六百九十五夜【06952003年01月20日

Seigow's Book OS / THERE
スーザン・ソンタグ
『反解釈』
1971 竹内書店新社・1996 筑摩書房
Susan Sontag : Against Interpretation 1964
高橋康也・出淵博・由良君美・海老根宏・河村錠一郎・喜志哲雄 訳
[表紙]『反解釈』
©筑摩書房
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スーザン・ソンタグ

スーザン・ソンタグ


 

 

 

ニューヨークのソンタグの自宅でおこなわれた対談1

 

ニューヨークのソンタグの自宅でおこなわれた対談2

「最も現実的でない経験こそが、最も確実な説得性を備えている」  ニューヨークのソンタグの自宅でおこなわれた対談。
『遊 1006』 1979・4より

 

 


セイゴオ・マーキング1

セイゴオ・マーキング1

 

セイゴオ・マーキング2

セイゴオ・マーキング2

 

セイゴオ・マーキング4

セイゴオ・マーキング3

 

 



 

 内容と様式をくらべれば、主題と形式をくらべれば、様式や形式のほうがずっと重要であることなど、わかりきっている。それなのに、文学批評や芸術批評文化批評の大半は様式や形式、すなわちスタイルというものを語るスタイルをもってこなかった。
 ロラン・バルトとタランティーノと中島みゆきは、そのスタイルこそが語られなければならないのである。われわれはサルトルとロラン・バルトを、ジム・ジャームッシュとタランティーノを、ユーミンと中島みゆきを、そのように比較して見ているのである。長谷川等伯、デヴィッド・ボウイ、プラトン、小林一茶、マーシャル・マクルーハン、大島弓子、フェルメール‥。われわれはこれらをスタイルにおいて見抜いてきたわけなのだ。
 この誰もがやすやすと感知しているはずのことを、批評はずっと無視してきたものだった。

 スーザン・ソンタグが30歳そこそこで気がついたことは、スタイルこそがラディカルな意志をもっているということだった。
 これは世の批評の怠慢がいかにひどい体たらくだったかということを告げるとともに、一人の才女が何かの理由で一挙に気がついたことが、どれだけ世の中の新たな芸術感覚や表現感覚にとって慈雨のような潤いに満ちているかを告げた。
 だからぼくがニューヨークに初めて行ったときに、最初に会いたかったのがスーザン・ソンタグだったのである。もっともアポイントメントが到着2日目にしかとれなかったので、1日目はルイス・トマスに会いに行った。
 ソンタグの自宅に招かれ、部屋中を埋めつくしている本棚の配列をめぐって立ち話を交わしたあと椅子をすすめられ、「さて、ニューヨークはどう? 私以外ではニューヨークでは誰に会うの?」と問われたとき(この問いがすでに鋭いものだった)、えーっと、昨日がルイス・トマスで、明日はジャック・スミスで、そのあとジョン・ケージとナム・ジュン・パイクを訪ねるつもりだと答えたところ、めちゃくちゃ美貌のソンタグが目をまるくして、「どんな知的なアメリカ人だってそんな人選をする者はいないのに、初めてアメリカに来た日本人がそんなチョイスをするとは、信じられない!」と驚いた。
 この一言で、ぼくの初めてのアメリカ旅行の目的の大半が達せられたようなものだった。やはりスーザン・ソンタグこそが飛び抜けていたのである。なぜならこの人選の半分は、『反解釈』を読んでいるから思いつけたようなものだったからだ。

 溜飲を下げるという。
 ぼくはどんな敵対者も想定しないで本を読んできたほうなので、特定の読書によって溜飲を下げることはめったにないのだが、ソンタグの『反解釈』ほど何かの溜飲を下げたものはなかった。あたかも、この本でぼくの隠れた敵対者がことごとく名指しで暴露されるような快感すらもった。おかげで、そんな快感をもってしまったことがハンドリング不能になったものである。
 この1冊が60年代の感覚とスタイルのすべてを凝縮していることは、たちまち知れた。アメリカの60年代が何を試みたのかという最前線が、これ以上適確な言葉で表示されたことはなかったろうということも、すぐに見当がついた。たとえばヒップスターたとえばハプニング、たとえばアンダーグラウンド。しかし、ぼくがこの本に出会えて最も狂喜したのは、ここには今後、ぼくが最も敬意を払うべき「スタイルの消息」が鮮やかに、かつラディカルに告げられているということだった。
 なんといっても「キャンプについてのノート」がそのことを明白に告げていた。

