セイゴオちゃんねる

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2006年5月31日

Report 「日本文化」の真髄に迫った未来のCEOたち

多摩大学ルネッサンスセンターで6時間講義

 5月28日(土)、セイゴオは多摩大学ルネッサンスセンター「40歳代CEO育成講座」で6時間におよぶ「日本文化講義」をおこなった。受講生は、日本を代表する企業リーダー30名(第5期生)。昨年12月第4期生のために行った2時間講演が好評だったこともあり、今回は大幅な時間増の講義となった。

 講義開始は午前10時。5分前には受講生全員が席につき、課題図書の『情報の歴史』や『花鳥風月の科学』について交わしあうメンバーもいた。事務局の紹介をうけ、いつもの低い声で「おはようございます」といって講義席についたセイゴオ。会場後方には学長の中谷巌氏の姿もあった。

 前夜、ついつい途中まで見ていたという「朝まで生テレビ」の話題から始まった。番組では「日本はアメリカの属国か」が議論されていたが、これについてどう思うか、日本は独立独歩の国だと思うかという問いを投げかけ、また教育基本法の議論で取り沙汰されている“愛国心”についてどう思うかなど、タイムリーなキーワードを持ち出していく。ハンチントン『文明の衝突』(千夜千冊第1083夜)でいう「儒教・イスラム教対ユダヤ・キリスト教」についてのセイゴオの見解などを交え、日本の多くの企業が取り入れたアメリカ流のMBAは、仮想敵国を攻略するゲーム理論(ナッシュ均衡)にもとづいているが、果たしてそのような方法だけで日本はうまくいくのか、これほど世界情勢が読みにくい「複雑性」の時代だからこそ、日本文化にひそむ方法を振り返るべきではないかと問題提起を重ねながら、本題に入った。

 この講義でも、セイゴオは「日本の方法」をわかりやすくするための映像資料をさまざまに用意してきた。日本の古代、中世、そして近代を、映像にのせながら、一気に駆け抜け、「日本」という方法の際(キワ)を示した。

 欧米の方法と日本の方法の違いのおおもとは、一神教と多神教の違いに見ることができる。古来から多神多仏を敬ってきた日本は、砂漠で育まれた一神教の思想ではない考え方によって、文化や社会をつくってきた。とくに日本の「神」は常住している「主神」ではなく、外からやってくる「客神」だった。その神を迎え交わるために行われてきたのが「祭」である。「祭り」にはそれぞれ物語があるが、そのルーツとなっているのが「日本神話」である。日本のことを考えていくときに、我々がどうしても立ち戻るべき場所は日本神話の中にある。そして、「日本」という国の成り立ちを考えるときに、神話によって伝承された「天孫降臨」の謎を考えてみるべきだ。ここに、「外からやってくる神」のヒミツがひそんでいる。

 ホワイトボードいっぱいに日本神話の構造図をえがいて解説したところで午前の部が終了。午後の部は「編集工学」について解説しながらの、セイゴオ直々の編集ワークショップから始まった。受講者たちのイメージとコトバの感覚がほぐされたところで、ひきつづき映像を使っての日本文化講義を再開。

 日本は「天津神」と「国津神」の二つの神の世界を編集した。そして無文字社会だった日本に中国から漢字が入ってきたときには、「漢と和」の二つのプロトコルを編集した。この日本の方法をあらわすキーワードが、「アワセ・キソイ・ソロイ・カサネ」である。欧米の原理が「キソイ」だとすると、日本的方法は「アワセ」を原理とする。異質なもの、矛盾するものを、競わせるのではなく、まず合わせてみる。合わせておいて、技芸を競い、方法を深化させていく。
 このような方法論で、日本の神話や伝承、芸能を再編集したものが、たとえば観阿弥・世阿弥の「能」だった。世阿弥は「複式夢幻能」という新しい様式によって、「現在と過去」「あの世とこの世」を合わせた。「アワセ」を極めることによって、「能」は日本の象徴性、あいまい性を方法として際立たせたのである。

 ここで会場を暗くして能舞台の映像を見せながら、摺り足や能面の驚くべき技法を紹介。そこから、時代を一気に近代に移し、「明治」を生きた人々が苦悩した「日本」を見つめていく。

 長らく「漢と和」を合わせてきた日本は、明治維新によって「洋と和」をどう合わせるのかという新しい課題にぶつかっていく。この問題に悩みぬいたのが、明治を代表するキリスト教者である内村鑑三だった。内村は「二つのJ」のあいだで葛藤する。「二つのJ」とは、JesusのJとJapanのJ。内村は、生涯をキリスト教に捧げる一方、断固たる日本人であろうとした愛国者であり、日本の「本来」を問い続けた。そしてついに著書『代表的日本人』』(千夜千冊第250夜)に、日蓮、中江藤樹、二宮尊徳、上杉鷹山、西郷隆盛の5人が、キリスト教におけるバプテスマのヨハネの役割を果たした日本の代表的な指導者であると記すにいたった。同時期、『武士道』を著して世界に発表した新渡戸稲造も「武士道にはキリスト教精神の80%がある。武士道にはないあとの20%のもの、それは愛である」と綴った。

