四十九夜【00492000年5月12日

Seigow's Book OS / DOOR
マイルス・デイビス&クインシー・トループ
『マイルス・デイビス自叙伝』1・2
宝島社
Miles Davis with Quincy Troupe : Miles 1989
 中山康樹 訳
[表紙]『マイルス・デイビス自叙伝』 1

[表紙]『マイルス・デイビス自叙伝』 2
© 宝島社
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 ひたすら「ハーレム・リズム」というラジオ番組にかじりついていた東セントルイスの少年だったようだ。
 父親にトランペットを買ってもらって先生についた。真面目に習っている。それからは東セントルイスの仲間たちとバンドをやりはじめた。
 本書は、このような単に音楽好きな少年がやがて怪物となり、病人となり、帝王となっていくプロセスを自分の言葉で詳細に語った記録である。ジャズのこともジャズでないことも、マイルス・デイビスが生きた時代のことならほとんど描かれている。
 1944年に大きな出会いがあったらしい。ぼくが生まれた年だ。セントルイスの「リビエラ・クラブ」に“ミスターB”とよばれていたビリー・エクスタインのバンドが来て、その神技のようなステージを聞いてしまったのである。ハイスクールを出たばかりの18歳だった。それがマイルス・デイビスを変えた。
 このビバップなバンドでトランペットを吹いていたのが“ディズ”ことディジー・ガレスピーで、アルトサックスを吹いていたのが“バード”こと天才チャーリー・パーカーである。サラ・ボーンもいた。このバンドこそ史上始めてのバップ・オーケストラだった。
 マイルスはこのときすぐに、かれらの舞台であるニューヨークに行く決意をしている。そして、ニューヨークに行ったらすぐにジュリアード音楽院に入っている。白人偏重の学校の授業は気にいらなかったが、ちゃんと音楽理論は身に入れている。授業がおわれば、夜中まではハーレムの「ミントンズ・プレイハウス」に行き、そこに入り浸った。ただただバードとディズを聴くのが目的である。

 ビバップは「ミントンズ」とハーレムの五二丁目という極小のトポスが生んだ音楽だった。ほとんどバードとディズが二人でつくった。
 そのディズがバードと別れたため、マイルスはバードと組んでその後釜になる。本格的なミュージシャンとしてのスタートだった。マイルス・デイビス・オールスターズも結成される。
 ところがバードことチャーリー・パーカーは、そのときすでにヘロインに溺れていた。マイルスは最初はヘロインこそ拒否していたのだが、これにだんだん巻きこまれ、コカインをやるようになり、さらにヘロインにも手を出していく。巻きこまれただけではなく、麻薬的精神による高揚を肯定するようになった。そして、このころからジャズ・シーンの中心は52丁目からブロードウェイの47丁目に移っていくのである。
 そうしたなかでマイルスはパリに行ってジュリエット・グレコに恋をし、帰っては「クールの誕生」にとりくんでいく。

 1950年代のマイルスはヘロインにどっぷり浸かったまま「ホテル・アメリカ」に黒人の彼女と住み、同じくジャンキーそのものだったソニー・ロリンズ、アート・ブレーキー、ジョン・コルトレーンらと出会っていく。
 マイルスは麻薬をやった理由をジュリエット・グレコとの出会いのせいだと言っている。パリでグレコに一目惚れをしたのに、そこで別れたままになったことが、心を乱れさせ、肉体にエネルギーを注入させないといられない原因になったというのである。
 どうも、それだけとはおもえない。ジャンキー・コネクションこそが当時のジャズの魂だったとしかおもえない。
 が、グレコに関してはほんとうに生涯にわたって女神のごとく思慕したらしい。あまりにも、いつもドキドキし、いつもドギマギしている。その女神はマイルスに仕事の面でも影響を与えた。のちにマイルスがルイ・マルの『死刑台のエレベーター』のせつない音楽で絶賛を博したのも、もとはといえばそのグレコの紹介によっていた。

