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1181 夜
第千百八十一夜 2007年4月23日
Seigow's BOOK OS /GEAR
ミゲル・デ・セルバンテス
ドン・キホーテ
Migel de Cervantes : El Ingenioso Hidalgo Don Quijote de La Mancha 1605
岩波文庫(全6冊)2001 牛島信明訳
世界文学大系10・11(筑摩書房) 1960・1962 会田由訳

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 ぼくにとってスペイン・バロックは憧憬と謎と暗合に満ちている。かたやミゲル・デ・セルバンテスがいて、かたやルイス・デ・ゴンゴラがいた。二人は15歳くらいしか離れていない。そこにセルバンテスの5歳年上のエル・グレコがクレタ島から渡ってきて入りこみ、最後にセビリヤに、かのディエゴ・ベラスケスが宮廷をほしいままのようにして登場する。これはいったい何なんだというほどのスペイン・バロックの甘美で苛烈な開闢である。この一連の動向こそが、その後の近世ヨーロッパの秘密の大半を握る物語芸術の原点だった。
 なかでもセルバンテスの役割はとびぬけていた。『ドン・キホーテ』という大部の書物はスペインという民族の記憶の国家にさえなった。オルテガ・イ・ガセット(199夜)は、こう書いた。「『ドン・キホーテ』は観念の密林だ、リブロ・エスコルソだ」と。リブロ・エスコルソとは「書物がもつ遠近法世界」といったことをいう。おそらくはオルテガの造語だろう。『ドン・キホーテ』は書物のなかに観念の密林をすべて入れこんだだけでなく、その見方のパースペクティヴを「世界」としてつくったというのだ。スペインを「世界」にしたのは『ドン・キホーテ』だったというのだ。これは、さしずめ世界読書奥義伝である。
 こういう見方はいくつもあった。91歳で亡くなった現代スペインを代表する詩人ダマソ・アロンソは、「スペインのすべてが『ドン・キホーテ』にこめられている」と書いた。ぼくはその一行を清水憲男さんの『ドン・キホーテの世紀』で知った。上智大学でスペイン文学を講じてきたセンセーだ。アロンソは清水さんが最も敬愛している詩人だったと思う。

 ドン・キホーテの世紀とは、『ドン・キホーテ』の前篇が刊行された1605年をはさむ数十年にわたる年代のことをさす。帝国スペインの太陽が昇り、世界を照らし、そしてその太陽が秋の落日のごとく沈んでいった時代である。
 カルロス1世に始まりフェリーペ2世に継がれたハプスブルク朝スペイン帝国は、地中界世界を制して絶頂期を迎えると、南米にも次々に植民地を広げ(これがインカ帝国滅亡につながる)、1571年にはオスマントルコ軍をレパントの海戦で破って「太陽が沈まない国」と言われるまでに膨れあがった(フェリーペ2世はポルトガルも併合した)。
 24歳のセルバンテスにとっても、レパントの海戦は兵士として参加できた生涯の最も忘れえぬ一戦となっている。キリスト教カトリックの大義を守るために命を賭して闘ったということは、セルバンテス最大の誇りなのである。しかもこのとき戦火に左腕を失って「レパントの片手男」という異名をとったことも、セルバンテスの大いなる自慢となった。
 けれども栄光もそこまでだった。それから僅か17年後、スペインの無敵艦隊はエリザベス1世のイギリス艦隊に木っ端微塵に敗れてしまう。これをきっかけにスペイン帝国の凋落が始まったのだ。植民地も次々に失っていく。しかしそれを含んでなおこの時代は、セルバンテスとゴンゴラとエル・グレコとベラスケスの時代、すなわちドン・キホーテの世紀なのである。スペインが世界史上唯一の栄光と挫折を体験したことがドン・キホーテの世界をつくった。