 いまの我々は、このような内村や新渡戸の方法を失っているのではないか。両極に引き裂かれるような二つのテーマ、二つの世界に身を置きながら、その間を一気に詰めていく、このような方法が、いまもう一度取り戻されるべきではないか。内村は、日本は大国に伍することを目指すのではなく、小さな国であるべきだとも語った。そして、「ボーダーランド・ステイト」(境界国家)というニューコンセプトさえ提案していくのである。

 もう一度、我々も和魂のルーツをたどり、和魂にあう洋才・漢才を探すべきである。しかし、今の日本や日本人がそのような苛烈な編集を果たしてできるだろうか。明治以降、わたしたちは、ブルーノ・タウトやラフカディオ・ハーン、コンドルやフェノロサといった外国人の眼によって「日本の方法」に気付かされてきた。このままでは21世紀になっても日本は同じことを繰り返すのではないか。

  セイゴオの問題提起に刺激を受けたのか、講義後も活発な質疑応答が続いた。「だれも教えてくれないことにこそ、挑むべきだ。ただしそれは自分でたどるしかない」「手がかりをつかんだら決して離してはいけない。」「分かりにくいことにこそ身を呈するべきだ。分かりにくいものは分かりにくいまま丸呑みしなさい。」「もっと聞き耳をたてなさい。」すべての質問に対して、ときに檄を飛ばしながら答えていくセイゴオ。講演後も控室で、中谷学長や指導陣とともに、しばし「日本の現在」を憂える談義が続いていた。

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2006年5月25日

Diary 小笠原流礼法のパーティに参加

セイゴオが宗家就任10周年記念に祝辞

「三つ指をついたおじぎ」や「畳のへりをふんではならない」など、室町時代より綿々と受け継がれてきた日本の伝統的な礼儀作法を伝える「小笠原流礼法」。現在代表をつとめる小笠原敬称斎さんが一義亭(連志連衆會主催)に参加していたことが縁で、宗家代表就任10周年記念の会でセイゴオがはじまりの挨拶を引き受けることになった。

21日(日)、帝国ホテル「鳳凰の間」を着物、羽織、ドレス、タキシードなど約800人の正装の紳士淑女が埋めつくした。開演まもなく司会者が「小笠原流代表の敬称斎が尊敬する編集工学研究所所長の松岡正剛さんです」。金屏風の前で黒いスーツ姿に白いシャツのセイゴオが語る。

日本はそもそも「礼」の国である。日本人には生まれながらに「礼」の心が染み付いている。だから「シツレイ」という言葉は「礼」を「失う」と書く。その「礼」の奥にあるのが「ムスビ」である。日本人は「ムスビ」に向かって「礼」を尽くしてきた。「ムスビ」の「ムス」は「産す」と書き、「成長する」ことを意味し、「ヒ」は霊魂の「霊(ヒ)」でありスピリチュアルエネルギーのこと。
10分という短い時間のなかで日本人の「礼」の文化と精神をミニレクチャーした上で、「作法とは日々見逃してしまいがちなところを形にして表すことに意味がある。コミュニケーションの真髄、さらにはハイパーコミュニケーションを目指してほしい。」と締めくくった。

そのあと観世喜正氏が新しい門出にふさわしく『高砂』を舞い、武家社会の伝統だったという「初響の儀」が行われた。無事に役目を終えたセイゴオが帰り支度をしていると、「校長!」と呼びかけてきた着物美人。編集学校の師範であり、小笠原流の師範でもある小清水美恵さんだ。セイゴオはしばし校長の顔をのぞかせ会話をはずませていた。セイゴオの活動も多様だが、どうやら編集学校関係者の活動もじつに多様なのである。


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左)金屏風の前には小笠原流に置かれた鶴、亀、翁、翁女、そしてお酒などが並ぶ
右)小清水美恵師範とセイゴオ校長


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2006年5月23日

Key Word 健康なんてくそくらえ

 
 松岡事務所の常備品といえば、キャスターマイルド、ヤクルト300、サラダ煎餅、チキンラーメン。すべてセイゴオの嗜好品。いずれも常備歴は10年以上。もはや必需品である。

