数ある古代日本の謎のなかでも物部(もののべ)の謎ほど、深くて怪しいものはない。 研究者たちも、こと物部をめぐっては百花繚乱というよりも、むしろお手上げの状態だ。ぼくもかつて直木孝次郎や鳥越憲三郎のものや、70年代後半に出版された黛弘道の『物部・蘇我氏と古代王権』とか、畑井弘の『物部氏の伝承』などを読んでこのかた、物部氏をめぐる謎をずうっと気にしてきたのだが、どうにも埒があいてはいなかった。 いろいろ理由があるのだが、なかでも、和銅3年(710)の平城京遷都のおりに、石上(物部)朝臣麻呂が藤原京の留守役にのこされてからというもの、物部一族は日本の表舞台からすっかり消されてしまったということが大きい。この処置を断行したのは藤原不比等だった。このため、物部をめぐる記録は正史のなかでは改竄されてしまった。物部の足跡そのものを正確に読みとれるテキストがない。 だから物部の歴史を多少とも知るには、『古事記』はむろんのこと、不比等の主唱によって編纂された『日本書紀』すらかなり読み替える必要がある。のちに『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ)という物部氏寄りの伝承をまとめたものが出るのだが、これも偽書説が強く、史実として鵜呑みにすることは、ほとんどできない。 なぜ物部はわかりにくいのか。なぜ物部一族は消されたのか。たんに藤原氏と対立しただけなのか。その物部氏はなぜ『先代旧事本紀』を書かざるをえなかったのか。こういうことはまだあきらかにはされていないのだ。 いったい物部は歴史を震撼とさせるような何かを仕出かしたのだろうか。それとも、物部の足跡を辿られては困るようなことが、日本史の展開のなかや、記紀の編纂者たちの事情にあったのだろうか。こういうこともその全貌はわかってはいない。 けれども、記紀、古代歌謡、『先代旧事本紀』、各地の社伝などを徹底的に組み直していけば、何かは見えてくる。その何かは、ひょっとしたらとんでもないことなのである。とくに神武東征以前における物部の祖にあたるニギハヤヒ(饒速日命)の一族の活躍は、古代日本の本質的な謎を暗示する。 一方、畑井弘の研究がすでに示唆していたことであるが、実は物部一族とよべるような氏族はいなかったという説もある。 物部とは、「物具」(もののぐ=兵器)を中心とする金属生産にかかわった者たち、「フツノミタマ」を祀っていた者たち、「もののふ」として軍事に従った者たちなどの、幾多の「物部八十伴雄」(もののふのやそとものお)と、その後に「物部連」(もののべのむらじ)としてヤマト王権の軍事・警察・祭祀をつかさどった職掌にあった者たちとの、すべての総称であったのではないかというのだ。 まあ、そういう説があるのはいいだろう。しかし、仮にそうだとしても、やはりそこにはフツノミタマを奉じる一族がいたであろうし、石上神宮の呪術を司る一族がいたはずなのだ。そして、その祖をニギハヤヒと認めることを打擲するわけにはいかないはずなのだ。ぼくは、やはり物部一族が“いた”と思いたい。 では、物部とはどんな一族だったのか。出自はどこなのか。物部が仕出かしたこととは何なのか。ヤマト朝廷と物部の物語はどんな重なりをもっていたのか。
附記¶関裕二の著書は次の通り。『天武天皇・隠された正体』(KKベストセラーズ)、『聖徳太子はだれに殺されたのか』(学習研究社)、『謎の出雲・伽耶王朝』(徳間書店)、『古代神道と天皇家の謎』『抹殺された古代日本史の謎』(日本文芸社)、『消された王権・物部氏の謎』『大化改新の謎』『壬申の乱の謎』『海峡を往還する神々』(PHP研究所)、『蘇我氏の正体』『藤原氏の正体』『呪いと祟りの日本古代史』『かごめ歌の暗号』(東京書籍)、『沈黙する女王の鏡』(青春出版社)など。 物部氏については、直木孝次郎『日本古代の氏族と天皇』(塙書房)、鳥越憲三郎『女王卑弥呼の国』(中公新書)、黛弘道『物部・蘇我氏と古代王権』(吉川弘文館)、畑井弘『物部氏の伝承』(吉川弘文館)、原田常治『古代日本正史』(同志社)、田中卓『日本国家の成立と諸氏族』(国書刊行会)、亀井輝一郎『古代豪族と物部氏』(吉川弘文館)、谷川健一『白鳥伝説』(集英社文庫)、太田亮『高良山史』(石橋財団)、大和岩雄『二つの邪馬台国』(大和書房)、小椋一葉『消された覇王』(河出書房新社)、神一行『消された大王・饒速日』(学研M文庫)など。吉備との関係については、門脇禎二ほか『吉備』(吉川弘文館)、前田晴人『桃太郎と邪馬台国』(講談社現代新書)、門脇禎二『出雲の古代史』(NHKブックス)など。 これらをもしまったく何も読んでこなかったのであれば、やはり『日本書紀』(講談社学術文庫のものをお勧めする)を読むのが最初だ。あとはお好みのままだが、やはり原田常治『古代日本正史』と大和岩雄の一連の著作は一度は開いてみてほしい。そのうちとりあげたい。
関裕二
神武天皇 (月岡芳年 画)
ニギハヤヒと伝わる肖像 (秋田県唐松神社)
セイゴオマーキング 「ふるべゆらゆらとふるべ」