二百二十九夜【02292001年2月14日

Seigow's Book OS / GEAR
ジュリオ・カルロ・アルガン
『ブルネッレスキ』
1981 鹿島出版会
Giulio Carlo Argan : Brunelleschi 1955
浅井朋子 訳

[表紙]『ブルネッレスキ』
© 鹿島出版会

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ピストイアの大聖堂にある預言者のレリーフ

ピストイアの大聖堂にある預言者のレリーフ






サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ

 

 
 この地では、たんにカッテドラーレあるいはフィレンツェのドゥオーモといえばサンタ・マリア・デル・フィオーレの大聖堂をさしている。「花の聖母の大聖堂」という意味だ。
 いまでもここの大聖堂の前に立つと、どこから見ればいいのか迷うばかりの「結構」がここかしこに融合しつづけていて、敬虔な気分に浸るか、フィレンツェを構成する一つの構成要素とみなすか、さもなくばひたすらこの構築物に魔法を与えた“一人の作家”のことばかりを思わざるをえない。

 フィリッポ・ブルネッレスキはこのフィレンツェの大聖堂のクーポラを設計してみせた。とんでもない大事業であり、その計画そのものがルネッサンスの本番の幕を開けた。
 計画着手の記録は1409年の記述がのこっている。1415年にはブルネッレスキがドナッテルロとともに内部の大彫像を試作したこと、その2年後にクーポラの図面製作に対する対価が支払われたことがわかっている。が、まだ建設にはかかっていない。
 1420年にやっとロレンツォ・ギベルティ、バッティスタ・ダントニオとともにブルネッレスキがクーポラ建設の指導者に選ばれた。なかでもギベルティはブルネッレスキとは肝胆相照らす宿命のライバルだったが、ブルネッレスキが組合の連中や技術者たちの信頼を勝ちとった。もしブルネッレスキが負けていたら、ルネッサンスはきっとギベルティの方へ傾斜していったはずである。そしてわれわれがいま知るルネッサンスはずっと生真面目で、古代の根本的復活も歪んだものになったろう。
 ともかくもクーポラの建設は計画の開始からほぼ20年をかけて完成した。けれどもブルネッレスキは工事が始まってまもなく他界する。1446年4月16日だということがわかっている。遺体はサンタ・マリア・デル・フィオーレに葬られた。しかしブルネッレスキの残した構想こそがルネッサンスをつくったのである。

 ブルネッレスキのおおざっぱな活動はフィレンツェの同時代の数学者アントニオ・マネッティの『生涯』にしるされた。
 それによると、ブルネッレスキは透視図法を初めて確立したことになっている。初めてというのは本格的に、かつ科学的にという意味である。わかりやすくいえば、3次元のものを2次元の紙の上にあらわす方法を科学にしたといってよい。これをイタリアではプロスペッティーヴァという。英語のパースペクティブだ。
 ブルネッレスキがこのプロスペッティーヴァを最初に実現してみせたのは、フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の板絵であった。そう、マネッティは書いている。しかし、のちの歴史家の研究によって透視遠近法を正確に定着したのはジャン・バッティスタ・アルベルティだということになった。これはブルネッレスキが書物を残さなかったためで、すべての構想と解説がアルベルティに移ったためだろう。
 いずれにしてもそのブルネッレスキとアルベルティによって確立された遠近法は、われわれが図法として理解しているものよりずっとスケールの大きなものであり、観念と視覚と神学と物語とを擁したものだった。この遠近法は、視点を神に見立て、空間を世界像とみなし、構図を物語としてとらえたのである。
 たしかにブルネッレスキのクーポラを見ていると、これがたんなる遠近法などとはちがうことがびしびし伝わってくる。建築史や技法史というものは、このあたりの肥大した観念を削ぎ落としすぎるのだ。

 ぼくは、ブルネッレスキはローマの遺跡を最初に観察した建築家であって、そこから古代建築物がもっている「意味」を汲みとった最初の建築家だとおもっていた。
 本書を読んで、必ずしもそうではないことを知った。ブルネッレスキが最初に取り組んだのはトスカーナのロマネスクとゴシックの様式だったのである。ブルネッレスキはその建造物群を観察し、それらの年代推移を見ると、そこには建物が上昇線よりも下降線をあらわしつつあることを見てとっている。
 この下降線のことをブルネッレスキは「衰退」という言葉でよんでいるのだが、では、その「衰退」の原因はどこかに起源をもっているものなのか。そう考えたブルネッレスキが出会ったのがローマ遺跡だったのである。ちょうどローマで古代遺跡が発掘されたニュースが届いたあとである。そういう順番だったらしい。そこで発見したものは、ロマネスクやゴシックの「衰退」とは無縁な構造だった。古代ローマの建築構造はその後、ヴァンダル・ゴート・ロンゴバルド・フン族らのいわゆるゲルマン民族の侵入によって歪められ、衰退したにすぎなかったのである。
 こうしてブルネッレスキは古代のローマの理念と構造に出会う。それはカール大帝によっても、トスカーナの力によっても、矯正しえなかった理念と構造だった。かくてブルネッレスキは、自身が生まれ育った土地(トポス)がもたらす記憶の理念と構造を歴史からそのままダイレクトに引きずり出して、これを新たなフィレンツェとローマに構築してみせたのである。
 それがわれわれが辿りうる最初のルネッサンスというものなのである。
 ぼくもようやく理解できた。ブルネッレスキこそはマルシリオ・フィチーノに先立つ新プラトン主義者の先駆けであり、ニコロ・マキアヴェリに先立つ歴史主義思想の先駆者であり、建築を大胆にも「自由芸術」(アルス・リベラリス)であるとみなした最初の建築家であった、ということを。








 



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1125

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