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| 【2月1日】 |
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元禄のころ、その名も知れぬ松秀斎という風流人が琵琶にかわって定着した三味線の音色にのせて、アップテンポで歌われる歌曲を編集する。『松の葉』である。そこに古代いらい神樹とされ、能や歌舞伎の舞台の背景となり、日月の運行も恋の出会いや別れも託された松の情趣をひきうけうける。「古今百首投節」は近世の都市や村落の歌詞を、古典の精華の見立てによって選んだ。
松は温帯の植物である。日本列島では南は沖縄、北は青森を自生の限界とし、世界的にもほぼこの緯度の範囲に茂る。松が茂る地域には四季がある。景色が四季おりおりの移ろいを見せる中で松はつねに緑をたたえる。これが松を永遠性のシンボルとした。
この地域に常緑の植物は多いが、松はフロンティア植物であったから、山中の岩地や海浜の砂地の陽光のあるところに育つ。けれども人間が広葉樹林を開拓したとき、その周辺の荒地や岩場に偉容をあらわした。松は農耕をはじめた人間の世界と人間が住みえない世界を、人と山海河川の神を結ぶことになる。
松は世界各地の神樹の世界を習合した。エジプトのイチジク、メソポタミアのアブラヤシ、インドの菩提樹、ヨーロッパのオーク、中国の柏、雲南から日本列島におよぶタブやクスノキなどが神々を迎える神樹とされたが、これらは相互に交流しあい松に習合する。たとえば「松に鷲」の意匠はメソポタミアの神樹と鷲神の表現に類似し、松喰鶴にはイランの神樹の花をくわえる花喰鳥が重なる。
仏教が伝わったとき、日本に菩提樹はなかったが、仏伝の菩提樹は日本人が感じる松に相似していた。そこで日本で仏伝を絵画化した「絵因果経」では仏陀の背景に松に描く。これは松に仏教をもちこんだ。
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ちとせふる松だにくゆる世の中に
けふともしらで立てる我かな 性空上人 |
中国では柏が神樹だったが、道教の山中修行とともに山中の松が神仙の樹になる。寒山・拾得から蝦蟇仙人まで仙人が憩い隠士閑居の象徴にもなる。松に親しむことは仙道に親しむことでもある。
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松樹によって腰を摩(す)ることは
風霜に犯し難きを習う 菅原道真 |
さらに東海の彼方の神仙が住む蓬莱が空想された。そこに秦の始皇帝が不死の仙薬を求めた。蓬莱はインドの宇宙観の影響をうけ、万年を生きる亀の背に乗り千年の鶴が舞う。蓬莱の松・鶴・亀甲が吉祥文として受け入れられ、鏡や器、調度や衣装などを飾る。
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いつも常盤の若緑 千年の遠く松に棲むは
まだ巣の中の雛鶴 『宴曲集』 |
こうして神仙観や仏教観を融合した深山松籟や白砂青松などが松への憧憬を高めたが、松は集落の周辺の磐代に生える。それは地主神の聖所でのあり、その松に妻や夫、恋人への愛の永遠あるいは長寿を祈り、その姿に故人あるいは家郷が託される。
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磐代の浜松が枝を引き結び
真幸くあればまた帰りこむ 有馬皇子 |
その親近性と神聖性は、松を日本の神樹の代表としていく。日本の神は訪れる神である。神樹をめぐる日本の神の祭祀は神樹に降臨した神を巫女が神庭に招き、芸能をもって遊ばせ、送る。神が降りた神樹の枝や葉は門口に立てられ、その神威が家々におよぼされる。
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新年春来れば門に松こそ立てりけん
松の祝ひのものなれば君の命ぞ長からん 『梁塵秘抄』 |
神を恋う儀礼は妻問いの恋の様式へと転写される。妻問いというのは女性が家産を相続し、男性がそこに入って夫となる結婚である。神樹による神と巫女との神婚譚は『古事記』などの神話にも多い。家や庭に多かった松は恋人や夫の来訪を願う樹にもなった。それは松を「待つ」に通じさせた。
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立ち別ん因幡の山の峯におふる
松としきかば今帰りこむ 『古今集』 |
松はアジアの諸文化を複雑に習合したアイコンになった。そのアイコンの背景のコンテンツが失われるところだった。近世に出現した城下町、ことに江戸は伝統が途切れた新開地だったからである。初期の江戸を構想されたとき、天海僧正の提言で東の上野山を比叡山に不忍池を琵琶湖に見立てて東叡山寛永寺をおき、西の愛宕山に愛宕神社をおいて、その都市空間を京都に見立てる。
この文化的インフラが新たな江戸文化の創出を可能にした。それを背景に、鈴木春信は江戸庶民の生活の点景を、伊勢、源氏、勅撰和歌集などの光景の見立てとして描きだした。それに先んじて関西の松秀斎の『松の葉』が音曲を通じて、文化のひきつぎをおこすきっかけをつくった。
それが宝暦、天明のころから江戸の見立てが遊びはじめる。浮世絵の一枚は護岸に松を植えた墨田川を舟が行きかう光景を描く。吹き抜け屋台で描かれた屋形舟に芸者と酌み交わす男が乗る。そこに猪牙舟(ちょきぶね)が寄せてきて、そこに悋気のあまりかしどろに帯を解く女が立つ。
それは源氏絵シリーズの一景で、タイトルに「江戸紫首尾の松」とある。吉原通いの川筋にときおりおこった事件の光景なのだろうが、光源氏の海女見物の見立てにせよ、追放された光源氏に恋人ができて悋気する女性がいたという洒落にせよ、「お初徳兵衛浮名桟橋」をアレンジした落語「舟徳」で知られる隅田川岸の首尾の松を須磨の松に見立てる。こうして江戸庶民は古典を自在にあやつった。
戦後に小唄ブームがあったとき、「松の木小唄」が流行した。だれ知らず芸者衆のあいだで歌われはじめたもので作曲者はわからない。レコード版には藤田まこと、夢虹二が詞を整えた。
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松の木ばかりが松じゃない 時計を見ながらただひとり
今か今かと気をもんで あなた待つのもまつのうち |
この種の歌意をもて遊ぶ気分もすたれている。今の都市は景色をつくる気がないからだろう。松を思うと、名所や庭園、絵画や古典、神々をしのぶけれども、時として文化のインフラをも思わせる。 |
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