セイゴオちゃんねる

2007年4月 3日


Classic 対談 セイゴオ×網野善彦 「職人の系譜から探る中世社会と京都の町」


 1998年6月、JR東海主催の「歴史の歩き方」講座で、「職人の系譜から探る中世社会と京都の町」をテーマに、日本中世史研究者である網野善彦さんの講演とセイゴオとの対談が行われました。中世の職人や芸能者から漂白の民までを独自の視点で深く読み解く網野さんと、京都の職人世界をよく知るセイゴオの掛け合いを“解凍”してお届けします。

■百姓の中の多様な職人

網野:数十年前までの歴史学会では、明治の産業革命以前の日本は水田を基本とした農村社会であり、「職人」と呼ばれる人は非常に少なかったと考えられてきました。
 しかし「百姓」はもともと“百の姓”という意味で、農民だけを指したものでありません。また実際にも「百姓」といっても農業だけをしていた人は少なく、多くの「職人」が含まれていました。それらをすべて同じくくりで捉えては、歴史は正しく見えてきません。

セイゴオ:中世の「百姓」には、例えばどのような職人がいたんですか。

網野:例えば漆器職人がいます。漆の木は国に管理されていましたし、中世には漆器を年貢として納めていた百姓がいたことがわかっています。しかし工芸品としての漆器の研究は行われてきましたが、百姓が漆器を作る技術を持っていたことはあまり研究されてきませんでした。
 同じように養蚕を生業としていた「蚕民」も、今日では百姓のうちに含まれています。しかし中世では農業と養蚕ははっきりと区別されていた。男性中心の農業に対して、養蚕は女性中心。「農夫」と「蚕婦」は古代から対句になっています。漆と同じように桑の木も国に管理され、税金も別にかけられていた。また年貢を絹で出している機織の職人もいました。

セイゴオ:養蚕や機織は世界的にみても女性の職業ですね。

網野:そうです。この織物に必要な綿を扱う人々を「綿神人(わたじにん)」と言い、「神人(じにん)」とよばれる職人のルーツになります。

■祇園祭にみる京都の職人

セイゴオ:先生のご研究にも何度も出てくるのですが、「神人」とか「犬神人(いぬじにん)」とよばれる人たちはいったい何を指しているのですか。

網野:神人とはもともとは、「神に属する、人ならぬ存在」を指す語でしたが、10世紀以降は神社に使える下級神職と考えるのが普通です。元来は「穢れを清める存在」で、神の代行者でもあり、刑の執行者でもあった。例えば罪を犯した人の家を壊したりする。その神人の中から芸能者や職人、商人などさまざまな職能者がでてきます。12世紀頃までは神人は畏敬されていました。しかしそれ以降、軽視されるようになります。
 その神人に「犬」を冠した犬神人は祇園社に隷属し、社内の清掃や山鉾巡礼の警護、京都の町の清掃や葬送を行っていました。

セイゴオ:京都の代表的な祭のひとつである「祇園祭」をみても、お稚児さんとか禿とか職名で呼ばれる人がたくさんいます。私は京都で生まれ育ったので、小さい頃から祇園祭に親しんできた。当時は禿の意味をわからなかったのですが、後々網野先生の歴史学の本を読むようになって、これは大変な職業なんだということがわかってきました。

網野:そうそう。隷属している職能者たちが大切な役目をつとめる。祇園祭のとき犬神人は先頭に立つんですよ。それから放免が長い矛をもって歩く。このことは大変おもしろい。重要な意味があると思います。

セイゴオ:罪人の管理者から町衆から武家まで、さまざまな職業の人が集まってひとつの祭りを執り行なう。そして毎年「お前は禿の役だ」とか言い合っているわけなのですから、京都は本当に奇妙な町ですね。

網野:「町」という単位で自治的な組織ができてくるのが、京都の特徴ですね。

セイゴオ: 私の家は呉服屋だったので、たくさんの職人の方々が出入りしていました。京都の呉服屋は「悉皆屋(しっかいや)」ともいわれ、これは「悉く皆」と書くわけですから、生地職人、染職人、お針子、扇子職人などありとあらゆる職人を集め、それぞれが最高の技術を出し合ってお得意さんの注文に応じた品を作っていく。多様な職人世界を背景に京都という町が仕上がっていることを実感していました。

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■動く職人のネットワーク

セイゴオ:一方、京都では 「出職(でしょく)」と呼ばれる職人も活躍していましたね。この職人たちは店を構えたり家で仕事をした「居職(いしょく)」に対して、各地の現場に赴いて仕事をした。
 特に「鋳物師(いもじ)」たちは中世社会に大きなネットワークをつくりましたよね。

網野:日本の鋳物師は青銅と鉄を一緒に扱っていました。中世から近世にかけて、鋳物師の管理をした真継家に伝わる『真継文書』などから、11世紀ぐらいには天皇直属の鋳物師が登場したことや、梵鐘を作る鋳物師が鍋釜を作ったりしていたことがわかっています。
 12世紀頃になると右方の鋳物師、左方の鋳物師、東大寺の大仏を作ったといわれる東大寺鋳物師の、大きく分けて三種類の鋳物師の組織ができます。右方の鋳物師は、朝廷に鉄燈籠を献上したことから、課役免除と通行自由を得て諸国を廻ったといわれています。一方、左方の鋳物師は、海を廻って塩を焼く釜の供給や古釜の回収や修理をしたといわれている。そして後に鋳物師の下に「鋳掛屋(いかけや)」という、修理だけをする人が出てくる。この鋳掛屋も出職です。

セイゴオ:なぜ日本の歴史学や民俗学は、職人や漂白の民を重視できなかったのか。それは資料がなかったからなのか、それとも日本人の歴史観そのものに戦前から戦後にかけて間違いがおこったのか。

網野:やはり明治以降、ヨーロッパから農業を基本とした考え方が導入され、百姓を全部農民にしてしまったことが大きく影響していると考えられます。百姓という言葉自体を軽視したことも問題です。

■歴史をみるいくつもの視点

セイゴオ:網野先生が、多種多様な職人のルーツを中世までさかのぼって研究してこられたおかげで、我々は初めて“中世の職人”や“職能者のネットーワーク”の存在を知り、従来の歴史観とは違う視点を持てるようになりました。しかしまだまだ謎が多いですね。

網野:もっと歴史の中に入って、そこから考察していくことが必要です。そもそも明治以降の学問は、外国語の翻訳で考えられてきました。例えば「資本」は翻訳語。最初から日本にあった言葉は「元手」です。今の日本には「資本論」はあるけれど「元手論」はない。

セイゴオ:「元手論」の方がよかった。(笑)

網野:もちろん「資本」を使っているから世界と対等に話せるというプラス面はあります。しかし「資本」を「元手」といったときの違いは確かにある。私は日本人の生活に即した学術用語を、研究者はもっと本気で考えなければいけないと思う。

セイゴオ:そういう意味では網野先生も在籍されていた「日本常民文化研究所」の創設者である渋沢敬三氏が「常民」という言葉を作ったことが大きかった。
 もともとある言葉を研究に使っていく場合と、新たに世界を横目で見ながら包含するような新概念を作っていく場合の両方がありますよね。

網野:ええ、両方なくてはいけないとおもいます。深く探る一方で、やはり特殊に埋没してはいけない。例えば「常民」という言葉も、私は朝鮮半島の言葉だと思うのです。調べたところ日本語の語彙にはありませんでした。
 渋沢さんがあの言葉を使われたのは、「百姓」や「農民」や「平民」や「人民」以外で本当の庶民を言い表す言葉はないかと考えたときに、日本語ではないために逆に色がついておらず、しかもわかりやすく妥当な言葉として「常民」という言葉を借りてきたのではないか。そのような工夫を我々もしなくてはいけない。ヨーロッパの翻訳語で我慢しているだけでは具合が悪いのです。

セイゴオ:職人の世界だけを考えても、想像以上にダイナミックで何層にもわたっていることがわかります。我々は歴史そのものに対して長い間迷妄の中にいたのかもしれません。世界史的な見方と日本の中から歴史や言葉の意味を考えていくことと、いくつもの視点を動かす見方が今後ますます必要になりますね。

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2006年8月24日


Classic 「100冊の日本を語る」(3/3)


 1999年の静岡市図書館での講演を、3回に分けて“解凍”してお届けしています。
 今回はその最終回。100冊の本によって日本を語るというセイゴオ初の試みが、江戸から現代まで、さらに加速していきます。

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100冊の日本に「乾杯!」

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セイゴオ・クラシック「100冊の日本を語る」第3回

41. 朱舜水  石原道博  吉川弘文館・人物叢書
42. デザイナー誕生  水尾比呂志  美術出版社
43. 慎思録  貝原益軒  講談社学術文庫
44. 折りたく柴の記  新井白石  中公文庫
45. 田沼時代  辻善之助  岩波文庫
46. 本居宣長  吉川幸次郎ほか  岩波書店・日本思想大系
47. 雨月物語(上・下)  青木正次全訳注  講談社学術文庫
48. 大江戸視覚革命  タイモン・スクリーチ  作品社
49. 江戸の科学者たち   吉田光邦  社会思想社・現代教養文庫
50. 近世畸人伝・続近世畸人伝  伴蒿蹊・三熊花顛 平凡社・東洋文庫
51. 芭蕉 おくのほそ道  萩原恭男校注  岩波文庫
52. 蕪村集・一茶集  川島つゆほか校注  岩波書店・日本古典文学大系
53. かぶきの美学  郡司正勝  演劇出版社
54. 鶴屋南北 綯交ぜの世界  森山重雄  三一書房
55. 八犬伝の世界 伝奇ロマンの復権  高田衛  中公新書
56. 名ごりの夢 蘭医桂川家に生れて  今泉みね  平凡社・東洋文庫
57. 落語名人伝  関山和夫  白水社・Uブックス
58. 浅草弾左衛門(全3巻)  塩見鮮一郎  批評社
59. 非常民の性民俗  赤松啓介  明石書店
60. 高野長英  鶴見俊輔  朝日新聞社・朝日選書
61. 幕末の天皇  藤田覚  講談社選書メチエ
62. 高杉晋作  古川薫  文春文庫
63. 開国 世界における日米関係  伊部英男  ミネルヴァ書房
64. 鹿鳴館の系譜  磯田光一  講談社文芸文庫
65. <青年>の誕生  木村直恵  新曜社
66. 「国語」という思想  イ・ヨンスク  岩波書店
67. 「文明論之概略」を読む(全3巻)  丸山真男  岩波新書
68. 逝きし世の面影  渡辺京二  葦書房
69. 明治維新史研究  羽仁五郎  岩波文庫
70. 博徒と自由民権  長谷川昇  平凡社
71. 大阪をつくった男 五代友厚の生涯  阿部牧郎  文藝春秋
72. 韓国併合  海野福寿  岩波新書
73. 代表的日本人  内村鑑三  岩波文庫
74. 武士道  新渡戸稲造  岩波文庫
75. 茶の本  岡倉天心  岩波文庫
76. 神国日本 解明への一試論  ラフカディオ・ハーン  平凡社・東洋文庫
77. 黙阿弥の明治維新  渡辺保  新潮社
78. 川上音二郎  松永伍一  朝日出版社・朝日選書
79. 和魂洋才の系譜 内と外からの明治日本  平川祐弘  河出書房新社
80. 漱石文明論集  夏目漱石  岩波文庫
81. 藤村詩抄  島崎藤村  岩波文庫
82. 樋口一葉集  樋口一葉  ちくま日本文学全集
83. 与謝野晶子歌集  与謝野晶子  岩波文庫
84. 日本文壇史(全24巻)  伊藤整  講談社文芸文庫
85. 大杉栄評論集  大杉栄  岩波文庫
86. 工藝文化  柳宗悦  岩波文庫
87. 北大路魯山人(上・下)  白崎秀雄  中公文庫
88. 西田幾多郎集  西田幾多郎  筑摩書房・現代日本思想大系
89. 禅と日本文化  鈴木大拙  春秋社
90. 日本精神史研究  和辻哲郎  岩波文庫
91. 矢内原忠雄伝  矢内原伊作  みすず書房
92. 日本浪漫派批判序説  橋川文三  未来社
93. 回顧録(上・下)  牧野伸顕  中公文庫
94. 敗者の精神史  山口昌男  岩波書店
95. 日本社会の歴史(全3巻)  網野善彦  岩波新書
96. 昭和史発掘(全7巻)  松本清張  文春文庫
97. 黒衣の短歌史  中井英夫  潮出版社
98. ヤクザと日本人  猪野健治  現代書館
99. 年表 女と男の日本史  藤原書店
100. 日本文化総合年表  古市貞次ほか編集  岩波書店


