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 【1月22日】

 

 十三世紀末年の四月、キリスト懐胎と磔刑の聖金曜日の夕暮れ。かつて冥界めぐりをはたしたローマ建国者にして詩人ヴェルギリウスに伴われ、ダンテは地獄に入る。
 そそり立つ絶壁フレジェントンテを人面蛇身のゲリュオンに乗って地下の第八圏に降りた二人は十のボルジェ(災禍の嚢)をめぐる。その第三のボルジェでは多くの穴に逆さに突っ込まれた罪人の足がはためくように燃える。ヴェルギリウスはダンテを抱え、一つの穴の罪人に声をかけさせた。罪人は「もう来たのか」と叫ぶ。叫んだのは二十年前の四月に死んだ教皇ニコラウス三世で、時の教皇ボニファキウス八世とまちがえた。この教皇は三年後の十一月に死ぬ。“書”とは神が書いた未来記で、死者はこれを見せられて神の判決を納得する。
 ニコラウス三世が地獄に落ちたには、「シチリア問題」がからむ。長年イスラム領だったシチリアはイスラム・ユダヤ・ギリシア正教徒など多宗教が並存した社会だった。シチリアをキリスト教圏に取り戻したノルマン朝ルッジェロ二世の王女コンスタンツェと神聖ローマ皇帝ハインリッヒ六世の間に生まれた、ターバン巻いた皇帝フリードリッヒ二世は宗教をこえる国法による地中海広域国家ネットワークをめざす。この世界構想にエジプトのアイユーブ朝のスルタン、カーミルも合意したが、教皇側は皇帝を異端として破門し、イタリアの自由都市でのゲルフ党(教皇派)とギベリン党(皇帝派)の対立が激化する。
 一方、フランスのルイ聖王は対イスラム十字軍を敢行しエジプトで大敗した。ここにフリードリッヒ二世の意志をつぐマンフレードが自力でシチリア王となる。しかし、元エルサレム総教主ヤコブ・バレンタインが教皇となるや、ルイ聖王の王子シャルル・ダンジューがシチリアに授封され、マンフレートと戦った。勝利したシャルルは堅いカソリック主義のもとにシチリア島民を弾圧しバルカン・パレスチナを窺う。ビザンツ帝国、アイユーブ朝はこれに反発し、対イスラム十字軍を終結する中東和平のチャンスは失われた。
 こうした状況の中で教皇となったニコラウス三世はシャルルのローマ支配を怖れ、シャルルが申しこんだ教皇の姪との結婚を阻んだ。両者の冷却が、マンフレートの娘と結婚したアラゴン王ペトロ三世を動かし、フランス人大虐殺事件「シチリアの晩祷」をひきおこす。『神曲』は、これによってニコラウス三世が地獄に落ちたと歌う。
 この変動期のフィレンツェの政治にダンテは乗り出した。フィレンツェはゲルフ党だったが、ボニュファキウス八世がフィレンツェの銀行に法皇庁の財政をまかせると、フィレンツェのゲルフ党は自立政策の白党と商業利権から法皇と結びつく黒党の間に熾烈な党争がはじまる。
 『神曲』においてダンテが地下に降りた十三世紀末年、現実のダンテはフィレンツェのプリオーレ(統領)に指名された。新世紀初年、ダンテは黒党の策謀を押さえるためにボニュファキウス八世のもとに派遣された使節の一員となる。その間にフィレンツェでは黒党がクーデタによって白党を追放する。ダンテは欠席裁判によって死刑を宣告され漂泊の旅に出た。
 その旅立ちは『神曲』の冥界くだりと重ねられていた。ボニファキウス八世はフィレンツェの金融機構を背景に財政を充実し、異端宣告と十字軍発動権を武器に世俗権力の頂点をめざした。ダンテの流浪三年目に、教皇は反発するフランス軍に捕らえられ脱出後に死亡する。
 白党とも袖を分かち、「一人一党」となって流離するダンテは、
 大海が藻屑たちの共通の母国であるように
 全世界こそわが境地            『俗語論』
 と、その世界観をあらわす。この言語と文化の藻屑が生態をなすダンテの大海のイメージは、いまだに忘れられたままである。




 

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