第三百十六夜【0316】2001年6月18日
Seigow's Book OS /
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トーマス・マン
『魔の山』
1969
新潮文庫 他
Thomas Mann : DerZauberberg 1924
高橋義孝 訳 |
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ハンス・カストルプの名を会話で交わさなくなって、どのくらいたっただろうか。最後にこの主人公の名が出たのは精神医学の岩井寛さんと出会ったころだったように記憶する。ということは、もう30年近く前のことだ。
それまではハンス・カストルプはラスコリニコフやジュリアン・ソレルやドリアン・グレイとともに、あるいはオリバー・ツイストやヨーゼフ・Kやトニオ・クレーゲルとともに語られていた。そのころまでは文学の主人公が人生の代名詞か、もしくは難問人生の代名詞であったからだった。
いまはすっかりそんなこともなくなった。
誰も、古典の主人公の名どころか、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』やミラン・クンデラの『存在の堪えられない軽さ』の主人公の名すらも決して口にはしない。おそらく憶えていもしないことだろう。もはや名作の主人公なんて、今日の生活哲学のどんな場面にも関与していないかのようなのだ。
しかし、かつてはそうではなかった。
文学者の生き方は主人公に投影され、その主人公を通して人間や社会や恋愛を考える者が数多くいた。ハンス・カストルプはそうした者にとって、どうしても欠かせないか、もしくは引き合いに出したい「ある生き方」を象徴していた。
ハンス・カストルプがアルプスの山中にあるサナトリウム「ベルクホーフ」に入ったのは1913年である。23歳だった。
サナトリウムには、すでにいとこのヨーアヒム・ツィームセンが入っている。幼時に両親をなくし兄弟もないハンスにとってヨーアヒムは数少ない親戚である。ハンスはヨーアヒムがいることで短期間の療養が充実することを期待するのだが、ヨーアヒムにはそんな気がなく、自分が長期の療養が必要だということを訴える。ハンスもやがて自分の病気が尋常なものではないことを知る。
サナトリウムが空気の澄んだ場所にしつらえられた結核開放病棟であることは、結核が不治の病であった時代、すなわちペニシリンが画期的な役割を示す以前の時代であったころは、誰もが知っていた。のみならず結核に冒されてサナトリウムに入ることは、人生の思索の終焉を象徴して、それを文学のひとつの“籠城”とみる傾向が強かった。これを結核文学という。
だから『魔の山』の物語を、ハンスがアルプス山中のサナトリウムに入る場面で始めているのは、この作品全体がそもそも「人間であるということの宿命」を当初から重々しく背負っていることを暗示していた。
それゆえ読者は冒頭に、院長のベーレンスがハンスの病気が簡単ではないこと、患者になることにもさまざまな才能が必要なことをくどくどと伝えることを読まされる。「読者は患者なんだ」というトーマス・マンの挑戦だった。
そうなのである。『魔の山』の主題のひとつは「人間にとって病気とは何か」ということなのだ。
ハンスはこの大作の中で「病気」という哲学に少しずつ接近し、死と隣接する肉体に対して、その肉体の宿命からかぎりなく遠ざかろうとする精神の彷徨を遍歴する。その精神の彷徨を書き尽くしそうとしたことが、『魔の山』を20世紀最後の教養小説にとしたという批評があるほどだ。
だが、トーマス・マンが物語の最後になって用意したのは、ハンスとともに「病気」という安逸を貪ろうとする読者の目を冷まさせるほどの青天の霹靂だった。「病気」にかこつけて精神の彷徨を愉楽とするかのような気分になっていたハンスに、青天の霹靂としてのどんでん返しを突き付けた現実とは、突如としてヨーロッパの生活者のすべてを覆った「戦争」だった。
トーマス・マンが「病気の進行」と「精神の彷徨」と「戦争の勃発」をひとつの作品に凝縮しえたのは、マン自身が本書を構想し、執筆している渦中のヨーロッパがまさに「病気と戦争」を抱えていたからである。
そもそも『魔の山』を構想したのが1912年だった。この年、マンの妻カーチャがスイスのダボスの療養所に入院をする。マンもこれに付き添ってダボスで3週間をすごし(例のダボス会議のダボスである)、結核に象徴される現代の「病気」というものの精神性に気がつく。マンはこの体験をいったん『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』(これはのちに第1部とされた)という短編に書くのだが、納得がいかない。そこで新たな構想を練った。