『ドンキホーテ』1605年 初版の扉


 スペインにおける『ドン・キホーテ』の意義は、ぼくが想像をしていたよりもはるかに大きい。スペイン語のインテリジェレは「中を見る」「内部を読む」という意味をもっているようだが、まさに『ドン・キホーテ』はスペインのインテリジェンスそのものなのである。いや、必ずしも知性という意味だけではない。それもあるけれど、ありとあらゆる意味をこめた“最大級の情報戦略”という意味におけるインテリジェレになっている。
 そもそも『ドン・キホーテ』は、物語のなかで物語を追慕するという構造を現出させている。作中人物ドン・キホーテは自分の過去の物語を書物にしながら進む騎士であり、その書物を抱えたドン・キホーテの体験を、セルバンテスが次々に新たな物語にして『ドン・キホーテ』という書物にしていった。そういう重層的追想構造になっている。ここにすでにバロックの萌芽が見られるのは言うまでもないけれど、そこにはさらに、民族が体験すべき国家的情報の記録がその情報の物語化を進めるという戦略的インテリジェンスを萌芽させていた。
 だから『ドン・キホーテ』はふつう評されるような騎士道パロディの物語なのではない。パロディであったとしても、そこにはアナロギア・ミメーシス・パロディアの3原則のすべてを織りこんだパロディア・オペラというべきだし、しかも、そのようなアナロギア・ミメーシス・パロディアは、スペインという帝国の隆盛と衰退に対応し、そこで退場せざるをえなくなっていった「騎士の本来」の物語ともなりえていた。こういう文学はめったにない。
 たいへんな計画だったのだ。尋常ではない構想だったのだ。まさにスペインそのものをバロックにしてしまうすぐれて知的な魔術であった。
 セルバンテスはどうしてそのようなスペインのインテリジェレをこめた『ドン・キホーテ』を書く気になったのか。すでにセルバンテスが予想外ともいえるほどの歴史知識や宗教知識の持ち主だったことはわかっている。また、エラスムスの人文主義にも、ウェルギリウスからアリオストにおよぶ古代ローマこのかたの劇作や劇詩に通じていたことも研究者たちが証している。
 しかし、そういうことだけでは、セルバンテスがどうして『ドン・キホーテ』を書く気になったかという説明はできない。インテリジェレとしての『ドン・キホーテ』が生まれた理由はわからない。それを理解するには、ひとまずはセルバンテスの波乱に富んだ生涯を追ったほうがいいだろう。なぜならセルバンテス自身がドン・キホーテそのものの二重化されたインテリジェレだったのだから――。

 ぼくが『ドン・キホーテ』を読んだのは筑摩の「世界文学大系」のものが最初だった。ともかく物語を追うことだけを使命にしたようなアサハカな読書で、いっこうに深まらないでおわった(こういうことはいまもってよくある)。次に岩波文庫の永田寛定・高橋正武訳を手にしたのだが、これはなんだか数ページすら体に入ってこなかった(こういうこともよくある)。
 一方、グスタフ・ルネ・ホッケ(1012夜)の『文学としてのマニエリスム』でルイス・デ・ゴンゴラのバロック魔術、いわゆるゴンゴリスモに毒されていたぼくは、なんとかその後に幻惑のスペイン・バロックを形象しえた表象の歴史の秘密を知りたくて、バロック逍遥を悠然とたのしんでいたようなところがあったのだが(それはいまも続いているのだけれど)、そこにいっこうに『ドン・キホーテ』が入ってこないのが気になっていた。やっとひとこごちがついたのは、ギュスターヴ・ドレの稠密なエッチングが作り出した『ドン・キホーテ』を見てからのこと、それを窪田般彌さんの訳本で見てからのことである。
 それからずいぶんたって、牛島信明さんによる岩波少年文庫の『ドン・キホーテ』が登場した。たしか池内紀だったかが、このダイジェスト版で初めて『ドン・キホーテ』の真髄がわかったというような紹介をどこかに書いていて、ぼくも手にして同じような気持ちになった。池内はそれまで『ドンキホーテ』のおもしろさがわからなかったというのだ。それが牛島訳で愁眉をひらいた。そうか、ぼくだけじゃなかったんだ。ブルータスお前もか、だった。その牛島訳による本格的な岩波文庫が出揃ったのはその10年後だったろうか。
 ともかくも、こうしてぼくのドンキホーテ体験がやっと始まったわけである。だから、ぼくの『ドン・キホーテ』読みこみ体験は、まだ浅いものなのだ。が、それでも『ドン・キホーテ』を読むにはセルバンテスの生涯が絶対に欠かせないことは、強調しておきたい。
 そこで ここでは、そのように岩波文庫に半世紀ぶりに新訳をもたらした牛島さんの『反ドン・キホーテ論』や、それをくだいた『ドン・キホーテの旅』や、それから清水さんの本やオルテガの本などやらを参考に、セルバンテスが『ドン・キホーテ』を書きあげるまでのことをざっと綴ってみたい。まさに波瀾万丈の人生。これでドン・キホーテになれなきゃ、スペインは闇よ、なのである。

 ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラは、1547年にマドリード近郊の大学の町アルカラ・デ・エナーレスに生まれて、徳川家康やシェイクスピアと同じ1616年に死んでいる。
 父親ロドリーゴはイタルゴ(下級貴族)で、外科医をやっていた。外科医といっても当時は傷の手当をしたり、刺絡や罨法(あんぽう)をほどこす程度のもの、まともな医師とはみなされてはいない。おまけに父親はひどく耳が悪く、一家はかなり苦しい生活を強いられた。そのためいつも借金をせざるをえなくなるのだが、打開のためにバリャドリードに引っ越したりするものの、父親は借金の手続きの悪さで投獄されてしまった。
 貧しい日々をへたのち、フェリーペ2世が首都をマドリードに移した1561年に、セルバンテス一家もマドリードに引っ越した。14歳のときである。そのころのマドリードは騎士道精神が熱狂的にもてはやされる町だった(これがのちの『ドン・キホーテ』の発端になる)。15歳になってセビリヤのイエズス会の学校に学んだ(セルバンテスはけっこう誠意のあるキリスト教徒)。セビリヤは詩人フェルナンド・デ・エレーラや劇作家ローベ・デ・エルダが人気を集めていて、セルバンテスはその目眩く劇詩の魅力にも引きずりこまれた(このあたりから自身の内なる作者性にめざめていったのだろう)。
 やがてマドリードに戻ったセルバンテスは、21歳のときに人文主義者ロペス・デ・オーヨスの私塾に入り、ここでエラスムスにどっぷり浸かった(このときのエラスムスへの傾倒はのちの教養の広がりとなる)。が、それもつかのま、セルバンテスはある男に重傷を負わせたかどで逮捕され、右腕の切断と10年間の流刑を言い渡されるという事件に巻きこまれた。
 なんとか這々の体で逃亡したらしいのだが、その逃亡の行き先がローマであったということろが、これまたのちのちのセルバンテスの文芸的素養の発揚にとって欠かせない体験になった。さる枢機卿の従僕になったのだが、その時期にウェルギリウス、ホラティウスからアリオスト、サンナザーロ、カスティリオーネなどを読み耽っていた。この読書はとびきりだ(実はセルバンテスは長らく諧謔だけの作家だと思われていたのだが、アメリコ・カストロが『セルバンテスの思想』を発表して以降は、セルバンテスがただならない知識人でもあったということになった)。

騎士道物語の幻想に取り憑かれる
(ギュスターヴ・ドレ画)

 ローマの体験はさらに初期バロック的に旋回していく。1570年、イタリア駐在のスペイン軍に入隊すると、ローマ、ナポリ、ミラノ、フィレンツェに駐留し、ルネサンス最後の残香を胸いっぱいに吸いこみ、そこに高揚していたマニエリスム(方法主義)を嗅ぎつけた。
 そのときである、法王ピオ5世が地中海を挟んで対峙してきたオスマントルコ軍とのあいだに戦端をひらくことを決意した。法王は法王庁・スペイン・ヴェネツィアの連合艦隊(いわゆる「神聖同盟」連合軍)の司令官に、スペイン国王フェリーペ2世の異母弟であるド・フワン・デ・アウストゥリアを任命した。弱冠24歳のこの司令官は、23歳のセルバンテスにとっては恰好の憧憬の的となる(むろんドン・キホーテのキャラクターに反映された)。

 やがてトルコ軍がキプロスを占領し、戦乱の火ぶたが切って落とされた。こうして翌年、あのレパントの海戦となり、セルバンテスは左腕に名誉の負傷を受け、おそらくは義手の男となったのだ。が、さっきも書いておいたけれど、セルバンテスはそれが自慢なのである。そんな戦歴には褒賞も贈られた。
  25歳、青年の勢いはますます高揚していった。今度は名将ローペ・ムデ・フィゲローアの率いる歩兵部隊に所属すると、またまたトルコとの戦火の只中に突進する。ローペ将軍はレパントの海戦でまっさきにトルコ軍の旗艦に飛び込み、敵の司令官の首を刎ねた猛将だった。ドン・キホーテが真似ないわけがない。
 かくてスペイン艦隊の一員として各地を転戦したセルバンテスは、28歳になった1575年、ガレーラ船「太陽号」(エル・ソル)に乗りこみ、船団を組んでナポリから出港すると意気揚々の凱旋帰国の途についた。ところが運命というものは怪しいもの、この船団がフランス海岸の沖で海賊船に襲われてしまう。セルバンテスらはことごとく捕虜となり、あまつさえセルバンテスの軍鞄にはナポリ総督の推薦状が入っていたため、大物とみなされて巨額の身代金を留守家族に課せられた。
 この海賊の一団はすべて背教者たちである。それゆえ、捕虜たちはキリスト教徒として幽閉されるか、ガレーラ船の漕ぎ手として駆り出されるか、つまりは徹底して奴隷扱いされた。すでにアルジェの一画には、そうしたキリスト教徒が2万5千人も収容されていたという。片腕が義手だったセルバンテスは奴隷のほうにまわされた。
  こうして5年にわたる奴隷生活が強いられる。セルバンテスは果敢にも4度にわたる脱走を試みるのだけれど、ことごとく失敗する。

