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1305夜
第千三百五夜 2009年6月30日
Seigow's BOOK OS / CORE
アントニオ・ダマシオ
無意識の脳・自己意識の脳
Antonio R. Damasio : The Feeling of Whhat Happens 田中三男訳 講談社 2003

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SM  今日はアタシでいいですか。
MS  いいよ。久しぶりだね。
SM  何でも尋ねていいですね。
MS  うん。
SM  じゃあ、さっそくいきますよ。松岡さんが一番大事にしているヴィジョンって何ですか。
MS  えっ、そうきたか。うーん、ヴィジョンではなくて、僕の場合は方法ですね。主題的ヴィジョンなんて、あやしいよ。だって平和についてとか音楽についてとか言っても、これは平和と反対の戦争を突き詰めても、音楽じゃなくてノイズを突き詰めても、同じだからね。主題はいくら変わっても、その変化の函数の中にあるんです。だから方法的な思考そのものが一番おもしろい。
SM  一番大事なのは思考方法? でも思考方法っていっても、いろいろですよね。
MS  ぼくがずっと考えてきたことは「編集的自己」(editing self)の可能性や役割についてのことです。
SM  ずっと?
MS  35年間くらいはね。まあ、4、5年おきに集中的に考えている。最近またそのシーズンになっているかな。
SM  なぜ、そんなに重視するんですか。
MS  いろいろ理由はあるけれど、ぼく自身が編集的であるとしか感じられない思考や行動をとりながら日々を暮らしたり、仕事をしたり、遊んできたというのが最大の理由だね。
SM  その編集的自己ってどういうものですか。松岡さんそのものですか。だったら、たんなる自己や自己意識とどこがちがうんですか。ひょっとして隠れ自己愛?
MS  ハハハハ。でもね、ぼくはぼくの自己や自己意識なんて説明できないと思っているし、それを説明する興味もほんとんどないんだよね。どうしてもというのなら、ぼくのリフレクティブな活動をあれこれ見てほしいということになりますね。たとえば、ぼくがつくってきた雑誌や書籍で見せた編集感覚を感じてもらい、この「千夜千冊」をせめて50夜ぶんくらいは読んでもらい、ときにはぼくのいささか実験を志した語りをナマで聞いてもらうなんていうのは、むろんありがたい。
SM  それは方法というより、松岡さんの才能でしょう。
MS  ほれほれ、そういうふうに勘違いされるのがオチだよね。
SM  才能ではないとは言わせませんよ。
MS  それがどっこい、才能によって説明できることは実はとても少ないんだね。だいたいぼくは記憶力が悪いし、かなりのアガリ症で、機敏な行動はさっぱりで、おまけに生活感に乏しく、サバイバル能力がない。アフォーダンス理論でいうところのマイクロスリップもはなはだしく多い。
SM  それって、ちょっとずるい。でも、アガリ症なのは知ってる。
MS  そうだろ。

SM  そういう松岡さんが、どうして「編集的自己」などという難しそうなものだけにはめざめたんですか。自己愛しにくいじゃないですか。
MS  だから自己愛じゃないっていうの。
SM  じゃあ、何ですか。
MS  自分が何かを感知したり認識したり、あるいはそれを再生したり表現したりするにあたって、ずいぶん以前からトレーニングしてきたことがあってね、そこからいろいろなことが積み重なってきただけだろうね。そのトレーニングが編集的だったんです。そこからぼくが、孫悟空だか天狗だか冬虫夏草だか粘菌類のように派生してきたようなもんだね。だから編集的派生自己。それが松岡正剛ですよ。
SM  ちょっとよくわからない。ごまかされているのかも。
MS  わからなくてもいいけれど、それ以前のぼくはむろんあったけれど、それ以前を含めて、ぼくはそのトレーニングの中で「編集的自己という松岡正剛」になったわけですよ。プロ野球選手だって、三沢光晴だって、マイケル・ジャクソンだって、そういうもんだよ。みんな、そういう編集的自己でしょう。
SM  ま、本人がそう言うんだから、いいか。じゃあ、そうなったきっかけは何ですか。
MS  いまはヒミツだな。ぼくの若いころ、ある知人が脳の障害をおこして、ぼくがそれにかかわったということです。でも、その話はまだしにくい事情があるんでね。
SM  それ、なんとなく聞いた感じもするんですが、まあ、いいです。じゃあ、そのトレーニングについて話してください。
MS  そのごくごく一部については『知の編集工学』(朝日文庫)の174ページ以下に紹介してあるんです。そうだなあ、今夜は、そのことをアントニオ・ダマシオの「ソマティック・マーカー仮説」とその周辺をめぐるいくつかの変わった仮説とともに話してみようかな。
SM  誰? ダマッチオ? ダヌンチオ?
MS  ダマシオ。
SM  ゴマシオみたい(笑)。誰ですか、それ。
MS  ポルトガル生まれの脳科学者で、お医者さんです。ぼくと同じ歳で、リスボン大学やハーバード大学で脳科学や認知神経科学の研究をして、とくには脳障害者の治療と研究をすすめたのち、いまはカリフォルニア大学の「脳と創造性の研究所」のメインキャラクターになっているのかな。イケメンだよ。
SM  そのダマシオさんのソマティック・マーカー仮説? 癌マーカーの、あのマーカー?
MS  うん、マーカーはそれに近い医学用語だけれど、ダマシオを有名にした脳の仮説だね。自己意識に関する「ソマティック・マーカー仮説」(somatic marker hypothesis)というもので、ソーマ(soma)というのはギリシア語の「身体」という意味でしょう。その身体的なものを脳はどういうふうにマーキングしているのかという仮説。
 だから、これを訳せば“脳における身体的記譜仮説”とでもいうものになるのだろうけど、とりあえずわかりやすくは、「自己意識は脳のなかでの身体的なマーキングをともなっている」という仮説と思ってもらえばいいだろうね。そのダマシオの仮説と、ぼくがどんなふうにトレーニングによって「編集的自己」に関心をもっていったのかということを、今夜はちょっと重ねてみようかな、と。それでいい?
SM  はい、そっちのほうの話からしてください。


