第六百三十四夜【0634】2002年10月08日
Seigow's Book OS / PIER |
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アンドレ・ブルトン
『ナジャ』
1962
現代思潮社・1979 白水社 他
Andre Breton :
Nadja 1928
稲田三吉 訳 |
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いまは懐かしい粟津潔の装幀である。いまは懐かしい稲田三吉の訳である。粟津さんとはその後は何度も顔を会わしたが、稲田センセーとは会っていない。
この『ナジャ』の訳者をセンセーとよぶのは、稲田さんがぼくの早稲田文学部時代のフランス語のセンセーだったからだ。ただしこのフランス語の授業は大嫌いだったので、とんと出席しなかった。おかげでフランス語はさっぱり、会話はむろん、そのためにわざわざ仏文科に入ったはずのプルーストやコクトーさえ、いまもって読めない。
しかし稲田センセーの訳書は『シュールレアリスム宣言』(シュルレアリスムではなくシュールレアリスム)から『ナジャ』まで、早稲田時代にすべてを読んだ。センセーに議論をふっかけもした。きっとセンセーにはたいへん迷惑なことだったろうとおもう。なぜならぼくは、当時すでにシュルレアリスムの大半に大いなる疑問をもっていたからだ。それというのもぼくにとってのセイゴオ・シュルレアリスムは、すでに自分なりの方法で高校時代にとっくに済ませたものだったと“錯覚”していたからだった。ついでにいうのなら、ぼくは小学校時代にすでに「市電に三度笠をかぶって乗るダダイスト」だった(と思いこんでいる)。
むろん、この手の早とちりはいまは反故にした。やはりシュルレアリスムにはそれなりの独創があったのだし、鼻持ちならないとおもったアンドレ・ブルトンについても、ずいぶん心証を変えた。とりわけ「美は痙攣的なものであるにちがいない。さもなくば存在しないであろう」という、とびきりの暗示の一句で終わる『ナジャ』については――。
ブルトンがパリの街角でナジャに会ったのは、1926年10月4日のことである。
その女はひどく華奢なからだつきで、まるで目のところから化粧をはじめて時間がなくなったので途中でやめてしまったみたいな黒ずんだ目をしていた。ブルトンはその目に惹かれて声をかける。マジャンタ通りの美容院に行くところだったという女を誘ってカフェのテラスに坐ると、ブルトンは名前を聞かずにはいられない。
女の答えは完璧だった。
「ナジャっていうの。なぜって、それがロシア語の希望という語の初めのほうの部分なんですもの」。
これでブルトンは首ったけになった。ぼくも、この箇所でナジャに惚れた。いや、それだけではなく、目のまわりをひどく黒くしている女性に、『ナジャ』を読んで10年ほどたって京都で会ったときに、これは京都ナジャだと思ってしまったほど、このナジャの出現のしかたはぼくのお気に入りになったのである。
話のほうはここから漠然と始まるのだが、むろん何がおこるというのでもなく、ただブルトンがナジャに会いたくてしかたがないというだけの進行になる。
だいたいナジャは、夕方の7時ごろになると地下鉄の二等の席にいるのが好きなだけの女なのである。けれどもナジャが放つものがともかく異様で、美しい。唐突でもある。男はこれに弱いのだ。二度目に会ったときは全身を赤と黒に纏って、エレガントな帽子をかぶり、絹の靴下をはいていた。
ブルトンはナジャの気をひくためにいろいろ自分の本を与える。これもよくある手だが、ナジャは本の中身よりも、『シュルレアリスム宣言』の煉瓦色の表紙と『失われた足跡』の表紙の群青の、二つの色の取り合わせのほうに関心があるらしく、「あら、これは“死”ね」と言う。
こうしてブルトンはナジャの唐突に翻弄されていく。
二人はパリの街をほっつきまわるだけなのに、ブルトンはその道行がしたくてしたくてたまらず、なんとか理由をつけてナジャと逢引をする。この道行はそうとうにブルトンの心に残るものだったようで、本書を刊行するときはナジャとともに歩いた街角の写真をページの中にあれこれ挟んだ。本書はこの懐かしいパリの一隅の写真を見るだけでも、またブルトンやナジャが走り書きしたスケッチやメモを見るだけでも、一開の価値がある。
