九百五十九夜【095904年4月2日

Seigow's Book OS / CORE
デレク・フラワー
『知識の灯台』
2003 柏書房
Derek Adie Flower : Tha Shores of Wisdom 19
柴田和雄 訳
『ザメンホフ』
©柏書房
Amazon

オンライン書店 bk1

 

 

『ザメンホフ』
 

 

 

 

 

 

『ザメンホフ』

『ザメンホフ』
「ビブリオシカ・アレクサンドリア」(B・A)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ザメンホフ』
『古代アレクサンドリア図書館』
モスタファ・エル=アバディ著
松本慎二訳
1991 中公新書

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ザメンホフ』
アレクサンドロス大王像

 

 

 

『ザメンホフ』
『アレクサンドロス大王』
森谷公俊著
2000 講談社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ザメンホフ』
『甦るアレクサンドリア』
ジャン=イヴ・アンプルール著
周道芳幸監訳
吉田春美 花輪照子訳
1999 河出書房新社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ザメンホフ』
『ヘレニズム文明』
W・W・ターン著
角田有智子 中森義明訳
1987 思索社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ザメンホフ』
『図書館の歴史』
草野正名著
1975 学芸図書株式会社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ザメンホフ』
プトレマイオス2世像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ザメンホフ』
『図書館発達史』
佐藤政孝著
1986 みずうみ書房

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ザメンホフ』
『図書館史・総説』
藤野幸雄著
1999 勉誠出版

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ザメンホフ』
『アレクサンドリア図書館の謎』
ルチャーノ・カンフォラ著
竹山博英訳
1999 工作舎

 2002年10月16日、ナイルの河口都市アレクサンドリアの一角に新アレクサンドリア図書館がオープンした。正式には「ビブリオシカ・アレクサンドリア」(BA)という。
 設計コンペには数百の応募があったが、ノルウェーのスノヘッタの円筒スライス型のデザインが標的を射て、エジプトのヘムザ社の音頭取りによるエジプト・イタリアの共同建設工事が1995年から始まっていた。

 この記念すべきプロジェクトは、そもそもは1974年にアレクサンドリア大学の学長ロフティ・ドウィダールが古代アレクサンドリア図書館の再建を提案し、これにエジプト大統領ムバラクが応えてから大かがりになったもので、その後、教育相スローが中心になって国際機関に協力と援助を呼びかけたところ、ユネスコとUNDO(国連開発計画)のサポートが得られ、1986年にミッテラン大統領などを招いて採択された「アスワン宣言」としてスタートした。世界27カ国から基金と人材と企画が集まった。
 敷地面積は1600平米。地下3階地上7階の建物は東京ドームの2倍くらいにあたる。建設費だけでざっと2億ドルの規模となった。が、いくつかの委員会が結成されて、これもすっかり集まった。

 行こうかなと思ったが、やめた。
 これは古代アレクサンドリア図書館の理想をとうてい超えていないどころか、仕方のないことではあろうけれど、エジプトが各国の出店プランをあれこれ収容した観光施設におわっている。
 BA全体が一種の複合文化センターになっていて、図書館だけでなく会議場・アートホール・博物館・プラネタリウム・IT施設その他がくっついているのだが、肝心の図書館のデザインがつまらない。
 しかも当初の蔵書数は20万冊。一応のキャパは800万冊までを保証しているらしいが、なによりつまらないのはその書棚が地下のフロアーに分かれて、いまさらながらの科学・技術・歴史・芸術・文学・子供向けなどに分割分断されてしまっていることである
 しかし、BAのふれこみは“1600年ぶりに蘇った知の殿堂”なのである。いったい21世紀の「知の殿堂」がこんなものであって、よろしいのか。