■朱舜水と水戸イデオロギー

 41冊目は石原道博さんの『朱舜水』です。朱舜水という人物をご存知ですか。
 じつは、朱舜水に関する本はこの1冊しかありません。朱舜水は中国の「明末清初」、すなわち漢民族の明王朝が衰亡し満州族による清王朝がとって代わるという変転の時代を生きた儒学者であり、日本人の歴史観に多大な影響を与えた人物です。明の再興を図ってしばしば日本を訪れていた朱舜水を、礼を尽くして迎え入れたのが将軍家綱の叔父に当たる水戸藩主・徳川光圀、つまり水戸黄門でした。

 朱舜水は光圀に本場の朱子学と陽明学を教え、さらに日本史をいろいろと研究した上で、「日本の王朝は、南朝こそ正統である」と言い出します。後醍醐天皇の南朝のことですね。また朱舜水は後醍醐を支えた楠木正成のことを高く評価しました。それまでの日本人は楠木正成の忠臣忠義を評価するような言葉をもっていなかった。朱舜水の指摘によって、北朝に負けた“南朝”の存在や、その後「南朝ロマン」と呼ばれたような考え方が初めて水戸藩の中で再浮上したわけです。
 これは、漢民族最後の明王朝の誇りをもって落ち延びてきた朱舜水だからこそ言い得た思想でした。その影響を受けて、日本において水戸学あるいは水戸イデオロギーと呼ばれる思想が生まれていくわけです。

■日本のアートを変えた法華衆

 一方、民衆や町衆の中からは、個人の才能をそのまま国にぶつけていく人が出てきました。そのスタートを切ったのが、意外なことに法華衆たち、すなわち法華教の信徒たちです。
 法華衆に関してはいまだにいい本が出ていないので、100冊のリストには入っていませんが、たとえば狩野派、長谷川等伯、俵屋宗達なども法華衆でした。ちょうど今、私もこのあたりのことについていろいろ研究していまして、まだタイトルは決めていませんがいずれ本にして出版する予定です(注:2003年に五月書房より『山水思想』として刊行)。
 その本では「なぜ法華衆が日本のアートを変えたのか」という根本的な問題に挑戦しようと思っています。それまで中国の禅宗の影響を受けた水墨画を描いていた日本人が、はじめて日本の山水というものを描きはじめた。等伯の『松林図』などは、中国の水墨画にはなかったような構成とテクスチュアで描かれた傑作です。なぜそういうものを等伯は描くことができたのか。その謎を追いたいと思っています。

 42冊目の水尾比呂志さんの『デザイナー誕生』という本も、宗達をはじめとする何人かの琳派の絵師たちが、いわゆる今日デザイナーと呼ばれる人びとの先駆だったのではないかという視点で書かれた本です。今読みなおすと甘いところも多い本ですが、当時はこういう視点はとても新鮮なものでした。

■学問も芸術も開花した田沼時代

 幕府が中国からの自立をはかり鎖国政策を取ったことにより、学問や思想、あるいは経済や物産、アートや文芸などにおいて、日本独自の文化文物が多様に生まれていきました。
 43冊目の『慎思録』は、儒学者である貝原益軒が豊富な人生経験を踏まえて書き綴ったものです。貝原益軒はまた『大和本草』という本も著していますが、これは日本で初めての、日本の博物学の本でした。それまでの日本は、中国から輸入した博物学に頼っていたんですね。
 44冊目の『折りたく柴の記』は、新井白石が自分の生涯を綴った素晴らしい自伝です。白石は、のちに東の大関・熊沢蕃山、西の大関・新井白石と並び称されたほどの最高位の学者で、儒学と和学の両方を修めています。

 江戸も中期以降になると、文化も経済も爛熟期を迎えます。とくに宝暦・天明時代は田沼意次の幕政改革でよく知られますが、一方で浮世絵や戯作などが爆発的に開花した注目すべき時代です。「宝天時代」とも言う。この時代のコンセプトを一言に集約するとすれば、「見立て」ということがあげられるでしょう。要するに、皆さんが江戸文化の特徴だと思っているもののほとんどが、じつはこの宝天時代、田沼時代に開花した。
 45冊目の『田沼時代』は、こういったことを大歴史学者の辻善之助が書いた名著です。
 また同じくこの時代に登場したのが、国学の本居宣長であり小説家の上田秋成です。リストでは46冊目の吉川幸次郎さんの『本居宣長』と47冊目の上田秋成の『雨月物語』を紹介しておきます。

 田沼時代には西洋の科学も入ってきます。日本で初めて油絵を描いた司馬江漢のような人も出てくる。そんな江戸の不思議なビジュアル革命、レンズという技術に出会った日本人がそれを浮世絵にしてしまうプロセスを書いた本が48冊目のタイモン・スクリーチ『大江戸視覚革命』です。
 スクリーチは、ロンドン大学にいる私の友人です。本当はこういう本をこそ日本人が書くべきなんですが、驚くべき本です。スクリーチは何冊も日本について書いていますから、ぜひ読んでみてください。イギリスきっての日本通です。

 江戸時代には、たくさんの科学者がいました。先ほどの貝原益軒は博物学者でしたし、稲生若水のような薬学者、天文学を説いた渋川春海などもいた。つまり、朱舜水によって日本人が南朝の記憶を呼び戻したことで、あらためて日本という国に立ち返ってグローバライズをかけることができたのが江戸の科学者たちなんですね。伊能忠敬もそうです。彼は測量術をマスターして、はじめて実測で日本地図をつくりあげました。
 そう考えると、日本の徹底化を図った江戸のグローバリゼーションに対して、平成のグローバリゼーションは大違いですね。江戸時代というのは、蘭学も地学も鉱物学も追いかける一方で、まさに道元の説いた日本的山水や而今の山水をも追いかけた。洋も和も同時並行で進めていたわけです。
 49冊目の吉田光邦さんの『江戸の科学者たち』を読めば、江戸時代にいかに多くの日本人の才能が開花したかがわかるでしょう。吉田さんというのは京都大学の人文研の所長を最後にされた人です。また、科学者に限らず江戸時代のおもしろい人物を50人取り上げたのが、50冊目の伴蒿蹊『近世畸人伝・続近世畸人伝』です。

■江戸の文芸と物語

 ここで、江戸の文学をおさらいしてみましょう。まず、俳諧で名を馳せた松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶。51冊目の芭蕉『おくの細道』、52冊目の『蕪村集・一茶集』ですね。
 また53冊目の郡司正勝さんの『かぶきの美学』に詳しく書かれていますが、元禄以降は歌舞伎が盛んになって、近松門左衛門や鶴屋南北の書いた物語が歌舞伎で大当たりします。54冊目にあげた『鶴屋南北 綯交ぜの世界』は、『東海道四谷怪談』と『忠臣蔵』を入れ子にして複雑な虚実皮膜の物語世界を作り出した南北について書いている本です。
 また、中国の話を日本の物語に翻案するという手法も生まれ、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』などが人気を呼びます。八犬伝に関する本としては55冊目・高田衛さんの『八犬伝の世界-伝奇ロマンの復権』がおすすめです。上田秋成の『雨月物語』も、ほとんどが中国の白話小説を下敷きにしていました。

 56冊目にあげた今泉みねの『名残の夢』は、安政時代に生まれたみねが娘時代を偲んで、切々と幕末から明治時代までを語った聞き書きの本です。とてもいい女性の語りです。
 江戸後期になると、町民も男女を問わず芸能や戯作を楽しみ、さかんに習い事もしていました。57冊目・関山和夫さんの『落語名人伝』に描かれているように、ついには東海道を旅すること自体が日本の戯作であるということまでたどりつくわけですね。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』はその典型でした。

■江戸のアウトローと維新の博徒

 江戸社会では、かつての貧民世界や差別世界というものが、ある別な意味を持って新たに浮上していきます。それまで差別階級の人は、黄色い服を着せられたユダヤ教徒と同じように、柿色の被りものや衣を着せられてひっそりと影をひそめて暮らしていたのですが、江戸に浅草弾左衛門という人物が登場し、関東一帯の被差別民のリーダーとして勢力をふるうようになると様子が変わってきます。
 弾左衛門は普通の町民たちがやりたがらないような職業のいっさいを仕切ることによって、江戸社会のインフラを牛耳っていくわけですね。また歌舞伎の興行権を握って、市川団十郎と威勢を張ったとも言われます。当時の闇の世界のトップだった。
 この浅草弾左衛門の下に車善七という乞食の大将がいたんですが、これが本宮ひろしの書いた『男一匹ガキ大将』のモデルです。この車善七と組んで、弾左衛門はいわゆる鉄火肌の世界、任侠や仁義の世界、そして「いなせ」という世界を代表していくわけです。江戸の庶民たちも、こういったアウトサイダーやアウトローの世界におおいに沸いた。こういった世界については、59冊目・赤松啓介さんの『非常民の性民俗』に詳しくふれています。

 こうして時代は幕末へ向かいます。蘭学者の高野長英は、欧米列強の外圧や飢饉や一揆の増加を懸念して、その解決の糸口を蘭学にもとめ、開国を強く主張します。60冊目・鶴見俊輔さんの『高野長英』にはその当時の模様がよく描写されています。
 幕末を知るためには、61冊目・藤田覚さんの『幕末の天皇』もぜひお読みいただきたい。藤田さんが取り上げた「幕末の天皇」とは、光格天皇と孝明天皇です。よく「織田がこね、豊臣がつきし天下餅、食うは徳川」と言いますが、それになぞらえれば、光格天皇が王権の復活を宣言し、孫の孝明天皇がそれを王政復古の餅にした。ではそれを誰が食べたのかといえば、明治天皇です。
 御存知のように、幕末は勤皇派と佐幕派が激しく対立しましたが、アウトローたちもまた勤皇博徒と佐幕博徒の二派に分かれて争いました。62冊目・古川薫さんの『高杉晋作』には、長州に生まれた尊王倒幕の獅子・高杉が、勤皇博徒である日柳燕石(くさなぎえんせき)の盟友だったという話が書かれています。

 明治維新というのは、薩長土肥のリーダーたちがこうした勤皇博徒と佐幕博徒を巧みにコントロールしながら、さらに民権博徒をつくっていったプロセスでもあります。また秩父困民党に代表されるような農民運動をどのように巻き込み、どのように弾圧するかという時代でもあった。このあたりがわからないと明治維新はわからないんです。

■日本語と国語の問題

 日本という国は明治時代に、ちょっとした勘違いをしてしまうんです。63冊目・伊部英男さんの『開国―世界における日米関係』に、そのことがうまく書かれています。何を間違えたのかというと、王制復古を間違えてしまった。
 明治天皇は、今回の100冊の前半で私が語ったような古代以来の天皇とはまったく別の、近代国家づくりのために作られた天皇像を体現してしまった。日本は列強に伍するために、憲法をつくり議会政治を取り入れながら、その頂点に天皇を頂いた立憲君主制の国になった。それが必ずしも思想的・制度的にしっかりしたシステムではなかったために、日本が今でも「君が代」や「日の丸」問題でいろいろとつまずく要因を生み出してしまったと言えるでしょう。

