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| 【1月15日】 |
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一見、かみあわないように聞こえる問答である。
唐王朝が崩壊し、五代十国の騒乱のさなか、一人の修行僧が師のもとをたずねた。
その師とは趙州(じょうしゅう)である。泉南山の普願禅師のもとで大悟し、五十八才のときまで仕え、それを看取って飄然と戦乱の中に旅立った。旅の道すがら、臨済、普化、洞山、雪峰ら禅の興隆期の俊秀と交わり、八十才で趙州城の観音院に住し、なお四十年間おとろえず、庶民と苦楽をともにする。だれもその名を忘れて、ただ趙州と愛称した。
趙州を訪ねてきた修行僧はなかなか志が高かったにちがいない。二人は共通の光景を共有しながら、問答をすすめる。その共有された光景は“露地の白牛(びゃくご)”である。それは、『法華経』の「比喩品」(ひゆぼん)の中の逸話に現れる“火宅”のシーンの一部をなす。
“火宅”というのは人間の世界の比喩である。さまざまな知恵と手段を駆使して、今日は豪勢できらびやかな生活をしていたとしても、明日はそうして築いた世界も猛火に襲われ、たちまち凋落(ちょうらく)して、野鳥や蛇や百足、あるいは餓鬼が住む芒屋となってしまう。
そんなとき、『法華経』を信じる長者が白牛に引かせた美しい乗り物を用意して邸宅の露地に見せびらかし、“火宅”に住む子供たちの注意をひきつけ、それに乗せて救い出す。白牛の車というのは、もう一つの仏の知恵に出る比喩だった。「そんな白牛はこの乱世では何にあたるのか」、と修行者は尋ねた。すると、「月光の下では、その色も用をなさない」という返事。乱世を救う方便があるかと聞いたのに、この返事はそんなものはないと言うのか。
「何を食べるのか」というのは、そういう白牛はいったいどういう知恵を咀嚼して成長するのかという問いだったのに、「その白牛は、ずっと何も噛めないんじゃ」と、とりつくしまもない。
実は、この後にオチがあって、たまりかねた修行者が、「どうか本気で答えてください」と真意を問うと、趙州は「老僧が噛めないのは当たり前じゃ」。
たとえば知識的に原因が見えていながら、戦乱の中のこと。世界はすでに“火宅”となっている。そうした薄暗い月光の世界では、白牛や飾った車もはっきり見えないから役に立たないという。
すでにあった知識で解決するくらいなら、とっくに解決している。だとすれば、そこから離れたら、そこに現れるだろう。いってみれば、白牛にあたる方便はすでにあったわけではなく、日々の趙州が見せつづけてきた、いまだ名付けられない営みそのものであった。だから、趙州は「そんな既存の知識は噛めない」と、老齢で食べ物が噛めないということを掛けてオチにした。
これで修行者が納得したかどうかはわからない。けれども、この問答をなぞる者には、まだ確定する以前の、後には必然的になるはずの「朕兆未萌」(ちんちょうみぼう)という状態が残されることになった。 |
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