脳が受け取る感覚信号の種類
感覚信号の種類は体液性のものと神経的なものという
二つの異なる伝達径路によって分けられる
またこれら全ての信号には外界と身体という二つの源がある


脳の体性感覚システムは、接触、温度、痛みといった外側の感覚と
間接位置、内蔵状態、痛み、といった内側の感覚の双方を感知する


MS  おおざっぱにいうとね、かつてぼくが自分自身に試みたトレーニングには二つの編集的基本型があってね、それがあいついで重ね合わされていくんです。でも、最初の基本はカンタンなもの。
 ひとつは、自分のアタマの中で動いている編集プロセスをリアルタイムで観察して、それをちょっとおくれてから再生し、またしばらくたってから再生するというもの。まあ、自分のリアルタイムな意識変化をどのくらいトレースできるかというエクササイズだね。
SM  そんなことできますか。だって自分で自分を精神分析するみたいなものでしょ。
MS  むろん、とうていうまくいかないんだよ。それから、これは精神分析とはまったくちがっていて、むしろ逆で、深層に入るんじゃなくて、出てくるものを見るんだね。途絶えない流れのほうをね。ウィリアム・ジェームズやプルースト(935夜)やジョイスの「意識の流れ」のほうに近い。
SM  ふーん、じゃあブンガクと同じ?
MS  べつだん作品にまとめたいわけじゃない。発表するわけでもない。
SM  シュルレアリスムのオートマチスムでもない?
MS  あれは学生時代にかなりやったけれど、それこそすぐにブンガクできるので、つまらなかった。
SM  じゃあ、何のためですか。
MS  これを何度もくりかえしているとね、いったい自分の観察や思考といっても、いったい何が肥大して、どこでズレがおこって、どういう語感が曖昧になり、どんな印象がまったく抜け落ちてしまうのかといったことが、だんだんわかってくるんです。たとえば、ぼくはいま珈琲を飲もうと手をのばしたわけだけれど、その数秒間のあいだにいろいろなことがアタマの中を走っているわけだよね。そこには記憶の突出もあるし、次に話す言葉をさがしてもいるわけだ。そのようなことを見てみたかったんだね。
SM  マジに? ええっー、わかんない。それって何のためですか。
MS  さっきも言ったような知人の事故に立ち会って、記憶がなくなった人の意識の中に何があって何がないのか、そのサポートを頼まれたのと、あとは空海(750夜)の言語論や禅の公案にひそむ意識論や三浦梅園(993夜)の反観合一の条理に関心があったからだろうね。まあ、ぼくのアタマの中が見えないままで、何が思想か、何がブンガクかと思ったんだろうね。
SM  そうか、やっぱり何か深いワケアリですよね。それは聞かないでおきましょう。で、そういうことをして、それがうまくいかなくていいんですか。
MS  これはトレースだよね。エディティング・トレース。でも、そのトレースさえうまくいかない。けれどももまったくできないのではなくて、あとで気がつくんだけれど、編集的自己にとっては、その「失落」や「誇張」の特徴のほうが大事なんだね。
SM  シツラクエン。あ、ごめんなさい。まだ狙いがよくわからなくて。で、二つあるって言ったもうひとつのトレーニングは?