 タバコをやめさせることなどすっかりあきらめているスタッフも、せめて食べモノくらいはカラダにいいものをと、常備品の健康路線シフトを試みてきた。すなわち、甘すぎるヤクルトよりは野菜ジュースを、アブラギッシュな煎餅よりは五穀米煎餅を、チキンラーメンよりは手作り惣菜を。しかし嗜好が合わないと「思考が落ちる」とまで言うセイゴオ。スタッフの思いやりは消化したうえで、その上やっぱり、サラダ煎餅とチキンラーメンもかかさないのである。

 そもそも「健康」嫌いなのである。関心がないのではなく、“嫌い”なのである。こんなことでは、くだんの胃癌入院以来、「千夜千冊」を見守りつつ松岡正剛の健康を願い続けてくださっているファン、読者の皆さんにあまりにも申し訳がないのだが、さりとてこの「健康」嫌いをくつがえすには、セイゴオの次のような論戦に対峙しなければならないのである。

 曰く、「なぜ健康が嫌いになったか? それは千夜千冊はじまって間もない第10夜のルネ・デュボス『健康幻想史』にすでに書いたよ。読んでないのかね」

 あわてて第10夜を開いてみれば、こんなことが書いてある。

ぼくが一番おもしろかったのは『健康という幻想』である。これは人類がどのように健康や長寿を求めたかという歴史を、ふつうなら病気の歴史にしてしまうところを、ひっくりかえして「健康幻想史」にしてみせたのだ。それを抗生物質の発明者が書くところが、デュボスのデュボスたるゆえんなのである。ただしぼくには、この本が「健康なんてくそくらえ」という方針を確立させてしまい、おかげで健康から見放されることになってしまった曰くつきの本だった。

 また曰く、「諸君のほうこそ、“健康”に蝕まれているんだよ。それについては第764夜のジャック・アタリに書いておいたからね」。
 アタリの『カニバリズムの秩序』はかえって情報ネットワーク経済社会の“その後”の問題を先取りしたようなところもあった。新しい経済社会の食人性(カニバリズム)は、家屋を装う商品が家屋を蝕み、健康を装う商品が健康を蝕み、心を装う商品が心を蝕んでいく危険性があると説いたのだ。だからそのような社会ではどうしても「自律監視性」が求められるだろうが、そこをどうするかが難問になると警告したのだった。

 さらに曰く、「自分の“健康”や“精神”に関心を向ける時間があったら、第446夜ベイトソン『精神の生態学』のラストを味読しなさい」
 自分の関心は自分であり、自分の会社であり、自分の種だという偏狭な認識論的全体に立つとき、システムを支えている他のループはみな考慮の外側に切り落とされることになります。人間生活が生み出す副産物は、どこか"外"に捨てればいいとする心がそこから生まれ、エリー湖がその格好の場所に見えてくるわけです。
 このとき忘れられているのは、エリー湖というエコメンタルな一システムが、われわれを含むより大きなエコメンタル・システムの一部だということ、そして、エリー湖の「精神」が失われるとき、その狂気が、より大きなわれわれの思考と経験をも病的なものに変えていくということです。

 こんな筋金入りの「健康嫌い」を、どうすれば“健康”にさせられるのか。松岡事務所の永遠の課題なのである。
   
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2006年5月17日

Diary ISIS編集学校「離」表沙汰

 
 セイゴオが立正佼成会開祖生誕100年記念の、大聖堂改修落慶と「開祖記念館」内覧会に出席した5月14日は、ISIS編集学校「離」第2季「校長直伝プログラム・世界読書奥義伝」のリアルセミナー「表沙汰」(おもてざた)の日でもあった。記念館のテープカットをするなり杉並から赤坂に飛んで帰り、白いシャツを赤いTシャツに着替えたセイゴオは、すっかり「校長の顔」を取り戻して、「表沙汰」会場入り。

 「表沙汰」は、2月26日の開講以来、ネット上で毎日数回にわたって配信されるオリジナルテキスト「文巻」(ぶんかん)と、そこに埋め込まれた数々の課題に取り組んできた離学衆たち約30人が初めて顔を合わせる場であり、日ごろネット上で離学衆を叱咤激励しつづけてきた別当たちと出会う場であり、もちろん校長松岡の知の体温を触知する日でもある。

 そしてまた、離学衆たちがそれぞれの迷いも覚悟も表沙汰にし、別当たちが校長の世界読書世界への熱情を吐露して表沙汰にし、校長松岡が「文巻」にひそませた意図や方法を表沙汰にする日でもある。

 約5時間半、顔をつきあわせて何事かを交わし続けたあとは懇親会、さらに赤坂ZEREに移動して、夜中すぎまで校長を囲んでの「方法談義」が展開した。およそ12時間にもわたった、離学衆と別当と校長の邂逅。そこでは「テ・プ・ポ」や「ベ・タ・プ」といった謎めいた正剛符号がかわされていたが、それが何を表わすのか、当分は「離学衆」だけにしか明かされないようだ。

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左)離を率いる校長、別当、総匠
右)赤坂ZEREで校長を囲んで方法談義