 そのあたりを解いていくための本を何冊かあげておきます。
 まずは、64冊目・磯田光一さんの『鹿鳴館の系譜』です。これは与謝野鉄幹と与謝野晶子が中心になった『明星』などを素材にしながら、鹿鳴館がどのように日本を変えたかということを書いています。そして65冊目・木村直恵さんの『青年の誕生』は、明治以降、日本に初めて「青年」という言葉が生まれたということを書いています。
 それまで日本には「藍」という色の感覚はあったんですが「青」はなかった。その「青」が大正時代に「青年」や「新青年」という言葉となって大流行します。「青年」は日本にはなかったヨーロッパの概念でした。女性解放を象徴する「ブルーストッキング」やそれを日本化した平塚雷鳥の「青踏」も同じです。

 この時代、日本は西洋から新しい概念用語を取り入れ、それらを翻訳して「社会」や「哲学」や「存在」といった新しい言葉を次々と生み出しています。「青年」という言葉もその一つだったわけです。
 こういう翻訳語を生み出す工夫はすばらしかったのですが、一方で欧米に伍するためには日本も英語やローマ字を使用すべきだという極端な考え方をとる学者や官僚もいた。初の文部大臣となった森有礼はその代表です。
 もちろんこのような考え方に真っ向から反対した人々も多かった。こうして日本語の将来をどう考えるかという議論が沸騰し、「国語」というものについての意識が高まっていく。
 65冊目のイ・ヨンスク『「国語」という思想』 は、この時代の日本における「国語」意識が、やがて国家意識や大東亜共栄圏といった考え方と重なってしまったという歴史を解いた本です。イ・ヨンスクは韓国の言語学者です。

 このように近代化に邁進する日本に大きな影響を与えた本として、福沢諭吉の『文明論之概略』はぜひ一度は読んでおきたい本ですが、それを読み込んだ丸山真男の『「文明論之概略」を読む』を今日はあげておきました。67冊目です。これも必読書のひとつだと思います。
 68冊目の渡辺京二さんの『逝きし世の面影』は、幕末・明治に日本を訪れた外国人たちが残した日記を材料として、近代日本が失っていったものが何だったのかを浮上させたすばらしい本です。そのことを、外国の人が見た日本人への眼差しだけで書いている。これはまあコロンブスの卵のような手法ですね。でも、そういうやり方でしか日本を書けなくなってしまったということは、一方で今の日本の大きな課題です。

 日本の近代化の問題は、どの視点から当時の日本を読み解いていくかということが大変重要です。たとえば69冊目・羽仁五郎さんの『明治維新史研究』は、世界史的な観点から明治維新をいうものをとらえた力作です。
 またさきほど、明治維新とは、勤皇博徒と佐幕博徒を巧みにコントロールしながら、さらに民権博徒をつくっていったプロセスでもあったということを話しました。そのことについて詳しく書いている本が、70冊目の『博徒と自由民権』です。この本は、博徒の側から明治というものを描いています。

 71冊目の阿部牧郎さんの『大阪をつくった男 五代友厚の生涯』は、富国強兵策をとる政府の方針に呼応しながら、日本経済を大きく動かしていった人物を取り上げています。五代友厚は薩摩藩士から実業家に転身して、大阪株式取引所や大阪商工会議所をつくり、貿易や鉄道事業などを次々と起こしました。西の五代に対して、東では渋沢栄一が登場し、なんと500以上もの企業の設立にかかわりました。

 日本がやがて富国強兵の矛先を、ジアの諸外国に向けてしまったという歴史は、その後現在にいたるまで、日本の外交問題に難しい課題を残しました。とりわけなぜ日本が「韓国併合」を起こしてしまったのかという問題は、今もたいへん解きにくい、しかしそこを解くことがどうしても必要なテーマです。72冊目に海野福寿さんの『韓国併合』をあげておきましたが、日韓問題については、4冊目にあげた『日本古代史と朝鮮文化』にまで立ち戻る必要もあります。今日の議論は、従軍慰安婦のような問題にちょっと狭めすぎているような気がしますね。もっと議論の領域を歴史的に広げるべきではないかと思います。

■日本的キリスト教と和魂洋才

 73冊目の内村鑑三の『代表的日本人』、74冊目の新渡戸稲造の『武士道』、75冊目の岡倉天心の『茶の本』、76冊目のラフカディオ・ハーン『神国日本 解明への一試論』。これらの本は、グローバルな視点から日本本来のあり方を深く見つめ、そのことを世界に向けて訴えた本です。
 内村鑑三はキリスト者となりながら、「2つのJ」に悩みました。1つのJはジーザス、もう1つのJはジャパンです。内村はアメリカ最高の神学校に入ったのですが、アメリカのキリスト教信者があまりに功利的であると感じ、日本には日本独自の倫理観のようなものがあるのではないか、それはキリスト教に匹敵するほどすばらしいものだったのではないかということに気づくのです。それは一言でいえば「惻隠の情」とういうものでした。
 つまり、キリスト教には本来の惻隠の情、憐憫の情というものがあるはずなのに、アメリカ人はそれをすっかり失っている。しかし日本人はキリスト教からではなく、儒学や武士道や仏教の影響のなかでそういった精神をずっと継承してきたのではないか、と指摘しているのです。そういうものを内村は日本的キリスト教と呼びました。そして、日本人のなかから5人の代表的な日本的キリスト教者を見出し、『代表的日本人』を著した。その5人がいったい誰か、ご存じですか。

 驚くべきことに、内村は西郷隆盛、中江兆民、二宮尊徳、上杉鷹山、日蓮の5人こそが、日本的キリスト者であると言ってのけています。すごい視点ですね。しかもこの本は英語で書かれています。海外に向けて書かれた本だったんです。

 74冊目の新渡戸稲造の『武士道』も、キリスト者である新渡戸が、日本人の武士道のなかに崇高なキリスト者的精神があるということを、英語で綴ったものです。新渡戸は、ヨーロッパに留学したときに、ベルギー人の神父から「日本人は宗教教育というものもしないで、どうやって倫理というものを教育しているのか」と問われて悩んだんですね。そして日本人の精神をいろいろと見つめて行きついた先が「武士道」だったんです。
 新渡戸はこのように書いています。武士道にはキリスト教の説く精神のほとんどがある。ただし、たったひとつだけ欠けているものがある。それは「愛」である。私は武士道に「愛」を入れることによって、日本的キリスト教を完成させたい、と。

 75冊目の岡倉天心『茶の本』は、茶道の精神や方法は、西洋のどんな文化をもっても太刀打ちできないほどの合理と美意識に根ざされたものであるということを、やはり英語で高らかに宣言しています。
 『代表的日本人』も『武士道』も『茶の本』も、ほぼ1900年前後に立て続けに海外で出版され、各国で翻訳されていずれも大ベストセラーになっています。

 内村や天心が海外で日本の精神や美徳を説く本を発表した時期とほぼ同じころ、日本の芸能を海外に持ち出して大人気となった人物がいた。78冊目に取り上げた川上音次郎です。
 川上音二郎は、伊藤博文が6歳から育てた芸者の貞奴と結婚し、アメリカに渡って日本の新劇を興業して大成功をおさめ、さらにはパリ万博で人気を博し、日本人として初めてベルサイユ宮殿にも乗り込みました。しかし海外では大成功を収めたものの、日本の新劇は川上音二郎を迎え入れませんでした。
 ちなみに、日本初の女優とまで言われた貞奴は、音二郎の死後は、福沢諭吉の甥で日本の電力王と呼ばれた福沢桃介と結ばれました。木曽川の電源開発に取り組む桃介を支えて、当時の財界人や外国人技師たちをもてなすマダムとして活躍しました。岐阜県の鵜沼というところに、貞奴がつくった別荘が今も残っています。構造もデザインもまさに和魂洋才の精神が生き生きとしているすばらしい別荘です。音二郎や貞奴があれほど海外で人気を得た秘密は、おそらくこの「和魂洋才」の精神であり表現だったのだろうと思います。

 79冊目に、平川祐弘の『和魂洋才の系譜』を取り上げておきました。明治時代にすばらしい和魂洋才を発揮した人物たちがいたにもかかわらず、次第に日本は「和魂」を失ってしまった。何が和魂なのかがわからなくなってしまった。そのことを、しつこいほどに追って書かれた名著です。

■日本をどう考えるか

 80冊目は夏目漱石の『漱石文明論集』。漱石が神経衰弱に悩みながら書いた文明論です。この中に「私の個人主義」というエッセーがあります。ぜひ読んでください。漱石の説く「個人主義」というものが理解できれば、今の日本の個人主義がいかに間違っているかがわかるでしょう。漱石は、個人主義というものは国家の浮沈によって寒暖計のように上下するものだということを書いているんですね。つまり、漱石の個人主義というのは、まず国家のことを考えていなければならない、ということを前提とした個人主義だったんです。

 明治時代には新体詩が生まれ、才能ある青年たちがすばらしい詩歌を読んでいきましたが、彼らもみんな国家や日本というものとどう向き合うべきか真剣に悩んでいました。島崎藤村もそんな青年の一人でした。藤村の処女詩集の『若菜集』は当時の青年たちに大きな影響を与えました。81冊目にあげた『藤村詩抄』に収録されています。
 以降、与謝野鉄幹、与謝野晶子、若山牧水、北原白秋、石川啄木たちが次々出てきます。たった1年ほどのあいだに『たけくらべ』『十三夜』などすばらしい小説を次々ト書き上げわずか24歳で早世してしまった樋口一葉のような天才も登場する。このなかから、82冊目に『樋口一葉集』、83冊目に『与謝野晶子歌集』をあげておきました。

 じつは、藤村の作品では『藤村詩抄』とともに、『夜明け前』をこそぜひ読んでいただきたいですね。文庫本で全4冊にもなる大著です。この小説は、木曽馬籠の本陣の家に生まれた藤村が、明治維新に翻弄されて波乱の人生を送った実父をモデルに書き上げたものです。藤村のお父さんは国学を学び、王政復古の世がくるということに大きな期待を寄せていた。ところがその期待は明治が進むにつれて次々と裏切られていく。明治維新によって結局日本は大きなものを失ってしまった。明治日本はまだ夜明け前なのではないか、という藤村の深い問題意識が、実父の生涯に重ねて綴られています。
 漱石にしても藤村にしても、また森鴎外や幸田露伴のような人たちも、当時の文人たちは、同時代の世界や日本の動向を鋭い観察力と洞察でかなり深く見抜いていました。こういった文人たちの生き様については、84冊目・伊藤整の『日本文壇史』が詳しく描いています。この本は執筆途中で伊藤さんが亡くなったので、瀬沼茂樹さんが書き継いでいます。

 85冊目の大杉栄は、まだ日本人が「自由」というものについて真剣な態度を持っていない時代に、たった一人で自由のために闘った破格なアナキストでした。投獄されるごとに外国語をひとつマスターするという語学の天才でもあった。世界共通語としてのエスペラント語もマスターしていました。堂々と自由恋愛を生きた男でもあった。しかし、関東大震災直後、陰謀によってパートナーの伊藤野枝とともに虐殺されてしまう。
 大杉栄の一生については、いろんな人が書いています。大杉栄には明治という時代のわかりにくさというものをわからせる凄みと活動力があった。その破天荒な生き方には、今でも関心を持つ人が多いようですね。

 86冊目にあげた柳宗悦の『工藝文化』は、朝鮮や日本の民衆が生み出した生活道具に、新しい価値を見出したものです。御存知のとおりそれらは「民芸」と呼ばれ、柳を中心に起こった「民芸運動」が、日本の職人の世界に新しい動向をもたらします。87冊目に白崎秀雄の『北大路魯山人』を挙げておきましたが、北大路魯山人もまた、そのような動きのなかから登場した破格の陶芸家であり料理人であり、また数寄者でした。
 また東洋や日本独自の思想によって日本を組み立てようとする人たちもいました。88冊目の西田幾多郎、89冊目の『禅と日本文化』の鈴木大拙、90冊目『日本精神史研究』の和辻哲郎などです。

 91冊目・矢内原伊作の『矢内原忠雄伝』というちょっと珍しいものも入れておきました。矢内原忠雄は、新渡戸稲造校長の時代の旧制一校に入り、内村鑑三に憧れてキリスト教に入信します。その後東大に進みますが、東大があまりにも左傾化したり右傾化したりしながら軍部に巻き込まれていく様子を目の当たりにして、そこから脱却しようとして闘った精神の記録を、息子の矢内原伊作が書いたものです。ちなみにこの矢内原伊作をモデルに自らの作品の探求を続けたのが彫刻家のジャコメッティですね。