『ザメンホフ』
アレクサンドリア図書館想像図

 さしあたって3つの問題がある。
 (1)もし21世紀のヘレニズム文化があるのだとしたら(たとえばEUもそのひとつだろうが)、それをアラブ世界が抱きこもうとして何を検討したのかということ。(2)アレクサンドロス大王およびプトレマイオス朝が創建した古代都市アレクサンドリアの役割から何を再生しようとしたのかということ。(3)いったい21世紀の「知の殿堂」としての図書館はどうあるべきなのかということ。
 ここでこの問題を議論したいわけではないが、たとえば中国や日本がこのようなプロジェクトをおこしたとして、それを「知の殿堂」と呼ぼうと思ったら、こんなふうにはなってはならないし、また問題を(2)だけに絞ってみても、こんなふうになってはならなかったのである。
 いまは、その(2)だけのことを、思い出したい。本書もBAについてふれてはいるが、それよりもかつての古代アレクサンドリアの盛衰と次から次へとあらわれた知財の出現についての回覧を懐かしんでいるふうだ。
 なお、以下の記述では本書のほかに、クウェート大学の教授モスタファ・エル・アバディの『古代アレクサンドリア図書館』(中公新書)などを参考にした。
 ちなみに(3)については、ぼくは「図書街」という構想をもっていて、いまその着手のための準備を長尾真、金子郁容、田中譲さんらと相談しているところだ。

『ザメンホフ』
『図書街』原図(中央部分)

 さて、プルタルコスは、アレクサンドロス大王が命じて各地に創設されたアレクサンドリアはざっと70をこえていたと書いた。
 これはいくらなんでも多すぎるし、仮にかなりの数の征服地にアレクサンドロスの“幕府モデル”がつくられたとしても、そのすべてがアレクサンドリアと名付けられたわけではなかった。
 最近の研究では、多くて18都市、おそらくは12都市くらいだろうということになっている。それでも、ブッシュのタリバン掃討戦争で有名になったアフガニスタンのカンダハルや、いまはレニナバードとよばれているコーカサスの“最果てのアレクサンドリア”まで、複数のアレクサンドリアが紀元前300年代から数十年のあいだは、南ユーラシアの全域の拠点都市になりかけたのだ。まさに史上初の世界模型都市の撒布であろう。
 しかし、このうち長きにわたって繁栄をしたのはエジプト・ナイル港湾のアレクサンドリアだけだった。プトレマイオス朝の首都であり、クレオパトラが君臨した都市であり、いまBAが建てられたところ、アレクサンドリア大学がある町である。
 しかもこの古代アレクサンドリアの繁栄はアレクサンドロス大王の力をまったく借りてはいない。3代にわたるプトレマイオス王のもと、ヘレニックな知の担い手たちが独自に組み立てた構想と編集と実践によっていた。

『ザメンホフ』
古代アレクサンドリア市街地

 マケドニア王アレクサンドロスが、ヘロドトスによればそこを通る以外にエジプトに入る航路はないと言ったファロス島に向かいあう地に、マケドニア兵士のための港湾休息都市アレクサンドリアをつくれと言い残したことは事実である。が、大王はそれを言い残して死んだ。建造にあたったのはプトレマイオス1世だった。
 建設監督はクレオメネス、設計は天才建築家のディノクラテスがあたった。
 区画もあった。王宮のある中心部をギリシア人居住地区ブルケイオンに、西南部をエジプト人その他の居住地区ラコティスに、北東部をユダヤ人などの居住地区コム・エル・ディッカにし、街路樹が並ぶ幅70メートルの大通りを中央で交差させた。
 
 その中央ブルケイオンの一角に建造されたのが「ムーセイオン」である。
 ムーセイ(ミューズ=女神)たちの神殿、すなわち「ミュージアムという名の殿堂」を目標とした。このムーセイオンから少し離れて図書館が建設され、ストラボンによれば49万冊の、セネカによれば4万冊の、ゲルリウスによれば70万冊の古今のマニュスクリプト(手稿本)が集められた。
 ムーセイオンも図書館も、いまのところまったく遺跡は発見されていない。そのためどのようになっていただろうかということは明確なことがまったくわからないのだが(それでも多少の推測ができるのだが)、このアレクサンドリアに無惨にも船を突っ込ませて火を放った犯人のことは、よくわかっている。
 カエサル(シーザー)だった。これで、4万冊あるいは50万冊のパピルス(古文書)とコーデックス(冊子本)が一瞬にして灰燼に帰した。
 問題は、この二人の帝王、アレクサンドロスとカエサルのあいだにアレクサンドリアで何があったのかということだ。ヘレニズムとはそのことだ。

