第二百七十一夜【0271】2001年4月16日
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本田宗一郎
『俺の考え』
1963
実業之日本社・1992 新潮文庫
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10年ほど前にホンダの久米社長から1年ほど話に付きあってほしいと言われた。清水博さんの紹介である。
当時、ホンダは海外でもアコードで圧勝しつつあったのに、突如としてジャパン・バッシングの矢面に立ち、アメリカ市場で苦境に追いこまれていた。そこでホンダはF1からの撤退を決意し、「地球にやさしいクルマ」などというホンダらしくないメッセージを選択させられることになるのだが、当時のホンダはこの選択を苦々しく見ていた。
自分で決断したのだから苦々しいも何もあったものではないが、そこは日米経済戦争という大きなシナリオに巻きこまれたため、やむなく苦渋の決断をしたというのである。
ぼくが呼ばれたのはそのころで、久米さんはかなり腹をたてていた。しかし、アメリカが突きつけてくる「日本人は何を考えているのか」という質問には答えきれない。なんとか「日本とはこういうものだ」という回答をぶつけたい、ついては松岡さんに1年ほど話をしてほしいというものだった。
ホンダのことは噂のほかは何も知らなかったので、少しは知ってみようと思って担当役員の人に何を読めばいいかと尋ねたら、この本を勧められた。「なんといっても『俺の考え』ですから」と担当者は笑った。
ただし、この本は1963年に出た。だから、この時期を念頭において読んだ。このころの日本の産業界は設備投資が過剰気味で、ビジネスマンの多くが少し沈滞していた。そんな時期にこの本が出た。下敷きになったのは「実業之日本」連載の『放言暴言』で、それに他のインタヴュー・エッセイが加わっている。一読、いろいろピンときた。
本田宗一郎が何を考えていたのか、この本はその原点が丸出しになっている。何も隠してはいない。戦前のことだけではなく、戦後の天皇主義にも文句をつけている。ともかくあけすけなのだ。
ホンダの社員が本田宗一郎の原点を熟知しているだろうことも、すぐ伝わってきた。だからこそアメリカでも例のない大成功を収めたはずなのだ。しかしそれが、ジャパンバッシングの矢面に立ったからといって、急に宗一郎スピリットを相手に叩きつけなくなったというのは、寂しいかぎりだった。
なぜいまさら宗一郎イズムを引っ込める必要があるのか。なぜこの時期にF1を撤退する必要があるのか。どうもそこがよくわからない。「いや、オヤジさんの考え方は生きているんです。ただ、それだけでは乗り切れなくなった。いいクルマをつくっているだけでは勝てない時代になったんです」という説明があったが、どうも納得できなかった。「まあ、ホンダも大企業病に罹っているということですかねえ」という他人事のような苦笑もあった。
そこでぼくは、本田宗一郎の思想をあえて日本人の考え方として読み替える必要はないと久米さんに進言したのだが、「いや、宗一郎さんの思想はわれわれには滲みこみすぎているんです。むしろそれを新たな言葉にしないと勝てないんですよ」とふたたび反論された。宗一郎の申し子がそう言うのではしょうがない。
結局、ぼくが久米さんに話したことは、本田宗一郎の思想とは切り結びが少ない日本の社会の特徴や日本人の思考のしかたについてのことになった。ようするに「日本人が抱える問題点」のほうを話すことにした。けれども、そういう話をしながらも本田宗一郎のほうがずっと新しい日本人を象徴していると見えていた。
本田宗一郎が本書で語っていることには、堅固というか、頑固というか、本気の哲学が前提されている。
前提は、はっきりしている。敗戦後に価値観が転倒してしまった以上、日本には誰もクロウトがいなくなった、それなら自分の考え方によってシロウトこそが企業をおこすしかないのではないかというのである。敗戦後の日本が塩水になったのであれば、塩水のエラをつけた魚になるしかあるまい。真水の魚では死んでしまうに決まっている。誰が何と言おうと自分で塩水のエラをつけた魚になるしかない、そんな経験は誰もしていない、それを俺はやるんだというのが、大前提なのだ。
そこで本田はいままでの経験から出てきた原則をすべて御破算にする。こんなふうに言っている。「だいたい大人というのは過去を背負っている。過去に頼ってよしあしを判断するから、180度転換したときには非常に危ないイデオロギーで現在を見つめる。私はこれが一番危険であるとみた」。この指摘はそうとうに鋭いものだ。さすが、である。そしてさらに言う、「設備なんてものはカネがあればどんどん変わるが、カネを出しても変わらないのが考え方だ。私はそこを変えようとした」。
こうして、本田はまず考え方を強くもつ。これを従業員に徹底する。ついでカネがあっても信用がなければいつか潰れるにきまっているから、信用をつける。信用をつけるには二つの条件を貫徹していく。ひとつ、約束を守ること、ひとつ、いい製品をつくることである。
もうひとつ条件がある。「架空の信用をつくらない」ということだった。これは、いい。すばらしい。まさに人は「架空の信用」にみずから潰れていくものだ。
そのほか、印象に残っているのは、「われわれは消しゴムのない日記をつけているんだ」「コストが高いか低いかは売りやすさで決まる」「社員は成長するのだから数で数えるな」「現在の偉人を一人にしぼって選ぼうとするな」「研究所に博士はいらない」「世の中で一番アテにならないものは市場調査だ」等々。
デザインは芸術じゃないと言い切っているのも胸がすいた。もしデザインが芸術のようなものだったら、そのデザインにゴッホのような価値が出てくる前に、商品も企業もなくなっているだろう、というのである。
さらに本田はこうも言う。デザインには模倣性と独創性の二つがあるが、俺が選ぶのは模倣性を利用したデザインで、それによって流行がつくれる。そう考えている。ようするに個性なんぞをしょっちゅう発揮しようとしている連中のデザインでは、いつも車体のデザインを変えるしかなくなってきて、そんなことでは企業はやっていけないという独断なのである。
本田宗一郎は明治39年の生まれ。浜松の小学校を出てすぐアート商会に入り、その支店の工場主となってから東海精機重工業という、そのころの日本を象徴する重たい名前の会社をつくった。ピストンリングの製造である。
本田技術研究所を設立したのが戦後すぐの昭和20年。ここでシロウト精神を発揮した。これが本田技研工業となったのは昭和23年で、それから10年たって、昭和36年にオートバイのグランプリを制覇した。F1に乗り出したのが昭和39年だから、本書はその前年に出版されたことになる。すでに四輪による世界制覇の野望に燃えていた時期だ。そのときすでに、こう言っていた。
「世界の市場に出てゆくものは、単なる製品といった“物”ではない。それ以前にある思想だ、その企業の頭脳なんだ」。
ぼくは久米さんとの1年を通して、あることを確信した。「架空の信用」をつくってしまったのは、ホンダではなく、日本株式会社だったということを。
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