 ここまでが「ドン・キホーテの夢」そのものであったセルバンテスの栄光の前半生である。ここからは身代金を払わざるをえなかったこともあり、33歳以降のセルバンテス一家はかなり悲惨な日々をおくる。 そして今度は、ドン・キホーテの「負の認識」のほうが蓄積されていく。
 祖国スペインのほうは、こうしたセルバンテスの変転する境涯をよそに、さらに大帝国に向かっていた。フェリーペ2世がポルトガルを併合して、首都をリスボンに移していた。中庸になっていた男は焦った。
 セルバンテスはなんとか生活の糧を得るため、スペイン無敵艦隊の食糧を調達する徴発係にもぐりこむ。セビリヤ、コルドバ、ハエン、グラナダの各地を巡っては、小麦・大麦・オリーブを集める仕事に精を出してみた。途中、この当時の食糧徴発は教会や教会領の産物からの徴発が多いため、各地の教会とつねにいざこざがあり、セルバンテスも二度に渡って破門されるという憂き目を負った。
 そのさなかの1588年、スペイン無敵艦隊がイギリス艦隊に撃沈されたのだ。セルバンテス41歳の7月のことだった。絶頂などというものは、決して持続するものではなかったのだ。時代は大英帝国の時代になっていった。
 むろん軍隊での仕事はすっかりなくなった。もはやすべてのことを変更しなければならなかった。やむなくマドリードで俳優になったり、セビリヤで宿屋の雇われ主人などをした。そしてこの時期、ついに自分は劇作をめざす執筆で身をたてることをひそかに決意したようなのだ。ロマンセを書いたり、セビリヤの興行主と6本の戯曲を書く契約などをしたり、48歳のときになるが、サラゴサの詩作コンクールで入賞したりしている。セルバンテスは非実行者になったのだ。

 さて、ここから先は54歳ころに『ドン・キホーテ』前篇を執筆しつづけ、1605年の58歳のときにその前篇が出版され、さらに10年をへた68歳のときに後篇を出版し、その翌年に永眠するという後半生になるのだが、それは「セルバンテスがドン・キホーテになる」という一事にすべて集約されていることなので、あえて事跡を追うこともないだろう。ずっと苦しい生活が続いていたと思ってもらえばいい。
 かくして、今夜の渉猟はいよいよセルバンテスにとっての『ドン・キホーテ』がどういうもので、それがスペインにとっての、そしてわれわれにとっての何であったのかという、その話になってくる。

騎士道旅立ちの晩、宿の中庭で
甲冑の不寝番をするドンキホーテ
(ギュスターヴ・ドレ画)

