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| 【12月25日】 |
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中間子の予見について、核力の場に伴う中間子の存在を認めれば、原子核と宇宙線に関係する諸現象が一挙に解決でき、物質世界には不可解な現象はなくなると考えたと、湯川秀樹博士は述懐する。そして、中間子が実在する証拠がなかったのに、その仮説に自信がもてたのが「奇妙」であり、その自信がたびたび動揺したのも「奇妙」だったと思索の軌跡をたどる。
アンダーソンが宇宙線に中間子を発見したが、その中間子と湯川が独自に構想した物質観の中での中間子の同定が困難になり、坂田昌一・谷川安孝が二中間子論を仮説する。そしてパウエルが二種の中間子を発見して、素粒子を基盤とする物質世界の探求が本格的に開始した。
その後は大型加速器によって素粒子を人工的につくり、そのふるまいを研究するようになる。それは物質世界の探求法を逆転させ、実在の物質から考察することが主流となっていく。
それでも湯川はイメージを駆使した創造が物質世界を切り開くという方法を提示しつづけた。それは、自然現象のすべてが因果関係で把握できるとして自由意志をも逼塞させかねない十九世紀的科学を突破し、科学が創造的手段となるという理想をつらぬくものだった。
それにしても、あの「奇妙」とは何だったのか。それは湯川が描く先見的世界像において中間子は確信できたが、実在の中間子を導入して、もう一度、世界像を構成してみると、新たな不整合性が残ると感じられたということではなかろうか。その先見的世界像とは、老荘にはじまり東洋思想が練磨した世界像とギリシアにはじまり西欧思想が練磨した世界像とが、相対性理論と量子論を介して交わって出現した“時間も空間も同列の次元に還元され、すべてが自由でありながら全体としては永遠の調和をたもつ美しい数理的世界像”だったであろう。
多くの素粒子が発見される中で、それらを新たな周期律表にまとめる段階に、陽子・中性子・ラムダ粒子を基本とした坂田昌一の三分説に対して、素粒子の対称性でグループ分けするゲルマンの八道説が有力になった。そのとき、湯川は対称性を発現させる要因となる実体を考察すれば、両説は同じ起原に基づくとして、そこに新たな自然認識の論理を検討しはじめる。
それまでは無意識的に欧米のイエス・ノー(0・1)、あるいは老荘の陰・陽という二分説が東西の科学を支える論理の基本とされてきたが、確率論と素粒子探求によって三分説が登場してきたと見る。その三分説は、論理にイエス・ノーのほかに、「むつかしい」とか「わからない」とかいう判断を導入するものとする。なぜなら素粒子のふるまいは、論理からすれば、一つの原因から多数の結果が想定され、その結果を前もって決定しえないからであった。
そこで、もとは陰・陽の二分説をうけついだ日本人が、なぜ「天地人」や「雪月花」のような三分説的な世界構造に転位したのか、そこに新たに姿をあらわしつつある物質世界にアプローチする論理がひそんでいるのではないかと示唆する。こうしてみると、日本人の“あいまい性”も、雪月花の浮世絵をかたわらに論理の一環としてつめる必要があるが、二分説の世界観が貼りつけた理不尽なレッテルを剥がせないでいるのは、「残念」というものであろう。 |
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