その2年後に第一次世界大戦が勃発し、ヨーロッパはたちまち戦場となる。
マンは自身のペンの力によって祖国ドイツを支援する。1915年の『フリードリッヒと大同盟』、1918年の『非政治的人間の考察』は、安易な反戦思想に対するドイツ伝統文化に立脚した反撃でもあった。戦火に見舞われたヨーロッパが反戦民主主義によってみずからを自浄しようとしていた気運に対し、マンは愛国心にひそむ非政治性をもって立ち向かったのである。フィヒテの魂をもつドイツ人らしい異様な情熱だった。
けれどもこのマンの反撃はマン自身を傷つけた。戦争に巻きこまれる人間の、また戦争に立ち向かう人間の、この両者の人間によこたわる人間論が欠如していたからだった。
そこでマンは『ドイツ共和国について』『ゲーテとトルストイ』や、『フェリークス・クルルの告白』の新編などを書き、これらを土台にいよいよ「戦争」を背景とした「精神の彷徨」を、「病気」という個人の宿命を通して仕上げることにした。
それがマンの新たな人間論の枠組を告示する『魔の山』に結晶化することになったのである。
このようなマンの『魔の山』への壮絶な転換は、文学史では「マンの転回」とよばれている。
ここではふれないが、この点については、マンの息子で自殺した文学者クラウス・マンが『転回点―マン家の人々』という恐ろしい大著をのこしていて、ぼくはかつてこれを読んで、ヨーロッパにおけるドイツ人という血のものすごさに戦慄したものだ。とうていアジアにおける日本人の比ではない。
それはそれとして、父トーマス・マンは息子クラウス以上にヨーロッパとドイツを受苦しつづけたのである。
もっと芸術家としての生き方や書き方で時代をはすかいに眺めてもよかったのである。
実際にも、トーマス・マンは1875年にリューベックの豪商の家に生まれ、23歳で早熟な天才として前衛雑誌「ジンプリチシムス」に携わって編集の才能を示し、1900年には『ブッデンブローク家の人々』を書いて絶賛を博した。その後も『トニオ・クレーゲル』で芸術家の生き方を問うて人気を攫った。それが青春の危機を苦悩する自画像だとすれば、次の『ヴェニスに死す』は人生の薄明期を迎えた芸術家の危機を描いて、やはり独壇場だった。
この書き方でもよかったのである。『ブッデンブローク家の人々』には「ある家族の没落」の副題がつき、『ヴェニスに死す』では自身の未来をあざ嗤う表現力を見せていた。のちにルキノ・ヴィスコンティがとびきりすばらしい映画にしたように、このころのマンは表現主義や構成主義に躍るヨーロッパ20世紀初頭の前衛芸術の台頭のなかで、一人、沈静して芸術家にひそむ血の問題を見つめたのである。
けれどもマンは、こうしたマン家の“血族”に宿るものから芸術を眺めるという方法では、どうしても満足できなかったのだ。マンはドイツという“民族”を代表せねばならず、その民族の将来を抱えねばならず、その民族が戦争に突入してからは、民族を覆う人類の将来を課題にしなければならなかったのだ。
われわれの国は、どうもこのような巨大な意志としての作家をもちえなかった。
鴎外がいるではないか、藤村がいるではないか、あるいは大仏次郎や武田泰淳や堀田善衛や大江健三郎や中上健次がいるではないかとおもうかもしれないが、そこにはマンのごとき普遍的な病気と普遍的な戦争を一身に背負うという人類意志があるとは、いえない。鴎外から中上にいたる意志は、そうしたものとはちょっとちがっていた。
ぼくが『魔の山』を読んだのは遠い大学時代のことであるが、何がショックかといえば、このような文学は日本人には書きえないだろうということだった。
ドストエフスキーやメルヴィルならあきらめがつく。その作家の癲癇のごとき逆上の詩学に介入する余地もある。しかしトーマス・マンの体験の転回や思索の転回は、同じく結核と戦争に異常な関心をもってきた日本人にもおこりえてもよかったものなのに、どう見ても、そうした転回に耐えられない気がしたからだ。
理由がないというわけではない。
マンが『魔の山』の概要を書きおえた1914年は日本がドイツに参戦した大正3年で、日本はその勢いで中国に無謀な21カ条の要求をつきつけた。やっと島村抱月がトルストイの『復活』を公演し、大杉栄たちが「平民新聞」を創刊したばかりだった。