 かつてドストエフスキー(950夜)は『ドン・キホーテ』のことを、「これまで天才が創造した書物のなかで最も偉大で、最も憂鬱な書物だ」とも、「これまで人間が発した最高にして最後の言葉である」とも評した。
 べつだんドストエフスキーに従う必要はないけれど、この指摘はかなりイミシンだ。「偉大で、憂鬱」「最高にして、最後」とは、そこに正と負にまたがる告示があるということだ。少なくとも別々の価値をもつ物語が二つ以上あるということだ。一つの世界しかあらわさなかったルネサンスを脱却したのがバロックであった。ルネサンスが円の一つの中心をめざしたのに対して、バロックは楕円の二つの焦点のように、複数の中心をもちかかえることを選んだ。ドストエフスキーが『ドン・キホーテ』に正と負の両方の価値を見だしたのは、そこだったろう。ドストエフスキーにとって、『ドン・キホーテ』はすでにあまりにも激越な二つの対比構造を告げていたのであろうと、ぼくは思っている。
 アンドレ・マルロー(392夜)には、心が狭くなったり苦しくなったりするときに読む本が3冊あったらしい(ぼくにもあるけれど、今夜のところは内緒にしておくが)。それが『ドン・キホーテ』と『ロビンソン・クルーソー』と『白痴』だった。これもすこぶるイミシンだ。マルローは伊達や酔狂でものごとの価値を口にはしない男だ。そのマルローが伊達や酔狂の文学とも思われてきた『ドン・キホーテ』を、『白痴』と並べたのだ。そこにダニエル・デフォーも入っていることについては、ぼくが2カ月前に書いた1173夜の『モル・フランダーズ』を読んでもらえばわかるだろう。
 ハインリッヒ・ハイネ(268夜)は生涯にわたっておそらく数度、ウィリアム・フォークナー(940夜)は毎年必ず『ドン・キホーテ』を読んだという。これはボルヘス(552夜)マルケス(765夜)が、はい、私も『ドン・キホーテ』を愛読していましたとおっしゃるより(これは言うまでもなさすぎるからね),やはりイミシンだ。ハイネの民族の血液と革命の旗印の問題、フォークナーの滾る憎悪と逆上を想像すれば、そのイミシンの意味が伝わってくる。
 日本人でここまで『ドン・キホーテ』に熱意(ZEST)をこめた作家はいないようだけれど(わずかに堀田善衛がいるくらいだろうか)、かように『ドン・キホーテ』は世界中の大物たちをゆさぶってきた。
 それくらい、『ドン・キホーテ』は巨怪なのである。しかし、過不足ないところをいえば、ぼくにはミラン・クンデラ(360夜)の見方が最も妥当なのではないかと思われる。今夜は、そのことに注目してみたい。クンデラは『小説の精神』の「不評を買ったセルバンテスの遺産」というエッセイで、次のようなことを書いている。ぼくなりに要約しておく。
   フッサールとハイデガーによって、世界に何かが欠如したままになっていることがあきらかになった。それは「存在の忘却」という問題である。これは「認識の熱情」の現代的高揚とともに、それとは裏腹に喪失しつつあるものだった。「認識の情熱」なら、デカルトこのかたいくたびも視点と方途を変えて盛り上げてきた。けれども「存在の忘却」はデカルト的なるものではまったく掬えるものとはなってこなかった。
 これを掬ったのは、おそらくセルバンテスの『ドン・キホーテ』なのである。世界を両義的にものとして捉え、絶対的な一つの真理のかわりに、互いにあい矛盾するかもしれない二つ以上の相対的な真理を掲げ、そこに刃向かうすべての主義主張と幻影に対決していくということを教えたのは、唯一、セルバンテスの『ドン・キホーテ』だったのである。


 こうしてクンデラは、「私が固執したいことはただひとつ、セルバンテスの不評を買った遺産以外のなにものでもない」と結んだ。『小説の技法』には、さらにこんな一節がある。

    かつて宇宙とその価値の秩序を支配し、善と悪を区別し、個々のものとに意味を付与していた神がその席を立ち、ゆっくりと姿を消していったとき、馬にまたがったドン・キホーテが、もはやはっきりと認識かることができない世界に向かって乗り出した。
 「至高の審判官」がいなくなったいま、世界はその恐るべき曖昧性(多義性)をあらわにしたのである。こうして、唯一の神の「真理」が解体され、人間によって分担される無数の相対的真理が近代に向かって散らかされたのである。そしてそれとともに、その世界のイメージであってモデルであるような小説が生まれたのである。

 クンデラが『ドン・キホーテ』を、一つの真理をめざしたルネサンスを脱したバロック的な意味におる小説の誕生とみなしていることはあきらかだ。その小説の精神とは「複合性」である。クンデラは、その方法にしか「存在の忘却」を描く方法はないのではないかということを、デカルトに対するライプニッツの、またルネサンスに対するヴィーコのバロック精神として継承したいと書いたのだ。
 さて、以上のことを前提として『ドン・キホーテ』を見ると、この物語に650人の人物が登場し(これはトルストイの『戦争と平和』の550人を上回る)、35件にのぼる前後の脈絡をこえたエピソードが乱舞しているなか、ドン・キホーテとサンチョ・パンザが入れ替わり立ち代わりして「説明」をしつづけているこの前代未聞の物語が、実は時代錯誤の主人公の物語ではなく、ましてセルバンテスの悲嘆から来た妄想の物語でもなく、むろんたんなる騎士道精神の謳歌のパロディでもないことが、忽然としてあきらかになってくる。
 よくよく物語の発端とその後の展開を見てみれば、書物が書物を書き替えつづけている「世界読書奥義伝」の最初の方法の提示からくるものだったということに気がつくはずなのだ。 では、手短かにぼくが種明しをしてしまうことにする。