 アレクサンドロス大王の遠征がガンダーラに及んでギリシア文化の一部を伝え、それがインドに仏像をもたらしたというような現象は、前323年の大王の若き突然の死のあとの出来事である。
 したがって、この影響によって各地に澎湃として湧きおこった文化をヘレニズム文化とかヘレニズム文明とよぶのは、紀元前300年以降のことにあたる。エジプトでは、それがプトレマイオス王から始まった。
 とくにアレクサンドリアをメンフィスに代わるエジプト最大の都市に仕上げようとしたのは、アレクサンドロスより10歳年上のプトレマイオス1世(救世王)だった。軍事型ではない文化型の王、新しいファラオーである。
 以来、ローマ帝国の属領になるまで、約300年にわたるプトレマイオス朝が続く。

 前304年の春、プトレマイオス1世が一人の男を建設中のアレクサンドリアに呼び寄せた。デメトリオスである。
 アレクサンドロス麾下の将軍カッサンドロスの右腕で、詩人哲人弁論家としても名が通っていた。アリストテレスが主宰した学園「リュケイオン」に学んで、その後もアテネに君臨したのだが、クーデターにあって失脚していた。
 デメトリオスはプトレマイオス1世に気にいられ王室顧問に迎えられると、いくつもの進言をする。その最大のもの、というよりプトレマイオス1世がそのなかで大いに気になったのが、ムーセイオンの建設と書籍収集だったのである。

 こうしてアレクサンドリアのムーセイオンは建設された。「アカデメイア」や「リュケイオン」に倣って、ペリパトス(遊歩廊)、エクセデラ(回廊)をめぐらし、中央棟に模型的神殿と絶対集会場と相対研究所をおいた。
 ついで神学者たちが集って、アレクサンドリアの守護神を中心とする神のシステムが研究され、セラピス、オシリス、イシス、聖牛アピスなどの“ヘレニック神道”の創設が神殿を中心に配当された。
 次に選りすぐりの人知をここに集結させた。初期のメンバーは幾何学者エウクレイデス(ユークリッド)、哲学者ストラトン、詩人フィレタス、牧歌の創始者テオクリトス、医学者ヘロフィロス、歴史家マネトンらの俊英の研究者や表現者たちである。
 書籍も可能なかぎり収集されて、初代図書館館長にはゼノドトスがなった。ヘレニズムきってのホメロスの研究家として知られる。ゼノドトスはホメロスの『イリアッド』には大文字を、『オデュッセイア』には小文字を使うというようなタイポグラフッィクなセンスを発揮した。その弟子がアリストファネスだった。
 のちにアレクサンドリアを訪れたストラボンは、このようなムーセイオンを中心とする知的システムは、一種の属人的な共同社会のようになっていて、知の単位そのものが「シノードス」(共同体モジュール)だったのではないかと推測している。
 もしそうだとしたら驚嘆してしまうけれど、実際にはもっとゆるやかなもので、また王立協会的な性格も強かったのではないかと思われる。

 いずれにしてもかなり斬新で冒険的なムーセイオンと図書館がスタートした直後、ここで1世が没し、息子のプトレマイオス2世(愛姉王)の時代に移る。アショーカ王と使節を交わした王である。
 この2世が就任した前270年頃に、アレクサンドリアに一人の若い詩人文法家が招かれた。
 その名をキュレネのカリマコスといった。
 アレクサンドリアは都市そのものが知性と感性の坩堝と化すことを目的としていたので、カリマコスが作品『ゼウス賛歌』『デロス賛歌』『一束の髪』などで見せた知的才能はすぐさま目立ち、やがて図書館の司書を命じられた。
 ここでカリマコスが発揮したのが、まさに異能ともいうべき編集構成能力で、当時の噂では約50万冊にのぼる古文書・冊子本をたちまち独自の目録に仕上げてしまったのである。
 この目録が『ピナケス』である。古代アレクサンドリア図書館の心臓機能であり、各地に広がる世界模型都市アレクサンドリアのネットワーク中枢を管理する“知のCPU”ともいうべき、なんと120冊におよぶ目録だった。