損傷をうけると推論と情動のプロセスを阻害する領域群
イメージの統合と記憶の想起の間に身体が関与している


MS  もうひとつは、外から入ってくる刺激や情報を実況中継することをした。街を歩きながらいろいろ試してみたんです。見えてくること、聞こえていること、感じたこと、その場その時に思い出したことなどを、これもリアルタイムでアタマの中でかたっぱしから実況放送するんだね。
SM  そんなことして、おかしいヒトと思われませんでした?
MS  まあ、ブツブツとはしなかったから、なんちゃっておじさんにはならないですんだ(笑)。アタマの中で実況していたから。
SM  ああ、そうか、それって考えてみれば誰だってしてますよね。アタマの中では。でも、信号渡っているときに考えていたことなんて、次々に忘れちゃう。
MS  それもそうなんだけれど、もっと問題なのは、刺激によって知覚されてくる情報の質量とスピードに、言葉が追いつくわけはないでしょう。発話言語だって思索言語だって、すっごく遅いからね。追いつかないだけではなく、それにまして知覚情報と言葉情報とはほとんどぴったりしない。思いつきの言葉というものは、どうにもだらしないものなんだよね。まったくがっかりするほどなんだね。ところがね、それでも、言葉をちょっとは意識的につかおうとすることが、そもそも編集的な自分をブーツストラッピングしているのだということだけは、だんだんわかってくるんだね。だからこういうエクササイズをいろいろな場面で徹底していると、自分が選んでつかう言葉や思わずつかう言葉の連結ぐあい(リンキング)、イメージしている事柄のおおざっぱなドメインの範囲(フィールディング)、認識と表現とのあいだのいちじるしい欠損の度合い(ルナティング)というものが見えてくる。
SM  リンキング、フィールディング、ルナティング、ですか。うーん、カッコいい。はい。それで、どうなっていくんですか。
MS  おおざっぱな編集的自己の骨格のようなものが見えてくる。でも、まだなんとなくちがっていた。
SM  まだちがうの? ドリョクしているのにね。
MS  急にタメグチだね。ま、いいか。ちがっていたというのは、この二つのエクササイズには、実は大きな欠陥があったんだね。それはアタマの中での処理に片寄っているということなんです。ヘタすりゃドードーめぐりだものね。
SM  ヘタしなくてもドードーめぐりです。
MS  そこである時期からは、スタッフやゲストと喋っているときに、この逐次トレースの反応を口にしたり、相槌だけにしたり、投げ返したり、感想をすばやく話したり、ノートをとりながら対話してみるということをやってみたんです。それも半年くらい続けてね。またときにはそれらをドローイングにしたり、ラフな図解にしてみるということをしましたね。

SM  何か変わってきましたか。
MS

 自分では気づかずに、あることは繰り返しループに入りこみ、あることは適当な笑いですませ、あることはしっかり語句変換したり、急にアタマの中にラフな図解が浮かんだりしていたことが見えてきましたね。そしてそれらのことを、またあとで追想し、再生してみたわけだ。
 こうしてやっとわかってきたことがあった。情報的体験というものはね、アタマの中だけではなく、「アタマの中の何かのしくみ」と「体を含めた何かのマーキング」とが、かなり連動しているらしいということだったわけだ。それが口元や手の動きとしてとか、言いよどんだフィーリングとしてとか、口がカラカラになった感じとしてとかね。そういうノンバーバルな言葉以外のものとけっこう結び付いていたんだね。

SM  うんうん、それはわかる。
MS  それから、その日のトータル・エモーションの調子の波の起伏なんかとも関係がある。あるいは相手の気持ちに感応しすぎているとかね。というわけで、自分の現在トレースというかんたんなことだって、実は脳とカラダのあいだのさまざまなファクターやファンクションによって何らかのマーキングをうけていたということなんだね。
SM  なるへそ、なるへそ、それでダマシオさんですか。
MS  そうだね、編集自己トレーニングで感じたことは、カラダとの関係のことだけじゃないんです。 情報の体験的編集には「場」もおおいに関係があった。当時はカラダの関与のことよりも「場」との関係やそのコンフィギュレーション(配置)のほうが関心があったかな。で、そうこうしているうちに、ぼくはそのようなマーキングや場とともに編集的自己をもっと拡張しながらトレースしようとしていくわけだね。
SM  まだ懲りてない。(笑)拡張というのは何ですか。
MS  一番わかりやすいのは読書だね。本を読んでいるときにこのエクササイズを同時にやると、とんでもなく多重化してくるんだね。
SM  どうして?
MS  だって、本の著者が書いていることがまずアタマに入ってくるんだけれど、それをまたぼくがいろいろ想像したり、とびはねたりするわけだから、その流れをトレースすると、かなり立体的になる。文脈を追うだけでじゃなくて、ぼくの視点の動きがザイテンになる。
SM  ザイテン?
MS  在点。ポイント・オブ・ビューの視点じゃなくて、ポイント・オブ・ビーイングの在点。ま、ブラウザーが多重になっていくということかな。それをプラトン(799夜)読んでもやって、湯川秀樹(828夜)読んでもやって、ともかくいろいろ読んで、それをまた多重化してトレースするもんだから、どんどん拡張して、重層化していくんだね。


