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 【1月18日】

 

 聖武天皇が奈良に大仏を建造しようとしたとき、大仏を荘厳する金が足りなかった。
 そこで良弁僧正を吉野の蔵王権現のもとに派遣した。吉野山は全山が黄金の“金の御嶽”とされていたからである。しかし、蔵王権現は「吉野山の黄金は弥勒下生のとき敷きつめるものであるから譲ることができない。琵琶湖の南に観音菩薩が垂迹した山があるから、そこに行って祈るとよい」とお告げした。僧正がその山に向うと、琵琶湖を望む巌の上に一人の翁が釣り糸を垂れていた。
 翁は、「この山中に補陀落をかたどった聖地がある。我は比良明神である」といって消えていった。良弁僧正はそこに庵を建てて修法していると、日本に亡命していた百済王の孫・敬福が関東より黄金を届けた。敬福は、その後すぐに陸奥小田郷での金山発見を伝え、九百両を天皇のもとに送る。
 そのころの日本は金銀輸入国で国際貿易の決裁にもハンデを負い、遣唐使を派遣して金を得ようとしていた。敬福の金山発見は、大仏建立を核とする華厳ネットワーク構想とともに、当時のグローバル・スタンダードにおける日本という経済文化圏の自立への期待を高めた。
 このとき、越国司であった大伴家持は、
  すめらぎの御代栄えんと吾妻なる
   陸奥山に黄金花咲く  『万葉集』
 と詠む。聖武天皇は貴重な黄金をえたことから、年号を“天平勝宝”と改めた。そして、良弁が祈った観音菩薩を奈良の都に招こうとしたがいっかな動かない。そこで、その聖地に寺院を建立して祀った。石山寺である。おそらく観音菩薩の移転に反対した勢力があったのだろう。
 敬福の金山発見を予知していたのは比良明神であり、その情報を傍受していたのは吉野の蔵王権現であった。いったい比良明神とはいかなる神なのか。それは白髭神(しらひげのかみ)と呼ばれ、琵琶湖が葦原になるのを七度見たという。いわば日本列島の形成とともにあった神だった。比良山から流れ下る鵜川の河口の岬に祀られ、社は琵琶湖に向い鳥居は湖面に浮かぶ。
 『台記』に釈迦如来が白髭明神に仏法道場として比叡山を譲ってくれるよう頼んだとき、六万年もここに住んでいるのに結界されては釣りができなくなると断ったところ、薬師如来が出現して八万年前からここにいると偽って山を譲らせたという逸話が拾われている。
 白髭明神は日本列島にやってくる、あらゆる人間、文化、宗教を受け入れた。和歌森太郎は『白髭明神考』に、古代に近江に入った渡来人の中で、新羅系の人たちがよく似た神を祀っていて、故郷の斯羅(しら)にちなんで白髭神としたといい、関東にも高句麗王若光を祀る白髭神社が多いが、それも先行して入植した新羅人の信仰が基層にあるという。このような白髪明神であったから、それを奉祭した人々の情報ネットワークは東の吾妻、陸奥から西の朝鮮半島に及んでいたにちがいなかった。
 南北朝のころ、観阿弥が水を渡る白拍子・賀歌女一統の乙鶴から曲舞を教わって白髭明神の縁起を謡う『白髭』をつくり、そのクリ、サシ、クセが能の様式の基本となった。今も祇園摂社や向島の白髭社に、芸者衆が芸の上達を願いもする。
  秋の霜翁おもての白髭の 
  ながきよあかず月をみるかな 『七十一番歌合』
     




 

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