 実は『ドン・キホーテ』の主人公はドン・キホーテではない。ラマンチャの片田舎に住む50がらみのアロンソ・キハーノという郷士が主人公なのである。
 そのキハーノが昔の騎士道物語をふんだん読みすぎた。読みすぎてどうなったかというと、それらの書物に書いてあることのすべてが真実や真理であって(つまり一つの真理で!)、それはすべてキハーノが生きている現在のスペイン(つまり16世紀末から17世紀にかけてのスペインの社会)にことごとく蘇るべきものであると確信してしまうのだ。これはキハーノの妄想である。狂気である。
 けれどもこれが妄想であって狂気であることを示すために、セルバンテスはキハーノをキハーノに終わらせないようにした。そこで、郷士キハーノは鎧兜に身をかため、遍歴の騎士ドン・キホーテと名のり、隣村の農民サンチョ・パンザを従士にして、痩馬ロシナンテにまたがって旅をすることにさせた。
 このキハーノがキホーテになるところが、セルバンテスのインテリジェレなのだ。バロックの「ずれ」の誕生なのだ。
 このことは、前篇の表題が『機知に富んだ郷土ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』で、後篇が『機知に富んだ騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』になっているところにも如実にあらわれている。「郷士」が「騎士」に変わっていったのだ。ということは、ドン・キホーテとは、キハーノの頭のなかにつめこまれた“物語の言葉”をもって、それを現実のスペイン社会にぶつけていく作中の語り部としての第二の(リアル・バーチャルな)主人公なのである。ここにすでに物語の相対的二重性が用意されていたわけなのだ。
 それならば、『ドン・キホーテ』はプラトン以来の対話篇だったのである。しかも書物の中の言葉だけによって、新たな書物を綴っていくための対話篇なのだ。『ドンキホーテ』は対話の小説なのだ。キハーノがソクラテスならば、ドン・キホーテがプラトンなのだ。
 とはいえセルバンテスは、17世紀のスパニッシュ・プラトンをつくりたかったのではなかった。そこに「スペインという世界そのもの」を現出させ(フォークナーの「ヨクナパトーファ」やマルケス「マコンド」のように)、そこから世界は両義的にしか語たれないことを、その価値はつねに多義的にならざるをえないことを、それは書物が書物を辿るように間テクスト的に編集されていかざるをえないことを、そうしないかぎりは「世界読書」の奥義(複合的な真理)などはあらわれてこないことを、満身創痍で示したのである。

 いまやぼくは、『ドン・キホーテ』はジェネラル・アナロジーの物語だろうと思っている。ラブレーやボッカチオの伝統を踏まえて、ハイパー・ポリフォニーの原理を発見した世界読書奥義伝のテクストだと感じている。
 念のために言うけれど、『ドン・キホーテ』はジェネラル・アイロニーの物語ではない。それなら戯作として読めばいい。そうではなく、『ドンキホーテ』にはアナロジーとアブダクションのすべての可能性がつまっている。ミハイル・バフチンが指摘したようなポリフォニーの文学ではなかったのだ。ハイパーポリフォニーなのだ。その多声性は、キハーノとキホーテの両方が一対になって絡みついている。

風車へ突撃し投げ出されるドン・キホーテ
(ギュスターヴ・ドレ画)


 これがぼくの種明かしだ。およそのところは当たっているだろう。ところが、それでもなおぼくには、実はこの物語がまだまだぴったりこないという憾みが残っている。それは、この物語がまさに「スペインそのもの」であるということにある。
  これは残念なことだが、ぼくの限界だ。相手が滝澤馬琴(998夜)折口信夫(143夜)であれば、こんな弱音は吐かないだろう。とくに近松門左衛門(974夜)においてをや。
 スペインが苦手なのではない。たしかにスペインという国はおもしろい。ダリもガウディも、ガルシア・ロルカもオルテガもとびきりだ。ヴィクトル・エリセの映画は他の国ではつくれまい。カタルーニャやバスクのナショナリズムを覗くのは、ときにどんな民族や部族の今日のありかたよりも深い過激というものを感じることがある。しかしわれわれは、いやぼくは、そうしたおもしろみを語るにあたって、すでにあまりにもスペインを一知半解したままに見すぎてしまったのだ。
 そもそも1492年を「いい国みつけたコロンブス」とおぼえたところでまちがった。この年にイスラム教徒からの国土回復戦争が終わったことや、この年にユダヤ人追放令が行使されたことが見えていなければならなかったのである(ここから842夜にのべたマラーノとしてのスピノザの宿命が始まっていく)。
 これは、オクタビオ・パス(957夜)を読んでメキシコを感じるように、オルテガの『ドン・キホーテをめぐる思索』を読んでスペインを感じるように、そこに感じるものが深ければ深いほど、ぼくに「スペインという物語の起源」をわからなくさせていくものなのだ。その起源に『ドン・キホーテ』があるというのだから、これはやっぱりお手上げなのだ。