視覚情報のトレース実験
ある図柄を見せて実験動物の視覚皮質に活性化を引き起こさせる
視覚皮質のマーキングパターンと動物が見た図柄に
著しい相関があることがわかる


SM  そうすると、松岡さんの「編集的世界観」というのは、そういうところからつくってきたんですか。
MS

 そうだねえ。

SM  それって知識の積み上げからじゃなかったんですか。
MS  そういう人はいっぱいいるだろうけれど、ぼくは「読み方」という方法のザイテン化から入ったから、結果としては知識もふえただろうけれど、むしろ最初から「関係の多重ブラウザー」をつかっていたということのほうが大きいね。どちらかというと、白川静(987夜)さんの方法に近い。白川さんは最初から「詩経と万葉集を同時に読む」という方法と、甲骨・金文を関係的にトレースしつづけたわけでしょう?
SM  あれっ、アタシ、急にわかってきた。それって、やっぱりすごいですね。でも、なんちゃっておじさんと紙一重なんだ。
MS  まあ、アンタのアタシにかかると、そうだろうね。
SM  では、今夜の本論、ダマシオさんに行きますか。その前に聞きたいのは、脳の科学ってつまらなくありません? だって、人間の本質も心の本質も、生きるも死ぬも、サルもヒトも技能もアーハも、何だって脳だなんて、茂木健一郎(713夜)さんのせいかもしれないけれど、そんな答え方ってインチキじゃないですか。最近の脳死の問題だって、ちょっと変。
MS  何だって脳の問題だというのは、たしかにおかしいね。脳死でも死を決めるのも、おかしい。生命のシステムは連続的で、しかも自律分散系で複雑適応系だからね。ただ、脳でわかることも、仮説できることも多少はあるわけで、ダマシオだけじゃないけれど、それはそれでかつての量子力学や宇宙理論のように、かなりスリリングな分野ではあるんだね。
 それに「自己」とか「意識」というのが、そもそもあやしいよね。よくわからないものだよね。そのあやしさの原因のけっこう大きな部分は唯脳論にあるんだから、あやしさはあやしさをもって破墨されなくちゃいけないわけで、そういう意味では「脳に勝手なことを言わせない」という仮説も大事なんだねえ。
SM  多様性を多様性で破るということですか。
MS  そうそう、その責任を脳や脳科学者にとらせなくっちゃ。
SM  それでダマシオさんは、カラダを持ち出したんですか。
MS  まあ、そうだね。ただし、自己や意識の輪郭的正体や概念的正体を議論するのにあたって、身体や身体感覚を持ち出すことはめずらしくないんです。すでにアリストテレス(291夜)からベルクソン(1212夜)にいたるまで、スピノザ(842夜)からメルロー・ポンティ(123夜)にいたるまで、かなりたくさんの哲人や思想者たちがそのこと、それを「心身問題」っていうんだけれどそれを議論してきたよね。
 ところが脳科学や脳医学において重視されてきたカラダは、その多くは脳の部位やニューロトランスミッター(神経伝達物質)がどのように運動機能や連絡機能と関連しているかというようなことを指摘するにとどまってきたわけだ。脳のどこかに障害がおこるとどこかの運動機能が損傷するというふうにね。だから、身体という概念のモデルや身体の動きの全像のモデルを、脳がなんとかしようとしているというような見方は、ほとんどなかったわけだ。そういうあたりに、アントニオ・ダマシオがが脳の中の出来事によってソマティックなマーキングの証拠をあげだしたということです。


身体から脳への信号の伝達
モード認知と関連想起に変化を起こす誘発部位と
感情に対する直接的基盤を構成している身体マップに
変化を引き起こさせることで、身体が感情形成に影響を与える


SM  で、今夜はダマシオさんの何をとりあげるんですか。
MS  『無意識の脳・自己意識の脳』という本だけれど。
SM  なんか、堅いなあ。
MS  いちいちうるさいね。原題は“The Feeling of Whhat Happens”というもので、けっこうカッコいいんだよ。むしろ「フィーリングの正体とは何か」というんだね。
SM  それならちょっとおもしろそう。でも、無意識とか自己意識って、その用語そのものかつまらない。
MS  それはね、みんなが「自己」(self)をもっていると思っていること、そんなふうに子供のころから思いこまされていることが、つまらないというか、片寄った見方だからだろうね。それをしかもアイデンティティ(自己同一性)があるとも、パーソナリティ(個性)があるとも言っているよね。これまた哲学的にも科学的にも、またぼくの実感からしてもたいへんあやしい用語なんだけれど、それはひとまずおくとして、その自己は意識(consciousness)で充満している、あるいは意識とその隙間をもって埋められているとも思われているわけだ。それで、それをまとめて「自己意識」(self consciousness)とも言ってきた。だから、その正体に切りこむためにも、いったんはこの用語とぶつかるしかないわけだねえ。
SM  ダマシオさんはマジでぶつかったんですか。「編集的自己」に徹したんですか。
MS  かなりマジに、ぶつかってはいるね。たとえば、よくフィーリング(感情)とかエモーション(情動)と言うけれど、脳科学はついついフィーリングを個人的なもの、エモーションを類的で本能的なものと分けたよね。でも、これは何かすっきりしない。いろいろ注文をつけたいはずなのに、これまで脳科学はこのあたりをできるだけおおざっぱに見るようにして、責任をとってこなかった。
 しかし、それがよくなかったのではないかとダマシオは考えた。そして、そのように自己像や意識像をよくいえば大目に、わるくいえば無責任に見逃してきたのは、この自己意識をめぐる議論に“脳内の身体像”の関与がなかったからだと考えたわけだ。こういうところはちゃんとぶつかっている。


内蔵、筋肉と間接、神経物質を生産する核からの神経信号が
大脳皮質に届くこと、また内分泌系の化学的信号が血流などを介し
中枢神経系に届くこと、以上のソマティックなマッピングにより
脳は情動を感知することができる


