第三百九十夜【0390】2001年10月2日
Seigow's Book OS / PIER |
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ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ
『ドイツ国民に告ぐ』
1999 玉川大学出版部
Johann Gottlieb Fichte : Reden an die Deutsche Nation 1807
石原達二 訳 |
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一人の哲人が国民のすべてに何かを訴えることは、歴史上においてもそうそうないことである。政治家や革命家なのではない。フィヒテは哲人であり、一介の大学教授である。
しかも著述ではない。声を嗄らしての肉声の演説だった。マイクロフォンもなかった。では、なぜフィヒテはドイツの国民すべてに向かって熱烈な演説を連打しつづけようとしたのか。その肉声で何を訴えたかったのか。
ぼくがこの本の標題を知ったときの名状しがたい戦慄感のようなものは、何といったらいいか、ニーチェが「ツァラトゥストラはかく語りき」とか「この人を見よ」と言ったということを知ったときとよく似た驚異に近いものだった。ドイツ国民に告ぐ? そのころのドイツとはどういう国だったのか。大群衆を前にして語ったのだろうか。それならレーニンやヒトラーのようなものなのか。いやいや、大学の先生がそんなことをするはずがない。では、いったいこのフィヒテという男は何者だったのだ?
フィヒテは1762年にイエナの職工の家に生まれ、イエナ大学で神学を、ついでライプチヒ大学で哲学と法学を修めた。
30歳、カントの推奨で『あらゆる啓示の批判私論』を公刊して評判をとると、イエナ大学教授に迎えられた。すぐに『全知識学の基礎』を問い、知識人を唸らせた。これは編集的世界観の近代的な芽生えのひとつであって、また現象学の萌芽でもあった。
1798年、フィヒテは哲学雑誌を編集していたのだが、そこに載せた文章が無神論だとの非難をうけ、論争に発展した。いわゆる無神論論争である。翌年、イエナ大学を追われるようにして辞めたフィヒテは、シュレーゲル兄弟、シュライエルマッハー、ティークらのロマン派の文人たちと交流、新たなドイツ人としての深い自覚に入っていった。
そこに立ち塞がったのがナポレオンである。その時代背景については略するが、フランス軍がプロイセンを支配するなか、フィヒテは何度も軍靴高まるベルリンのアカデミーで講演に立ち、祖国の再生を訴えた。ウンターデン・リンデン通りにある真冬のベルリン・アカデミーの講堂だ。講演は14回にわたった。それがぼくを驚かせた『ドイツ国民に告ぐ』である。熱烈な教育論だった。
フィヒテは次のように演説を始めた。
「独立を失った国民は、同時に、時代の動きにはたらきかけ、その内容を自由に決定する能力をも失ってしまっています。もしも、ドイツ国民がこのような状態から抜け出ようとしないなら、この時代と、この時代の国民みずからが、この国の運命を支配する外国の権力によって牛耳られることになるでしょう」。そして、次のような趣旨を激烈に語っていく。
私がこれから始める講演は、3年前の冬に行った『現代の特質』の続きだ。
私は先の講演において我々の時代は世界史の第3期にあたり、たんなる官能的利己心がそのすべての生命的な活動、運動の原動力になっているということに向かって突き進んだことを述べた。しかし同時にこれがために、利己心は行くところまで進みすぎて、かえって自己を失うに至ったのだと語った。
これでは行方を失いつつあるドイツは救えない。私はこの講演をドイツ人のために、もっぱらドイツ人についての出来事に絞って語りたい。なぜドイツ人のためなのか。それ以外のどんな統一的名称も真理や意義をもたないからなのだ。
我々は、未来の生を現在の生に結びつけなければならない。そのためには我々は「拡大された自己」を獲得しなければならない。それにはドイツはドイツの教育を抜本的に変革する必要がある。その教育とは国民の教育であり、ドイツ人のための教育であり、ドイツのための教育である。
