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| 【12月25日】 |
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塔の中に眠る姫、あるいは機を織る姫のイメージは、ヨーロッパの近代の夜明けを前後して澎湃と復活し、逆説的に近代が破綻させた世界像を提示しつづけている。それは近代主義に限界と倦怠が感じられた1970年代に、日本を風靡したグループサウンズの「ブルーシャトー」として熱狂的に受け入れられ、「ファイナル・ファンタジー」の塔に閉じこめられたヒロインの背景ともなっていた。
19世紀末に活躍したラファエロ前派の旗手の一人、ウィリアム・ホルマン・ハントの「塔のエレーン」は、そのイメージをよく描きだしている。塔の最上階の一室に美しい姫が髪を振り乱して懊悩の相で立ち、しなやかな足はそれまで織りつづけていた機の道具をけちらして、糸がさんざんに乱れている。
その部屋は世界を解読する“知”でおおいつくされていた。壁面の一部を見ても、宇宙の神秘を説き明かすゼウスが地球を持って虚空に立つ図や太陽をいただく世界樹としての林檎の木から赤い実をもぎとるアダムとイヴの図をはじめ、多くの異教的寓意を織り出したタペストリーで埋められ、床の絨毯には世界構造の謎がちりばめられている。
その部屋には窓がなく、ただ大きな鏡がはめこまれ、そこには世界でおこる事象が望むままに写し出される。これはアーサー王伝説の一部に挿入された逸話を本歌として新たな解釈を与えて描かれた。しかし、その部屋の鏡には一条のひび割れが走っている。それは中世のアーサー王伝説にはない“ガラスの鏡”だった。
この塔の美女、百合の姫君と呼ばれたエレーンは、アストラット城の姫であった。騎馬試合に訪れたランスロットに一目惚れしたエレーンは衣の片袖を授ける。衣の袖を受け取ることは永遠の愛を捧げる誓いであったが、アーサー王の王妃グネヴィアに愛を託した騎士はエレーンを裏切った。エレーンは傷心のあまり、ランスロットに宛てた手紙を手に亡くなった。その亡骸を乗せた舟はキャメロット城の水門に流れつき、円卓の騎士たちに発見される。
このような挿話に言寄せて、ヴィクトリア朝の詩人テニソンは、「アーサー王物語」を近代イギリスの精神的支柱とするために叙事詩『国王牧歌』として編み直し、エレーンの物語を重視して『シャーロットの姫』を別途に詠む。そのエレーンは『エッダ』の幽閉された姫に重ねられ、英国魂の源泉としての「塔の姫」として描きだされた。隆盛を極める大英帝国の精神を研究するために留学した夏目漱石は、この『シャーロットの姫』こそが、それを代表する文学と見て、『薤露行』(かいろこう)として訳出し日本に紹介した。その幻影の塔は現実の『ロンドン塔』に対比させられる。
この物語は、大陸とは一線を画した大英帝国の近代の装いを帯びさせられた。その淵源をたどれば、『エッダ』の「ジグルドリーヴァの歌」の古きエレーンの原型にゆきあたる。北海の常世ヴァルキューレの姫シグルドリーヴァはオーディンが勝利を約束したアグナル王を敗北に導き、その怒りを受けて“眠りの棘”に刺される。深い眠りについた姫は鎧兜のまま、盾に縛り棺に入れて燃える山に閉じこめられ、オーディンが授けた剣を持つ勇者のみが姫を救出できるという呪いをかけられた。
オーディンの子孫にして神剣を受けつぐ戦士シグルドは火に包まれた山の中から“眠り姫”を助け出す。『サガ』では、“眠り姫”はヴァルキューレのブリュンフルデで、これは『ニーべルゲン物語』に受けつがれ、英雄ジーグフリードは炎の山に入って“眠り姫”に接吻し眼を覚まさせる。これはワグナーの『ニーベルゲンの指輪』に脚色され、ドイツ精神の発露の一端となる。あるいは、ケルト神話では永遠の島の乙女ツアグが塔に閉じこめられ、それを救い出すのは女装したドイルド僧だったが、これは近代に再生することはなかった。
この“眠り姫”のモチーフはルネサンスのころから廃城伝説と結びつき、ヨーロッパの地域ごとに、多くのヴァージョンを生み出した。王女が呪いを避けるために塔にこもるが、予言が的中して、呪いの針あるいは棘に刺されて永い眠りにつき、一千年の後に勇敢な青年が、森の中に忘れ去られた城に至って、姫を発見し接吻して目覚めさせるというあらましが共通する。グリムやペローは、このような民間に流布した“眠り姫”を、童話として近代に復活させた。それは、別な視点から見れば、眠り姫の奪い合いのようにも見える。