SM  それがソマティック・マーカー仮説?
MS  いや、それだけじゃない。ただ、ソマティック・マーカー仮説については『生存する脳』(原題『デカルトの誤り』講談社)という本のほうが詳しくて、最新のものは『感じる脳』(原題『スピノザを探して』ダイヤモンド社)が邦訳されているので、以下、適度にまぜながら案内することにするね。
SM  はい、どーぞ。で、ダマシオさんって有名な科学者なんですか。アタシが知らないだけ?
MS  アメリカやヨーロッパではベストセラーになっている。日本ではまだだねえ。さいわいにも、日本語の訳者はいずれも旧知の田中三彦さんで、この人はね、ぼくが20年以上も前にアーサー・ケストラー(946夜)の『ホロン革命』(工作舎)で翻訳をお願いした人だった。お世話になったのだけど、その後はほとんど再会できていない。こんなところで、どうもお久しぶりでしたと再会するのもおかしいけれど、まあ、紹介するんだから勘弁してもらおうね。これでダマシオ本も売れていくでしょう。

SM  それではセンセー、ごくごくわかりやすく言ってもらうとすると、ソマティック・マーカー仮説って何ですか。
MS  脳には“ソマティック・ブレイン”ともいうべき「脳が身体を表象しているしくみ」があるだろうということだね。これがアントニオ・ダマシオの出発点の発想です。実際にはさまざまな脳障害患者の詳しい事例研究から出発しているんだけれど、そういう研究のなかから、けっこうたくさんの仮想概念をつくりだしていった。そこがちょっとおもしろい。
SM  どういう概念?
MS  あのね、われわれはつねに「注意のカーソル」(cursor of attention)をめまぐるしく動かしているよね。それは何をしているかといえば、次々に決定しなければいけない脳の中のオプションを選択しようとしているからでしょう。
 しかし、注意のカーソルがどんなふうに動こうとも、それによって自己意識がすぐにひっくりかえったり、解体したり、おかしくなったりするようでは困るよね。だって連想ゲームをすればわかるけれど、注意のカーソルはいま「リンゴ」と思っても、次には白雪姫になり、札幌になり、大倉山シャンテになって、骨折の思い出になったりするからね。それでもそういう連想を支える何かが脳のどこかにないと、ヤバイよね。じゃないと、カーソルが飛ぶたびに自己解体がおこってしまう。
 それでダマシオはそんなふうにならないための一種のホメオスタシス(恒常性)のような維持のしくみがあるはずだと考えたわけだ。脳が、脳によって表象されている事柄や出来事をフレーミング・インしたりフレーミング・アウトしたりするための、小さいくて柔らかいだろうけれども、しかしきわめて重要なホメオスタシスのようなものをね。
 ダマシオはそのホメオスタシスのようなものを支えているのがソマティック・マーカーだと考えたんです。
SM  脳のなかでの身体的なアフォーダンスのようなもの?
MS  うんうん、そういうものに近い。そのモデル化だね。そこにココロとカラダの按配をうまく調整しているマーキングの作用があるはずだと仮説したわけだ。
SM  たとえば、どんなふうにですか。
MS

 ちょっと専門的になるけれど、ダマシオが突き止めつつあるいくつかの候補のソマティック・マーカーの重要なひとつには、前頭前皮質に始まるマーキングがあるみたいね。
 前頭前皮質というのは感覚領域からの信号の大半をうけとっている領域で、われわれの思考をつくりだしているんです。そこには体性感覚皮質も含まれるんだね。これはわれわれの触知感をつくっている。それとともにその前頭前皮質は、脳の中のいくつもの生体調節部位からの信号も同時にうけとっている。ドーパミン、ノルエピネフリン、セロトニンなどをばらまくニューロトランスミッター放出核からの信号とか、扁桃体、前帯状回皮質、視床下部からの信号とかをうけとっているんだね。
 こういうような任務をはたすことによって、前頭前皮質はわれわれがどんなに注意のカーソルを動かしても、平気の平坐で“自己意識身体”とも“自己身体意識”ともいえるようなソマティックな表象を維持できるようにしているというんだね。

SM  それって、脳の部位をいろいろ刺激してMRIなんかで見ると分かってくるという、例のやつですよね。
MS  それだけじゃなくて、実際の患者さんのデータとかいくつもの症例の重ね合わせとかもあるんだけれど、まあ、脳科学実験で見えてきたということだよね。ということは、それをもって自己意識がソマテッィクに支えられているとは、まだいえないよね。
SM  はい、そんな気がします。そうすると、どこがダマシオさんはおもしろいんですか。
MS  そこに理論的な仮説も加えていって、一種のソマテッィク・ワールドのプロトタイプをモデル化していったということかな。
SM  そのことのために仮想概念をいろいろ想定したんですか。
MS  そうだね。
SM  たとえばどういう概念ですか?
MS  「原自己」(proto self)とか、中核意識(core consciousness)とか、延長意識(extended consciousness)とかね。
SM  なんか理屈っぽ〜い。
MS  またまたうるさいんだよ。あのね、仮想概念は理論モデルだけのためでもあるんだよ。でも、仮想概念といっても、パウリのニュートリノや、湯川さんの中間子じゃないけれど、ほんとうにあるのかもしれい。
SM  その前に、リロンだけでもおもしろくしてください。