 キャンプとは、説明をしようとすればそれにまるごと裏切られるかもしれないような、名状しがたい感覚のことである
 しかし、だからといって、それがキャンプだと感じることができなければ、それを賞味もできなければ感想をもつこともできない感覚の様式のことである。だって鮭茶漬とはそういう食べ物であり、ジャン・ジュネとはそういう作家であり、マレーネ・ディートリッヒとはそういう女優なのである。われわれは鮭茶漬と思って鮭茶漬を食べ、ジャン・ジュネを読むつもりでジュネを読む。
 このキャンプな感覚を、ソンタグが次から次へとみごとに言葉にしていく手際は、まことに胸がすく。その言葉(言葉のスタイルによって選ばれた言葉)はキャンプを越えているし、どんな非キャンプ的な隊列をも打倒しているし、そればかりか、これはキャンプのことではなくてオスカー・ワイルドの本質かティコ・ブラーエの天体観測計画か、あるいは小津安二郎の小物のすべての描写なのかと思わせるほどなのだ。

 少しだけ紹介しよう。
 キャンプとは様式化の度合いなのである。事物や人物に見いだせるスタイルの特質なのだ。それでいて批評を成立させないスタイルの感覚なのだ。だから「これはできすぎてキャンプにならない」ということを成立させる感覚様式なのだ。
 つまりキャンプとは、スタイルを基準にして見た世界のヴィジョンの断片であって、それゆえそこからはどんな多義性もどんな両性具有性も、またどんな変更をも許容する編集可能性がかいま見えているはずの様式感覚なのだ。
 だからキャンプの奥の奥は純真なものでできているはずで、そうだからこそいつでも不純なフリが効き、一見して、それはできそこないかもしれないという保留をもたせる、つまりは極度に過敏なスタイルなのでもある。
 そういうわけで、「ものは古くなったときにキャンプ的になるのではなく、われわれとそのものとのつながりが弱くなり、そこで試みられていることが失敗しているのに、われわれが腹を立てず、むしろそれを楽しむようになったとき、そこはキャンプ的になる」。いいかえれば、キャンプはそいつの「性格」が好きだとか、わかるということなのだ。
 だからキャンプは趣向であるからこそ思想よりも雄弁であり、選択であるからこそ主題より速度に富んでいる。つまりは、用意周到とはかぎらないくせに、つねに用意周到と思わせてもおかしくない存在の意志を感じさせるスタイルのことなのである。
 だいたいこれで察しがつくだろうが(察しがつくのはかなりキャンピーなことだが)、キャンプとはようするにぼくがおもしろがってきた、あの「数寄」なのだ

 いわば「キャンプ数寄」ともいうべきこうしたソンタグのスタイル批評は、本書のなかではジャック・スミスについての言及でさらにラディカルになる。
 おそらくこのことがわかるのは(ソンタグのジャック・スミス批評がとんでもなくラディカルで豊饒なものだということがわかるのは)、日本人ではぼく一人なのではないかとおもう。
 いささか自慢になるけれど、ジャック・スミスと数時間以上を2日間にわたって話しこんだのは日本人ではぼく一人であろうということと(その後ジャック・スミスはエイズで死んだ)、ぼくの審美感覚のすべてを賭けて言ってもいいのだが、ジャック・スミスとケネス・アンガーとジョナス・メカスとフェデリコ・フェリーニを比較できるのは、きっとぼくくらいのものだろうという自負があるからだ(もう一人、森永純がわかるかもしれないが)。
 しかし、それもこれもやはりソンタグがぼくに示唆した「ラディカルな意志のスタイル」とは何かというヒントによっていた。そうなのだ、ぼくにとってのソンタグは、しばしば最も知的なシャーマンでもあったのだ。

 ぼくにスーザン・ソンタグのことを最初に教えてくれたのは武満徹さんである。「あんな人は見たことがない。あんなに頭のいい人と会ったことがない」というイントロダクションだった。
 その後、ぼくが10年にわたって一緒に仕事をしてきた木幡和枝がソンタグと仲良くなって、ソンタグは日本に来るとぼくの仕事場を襲うようになった。ぼくがニューヨークに行くことを知っているときは、たいてい会いに来てくれた。クーパーユニオンで日本の文字に関するエキジビションをしたときは、恋人の写真家アニー・リーボビッツと二人して(スーザンはレズビアンであることを隠さない)、すばらしいコートを翻してやってきた。
 会場にはいっぱいの招待者や日本からやってきたデザイナーもいたのだが、会場の真ん中をハリケーンのように通り抜け、ぼくにまっすぐ近寄ると「セイゴオだけに会いたくてね」とニコッと囁いて、本当にそれだけを言い残して、また風のように去っていった。
 オウム真理教の事件に日本が混乱していたときは、やはり突然に仕事場にやってきて、「今日は二つのことを交わしたい」と言ってどっかとソファに脚を組んだ。ひとつは、「セイゴオが最近書いたという『フラジャイル』のことを木幡さんから聞いたけれど、その感覚のスタイルについての宣言は最高です。15分だけもう少し説明しなさい」ということを、もうひとつは、「他の日本人の誰もが説明できなかった麻原彰晃について30分で説明してほしい」ということだった。
 これだけをまくしたてると、さあ、ではセイゴオの番よというふうに、ゆっくりソファに凭れたものだった。