 バードこと天才チャーリー・パーカーは結局、麻薬で死んだ。1954年である。ジャズメンたちもやっと麻薬離れを試みる。マイルスもしだいに麻薬から遠ざかる。そのために祈るような気分でボクシング・ジムにすら通う。
 ともかくも、前へ進まなければならない。かくてマイルスのバンドは、ジョン・コルトレーンのテナー、レッド・ガーランドのピアノ、ポール・チェンバースのベース、フィリー・ジョーのドラムス、マイルス・デイビスのトランペットという第一期の黄金時代に入っていく。仕掛け人はフィリー・ジョーである。マイルスによると、彼が白人で、法律の知識さえ持っていれば大統領にすらなれたぼどの実力者だったという。
 マーチン・ルーサー・キングがアラバマ州モンゴメリーでバス・ボイコット運動を始め、マリアン・アンダーソンがメトロポリタン・オペラで最初の黒人オペラ歌手となり、アーサー・ミッチェルがニューヨークシティ・バレエで最初の黒人ダンサーになったころのこと、すなわち「アメリカの黒い夏」がはっきり見え始めたころである。白人ではマーロン・ブランドとジェームス・ディーンが登場していたころだった。

 マイルスは変わっていく。
 ビル・エバンスが加わってラフマニノフやラベルやハチャトリアンを聴くようになり、アルトゥーロ・ミケランジェリやアイザック・スターンを知っていく。
 こうしたマイルスの飽くなき冒険心は、この自叙伝を読んでみるまではわからなかったことなのだが、かなりものすごい。それが1960年代に入って囁かれ始めた「マイルス・デイビスの神秘性」というものの形成に役立っていた。
 女性関係も飽くことがない。グレコとは純愛を辛うじて保っていたようであるが、たとえば『ウェストサイド物語』でベストダンサーになったフランシス・テイラーとは、嫉妬も絡んで派手な交際をやってのけている。
 結婚もした。本書に登場する女性との関係には、正直で真剣であるものの、やはり途方のないものがある。

 1964年、ジャズは突然に過去のものになる。「ジャズは死んだ」という声が上がる。
 ひとつはアーチー・シェップやアルバート・アイラーやセシル・テイラーらのフリージャズのせいで、もうひとつはプレスリー、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ボブ・ディラン、ジェームス・ブラウンらのロックとフォークとリズム&ブルースのせいだった、とマイルスは回顧する。
 大衆はジャズにはメロディもないし、ハミングもできないと思い始めたという分析である。
 しかし、マイルスにはメロディの秩序に関して完璧な感覚をもっているという自信があった。問題はそれをどのようなメンバーと共有し、表現するかということだった。そこでマイルスは、バンドという組織を研鑽することをめざしていく。メンバーはウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズらに変わっていく。
 こうしてマイルスは「偉大なバンドをつくるには全員に犠牲を強いるほどのインスピレーションや知恵が必要だ」と思う。このあたりの“解説”は本書の中でもとくに読みごたえがあるものになっている。マイルスのジャズ講義といっていいだろう。そして、ぼくがマイルス・デイビスを聴きはじめたのは、つまりは「ESP」「マイルス・スマイル」「ソーサラー」などを聴いたのは、たしかこのころのことだった。
 勧めたのは、九段高校の同級生だった山田シンジ君というジャズ狂いである。もっとも彼は最初にコルトレーンを勧め、ついでマイルスを勧めたものだった。いまふりかえってみると、マイルス・デイビスがぐでんぐてんにラリったまま羽田空港に降り立ち、日本初公演をした1964年の直前だったように憶う。
 そしてまもなくコルトレーンが死んだ。一浪のあとに大学生になっていたぼくは、氏原工作というぼくも知り合いになっていた早稲田の学生の『コルトレーンの死んだ朝』(正確なタイトルははっきりしない)という小説が「文学界」かだかに掲載されているのを読んで、そうか、ジャズは時代の鏡だったのかということを知った。ぼくが新宿のジャズ喫茶や「ピットイン」に通い始めたのは、そのときからである。