 92冊目は橋川文三の『日本浪漫派批判序説』。日本浪漫派の中心人物である保田與重郎らの近代批判、古代賛歌的日本主義などを初めて精細に評論した一冊です。橋川さんはこういった日本主義や浪漫主義が、結局は軍国主義と結びついてしまったのではないか、「日本への愛」が犯してしまった罪というものがあったのではないか、それを徹底的に追求しない限り、日本人は昭和史を語ることはできないと悟っています。

 93冊目の牧野伸顕の『回顧録』は、昭和前半の日本の外交を担った牧野による回想録です。牧野は大久保利通の次男で、牧野の娘婿が吉田茂です。つまり牧野伸顕をはさんで西郷や大久保の明治維新と吉田茂の昭和とが結ばれている。そのことが、牧野がたんたんと綴る回想のなかにありありと浮かんできます。
 ちなみに敗戦した日本の首相となった吉田茂の側近をつとめたのが白洲次郎です。御存知白洲正子の旦那さんです。

■日本を再発見するために

 100冊の本によって日本を語るという私の話も、だんだんラストに近づいてきました。
 94冊目の山口昌男さんの『敗者の精神史』は、敗北した人たちの側から日本史を捉えなおした本であり、95冊目の網野善彦さんの『日本社会の歴史(全3巻)』は、アウトローや遊民の視点からでも歴史は描けるのだということを見事に示した本です。さらに、昭和史というものを新しい目で発掘したのが96冊目の松本清張『昭和史発掘』です。これらの本はいずれも、私に日本の見方についてたくさんのヒントを与えてくれたものです。

 97冊目の中井英夫の『黒衣の短歌史』は、みずからを黒子として昭和の文壇を見つめた本です。中井英夫は『虚無への供物』などの幻想小説が有名ですが、長らく『短歌』の編集長などをつとめ、短歌界の革新のために奮闘した人でもあった。
 そして98冊目は猪野健二さんの『ヤクザと日本人』。この100冊のなかでもたびたび登場してきた博徒やヤクザが日本人にとってどういうものかということを、ジャーナリズムの視点で鋭く書いた、非常におもしろい本です。

 最後にここまでの話を集大成する意味で、2冊の年表をあげておきました。99冊目『年表・女と男の日本史』と100冊目『日本文化総合年表』です。

 私の話はこれで終わります。今日御紹介した本のなかから、関心をもったものを入手して読んでいただいてもいいですが、ぜひこの100冊のラインナップによって、日本が失ってきたもの、隠されてしまった日本の歴史を、皆さんがそれぞれ独自に見直し、再発見してみてほしいと思います(拍手)。

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2006年8月14日


Classic 「100冊の日本を語る」(2/3)


 100冊の本によって日本を語るセイゴオの講演。13冊目までは日本民族のルーツや神話をたどりながら、やがてそれらの「古事」とともに日本を押さえていった藤原一族の話が展開してきました。ここから話は中世、近世へと快調に進んでいきます。

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和蝋燭と静岡茶とおすすめ本を傍らに日本を語るセイゴオ

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セイゴオ・クラシック「100冊の日本を語る」第2回

14.『古代の朱』    松田壽男    学生社
15.『空海の風景(上・下)』    司馬遼太郎    中央公論社
16.『係り結びの研究』    大野晋    岩波書店
17.『古今和歌集』    窪田章一郎校注    角川文庫
18.『源氏物語(全)』    山岸徳平校注    岩波文庫
19.『平家物語(全)』    杉本圭三郎全訳注    講談社学術文庫
20.『出家遁世 超俗と俗の相克』    目崎徳衛    中公新書
21.『無常』    唐木順三    筑摩叢書
22.『正法眼蔵』    道元    岩波書店・日本思想大系
23.『神道の成立』    高取正男    平凡社選書
24.『折口信夫全集・古代研究(全3巻)』    折口信夫    中公文庫
25.『重源』    伊藤ていじ    新潮社
26.『翁の座 芸能民たちの中世』    山路興造    平凡社
27.『風姿花伝』    世阿弥    岩波書店
28.『絵巻物に見る日本庶民生活誌』    宮本常一    中公新書
29.『日本の聖と賤(全3巻)』    野間宏・沖浦和光    人文書院
30.『殿上の杖』    花田春兆    こずえ
31.『神風と悪党の世紀』    海津一朗    講談社現代新書
32.『太平記<よみ>の可能性 歴史という物語』  兵藤裕己 講談社選書メチエ
33.『武家と天皇 王権をめぐる相克』    今谷明    岩波新書
34.『連歌の世界』    伊地知鐡男    吉川弘文
35.『一休』    水上勉    中公文庫
36.『町衆 京都における「市民」形成史』    林屋辰三郎    中公新書
37.『利休とその一族』    村井康彦    平凡社選書
38.『日本芸能史(全7巻)』    藝能史研究会編    法政大学出版会
39.『信長』    秋山駿    新潮社
40.『日本史(全5巻)』    ルイス・フロイス    平凡社


■丹生の一族と空海の一族

 14冊目はちょっと変わった本です。松田壽男先生の『古代の朱』。観念的に考えがちな古代というものを技術史の視点でまとめた本です。古代日本の技術は非常に発達していたようで、特にこの「朱」というものについて、古代の人々は大変な信仰とともに技術的な革新力を持っていました。朱のことを「丹生」(にう)ともいいます。丹生というのは水銀のことです。日本で「丹生」の研究をやっていた第一人者が松田壽男先生です。

 私は早稲田大学の出身なんですが、最初に入ったクラブは「アジア学」でした。なぜそんなところに入ったかというと、そこに松田壽男さんがいたからです。「君は何でこんな所に来たのかい?」と言われて、「丹生のことを調べたいと思っています」と言ったら、「珍しいね。だいたいみんなシルクロードに行きたがるのに」と言われたことを覚えています。でも正直いって、私は昔から基本的に旅行が嫌いだったし、シルクロードにもそれほど関心がなかった。それよりも神社の朱である「丹生」、つまり硫化水銀に魅かれていた。
 『古代の朱』には、「なぜ日本は赤絨毯を好むのか?」「なぜ九州の古墳の大半は内側が赤いのか?」という問いかけがある。その根底にはみな硫化水銀が関係しています。

 15冊目の司馬遼太郎『空海の風景』は、空海もまた丹生に着目していたということを取り上げている本です。なぜ空海は「即身成仏」ということを言ったのでしょうか。「即身成仏」というのは、「生きながら死ねる」ということです。それは宗教的な考え方もあったけど、硫化水銀を少しずつ体内に取り込んでミイラになるという不死の技術のことでもあった。中国では錬丹術と言われて、そこから仁丹という薬の名前も出ました。でも、水銀を大量にとると“水俣病”になる危険もある。 だからその用法は大変微妙で難しい。それで、日本人は硫化水銀を朱色に変えて墓所などに塗っておいたわけです。日本の神社仏閣が、鳥居や柱を朱色に塗るということには、そういうゾーンですよという告知の意味もあったんですね。

 空海については私も『空海の夢』を書いていますので、いろんな話しができるのですが、ここでは古代技術者集団を統括した丹生一族と、そして丹生一族からその技術を譲り受けた空海というものに注目した並びにしてあります。さらに、空海というのは「佐伯」という一族で、佐伯というのは言霊の一族ですから、ここで言語の一族と、古代技術の一族が結びついたというのが、この 14冊、15冊の裏の意味です。

■大和言葉の秘密

 16冊目から19冊目までは、日本の大和言葉の秘密を書いた本です。大野晋さんの『係り結びの研究』は3、4年前に出された本ですが、これはすごい本です。今日の100冊の中では1番専門書に近い本で読みにくいかもしれませんが、なぜここに入れたかというと、いま岩波新書の『日本語練習帳』が100万部も売れているからです。大野さんは日本語の神様みたいな方ですが、『日本語練習帳』がそんなに売れるのは、おそらくはまちがって買われているか(笑)、日本という謎が浮上しているか、どちらかだと思います。いずれにしても『日本語練習帳』に関心がある人は、ぜひ『係り結びの研究』も開いてみてほしい。

 『係り結びの研究』の中に「ことわざ」についての興味深い話があります。「ことわざ」と聞くと、「蓼(たで)喰う虫も好き好き」とかいったものを思うでしょうが、本来は「その言葉を口にすると、そのことが現実になる」という意味なんです。それが「ことわざ」です。つまり「ことわざ」は「言霊」なんです。
 もっと言えば、風景やモノに対して自分の言葉を掛けて、意味を解いていくことなんですね。それを「理(ことわり)」といいます。「言葉」によって「理」を解いていくことです。
 そうやって「理」を解くために、ばらばらにしてしまった言葉をもう一度結びなおしていく。これが係り結びです。「係り結び」というのは、古文にある「こそ」や「けれ」や「や」ですね。
 藤原一族のナショナルシステムに対抗してひそかに「フルコト」の一族たちが、新しい「言」や「事」を生み出していく。そのためにこういった「係り結び」が非常に重視されるのです。この「フルコト」の一族である紀貫之が平安時代に『古今和歌集』というのものを作るんです。

 『古今和歌集』に2つの序文がついていることをご存知ですか。今日はそこを強調したいと思います。ひとつは「真名序」で、「真名」というのは漢字のことです。もうひとつは「仮名序」で、「仮名」は文字通りひらがなです。真名序と仮名序は内容はほとんど同じですが、少しだけ違うところがあります。貫之は、「仮名序」というものを書くことによって、漢字では表せないことを書いているんですね。それによって、日本には、漢字では表せない日本語独自の世界があるということを表明している。

■無常と出家遁世という生き方

 日本に言葉の文化が定着すると、日本人は記憶を語るようになります。このころ書かれた文学を「王朝文学」といいます。最初は「作り物語」です。作り物語とは、架空の人物を主人公とする小説的なもので、『大和物語』『竹取物語』『落窪物語』などが有名で、その集大成が『源氏物語』です。

 王朝文学の頂点にたった『源氏物語』には男女の関係がいろいろ描かれているのですが、その根底には「もののあはれ」があります。『源氏物語』は、谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内寂聴と、多くの作家が現代語訳をしていますが、私は与謝野晶子の『源氏物語』の訳をだれも超えていないと思っています。橋本治さんの訳ともなると無茶苦茶です(笑)。なぜ与謝晶子翻訳がいいかというと貫之の「仮名序」に込められている「係り結び」ような世界がちゃんと組み込まれているからです。それがないと日本の「もののあわれ」は立ちあらわれてこない。

 平安時代も末期になると、しだいに貴族を主人公にしていた王朝文学にかわって、題材を武士の世界に求める軍記物があらわれてきます。とくに平氏一門の興亡を描いた『平家物語』は中世文学を代表する傑作で、琵琶法師によって語り伝えられました。御存知のように、『平家物語』は、平家一門の栄華と衰退を物語にしているものです。そういう衰亡していく人々の姿に共感をもつという文化が、日本人のなかに広まっていたんですね。

 さらには、自分の地位や家を捨てて、あえて落ちぶれていこうとする「出家遁世」という生き方が出てきます。20冊目の目崎徳衛さんの『出家遁世』がくわしく書いています。「出家遁世」というのは、仏教に帰依して檀家になるとか頭を剃るということではなくて、当時で言えば、藤原という社会システムを見抜いて自らそこから去っていくことだったんです。

 あの有名な西行もその一人でした。西行は、本名を佐藤義清といい、藤原の系譜に連なる家に生まれ、平清盛と同じ北面の武士になりました。これは当時のエリートコースだった。ところが西行は23歳の春に突然、女房子供に別れを告げて出家してしまう。その後は寺々や草庵を転々としながら、生涯すばらしい歌をつくりつづけました。

 『平家物語』にも西行の歌にも、共通してこの時代の人々をつき動かしていた感覚がありました。それが「無常観」です。もともと仏教に、この世の中はすべて有為転変するはかないものだという考え方があったのですが、日本人は和歌や物語を通して、それを美意識にまでしていく。それについては、21冊目の唐木順三さんの『無常』を一度読んでみてください。