MS  じゃあ、ちょっとだけ順序を追っていうと、そもそもダマシオは、これまで脳科学は自己意識については、ほぼ次のことまでをなんとかあきらかにしてきただろうと整理をつけたんです。
 第1には、意識のプロセスのいくつかは脳の特定の部位やシステムの作用と関係づけられるだろうっていうことだね。これはまさにMRIなんかで確かめられることだ。第2には、意識と注意や、意識と覚醒を分けることは可能だろうということだ。なぜなら信号を渡るときや卵を割ってオムレツをつくるときに動いている注意のカーソルは、そのつどそのつどは意識の全体にはたらなくてすむようになっているし、眠っているときの意識は起きているときの覚醒感覚とは一応は分離されているだろうからね。だから、意識は注意や覚醒とは異なっている。そこもわかってきた。
 それから第3には、けれども一方、これまでの脳科学では意識とエモーション(情動)とは分離しがたいのではないかということも見えてきた。ここをちょん切ってはいけないんじゃないか。だから、ダマシオはあとでこの問題にとりくんでいく。第4に、意識は単純なものと複雑なものというふうにいくつもに分けられるだろうし、それでいてまた複合しているのだろうということで、これもなんとか技術的にもコンピュータを駆使してわかってきた。そして第5に、意識はコンベンショナル・メモリー(通常記憶)やワーキング・メモリー(作業記憶)に依存するものと、依存しないものとの両方をもっているのではないかということだね。
 だいたいはこの5つは見えた。でも、これではとうてい自己意識の形成のしくみには届かないだろうと考えたわけだ。他方、さっきも言ったように従来の脳科学で脳のなかの身体像というものはまったく想定できていなかったから、ダマシオはなんとかソマティック・ブレインのモデルを導入しようと思っていた。まあ、ざっとはこういう手順で、これらのあいだをつなぐものとして、まずは原自己とか中核意識とか延長意識のようなものを想定したわけですね。


身体と脳の相互作用で意識の形成のプロセスを描く
ソマティック・ブレイン・モデル


SM  うまくいったんですか。
MS  まだまだ実証レベルじゃないから、うまくいったというわけにはいかないけれど、その前に、まずもってはこういう説明概念がうまくつながるかどうかだね。でも、ぼくが「編集的自己」という見方でトレースするかぎりは、ちょっとおもしろい。
SM  どこ? どこがおもしろいんですか。
MS  まあ、そう焦らない。おもしろいところへいく前に、ちょっと説明しておくと、「原自己」というのは自己意識の前兆のようなものなんです。意識そのものじゃない。ニューラル・ネットワークのパターンとして示された生物学的な先駆けみたいなものだね。でも、それがソマティックな信号を最初にマッピングするんだね。
 実際にも脳幹核がその有力な候補であるらしい。信号が脊髄路・三叉神経・迷走神経・最後野を通ってきて、最初の身体的現在表象をキックするのがここのようなんだね。そこに、モノアミン核やアセチルコリン核や、それから視床下部、前脳基底部、島皮質、内側頭頂皮質も関与しているらしい。これはけっこうなレパートリーだよ。


原自己に関係するいくつかの構造位置


身体から脳への各信号伝達の構造ダイアグラム
重要な信号のかなりの部分が、
脊髄と脳幹の三叉神経核からの径路により伝達される


SM  はあ、そういうものですか。
MS

 次の「中核意識」は、脳のなかの生物的な現象や作用による意識をさしていると思えばいいかな。だから人間に特有なものじゃない。高等生物にそなわっているものと見たほうがいい。したがって、中核意識はコンベンショナル・メモリーやワーキング・メモリーに依存していないほうの底層の意識ということになるね。ということは、この中核意識は仮に人間的な意識が壊れたりしても、生物的な意識として身体を維持しようとすることになるわけだ。
 さっきちょっと話したけれど、ぼくの親しい知人は事故によってほとんどすべての記憶を喪失していわゆる植物人間状態になったようだったけれど、いや、そのように当時の医学では判断されたんたけれど、必ずしもそうじゃなかったんだね。というのは、その植物人間状態めいたときは、中核意識だけでしばらく生活をしていたわけで、それが生き生きと作動していたからこそ、その後にふたたびそこに人間的な自己意識の花を咲かせることになったんだね。

SM  なんとなく見当がつくんですけど、それって記憶がよみがえったということですね。
MS  それもあります。実はその記憶の移植を手伝ったのがぼくだった。大学時代のことだけれど、それがぼくの“初の脳科学体験”だったんだね。まあ、さっきも言ったように、いつかこの話をしても許される日がきたら、詳しいことを話したい。この体験があったから、ぼくは「編集的自己」に突き進むことになったんですね。
SM  はい、うすうすそんな気がしていました。


