六百六十三夜【06632002年11月20日

Seigow's Book OS / PIER
ジャン・ジャック・ルソー
『孤独な散歩者の夢想』
1960 岩波文庫

Jean Jacques Rousseau : Les Reveries du Promeneur Solitaire 1782
今野一雄 訳
[表紙]『孤独な散歩者の夢想』
©岩波書店

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ジャン・ジャック・ルソー

ジャン・ジャック・ルソー


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
 

 
 

 
 

 

 

 

 
 

 
 

 

 ルソーには馴染めなかった。兆民藤村は好きなのに。
 これが食わず嫌いであったことはずっとのちにわかるのだが、長きにわたって「ルソーは鼻持ちならない」と思っていた。もっと言うなら漠然と「近代悪」とも思っていた。
 なぜそう思ったのか、社会契約論のせいなのか、「自然人」などと嘯くのが嫌だったのか、食わず嫌いなんてそもそもいいかげんのものだから、理由ははっきりしない。少なくともイポリット・テーヌやジャック・マリタンのように、デカルトとルターとルソーを並べて「ヨーロッパを誤導した病める魂」などと裁断したいわけではなかった。もっともっと勝手な印象だった(いまちょっとだけ自己追求してみたが、つまりは何も知らずにルソーを敬遠していたにすぎないことが、よくわかった)。
 それが大きく変わったのは『告白』を読んでからである。びっくりした。この告白は並大抵ではない。

 ヒュームとともにイギリスに渡った1766年に、『告白』の第1部が綴られる。
 ところがルソーはそのままヒュームと衝突して、精神的にもかなり不安定になっていく。その渦中での告白である。当初は、モンテーニュ以来のエッセイの伝統をいかした自叙伝を書くつもりが、すでに旧友ヴォルテールにこっぴどく攻撃されてからは、ルソーは気分を一転してしまったようだ。一転したというより、気が滅入っている。そこでルソーは半ば錯乱気味のまま、世間に自己弁護をするために自身の内面を赤裸々に吐露するほうへ傾いていった。それが『告白』だが、その吐露が尋常じゃない。
 そもそもヴォルテールの批判は口舌こそ誹謗めいていたものの、人倫上のことか、もしくは思想的な批判だったのである。けれどもルソーにとってはそれが「存在の否定」に映ったようだ。それならばなんとでも言葉を紡げたルソーなのだから反論を書けばよさそうなのに、ルソーはそうしない。徹底して自身の内面に巣くうものを次々に書き抉(えぐ)ったのである。
 きっと書いているうちに、モンテーニュの自己省察の水準を甚だしく破っていってしまったのだろう。ルソーは自分の言葉にブレーキがかからなかったことを感じていたはずである。
 そのくせルソーはこの『告白』を恥ずかしげもなく人前で大声で読む。詩人ドラの家での朗読に始まって、エグモン伯爵夫人の家でも、スウェーデンの皇族の前でも、誰の前でも朗読してしまう。これにはついにエピネー夫人が閉口し、ルソーの『告白』朗読の禁止を当局に申し出たほどだった。

 なぜ、ルソーはこんなことをしたのだろうか。
 理由はどうあれ、たしかにこのように「自分のこと」ばかりを綴った『告白』を読めば、そのあからさまに真摯な自己分析に人々は動揺するだろう。23歳の島崎藤村が英訳『告白』を読んで変わってしまったのは、そのせいだ。藤村はルソーを知って「束縛を離れて生を見る」ことを、知る。そして『破戒』や『新生』を書いた。
しかし、ルソー自身はどうしてこんな暴露本のような告白録を綴る気になったのか。あまつさえ、そのような告白録を人前で朗読したくなるとは、どういう感情なのか。『告白』で腰を抜かしたぼくが次に抱いた疑問は、そこにあった。