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2006年5月16日

Report 立正佼成会開祖記念館オープン

現代の宗教者の人間性に迫るミュージアム

 立正佼成会の開祖・庭野日敬氏の生誕100年を記念して、杉並区和田の大聖堂改修工事落慶式とともに、新たに設立されたミュージアム「開祖記念館」の内覧会が、5月14日に開催された。2年前にこのミュージアムの計画について相談を受け、基本計画から展示制作までを監修してきたセイゴオは、前日の13日に、大聖堂に隣接する大ホールで全国の教会長300人を相手に記念講演を行い、また当日は落慶式で記念スピーチ、またその後現会長の庭野日鑛氏らとともに、記念館のテープカットを行うなど、二日間にわたる大仕事を果たした。

 庭野開祖は世界史上初めての世界宗教者平和会議を実現させた人物として、広く知られている。セイゴオも長らく庭野開祖に一目を置いてきたが、実際に知り合ったのは、平成7年、卒寿記念ビデオの制作に監修者としてかかわったときだった。すでに車椅子が不可欠なほど高齢となっていた開祖に故郷の新潟県菅沼に来ていただき、思い出の道を「みずからの足で歩いてほしい」という注文をセイゴオが出したという、立正佼成会でいまも語り草となっているビデオである。立ち上がることすら無理だと関係者から聞かされていたにもかかわらず、にこにこと微笑みながら菅沼のあぜ道を歩く庭野氏の姿がロングショットで残された貴重な映像となった。その4年後、庭野氏は92歳で入寂した。

 このビデオ制作時の手腕が再び求められ、今回の開祖記念館計画に携わることになったセイゴオは、一貫して「庭野開祖の宗教観と人間性」を重視し、それをコンセプトに据えた。また展示計画は、明治・大正・昭和・平成の日本のクロニクルに重ね、激動の時代を経てきた宗教者の生き様を、ゆかりの品々と、残された言葉や書によって表現するというものにした。さらに、現会長や家族、また当時を知る教団関係者へのインタビューを重ねることによって、庭野氏のおおらかな宗教観と人間性を、映像やインタラクティブな展示手法によっても浮き彫りにしていった。設計と展示制作は丹青社が担った。

 庭野開祖が生まれた菅沼は日本有数の豪雪地帯である。ミュージアムのエントランスは、その菅沼の雪をイメージした真っ白な空間から始まる。そこに展示された庭野氏愛用の「杖」に誘われて展示空間に進むと、中央に蓮のモチーフが描かれた大きな青い円盤(記憶の水盤)が待ちうけ、天井には菅沼の四季折々の風景の映像が投影される。
 この記憶の水盤を取り囲みながら、明治から大正・昭和、さらに平成へと、庭野氏の生涯の物語が、遺品・映像・グラフィックパネルや、タッチセンサーつきのシステムによって展開していく。
 圧巻は、晩年の庭野氏が胸に抱き続けた霊鷲山・天台山・比叡山の「三霊山」を映し出すシアターと、存命中の庭野氏が過ごしていた執務室の調度から愛用品までを、生活感そのままに移管して再現したコーナー。内覧会でもこのコーナーに長時間立ち尽くす人々の姿が目立った。

 「開祖記念館」は、6月4日以降に一般公開も予定されている。昭和を飾った庭野日敬氏の人間性と、セイゴオが「絶品」と称えるその笑顔にぜひ出会ってみてほしい。

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左)ヘルメットをかぶって工事現場を下見(3月)
中)工事告知看板前で、担当の小高利之さんと(3月)
右)庭野開祖の執務室展示を最終調整(5月11日)



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左)庭野開祖の生涯をめぐるグラフィックと展示。
中)霊鷲山・天台山・比叡山を現す「三山シアター」
右)佼成出版会の展示コーナーで。



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左)全国教会長を前にミュージアムの意図を講演(5月13日)
中)落慶式で記念スピーチ(5月14日)
右)庭野日鑛会長をミュージアムに御案内(5月14日)

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2006年5月12日

Diary 近頃のお気に入り

 ゴールデンウィーク中も、存分に「千夜千冊全集」の仕上げ作業に浸ったセイゴオ。今週は第四校の出来上がりを待ちわびながら、7巻分のあとがきや、第8巻『書物たちの記譜』(索引・年表・解説巻)に収録される「遊書論」執筆に勤しんでいる。一方で、長時間にわたる社内企画会議や社外ミーティングにも時間を惜しまず積極的に繰り出しては、苛烈なディレクションやディスカッションを放射している。

 あいもかわらず激務の日々なのだが、近頃のセイゴオは、赤坂ZEREビルの階段を昇り降りする足取りがやたらと軽い。足音もなくするすると忍者のように移動して、突然ワークルームに現れてスタッフを驚かせている。