 日本人の無常観をうたった有名な歌に「いろは歌」があります。「いろは歌」は、空海の作だろうという説もありましたが、実際は名もなき密教僧たちが天台・真言ともども唱和してきた声明の調べからつくったものです。
 「色は匂へど散りぬるを わが世たれぞ常ならむ 有為の奥山けふ越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」。

 みなさん聞いてみてどうですか。日本人はこの歌を聴くと、自分たちは日本人だったと思い返したり、古典の心がわかるような感覚をもつわけですね。日本人は、中国や朝鮮半島の影響を受け、物部氏・蘇我氏から藤原一族へとさまざまな政変をへて、柿本人麻呂や紀貫之があらわれて、ようやく日本人の記憶を歌にしたころから自分たちの「ことわざ」をもつようになりました。それを代表するのが西行の歌であり、いろは歌です。そして、このような歌が広まっていくとともに栄華を極めた藤原家も一気に力を失っていく。時代は武士の世へと移っていく。そして武士たちが無常観や「あはれ」と壮絶な美学へと変化させていきます。

■天才編集者だった道元と空海

 もともと、日本は中国から多くのことを取り入れながら、中国から来たものをそのままでは使わないという文化があります。これを思い切ってやってみせたのが、道元や栄西です。道元は中国に行き、中国で禅を学んできます。当
 時、中国はモンゴル民族による元の国に変わり、そのため多くの中国の禅僧が日本へ亡命してきた。たとえば蘭渓道隆は博多から入ってそのまま中国の禅を鎌倉に持ち込みます。こうして日本に「禅」が広まっていくのですが、中国の「禅」を鵜呑みにしたわけではありません。
 道元は、日本にやってきた禅を習得するのではなく、あえて中国に行って禅を学びます。同じく空海も唐の時代の中国に行き、わずか2年で密教を習得して帰ってきました。それほど空海はすごかったんですが、道元にはもっと徹底的なところがありました。5年たって中国から帰ってきたとき「空手還郷」と言い放ったんです。つまり「中国に行っても何も得るものはなかった」と言った。

 22冊目に道元の『正法眼蔵』をとりあげましたが、なかでも特筆すべきは、第29巻の「山水経」です。冒頭に「而今の山水は、古仏の道、現成なり」とあります。この一行に、道元のスケールの大きい山水思想はすべて言い尽くされています。
 「而今の山水」とは、「いま、ここに見えている山水」という意味で、その目前の山水こそ「古仏の現成」だという。そして、「朕兆未萌の自己なるがゆえに現成の透脱なり」という。「山を前にすると自分の身体は透体脱落していく。なのに山水が残っている。それが私である。」ということです。これを「山水一如」の思想ともいいます。日本の山水によって「自己」を無にしていくような、すごい思想ですね。

 そういうことを説く道元の書く漢文は、中国の人から見るとかなりでたらめだったそうです。いまアメリカに留学するような人は、正確な英語をしゃべろうとしますよね。道元はそうじゃないんです。中国へ行って「非中国」を持ち帰り、独創の漢文を作り上げてしまったんです。それは道元にしか読み解けないほどの漢文でした。
 でも、空海もそういうところがあった。空海の文章は途中でスタイルがどんどん変わるんです。ずっとロジックを書いてきたかと思うと、急に引用になり、引用が終わると引用の解説になり、その解説からまたロジックを導き出していくという、とんでもないリンケージを空海はやっています。道元も空海も、編集の天才だったんです。

 この道元と西行の後に出てくるのが心敬です。室町時代の天台宗の僧で、京都東山にいた連歌師でした。心敬は、それまで日本人がもっていなかった新しい美を発見します。それが「冬の美」です。それまでの『万葉集』とか『古今和歌集』の歌は、ほとんどが春と秋の歌です。冬は歌われていなかったんですね。ところが心敬は冬の凍てつくような風景や雪や氷の美を詠んだ。この独自な視点は、のちに「冷えさび」として世に広まります。

■日本神道の成立

 一方、このころ日本に神道というものが生まれてきます。神道は、仏教以前から日本にあったものと思う人もいますが、それはまちがいです。たしかにカミへの信仰はあったけれども、それが「神道」となるのは中世以降です。これをずっと研究してきた西田長男さんが『日本神道史研究』というものすごい全集をつくっています。
 その西田さんが認めた神道学者が、23冊目の『神道の成立』を書いた高取正男さんです。『神道の成立』を書いて2年後に、若くして54歳で死んでしまいました。日本の神道は、なぜ仏教と対峙したのか。そして道鏡のような人が古代史のなかで怪僧として扱われていますが、実は道鏡の中には神道があったのではないか、それを中国の中に発見した人が道鏡なのではないかといったことを書いています。

 先日、里中満智子さんという人と2度ほどシンポジウムで一緒になったんですが、里中満智子さんはそれを見抜いていました。「道鏡は絶対本物です」とおっしゃっていました。やっぱり徹底してやっている人は違いますね。かぶれていないですね。自分の目で歴史を見ようとしているんですね。そういう意味でぜひ、この高取さんの日本も読んでみてください。

■古代の音を聴いた折口信夫

 昭和になってから日本の神道をとことん考えた人が折口信夫です。24冊目は『折口信夫全集・古代研究(全3巻)』。折口は、睡眠薬や男色を通して自分をハイパートランス状態にして日本を考え続けた民俗学者です。また、釈迢空という名前をもつ歌人でもありました。
 民俗学というと折口信夫と柳田国男をセットにして考えがちですが、そういう見方では全然折口は見えてこない。折口を読むときは折口の方法を知るべきです。とくに、折口は「妣なる国」をどう求めていったのかということ知るべきです。『折口信夫全集(全四十巻)』の3巻目にそのことが書かれてますので、どうしてもお読みいただきたいですね。

 ただし、純粋に折口の本のなかで一冊だけあげろと言われれば、私は『古代研究』ではなくて『死者の書』をあげます。これはすばらしい作品で、ここにこそ折口信夫が集約されています。當麻寺を舞台に、非常にアコースティックな言葉使いで記憶が書かれている本です。中将姫が蓮糸で編んだという當麻曼陀羅から、折口がシャーマニックな想像力で描いた傑作です。折口が古代に耳を澄ませて聞こえてくる音や声を綴っているようです。きっと映画にしたらすごいと思います。

■重源の活躍と芸能の神々

 いよいよ中世日本がどのような国であったかをという話に入ります。まずは25冊目の伊藤ていじさんの『重源』です。伊藤ていじさんは、岐阜出身の建築史家で日本で最初に民家とか土間に着目した人です。
 ここにとりあげた『重源』は、伊藤ていじさんが10年前に書いた小説仕立ての研究書です。とても厚い本ですが、おもしろい本です。東大寺が平家によって伽藍の大部分を焼失して、大仏(盧舎那仏像)もほとんどが焼け落ちたとき、重源はその再興に乗り出します。聖武天皇がつくった東大寺は日本の建築史的にも大いに価値があるから絶対に修復すべきだと主張して大プロジェクトをスタートさせました。「天竺様(大仏様)」という建築様式は、このときに重源が東大寺から発見した構造です。

 中世は芸能が大きく開花した時代でもありました。もちろん芸能はそれ以前からありましたが、あまりにも中国的で、伎楽や唐楽の影響が強かった。それが、11世紀の半ばから12世紀にかけて、自分たちで踊り歌い芸を楽しむようになります。
 日本全体で浄土思想が終息して、同時に藤原一族の享楽の時代も終わりました。この時期を境に、中世芸能の神々が出現してくるわけです。静岡にも大道芸が定着しているようですが、日本史のなかで道々の芸が出るのがこの時代なんです。日本の村々に、辻・道・門・庭・奥という構造が生まれて、辻芸・道芸・門芸・中庭の芸がだんだん発達し、ついに奥座敷の芸となって芸能も高級化していきます。
 それらは実在しない「翁」というものをコンセプトにしていました。日本人の芸能は、「翁」という不思議なバーチャルキャラクター、記憶の父のような存在をもどいていくものなんです。そのことが26冊目の山路興造さんの『翁の座 芸能民たちの中世』に実におもしろく書かれています。

 山路さんとは、僕が『遊』を作っているころに出会いました。「祭り」という特集のために「若狭の王の舞」という古代の舞について伺いに行ったら、とても明快に答えてくれました。『翁の座』は、日本の芸能が、仏教の裏から仏教を打ち破って出てきた神々によってつくられたということを証拠立てた本です。
 先ほど浄土思想が藤原一族とともに終わると言いました。実は12世紀に日本は末法を迎えると考えられていました。そのことを藤原一族も大変怖れていた。阿弥陀堂をつくったり常業三昧堂をつくったりして、死んだらなんとかして浄土へ行きたいと、そのことばかりに熱心になっていた。京都には何百何千という常業三昧堂ができるほどでした。
 ところが、そういうお堂の後戸の奥に「オコナイの神」の場所が作られるようになっていたんです。つまり表には阿弥陀堂、裏にはオコナイの神がいるという格好でお堂が設計されていた時代が藤原一族の没落の過程に出てきているんです。

 オコナイというのは、もともと仏教行事から発展してきたものです。奈良東大寺二月堂のお水取りで知られる修二会がその源流で、それが里の寺々で行われるようになったものがいわゆるオコナイです。オコナイでは、激しく足を踏みならす「あられ走り」ということをやります。足を踏みならすというのは神々を鎮めるという意味があるんです。
 とても不思議なことなんですが、日本というのは、いろんな信仰を習合させて、それを宗教として整理させるのではなく、とりあえず装置にしていくんですね。なにか新しいものがそこから出てくるような装置を作っていく。それが後戸の神と呼ばれているものだった。これを暴いた人がこの山路興造という人です。

 こうして「翁」の芸能が発達してくると、いよいよ27冊目の世阿弥の登場です。
 山路さんの『翁の座』の中に、近江猿楽の考察があります。近江猿楽は相手に掛かっていく、つまり掛け合いの芸で、ある意味ではアクティブなアバンギャルドな芸だったんですね。それを「フルコト型」に古代回帰型にして当時の新しい今様にあわせたのが世阿弥の芸でした。その世阿弥が芸の奥義を残そうとして書いたものが『花伝書』あるいは『風姿花伝』というものです。

■聖なるものと負なるもの

 28冊目から30冊目までの3冊はだいたい同じような内容の本です。つまり、差別問題や被差別問題は今になって日本に浮上したのではなく、そういうものはずっと前からあったのに描かれていなかっただけなんです。ようやく、そのあたりのことを歴史的に解読する本がいろいろと出てきました。

 宮本常一さんは私が大変尊敬している学者で、『絵巻物に見る日本庶民生活誌』という本は、小さな本なのにとても素晴らしい。この一冊がすべて差別問題の扱い方を一変させた。宮本さんは絵巻物の中の踊りの輪の中に踊っている人々のことを調べあげて、そこにはわれわれが差別とか被差別とか言っているものを超えた日本があるんじゃないかということを書いています。この考え方が網野善彦さんはじめ、いろいろな人に飛び火して、中世という時代が浮上してくるわけです。その最初の論文を一般向けに書いたのがこの本です。

 そういうものを受けて、野間宏さんと沖浦和光さんが全3冊にわたって『日本の聖と賤』を書きます。聖なるものと賤しきものをテーマにずっと対話をしています。これはとてもいい本です。対話ですからすぐ読めると思います。
 日本では聖も賤も混在していた。歴史学で被差別民といわれてきた人々が実は日本のもっとも神聖なものに近いところにいた。そういう中に世阿弥もいたわけです。
 僕の早稲田の同級生の中村吉衛門さんも、自分がカワラモノでありたいとはっきり言います。あるいは天皇の葬送の礼では八瀬童子のような不思議な人たちが出てきて注目されました。八瀬童子は、鬼の一族だとか言われてきた一族ですよ。そういう人たちがなぜ天皇の棺を担ぐのか不思議ですよね。今の時代は、そういうことにかまってはいけないことになっているわけですが、でも、そこを見ていかないと本当の日本は見えてこない。野間さんもそういうものを晩年注目され続けてました。