この講演の目的は、打ちひしがれた人々に勇気と希望を与え、深い悲しみのなかに喜びを予告し、最大の窮迫の時を乗り越えるようにすることである。ここにいる聴衆は少ないかもしれないが、私はこれを全ドイツの国民に告げている。
フィヒテの講演は、このあとしだいに新たな教育の提案に移っていく。それはドイツ人の、ドイツ人による、ドイツ人のための教育計画とその哲学である。
ここでその内容をあっさり要約してしまうのは、フィヒテの演説の熱情と口調を失わさせるのでしのびないのだが、やむをえずかいつまむと、提案はおおむね6項目にわたっていた。
(1)学校を、生徒が生み出す最初の社会秩序にするための「共同社会」にするべきだということ。
(2)教育は男女ともに同じ方法でおこなわれなければならないということ。
(3)学習と労働と身体が統一されるような教育こそが、とくに幼年期から必要であること。
(4)学校は「経済教育」をおこなう小さな「経済国家」のモデルであろうとするべきであること。
(5)真剣な宗教教育こそが「感性界」を可能世界にしていくはずだということ。
(6)すべての教育は国民教育でなければならず、したがってすべての教育はドイツ人に共通のドイツ語でなければならないということ。
この6項目だ。いまではそれほど画期的なことを主張しているわけではないと見えようが、当時の教育論がペスタロッチに代表されている時期、しかもその計画をドイツ人の民族観念や言語感覚と根本的に結びつけ、それを熱情あふるる口調で主張しつづけたということは、やはり尋常ではなかった。
しかし、この内容はぼくには意外だった。最初に本書を買ったのは高校時代で、パラパラと中を見て、どうも予想した様子とはちがうと思った。
ついで大学になって、ある必要から全部を読んだ。ある必要というのは創作演劇の一部にこれをつかおうかという単純な上級生の発案で、ぼくがその脚本化を任されたからだった。これは難産して、結局おシャカになった。しかし、そのとき本書を読んでみて、実はかなり心を揺さぶられた。内容が教育論だけだとは思わなかった。このように一国の民族を語る方法があるということに、心を揺さぶられたのだった。
当時のぼくは半端なマルクス主義者だった。またアナキズムにも惹かれていた。だからフォイエルバッハやヘーゲルまでならともかくも、フィヒテがおもしろいはずはない。なんだってカント、シェリング、フィヒテなんぞはドイツ観念論で片付けるのが、当時の学生マルクス主義の常套手段の切り口なのである。
それなのに、『ドイツ国民に告ぐ』はそうした思想の系譜を越えるものをどこかにもっていた。フィヒテはナショナリズムにさえ見えなかった。
いま、ぼくにはフィヒテの思想の全貌を述べる用意がない。またいまは、そのつもりもない。
しかし、フィヒテが『ドイツ国民に告ぐ』で、ここまで教育の必要性を徹底的に追求したことと、そこに当時のドイツ民族の命運を解くすべての推理をぶちこんでみせたことについては、脱帽しておきたいと思っている。
なぜなら、いまのぼくのまわりには日本の教育の実情を嘆き、その改革を説く連中がごまんといるのだが、あるとき「フィヒテはドイツ国民に何を告げたか御存知か」と訊いたとき、誰もその内容を知らなかったばかりか、その連中の改革案には日本人に対する洞察がひとつもなかったように見えたからである。
おそらく今日における教育は、その半分か3分の2くらいはグローバリズムの中にあっていいだろう。けれども、残りの時間やカリキュラムには、やはり日本語による日本人のための教育が静かに沸騰していてよいように思われる。いつかまたフィヒテを読まないではいられなくなることを、いまは惧れたい。
参考¶フィヒテの知識学について何も述べられなかったが、その概観は中央公論社の「世界の名著」のフィヒテ・シェリングの巻で瞥見できる。またフィヒテがヘーゲルとはかなり異なる精神現象学に到達していることは、フィヒテ『浄福なる生への導き』(平凡社ライブラリー)を、フィヒテの思索を辿るものとしてはディーター・ヘンリッヒの『フィヒテの根源的洞察』(法政大学出版局)を読むことを薦めておきたい。
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