第六十四夜【0064】2000年6月6日
Seigow's Book OS /
PIER |
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フランツ・カフカ
『城』
1966
角川文庫・1970 角川文庫・1981 新潮文庫 他
Franz Kafka :
Das Schloss 1914〜
原田義人 訳 |
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労働災害保険協会。これがカフカが死ぬ2年前まで勤めていた職場である。
フェーリッツェ・バウアー。これがカフカが2度婚約しながら2度にわたって婚約を解消した相手の女性の名前である。
オーストリア・ハンガリー二重帝国。
これがカフカが生まれたプラハを支配していた帝国の名である。そこは多数のチェコ人を少数のドイツ人が支配し、カフカがその血をうけついでいたユダヤ人は、その二重構造から截然とはずされていた。
カフカはその二重帝国のシンボルのひとつであるプラハ大学で化学とドイツ語を学んでいながらも、結局は法律学を専攻する。
けれどもカフカは法律学も生かせなかった。ふらふらと労働災害保険協会に入る。半官半民の中途半端な組織だったようだ。そこでもてあました時間に文学作品を書きはじめ、『アメリカ』や『変身』を仕上げる。目がさめてみたら甲虫になっていたグレゴール・ザムザの登場である。
第一次世界大戦が始まると、その渦中で、ヨーゼフ・Kの身におこった不条理をとりあげた『審判』や『流刑地にて』を書いた。
そのころもカフカはまだ女性に恵まれないが、そのうちやっと一人の夫人にめぐりあう。ミレナ・イェシェンスカ・ポラク夫人。
この夫人はカフカの作品のチェコ語への翻訳をひきうけた女性で、ストイックで事務的な文通からはじまった関係だった。なんだか実感がない関係である。この、カフカ研究者がいうところの、いわゆる“ミレナ時代”に書き継いだのが、問題の『城』である。けれども、『アメリカ』『審判』同様に、なぜかこの作品も未完になっている。
カフカの長編を読んでいたころ、ぼくはしょっちゅう別役実に会っていた。
二人で碁を打ち、そのあと雑談をする。病気にかかるということのおもしろさ、人が人を待っているときにアタマの中で去来していること、事件はどこから事件なのか、「じれったい」はどこからじれったさがはじまっているのか、まあ、そんな話である。
ちょっと話しては大笑いし、また話す。ぼくはそういう話題を「存在待機命題」とよんでいた。しかし、こんな話題では、たちまち雑談はカフカやベケットの話につながっていく。
別役実はカフカの短編が気にいっているようだった。ぼくは短編のほうは高校時代や大学に入ってすぐに読みおえていたので、そのころは『アメリカ』『審判』と読んできて、ちょうど『城』にさしかかっていた。
『城』のことをおもうと、別役実の咥え煙草が浮かんでくるのは、そういう事情なのだろう。
『城』の主人公は測量技師のKである。
Kは、ある城の伯爵に測量のために招かれたはずなのだが、その霧深い村だか町だかに訪れたそのときから、いっこうに城のありかがわからない。
城はすぐ近くにあるのに、まことに遠い。
この、なかなか近づけない城というイメージは、読者をすぐさま神の畏怖のメタファーに連れこむが、そのわりには「存在待機」が長すぎる。話はだらだらと「村」の中でつづきあい、筋とは関係のなさそうなエピソードも無縁仏のように入ってくる。
城に招かれながら、城にたどりつけないK。
そこには「場所」というものと、「存在」というものを、それぞれ根本で問う構造がある。
ところが、カフカの『城』は、その構造をすら描かない。そこは、構造が描けない場所であり、そこにいるKは構造を問えない存在なのである。
これはまさしくカフカが生まれた国のようであり、カフカがうけついだ血のようであり、カフカが就職した労働災害保険協会のようである。
それにしてもだらだらした話なのである。
別役実と「じれったい」はどこからはじまるかという雑談をしていながら、いったいカフカはそれをどこでつくりあげたのか、その判定すらできなくなっていた。
そうなると、かつてボルヘスが「カフカは中間部が欠落した作家だ」と言っていたことが、「王様は裸だ」という意味だったのかとおもえたりもする。
ボルヘスがそのように言ったのは、たしか『カフカの先駆者たち』といったようなエッセイの中でのことだった。運動する物体と矢とアキレウスが、文学におけるカフカ的登場人物だということを指摘したうえで、カフカが中間部においておびただしい欠落をもっていることに言及していたのだったかとおもう。
ボルヘスは、これではカフカの物語は必ず未完におわると決めつけた。障害性が物語のプロットをつくるはずなのに、その障害性そのものが作品の本質であるとすれば、その物語はつねに未完でなければならないからだ。
ともかくも、そんなことをあれこれ合間に考えたくなるほど、物語の中の城はいっこうにあらわれない。そういう物語なのである。
Kもそのことで狂うということもなく、怒るということもない。不条理が不条理に昇華しない。そこはのちのカミュでもなく、ましてボルヘスでもなく、マルグリット・デュラスでもない。
こうして、何もおこることもなく、『城』は終わってしまう。未完とはいえ、文庫本でも552ページである。読後にはなにも残らない。
しかし、それがフランツ・カフカなのである。そう考えたとたん、カフカの作品を“発見”した文学界と思想界は大騒ぎになったのだ。カフカはいくつかの短編を除いて、長編をふくむすべての作品を燃やしてしまうように遺言して死んだのだが、友人のマックス・ブロートがそれを残したための大騒ぎである。戦後のカフカ・ブームはそうしておこったものだった。
しかし、大騒ぎをしたところで、物語はなにも語らない。おまけにカフカはそのことについて説明もしなかった。そこにはただ、「届かないこと」「伝わらなかったこと」、そして「はじめからなかったかもしれなかったこと」だけが、ある。
が、そのことが衝撃だったのである。
そのように「文学」や「作品」をつかうことがなかったためだった。それはロレンス・スターンもおもいつかなかったことで、そしてアンディ・ウォーホルが真似したことだった。
カフカが『城』で何をしたかといえば、「方法」を残したのである。
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