 こういうアンタッチャブルな人々の中から邦楽も生み出されていきます。邦楽の原型を作ったのは、明石覚一という盲目の僧でした。琵琶をもって、全国をまわって平家物語をしたり、南北朝のロマンの歌をたくさん作ったりしました。それが、江戸の邦楽や三味線音楽の原型になっていった。
 その覚一のことを取り上げたのが30冊目の『殿上の杖』です。著者はご自分も重度の脳性小児麻痺である花田春兆さんです。「杖」というのはハンディキャッパーの印です。日本の中世の物語で「杖」と出てきたら全部ハンディキャッパーを表します。座頭市の杖もそうですね。その杖を支えとするような盲目の覚一があまりにすばらしい芸なので、ついに南北朝の後醍醐天皇の時代に殿上に召し挙げられるという話です。
 ある意味で日本の芸能は「負」なる人々によってすべて作られてきた。昭和の宮城道雄にいたるまで、日本の音楽はほとんどハンディキャッパーが生み出してきたものといってもいいと思います。

■悪党の登場と日本の王権

 このように芸能が発達した時代に、一方では、蒙古襲来という前代未聞の危機がありました。ところが日本はのちに「神風」と呼ばれた台風に助けられるんです。ここから新たな日本の神国思想が生まれてきます。この時、神国思想をサポートしたのが後醍醐天皇によって見いだされた悪党と呼ばれる人たちでした。31冊目の海津一朗さんの『神風と悪党の世紀』はそのことを詳しく書いています。
 結局、後醍醐天皇が負けて南朝が滅び、南北朝時代が終わって足利尊氏の室町幕府になるわけですが、このあたりのことを書いたのが『太平記』でした。32冊目の兵藤裕己さんの『太平記〈よみ〉の可能性 歴史という物語』は『太平記』の背景について書いた本です。

 悪党である楠正成たちが支持していた南朝がなくなると、ここから先、日本というのは、今までお話したようなフルコトを失って、記憶や芸能や物語によってしか伝えられなくなっていくんですね。それが戦国時代、安土桃山、江戸時代という歴史の中でたびたび蘇えるんですが、それについてはまたあとで話します。
 33冊目の今谷明さんの『武家と天皇 王権をめぐる相克』では、武家と天皇の間で、王権というものがどのように変遷していったのかが書かれています。とくに天皇の座を奪おうとした清盛、義満、信長は、一体何を考えていたのか、ということがわかって大変おもしろい。

 34冊目は、伊地知鐡男さんの『連歌の世界』。中世日本はまた連歌が大流行でした。連歌のなかに地下連歌というものが生まれ、この地下連歌の連歌衆たちが、のちに「連」と呼ばれる民衆のコミュニティを作っていきます。先ほどお話した盲目の覚一が殿上人に呼ばれて公達の世界に入っていったのと等しく、地下連歌の連衆たちが貴族以上の連歌を歌いあっていたのです。
 連歌はしばしば、花の下でも行われたので「花下連歌」ともいいました。これが日本の桜見、花見のスタートになった。
 連歌からは、のちに茶の湯も生まれていきます。このような民衆のエネルギーは、南朝ロマンの系列とは違うし、もちろん政権の中で起こるような革命思想とも違っています。遊芸とか芸能と呼べるようなものでしかないんですが、そういうものの中に潜んでいる力が今日私たちが日本文化と呼んでいるものの大半を用意していきます。

■狂言の一休

 そういう連歌のような民衆の世界を受けて、大徳寺に破格の大人物が登場します。一休です。和尚でありながら一休は、盲目の真如という女性に対して歳をとってもセクシャルにあり続け、「狂雲集」という大胆な和歌を読むんです。35冊目に水上勉さんの『一休』をあげておきました。
 この時代の日本では表立っては権力に対して何も言えない。でも表に出ないところでは徹底して言動を狂わせていく。そうして、真実を告げるという文化が完全に定着しました。つまり、花の下で歌を歌い、酔ったふりをしながら、そこで何かの真相をいう。これを狂言綺語といって、能舞台で取り上げると狂言になるわけです。同じようなことをやったのが大徳寺の一休和尚でした。

 この水上さんの『一休』というのはとてもとても泣ける本です。特に晩年の一休が盲目の真如と交情を交わすシーンなんかは、水上さんの『雁の寺』『越後つついし親不知』『越前竹人形』に匹敵しますね。ようするに、日本の坊主というのは墨染めの衣で男色をやって、女色もやった。その男色と女色の果てにまでいったのが一休だった。今それができなくなってるので、仏教界はつまらないんです(笑)。

 一方でこの時代、新しい文化や経済の担い手が登場します。京都を中心に町衆と呼ばれる人が出てくる。36冊目の林屋辰三郎『町衆 京都における市民形成史』がそれを書いています。

■茶の湯のはじまり

 京都の町衆だった村田珠光が下京にいて、かつ一休文化圏とも交流していたことから、日本の茶の湯がスタートします。茶の湯のはじまりは村田珠光が一休禅師に仕えていたときに、思いついたものです。さらに村田珠光を受けて、連歌師の武野紹鴎が2畳と4畳半の茶室を作って「わび茶」というものを始めた。その武野紹鴎のわび茶を大成させたのが利休です。
 こういうことをもう一度謎解きしたのが村井康彦さんの『利休とその一族』という本です。利休もまた、信長や秀吉といった権力者に仕えながら、いろんな職人や町衆とつながった謎の多い人物です。特に長次郎という人に楽焼を焼かせたことが有名ですが、その子孫の楽吉左衛門さんは今も千家のためだけに焼物をつくっています。

 ここまで話してきた中世芸能史も含めて、日本の芸能を古代から解いてくれたのが法政大学出版から出ている『日本芸能史(全7巻)』です。私も1冊1冊を待ち遠しく入手して読んだ本です。ちょうどこの全集が出るときに『アートジャパネスク』という全18巻の日本美術全集を編集していたんですね。だから『日本芸能史』を読みながら、美術史にのめり込んで行ったという思い出深い本です。今読んでもこの本はいいですね。

 今までの型にはまらない新しい見方で「戦国」を書こうとした人たちも出てきました。39冊目の秋山駿の『信長』もそういった一冊です。今までとは違う信長像がおもしろく描かれています。でも、信長のことを知るにはルイス・フロイスの『日本史』が一番おすすめです。同時代の人物による記録ですからね。(つづく)

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2006年8月 5日


Classic 「100冊の日本を語る」(1/3)


  「100冊の日本を語る」は、1999年12月に静岡市図書館主催で行われたトークイベントです。セイゴオが本について語ることはいまでこそ珍しくなくなりましたが、じつはこの時がはじめての試みでした。セイゴオ・クラシックでは、8月企画として全3回に分けて講演会の採録を掲載します。

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はじめて和服を着て講演をするセイゴオ

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セイゴオ・クラシック「100冊の日本を語る」第1回


■二つの事始め

 今日は私にとって二つの「事始め」があります。ひとつは初めて、和服で講演をすること(笑)。私は京都の呉服屋の生まれですが、いままでろくに着物を着てこなかった。それでも20代のころは多少は遊びで着ていたんですが、きちんと着るというのがどうにも苦手で、そのうち着なくなってしまった。でもまたそろそろ着てもいいかなと思い始めた。もういい年ですしね(笑)。
 もうひとつは、こういうライブな場で本の話をするということ。いままでも、たとえば東京で一番大きい八重洲ブックセンターという本屋さんから頼まれて、「松岡正剛の超読書」といった企画をやったことがある。私が本をいろいろと選んで1ヶ月ほど並べてもらった。そのときに、自分が選んだ本についてトークもさせられた。でも、本屋さんでもない場所で、本の話をするというのは、今日が初めてです。
 ということで、今日は二つの「事始め」をやりながら、「100冊の日本」という話をします。

 今日のために選んだ100冊のリストが、お手元に配られていると思います。これは名作や傑作ばかりを選んだものではありません。古典もあれば現代の著者の本もある。リストの順番は、古代から昭和までの日本の歴史の順番にしています。ですからこれらの本は時代背景や人脈が前後につながりあっている。つまり、これは「100冊の日本に関する本」なのではなくて、「この100冊によって日本を語りたい」、そういうリストになっているわけです。

 私は本というものは互いにつながりあっているものだと思っているんですね。一冊一冊が単独で世の中に存在しているわけではない。それは、ロンドンのワールブルク図書館に行ったときに気がついたことでした。
 ワールブルク図書館というのは、建物が円形の3層構造で、1Fが「ワード(言葉)」、2Fが「イメージ」、3Fが「コスモス」というフロアーになっていて、それぞれのテーマにふさわしい本が並べられている。それだけでもすばらしいのですが、この図書館では一冊一冊が隣同士でリンクが張られていて、さらに驚くべきことに、1Fから3Fまでのフロアーをまたいでタテにもリンクが張られているんです。たとえば1Fのある場所に「チャーチル」という本があれば、2Fのちょうどその「チャーチル」の上あたりの場所に「議会の歴史」というような本がある。すごいですよね。

 本というものは互いに言葉とイメージを結びながら、まさに壮大なコスモスを作っているものなんですね。私はそのことをワールブルク図書館から教わった。今日のために私が準備した「100冊の本」も、そんな思いで選んでみたものです。

 ではさっそくリストの1番から始めます。

1. 『縄文人の世界』    小林達雄    朝日選書
2. 『弥生の王国』    鳥越憲三郎    中公新書
3. 『日本史の誕生』    岡田英弘    弓立社
4. 『日本古代史と朝鮮文化』    金達寿    筑摩書房
5. 『騎馬民族は来なかった』    佐原真    NHKブックス
6. 『鬼道の女王 卑弥呼(上・下)』    黒岩重吾    文藝春秋社
7. 『物部氏の伝承』    畑井弘    吉川弘文館
8. 『日本書紀』    宇治谷孟    講談社学術文庫
9. 『持統天皇と藤原不比等』    土橋寛    中公新書
10. 『日本人の言霊思想』    豊田国夫    講談社学術文庫
11. 『古語拾遺・高橋氏文』    秋本吉徳ほか校注    現代思潮社
12. 『万葉集(上・下)』    佐々木信綱編    岩波文庫
13. 『柿本人麻呂』    中西進    筑摩書房


■日本人はどこから来たか

 まず1冊目は小林達雄さんの『縄文人の世界』。この本は、縄文時代の大きな謎を解いています。それは、中国は土器の時代のあと青銅器時代に入るのですが、日本では縄文土器の時代が延々と続いて、青銅器が中国から伝わってからも土器を作り続けていた。いったいこれはなぜかという謎です。もう一つ、この本が解いていることで重要なのは、縄文土器の「縄文」とは何かという謎。小林さんは、あれは物語であるということを発見したんですね。私は小林さんからずいぶん縄文の見方を教えてもらいました。

 2冊目から6冊目までは、日本のスタートの時代を知るために、重要な視点を提供してくれる本です。とくに3冊目の岡田英弘『日本史の誕生』は、ユニークな傑作です。
 
 日本というものがどのように生まれたのか。それをごくごくかいつまむと、中国の部族が何らかの形で朝鮮半島をへて日本にやってきた。今日、日本の古代史に出てくる「秦氏」「蘇我氏」「物部氏」といった豪族たちのルーツは、こういった渡来民だったと考えられています。岡田さんは、春秋戦国時代の燕の国の人々が、高句麗・新羅・百済を超えて、いろんな血をまじえながら日本に入ってきたのではないかと示唆しています。