 じつは、この軽業セイゴオの秘密は、最近いずこかで購入してすっかりお気に入りとなった「地下足袋」にあった。登場する先々で「どうしたんですか、それ」と聞かれては、ズボンの裾をまくって見せるのが楽しみらしい。地下足袋といっても、めっぽうポップな意匠なのである。お揃いの足袋靴下まで履いている。

 「地下足袋は実にいいよ。足裏にアスファルトやマンホールの感触が伝わってくるんだよ。」

 仕入れ先はヒミツだが、ショップで「松岡正剛さんですか」と声をかけられたとか。専属デザイナーがセイゴオファンなのだそうだ。

   
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「いろは地下足袋」を履いてご機嫌のセイゴオ

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2006年5月11日

Key Word ノスタルジアの風味

 松岡正剛の出身地といえば京都だが、セイゴオを育んだ“故郷”はどこかとなると、2歳から7歳までをすごした日本橋芳町もあれば、そのあいだに1年間だけ暮らした鵠沼もある。芳町ではよちよちと一人で出歩いては迷子になって大騒ぎを起こす頼りない幼少期を送っていたようだが、「松岡商店」の店構えから右隣の伊香保湯や、しばしば父に連れて行かれた人形町末広亭などを克明に覚えているらしい(「千夜千冊」第九一七夜『日本橋』参照)。また鵠沼は、江ノ電に轢かれそうになったことが松岡正剛の原初の記憶になっているほど、重大なトポスになっている。
 8歳のときに松岡一家は京都に戻ったが、すっかり「東京弁」の少年になっていたセイゴオは京都弁になじめずに、それが原因で吃音になってしまったと言う。京都に生まれながら、セイゴオ少年は京都の「異邦人」になってしまったのだ。

 しかし、そんな気難しい幼な心は父親から与えられたピカピカの自転車によって、たちまち変貌していった。数年後には野球のユニフォームを着たまま自転車で京都市中を上ったり下がったりして飛行しまくる「京都っ子」になっていた(「千夜千冊」第806夜『天使突抜一丁目』参照)。

 そこへ、二度目の「分断」が起こる。またしても父の突然の方針変更で、一家は横浜山手町に引越し、入学したばかりの朱雀高校から東京のど真ん中の都立九段高校に転校。セイゴオ15歳の春のこと。

 ぼくは京都の朱雀高校合格が決まった直後に横浜に越すことになり、神奈川県立の緑が丘高校やら希望ケ丘高校やらのフリーパスの編入先を蹴って、東京の九段高校の編入試験をうけた。京都弁はなおりそうもないし、入学式にはギリギリまにあったとはいえ、まわりは見知らぬ者ばかりで言い知れぬ不安が募った。(千夜千冊第507夜『女生徒』)
 ぼくは九段高校にいて富士見町教会に通い、演劇部の女生徒に憧れながらも、離れた京都が無性に恋しくて、こっそり京都に通っていた。(千夜千冊第351夜『山羊の歌』)

 二度にわたって、馴染んだ町かど、見知った顔と引き離された体験。そればかりではなく、8歳で京都の「異邦人」となり、15歳で東京の「異邦人」となったこと、しかもその京都と東京が背中合わせの鏡になっていたことは、松岡正剛の“郷愁感覚”に独特の捩れをもたらしたのではないか。 

実は、ノスタルジアは指定できないものへの憧れにもとづきながらも、その指定できないものからすらはぐれた時点で世界を眺めている視線なのである。  もっとはっきりいうのなら、ノスタルジアの正体は視線が辿るべき正体がないことから生じたものなのだ。したがってノスタルジアは過ぎ去ったものへの追憶ではなく、追憶することが過ぎ去ることであり、失った故郷を取り戻したい感情なのではなくて、取り戻したい故郷が失われたことをめぐる感情なのである。(第482夜『ノスタルジアの社会学』)

 この感覚を、松岡正剛は「香ばしい失望感」と呼び、また「遊星的郷愁」と名づけている。「遊星的郷愁」とは、地球に生まれ落ちてしまったことすら何かの喪失になっているという、ハイパー・ノスタルジック感覚である。日本橋界隈を小さな靴で一心に歩いた少年も、あるいは京都で自転車をスパークさせて疾駆していた少年も、きっと遊星になりたかったのだろう。

 ちなみにセイゴオが日本橋芳町時代に通っていた東華小学校は小学校適正配置計画によって統合されて中央区立日本橋小学校になり、京都時代に通っていた修徳小学校は閉校されて特別擁護老人ホームになり、初音中学校も今はすでになく、跡地には教育センターのビルが建てられているという。NHK「ようこそ先輩」の出演依頼も、帰るべき学校がないというセイゴオの告白を受けたディレクターが困惑したままで、いまだに実現していない。