10月8日、つまりぼくがこれを書いている今宵から数えて76年前のパリで、ブルトンはバー「ラ・ヌーヴェル・フランス」でナジャを待っていた(すでにお察しのように、ナジャは実在の女性なのである)。
が、ナジャは現れない。どうしても会いたいブルトンは芸術座の近くでナジャがどこに住んでいるかを調べ、ナジャがシェロワ街の「劇場ホテル」の4階に住んでいることをつきとめる。置手紙を残したブルトンのもとに電話が入り、「私に会いにくることはできません」。
ナジャが“シュール”であることは、むろんいうまでもない。それをブルトンが巧みに引き出していることもいうまでもない。けれどもこれは断言できることであるが、このような“シュールな女”はどんな時代にも実在していて、しかも男が想像力でつくりあげるよりずっと“シュールな会話”ができるものなのだ。
男はこの言葉の暗示に酔っていく。実際にもナジャはブルトンにいくつもの暗示をかけた。たとえば「すべてはみんな弱くなって、そして消えてしまうんだわ」、たとえば「ねえ、アンドレ? あなたは私のことを小説に書くのよ」、たとえば「あなたはラテン語かアラビア語の偽名を見つけるの」。
ブルトンはついにマックス・エルンストにナジャの肖像を描いてほしいと頼む。そうしないではいられなくなったのだ。しかしエルンストは、自分がある夫人に「あなたはいつかナディアとかナターシャという名の女に出会うだろうが、きっとうまくいかなくなるから気をつけなさい」と予言されたと言って、この申し出を断った。エルンストにもすでにナジャはいたわけなのだ。
ランボーやロートレアモンにシュルレアリスムの先駆を読んだブルトンが、ナジャの身なりと目のメークアップに参っていた以上の感覚で、その言葉にこそ参っていたことは、本書の随所に出入りするナジャの言葉づかいによくあらわれている。
こんなぐあいである。
「もしそうなれとおっしゃるなら、私はあなたにとっての無の存在に、それとも一個の足跡のような存在になってみせるわ」(こう言われて参らない男なんているはずがない)。「あなたは私の主人よ。私はあなたの唇のはしで息づき、そして息をひきとっていく一個の原子にすぎないの」(奴隷になるんじゃなくて、唇のはしで息づく女になってあげるわだなんて、ありがたいのか困るのか、それさえわからない)。
さらにはこんなふうである。
「私、涙で濡れた指で静けさにさわってみたい」(えっ、それって静けさはぼくにはないっていうことなのか)。「そうじゃないのよ、神秘を前にしているのよ。石のような人、ねえ、私をちゃんと理解して」(うん、もちろん理、理解しようとはしているんだけれど‥石の人じゃ‥)。「でもね、自分の思考に靴の重荷を背負わせては、いけないわ」(は、はい。そんなつもりじゃないし、ただ好きなだけで‥)。「私はね、すべてを知っていたの。ライオンの爪が葡萄の胸をしめつけているでしょ」(むむ、ライオン? 葡萄の胸? やっぱりまずかったのか)。
そして挙句は、こうなのである。「だからね、私の呼吸がとまるとき、それはあなたの呼吸がはじまるときなの」(うーん、どうしたらいいんだろう!)。
結局、ナジャはかつて精神病院に入っていた女であることがブルトンにもわかるのだが、それでもブルトンはナジャを記念する。その気持ち、まことによくわかる。
なぜなら、美というものは、リヨン駅や渋谷駅でいままさに発車しようとしてたえず身悶えている電車のようなものであるからだ。女はそこではつねに無線技師であって、男の心はいつだって地震計なのである。
それをいいかえれば、本書のラストにゴシックで綴られているように、「美は痙攣的なものであるにちがいなく、さもなくば存在さえしない」ということになる。
参考¶ぼくのアンドレ・ブルトンの読み方はしだいに変質していっている。最初は『シュールレアリスム宣言』(現代思潮社)に驚いたが、やがてトリスタン・ツァラを読むようになって、しだいにブルトンのシュルレアリスムの正当化が嫌になった。そのうちブルトンの編集力が尋常でないことに関心をもって読むようになり、とくにフロイトとトロツキーに寄せる思いが並大抵ではないことを感じるようになった。けれどもこの思いにブルトンは挫折する。そのようなブルトンを、いつのまにかぼくは母のように擁護できるようになっていた。ごく最近は『魔術的芸術』(河出書房新社)をつらつら眺めて、やはり只者じゃないという感慨をもった。
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