 それを非常にセンセーショナルな視点で書いたのが5冊目の佐原真さんの『騎馬民族はこなかった』という本です。これは、戦前から戦後にかけて江上波夫という有名な考古学者が発表して、その後日本人の多くが信じていた「日本人騎馬民族説」をくつがえした本です。「騎馬民族説」というのは、中国大陸から騎馬民族が馬とともに日本にやってきて大和朝廷をつくった、天皇の起源は騎馬民族であるという説です。
 日本人のルーツが騎馬民族であるという考え方にはどこかロマンがあって、私たちのノスタルジーとして、そういう考え方をしたくなるということもわからなくはない。しかし佐原さんは徹底的に考古学的な調査をした結果、遊牧民が直接日本にやってきたということは考えられない、ということを発表した。「騎馬民族はこなかった」と言い出したんですね。
 4冊目の金達寿『日本古代史と朝鮮文化』は、日本と朝鮮との関係から日本人の起源を問うています。金さんは、日本人が天皇に対して抱く尊敬の思いは、もともと朝鮮にもあったものだ、ということを言った人です。

 これらの本の視点をすべてまとめる意味であげておいたのが、6冊目の黒岩重吾 『鬼道の女王・卑弥呼』 です。卑弥呼が一度中国に行って、中国から日本に戻ってきて邪馬台国に君臨したという大胆なストーリーの小説です。黒岩さんはもともと推理作家でしたが、この20年はずっと古代史をテーマにしていますね。
 この物語をなんとか映画にしようとしたのが、篠田正浩という映画監督です。篠田さんは、ヨーロッパ的な言語や考え方では日本文化や日本のアイデンティティーは表現できない、ということをずっと考えてきた人です。つまり、大江健三郎や安部公房のような翻訳文体では日本のことは綴れないということです。だから自分は「日本の語法」によって日本の映画をつくりたい。そのためにも、弥生という時代を取り上げなければならない。卑弥呼がどういう日本人だったのか、邪馬台国とはなんだったのかを見つめなおさなければならない。そう考えたわけですね。

■物部一族の謎と日本神話

 7冊目の畑井弘『物部氏の伝承』は、物部一族に注目することで、日本の古代史を解こうとした本です。物部がわからなければ、蘇我もわからないということです。聖徳太子の時代、物部が廃仏派、蘇我が崇仏派に立って争ったということは御存知ですね。学校で教える日本史の授業などでは、このとき蘇我が勝ったので、日本は仏教の国になりました、というふうに説明されるのですが、一方でそのころすでに伊勢神道の原型になるような動向も生まれつつあったんです。おそらく廃仏派の物部がそこにかかわっていたと考えるのですが、なかなかその謎が解けないんです。

 私もかつて物部に関心をもって、奈良の石上神宮を取材したことがあります。石上神宮には「十種神宝」(とくさのかんだから)といって、ニギハヤノミコトが物部に伝えたという十種類の御神宝に関する資料があるんです。ニギハヤノミコトというのは、天磐船に乗って大和に降臨したと信じられている神様ですね。ということは、物部には日本の神々の伝承と、日本の歴史についての重大な秘密があるということです。

 日本の誕生や日本人のルーツを考えるためには、どうしても日本の神話というものを知る必要があります。日本の有名な神さまといえば、アマテラスとスサノオですが、そのスサノオが天上界から追放されて出雲に下り、スサノオの数代後のオオクニヌシノミコトが出雲で国づくりをした、ということになっています。このときに、他の国の土地に綱をかけて引っ張ってきて「国引き」をした、そうしていまの島根半島が作られたという有名な話があるんですが、それがどうも朝鮮半島の国々と日本とのあいだで、なんらかの交渉ごとが行われたことを示しているのではないかと考えられるんですね。

 さらに、そうやって国引きをして作った国を、次に「国譲り」によって大和朝廷に差し出したということになっています。じつはオオクニヌシには、オオモノヌシというもう一つの名前があるんですが、オオモノヌシは奈良の三輪山に祀られている神さまなんです。どうも、大和が出雲とのあいだで何事かをかわして大和朝廷を成立させたときに、三輪にいる一族がその調停役を果たしていたのではないか、とも考えられるわけです。
 8冊目にあげている宇治谷孟『日本書紀』は、このような日本神話の読み解きをいろいろ示唆してくれる本です。

 ただし、もし皆さんが今まで一度も日本神話というものに触れたことがないのなら、ぜひ一度は『古事記』を読んでみてほしい。『古事記』を読まない日本人なんて日本人ではないですからね(笑)。

■『古事記』と『日本書紀』

 ここでちょっと、『古事記』と『日本書紀』の違いについて話をしておきますと、まずOSが違うんです。すなわち『古事記』と『日本書紀』とでは、マッキントッシュとウィンドウズのような違いがある。
 『古事記』は大伴一族のプロデュースによって呉音によって書かれたもので、『日本書紀』は藤原一族のプロデュースによって漢音によって書かれています。つまり、似たような情報を扱っているのにプロトコルがまったく違う。呉音も漢音も中国から入ってきた発音ですが、まったく違う言語といってもいいほどの違いがありました。

 『古事記』というのは稗田阿礼という語り部がアタマの中に保存してあった物語を、太安万侶が聞き出してまとめたものです。だから物語としては全体で一つのストーリーになっている。ただし、稗田阿礼がたった一人で語った物語であると考えるよりも、おそらくは語り部一族が共有していた共同知的な物語だったととらえるべきでしょう。
 『日本書紀』はべつべつの成り立ちのあるストーリーを編集的にまとめなおしたものです。『古事記』に比べると非常にマルチメディアライクです。『日本書紀』は、中国の『史記』のような歴史書を真似て日本の正史をまとめようという明確なプランにもとづいて編集されたものでした。

 日本の正史をまとめるということは、日本を「一個の国」として位置づけて、そのリーダーの権威を根拠あるものにするという強い意志をもった人物がいた、ということです。それをやったのが、9冊目の土橋寛の『持統天皇と藤原不比等』の、藤原不比等でした。
 藤原不比等こそ、日本古代史最大の人物です。もちろん聖徳太子も中大兄皇子も聖武天皇もすごいリーダーでしたが、私は編集者の立場からみて、藤原不比等こそが日本を編集した立役者だったと思います。

■藤原一族のプラン

 ご存知のように藤原氏というのは最初は「中臣」という姓を名乗っていました。中大兄皇子とともに大化の改新を起こした中臣鎌足が、のちに「藤原」という姓を名乗ります。その鎌足の息子が不比等で、不比等の息子が仲麻呂です。
 この鎌足・不比等・仲麻呂の三代が、日本の天皇一族というものを作り上げた。そういってもいいほど、この3人は凄腕のプロデューサーであり、陰謀家であり、当時の日本のすべてのナショナル・プロジェクトを手がけました。
 たとえば、仲麻呂は王宮のなかに「紫微中台(しびちゅうだい)」というものをつくっています。仲麻呂は娘の光明子を聖武天皇に嫁がせるんですが、その皇后となった娘のためにつくった私的施設が「紫微中台」でした。この皇后のための私的な機関が、のちに政府を動かすほどの権力を持つようになっていきます。
 
 日本の王朝文化というのは天皇を中心にした宮廷貴族文化ですが、必ず二つの世界をあわせもったものだったんですね。平安時代の「朝廷」と「内裏」という二つがまさにそれを表しています。
 朝堂院というところに朝あつまって政(まつりごと)をするのが「朝廷」です。これはハードもソフトも中国風に行うもので、建物も瓦屋根や石畳が用いられた中国様式のものでした。一方「内裏」というのはプライベートな世界で、桧皮葺で高床式の和風の空間のなかで和風のコミュニケーションが行われる場所でした。

 古代の日本は、中国の政治や制度を取り入れて作られていましたので、中国式を「真」、すなわち理想のものとしていました。でも何もかもを中国式にするのではなく、日本独自のスタイルでやるところも守っていた。それを「朝廷」と「内裏」というように使い分けていた。こういった二重構造を最初にデザインしたのが、藤原不比等だったわけです。


■失われた「ふること」を解く

 藤原一族はありとあらゆる制度やルールをつくり、日本という国を牛耳っていきましたが、一言でいえば日本の「言霊」を押さえた一族だったんですね。
 日本ではそれを「ふること」とも読んでいました。すなわち『古事記』の「古事」です。古代の日本では、「事」というのはすなわち「言」でした。つまり、言葉を押さえることによって、すべての事を押さえることができると考えられていたんです。それが「言霊」という考え方です。10冊目にあげた豊田国夫の『日本人の言霊思想』という本はそのような言霊の国として日本を解いた本です。

 日本にはいくつかの言霊を担う一族がいました。言霊を担うということは祭祀を担うということで、古代日本ではそれが政を担うということでもあった。ところが藤原一族が言霊を押さえたことによって、他の言霊一族がどんどん弱体化していったんですね。藤原一族はまたそういった陰謀にも長けていた。
 ボストン美術館が所蔵している『伴大納言絵巻』という有名な絵巻があります。これは大伴一族の伴大納言が大手門に放火をしたという事件を表したものですが、実はこれが藤原氏の陰謀だった。

 11冊目にあげた『古語拾遺・高橋氏文』の忌部氏や高橋氏もそのようにして藤原氏に追いやられた言霊の一族です。「われわれの記憶こそが日本の本当のルーツである」ということを言って藤原氏にクレームをつけたのが、これらの『古語拾遺』『高橋氏文』と呼ばれる文書です。

 私はこれまで、ずいぶんこの文書に取り組んできたものです。もちろん天皇一族と藤原一族のコンビネーションによる日本の国づくりという歴史も大事です。けれどもその影に高橋氏や大伴氏、さらには春日氏や小野氏など、藤原氏に失脚させられた一族たちがいて、彼らがもっていた「記憶の日本」を解かないかぎり、日本というものがなかなか見えてこないんですね。なかでも高橋氏が握っていた記憶は、大変重要なものだったろうと思います。

■鳥の言葉・歌の心

 高橋氏のルーツはアジスキタカヒコネという神様だったということになっています。この神様はオオクニヌシの子で、大人になっても言葉を話すことができず泣き叫んでいるばかりでした。そこでオオクニヌシがアジスキタカヒコネを船に乗せて池に放すんですが、そこに白鳥が飛んできて、このときアジスキタカヒコネが声をあげて叫んだことから、言葉をしゃべれるようになったというんですね。
 日本では、「言葉」と「鳥」は密接な関係があります。鳥は神々の言葉を運ぶものと考えられていたんです。こういった考え方は日本だけのものではなく、もともと東南アジアの鳥伝説だったものが、日本に伝わったのではないかと考えられています。じつは神社の「鳥居」もルーツは東南アジアにあるんです。

 このように、日本の成り立ちと言葉の関係は非常におもしろいんですが、古代日本の言語感覚を読み取るためにかかせないのが、12冊目にもあげた『万葉集』です。 『万葉集』といえばとくに柿本人麻呂が有名ですね。平安時代以降も「歌の聖」としてあがめられた天才歌人でした。
 じつは、人麻呂というのはどうも一人の歌人ではなかったのではないか、「人麻呂」という集団がいたのではないかという見方があります。私もその考え方に賛成してまして、おそらく万葉時代には、「人麻呂」に代表されるプロの歌人集団がいたのではないかと思います。しかも彼らは、自分の思いを歌にするのではなく、天皇の心を代作して歌に詠む「代作歌人」でした。持統天皇や天武天皇が、風景を見ながら心に感じたことを、その場でさっと歌にして詠んでいたんです。

 このように、言霊というのは個人が持つものではなかった。今ふうに言えば共同体が持つものであり、もっと言えばその場所に偏在しているものだった。それをうまくピックアップする能力のある人たちが、こういった人麻呂たちのような歌人になっていったのだろうと思います。(つづく)


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2006年5月 2日


Classic「対談21世紀 松岡正剛×いとうせいこう」(後半)


松岡正剛の出演テレビや雑誌記事、インタビューなど、これまでのたくさんの映像や文章を当「セイゴオちゃんねる」でときどきご紹介します。

その第一弾は、いとうせいこうさんと物語をめぐって語った「対談21世紀」。当時 オペラ プロジェクトで物語研究を手がけていたセイゴオに、いとうせいこうさんが率直な問いを投げかけます。

     番組名   : 「対談21世紀 松岡正剛×いとうせいこう」
     放送年月日: 1993年3月14日
     放送時間  : 30分
     制作    : NHK
     テーマ   : 『オペラ プロジェクト』


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「対談21世紀 松岡正剛×いとうせいこう」(後半)

M:松岡正剛   S:いとうせいこう

■物語の秘密

M:どうして人はファミコンのようなゲームの世界にすぐ入っていけるんだと思います?実は、さっきの話と関係があって、ゲームの世界にも「物語の型」が存在しているからだと思うんです。しかもその型は子供でも即座につかめる。これはプリミティブな例にすぎないけど、人はどんなことが分かるとその気になって次々とオペレートできるのかということが知りたいんだよね。それを拡大していくと国家同士の物語とか部族同士の物語とかにもつながるはず。それで、調査をつづけていたら、「物語の型」に一番関心をもって、すでに大成功している男がいたんだよね。だれだか分かる?

