第四百二十五夜【0425】2001年11月21日
Seigow's Book OS / PIER.[本棚で拝見] |
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孔子は「必ずや名を正さんか」と言い、荘子は「われ、こころみに汝のために妄言せん」と言った。荘子はそのあと「汝もまた妄聴せよ」と続けた。
これが孔子の正名と荘子の狂言の対比対照である。
名を正しうすべきだというのも中国哲学であれば、狂言綺語に遊ぶのも中国哲学である。前者は政治の言葉としてのちに儒教や儒学の正統に発展し、後者は個人の言葉としてのちに無為自然の思想やタオイズムの傍系に流れていった。
なぜ中国哲学はその劈頭の当初において、まったく相反するかのような二つの開示をもたらしたのか。
そのことを張儀は、秦恵王の宮廷での司馬錯との論争で「名を争う者は朝に於てし、利を争う者は市に於てす」と俚謡を持ち出して、何かを示唆しようとした。何を示唆したかというと「言葉を制する者は王である」という中国原初の思想を、である。「制する」とは、その言葉が垂直的な帝王の言葉であって、かつ水平的な市場の言葉になりうるということだった。ただし、その制する方法に正名と狂言という二つの方法があった。
孔子は巧言令色を嫌った。『論語』には「予、言うことなからんと欲す。天、何をか言うや、四時は行われ、百物は生ず。天、何を言うや」とある。
天が何も言わないのだとすれば、責任は人間にある。その人間たちの頂点に立つ天子や君子にある。そこで孔子は"君子の言葉"をつくろうとした。このときまずもって言語価値の基準となったのが「名」というものだった。「名、正しからざれば、言、順わず。言、順わざれば、事、成らず。事、成らざれば、礼楽、興らず」だったのである。
このように孔子が考えたのは、もともと中国では「名」は「実」にこそ合致することによってのみ力を発揮すると考えられていたからである。だから「名を正す」とは「名と実の合体」の如何を問うことでなければならなかった。
しかしながら、ついに孔子が自分を必要とする一人の君子にも出会えなかったように、社会というものは正名を確立するほうには進まずに、むしろ汚辱や混乱に満ちていった。もし正名に立脚する者があったとしても、その者はそうした非名非実と対抗をせざるをえない。
こうして登場してきたのが孟子である。
孟子は最初は汚辱や混乱に入ってこれを正そうとするのだが、むろんそんなことが大中国におこるはずもなく、結局は自身の人倫を磨きぬくしかないようになる。かくて正名はしだいに人格の代名詞になっていく。
一方、荀子はそのことを言葉の政治原理にまでもっていこうとした者である。無言の天があるがゆえに、だからこそ人知は天が言わざる意味をまっとうしなければならないと考えた。「天はもの言わざるも人は高きを推し、地はもの言わざるも人は厚きを推し、四時はもの言わざるも百姓はこれを期す」である。
孟子と荀子。よく知られるように性善説と性悪説とに分かれはしたが、二人はナイーヴな孔子の言語意識を広闊な社会のカオスに引き出し、人格に自立しうる言語の心理を問うプログラムをつくったといってよい。
かくしてここに「分別して名を制して実を指す」という知者のモデルAができあがる。それは現代思想ふうにいえば同一性と差異性の論理への踏み出しである。大室幹雄はこれを「市場のことば」がつくりあげたモデルとみなした。
荘子はまったくちがっていた。
世界は不可解なものであり、そんなとこへ抽象的な思考をもちこむものではなかった。
そのような世界の前では、人間はむしろ不安定や了解不可能性を本質とするのであって、そこではたえず坐忘・喪我・忘我のあいまにこそトランスがおこる。『荘子』斉物篇では「人の生は固よりかくのごとく芒たるか、それ我のみ独り芒たるか、人は芒たらざる者あるか」と問われる。
このような存在のありかたからすれば、言葉もまた覚束ないものとなる。「それ、言(ことば)は吹に非ず。言は言うところのもの有りて、その言うところのものは特(ひと)りいまだ定まらず。果たして言あるか、それ、いまだかつて言あらざるか」ということになる。
これこそ『荀子』正名篇と対照する古代中国のもうひとつの言語哲学、すなわち狂言篇であった。
このような荘子の見方は、事物・存在・世界について、いっさいの対象的な意識をもたないのだから、これはあきらかに意識の頽落というべきものである。
しかしながら驚嘆すべきことは、荘子がこの頽落をあえて名付けがたい無言語的始源にまで無限に遡ってなお泰然として平気であろうとし、しかももっといえば、むしろこの遡行によって頽落の現状を一気に解消しようとさえ企てたことだった。
タオ(道)とは、この無限の無言語的始源のことである。荘子がタオに戻ろうとしたのは、事物を実在の減退から解き放ち、言葉を名指しから離れさせるためであり、つまりはいっさいのありさまを無為自然とみなすためだった。
荘子はこの状態をこそ「万物と我と一たり」と言う。
それはそうなのであるが、ここで重視すべきは、そのように考える荘子が、そのことを説明するのに狂言綺語を操ったことなのである。それは『荘子』全編をよめば、すぐわかる。荘子は言葉を信じてはいなかった。いや、言葉の正しさを信じてはいなかった。それは「市場のことば」を怪しみ、市場で成り立つ社会からの遁走を意図するものとなる。
けれどもこの意図は、もし意図でないばあいにはすぐさま狂気に転化しかねないぎりぎりの意図である。荘子が沈黙を選ばずに、沈黙に近いところで言葉を狂わせてみせたことは、ミシェル・フーコーならただちに、それは「狂気の分割」だろうと言い出しそうなことだったのである。
これを大室幹雄は「空白のことば」がつくりだしたモデルとみなした。知者のモデルBである。
こうして大室は、孔子的正名による言語世界と荘子的狂言による言語世界を対比させながら、少しだけ荘子の世界のほうへ重心を移していった。
ぼくが本書に惹かれたのは、その僅かな荘子的狂言への偏奇というものだった。なぜなら、大室自身もそう書いているのだが、そこにこそ「遊」という世界が待っていたからである。
参考¶本書に出会う前、ぼくは同じ著者の『囲碁の民話学』を読んでその叙述と視点の類例のない切れ味に堪能させられていた。そこへ本書が登場し、じっとしていられずに大室さんに会いに行った。「桃と棗の時間論」を書いてほしいという依頼を兼ねて。
その後、大室さんは『劇場都市』『桃源の夢想』という大著をやすやすと発表すると、あたかも学界や論壇の有象無象をその大著の前後の見返しで振り切るかのように、さらに『園林都市』『干潟幻想』『檻獄都市』『遊蕩都市』というふうに、もっと充実した大著を連打していった。いずれも三省堂である。
それは、前人未踏のディスクールの森林に、まるでボロブドゥールやアンコールワットのような複雑きわまりない言語神殿を建設しつづけているようなものだった。あまりに稠密で巨大な思索の林立なのである。最初はなんとかついていこうとしたものの、ぼくもいつのまにか振り切られた。
以来、どのように大室幹雄を取り戻すかということが、ぼくの他人に言えない課題になっていた。ただ、もうひとつ他人に言えない気になることがあった。
それは、ぼくはともかくも、他の読者たちは大室幹雄をどのように読んでいるのかということである。これはぼくの怠慢だとはおもうのだけれど、どうも大室さんの思索と叙述の成果については、ほとんど誰も言及していないように見えるからだ。なぜ大室さんの巨大な成果はほったらかしにあっているのだろうか。もし、誰もがその放置を続けていくというのなら、いつの日か、ぼくがまた大室幹雄の密林に分け入ることになるのだが‥‥。
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