第五百十六夜【0516】2002年04月11日
Seigow's Book OS / PIER |
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カルロ・コッローディ
『ピノッキオの冒険』
1979
岩波少年文庫・1986 偕成社文庫・1996 河出文庫 他
Carlo Collodi
: Le Avventure di Pinocchio 1883
米川良夫 訳 |
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『イタリア的考え方』
ファビオ・ランベッリ 著
1997 ちくま新書
イタリア人にとっての仕事・時間・自由とはなにか。 |
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いちばん古い記憶は『クリのおてがら』で、次がタイトルは忘れたのだが、フィリップ君とかなんとかの名前のついた木馬が空を飛んで冒険する英国風のハードカバーの絵本だった。
そのあと『ノンちゃん雲にのる』を何度読んだことか。漢字にすべてルビがついていて、それをひとつひとつ舐めるように拾いながら読んだ。そうしたら鰐淵晴子が主演した『ノンちゃん雲にのる』が映画になり、せがんで連れていってもらってからは、ノンちゃんよりもノンちゃんに扮した鰐淵晴子が忘れられなくなった。千住真理子をはじめ、ぼくがヴァイオリンを弾く少女にめっぽう弱いのは、ここに起因する。
しかし、絵本よりも童話が好きな少年だったように憶う。理由はよくわからないが、絵本は「世界一尽し」「森のぼうけん」「かぶとむし」「たんなトンネル」といったたぐいの、どちらかといえば理科もの・社会もののほうが好きで、そのぶん、物語のほうはもっぱら母が買い与えてくれた童話か、偕成社や講談社の少年少女名作全集に埋没していた。
ピノッキオを何で読んだかは、はっきりしない。ガリヴァーを絵本で読んだ記憶が鮮明で、それと似たサイズの着色画を憶えているのだから、きっと絵本だったのかとおもう。おもしろいとか悲しいというより、変な物語だ、不気味なお話だという印象をもった。子供というもの、全篇心温まる話なんてものは、好きじゃない。ただ、ゼペット爺さんと仙女ファータと犬のアリドーロには、いたく惚れた。
長じてコッローディを読む機会があってピノッキオを覗いてみたら、ピノッキオが呑みこまれたのが実はクジラではなくて、巨大なフカになっていたのでショックをうけた。ジョーズなのである。それならなるほど、スピルバーグのハリウッド思想はジョーズにしろETにしろ「未知との遭遇」にしろ、ピノッキオに派生していたんだということは了解できたものの、このショックは、のちにあんなに可憐で美しかった鰐淵晴子が何を血迷ったか、整形してお化けのようになってしまったのを知ったときほどのショックと近いもので、これでぼくの子供時代は解体したかとおもったものだった。
だいたい主人公はピノッキオではなくて「ピノキオ」であって、ジェッペットさんは「ゼペット爺さん」でなければ、ぼくの少年時代は戻ってはくれない。
最近の翻訳は厳密になって、正確な発音に応じた人名表記になっていることが多いのだが、それはそれで結構だし、本書は名訳者の米川良夫さんだから文句はないものの、ぼくはピノキオ、ゼペット爺さんで通したい。調べていないのでなんともいえないが、これらは佐藤春夫の訳だったのではないか。
カルロ・コッローディ(この作者名もながらくコローディだとおもっていた)がピノキオを創りだしたのは、イタリアがロマン主義とリソルジメントによって初めて近代国家を受胎しようとして苦しんだのちの、すなわちアレッサンド・マンゾーニやジャッコモ・レオパルディの実験作品を射出したのちの、しばしば「理想に対する病患」とよばれた時期のことである。
コッローディは新しいイタリアを予告するリアリズモとヴェリズモの台頭のなか、一言でいうのなら、たった一人でピノキオという新しいイタリア人を創りだしたのである。
それが、日本でいうなら、たとえば時任謙作にあたるのか、下村湖人の次郎にあたるのか、それとも瀬川丑松にあたるのかは、イタリア近代史に疎いわれわれにはすぐわからないが、ぼくはピノキオに、かつて柳田国男が桃太郎などに託した日本人像に対するに、折口信夫が弱法師などに見出そうとした複雑で傷ついた日本人像に匹敵する何かを感じもするのである。
ファビオ・ランベッリというイタリア人の東洋学者がいる。いまは札幌大学で山口昌男学長麾下の猛者として日本文化や日本宗教を横断的に研究していて、ぼくなど薄野(すすきの)や赤坂で出会って話すと、すぐに数時間がたちまちたってしまうほど愉快な学者さんである。
そのランベッリ君に『イタリア的考え方』(ちくま新書)というたいそうユニークな著書があって、その後半にジャンニ・ヴァッティモの紹
介がある。ヴァッティモはいわゆる「弱い思想」を唱えた一派の頭目で、ピエラルド・ロヴァッティやウンベルト・エーコらとともに、強い理性に対して非合理主義を対抗させるのではなく、あえて「弱い思想」をぶつけるべきではないかと説いて話題になった。日本ではいちはやく中村雄二郎や磯崎新が注目したが、ぼくも『フラジャイル』(筑摩書房)で紹介しておいた。
このヴァッティモの「弱い思想」は、第1に「みかけ」を重視すること、第2に実体は柔軟に変化すると考えること、第3に存在の思想は変化の中にあるとみていることの、この3点において、きわめてピノキオ的なのである。
はたしてヴァッティモの思想とピノキオとをこのようにつなげていいものかどうか、そのうちランベッリ君にとくとイタリア的存在学の系譜とともに聞かせてもらわないと、ほんとうのところはどうなのかはわからないが、ぼくはピノキオがいつも遊びの誘惑に負けたり、嘘をついてロバになったり、結局はクジラに呑まれてゼペット爺さんのところに戻ってくるところは、まさに「弱い思想」のすばらしい表現になっているのではないかとおもうのだ。
少なくともピノキオをヨナ・コンプレックスにつなげて解説するよりは“まし”なのではないか。
こんな雑駁なことをあれこれ感想していると、ピノキオはあくまでイタリアの民衆文化を背景にした傀儡思想の産物であって、これをディズニーがあんなアニメにしてしまうのは、かなり問題であるという気にもなってくる(ディズニー・アニメはそのほかでも怪しい。せめて名作をとりあげないことだ)。
もうひとつ、ピノキオがフカならぬクジラに呑みこまれる前に、イルカに導かれる場面があるのだが、このイルカが木偶の少年を導くという映像は、まさにイタリア的地中海の根本的な海洋風の思想ともいうべきだった。つまりは、古代このかたの「ピノキオの地図」とでもいうべきものが、この作品の裏側から歴史的に析出してくるべきなのだ。
もうひとつついでに、そうだとすれば、お話をするコオロギや金貨を埋める不思議な原っぱの場面なども、実は古代ローマ以来のイタリア民俗学の真骨頂なのである。ぼくが少年期に、ピノキオが不気味に見えたのはまんざらではなかったということになる。この不気味は近代以前のものだった。
そうなると、ピノキオはいまこそ新たな絵本作家の手によって、 それこそフェルナン・ブローデルの全歴史思想なんぞを背景に、まったく新たに蘇らなければならないのではないかという気もしてくる。ただし、その日本語版が出る暁には人名表記はピノキオ、ゼペット爺さんで通してほしい。
こんなこと、今宵も高熱で唸っているぼくの鰐淵晴子幻想でなければいいのだが。
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