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日本橋の東華幼稚園時代(4歳)

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2006年5月 8日

Publishing 5月発売-セイゴオの掲載誌

■月刊『ランティエ』6月号
ニッポンの忘れもの「野茂とイチロー」

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角川春樹事務所発行の「和」をテーマにした大人の男性向け総合誌・月刊『ランティエ』。セイゴオが連載を続けている「当世はやりものしらべ-ニッポンの忘れもの」も今回で5回目を迎える。時勢のニュースにリンクした話題と、現代人が思い出せなくなったニッポンの忘れものを軸に、セイゴオが縦横無尽に社会を編みこむエッセーです。『ランティエ』の詳細はコチラ


■月刊『大法輪』6月号
私と曼荼羅シリーズ「畏怖すべき立体曼荼羅」

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仏教専門誌『大法輪』の曼荼羅特集号にセイゴオが寄稿。テーマは「私と曼荼羅」。幼いころ東寺の講堂で始めて立体曼荼羅を見たときの畏怖の念。以降50回以上訪れた今でも一瞬にしてそのときの記憶が蘇えるという。そんなセイゴオと曼荼羅の接触点を切り口に、金剛界、胎蔵界、そして空海にまでふれたエッセーです。
 

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2006年5月 2日

Classic「対談21世紀 松岡正剛×いとうせいこう」(後半)

松岡正剛の出演テレビや雑誌記事、インタビューなど、これまでのたくさんの映像や文章を当「セイゴオちゃんねる」でときどきご紹介します。

その第一弾は、いとうせいこうさんと物語をめぐって語った「対談21世紀」。当時 オペラ プロジェクトで物語研究を手がけていたセイゴオに、いとうせいこうさんが率直な問いを投げかけます。

     番組名   : 「対談21世紀 松岡正剛×いとうせいこう」
     放送年月日: 1993年3月14日
     放送時間  : 30分
     制作    : NHK
     テーマ   : 『オペラ プロジェクト』


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「対談21世紀 松岡正剛×いとうせいこう」(後半)

M:松岡正剛   S:いとうせいこう

■物語の秘密

M:どうして人はファミコンのようなゲームの世界にすぐ入っていけるんだと思います?実は、さっきの話と関係があって、ゲームの世界にも「物語の型」が存在しているからだと思うんです。しかもその型は子供でも即座につかめる。これはプリミティブな例にすぎないけど、人はどんなことが分かるとその気になって次々とオペレートできるのかということが知りたいんだよね。それを拡大していくと国家同士の物語とか部族同士の物語とかにもつながるはず。それで、調査をつづけていたら、「物語の型」に一番関心をもって、すでに大成功している男がいたんだよね。だれだか分かる?

S:うーん。誰だろう。

M:ジョージ・ルーカス! 彼は、米国一の神話学者で英雄伝説のパターンを見出したジョゼフ・キャンベルの一番弟子で、そのキャンベルに教わったパターンどおりにつくった映画が『スター・ウォーズ』だった。ぼくが調べたなかでは、ルーカスフィルムでつくられているシナリオは、すべてキャンベルがつくった3つの英雄伝説を生かしている。

S:英雄伝説のパターンって?

M:セパレーション(旅立ち)、イニシエーション(試練)、リターン(帰還)という3段階構造。これは、キャンベルが70年の生涯のうち40~50年を世界中の英雄伝説の研究についやして見出したものなんだね。

S:そう言われると、たしかにルーカスの「インディ・ジョーンズ」もそうですよね。

M:彼らは「物語の型」に忠実なシナリオをつくるから、自信をもって表現技術にお金をかけられる。これはやられたと思ったね。


■人を吸引する鋳型

S:ファミコンの話しにもどりますが、たしかにドラゴンクエストにも「物語の型」がありますね。別れをともなう「セパレーション(旅立ち)」があって、戦うという「イニシエーション(試練)」、そして「リターン(帰還)」という流れで話が展開していく。ただ、不思議なのはイニシエーションのときに「隠れた母を捜す」というシナリオがついてくるところ。ここの部分は現代の社会事情から考えるとあんまりリアリティがない。でも、それが人を惹きつける鋳型になっているのかな。それにしても「瞼の母」時代の人間じゃない現代人が、そこに吸引されていくとは不思議ですよね。

M:そうだね、ぼくたちの中にも弱みがあって、それがあると「一杯のかけそば」のようにホロリとしちゃう仕組みがあるんだろうな。たとえば、橋田壽賀子さんが怒るかもしれないけど、「おしん」なんかは「シンデレラ」だと思うよ。こういうぼくたちの気持ちの底辺をうごめいている何か「シンデレラ」的なものや「おしん」的なものがある。それをこそコンピュータの中に入るべきじゃないかと思うわけ。

