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| 【1月26日】 |
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『出雲国造神賀詞』(いずものくにのみやつこのかむよごと)は『延喜式』に掲載された祝詞(のりと)である。『延喜式』は王朝時代の制度を定めた法典で国家が奉祭する式内社を決めた。それは天皇に捧げる祝詞も定めたが、出雲国造が捧げた祝詞は特異である。出雲国造は神聖な仮屋にこもり、出雲の神々からの吉詞(よごと)を受けて宮中に届けた。その吉詞ととともに天(あめ)の下を統治するために、生きた白鵠(しらみどり)を玩物(もてあそびもの)として捧げ、倭文(しず:日本の織物文様)のような天皇をおちこちの川岸に若い沼ができるように若がえらせるという不思議な内容だった。
白鵠はオオクニヌシの子神アジスキタカヒコネの神話にあらわれる。“鵠”の字は“くぐひ”(白鳥)にあてたが、「白鵠」(しらみどり)は朝鮮海峡から山陰に分布した白いカササギだろうともいう。その神名の“アジ”は賞味から転意してすぐれたことをあらわし、“スキ”は“髪をすく”というように無秩序な状態を整列することで、農事においては荒地を整備し畝(うね)をつくることだった。そして畝をつくる農具が鋤であって、アジスキタカヒコネは“無秩序を秩序化するすぐれた神”、農事においては“鋤の神”であり、鉄神信仰ともつながっている。
この神は髭が伸びる年になっても赤子のように話せなかった。『出雲風土記』によれば、父神オオクニヌシは泣き叫ぶ子神を小船に乗せて占い、三澤という泉で禊(みそぎ)すると言葉が通じるようになったという。ここには赤子の状態は神の領域にあり、それが人間の世界に生まれるときに人間の言葉をそなえるという言語観がある。そうした言葉をそなえることは神の領域からすれば限定された世界に生きることであり、その限定された世界を秩序立ててとらえる手段として言葉があった。これを出雲の神賀詞(かむよごと)と合わせると、アジスキタカヒコネは船という依代に飛来した白鳥によって言語の回路をもたらされ、神女による禊儀礼によって世界を秩序化する言葉をえたということになる。
これが記紀では垂仁天皇と皇子ホムチワケの神話に転写される。天皇が皇子を二俣杉でつくった二俣小船に皇子を乗せてあやすと、白鳥を見て「アギ」と叫んだ。そこでヤマベノオオタカに白鳥を追わせる。オオタカは鷹であり、諸国を服属させる将軍でもある。オオタカは白鳥を追って近江・美濃・尾張・信濃から越の国に入りとらえた。皇子はその白鳥を見て、言葉を発しようとするが思うように話せなかった。そこで占いによって皇子は出雲のオオクニヌシの神庭(青葉山)にこもり、蛇の女神と交わって自在に話す能力をえた。
この新たな神話はヤマベノオオタカの巡狩とむすびつき、辺境を服属させるより強い秩序化をもたらす言語を出雲の神から授かる。巡狩は古代中世の皇帝や領主が地方征圧のためにおこなった狩りで服属関係を示す儀礼でもある。これは現代の国際軍事演習と同じで、何語を中心に使用しどの国の命令系統によって演習するかで服属関係が決まる。そのとき、挨拶の仕方から食事あるいはシンボル体系まで主導国にしたがう。こうして文化的な服属関係が周知される。
折口信夫は「水の女」において、この出雲の古文献の“若水沼間(わかみぬま)”の一語から若水の観念をたずね、産湯、成人儀礼の禊の神女、藤原氏の発祥、天の羽衣、たなばたつめと日本のジェンダーの源流にさかのぼって“妣(はは)の国”にいたる。一方、白鳥とそれに類する鳥の伝承は世界中で宇宙卵を生み秩序を発生させていた。
インドでは鵞鳥の卵からブラーフマン(梵天)が生まれ宇宙と聖典の言葉をつくる。エジプトではペリカンが生命の運び手であり、ギリシアではニュクス(闇)の中の鳥が生んだ卵から世界が出現し、白鳥乙女レダは予言と音楽の神アポロの恋人だった。ゲルマンでは天空神と白鳥が交わって宇宙卵を生み、イランでは鸚鵡のような花喰鳥がその役割をはたした。中国では鵠(カササギ)が社稷に神霊をもたらす鳥だったが、中華帝国の王権を授与する鳳凰となる。南北アメリカやアフリカの原住民にも宇宙と文化をもたらした鳥信仰がある。キリスト教でさえ、キリスト生誕祭の儀礼とより古き神々の信仰よって宇宙再生の神霊をもたらす鴨や鵞鳥を食する儀礼の習合を拒めなかった。これらの神話による宇宙創生の儀礼の中で、人間をしての言語・知識を授ける禊(みそぎ)あるいは灌頂を介添えする女神が重要な役割をはたす。
『出雲国造神賀詞』は日本列島に誕生した古代国家の黎明期に、世界に普遍的であった人間の社会を秩序化する霊鳥による宇宙発生原理と言語の授与によって王権の正統を確認した伝統をうけついだものだった。しかし王権を保証した神の吉詞(よごと)と白鵠(しらみどり)を宮中に捧げる儀礼は淳和天皇の天長十年(833)いらい記録されない。
『延喜式』は菅原道真が大宰府に亡くなった二年後の延喜五年(905)年に編纂されたが、そのころ日本は遣唐使を廃止して唐との服属関係を断ち切り自立する方針をとった。そこに日本の王権を確認する出雲の神賀詞(かむよごと)が再び重視されたのであろう。しかし、いつその奉斎が廃絶したのかは定かでない。けれども白鵠(しらみどり)のイメージは鶴や鷺、かささぎ、鴨などの水鳥に生きつづけた。 |
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