 残念ながら『ピナケス』の詳細はわかっていない。
 しかし、いろいろの史料を総合すると、これは単なる蔵書目録などではなかったと思われる。
 おそらくは知のマスタープログラムともいうべきもので、多様な分類が縦横に検索できるようになっていただろうと推察される。著者を8項目以上に分け、それをさらに細目で抜き出し、それとは別に、神名・概念・単語などのリストと、それを解説するカードのようなものが付加された。どこで使われたかはわからないのだが(おそらくは書名か著者名)、この一部のリストにはギリシア・アルファベットによるオーダーがついた。
 もっと驚くべきは、作品リストにはその全部の行数となんらかのマークが記載されていたことで、これは古代ハイパーリンクの芽生えではないかとおぼしい。またさらに、これらとは別にサマリーのための主題別の辞書のようなものが編集されていただろうとも言われている。
 こうなると、カリマコスという人物こそ、今日の情報ネットワーク社会が突き止めなければならない当の人物ということになるのだが、少なくとも『ピナケス』についてはこれ以上の手かがりは発見されていない。
 ただ、カリマコスの詩的作品については300以上にのぼる言及が古代中世を通じて見つかっていて、それらに記述された賛辞を総合すると、やはり只者ではなかったことが予想されるのだ。

 古代アレクサンドリア図書館は、その後、アポロニウス、エラトステネス、アリストファネス、アリスタルコスといったヘレニズムを代表する知性を館長として、しだいに充実拡張を重ね、図書館も姉妹館を増設して(この礎石は最近になって発掘された)、いよいよ世界に冠たる「知の殿堂」の様相を呈することになる。
 なかで館長アリストファネスは大辞典『レクシス』を編集し(この成果から推して、カリマコスが作成した辞書の先駆性が偲ばれる)、館長アリスタルコスは、のちのヴィトルーウィウスの言葉によれば、図書館の1冊ずつの書籍を未曾有の努力で次々に読破していったという。恐るべし、ヘレニズムである。

 だが、さしもの図書館も、ムーセイオンも、プトレマイオス6世(愛母王)の時代にカエサルの攻撃にあって、あっというまに灰燼に帰してしまった。
 このアレクサンドリア陥落に愕然として失意に堕ちたクレオパトラに対して、アントニウスが同情をし、ペルガモンにあった図書館の蔵書20万冊を無償で贈ったというのは、のちに世界中の誰もが知る恋愛悲劇のエピソードになっている。
 このあとアレクサンドリアには、フィロンというヘレニズム最大の哲人が登場し、さらにグノーシス主義思想が台頭もしてくるのであるが、これにはもはやアレクサンドリア図書館そのものが伴走していたという記録は薄い。アントニウスとクレオパトラ程度の力では「知の殿堂」は蘇らなかったのだ。

 さて、図書館といえば蔵書、蔵書といえば書棚、書棚のどこに何の本があるかといえば、蔵書検索目録である。
 これらは一連につながっていて、著者や書名のリストの並びが書棚となり、その立体空間となり、それが図書館そのものとなる。
 そこに問題も生じ、夢も生じる。そのことについて、いささか大事な話をしておきたい。
 作者を選び、その名をリストに登録することをギリシア語では“enkrinein”という。
 これはもともとは、年長者会議に選ばれた者として承認するという言葉から派生したもので、それがやがてリストアップという意味になった。
 今日の情報社会では、なんであれ、このリストアップが最初の重要な情報編集作業の第一歩になる。リストアップのないデータベースも顧客名簿もなく、リストアップのない図書目録もない。
 しかし、ちょっと待ってほしいのだ。
 カリマコス、アリストファネス、アリスタルコス、そしてこれを古代ローマの図書館で継いだキケロたちは、このリストアップこそが最終的な価値判断だと見ていたのである。 
 
 さっきあげたギリシア語“enkrinein”は古代ローマのラテン語では“classis”(クラシス)という。
 これも選出という意味なのだが、キケロがとくに重視した言葉でもあって、そこでは「第一級の選出」という意味が大事な特徴になっていった。そこで、この“classis”をうけたものが“classici”となって、「最良のもの」「一級品」という指定をもつようになった。これがさらにルネサンス期に「クラシック」(古典)という意味に成長したのである。
 一方、この「クラシック」を然るべき組み立てで断固として選ぶことを、古代ローマでもルネサンスでも、“ordo”(オルド=オーダー=秩序)と言った。このオーダーは時代によって、世界によって変化しなければならなかった絶対順序というものである。
 ここで思い出してもらいたい。ルネサンスのフィレンツェで計画されたことを。
 プラトンのアカデメイアと古代アレクサンドリア図書館に憧れたロレンツォ・メディチから、再生すべき「知の殿堂」の全面委託をうけたマルシリオ・フィチーノは、何をしたのか。フィチーノは、新たな「クラシック」を新たな「オルド」によって組立て直したのだった。
 それが古代アレクサンドリアに代わるフィレンツェの、その知のCPUとなるべきプラトン・アカデミーの蔵書と刊行の構想であったのだ。