 ごめんなさい。ぼくの種明しにはスペインの血が入っていないのだ。ドストエフスキーを補填し、ミラン・クンデラに拮抗するのが精いっぱいだ。ここまで期待して読んでくれた方々には、謝りたい。
  というあたりで、今夜のしばしの散歩をおえることにする。ポルトガル語の“barroco”は「歪んだ真珠」のことである。スペイン語の“berrueco”は岩のごつごつした手触りだ。このバロックのもつコノテーションは、これからもぼくをさまざまところへ誘うだろうが、まだ郷土であって、仮想の騎士であったドン・キホーテはの手触りには届いていないのだ。それを綴るには、今度はぼくのバロック論を先に開陳しなければなりますまい。が、それはまた別の夜の遊蕩としてみたい。

附記‥文中にのべたように、ぼくにやっと『ドン・キホーテ』を見えさせたのは、ギュスターヴ・ドレの絵と窪田般彌編訳の『ドン・キホーテ物語』(社会思想社・教養文庫)と牛島信明編訳の『ドン・キホーテ』(岩波少年文庫)。いろいろ考えさせてくれたのは、オルテガ・イ・ガセット『ドン・キホーテをめぐる思索』(未来社)、清水憲男『ドン・キホーテの世紀』(岩波書店)、牛島信明『反ドン・キホーテ論』(弘文堂)、同じく『ドン・キホーテの旅』(中公新書)、ミラン・クンデラ『小説の精神』(法政大学出版局)など。スペインのことにはたくさん参考書があるのでは省くけれど、ごくざっとした歴史を知りたいなら、立石博高ほかの『スペインの歴史』(昭和堂)などはどうか。バロックについては今後の千夜でまたとりあげたい。今夜はセベロ・セルドゥイの『歪んだ真珠』(筑摩書房)だけをあげておく。
 ところで、しりあがり寿のマンガに『徘徊老人ドン・キホーテ』(朝日新聞社)がある。なぜ、こんな作品をしりあがり寿が描いたかという秘密をさぐるため、ぼくは、一昨日の4月21日からの2日間、しりあがり寿さん本人を会津若松の某所に幽閉し、未詳倶楽部のメンバー全員の知恵をもってその謎解きに終始した。結果は、しりあがり寿というマンガ家が日本人に身をやつしたドン・キホーテであるという驚くべき真相が判明した。その顛末については、近々あきらかにしてみたい。



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千夜千冊「遊蕩篇」の文字サイズは、
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0199 『大衆の反逆』オルテガ・イ・ガセット
1012 『迷宮としての世界』グスタフ・ルネ・ホッケ
0950 『カラマーゾフの兄弟』フョードル・ドストエフスキー
0392 『マルローとの対話』竹本忠雄
1172 『モル・フランダーズ』ダニエル・デフォー
0268 『歌の本』ハインリッヒ・ハイネ
0552 『伝奇集』ホルヘ・ルイス・ボルヘス
0765 『百年の孤独』ガルシア・マルケス
0017 『定家明月記私抄』堀田善衛
0360 『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ
0143 『死者の書』折口信夫
0957 『弓と竪琴』オクタビオ・パス
 