中核意識の連続パルスが意識の流れを生む
無数の対象との相互作用が常に原自己を修正することから
イメージの強調をもたらす統合的なニューラルバターン
(二次マップ)が形成される


MS  次の「延長意識」はその名の通りでね、脳のなかの時間や時制にかかわっているものですね。「いま・ここ」というところに生じた意識や、かつての「いま・ここ」に生じた過去の意識を、その後も「そこ」や「むこう」に持って行っても保持できるデバイスのことをいう。ぼくなら”here-there デバイス”とも言いたいところだけれど、これによってダマシオは前にも後ろにもアトサキ自在な「自己」が有機的に編集できているんだと考えたんだろうね。
 というようなわけで、こういう仮想概念によってソマティックな脳のしくみの説明を試みたわけです。けれども、まだ何かが足りない。なぜ脳の身体像は維持できるのか。それがなかなか壊れにくいのはなぜなのか。これはけっこう難問だったろうとおもうけれど、そこで、ダマシオはここまでのソマティック・マーカー仮説に、ちょっと大胆な脳内デバイスをくっつけた。これが小粋だった。
SM  小粋だった? あっ、ついに小粋な姐さんが登場するんですね。
MS  いや、これまでもおもしろいところはあったと思うけれど、この仮想デバイスはもっといいね。
SM  何ですか、その可能デバイスって。
MS  「あたかも身体ループ」というものなんです。ぼくはこれにいたく感激した。
SM  「あたかも身体ループ」? うーん、小粋というよりナマイキそう!
MS

 田中三彦さんがさぞや苦労して翻訳しただろう邦訳用語だろうけれど、もとの英語はね、“as if body loop”となっている。これは、いいよ。AS-IFデバイスとでも大文字にしたいくらいだよね。まさにソマティック・マーキングのどこかに出没しているはずだと思わせる「あたかもデバイス」ですよ。これ、かつての雑誌記事などでは「仮想身体ループ」などと訳していたけれど、田中訳のほうがずっといい。

SM  はいはい、あたかもの門ですね。
MS いや、門というより、擬似モデルとか擬同型モデルといったほうがいい。実際には、この“あたかもAS-IFデバイス”は脳の中の体液的な信号と電気化学的な信号との二重性を処理しているようで、それならぼくにはなおさらありそうに思われるのだけれど、さあ、これでダマシオは一挙にシナリオをひととおり描くところにきたわけだ。
SM  やっと流れが見えてきましたね。


延長意識と自伝的(編集的)自己は
中核自己の連続的パルスと自伝的記憶の連続活性化とに、二重に依存している


MS  まあ、ダマシオは今夜とりあげた3冊の本のなかのどこにも詳しいシナリオは書いていないんだけれど、それはどういうものかというと、おそらくはこういうものでしょう。
 まず原自己が駆動する。そうすると、この原自己は発生学的に古い脳構造のほうにプロトタイピングされるというんだね。でも、例のジュリアン・ジェインズ(1290夜)のバイキャメラル・マインドというわけじゃない。そこには生物的な中核意識が待っている。他方、このとき、トポグラフィカルなAS-IFループが動きだして、これによって基本的な自己意識の母型が維持できるようになっていく。しかし、脳に決定的な障害があると、これらが壊される。
 ここまででプロトタイプとしての原自己は何をしたかというと、身体表象を一次的に準形成したということになるわけだ。それとともに、おそらくはAS-IFループをつかってのことだろうけれど、二次的な身体表象を二重、あるいはもうちょっと多重かもしれないけれど、ともかくそれをホログラフィックな“つくり”のように形成して、ソマティックな表象を強化するんだろうね。
 こうして、われわれが日常の日々において自在に注意のカーソルを動かしても急には壊れない経験自己像にもとづいた自己意識というものが可塑化されていく。
SM

 ほう、ほう、ピー、ピー、ついに一気呵成になってきた。

MS  うん、そうなるとね、ここにダマシオがさらに仮想していた「自伝的自己」(autobiographical self)のようなものが駆動するか生成するか、もしくは形成されるんだね。これも、わかりやすすぎるほどの仮想概念だけれど、ちょっとなるほどと思わせる。だってここまでくると、もう、「自伝的自己」のうえに推論デバイスがどのように動こうとも、どんな刺激によって連想の矢印がどんな動きになろうとも、記憶のなかの情報はまさに編集可能状態になっていくからね。
 というわけで、ぼくのかつての編集的自己のトレースは、このソマティックな自己意識をずっと相手にしていたということになるわけですね。以上、わかったかな。いろいろつながったかな。
SM  ええーっ、それで話はおわるんですか。それじゃ松岡青年は、ずっとダマシオの手の中でがんばっていただけだったということじゃないですか。
MS  ふっふっふ、いっときはそうだったろうね。
SM  いまはどうなの?
MS

 あれ? またタメグチになったね。

SM  タメグチじゃないけれど、気になるの。
MS  いまはというよりも、こういう仮説は科学だからね。科学としてトレースすればいいんです。そもそも世阿弥(118夜)や梅園や、ウンベルト・エーコ(241夜)やマイケル・ポランニー(1042夜)の翼がはえたような仮説からすれば、脳科学そのものが、まるごと科学ゆえの縛りのなかにいるんです。それはそれで科学の宿命。それはそれで香ばしい。
SM  でも松岡さんは、世阿弥にもダマシオにもいる? そのほかの科学のシナリオの中にもいる?
MS  いなくてどうする? 
SM  どんな科学の?
MS  それは「千夜千冊」でもさんざんふれてきた。オートポイエーシス(1063夜)とか、ミームマシン(647夜)とか、M理論(1001夜)とかね。もう、いいだろ。
SM  ほかにもあるんでしょ? 脳のほうだって。
MS  それはまたのおたのしみに待ってなさい。だって「花の御所」には幕あいがあるでしょう。それが複式夢幻というものでしょう?





