して落語の「間」を演じて見せる。それを引き取り、セイゴオが「千夜千冊」テキストをスクリーンに投影しながら「数寄」の生い立ちを語り、会場に駆けつけた杉浦康平さん・森村泰昌さん・清水博さん・甲斐大策さんの4人のセイゴオの“思い人”に特別メッセージを送った。ここまでが第1部。

 続く第2部は、ステージの上に内藤廣さんによる巨大な屏風スクリーンと、遠州流の立礼卓がしつらえられ、福原義春さんを正客、内藤さんを次客に、家元・小堀宗実さんが点前を披露、三人三様の「日本の方法」が静かに談義された。内藤さんはセイゴオと進めている二期倶楽部の「七石舞台」プロジェクトの秘密を明かす映像も公開。ここで舞台が暗転し山口小夜子さんが登場、内藤屏風に二台のプロジェクターから映像が投射され、そのなかで巧みに「影」をあやつりながらの「陰翳礼讃」朗読パフォーマンスである。セイゴオもゲストも来場者も、その凄絶な演出と演技に息を呑んだ。

 第3部は、北山ひとみさんのプロデュースによる大夕食会。第2部の最中にどんでん返しが行われたホワイエには、長大なテーブル席が用意され、特製の吉兆弁当と那須から届けられた有機野菜が並べられた。来場者がさかんに舌鼓を打っている間、今度はホール内で大模様替え。24台の本棚「燦架」(セイゴオ監修・山中祐一郎デザイン)を組み立てて、真っ赤なカバーデザインの「千夜千冊全集」をディスプレイし、その周りを取り囲むように180客の椅子を馬蹄形に整然と並べ直した。「ここまでやるか」と驚き顔の来場者を迎え入れ、金子郁容さんの進行で第4部の開演。十文字美信さんが登場して口絵写真「本の貌」を映写しながら、写真家の眼でみたセイゴオの世界を語り、アートディレクションを担った福原義春さんとともにセイゴオが、感慨深げに全集完結の思いを語った。ラストシーンは都はるみの「好きになった人」。こうして長丁場だった連塾第一祭が締めくくられた。

 その後、時事通信ホール近くで行われた懇親会では、感動した、涙が溢れた、圧倒された、という感想がにぎやかに交わされた。セイゴオ自身、何度か胸を詰まらせ、言葉を失った忘れがたい場面の数々もあったようだ。

 この日、裏方をつとめたのは、編集工学研究所・松岡正剛事務所の全スタッフはもちろんのこと、藤本さん率いる照明・音響のプロチームをはじめ、遠州流の皆さん、屏風製作に携わった内藤事務所の皆さん、燦架制作チーム、求龍堂、さらにISIS編集学校の有志などなど、総勢なんと80人。しかも全員がボランティアである。この裏方軍団の情熱が、空前絶後の構成・演出・仮設の数々を実行推進し、まさに「一客一亭」の破格の「祭」を実現させたのである。

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「絆走」と「数寄」のセイゴオの書が第一祭をいろどった

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「セイゴオさんの“間”のとりかたを意識しています」と語る花緑さん

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アルヴァ・アールト作のガラス器を水指につかう小堀さん

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「陰影礼賛」を朗読しながら舞う小夜子さん

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長さ50メートルの食卓で特製弁当の饗宴

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「“本”という外観にとことん迫った」と語る十文字さん

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2006年7月21日

News テレビ東京「Design Channel」でセイゴオ講義放映中

 6月20日(火)のデザインアソシエーション主催「デザイン特講」でのセイゴオ講義が、テレビ東京「デザインチャンネル」で放映されています。

■番組名:

テレビ東京
デザイン情報番組「Design Channel」の「デザイン特講」

■放送時間: 
7月15日(土) 午前2時15分~午前2時45分(済)
7月22日(土) 午前3時15分~午前3時45分
7月28日(土) 午前2時15分~午前2時45分
 注)22日のみ放送時間が変更となっています

 7月14日の第1回放映は、デザインと編集の関係について語った講義の序盤。このあとの第2回・第3回では、セイゴオが手がけたエディトリワークの数々を紹介しながらのトークが展開します。