1328『世界×現在×文学 作家ファイル』越川芳明ほか編
1327『オキシトシン』シャスティン・モベリ
1326『本の現場』永江朗
1325『森田療法』岩井寛
1324『スタンツェ』ジュルジュ・アガンベン
1323『カルメン』プロスペル・メリメ
1322『常世論』谷川健一
1321『天の夕顔』中河与一
1320『書物の達人』池谷伊佐夫
1319『コスメの時代』米澤泉
1318『模倣の法則』ガブリエル・タルド
1317『スティグマの社会学』アーヴィング・ゴッフマン
1316『毎日が夏休み』大島弓子
1315『槿』(あさがお)古井由吉
1314『記憶術と書物』メアリー・カラザース
1313『弥勒信仰のアジア』菊地章太
1312『脳のなかの水分子』中田力
1311『デザインの自然学』ジョージ・ドーチ
1310『人形記』佐々木幹郎/写真・大西成明
1309『風呂で読む漱石の漢詩』豊福健二
1308『あしながおじさん』ジーン・ウェブスター
1307『メダカと日本人』岩松鷹司
1306『世阿弥を読む』観世寿夫
1305『無意識の脳・自己意識の脳』アントニオ・ダマシオ
1304『セレンディピティの探求』澤泉重一・片井修
1303『境界の考古学』俵寛司
1302『フィギュール』ジェラール・ジュネット
1301『ネルーダ回想録』パブロ・ネルーダ
1300『法華経』梵漢和対照・現代語訳
1299『出版状況クロニクル』小田光雄
1298『俗戦国策』杉山茂丸
1297『本の本』斎藤美奈子
1296『理解の秘密』リチャード・ワーマン
1295『マグダラのマリア』岡田温司
1294『ビゴー日本素描集』清水勲 編
1293『株式会社』ジョン・ミルクスウェイト&エイドリアン・ウールドリッジ
1292『無名時代の私』文藝春秋 編
1291『京の大工棟梁と七人の職人衆』笠井一子
1290『神々の沈黙』ジュリアン・ジェインズ
1289『エロスとタナトス』ノーマン・ブラウン
1288『延喜式』虎尾俊哉
1287『真珠夫人』菊池寛
1286『モノからモノが生まれる』ブルーノ・ムナーリ
1285『資本主義はなぜ自壊したのか』中谷巌
1284『浅草弾左衛門』塩見鮮一郎
1283『縄文人の文化力』小林達雄
1282『近代読者の成立』前田愛
1281『マノン・レスコー』アベ・プレヴォー
1280『忘れられた日本』ブルーノ・タウト
1279『小倉百人一首』平田澄子・新川雅明
1278『老子』老子
1277『変貌する民主主義』森政稔
1276『海の帝国』白石隆
1275『暴走する資本主義』ロバート・B・ライシュ
1274『女装と日本人』三橋順子
1273『ゲシュタルト心理学の原理』クルト・コフカ
1272『図説・小松崎茂ワールド』根本圭助
1271『神と翁の民俗学』山折哲雄
1270『星餐圖』塚本邦雄
1269『史上最大の発明:アルゴリズム』デイヴィッド・バーリンスキ
1268『インドへの道』エドワード・モーガン・フォースター
1267『ホワイトヘッドの哲学』中村昇
1266『明治の教養』武田篤司
1265『ルー・ザロメ回想録』ルー・アンドレーアス・ザロメ
1264『墨絵の譜』小林忠
1263『やちまた』足立巻一
1262『1985年』吉崎達彦
1261『イリヤ・カバコフ自伝』イリヤ・カバコフ
1260『滝廉太郎』海老澤敏
1259『日本とはどういう国か』鷲田小彌田
1258『月と農業』ハイロ・レストレポ・リベラ
1257『ミニマ・モラリア』テオドール・アドルノ
1256『世界の小国』田中義晧
1255『レンブラントと和紙』貴田庄
1254『物理学と神』池内了
1253『錯視芸術の巨匠たち』アル・セッケル
1252『守破離の思想』藤原稜三
1251『現代日本のアニメ』スーザン・J・ネイピア
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『ドンキホーテ』
全6冊
セルバンテス 著
牛島信明 訳
2001 岩波文庫




ミゲル・デ・セルバンテス





『歪んだ真珠』
セベロ・サルドゥイ著
旦敬介 訳
1989 筑摩書房

 

 

 

 

 

 

 

 






『ドン・キホーテをめぐる思索』
オルテガ 著
佐々木孝 訳
1987 未来社





『小説の精神』
ミラン・クンデラ 著
金井裕・浅野敏夫 訳
1990 法政大学出版局





『ドン・キホーテ』
セルバンテス 著
牛島信明 訳
1987 岩波書店

































































































































































































































 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『ドン・キホーテの旅』
牛島信明 著
2002 中央公論新社











『スペインの歴史』
立石博高・関哲行
中川功・中塚次郎 編
1998 昭和堂





『ドン・キホーテの世紀』
清水憲男 著
1990 岩波書店

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