第百二十夜【0120】2000年8月31日
Seigow's Book OS /
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馬場孤蝶
『明治の東京』
1942
中央公論社・1974 丸の内出版・1992 社会思想社 他
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谷崎精二の『東京新繁盛記』のように、読んだわけではない。古い東京を懐かしんで、読んだのでもない。それなら永井荷風や葛西善蔵でよい。あるいは最近なら杉浦日向子の漫画ルポなどでもよい。そうではなくて、本書の後半に数珠つなぎに出てくる寄席話や義太夫話が読みたくて、読んだ。
馬場孤蝶は明治2年の高知の生まれで、兄貴が馬場辰猪である。東京には明治11年に上京していて、神田の共立学校、のちの開成中学で英語を学んだ。そこで兄貴がフィラデルフィアで客死して、孤蝶は明治学院に入り、島崎藤村や戸川秋骨と同級になった。このころすでに寄席通いをはじめている。
卒業後は「文学界」の同人になって樋口一葉や斎藤緑雨と親しくした。明治39年からは慶応義塾大学で教えているから、ここで弟子筋にあたる西脇順三郎らが交じっていったのだろう。西脇は孤蝶を“日本のアナトール・フランス”とよんだものだったが、ぼくにはその意味がわからない。アナトールなんぞより、ずっと洒落ていたのではなかったか。そういう勘は、形而上学が好きな「あんばるばりあ」の西脇順三郎には見えなかったのだろう。
さて、孤蝶の寄席通いは母親や姉の影響らしい。これはぼくが父に連れられて人形町末広亭通いをしているので、どうもピンとこない。女性に連れられるという趣向もあったのか。
ともかく孤蝶はそのときは本郷近くの荒木亭に通っていた。そのほか、日蔭町の岩本、神田の白梅、本郷の伊豆本、本郷菊坂の菊坂亭、小石川の初音亭、麹町の山長、九段坂の富士本、下谷数寄屋町の吹抜、両国横町の新柳亭、日本橋の木原亭、京橋の鶴仙、麻布十番の福槌、神楽坂の藁店亭など、まあともかくよく出掛けている。泉鏡花が『三味線堀』で綴ったような寄席ばかりである。しかし寄席の本命はやはりのこと、若竹だったようだ。
竹町の若竹に孤蝶が行きはじめたのは、円遊がステテコや茶番仕掛をはじめた明治14年くらいのことだった。
当時の真打たちは続話(つづきばなし)をしたはずである。ところが孤蝶は真打よりも中家あたりの、たとえば立川談志や五明楼玉輔の素咄、桂文治の芝居咄などをおもしろがっている。それも咄の筋をよく憶えていて、本書にはその筋まで紹介されている。こういうところはアナトール・フランスである。
ぼくもそうだったのだが、寄席でおもしろいのは期待もしていない色物が予想外の出来だったときで、孤蝶もしきりに手品師の思い出にふけっている。柳川一蝶斎、帰天斎正一、ジャグラ操一などの珍しい芸人をあげている。十人芸と銘打って、西国坊明学という盲僧が義太夫や琵琶をたのしませながら、客に謎をかけさせて三味線ひきひき、これを解いていったという芸など、さすがにうらやましい。「縁かいな」の徳永里朝も見てみたかった。
このころは中世・近世同様に、まだまだ盲人の芸人が大活躍をしていた時期である。本書にも新内語りの鶴賀若辰という盲目の女芸人の思い切って声を殺す風情がふれられている。
孤蝶の時代には、寄席とともに、いまなら小劇場にあたる小屋がたくさんあった。芝の森元座、向柳原の開盛座、本郷の春木座、すこし大きくなって中洲の真砂座、赤坂演座などである。ここでは小芝居あるいは中芝居というものがかかっている。
なぜこういう芝居が流行っていたかというと、孤蝶の観察では当時の民衆の知識や趣味がおよそ平均していたせいだろうという。そういう風潮のなかで、当時は女義(むすめ)太夫が大当たりをしていった。明治の大衆芸能を語るには、この女義太夫が欠かせない。
最初は竹本京枝だということになっている。ともかくも明治22年ごろにチョンマゲ姿の竹本綾之助が登場して、連日連夜を満員にしていった。これで大爆発である。ついで竹本小清が出て、孤蝶はこの人の『岡崎』や『鰻谷』にぞっこんだった。贔屓たちものりまくって、女義太夫のファンクラブ「どうする連」が結成された。
女義太夫の大流行は、当時の浄瑠璃が今日のポップスやロックに近い感覚のものだったということがわからないと、わからない。浄瑠璃はとうてい古いものではなく、いまならCDが売れまくるベストヒット・ポップスに近かったのである。そこを孤蝶はこう書いている、「浄瑠璃そのものにも女義太夫その人にも、何だか新しい生命が籠もっているような気がしたのである」と。
さて、本書の白眉は竹本越路太夫(のちの摂津大掾)についての思い出の個所である。
孤蝶は越路を、明治23年5月3日の若竹で初めて聞いた。いまでは信じられないが、午後1時から始まって夜の8時半まで、木戸銭は20銭か30銭だったらしい。
ほとんど男とは思えないほどの美声だったという。うーん、うらやましい。『八陣』『酒屋』を語った。「あとには園が」というところで、越路はふいに見台に手をかけて、膝でまっすぐに立ち、それから「繰り返したるひとりごと」まで悠揚せまらぬ調子を聞かせたらしい。
孤蝶はなんと1日おいた5月5日にもまたまた若竹に出掛け、そこでは今度は路太夫の『紙治の茶屋場』と越路太夫の『御殿』などを堪能した。このときの越路の「お末のわざをしらがきや」と「心も清き洗いよね」の清くて細かい節回しを、その後、孤蝶はずうっと忘れられないまま耳に響かせていたという。
どうも孤蝶はこの年だけで、越路太夫を5、6回にわたって聞きに行っている。なんということか。うらやましい。芝の玉の井で聞いた『堀川』『鳥辺山』がこの世のものともつかぬほど気持ちのよいものだったという。同じころ、夏目漱石が越路太夫にぞっこんで、学校の講義を休んでまで聞きにきていたものだった。
寄席と義太夫。せめて今日の寄席で義太夫か新内か、それとも荻江でも歌沢でもいいが、復活してくれないものか。
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