 何をぼくが言いたかったかは、わかってもらえるだろうか。リストアップとは真の第一級の古典を然るべきオーダーに徹底して改編することなのである。
 BAこと「ビブリオシカ・アレクサンドリア」の書籍収集と図書配列が、どうしてあんなものでいいものか。言いたかったことは、このことだった。



参考¶すでにあげておいたが、アレクサンドリア図書館については、本書よりもエル・アバディの『古代アレクサンドリア図書館』(中公新書)が詳しい。参考にされたい。また、この図書館は発掘成果がないためにその全貌が謎に包まれているところが多いのだが、その間隙をついていくつかの推理がなされている。そのひとつがルチャーノ・カンフォラの『アレクサンドリア図書館の謎』(工作舎)である。アレクサンドリア図書館のルーツを追ったもので、ファラオーの葬祭にまで溯っている。都市アレクサンドリアそのものについては、最近は海中考古学が発達し、その成果がしだいにあかるみに出てきた。フランス国立科学研究センターの研究部長ジャン・イヴ・アンプルールが監修した『甦るアレクサンドリア』(河出書房新社)はその成果の一端を豊富な写真と図版で案内している。見ているだけでぞくぞくとする。ぼくが行ってみたいのは、ポストモダンなBAではなくて、こちらのほうだった。
 







 
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千 夜 千 冊 BACK NUMBER

[目次]

1144

『海上の道』柳田国男

1143

『異装のセクシャリティ』石井達朗

1142

『日本人の自画像』加藤典洋

1141

『稲と鳥と太陽の道』萩原秀三郎

1140

『猿と女とサイボーグ』ダナ・ハラウェイ

1139

『カムイ伝』白土三平

1138

『江戸の枕絵師』林美一

1137

『ゲイ文化の主役たち』ポール・ラッセル

1136

『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド

1135

『非常民の性民俗』赤松啓介

1134

『日本創業者列伝』加来耕三

1133

『市場の書』ゲルト・ハルダッハ&ユルゲン・シリング

1132

『女帝の手記』里中満智子

1131

『日本/権力構造の謎』上・下 カレル・ヴァン・ウォルフレン

1130

『多文明共存時代の農業』高谷好一

1129

『木村蒹葭堂のサロン』中村真一郎

1128

『江戸商売図絵』三谷一馬

1127

『性的差異のエチカ』リュス・イリガライ

1126

『インターネット資本論』スタン・デイビス&クリストファー・マイヤー

1125

『ボランティア』金子郁容

1124

『アヴァン・ポップ』ラリイ・マキャフリイ

1123

『笑いの経済学』木村政雄

1122

『ぼくの哲学』アンディ・ウォーホル

1121

『百物語』杉浦日向子

1120

『女性の深層』エーリッヒ・ノイマン

1119

『北条政子』永井路子

1118

『ネット・ポリティックス』土屋大洋

1117

『T.A.Z.』ハキム・ベイ

1116

『江戸の身体を開く』タイモン・スクリーチ

1115

『資本主義のハビトゥス』ピエール・ブルデュー

1114

『猫と小石とディアギレフ』福原義春

1113

『江戸の市場経済』岡崎哲二

1112

『田中清玄自伝』田中清玄・大須賀瑞夫

1111

『黒い花びら』村松友視

1110

『昭和という時代』鈴木治雄対談集

1109

『澄み透った闇』十文字美信

1108

『市場対国家』ダニエル・ヤーギン&ジョゼフ・スタニスロー

1107

『負ける建築』隈研吾

1106

『未来派』キャロライン・ティズダル&アンジェロ・ボッツォーラ

1105

『写真ノ話』荒木経惟

1104

『建築的思考のゆくえ』内藤廣

1103

『バイ・バイ・キップリング』ナム・ジュン・パイク

1102

『コンセプチュアル・アート』トニー・ゴドフリー

1101

『モダンデザイン批判』柏木博


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