 こういうソンタグのように、セクシーでインテレクチュアルで、かつ加速度に飛んだコミュニケーションを、どんなときにも挑んで欠かさない女性を、ぼくは他には思いつきようがない。
 ぼくの仕事場に彼女がやってきたときに、お茶を出しにいった太田香保がこう言った、「わたし、あんなにすばらしい女性と会ったのは初めてです。存在学は女性になるんですね」。
 武満徹さんのイントロダクションは正しかったのだ。
 1933年、ニューヨークの生まれ。ユダヤ人。シカゴ大学のあとハーバード大学院をへてパリ大学へ。専門は哲学だった。1950年に結婚したが、さっさと離婚。息子を引き取って、大きな犬と膨大な書籍とともに一緒ずっと暮らしていた。女は何かをめざしたら、決してためらわないということを、そしてそのすべてが言葉にできるのだということを、そのマグネティックな魅力に富んだラディカル・スタイルをもって告げつづけた人である。



参考¶スーザン・ソンタグの翻訳には本書のほかに、ぼくが多くの友人に勧めてきた『ラディカルな意志のスタイル』(晶文社)、どの写真論よりもスタイリッシュな『写真論』(晶文社)、自分自身のガンとの闘い(主治医がなんとルイス・トマスだったのである!)を通して感得した警告に満ちた病気論『隠喩としての病い』(みすず書房)、そして、レニ・リーフェンシュタールを批判したエッセイを含む『土星の徴しの下に』(晶文社)などがある。ソンタグはまた本来は作家であって、戯曲家であって演出家でもある。小説には話題の『死の装具』(早川書房)、『わたしエトセトラ』(新潮社)が、演出ではオリジナル台本やベケットのものの舞台が、また何本かの映画演出がある。そういえば、武満徹さんがもう一言スーザン・ソンタグについて言っていた、「あのひとほど映画を見ているアメリカ人はいなかった」。その武満さんはそのころ年間300本の映画を見ていたのである。








 
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[目次]

1144

『海上の道』柳田国男

1143

『異装のセクシャリティ』石井達朗

1142

『日本人の自画像』加藤典洋

1141

『稲と鳥と太陽の道』萩原秀三郎

1140

『猿と女とサイボーグ』ダナ・ハラウェイ

1139

『カムイ伝』白土三平

1138

『江戸の枕絵師』林美一

1137

『ゲイ文化の主役たち』ポール・ラッセル

1136

『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド

1135

『非常民の性民俗』赤松啓介

1134

『日本創業者列伝』加来耕三

1133

『市場の書』ゲルト・ハルダッハ&ユルゲン・シリング

1132

『女帝の手記』里中満智子

1131

『日本/権力構造の謎』上・下 カレル・ヴァン・ウォルフレン

1130

『多文明共存時代の農業』高谷好一

1129

『木村蒹葭堂のサロン』中村真一郎

1128

『江戸商売図絵』三谷一馬

1127

『性的差異のエチカ』リュス・イリガライ

1126

『インターネット資本論』スタン・デイビス&クリストファー・マイヤー

1125

『ボランティア』金子郁容

1124

『アヴァン・ポップ』ラリイ・マキャフリイ

1123

『笑いの経済学』木村政雄

1122

『ぼくの哲学』アンディ・ウォーホル

1121

『百物語』杉浦日向子

1120

『女性の深層』エーリッヒ・ノイマン

1119

『北条政子』永井路子

1118

『ネット・ポリティックス』土屋大洋

1117

『T.A.Z.』ハキム・ベイ

1116

『江戸の身体を開く』タイモン・スクリーチ

1115

『資本主義のハビトゥス』ピエール・ブルデュー

1114

『猫と小石とディアギレフ』福原義春

1113

『江戸の市場経済』岡崎哲二

1112

『田中清玄自伝』田中清玄・大須賀瑞夫

1111

『黒い花びら』村松友視

1110

『昭和という時代』鈴木治雄対談集

1109

『澄み透った闇』十文字美信

1108

『市場対国家』ダニエル・ヤーギン&ジョゼフ・スタニスロー

1107

『負ける建築』隈研吾

1106

『未来派』キャロライン・ティズダル&アンジェロ・ボッツォーラ

1105

『写真ノ話』荒木経惟

1104

『建築的思考のゆくえ』内藤廣

1103

『バイ・バイ・キップリング』ナム・ジュン・パイク

1102

『コンセプチュアル・アート』トニー・ゴドフリー

1101

『モダンデザイン批判』柏木博


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