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2006年7月17日

Diary 感門之盟、77人の晴れ舞台

第二季「離」の退院式も挙行

 7月16日、白金台の東京都庭園美術館大ホールで、ISIS編集学校の「感門之盟」がにぎやかに開催された。「感門之盟」とは、教室の指導にあたった師範・師範代の健闘をたたえる半期に一度の大イベント。今回は、第14期「守」、第13期「破」、第二季「離」、第4回「花伝所」と、初めて全コースの修了時期が重なったこともあって、約50人もの師範・師範代・学匠らが舞台に登場。さらに100人近い学衆が駆けつけ、時折激しく降りつける雨もなんのその、ネット上で格闘した編集稽古・編集指南の苦楽を称え合った。

 後半は、第二季「離」の「退院式」。3ヶ月半にわたって「校長直伝」の多難な編集修行に挑んだ27人の離学衆に松岡校長から「退院証」が授与され、またそのなかから4人が選ばれて、「典離」に認定された。「典離」は、松岡正剛の編集的世界観を修得したと認められる者だけに与えられる栄誉である。

 この日のためにセイゴオは、「千夜千冊展」の準備と平行して、ハレの舞台用にたくさんの書を仕上げ、師範に贈る色紙を多彩な技法で描き、師範代のために文庫を選びメッセージをしたためた。「離」の退院式のためには、認定証とともに特製の「典離額」を作成した。そのために、全身サロンパスで臨んだ「感門之盟」となったが、セイゴオは終始にこやかに、師範代や離学衆たちの感涙を共感をもって抱きとめていた。

 なお、「感門之盟」では毎回奇抜な格好を披露しているセイゴオ。今回はイッセイ・ミヤケの新作を奴凧のように着こなして登場し、会場を沸かせた。

*「感門之盟」の詳細は、「いとへん」にレポートされる予定です。お楽しみに。

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イッセイ・ミヤケの"布" をまとった奴凧セイゴオ

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セイゴオはこの日のためにたくさんの書を描いた

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第二季「離」 の「典離額」を手にした皆さんの雄姿


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2006年7月13日

Report 「千夜千冊展」ギャラリートーク第2弾

セイゴオ読書術教えます

 7月13日(木)、NIKIギャラリー「册」で、セイゴオが2回目のギャラリートーク。「読書術」をテーマにした今回は、ワークショップも取り入れながら、たった15分で本を読むための秘術を特別に伝授。

 15分で本を読むといっても、ただページを走り読みするような「速読術」とはわけが違う。セイゴオ読書術とは、いわば読者の側の編集スタイルを確立することによって、本との関係を自由なものにしていくための、きわめてアグレッシブなメソッドなのだ。
 「そのためには、書店や図書館で一冊の本を選ぶときから心がけるべきことがある。また本を選んだら、本文を読み出す前にやっておくべきことがある。」

 「册」のフロアーを埋め尽くした約50人の受講者に、一人一冊ずつ「册」の所蔵する文庫本を配布し、具体的にその手ほどきをする。「まだだよ、まだ本文を読んではだめだよ」と制しながら、「はい、ではまず目次を開きなさい。1分かけて目次をよく見なさい」。これがISIS編集学校などでも奨励している「目次読書法」である。

 続いて目次読書とともにセイゴオが日々実践している「マーキング読書法」。20代のころ武田泰淳の書庫に出入りしてすべての本に赤線が引かれていることに興味をもったセイゴオは、レーニンの『哲学ノート』の書き込みなども真似ながら、 “傍線”や“囲み”や“記号”を駆使した独自のマーキングを開発してきた。

 参加者の手元に『フラジャイル』の見開き2ページ分のコピーが配られ、セイゴオの音読に合わせて、実際にマーキングを体験してもらう。「本はこのようにしてどんどん汚しなさい。そうして自分のものにしなさい」。そのドローイングのスピードが、認知速度と関係するのだという。

 こうして、予定の2時間をあっという間に駆け抜け、締めくくり。「読書」を知的行為だと思いすぎてはいけない。著者に従わなければいけない読書なんて不自由すぎる。もっとブティックで洋服を選ぶように本を選び、アスリートのように自分の調子を高めながら本に向き合ってほしい。知を足し算・引き算するのではなく、差分を生み出すような「非線形読書」をめざしたい。