マンが『魔の山』を完成した1924年は大正13年で、関東大震災の動揺ののち護憲三派内閣をからくも立ち上げた年である。小林秀雄らが「青銅時代」を創刊し、宮沢賢治が詩を発表していたとはいえ、小山内薫と土方与志の築地小劇場のオープンがこの年のことだったように、そのころの日本は大戦争を体験したヨーロッパの苦悩など、まったく知ってはいなかった。「白樺」派がそうであったように、新たなヨーロッパの芸術運動の摂取に夢中になっていた。
それなら日本は日本なりに「病気と戦争」を抱えた日清日露の体験を通して「人類意志」を表現してよかったではないかというところだが、そのこともここで書く余裕はないのだが、日本人は諸兄諸姉がよくよく知るとおり、鴎外や漱石の表現を、あるいは晶子や雷鳥の表現のほうを選んだのである。
唯一、このころに「世界」や「アジア」を認識して受苦しようとしたのは内村鑑三や岡倉天心や宮崎滔天らの晩年であったろうが、これらの苦悩は当時はまったく理解されてはいなかった。
おまけに日本の作家たちがマンの転回と『魔の山』を知ったときには、今度は、日本自身が戦争に突入しすぎて、マンのごとく「民族の苦悩から人類の苦悩へ」という転回をもたなかった。そのころの日本人が「民族の苦悩」をもったとすれば、わずかに柳宗悦らの運動をおもいうかべるしかない。
こうして、われわれは『魔の山』の書き方ではなく、せめて読み方を確立するしかないところに追いこまれたのだ。
ハンス・カストルプを"われわれの内なる別人"として噂するしかなくなったのである。それはアントワーヌ・ロカンタン(サルトル『嘔吐』の主人公)やムルソー(カミュ『異邦人』の主人公)を、戦後の復興と民主主義の開花がやっと固まった時期に知って、あわてて"われわれの内なる別人"に仕立てたときの騒動と似ていなくもない。
ほんとうは、いつまでもこんなことを繰り返さないで、たとえば浜村龍造や竹原秋幸(中上健次『枯木灘』の主人公たち)を語ってすごす午後の時間や夜更けをもつべきなんだけれど―。
ところで、『魔の山』には何人もの魅力的で悪魔的な人物が対照的に出てくるのだが、なかでロドヴィコ・セテムブリーニの思想とレオ・ナフタの思想の対立が圧巻である。
セテムブリーニは本書の登場人物を相手に、スコラ哲学を説き、フリードリッヒ大王とヴォルテールの思想を暴き、フリーメーソンの隠れた真意を暗示し、ウェルギリウスから国家論におよんで、しばしば登場人物を煙に巻く。だいたい「自然はあなたの精神をまったく必要としていないんですぞ」という、ある日のセテムブリーニのナフタに対する謎かけが、その後のハンス・カストルプの「精神の彷徨」を約束させたといってもいいくらいなのだ。
とくに第6章のセテムブリーニの膨大な発言集は、これを多様にホットワード・リンクさせて「魔の山コノテーション・ディクショナリー」にまとめてみたくなるほどで、これに『資本論』を読破していて、ある種の教団思想に熱を入れているナフタの発言集をクロス・レファランスさせれば、トーマス・マンがこの一冊にこめた人間論のデータベースのほとんどが詳細に俯瞰できるのではないかとおもえるほどなのである。
実は『魔の山』一番の象徴的場面というのも、この第6章にあらわれる。
これは「雪」と題された第7節にあたる場面で、3年目の冬を迎えたハンス・カストルプがバルコニーから永遠に連なるかに見える雪山を眺めているうちに、この巨大な厳冬の自然に包まれてしまいたいとおもう場面である。
ハンスはそのまま病院側の忠告を無視して純白の雪山に入っていく。そこはあまりも美しく、そして底無しの沈黙で完成されている。自然は危険もあるが、責任もとらない。超絶の美があるものの、何も言葉にもしてくれない。それが自然というものである。ハンス・カストルプはそこに没入し、そんな冷徹な荘厳に一人立っている自分に感動をおぼえていく。
かくしてハンス・カストルプは雪中にホワイト・アウトしてしまう(と、ぼくは読んだ)。
おそらく、このホワイト・アウトが『魔の山』のコーダなのである。たしかトーマス・マンもどこかで第6章の「雪」が最も好きだと書いていた。けれども、マンはそのままハンス・カストルプを許しはしなかった。
ハンス・カストルプは、最後になって第一次世界大戦の戦場に駆られていくことになる。それは「野生化した科学」に対してホワイト・アウトする自分の自然精神がどこまで立ち向かえるかという実験というものだった。
ああ、このような結末は、大岡昇平の『野火』となんとちがっていることか!
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