S:そうそう、そこですよ。それが画期的だと思う。その道筋をコンピュータの中に入れこめば、非常に共感性の高いインターフェイスができるわけでしょ。人間を吸引する鋳型の筋をもったソフトがあって、情報を入れるとわれわれに親しみやすい物語の形にして情報をアウトプットしてくれるとか。


■なにかを察知する

S:ちょっと別の話になるかもしれませんが、何かを見て、全く知らないはずのものから急に何かを思い出したりする感じってありますよね。たとえば、絵画を見ていて、悲しいものが描かれているわけではないのに、なぜか悲しくなる。ようするに、その絵のなかに思い出のパターンのようなものが埋め込まれていて、それを脳がキャッチすると「悲しい」という感情とリンクする。その一連の動きは、1度目よりも2度目、2度目よりも3度目のほうが強力な記憶通路をつくる。これが大きくなったものが物語であったり、神話になったりするんじゃないか。

M:きっとそうだろうね。歌にもそういう感覚が埋め込まれているね。都はるみの「北の宿から」なんて歌を聞くと、北の町に行ったこともないのにグッときてしまったりするでしょ(笑)。そういうものを社会学的に、あるいは心理学的に研究している例はあるけど、言葉と感情の動きの関係性をとらえるような研究はないんだね。
つまり、人は何かを見たり聞いたりすることで、悲しくなったり、喚起されたり、やる気が起こったり、しまったと思ったりする。先のことを瞬時に見通せる感覚をもっている。ぼくは、その道筋に興味がある。そんなことがコンピュータでできたらいいという思いがある。

S:コンピュータもだし、本とか他のメディアでも実現できそうな気がします。

M:そうそう。すでに「劇場」と「書物」の世界では実現しているね。ぼくは、シェイクスピアの舞台やバロックの書物のような、いろいろなコトやモノが起こせるシステムとか装置にすごく関心がある。


■人間の記憶装置

S:物語や神話というものは、もともと無文字社会から始まっていて、その時代の記憶は、琵琶法師の平家物語がそうだったように口承伝説がほとんどですよね。語り部の語りが記憶装置の一つだったし、また、能や歌舞伎みたいに物語をワキとシテに分けて動かすことでストーリーを認識するというのもその一つ。ようするに琵琶法師というフロッピーがあり、お能というフロッピーがあったと考えると分かりやすい。
それが18世紀にグーテンベルグの印刷機が登場して、人々が「書物」という新しいフロッピーの存在に気がついて、物語を文字で書き止めるようになる。そうすると次第に「書くこと」のウェイトがどんどん大きくなっていって、それまで「聞くこと」や「見ること」で覚えてきた身体的な記憶は、「書物フロッピーにはありません」という話になってしまった。メディアの主流からはずされてしまった。

M:そのとおり。印刷機が登場するまでは、人は書物を読むようにシェイクスピアの劇場に行き、新聞を読むように歌舞伎座に行っていた。当時は、そこに行かないとフロッピーがないから、人のほうが出向いていたわけだよね。そして、蝉丸とか団十郎というフロッピーに出会い、情報や物語を受けとっていた。今の時代は、自分の方に情報を寄せてくることが容易になったぶん、身体的な記憶装置や再現装置への感度も落ちているんじゃないか。オペラプロジェクトでは、そういうものも扱ってみたいと思っています。(完)

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2006年5月 1日

Classic 「対談21世紀 松岡正剛×いとうせいこう」(前半)

松岡正剛の出演テレビや雑誌記事、インタビューなど、これまでのたくさんの映像や文章を当「セイゴオちゃんねる」でときどきご紹介します。

その第一弾は、いとうせいこうさんと物語をめぐって語った「対談21世紀」。当時オペラプロジェクトで物語研究を手がけていたセイゴオに、いとうせいこうさんが率直な問いを投げかけます。

     番組名   :「対談21世紀 松岡正剛×いとうせいこう」
     放送年月日:1993年3月14日
     放送時間  :30分
     制作    :NHK
     テーマ   :『オペラプラジェクト』

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「対談21世紀 松岡正剛×いとうせいこう」(前半)

M:松岡正剛   S:いとうせいこう

■脳から引き出された物語

S:松岡さんは1990年から3年にわたって「オペラプロジェクト」(※1)を進めていますよね。「神話」をハイパーメディアの中にいれるという話のようですが、いったいなぜ、松岡さんがそんなことを始めたのか非常に興味があります。面白そうですが、どこがツボなのでしょう。

M:まず一つめは、ぼくはずっと昔から「脳」に関心があって、なかでもニューラルネットワーク上で情報がどういう形になっているのかということに興味がある。たとえばいま「京都」って言われたり、「大学時代」って言われると、急にいろいろなことが思い出される。何も言われなければ、情報は頭の中に入ったままで、かなりぐちゃぐちゃだったり、ランダムだったりするのに、一つの言葉を引き金に情報が連続的に引きずり出される。しかも、その情報にはたいていナラティビティ(物語性)がある。ぼくは、この仕組みが知りたかったんだね。