 なお、トークの詳細は後日の「いとへん」のレポートをお楽しみに。ただし本気で修得したいなら、ISIS編集学校へ。

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左)七夕飾りの短冊を本に見立てて書棚の心得をとく
右)銅版表紙の『機械学宣言』をつかって本の構造を解説

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左)展示中の「一汁一冊」
右)「千夜千冊控帖」

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左)册をデザインした建築家・内藤廣さんもワークショップに挑戦
右)セイゴオマーキングに目を見張るアーティスト・土佐尚子さん

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左)「まずは表紙を見なさい」というセイゴオ読書術を実践中の女優・真行寺君枝さん
右)トーク後、デザイナー・植田いつ子さんと歓談


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千夜千冊控帖をひろげて記念撮影
左から小澤かすみさん、能勢伊勢雄さん、三橋順子さん、真行寺君枝さん、田實碧さん


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2006年7月10日

Report 「千夜千冊展」でギャラリートーク

全集誕生までの6年間を振り返る

 7月8日、「千夜千冊展」を開催中のNIKIギャラリー「册」で、セイゴオの記念トークイベントが開催された。

 セイゴオは2004年の「册」のオープン以来、書棚計画や展示企画、季題の監修をしているが、ふだんは工芸作家の作品が並ぶ棚に自分の書画作品が並ぶ光景は、どうにも落ち着かないらしい。「つい並べ直しや書き直しをしたくなる」という。そんな話題を入り口に、Webでの連載開始から全集誕生までの6年間のエピソードと、いよいよ刊行を待つばかりとなった「千夜千冊」全集の全容を明かすトークが展開した。

■「千夜千冊」誕生のきっかけ 

 もともとはインターネット上に「編集の国」を作るという壮大なプロジェクトを計画していた。それは資本主義や市場というものに対してのぼくの疑問を解決するためのプロジェクトで、たとえば、知財についての新しい評価軸を作って、賞味期限付きのトークンのようなものを流通させるといった実験的なことをいろいろと試みようとしていた。

 ところが、周囲の専門家やオタクたちに聞いてみると、ネットで勝負するなら、せめて3日に一度、できれば毎日情報を更新しないと話にならないと言う。それで、結局言い出しっぺのぼくが毎日何かをしようということになって、一日一冊の本を取り上げて書くということを思いついた。

 ぼくの編集キャリアからすれば、毎日文章を書くといったことはべつにたいして難しいことではない。始めたばかりのころは一夜分の文章も短かった。それでも、ネット上で読むに耐えうるテキストというのはどうあるべきか、ということは真剣に考えた。その上で、せめて3年間は続けなくてはと思ったので、一日一冊取り上げれば、3年間で1000冊になる。よし「千夜千冊」でいこうということになった。まあ、最初はかなりたかをくくってた(笑)。

■ルールを決めて書く

 第1冊目に中谷宇吉郎の『雪』を選び書き始めたが、どういう人々が読んでくれるのか、読者というものがまったく想定できない。手応えがなかなか感じられない。たぶん最初のころは30人くらいしか読んでいなかったと思う。でも200冊を超え、300冊を超えると、ある特定の本にアクセスが集中するということが起こるようになってきた。
 たとえば『ゲバラ日記』や寺山修司を取り上げるとものすごいアクセス数になる。見えない相手に対して書いているという感覚には変わりなかったが、次第に反応が見えてくるようになってきた。そのころから「千夜千冊」に目を済ませている、指を触れている人々がいる、という感じがしてきた。それが30人から300人、300人から3000人と、どんどん増えていった。

 こうなってくると、どうもこれはただごとではないと思い始めた。横着に書くのが恥ずかしくなってきた。書きなぐってはいけない。もっと苛重なルールをつくらなければいけない。
 それまでも、一著者一作品に限るとか、古典が続かないようにするとか、同じ出版社が続かないようにするといったルールは決めていた。そこへ、もっと自分の書き方やスタイルについてのルールも加えていった。たとえば寺山修司について書いたときは、手紙スタイルにした。J・G・バラード『時の声』では映画のシナリオ風にした。こういった手法は、一度使ったら二度とは使わないと決めた。

 ぼくはもともと、編集をするときにアフォーダンスということをたいへん重視している。対象やモノにアフォードされながら言葉を選んだりスタイルを決めていく。アートを見るときも、モノに対してふるまいがどのように変化するか、というところを敏感に見ている。書物に向かうときにも同じなのだ。ぼくは本からアフォーダンスを受けている。「千夜千冊」ではそのことをきちんと表わすような文章にしようと思った。