 1968年、マイルスはまたまた新しい若いミュージシャンたちと出会い、想像を絶するコラボレーションをしていく。
 ジャック・デジョネットのドラム、キース・ジャレットのピアノ、スライ・アンド・ファミリー・ストーン、そしてやジミ・ヘンドリックスのギターなどである(マイルスのジミ・ヘンについての“解説”は逸品)。ここからの自叙伝は、やっとぼくの音楽体験とリアルタイムにつながっていく。「イン・ア・サイレントウェイ」や「カインド・オブ・ブルー」などからの発展である。

 さて、自叙伝を読んであらためて感じたことは、マイルスはどんなに若い新人たちとも、彼らが何かものすごいものの片鱗をもっているかぎりは、つねにかれらに音楽の醍醐味を教え、それをたちまちマスターしていくかれらから存分に学んでいたということである。
 ハービーに代えてチック・コリアにピアノをまかせたのも、マイルスの実験であり、学習だった。
 その最も独創的なプロセスのひとつが「ビッチェズ・ビリュー」(1969)をつくる話に吐露されている。
 もうひとつぼくが気にいったのは、「オン・ザ・コーナー」の作り方である。それは、カールハインツ・シュトックハウゼンとポール・バッハマスターとスライ・ストーンとジェームズ・ブラウンのコンセプトを十分にシャッフルして、そこにマイルス独自の「空間の扱い方」をあてがい、それによって音楽的なリンクが自由になるようにすることで生まれるのだ、という“解説”だった。
 これはまさに「編集的ハイパーミュージック」そのものである。マイルス・デイビス自身も書いている、「シュトックハウゼンを通して学んだことは、音楽が削除と付加のプロセスであるということだった」。








 






 

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千 夜 千 冊 BACK NUMBER

[目次]

1144

『海上の道』柳田国男

1143

『異装のセクシャリティ』石井達朗

1142

『日本人の自画像』加藤典洋

1141

『稲と鳥と太陽の道』萩原秀三郎

1140

『猿と女とサイボーグ』ダナ・ハラウェイ

1139

『カムイ伝』白土三平

1138

『江戸の枕絵師』林美一

1137

『ゲイ文化の主役たち』ポール・ラッセル

1136

『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド

1135

『非常民の性民俗』赤松啓介

1134

『日本創業者列伝』加来耕三

1133

『市場の書』ゲルト・ハルダッハ&ユルゲン・シリング

1132

『女帝の手記』里中満智子

1131

『日本/権力構造の謎』上・下 カレル・ヴァン・ウォルフレン

1130

『多文明共存時代の農業』高谷好一

1129

『木村蒹葭堂のサロン』中村真一郎

1128

『江戸商売図絵』三谷一馬

1127

『性的差異のエチカ』リュス・イリガライ

1126

『インターネット資本論』スタン・デイビス&クリストファー・マイヤー

1125

『ボランティア』金子郁容

1124

『アヴァン・ポップ』ラリイ・マキャフリイ

1123

『笑いの経済学』木村政雄

1122

『ぼくの哲学』アンディ・ウォーホル

1121

『百物語』杉浦日向子

1120

『女性の深層』エーリッヒ・ノイマン

1119

『北条政子』永井路子

1118

『ネット・ポリティックス』土屋大洋

1117

『T.A.Z.』ハキム・ベイ

1116

『江戸の身体を開く』タイモン・スクリーチ

1115

『資本主義のハビトゥス』ピエール・ブルデュー

1114

『猫と小石とディアギレフ』福原義春

1113

『江戸の市場経済』岡崎哲二

1112

『田中清玄自伝』田中清玄・大須賀瑞夫

1111

『黒い花びら』村松友視

1110

『昭和という時代』鈴木治雄対談集

1109

『澄み透った闇』十文字美信

1108

『市場対国家』ダニエル・ヤーギン&ジョゼフ・スタニスロー

1107

『負ける建築』隈研吾

1106

『未来派』キャロライン・ティズダル&アンジェロ・ボッツォーラ

1105

『写真ノ話』荒木経惟

1104

『建築的思考のゆくえ』内藤廣

1103

『バイ・バイ・キップリング』ナム・ジュン・パイク

1102

『コンセプチュアル・アート』トニー・ゴドフリー

1101

『モダンデザイン批判』柏木博


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