S:そのお話をうかがって、人に自分が見た夢を話すときと同じような感じかなと思いました。どんな夢だったと聞かれると、夢を物語のように語ることができますよね。でも、実際には人は夢を断片的でフラッシュ的にしか見てない。ところが、話すとなるとなぜか物語になってしまう。たとえば、「ニューヨークにいたはずの友達が、なぜか次にはカルフォルニアにいる」みたいに、「なぜか」でつなげるところに根源的なナラティビティーがある。

M:そうそう。それから二つめは、1歳から3歳くらいまでの子供を研究したときに気がついたことなんだけど、3歳くらいになるとある日突然、それまでは断片的にしか話せなかったことを急に物語として話せしまうようになるらしい。そこで「うちの子は天才かもしれない」って話になる(笑)。でも、それは天才ということではなくて、だれにでも起こることで、それがナラティブネットワークというか「記憶の鋳型」なんだね。
人間の脳にひそんでいる鋳型や雛形みたいなものと、人間が歴史の中で培ってきた神話、古典、喜劇、悲劇、踊りが、どうもどこかでシンクロしてつながっているのではないかということも、ぼくの大きな問題意識の一つだった。

S:脳の中にも鋳型がある。そうだったのか。

M:三つめは、ぼくはもともとコンピュータに関心があって、とくにハイパーマルチなメディアに関心が強いということ。いまのコンピュータは個人のプライベートな感覚に非常に近くなっているのに、これほど脳と関わりのある「物語」を入れ込む仕組みがない。
だいたい今のパソコンの機能は、あきらかにデスクトップのメタファーだから、机の上に鉛筆があります、消しゴムがあります、棚があります、近くにゴミ箱がありますという感覚で終わってしまっている。もったいない。だから、もう少しいろいろなものを入れて物語脳(ナラティブブレーン)っぽいメディアをつくれないかなと考えている
この3つをぐるぐるまわしているうちに、ナラティビティとコンピュータ的なアーキテクチャーを一緒に考えようとか、プログラム言語自体に物語性をつけてみようという発想になってきた。それがオペラプロジェクトになったわけです。


■相似的原型性

S:神話をハイパーメディアの中にいれてみようとするなかで、「これは確かに日常的に夢を人に語るのと同じ構造だ」というような、なにか確信的なことはあります?

M:そうだねえ、たとえば「シンデレラ」という物語には、少なく見積もっても340くらい、多くみれば840くらいのバージョンがある。ただし、シンデレラは末娘ではなく姉だったとか、道の向こうから歩いてきた子がシンデレラだったとか、失くしものがガラスの靴ではなくスリッパだったとか、いろんなバリエーションがあるんだね。そのバリエーションの数だけ細部が違っていて、ちょっと聞いただけだととうてい同じシンデレラとは思えない。でも、多くの人がすぐに「なんかその話、シンデレラに似ている」と感じる。日本の三大話「桃太郎」「一寸法師」「浦島太郎」なんかも、どこか似ているでしょう。最後に宝物を手にしたり、未知の国へ行ったり、その途中でさまざまな試練があったり。こういうふうに物語の原型が脳の情報システムにやってきたときに「似ている」と感じることが重要で、そのとききっと脳の中にある「相似的原型性」に思い当たっているんでしょうね。面白いでしょ。

S:聞いていてワクワクしてきました。

M:面白いでしょ。

S:それをどうリンクさせるかということにすごく興味があります。世界の物語にはそれぞれ算盤ではじき出したようなパターンがあるということをノースロップ・フライが文化人類学的にすでに言っていますけど、話はそこで終わらないわけですね。つまり、あるパターンをふまえると、それは「シンデレラ」の話に似るというようなことが現実にあって、物語以外にも人間が日常生活においてモノを考えるときのパターンがあって、それがある意味「装置」として脳のなかに埋め込まれているということなんですね。

M:そうそう。


「オペラプロジェクト」(※1)
情報の「物語性」と、物語の「マルチメディア性」に注目した松岡正剛が、総合的な情報文化技術を開発する目的で発足したプロジェクト。高山宏、荒俣宏、黒崎政男、室井尚、田中優子、杉本圭三郎さんらが参画。世界の古今1000の物語を選定し、これを電子化するとともに共通のアーキテクチャーを設計するというところからスタートした。さらにそこから多様なメディアやツールを開発していこうというもので、その100の物語(ギリシア物語、『平家物語』、『ファウスト』、『白鯨』など)は、必ずどこかで何通りもの連関をもつように構想されていた。


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