こうした“眠り姫”の物語は必ずしもヨーロッパに独自の物語ではない。たとえばシルクロードに栄えた亀茲(クチャ)の伝説に、王女が百日の間に不慮の死をとげると予言されて高い塔にこもるが、九十九日目に好物の林檎を運ばせたとき、そこに隠れていた蠍に刺されて死んだ。この物語は西域を旅する人々が宿り、あるいは狼煙をあげる土塔の名の由来ともなっている。すなわち、亀茲の王が塔の中で死にそうな娘に、「グズルガハ」(娘よ、死ぬな)と叫んだので、それが塔の名称となったという。
このような火の山にしても塔にしても、『失楽園』を著したミルトンが用意し、テニソンがエレーンのために構成した全知の内的空間とはほど遠い。これは海洋帝国イギリスがアジアから持ち込み独自の国教会の世界観としてキリスト教的、エッダ的世界観を習合したもので、“知の空間”としての塔はアジアにおける宇宙山の模型化によって形成された。天地をつなぐ秀麗な聖山は天と地を結ぶ柱であり、天上界への階梯であり、神々が住まう高殿とみなされた。エジプトでは大地は大海に一つの山が生じることによって創生し、大地の神アトゥムは「山」と呼ばれ、そこに諸神が住まう。その神殿の門塔は太陽神を持ち上げる二人の女神である。
インドではヒマラヤを諸天の住まう空間として階層化し、天・地・地下世界を包括する須弥山世界を構想した。これがインドの神々を彫りこんだ塔状の祠堂建築となり、カンボチアのプラサッドにもなる。メソポタミアの塔はバビロニア天文学によって七つの惑星の宇宙階層に投影され、それがジッグラッドの七階層に転写される。「バベルの塔」の“バベル”は“バーバル”(言語の不通)という意味ではなく、アッカド語の「天の門」のことだった。この天上の階層はゾロアスターによって宇宙の光から闇への階層とされ、それぞれの階層に天使が配される。
中国では“塔”(とう)はサンスクリットの“ストゥーパ”の音写だから、本来は“臺”(台)あるいは“楼”という。“臺”はその象形が示すように「天に至る高台」であって、殷周では国家規模の“霊台”を築く。これをモデルに祖霊を招く“臺”を邸宅に導入したのが“楼”である。これが名所の物見台や料亭の“楼”に転移すると、そこは詩文、音曲を神仙に捧げる“精神の高楼”となる。
これらの“臺”あるいは“楼”は山に降りる神霊を請来する柱であり、神と人の交流の場であって、託宣を受ける聖なる空間であったが、諸民族が適地を求めて流動する中で、その“臺”の世界構造を使って、それぞれの民族神の階層化がはかられ、新たな宇宙山モデルのパンテオンに再構造化する。エジプトのラー、メソポタミアのマルドゥーク、ギリシアのゼウス、インドのインドラ、中国の黄帝といった古代帝国および文明圏の主神は宇宙山のパンテオンの頂点に新たに創出され、帝王は“霊台”(ジグラッド)の上で接神を行い、帝国の統治権の源泉とした。
その接神の儀式は嵐の中で稲妻の階段を降りてくる神との間に挙行され、そこで神は帝王として具現する。多くの場合は巫女を伴い、帝王と巫女の間で神婚とみなされた交合がおこなわれ神の子を授かった。黄金の雨となったゼウスが青銅の塔に避難したダナエにメルクリウスを生ませた神話は滅び去った“霊台”での接神のギリシア的な物語化であろう。こうした塔はたびたび母体のイメージをおびる。
古きウルの都からユダヤの民を率いて砂漠に出たアブラハムは、このような内部複雑性の高い祭祀帝国を嫌い、ユダヤの純血を主張してみずからの神を求めて山に入った。ここに宇宙的聖山は、ユダヤ・キリスト教によって否定されたかに見えたが、ローマに展開したキリスト教は、ギリシアやペルシアの山の階層や宇宙の階梯を、知識の器として用いていった。そのローマ的知識構造からの自立をはかったイギリス国教会は、不可思議なエジプト的、メソポタミア的、あるいはヘルメティックな祭祀様式に彩られていく。
ミルトンの北極星をいただく中天を投影した宇宙の神秘な知識の塔に眠る姫のイメージは、世界帝国として七つの海に乗り出そうとするヴィクトリア朝の隠された精神のメタファーへと拡張されていった。しかし、近代科学は完全な知識の体系を許さず、この塔の中に世界を映し出す鏡は、一条のひび割れをともなわざるをえない。いや、知の間断ない流動と内外の不整合を前提とした駆動が、「英国発信の近代」というものだった。その合理と非情に満ちた戦略は、叡智と永遠の姫が住まう山の中の山、塔の中の塔と見なされたシャングリラをめざすアフガニスタン、パンジャブ攻略を核とするアジア征圧の隠秘的な野望に裏打ちされてもいたのである。 |
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