■読書体験を再現する

 書評を書きたかったわけではない。批評を書くなら簡単だ。しかしそういうことには関心はない。たとえば、ぼくが折口信夫の本と出会ったのは、脳圧昂進で入院していたときだった。学生時代にデモの先頭に立って、日比谷公園で押し倒されて延髄を痛めたことが原因で、しばしば脳圧が上がって激しい頭痛と吐き気に襲われるという症状が出るようになった。それで入院をしたときに、折口信夫を読んだ。そういう状況で出会ったときのアフォーダンスをどうすれば再現できるか、表わせるか。「千夜千冊」を書き続けることによって、そのことを苛烈に実験しなければならない、と考えるようになった。

 本来、ぼくにとっては読書そのものが「再生」のための実験なのである。本を読んでいる最中と、読んだことを再生するときとではズレが起こる。読んでいる最中は、本の内容だけではなく、そのとき周りで起こっていることや自分の体調や、さまざまなものが出入りする。読書体験を再生するには、たとえば漱石の『草枕』であれば、その『草枕』をめぐる時間そのものを再生すべきだ。またそういう時間を、「千夜千冊」では案内したい。

■胃痛を抱えて千日書峰

 こんなことを毎日続けているうちに、「知の千日回峰」とか「千日書峰」などと騒がれて、ぼくもだんだん篭って修行しているような気分になっていった。900夜をすぎてからは、ISIS編集学校の皆さんがいろいろな応援をしてくれた。毎晩ブログで感想を書いてくれる人、小池純代さんのように一夜に一首ずつ歌を寄せてくれる人も出てきた。残り10冊に何が入るのか予想クイズで盛り上がる人もいた。ただしこの予想クイズはぼくにとってはプレッシャー(笑)。『源氏物語』がきっと入るはずだとか、三島由紀夫が入らないはずがないとか、ニーチェは入れないんですかとか、外野からいろんな声が聞こえてくる。余計なお世話だよね(笑)。

 それから、950夜を超えたあたりから、ぼくは体調異変を感じていた。もともとストレスを感じない体質なのに、きしきしと胃が痛む。一方で、そのころは「册」のオーナーの北山ひとみさんと、那須の二期倶楽部で新しいプロジェクトも進んでいた。「册」のオープンも重なっていた。そういうこともあって、千冊目達成は、七夕に照準を合わせるようにした。

 990夜を過ぎてからは、ライプニッツ、ホワイトヘッド、王陽明、『南総里見八犬伝』、『オデュッセイアー』というように、大物ばかりを気が狂ったような状態で書き続けた。でも、最後の最後まで、自分としては、冴えに冴えた状態で走りぬくことができたと思う。

 そうして2004年7月7日、第1000夜を良寛で終えた。その後、原宿のクエストホールで「千夜千冊」達成記念イベントがひらかれて、いとうせいこう君がすばらしい司会をして、たくさんの著者の皆さんが駆けつけてくれた。続いて「册」のオープンを迎えた。ところが、その「册」オープンの朝、ぼくはかかりつけの医者から癌の告知を受けてしまったのだ。

■癌で中断した「1001夜」の長い夢

 「千夜千冊」は終えたけれど、自分のなかにはまだ尾を引かれるものが残っていた。だいたいぼくは稲垣足穂の『一千一秒物語』に惹かれて、こういう仕事を始めたのだから、やっぱり「1000」で終わりにするのではなく、「1001」までやるべきだろうと(笑)。それで、長い長い、いつ終わるともしれない一夜『エレガントな宇宙』を千夜のあとに綴り始めた。

 それが、胃癌のためにばっさりと中断されてしまった。ああ、こういう宿命なのかとあきらめたのだが、入院中にたくさんの方々から見舞いのメッセージをいただいた。それがすばらしかった。何か御礼をしなくてはと思った。そこで中断した1001夜のなかに「見舞御礼」という一文を入れた。おかげで「千夜千冊」はなんだかわけのわからないものになってしまった(笑)。さらには、いったい「千夜千冊」をこのあとどうやって終わらせればいいのか、ますます困った。