S:うーん。誰だろう。

M:ジョージ・ルーカス! 彼は、米国一の神話学者で英雄伝説のパターンを見出したジョゼフ・キャンベルの一番弟子で、そのキャンベルに教わったパターンどおりにつくった映画が『スター・ウォーズ』だった。ぼくが調べたなかでは、ルーカスフィルムでつくられているシナリオは、すべてキャンベルがつくった3つの英雄伝説を生かしている。

S:英雄伝説のパターンって?

M:セパレーション(旅立ち)、イニシエーション(試練)、リターン(帰還)という3段階構造。これは、キャンベルが70年の生涯のうち40~50年を世界中の英雄伝説の研究についやして見出したものなんだね。

S:そう言われると、たしかにルーカスの「インディ・ジョーンズ」もそうですよね。

M:彼らは「物語の型」に忠実なシナリオをつくるから、自信をもって表現技術にお金をかけられる。これはやられたと思ったね。


■人を吸引する鋳型

S:ファミコンの話しにもどりますが、たしかにドラゴンクエストにも「物語の型」がありますね。別れをともなう「セパレーション(旅立ち)」があって、戦うという「イニシエーション(試練)」、そして「リターン(帰還)」という流れで話が展開していく。ただ、不思議なのはイニシエーションのときに「隠れた母を捜す」というシナリオがついてくるところ。ここの部分は現代の社会事情から考えるとあんまりリアリティがない。でも、それが人を惹きつける鋳型になっているのかな。それにしても「瞼の母」時代の人間じゃない現代人が、そこに吸引されていくとは不思議ですよね。

M:そうだね、ぼくたちの中にも弱みがあって、それがあると「一杯のかけそば」のようにホロリとしちゃう仕組みがあるんだろうな。たとえば、橋田壽賀子さんが怒るかもしれないけど、「おしん」なんかは「シンデレラ」だと思うよ。こういうぼくたちの気持ちの底辺をうごめいている何か「シンデレラ」的なものや「おしん」的なものがある。それをこそコンピュータの中に入るべきじゃないかと思うわけ。

S:そうそう、そこですよ。それが画期的だと思う。その道筋をコンピュータの中に入れこめば、非常に共感性の高いインターフェイスができるわけでしょ。人間を吸引する鋳型の筋をもったソフトがあって、情報を入れるとわれわれに親しみやすい物語の形にして情報をアウトプットしてくれるとか。


■なにかを察知する

S:ちょっと別の話になるかもしれませんが、何かを見て、全く知らないはずのものから急に何かを思い出したりする感じってありますよね。たとえば、絵画を見ていて、悲しいものが描かれているわけではないのに、なぜか悲しくなる。ようするに、その絵のなかに思い出のパターンのようなものが埋め込まれていて、それを脳がキャッチすると「悲しい」という感情とリンクする。その一連の動きは、1度目よりも2度目、2度目よりも3度目のほうが強力な記憶通路をつくる。これが大きくなったものが物語であったり、神話になったりするんじゃないか。

M:きっとそうだろうね。歌にもそういう感覚が埋め込まれているね。都はるみの「北の宿から」なんて歌を聞くと、北の町に行ったこともないのにグッときてしまったりするでしょ(笑)。そういうものを社会学的に、あるいは心理学的に研究している例はあるけど、言葉と感情の動きの関係性をとらえるような研究はないんだね。
つまり、人は何かを見たり聞いたりすることで、悲しくなったり、喚起されたり、やる気が起こったり、しまったと思ったりする。先のことを瞬時に見通せる感覚をもっている。ぼくは、その道筋に興味がある。そんなことがコンピュータでできたらいいという思いがある。

S:コンピュータもだし、本とか他のメディアでも実現できそうな気がします。

M:そうそう。すでに「劇場」と「書物」の世界では実現しているね。ぼくは、シェイクスピアの舞台やバロックの書物のような、いろいろなコトやモノが起こせるシステムとか装置にすごく関心がある。


■人間の記憶装置

S:物語や神話というものは、もともと無文字社会から始まっていて、その時代の記憶は、琵琶法師の平家物語がそうだったように口承伝説がほとんどですよね。語り部の語りが記憶装置の一つだったし、また、能や歌舞伎みたいに物語をワキとシテに分けて動かすことでストーリーを認識するというのもその一つ。ようするに琵琶法師というフロッピーがあり、お能というフロッピーがあったと考えると分かりやすい。
それが18世紀にグーテンベルグの印刷機が登場して、人々が「書物」という新しいフロッピーの存在に気がついて、物語を文字で書き止めるようになる。そうすると次第に「書くこと」のウェイトがどんどん大きくなっていって、それまで「聞くこと」や「見ること」で覚えてきた身体的な記憶は、「書物フロッピーにはありません」という話になってしまった。メディアの主流からはずされてしまった。

M:そのとおり。印刷機が登場するまでは、人は書物を読むようにシェイクスピアの劇場に行き、新聞を読むように歌舞伎座に行っていた。当時は、そこに行かないとフロッピーがないから、人のほうが出向いていたわけだよね。そして、蝉丸とか団十郎というフロッピーに出会い、情報や物語を受けとっていた。今の時代は、自分の方に情報を寄せてくることが容易になったぶん、身体的な記憶装置や再現装置への感度も落ちているんじゃないか。オペラプロジェクトでは、そういうものも扱ってみたいと思っています。(完)

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2006年5月 1日


Classic 「対談21世紀 松岡正剛×いとうせいこう」(前半)


松岡正剛の出演テレビや雑誌記事、インタビューなど、これまでのたくさんの映像や文章を当「セイゴオちゃんねる」でときどきご紹介します。

その第一弾は、いとうせいこうさんと物語をめぐって語った「対談21世紀」。当時オペラプロジェクトで物語研究を手がけていたセイゴオに、いとうせいこうさんが率直な問いを投げかけます。

     番組名   :「対談21世紀 松岡正剛×いとうせいこう」
     放送年月日:1993年3月14日
     放送時間  :30分
     制作    :NHK
     テーマ   :『オペラプラジェクト』

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「対談21世紀 松岡正剛×いとうせいこう」(前半)

M:松岡正剛   S:いとうせいこう

■脳から引き出された物語

S:松岡さんは1990年から3年にわたって「オペラプロジェクト」(※1)を進めていますよね。「神話」をハイパーメディアの中にいれるという話のようですが、いったいなぜ、松岡さんがそんなことを始めたのか非常に興味があります。面白そうですが、どこがツボなのでしょう。

M:まず一つめは、ぼくはずっと昔から「脳」に関心があって、なかでもニューラルネットワーク上で情報がどういう形になっているのかということに興味がある。たとえばいま「京都」って言われたり、「大学時代」って言われると、急にいろいろなことが思い出される。何も言われなければ、情報は頭の中に入ったままで、かなりぐちゃぐちゃだったり、ランダムだったりするのに、一つの言葉を引き金に情報が連続的に引きずり出される。しかも、その情報にはたいていナラティビティ(物語性)がある。ぼくは、この仕組みが知りたかったんだね。

S:そのお話をうかがって、人に自分が見た夢を話すときと同じような感じかなと思いました。どんな夢だったと聞かれると、夢を物語のように語ることができますよね。でも、実際には人は夢を断片的でフラッシュ的にしか見てない。ところが、話すとなるとなぜか物語になってしまう。たとえば、「ニューヨークにいたはずの友達が、なぜか次にはカルフォルニアにいる」みたいに、「なぜか」でつなげるところに根源的なナラティビティーがある。

M:そうそう。それから二つめは、1歳から3歳くらいまでの子供を研究したときに気がついたことなんだけど、3歳くらいになるとある日突然、それまでは断片的にしか話せなかったことを急に物語として話せしまうようになるらしい。そこで「うちの子は天才かもしれない」って話になる(笑)。でも、それは天才ということではなくて、だれにでも起こることで、それがナラティブネットワークというか「記憶の鋳型」なんだね。
人間の脳にひそんでいる鋳型や雛形みたいなものと、人間が歴史の中で培ってきた神話、古典、喜劇、悲劇、踊りが、どうもどこかでシンクロしてつながっているのではないかということも、ぼくの大きな問題意識の一つだった。

S:脳の中にも鋳型がある。そうだったのか。

M:三つめは、ぼくはもともとコンピュータに関心があって、とくにハイパーマルチなメディアに関心が強いということ。いまのコンピュータは個人のプライベートな感覚に非常に近くなっているのに、これほど脳と関わりのある「物語」を入れ込む仕組みがない。
だいたい今のパソコンの機能は、あきらかにデスクトップのメタファーだから、机の上に鉛筆があります、消しゴムがあります、棚があります、近くにゴミ箱がありますという感覚で終わってしまっている。もったいない。だから、もう少しいろいろなものを入れて物語脳(ナラティブブレーン)っぽいメディアをつくれないかなと考えている
この3つをぐるぐるまわしているうちに、ナラティビティとコンピュータ的なアーキテクチャーを一緒に考えようとか、プログラム言語自体に物語性をつけてみようという発想になってきた。それがオペラプロジェクトになったわけです。


■相似的原型性

S:神話をハイパーメディアの中にいれてみようとするなかで、「これは確かに日常的に夢を人に語るのと同じ構造だ」というような、なにか確信的なことはあります?

M:そうだねえ、たとえば「シンデレラ」という物語には、少なく見積もっても340くらい、多くみれば840くらいのバージョンがある。ただし、シンデレラは末娘ではなく姉だったとか、道の向こうから歩いてきた子がシンデレラだったとか、失くしものがガラスの靴ではなくスリッパだったとか、いろんなバリエーションがあるんだね。そのバリエーションの数だけ細部が違っていて、ちょっと聞いただけだととうてい同じシンデレラとは思えない。でも、多くの人がすぐに「なんかその話、シンデレラに似ている」と感じる。日本の三大話「桃太郎」「一寸法師」「浦島太郎」なんかも、どこか似ているでしょう。最後に宝物を手にしたり、未知の国へ行ったり、その途中でさまざまな試練があったり。こういうふうに物語の原型が脳の情報システムにやってきたときに「似ている」と感じることが重要で、そのとききっと脳の中にある「相似的原型性」に思い当たっているんでしょうね。面白いでしょ。

S:聞いていてワクワクしてきました。

M:面白いでしょ。

S:それをどうリンクさせるかということにすごく興味があります。世界の物語にはそれぞれ算盤ではじき出したようなパターンがあるということをノースロップ・フライが文化人類学的にすでに言っていますけど、話はそこで終わらないわけですね。つまり、あるパターンをふまえると、それは「シンデレラ」の話に似るというようなことが現実にあって、物語以外にも人間が日常生活においてモノを考えるときのパターンがあって、それがある意味「装置」として脳のなかに埋め込まれているということなんですね。

M:そうそう。


「オペラプロジェクト」(※1)
情報の「物語性」と、物語の「マルチメディア性」に注目した松岡正剛が、総合的な情報文化技術を開発する目的で発足したプロジェクト。高山宏、荒俣宏、黒崎政男、室井尚、田中優子、杉本圭三郎さんらが参画。世界の古今1000の物語を選定し、これを電子化するとともに共通のアーキテクチャーを設計するというところからスタートした。さらにそこから多様なメディアやツールを開発していこうというもので、その100の物語(ギリシア物語、『平家物語』、『ファウスト』、『白鯨』など)は、必ずどこかで何通りもの連関をもつように構想されていた。


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