 こうしてしばらくののち、『孤独な散歩者の夢想』を読むときがきた。
 これは64歳のときに書き始めて、2年後の死ぬ直前にペンをおいたもので、ルソー生涯の絶筆になる。「第一の散歩」から「第七の散歩」までが順序よく並び、そのあと「八、九、十」がメモとも文章ともつかぬように続く。
 冒頭、またまたぼくは腰を抜かした。「こうしてわたしは地上でたった一人になってしまった」と書き、さらに「人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで人間仲間から追い出されてしまったのだ」と書いているからだ。ルソーは自分が完全な追放者となっていることを、これから綴ろうとしているわけなのだ。
 ルソーはそこで、「わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこのわたしは、いったい何者か」と問うて、いまいましくも自分に残されたことは、すべての世間から放逐された自分はいったい何者なのかを探求することだけなのだと自覚する。
 なんとも痛ましい。痛ましいのだが、驚くべき執念によってルソーはこの探求を綴り果てていく。
 そんなルソーを支えた感情は、ただひとつのことだった。ルソーを迫害しつづけた者たちは、そのあまりに激しい憎悪ゆえに、たえず攻撃の手をゆるめずにルソーの苦悩をかきたてればよいものを、ついつい初めっからあらゆる手段を使い切ってしまったということだ。ルソーに何ひとつ残させまいとして、攻撃者たちは何もすることがなくなってしまったのである。
 ルソーはそこに一縷の残された自己探求の突破口を見出した。加えてルソーには「もはや世間に戻る気がまったくなっていること」が強みになっていた。
 それにしても、こんな絶望的な淵に立って、最後の自己描写に向かうとは、なんというジャン・ジャック・ルソーなのか。

 こうしてともかくも、ルソーは「このうえなく奇怪な境遇にある自分」について、その「自分の魂の平常の状態」とは何かということを、頭に浮かぶ夢想のままに書き綴ろうとしたわけである。それが『孤独な散歩者の夢想』の執筆動機になっている。
 しかしながら、そんな平常な夢想というものがあるのだろうか。ぼくはどきどきしながら、本書を読みすすんでみた。
 ルソーにはひとつのアテがあったようだった。それは、「地上に対するいっさいの希望を失った自分」に残されたことは、「自分のうちにあるもので心を養うこと」だということである。
 なるほど、そういう方法があったのである! もはや誰の手も借りないで、自分が通過してきた過去を、自分が育くんだ感覚の言葉によって費やしていくという方法が――。
 しかし、読みすすんでみると、ルソーはこの方法を完全消費する前に、ひとつの「懴悔」に躊躇することになっていく。その躊躇したくなる懴悔とは、ルソーはかつてどんな嘘をついてきたかということだった。
 嘘をついたこと? なぜそんなことが気になるのだろうか。なぜそのことが“最後のルソー”を苦しめるのか。これまた、あまりに痛ましい「気づき」というものだ。そんなこと、放っておけばいいものを、ルソーは自分が「自分の残余」のために自由な夢想を使いきる前に、嘘を消しておきたいと考えたようなのだ。そんな露払いをしておかなくてはならないと考えてしまったのだ。

 かくて、しだいに本書は読み難い刻苦をルソーにも、それを読むぼくにも強いていく。
 そんなことまでして、なおルソーは老境に鞭を打ち、この魂の散策を続けるべきなのだろうか。ぼくはそんな自己散策をどのような気分で読むべきなのだろうか。ルソーを読んで、このような葛藤に巻きこまれるとは、まったく予想だにしなかったことだった。
 ところがルソーはここでひとつの光明を思いつく。それは「ファル・ニエンテ」という言葉であった。「無為」と訳せばわかりやすいこの言葉は、「尊いファル・ニエンテ」というふうに文中に突如として挿入されていた。
 ルソーは1765年の9月に訪れたビエーヌ湖上のサン・ピエール島を思い出しているのである。そこでルソーはごく僅かなひとときを送ったのだが、このとき「尊いファル・ニエンテ」がやってきたらしい。それをルソーは忌まわしい記憶の記述の奥にやっと発見し、本書のなかで最も美しい文章で綴りつつ、突如として「ファル・ニエンテ」と叫ぶのだ。
 この「無為」こそは、きっとルソー自身の光明でもあったにちがいない。しかし、それはどんな思想でもなくて、たった一つの言葉であったのだ。ルソーにとっては、それでもよかったのである。あれほど万余の言葉を費やしてきたルソーであったのに。
 もっともぼくのほうは、この「無為」を頭上に輝かせて読むようになったため、“最後のルソー”が何を綴ったのか、よくよく考えながら読むことができたのだ。けれども、そのようにして読みおえた本書ではあったけれど、ぼくはふたたびルソーの真意がわからなくなっていた。