 そこへまた新たなことが持ち上がった。
 ぼくは「千夜千冊」と平行して、数ヶ月に一度「連塾」という会で日本の話をするという活動をしている。「松岡の日本の話に学ぼう」という有志たちが準備してくれた会で、福原義春さんを中心に中間法人「連志連衆會」も作られている。その「連塾」の皆さんが、「千夜千冊」を出版すべきだと言い出し、福原さんが求龍堂と話をつけてくれたのだ。

■「千夜千冊」は終わらない

 最初は迷った。「千夜千冊」を全集にしてくれるなんてありがたい話だけれど、なんだかムダのようにも思えた。ぼくにとってはすでに終わったことなのに、それを今さら本にするなんて、「千夜千冊」が無用の長火鉢のようなもののように思えてきた(笑)。

 これではいけない。なんとか自分の気持ちを切り替えなければ、とても全集にするなんて作業はやっていけない。だから、全集はWeb版とは違うまったく新しいものにしようと決断した。そこで求龍堂の意向にしたがって「千夜千冊」を7巻組に再構成するという作業に、ものすごく集中してみた(本当はぼくは15巻くらいにしたかったのだけど)。巻ごとにテーマを立てて、部立てを考えて、まったく新しい配列で千冊の本を並べ直していった。そうしたら、その間にどうしても入れるべき本で、まだ取り上げていない本が次々と見えてきた。そこで、新しく「千夜千冊」をどんどん書き足すことにもなった。

 こうして結局、1002夜以降の「千夜千冊」を書きながら、全集のために徹底的に文章を再編集するという日々が始まったのである。

 じつは、「全集」の作業はほぼすべて終えたのだけど、Web「千夜千冊」のほうは第2期「遊蕩篇」として続けることにした。誰に聞いても「続けるべきだ」と言われるので、「千夜千冊」は終わらないことにした(笑)。これからもずっと本のことを書き続けたい。取り上げたい本もまだまだある。そこに自分の思想も愛情も込めていきたい。


*以降、セイゴオのトークは「千夜千冊全集版部立集」(会場で販売中)を使って全集の第1巻から第7巻までを案内するという後半戦に入りましたが、その内容は、会場においでいただいた方だけの「とっておき」とさせていただきます。あしからず。

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「全集版部立集」を片手に本の並びから立ち上がる物語に聞き入る参加者たち
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北海道からかけつけてくれた書家・樋口雅山房さん

投稿者 staff : 23:35 | コメント (0)

2006年7月 7日

Report 千夜千冊展、七夕飾りで幕開け

オープニングレセプション、大盛況

 7月7日夕刻、千鳥ヶ淵のNIKIギャラリー「册」で、「松岡正剛・千夜千冊展」のオープニングレセプションが開催された。大きな七夕飾りがしつらえられた会場は、あっという間に来場者で埋め尽くされた。

 2000年にはじまった「千夜千冊」は、ちょうど2年前の2004年の7月7日、『良寛全集』によって千冊を達成したが、直後にセイゴオは胃癌の手術を受けている。幸い癌は完治したものの十数キロも体重を落とし、しかもその後は全集出版のために以前にも増して激務を続けてきた。

 そんなセイゴオの2年間を心配しながら見守り、また応援してくださってきた方々には、とりわけ多様なスタイルで描き分けた書画や、独自のオブジェ作品やドローイングは新鮮だったようだ。途中、「手遊びの数々をこういう形で皆さんにご披露することになりました。お恥ずかしい気持ちでいっぱいです」と挨拶をしたセイゴオ、またそれを受けて「松岡さんがこのような作品世界をもっていらしたことに改めて驚いています。松岡さんにもっともっと遊んでいただきたい」とメッセージを送った「册」オーナーの北山ひとみさんに、大きな拍手が寄せられた。

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セイゴオの手すさびがならぶ「册」の棚
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書画のなかには早くも「売約済」のシールが
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中央の展示棚におかれた「観音イシス」

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左・・・工作舎の中上千里夫さん(左)とオートバイデザイナーの石山篤さん(中)
中・・・サックスプレイヤー坂田明さん
右・・・ギャラリー「册」オーナーの北山ひとみさん(右)と千夜千歌の小池純代さん(左)