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1059『自我と脳』カール・ポパー&ジョン・エクルズ
0461『脳と心の正体』ワイルダー・ペンフィールド
0713『脳とクオリア』茂木健一郎
0211『ホメオスタシスの謎』加藤勝
0467『電気システムとしての人体』久保田博南
0606『なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか』ダニエル・L・シャクター
0842『エチカ』バルーフ・スピノザ
0935『失われた時を求めて』マルセル・プルースト
0241『薔薇の名前』ウンベルト・エーコ
1042『暗黙知の次元』マイケル・ポランニー
 
1328『世界×現在×文学 作家ファイル』越川芳明ほか編
1327『オキシトシン』シャスティン・モベリ
1326『本の現場』永江朗
1325『森田療法』岩井寛
1324『スタンツェ』ジュルジュ・アガンベン
1323『カルメン』プロスペル・メリメ
1322『常世論』谷川健一
1321『天の夕顔』中河与一
1320『書物の達人』池谷伊佐夫
1319『コスメの時代』米澤泉
1318『模倣の法則』ガブリエル・タルド
1317『スティグマの社会学』アーヴィング・ゴッフマン
1316『毎日が夏休み』大島弓子
1315『槿』(あさがお)古井由吉
1314『記憶術と書物』メアリー・カラザース
1313『弥勒信仰のアジア』菊地章太
1312『脳のなかの水分子』中田力
1311『デザインの自然学』ジョージ・ドーチ
1310『人形記』佐々木幹郎/写真・大西成明
1309『風呂で読む漱石の漢詩』豊福健二
1308『あしながおじさん』ジーン・ウェブスター
1307『メダカと日本人』岩松鷹司
1306『世阿弥を読む』観世寿夫
1305『無意識の脳・自己意識の脳』アントニオ・ダマシオ
1304『セレンディピティの探求』澤泉重一・片井修
1303『境界の考古学』俵寛司
1302『フィギュール』ジェラール・ジュネット
1301『ネルーダ回想録』パブロ・ネルーダ
1300『法華経』梵漢和対照・現代語訳
1299『出版状況クロニクル』小田光雄
1298『俗戦国策』杉山茂丸
1297『本の本』斎藤美奈子
1296『理解の秘密』リチャード・ワーマン
1295『マグダラのマリア』岡田温司
1294『ビゴー日本素描集』清水勲 編
1293『株式会社』ジョン・ミルクスウェイト&エイドリアン・ウールドリッジ
1292『無名時代の私』文藝春秋 編
1291『京の大工棟梁と七人の職人衆』笠井一子
1290『神々の沈黙』ジュリアン・ジェインズ
1289『エロスとタナトス』ノーマン・ブラウン
1288『延喜式』虎尾俊哉
1287『真珠夫人』菊池寛
1286『モノからモノが生まれる』ブルーノ・ムナーリ
1285『資本主義はなぜ自壊したのか』中谷巌
1284『浅草弾左衛門』塩見鮮一郎
1283『縄文人の文化力』小林達雄
1282『近代読者の成立』前田愛
1281『マノン・レスコー』アベ・プレヴォー
1280『忘れられた日本』ブルーノ・タウト
1279『小倉百人一首』平田澄子・新川雅明
1278『老子』老子
1277『変貌する民主主義』森政稔
1276『海の帝国』白石隆
1275『暴走する資本主義』ロバート・B・ライシュ
1274『女装と日本人』三橋順子
1273『ゲシュタルト心理学の原理』クルト・コフカ
1272『図説・小松崎茂ワールド』根本圭助
1271『神と翁の民俗学』山折哲雄
1270『星餐圖』塚本邦雄
1269『史上最大の発明:アルゴリズム』デイヴィッド・バーリンスキ
1268『インドへの道』エドワード・モーガン・フォースター
1267『ホワイトヘッドの哲学』中村昇
1266『明治の教養』武田篤司
1265『ルー・ザロメ回想録』ルー・アンドレーアス・ザロメ
1264『墨絵の譜』小林忠
1263『やちまた』足立巻一
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1261『イリヤ・カバコフ自伝』イリヤ・カバコフ
1260『滝廉太郎』海老澤敏
1259『日本とはどういう国か』鷲田小彌田
1258『月と農業』ハイロ・レストレポ・リベラ
1257『ミニマ・モラリア』テオドール・アドルノ
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アントニオ・R・ダマシオ







































































































































































































































































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