 ジャン・ジャック・ルソーとはいったい何者だったのだろう。ルソーはその問いには答えなかったのである。
 生まれたのはジュネーヴだった。父親が時計職人で、母親はすぐ死んだ。3歳のときにルイ15世が即位した。8歳のときにデフォーが『ロビンソン・クルーソー』を書いた。12歳のときにカントが生まれ、ルソーは彫刻師の徒弟になった。高齢のニュートンが死んだのは15歳のときである。
 こうして17歳でヴァラン夫人に巡り逢う。本書の最後で、結局自分の幸福な7年間はヴァラン夫人との日々だけだった、自分の生涯はこの7年間を生きた人生だったのではないかと綴った、その夫人である。けれども10年目、ルソーは夫人に嫌われる。
 これでルソーがへこたれたわけではない。むしろルソーは音楽教師や家庭教師をしながら、先行したヴォルテールを読んでライバルとなるべき相手に闘志を燃やしてみせたのである。
 それからのルソーの活躍は目を見張る。
 ラモーのオペラの改作にヴォルテールと組んだのをきっかけにいくつもの戯曲を手がけ、1歳ちがいのディドロと親交し、多くの貴族夫人と睦まじくなり、恋に溺れ、失恋を重ね、ウドト夫人に気にいられなくなると、ディドロと決別、長編小説『新エロイーズ』『社会契約論』『エミール』をたてつづけに書いたのだった。
 ここまで、ルソーは世間に見離されるどころか、友人も世間も手玉にとっていた。ただし、それはたった数年間の“暴発”でもあった。その“暴発”の成果に対し、世界は民約思想家という栄冠を与えることになる。

 それではいったい、何がルソーを地獄に落としたのか。『エミール』がパリ高等法院で禁書になったからなのか。『エミール』を非難した大司教と論争をしたからなのか。そのころちょうどヴァラン夫人がこの世を去ったからなのか。
 ともかくもルソーは逮捕を逃れてスイスに落ちのびて、そこからしだいにおかしくなっていく。そこへ追い打ちをかけたのが無署名のヴォルテールによるパンフレット「公民の意見」による過激なルソー攻撃だった。ルソーが『告白』を書く決意に走ったのと、ビエーヌ湖上のサン・ピエール島に滞在したのは、このときだ。
 けれども世間はさらにルソーを追いかけた。攻撃と追放をやめはしなかった。ルソーはヒュームとイギリスに渡り、『告白』を書くのだが、そのヒュームともすぐに不和になる。ここでルソーの魂は過剰なほどに傷ついていく。
 それでもルソーはテレーズと正式な結婚をする程度の余裕をもっていた。ナポレオンやベートーベンやシャトーブリアンが生まれたころのことである。
 これでルソーは控えればよかったのだろうか。しかしルソーは、まったく逆のことをしてしまったのだ。それが『告白』の朗読だった。この評判は最悪である。ルソーは憮然として作曲に没頭しはじめる。ルイ15世が地上から去っていった年である。

こうしてアメリカが独立宣言をする渦中、ルソーは『孤独な散歩者の夢想』にとりかかる。実は『告白』も『夢想』も、誰も読んではいなかった。まだ出版されていなかったからである。
 1778年、5月にヴォルテールが死んだあと、ルソーは世間から押し潰されるように死ぬ。それから4年もたってから、『告白』第1部が出版されて、さらに6年後のフランス革命のさなか、『告白』第2部が出版される。
 ルソーの評価が高まって、遺骸がやっと「偉人廟」(パンテオン)に移されたのは、かのロベスピエールが凄惨な処刑をうけてからのことだった。しかしジャン・ジャック・ルソーもまた、ずっと誤解されたまま死んだ男であったのである。
 ぼくは食わず嫌いであったほうがよかったのだろうか。










 






 

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