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左・・・十文字美信さんと求龍堂の鎌田恵理子さん
中・・・千夜千冊全集の産みの親・福原義春さん
右・・・現代日本画家ミヤケマイさんと詩人高橋睦郎さん


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左・・・求龍堂ご一行さま/嶋社長(左)、営業小俣さん(中左)、足立会長(中)、田代元社長(右)
中・・・ピアニスト山下有子さんとデザイナー羽良多平吉さん
右・・・地唄の西松布咏さん(中)とマネージャーの加藤さん(左)


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左・・・デザイナーで画家の菊地慶矩さん
中・・・グラフィックデザイナー平野湟太郎さんと奥様
右・・・尺八奏者の中村明一さんとマネージャー慶野さん


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左・・・未詳倶楽部の松井夫妻と高野さん
中・・・写真家・中道淳さんと千夜千冊タイポグラファーの中山禮吉さんと小学館の長澤潔さん
右・・・建築家・内藤廣さん(中右)と美術評論家・新見隆さん(中左)、内藤事務所の小田切さん(右)、蘆田さん(左)

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「七夕には本当に縁があります。1000夜達成も7月7日でした。」

 

投稿者 staff : 00:02

2006年7月 6日

Publishing 「千夜千冊」全集パンフレット完成

全国書店および二期ギャラリー「册」でゲットしよう!

 求龍堂による「千夜千冊」全集のパンフレットが完成。A4判四つ折観音開きの豪華パンフです。
 表紙は、漆黒の背景に、赤い装幀の全七巻と特別巻が螺旋状に積まれた、十文字美信さんの力強い写真。神業的照明によって、「松岡正剛千夜千冊」という黒箔のタイトル文字がくっきり。
 中を開けば、井上ひさしさん、美輪明宏さん、山口昌男さんなど9人の各界リーダーや、カリスマ書店員からのエール。そして、いよいよ明らかにされる、全7巻のコンセプトと、口絵写真「本の貌」、小池純代さんによる「千夜短歌」。

 さらに、このパンフレットにはもれなく折り込みポスターが入っています。表面は、原寸大の「千夜千冊」全集の写真。裏面は、なんと全7巻1144冊の部立てを一挙掲載。
 本体とポスターそれぞれの、松岡正剛の肖像も必見! (十文字美信撮影)。

 パンフといえども愛蔵版にしたい。書店で見かけたらぜひゲットしたい。本日7月7日オープンの「松岡正剛・千夜千冊展―只今、本族出張中」(千鳥ヶ淵NIKIギャラリー「册」)でも、手に入ります。

 もちろん、パンフレットを手にしたら、「全集」お申込みもお早めに。9月末日までに申し込むと、特別割引になります。

お申し込みは求龍堂サイトからどうぞ。

   
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十文字美信氏撮影の表紙

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実物大「千夜千冊」全集を掲載したポスター
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各巻の部立てを初公開!

投稿者 staff : 03:13 | コメント (0)

2006年7月 4日

Publishing 「非株な男」とは「青山二郎」のことなりき

青山二郎『眼の引越』に寄せて

中公文庫の限定復刊、青山二郎『眼の引越』にセイゴオが書き下ろしエッセイを寄稿した。これは、中公文庫で品切れになった本の中から、毎月一点づつ限定で改版発行しているシリーズの中の一冊。一昨年前からはじまった企画で、これまで『蒐集物語』(柳宗悦著)、『明治維新三大政治家』(池辺三山著)、『雑誌記者』(池島信平著)などを刊行してきた。
『眼の引越』は「青山二郎」入門には欠かせない随筆集。

セイゴオは千夜千冊第262夜で『眼の哲学・利休伝ノート』とりあげ、小林秀雄に「天才」と言わせ、白洲正子を白洲正子たらしめた青山二郎のことを「現在から離脱した人」と書いている。今回のエッセイでは青山二郎に「非株な男」という言葉をささげた。中学生にしてすでに身銭を費やして高価な骨董を手に入れ、生涯をとおして美に月謝を払うことで「眼」を鍛えた非株な生きざまを紹介している。                

眼の引越 72_150.jpg

著者名:青山二郎(著)
出版社:中央公論新社
出版年:2006.06.25
税込価格:1,300円
判 型:A6(文庫)

投稿者 staff : 12:37 | コメント (0)